16話 スキルとは何か
リーヴが家族として、そしてノエルの従魔として迎えられてから数日が過ぎた朝。
今日からノエルは、“あの約束”を果たしていくことになる。
空は澄み、風はやわらかく吹いている。
屋敷の中庭はいつもと変わらぬ景色だったが、そこにいたノエルの顔には少しだけ緊張が浮かんでいた。
「……ここで、やるの?」
いつもなら遊び場となっている芝生の上に、今日は簡素なテーブルと椅子が並べられていた。並べられた筆記具や羊皮紙、分厚い本が、まるで学び舎のような雰囲気を漂わせている。
ノエルは自然と背筋を伸ばしていた。
「ふふ、そんなに緊張しなくていいのよ、ノエル」
エレノーラが優しく微笑み、ノエルの髪を撫でる。その隣では、モボンが大きな身体を控えめに揺らしながらじっと待機しており、リーヴは少し離れたところでゆっくり動いている。近くでポロがワンワン!とリーヴに向かって吠えている。いや、会話をしているのかもしれない。
そんな光景を横目にして待機していると、屋敷からアリオスが現れた。手には革張りのノートと筆記具を携えている。
「さて。今日から、ノエルに“使役スキル”の扱い方を教える。記念すべき第一回だ」
「……は、はいっ!」
ノエルは少し緊張しながらも、ぴしっと背を正した。アリオスはその様子に頷き、椅子へと腰を下ろす。
「まず、最初に聞こう。ノエル――スキルって、何だと思う?」
「えっと……魔法とか、便利なことができる……みたいな?」
「ふむ。あながち間違いではない」
アリオスは静かに頷くが、すぐに口調を引き締めた。
「だが、それは“結果”だ。スキルの本質は、もっと深い。スキルとは、“魂の記録”だ」
ノエルはきょとんと目を丸くする。
「……たましい、の?」
「そう。魂というのは、命素・魔素・因子の三つが揃って初めて形を成す。詳しくは後に教えるとして……その魂が何かを“成した”とき、その経験は刻まれる。そして、それが“スキル”になる」
アリオスは手元のノートを開きながら、指先で紙の縁をなぞる。
「何度も繰り返して練習し、理解し、体で覚えた“行動の型”が、魂の中に定着したとき、それがスキルだ。つまり――努力の結晶でもある」
ノエルはぽかんと口を開け、そしてふっと目を細めた。
「じゃあ……がんばって練習すれば、スキルってできるの?」
「……必ず、とは言えない」
アリオスは静かに首を振った。
「魂に刻まれるかどうかは個人差がある。たとえば、“空を飛びたい”と願っても、誰にでも翼が生えるわけではない。魔法やスキルに変えるには、それに適した素質、経験、時には奇跡のような縁が必要だ」
ノエルは少ししょんぼりとしながらも、じっと話を聞いていた。
「でもな、ノエル。例外もある。ごく稀に、生まれつき魂に刻まれたスキルを持っている者もいる」
「え、それって……」
「そう。アルステリア家で代々受け継がれているのが、“使役スキル”だ。そして、お前の母エレノーラの家系――ディルノール家では、“魔法スキル”がそれにあたる」
ノエルがぱっと顔を上げる。
「えっ、ママもスキル持ってるの?」
「ええ。私は“継承魔法スキル”を持ってるわ。でも、魔導士や魔法使いの中には、あえてスキルに頼らず、自分の魔法を磨く人も多いの。そういう人たちは“スキル魔法”よりも、“純魔法”を重んじるのよ」
「……へぇ〜……難しそうだけど、かっこいい……」
アリオスは少し笑いながら、会話を引き取った。
「魔法は努力の産物だ。スキルのように手軽に見えて、実はそうでもない。ただし、魔術師の中にはスキルに頼る者もいる。結局は、何をどう使うか、だな」
「ふんふん…… じゃあご先祖さまが頑張ってくれたおかげで、ノエルたちは使役スキルが使えるんだね?」
「そうだ。その恩を無駄にしないことが大事だぞ」
「すご〜い! ご先祖さま、ありがとう!」
ノエルが天に向かって手を振っていると、アリオスは少し表情を改めた。
「……ただし、継承されたスキルは“特別に強く刻まれた記録”だけだ。自分で努力して得たスキルは、子に受け継がれることはあまりない」
「え〜、それはちょっと不公平〜……」
アリオスは笑って頷いた。
「そう思うかもしれん。だがな、ノエル。自分で得たスキルは、自分の魂の中で最も強く輝く。そしてそれが、誇りになる」
ノエルはその言葉を噛みしめるように、しばらく黙っていた。ふと、モボンに目を向ける。ノエルはリーヴを包み込んだモボンを思い出していた。
「……じゃあ、わたしがモボンやリーヴを“守りたい”って思った気持ちも……スキルの始まりだったのかな」
アリオスの目に、微かに驚きと、満足そうな色が浮かぶ。
「ははっ。先にそこに辿り着くとは、やるな」
アリオスは頷いた。
「そう、これから話す内容に深く関わってくることだ」
それから咳払いをし、続ける。
「じゃあ、次は“使役スキル”について、もう少し深い話をしようか」
ノエルが顔を上げると、アリオスは静かに続けた。
「まず……“使役スキル”って呼ばれてるものは、実は正式なスキル名じゃないんだ」
「え……じゃあ、何?」
「人によって“形”が違う。俺のスキルは《従繋帯》。これは、フォルドのようなゴーレムとの使役に特化した特異なスキルだ」
「だから、パパにはフォルドしかいないんだね……」
「あぁ。フォルド一体を制御するだけで、俺の魔素の大半が持っていかれる。だが、それだけの価値がある相棒だ」
アリオスはどこか懐かしそうに、遠くを見た。
きっと、フォルドと初めて通じ合えた時のことを思い出しているのだろう──と、ノエルは思った。
「……パパが初めて《従繋帯》を使えたときはな。必死だったよ」
アリオスは少し照れくさそうに笑う。
「魔素の流れを感じて、意識を集中して、精密に指示を出して……気を抜いたら暴走するんじゃないかってぐらい、緊張した。でも、やらなきゃいけない、成功しないといけなかった」
そして真剣な目に変わる。
「下手をすると、無差別に命を殺めてしまう力だ」
そう言ってから、彼はノエルをじっと見つめた。
「今のまま、無自覚のまま使役スキルを使っていれば、きっと誰かを傷付けることになる」
そして、続ける。
「だからこそ、ノエルにも聞いておきたい。お前が“使役スキル”を通じて、何を成し遂げたいのかを」
ノエルは一瞬、答えに迷う。
だが、リーヴとモボンを思い浮かべ、目を閉じる。
そして、両手を胸元に重ねて、ぽつりと答えた。
「……わたしは、この子たちと一緒にいたい。大切な友達だから」
アリオスはゆっくりと頷いた。
「……なるほど。悪くない。というより──それは、きっとノエルにしかできない答えだ」
ノエルがきょとんと目を丸くする。
「パパとフォルドは当てはまらないかもしれないが、使役スキルっていうのは、ただ命令して魔物を動かす力、じゃない」
その声は、柔らかくも重みがあった。
「命令じゃなくて、“信頼”がある。そして、“願い”がある。力ではなく、魂で繋がる。ノエルがそれを、無自覚のまま、すでにやっていたというのが……すごいことなんだよ」
ノエルは頬を緩め、少しだけ照れくさそうに笑う。
「えへへ……だって、リーヴもモボンも、いっつもそばにいてくれるんだもん。わたしも、ちゃんと応えたいの」
アリオスは満足げに軽く息を吐いた。
「ふっ……その気持ちさえあれば、スキルなんてあとからついてくるさ。だがまあ、初回の授業はここまでにしておこう」
「うん……! パパ、ありがとうっ!」
ノエルが満面の笑みで頭を下げると、アリオスは一瞬、視線を逸らした。
「うっ……」
思わず目頭が熱くなる。だが、ここで涙など見せられない。アリオスは咳払いをひとつし、顔を上げた。
「……よし、次からは実戦編だ。覚悟しておけよ」
「はーいっ!」
そして、モボンがノエルの手に寄り添っていた。
まるで「一緒に頑張ろうね」とでも言うように──