24話 届かぬ声と揺れる"心"
「── ごはん、できたわよ〜!」
屋敷の中から、中庭に向けてエレノーラの明るい声が響く。柔らかな風が声を運び、太陽の光とともに午後の時間を告げていた。
おお、もうそんな時間か……と、アリオスはその声に顔を向ける。「ありがとう、今行く!」と朗らかに返し、再びくるりとノエルの方を向いた。
「ほら、ノエル」
「……うん」
ノエルはうつむいたまま、力なく返事をした。その小さな背には、さっきの元気はもう見えない。まるで雲に隠れた太陽のように、彼女の笑顔は翳っていた。
その様子をアリオスは何も言わずに見守り、フォルドとともに静かに屋敷の方へと歩を進める。
ぽよん、ぽよん。
少し遅れて、リーヴも跳ねながらその後に続こうとした── だが。
(──おい、待て)
その背中に、鋭く低い声が投げられる。
振り返ると、そこにはポロがいた。鼻先をぴくりと動かしながら、若干の怒りを含んだ真剣な瞳でリーヴを見つめていた。その隣には、少し困ったような表情を浮かべるモボンの姿もある。
(リーヴ、少し話がある。"ノエルの使役スキルについて"だ)
リーヴは数秒間無言でノエルのほうを確認したが ──
くるりと向きを変え、中庭の奥、裏庭へと静かに跳ねていった。まるで、それが既に決められていた手順の一つであるかのように。
ポロとモボンも、それに続いた。
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(なんでノエル嬢に従わなかった?)
ポロの問いは鋭く、裏庭の静寂にひびく。
(── ……?)
すぐに返答が続かず、ポロの目つきがさらに険しくなる。
(お前の中じゃもう答え出てんだろ)
モボンが少し緊張したように体を揺らしながら、言葉を挟んだ。
(リーヴさん……あの、ノエルちゃんの“お願い”、どうして聞かなかったんですか?)
リーヴの反応は早かった。
(── 応。対象:ノエル。発話確認:“お願い、動いて”。分類:感情的訴求)
(……えっ)
モボンは戸惑い、ポロはあからさまに眉をしかめた。
(おいおい、なんだそりゃ。俺のときには無視しておいて、モボンには返すのかよ)
(……今は、順番の話じゃないです)
ぴしゃりとモボンが静かに咎めると、ポロは「ちっ」と舌を鳴らして黙った。だがその表情には、苛立ちがくすぶっている。
(で? リーヴ。お願いされてたのに、なんで動かなかったんだよ。モボンと同じ状況だったろ?)
問い返すように視線を送ると、モボンは頷いて答える。
(えっと……わたしのときは、“動いてほしい”って気持ちが伝わってきたんです。それで……ああ、ノエルちゃん、わたしに“お願い”してるんだって……そう思ったから、動いたんです)
それを聞いたリーヴも、機械的にうなずいた。
(── 告。対象:モボン。掲示内容と酷似した感覚を受信。現象一致)
(じゃあ、やっぱ“お願い”されたってことじゃねえか)
(── 応。発話内容、明示的命令文ではない。行動義務なしと判断)
(……はぁ!?)
ポロは鼻息を荒くしながら叫ぶ。
(お前、ノエル嬢の従魔だろ?使役されてんなら、せめて“お願い”くらい聞けよ)
すると、リーヴの返答はさらに冷静だった。
(── 告。対象:ノエル。発話確認:「お願い、動いて」。分類:感情的訴求。行動義務、認めず。加えて── 応答による行動が護衛任務に支障をきたす可能性あり。優先度:低)
その一言一言は正論のように聞こえるが、あまりにも非情だった。モボンは、リーヴの返答を一瞬考えるように受け止めた。
(つまり……"命令"じゃなかったから、動かなくていいって判断したんですね……)
感情的な“お願い”は、リーヴにとって“ノイズ”なのかもしれない── モボンはそんな印象を受けた。
リーヴにとって、ノエルを"護る"ことの優先度は高い。感情で動き、リスクが生じるなら動くべきではない。感情で行動を左右することは、リーヴにとって── "危険"だということだ。
つまり、ノエルの"お願い"を行使するスキルの根本的な芽と、リーヴの合理的判断の相性は、最悪だった。
ポロがその反応に、呆れたように息を漏らす。モボンも、リーヴとポロの間を取り巻く、空気の悪さにそわそわと不安そうに体を揺らしていた。
(……でも、リーヴさん。お願いされて、聞いてあげるのは、使役されてる従魔としての義務ではないですか?)
その声に、そうだぞ、とポロは短く同意し、それに……と続ける。
(いつもノエルのそばにいるってわけじゃねえだろ。庭でぼーっとしてたり、窓際で突っ立ってたり──距離取ってるとき、けっこうあるよな)
(── 応。その判断時点における脅威:確認されず。行動制限、不要)
(……はあ~~~~~~……)
ポロのため息は深く、重い。耳まで下げた尻尾が物語っていた。やがて彼は、ふっと息をついてモボンのほうへ振り返る。
(……もういい。“今日のところは”それでいい。俺は、モボンともうちょい話す。……戻っていいぜ)
リーヴは一拍、間を置いてから静かにその場を離れた。ぽよん、ぽよん、と音を立てて、ノエルのもとへ戻っていく。
ポロがリーヴにこれ以上詰め寄らなかったことを、モボンは少し意外に思った。
(……いいんですか?)
ぽよん、と遠慮がちに尋ねるモボンに、ポロは片耳をピクリと動かして答えた。
(言ってもムダだろ、あれは。── まっ、ノエルの嬢ちゃんのお願いにリーヴだけ動かなかった理由は、はっきりしたじゃねぇか。──“ノエル側の問題”じゃなく、“リーヴ側の問題”だ)
その声には、少しだけ苛立ちが混じっていた。
(う〜ん……でも、聞く限りだとリーヴさんなりに、ノエルちゃんのことを思って行動してたんじゃないですか?)
(思ってるかどうかなんて、こっちには分かんねぇよ。それに、感情的な“お願い”には従わないってのは── ノエルの意思に背いてるってことだろ?俺はあのままでいいとは思わねぇ)
ポロはふうっと鼻を鳴らして、軽く尻尾を振る。
(わたしも……そう思います)
モボンの声が、少しだけしぼむ。
(ノエルちゃん、わたしが動いたとき、すっごく嬉しそうだったのに……。リーヴさんにお願いして、動いてくれなかったって、きっと、傷ついてると思います……)
(だろ?)
(でも……どうするんですか?)
少し不安げに、モボンが問いかけた。
ポロは空を見上げ、しばし黙ったあと──ふっと口元を緩めた。
(……さっきのこと、思い出してみろよ。ノエルが微かに言ったろ? 『リーヴは、ちゃんと私の“ともだち”だよ』って──)
モボンは、ぽよん、と反応する。
(……! リーヴさん、あのとき── 少しだけ、反応してました!)
(だろ? “誰かのために動きたくなる”ってのが、友達ってもんだ。リーヴは……まだそれが、分かってねぇんじゃねぇか?)
ポロはゆっくりと地面に視線を落とし、語るように続けた。
(そもそも──もし、ほんとに徹底した合理主義者なら、従魔になんてならねぇ。ノエルのすぐ隣に張り付いて、必要なときだけ動けばいい。けど、あいつは違う。俺やモボンと話してみたり、ノエルの近くを離れて何か見てたり……そういう行動をしてる)
ぽつりとした言葉に、モボンはじっと耳を傾ける。
(……あれはな、“ノエルのまわり”を理解しようとしてんだ。だが── 肝心の、ノエル自身の"心"は、理解しようとしてねぇ)
ポロは少しだけ空を仰いだ。
(ノエルは小せぇ。感情で動くことも多い。あいつの中の“正しさ”は、変わりもんのリーヴにとって、理解不能なとこがあるんだろうさ。……けどな、感情に深く関わる"ともだち"って感覚に立ち止まってるってことは、つまり── リーヴの中に、戸惑いがあるってことだ)
再び地面に視線を戻し、ポロは静かに、しかしはっきりと告げた。
(友情ってのは、“理屈”じゃねぇ。“気持ち”で繋がるもんだ)
ポロの視線は、中庭の奥── リーヴの跳ねていった方角に向いていた。
(ノエルはな、同世代の友達もいねぇ。従魔のリーヴとの関係に溝ができちまったら……下手すりゃ、“心”が折れちまうかもしんねぇ)
その声は、いつになく真剣だった。
(そうならねぇためにも、俺たちが── リーヴにも、"それ"を教えてやらなきゃなんねぇ)
(……友情、ですね)
(そういうこった)
ポロはくるっと向きを変え、軽く助走をつけると、近くの大きな岩にぴょんと飛び乗った。
(よし、モボン!)
(……え? はい?)
ポロは岩の上で胸を張り、声を張り上げる。
(これより我々は──ッ! 『リーヴとノエルのなかよし計画』を開始するッ!!)
ババン!!
……とは聞こえないが、風の音が代わりに効果音を演出してくれた。
(……えっ、それ正式名称ですか?)
(細けぇことはいいんだよ)
命名センスの雑さに、モボンはちょっとだけ粘体を揺らして苦笑する。ポロは気にも留めず、前を向いたまま続けた。
(いいか。友情ってのは、一日にして成らずだ。でも一緒に時間を過ごせば、きっと芽が出る。── 俺たちは、その“水やり係”ってわけだ)
(……うまくいくんでしょうか〜……不安です……)
(不安なんかより、やってみるほうが大事だろ。ノエルの嬢ちゃんのためにもな)
そう言うと、ポロは岩の上から勢いよく地面へと跳び降りた。砂を散らす着地の音と共に、まっすぐモボンの前へと歩み寄る。
そして、迷いなく、右の前足をスッと突き出した。
(こうだよ── こう、だ)
(えっ……あっ、はい……こう、ですか……?)
少し戸惑いながらも、モボンも粘液をふるふると変形させ、ポロの足に向けて伸ばす。
ぽよん。
ふたりの“拳”が、そっと触れ合った。
小さな、小さなその誓いは ──誰にも知られぬまま、中庭の奥で、静かに芽吹こうとしていた。




