44話 二人でノエルの親だから
夕暮れの道を歩きながら、ノエルは買ってもらったスクロースを何度も見返していた。 隣を歩くアリオスの存在に安心しながら、胸の中には、スクロースへのわくわくが膨らんでいく。
そして──
帰宅して間もなく、ノエルは玄関先から声を上げた。
「ママ、ただいまー!」
「おかえりなさい。あら……?」
「みてみてーーー! ジャジャーン!」
エレノーラはノエルの手に掴まれているものに目を向けた。
「それ…… もしかしてスクロースかしら?」
「そうだよー! パパに買ってもらったの!これで魔法の練習しようと思って!」
「え…… しかもそれっ!ちょっと、ノエル!ママに見せて?」
「いいよっ!はいっ!」
ノエルの手からスクロースを渡された。
広げてみると、やはり予想通りの代物だった。
「これは…… 永続スクロースね。アリオス……これ……」
ノエルの後から入ってきたアリオスに声をかける。
「ただいま。 あぁ…… ノエルの勉強になるなら、いい買い物だと思ってな」
「もうっ、随分とノエルに甘いんですから……でも、ありがとうございます」
「魔法の訓練に使ってくれ」
「えぇ、大切に使いますね」
「ママ〜! まずどうしたらいいの?」
アリオスとエレノーラが会話している中、早く使いたくてウズウズしているノエルである。今にもスクロースを開きそうに指を掛けている。
「だーめ、今日はもうおしまいっ ……明日またゆっくりと使ってみましょう?」
「え〜…… じゃあ、明日だよ?約束ね?」
「はいはい…… 約束です。 いいから晩御飯にしましょう? 手を洗ってらっしゃい」
「は〜い!」
返事をしたあとノエルは、スクロースをしっかりと持ち、まるで冒険を終えた騎士のように胸を張って手洗い場に向かった。
「ふふ…… よっぽど嬉しかったのね」
「エレ」
短くエレノーラを呼ぶアリオスに顔を向けると、普段より真剣な表情を浮かべていた。
「なんでしょう?」
「鑑定屋でノエルの属性を判定した。あとで部屋で話したい」
その言葉に、エレノーラは一瞬たじろいだ。アリオスが部屋にわざわざ呼んで話がしたい、というのは、きっと"そういうこと"だろう、と理解したからである。
「そう……ですか。分かりました。ノエルが寝てから部屋に向かいます」
「ああ、頼む」
---
夜。
アリオスの部屋の扉が、控えめにノックされた。
「エレ?」
「……コーヒーを淹れてきました」
「ありがとう。入って」
ランプの明かりだけが部屋の隅を照らしている。受け取ったカップから立ち上る湯気に、アリオスは一息をついた。
エレノーラはアリオスの向かいの椅子に腰を下ろし、数秒だけ、言葉を探すように黙っていた。
「今日もご苦労様でした。 ノエルとの使役スキルの勉強のほうはいかがでしたか?」
まだ属性の話をするには心が落ち着いていないのか、エレノーラは当たり障りのない会話から始めた。
「ノエルに座学は少し早いかもしれないな。 しかし、眠たそうにしながら、頑張って俺の話を聞いていたよ。頑張り屋だよ、ノエルは」
「ええ、ノエルは頑張り屋さんですね。ですが、私が魔素の基本を教えているときは、自分から質問をするほど熱心でしたけど……」
「それは、俺が説明しているときもそうだったな。魔物の種類について話していたんだが、どうにも難しかったみたいでな」
アリオスは今思い返すと、少し説明の仕方が悪かったのかもしれない、と頭を掻いた。エレノーラはその様子を見て微笑む。
「ノエルがじっと座ってお話を聞いているだけでも、とても集中している証拠だと思いますよ? あのくらいの小さな子が魔法も使役スキルも勉強しているなんて、中々いないでしょうから」
「それはそうだな…… 勉強熱心ではあると思う。 今日も、あのスクロースを選んだのはノエルだったんだ」
「ノエルが? ……なるほど、前回魔法の基本を教えているとき、スクロースの話を少し出したからかもしれません」
「鑑定屋にそんなものがあるなんて俺は思っていなかったがな…… 本当に、リィ姉さんは謎が多い」
その呼び名を聞いて、エレノーラはこう反応した。
「あの……"ポロの前の飼い主"のかたですよね……?リーヴも欲しがっていた……"変わり者"の……」
アリオスは「そうだ」とだけ短く答えた。
「その…… お綺麗なんですか?」
「……?」
アリオスは、エレノーラの質問の意味が分からず、思わず首を傾げた。
「その、リィさん、というお方ですっ!」
エレノーラの声に、少しだけ力が入る。そして、アリオスはやっと、彼女が誤解していることに気が付いた。
「……ははは。 エレ、物凄い勘違いをしているぞ?」
「……なにがですか」
エレノーラはぷくっと頬を膨らませる。
「リィ姉さんは、そうだな…… 綺麗か、と聞かれれば、綺麗だろう。ご高齢で腰もあまり良くなさそうなのに、鑑定屋を続けられている、尊敬できる女性だ」
"ご高齢"というアリオスの言葉を聞いて、驚いた顔をするエレノーラ。
「あっ…… ヤダ…… 私……」
アリオスの言葉通り、自分のとんでもない勘違いに気付き、あまりの恥ずかしさに、エレノーラの耳の前に垂れ下がっているおくれ毛を掴み、真っ赤になっている顔を隠した。アリオスはそんなエレノーラを見て、愛おしさに笑みが溢れた。アリオスは椅子を立ち、エレノーラの横の椅子に座り直した。
「そんな風に思っていたとは知らなかった。 肥料の話をする時、リィ姉さんの名前を出すと少しピリッとしていたのはそれだったんだな」
「……き、気が付いているじゃありませんか」
「すまない、心配させたか?」
「……もうっ、……もう分かりました。 いいですから」
「エレ……」
アリオスがエレノーラの肩に手をかける。
しかし、エレノーラは顔を横にブンブン、と強く降った。
「ダメです。 ……先にお話が、あるんですよね?」
「後ならいいのか?」
「その…… 察してください」
そう言うと、エレノーラはガタッと椅子から立ち上がり、スタスタとベッドに移動してストンと座る。そして、また顔を赤らめながら目線を下に落とした。アリオスも立ち上がり、エレノーラの横に腰掛けた。
「わかった。では、先に大事な話をさせてくれ」
「ごほん…… はい。覚悟は出来ています」
エレノーラはまだ少しだけ血色の良い顔色だが、切り替えて真剣な目をし、アリオスと向き合った。
「先程も軽く話したが、ノエルの属性を鑑定してもらった。結果は、水属性と、"聖属性"だそうだ」
エレノーラは、すうっと息を吸い、「やはり、そうですか」と口に出した。しかし、もっと取り乱すかもしれない、と考えていたアリオスには意外だった。
「不安か?」
「えぇ…… 正直に言うと、少し」
「俺もだ。だが、ノエルがその結果を聞いて、なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったんですか?」
「『わたし、すごいってこと!?』…… だそうだ」
その言葉を聞いて、エレノーラはぽかん、とした表情を浮かべた。そして、徐々に口角が上がる。
「……ふふっ、ノエルらしいかもしれません」
「俺は、ノエルを心配してた一方で、自分の弱さを感じたよ。ノエルは、俺たちが思っているよりも、ずっと強いよ」
「きっと、あなたの強い背中を見て育ったから、ノエルも強い子に育ったんですよ。……私もそうです。もし一人では、あの子の属性を受け入れてあげられなかったかもしれません。それでも、私を認めてくれたアリオスのように、私もノエルのことを認めてあげたい、と思ったから、受けいれられたんだと、そう思っています」
「ありがとう、エレ」
「ありがとう、あなた」
エレノーラは、アリオスの肩に頭を預ける。アリオスはもたれ掛かっている頭を撫でた。
そして、静かにアリオスはこう続けた。
「それと、ノエルの誕生日プレゼントなんだが…… 鑑定屋で見繕って貰った鉱石にしようと思う」
「……ノエル、きっと喜びますよ」
「あぁ…… それを二人から、と言う形にするか?」
エレノーラは、アリオスが無造作にベッドに置いている手に指を絡めた。
「……そうですね。私も、別のものを用意したいのですが、構いませんか? 魔法に関わる物を渡したくて」
アリオスは、彼女の指を優しく握り返し──
「もちろんだ。俺たちは二人でノエルの親なんだからな」
そう言って、アリオスは穏やかに微笑んだ。
外では風が強まり、古い窓枠が少しだけ軋んだ音を立てた。だが部屋の中は、温かく静かなままだった。




