25話 やさしい魔法のはじまり
食後のひととき、テーブルには食器の片付けの音が静かに響いている。ノエルはフォークを置いたまま、ぽつりぽつりとごはんをつつくだけで、あまり口をつけていない。
「ノエル、ごちそうさまは?」
……少しの間を置いて、ノエルが小さく首を振った。
「……うん、まだ……ちょっとだけ食べる……」
アリオスはその様子に気づいていたが、あえて声をかけず、エレノーラに目配せをした。
エレノーラは一度ノエルの背をちらりと見てから、静かにキッチンに立つアリオスの隣に寄る。
「ねえ、ノエル……なにかあったんですか?」
「……ああ。午前中、使役スキルの訓練をしててな。リーヴが動かなかったのが、ちょっと……ショックだったみたいだ」
「そうですか……あの子、少し特殊な子のようですからね」
エレノーラは窓の外を見ながら、しばらく沈黙する。中庭ではポロとモボンが、草の上でごろごろしているのが見えた。
「午後も、訓練の続きをするのですか?」
エレノーラの問いに、アリオスは静かに首を振った。
「いや、午後は俺が少し出るつもりなんだ── このあいだの件だ。“鑑定屋”にまだ返事をしていなかったからな」
「あら、そちらもリーヴの件ですのね」
アリオスは、ほんの少しだけ口調を緩める。
「うむ。それと、ノエルの誕生日のこともあるから── プレゼントも見に行こうと思ってな。他に必要そうなものはあるか?」
んん〜……と悩むエレノーラ。
「では、いつもの肥料もお願いできますか?あと少しで無くなってしまいそうなので」
「わかった。留守を頼む」
アリオスはわずかに微笑んで、エレノーラの手に自分の手を重ねる。だが、ほんの数秒後──
「午後のノエルは頼んだぞ。家の中でのんびり……とはいかないと思うがな」
「ふふ、いつものことですよ」
その視線の先では、まだ食器の前に座ったままのノエルが、ぽつりぽつりとお皿の端をいじっていた。
エレノーラの目がふっと和らぐ。
(……そうね。午後は、魔法の話でもしてみようかしら)
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結局、ノエルはお皿をほとんど空にすることなく、フォークを置いてしまった。
エレノーラが音も立てずに食器を片付けていく横で、ノエルは椅子に座ったまま、うつむいてぼんやりとしていた。
カチャ……と最後の皿を重ねたあと、エレノーラはその手を静かに拭い、ノエルの隣に腰を下ろす。
「ねえ、ノエル。……どうしたの?」
エレノーラの声は、陽の光のようにやわらかい。ノエルはゆっくりと顔を上げて、ぽつりと答えた。
「……パパとの訓練……使役スキルの……」
「うまくいかなかったの?」
ノエルは、こくんと頷く。
「……モボンは動いてくれたのに……リーヴは……動いてくれなかったの。……わたしのこと、嫌いなのかもしれないって……」
エレノーラは微笑み、ノエルの頭をそっと撫でた。
「大丈夫よ。リーヴはノエルのこと、ちゃんと想ってるわ。……それでも、うまくいかないことだって、あるの」
ノエルは、うつむいたまま黙っている。
エレノーラはふと、話題を変えるように言った。
「ねえ、ノエル。魔法の勉強……してみない?」
ノエルはぱっと顔を上げる。目がきらりと光ったかと思えば、すぐにまたしゅんと曇った。
「でも……わたし、使役スキルもうまくできなかったし……魔法も、できないかもしれない……」
その言葉に、エレノーラは小さく笑った。
「うまくいかないのは、最初だから当然よ。それに……魔法とスキルって、ぜんぜん別のものでもないのよ?どちらも“魔素”を使うんだから」
ノエルは、きょとんと目を丸くした。
「えっ……? 同じなの?」
「同じ、とまではいかないかもしれないけど…… でもね。魔素の扱いに慣れていけば……もしかしたら、使役スキルのほうにも、いい影響があるかもしれないわ」
ノエルの瞳に、ぱっと光が戻る。
「── ほんとに!?」
「ふふ、ほんとよ」
「じゃあ……じゃあ、やる!魔法の勉強、わたし、頑張る!」
エレノーラは満足そうに微笑んで、そっとノエルの頭に手を添える。
「うん、がんばりましょうね」
「はーい!!」
ノエルの頬に、ふわりと笑みが咲いた。
その小さな決意が、次の一歩を優しく照らし始めていた。




