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君と見たソラ -下-

作者: 森の人

 夏休みはあっという間に過ぎ去っていき、秋の始業式を迎えた。

 放課後に部室に集まるように言われていたため部室へ向かうと、河島先輩がいた。

 「橘くん」

 俺が席に座ると同時に、河島先輩から話しかけられた。

 「みんなが揃ってから改めて話すつもりだけど、今日の部活から正式に橘くんが部長、本田さんが副部長という体勢なるよ」

 「わかりました」

 「一応、文化祭までは部活に参加する予定だから、それまでに引継ぎをやっていこうか」

 俺が頷いて応えると、河島先輩は活動予定とかは一緒に考えるつもりだし緊張しなくて大丈夫だからと優しく声をかけてくれた。

 別に緊張していたわけではなかったが、河島先輩と2人きりの状況で話しかけられ、体がこわばっていた。

 君と河島先輩が付き合い始めたということを聞いてから初めて河島先輩に話しかけられたことで、力が入ったんだと思う。


 少しして巧や高橋が入ってきて、最後に君がやって来た。

 「全員揃ったところで、新学期最初の部活を始めようか」

 君が席についたのを確認して、河島先輩がそう切り出した。

 そして部長の交代について、文化祭までの活動予定についての話を簡単に説明していった。

 「僕からの話は以上にして、新部長の橘くんを中心に文化祭の話を決めていこうか。本田さん、部長の補助をよろしくね」

 「はい、任せてください」

 「橘くんも、就任早々で申し訳ないけどお願いできるかな」

 「…頑張ります」

 「頼りないな、新部長。しっかり頼むぜ?」

 「私も新部長のサポート頑張ります。…ちょっと心配ですし」

 巧が茶化し、高橋が追い討ちをかけてきた。

 高橋がそんなふうにみんなの前で俺をイジるのが珍しく目をやると、目が合った高橋は顔を背けた。

 「そうだね。僕も含め、全員で橘くんを支えていい部活にして行こう」

 河島先輩がそう締めくくり、文化祭の出し物について話し合うことになった。


 話し合うといっても出し物の内容はすでにほぼ決まっているため、誰がどの作業を担当するかなど、詳細を詰めるだけだった。

 「俺は戦力外っぽいし、力仕事担当で」

 詳細を決める前に、巧が真っ先にそう言った。

 戦力外などとは思わなかったが、適役ではあると思った。

 「戦力外なんてことはないよ」

 河島先輩がハッキリとした声で否定した。

 いつもの優しげな雰囲気はあるが、いつも以上に真剣な様子に驚いた。

 「橘くん。今年の文化祭の内容は、変更なしで大丈夫かな?」

 「あ、えっと…。今から変更するのも大変ですし、俺は大丈夫です」

 「他のみんなも、それで大丈夫かな?」

 河島先輩の確認に、巧を含め特に否は出てこなかった。

 「ありがとう。改めて文化祭の企画について確認すると、9月までの活動で観てきた空をプラネタリウムで表現すると言う内容だね」

 参考資料となる写真やスケッチなどは河島先輩が用意しており、写真だけじゃ再現できない雰囲気を表すためにそれぞれの感想やイメージを出し合って作り上げていきたいとのことだった。

 「同じ場所に居ても、見たものが同じ景色でも。感じたものや考えたことは違うものがあると思うんだ。ただ綺麗な星空だと思ったかもしれない。風が木の葉を揺らす音が涼しげだと感じたかもしれない。星の光が思った以上に明るくて驚いたかもしれない。その人がその時に何を感じたのか、そこまで表現して天体観測に少しでも興味を持ってもらえたら嬉しい。そんな思いで提案した企画なんだ」

 「…そんな思いがあって、てことは聞けて良かったんですけど。視覚以外のものを表現するのって難しくないですか」

 「うん。増山くんの言う通り、そのまま表現するのは難しいと思う。全く思った通りに表現できないことももちろん多いだろうね」

 「どうやったら少しでも表せるか意見を出し会う必要があるから、俺も戦力外じゃないってことですか?」

 「それもあるけど…」

 「あるけど?」

 「文化祭だから、当日まで一緒に作り上げることが一番大切だと思うんだ。そこに関して知識とか経験とかは重要じゃないよ」

 「参加することに意義がある、みたいな感じですか?」

 「言葉通りに捉えると誤解されてしまいそうだけどね。本当の意味で参加することが大切だと思うよ」

 納得していない様子の巧に苦笑しながら、河島先輩は続けた。

 「お互いの意見を持ち寄って、どうすれば実現できるか話し合って、成否にこだわらずに最後までやり切ることが。それが、僕が最後の文化祭でやりたいことなんだ」

 河島先輩が最後の文化祭と言ったとき、その言葉が、3月で河島先輩が卒業すると言う事実が。

 部長の交代を聞いた時以上に実感を持って、重く聞こえた。

 「僕の自分勝手な思いだから…お願いすることしかできないけど。増山くんにも、他のみんなにも同じ気持ちで参加してもらえるとすごく嬉しいかな」

 「別に嫌ってわけじゃないんですけど。河島先輩の最後の文化祭だから、て理由で俺なりの気遣いを否定されるのは、違う気がするんですよね」

 「おい、巧!」

 「増山先輩!」

 珍しく河島先輩に反発する巧の態度に、思わす口が出た。

 高橋も批難する様に声を荒げていた。

 「ごめんね、増山くん。もちろん無理にとは言わないよ。強制する権利もないし、あくまでも僕のわがま」

 「河島先輩のじゃなくて!」

 少し気落ちした様子で謝る河島先輩の言葉を、巧が遮った。

 「ここにいる全員でやりたいことだから、てことなら。それは俺のためでもあるじゃないですか。なら俺が遠慮するのもおかしいですし、やりたいこととかどんどん言っちゃいますよ」

 「…つまり、えっと。僕の伝え方が悪かった。と言うことでいいのかな?」

 「河島先輩の伝え方が悪かったんじゃなくて、巧が捻くれたこと言ってるだけです」

 「そうです。増山先輩が悪いです」

 「なんだよ2人して俺を悪者扱いして。俺は、俺たち全員で一緒に盛り上げて、ついでに河島先輩の最後の文化祭を最高の思い出にしようぜ、て思ってるだけなのに」

 巧がわざとらしく口を尖らせて抗議してきた。

 「まあ、そう言うことで。河島先輩の自分勝手なお願いとかじゃなくて、みんなが全員のために頑張るって感じで俺はやりたいです」

 俺たちへの不満を示しながら、巧は恥ずかしそうに言った。


 改めて企画内容や当日までに準備が必要なものを確認して解散となった。

 「あ、巧」

 「ん?」

 「この後、ちょっとだけ手伝ってもらっていいか」

 「別にいいけど」

 「私も残りましょうか?」

 「いや、智絵さんたちは大丈夫。大した用じゃないから」

 「わかりました。では、また明日」

 部室を出ようとする巧を呼び止め、他のみんなが部室を出るまで待った。

 足音が遠のいて行ったことを確認し、俺は口を開いた。

 「巧さ。さっきの河島先輩への当たり、だいぶ強くなかったか? 珍しく意固地というか、なんというか」

 「ん、まあ別に…」

 「なんか気に触ることでもあったのか?」

 「いや…まあ、うぅん…」

 明らかに普段と態度が違う巧の様子がどうしても気にかかっていた。

 答えに悩む様子の巧は、言葉を選ぶようにしながら教えてくれた。

 「本当に大した理由じゃなくて、さっきの言葉通りというか…」

 「河島先輩の言い方、てことか?」

 「ざっくり言うとそんな感じ。河島先輩の最初の言い方だと、なんか"俺の最後の文化祭なんだから、協力しろよ"って感じに聞こえてさ。それって言い方を悪くすれば、立場を利用して強要してる感じがするというか。もちろん、そんなことを言うような人じゃないってこともわかってるんだけど。だからこそ、そういうことを言ってほしくなかった…のかも」

 「つまり、なんだ。理想の川島先輩でいて欲しいから、そんなこと言わないで! ってことか?」

 「言い方が気持ち悪い!…けど、そんな感じかな」

 「河島先輩が好きなんだな」

 「余計に気持ち悪い言い方になったな! 好きというか、先輩として尊敬してる、だな」

 そんな河島先輩が下手に出るような態度でお願いと言いつつ、どこか優位な立場にあるように聞こえる言葉を使ったことが、巧には気に食わなかったようだった。

 「あとは…」

 「ん?」

 「隼人が部長らしく納めて、"さすが新部長、頼りになるね!"みたいな流れも期待してたんだけど、そっちは無理だったな。所詮、隼人だったわ」

 「所詮、俺だった。ってなんだよ!」

 軽口だとわかっていたので、軽く小突くふりをしてツッコんでおいた。

 「冗談だって。まあでも、隼人が話聞いてくれて、自分でも気持ちが整理できた。ありがとな」

 「それは何より」

 お互いに照れ臭くて、高橋が珍しく声を荒げていたのはもしかしたら河島先輩に片想い中だからなのかもしれないなど、他の話題で誤魔化していた。

 日が暮れるまでそんなくだらない話をして、もう日も暮れたからということで解散した。



 それから文化祭まではあっという間だった。

 やりたいことをどんどん言う、と宣言した巧は、その宣言通りにやりたいことを言っていた。

 巧が感じた雰囲気や見た風景の意見は他の誰よりも明確で、それを部室でどう表現するかまで積極的に考えていた。

 時折、プラネタリウムと喫茶店を掛け合わせたプラネタリウム喫茶がやりたいだとか、お化け屋敷チックにしたいとかいう無茶な要望もあった。

 その都度、高橋に真面目にやってくださいと怒られ、河島先輩はそれを見て楽しそうにしていた。

 俺はといえば、遮光用の暗幕など備品を借りるための申請や、ポスター張り出しのための申請などに追われていた。

 部活の方はなんとか満足の行く形に完成したが、クラスの企画の方は文化祭前日の夜までドタバタしていた。

 運動部の男子、文化部の手が空いてる男子は泊まり込みで準備をする流れになり、俺と巧も漏れなく泊まり込むこととなった。

 途中で、まだ部活の方の準備が終わっていないと言うことで抜け出せばよかったと、巧と2人で後悔していた。


 文化祭も無事に終わり片付けをしていると、やり切ったという達成感と共に、少しずつ寂寥感が湧いてきた。

 「これが終わったら、河島先輩は引退しちゃうんですよね」

 不意に高橋が呟いた。

 他の場所でも片付けが行われていて騒がしかったが、その呟きは妙に鮮明に聞こえた。

 「そうだね」

 河島先輩はいつもと同じ様子で、高橋の呟きに応えた。

 「受験勉強、頑張ってください。あと、たまにで良いので部室にも来てくれると嬉しいです」

 巧が心持ち明るくそう言った。

 「そうですね。受験勉強の息抜きに、ぜひ来てください」

 君も。

 「まだまだわからないことだらけなので、たまに部室に来て教えてもらえるとありがたいです」

 俺も。

 「今回の文化祭も、なんだかんだで河島先輩が中心でしたもんね」

 「…否定はしないけど。俺も仕事してたんだからな」

 「わかってますよ、隼人先輩」

 「そうだよ。橘くんが頑張ってたのは、みんな知ってるから」

 高橋も。

 誰もが河島先輩が引退することを寂しく思い、そして"卒業"を感じ始めていた。



 秋が過ぎ去り、冬も終わりに近づき、ついにその時が来た。

 式を終えた後、部室で河島先輩に各々から祝辞を伝え、君と河島先輩を残して俺たちは部室を後にした。

 巧は他の先輩に用があるとのことでどこかへ行ってしまい、高橋と2人で廊下を歩いていた。

 「…いいんですか、隼人先輩」

 「何が?」

 高橋の問いかけにそっけなく応えた。

 どういう意図での質問かはわかっていたが、それに答えるつもりはなかった。

 「いえ、別に」

 俺の意思が伝わったのか、高橋はそれ以上聞いてこなかった。

 「隼人先輩」

 「ん?」

 「今後は、私のこと名前で呼んでください」

 「なんで?」

 「…はぁ。もしかして私の名前覚えてないからって、嫌がったふりしてます?」

 「いや、覚えてるけど。なんでいきなり?」

 「ダメですか?」

 「ダメでもないけど…」

 「じゃあ良いですよね」

 「まあ」

 「じゃあ、呼んでみてください」

 「…千鶴」

 「はい。…なんか、隼人先輩に名前呼ばれるの恥ずかしいですね」

 「お前が呼べって言ったんだろ。恥ずかしいなら、今まで通り」

 「いえ、千鶴で大丈夫です」

 「じゃあ、千鶴で」

 「はい」

 唐突な申し出に驚きはしたが、千鶴だけ苗字で呼んでいるのが気になったのかもしれないと思った。

 「巧にも、千鶴って呼ぶように伝えようか?」

 「え、なんで増山先輩が出てくるんですか」

 気を利かせた提案のつもりだったが、少し嫌そうに言われた。

 「そんなことより。河島先輩が卒業して早々ですけど」

 巧の話題を"そんなこと"で片付け、千鶴がどこか寂しそうに続けた。

 「隼人先輩たちも、あと1年で卒業しちゃうんですよね」

 「…ああ」

 当然の事実ではあるが、言葉にするとより現実に感じられた。

 「その前に。新入部員、たくさん集めないとですよね」

 「そうだな」

 別れもあれば出会いもある。

 「そのためにも、来年度の活動方針も考えなきゃですし。やることはたくさんあるんですから、河島先輩の卒業をいつまでも悲しんでなんかいられませんよ」

 「千鶴の言う通りだよな。…これじゃあ、どっちが先輩なんだか」

 寂しさと、不甲斐なさと、期待と、さまざまな感情が混ざった心を胸に最後の1年が始まり、それはあっという間に。

 本当にあっという間に、過ぎ去っていった。



 入部希望の1年男子があまりにも下心丸出しの様子だったので、巧にやる気がないなら辞めた方が良いと一喝され、そのまま帰って行ったり。

 そのせいで変な噂が流れたのか、結局、1人も部員が増えなかったり。

 夏からは部活に参加しながらも、受験生としての生活が始まったり。

 巧が息抜きに海かプールに行こうと提案してみんなに声をかけるも、俺と巧の2人でプールに行くことになったり。

 文化祭は特に捻りもなく同じような企画にしようとしたら、借りられた暗幕が足りなくて手配にバタバタしたり。

 片付けの最中に千鶴が泣き始めて、君も俺も巧も様子外の出来事に驚くとともに、別れを惜しんでくれることを嬉しく感じたり。

 そして、受験勉強の息抜きに出かけた街中で、君と河島先輩が楽しそうに並んで歩いているのを見かけたり。

 思い出深い1年だった。


 卒業式の最中。

 不思議と、河島先輩の卒業式ほどの寂しさを感じていなかった。

 木崎先生に名前を呼ばれ、卒業証書を受け取った時も。

 最後かもしれない校歌斉唱の時も。

 これで卒業か、以上の感情は湧いてこなかった。

 …なのに、式が終わり、部室に集まった時。


 もう終わってしまう。

 これで終わってしまう。

 もっとここに居たかった。

 まだまだやりたいことがあった。

 あれも、これも、何もかもやりたかった。


 後悔と寂しさと不安が次々と湧いてきた。

 涙となって溢れ出そうになった。

 君にも、千鶴にも、そんな情けない姿は見せたくないという一心で、なんとか堪えていた。


 「智絵先輩」

 「はい」

 「先輩がこの部活を支えてくださらなければ、たぶん今まで続いていなかったと思います。河島先輩が部長の時も、隼人先輩が部長の時も、智絵先輩が副部長として支えてくださったからこそ、みんなが楽しく過ごせていたのだと感じています。そんな智絵先輩が卒業されて、現役生は私1人になってしまい、正直なところ不安でいっぱいです。だからといって、智絵先輩に甘えて寄りかかっていては、成長できないとも思っています。だから、今日。この日から。自分の力でこの部を支えて見せます。…ただ、もしかしたら疲れて挫けちゃうかもしれないので、その時はまた甘えさせてもらえると嬉しいです。ご卒業おめでとうございます」

 「ありがとうございます。高橋さん、いつでも駆けつけますので、私でよければ存分に甘えてください」

 「ありがとう…ございます」


 「増山先輩」

 「おう」

 「先輩は、変なところとかお調子者なところとか、少し苦手な感じの先輩でした」

 「えぇ…」

 「そこが悪いというわけではないですよ。私にとって、あまり相性が良くないだけで」

 「その一言がグサッとくる…。唯一の後輩にそう言われると、なかなかに」

 「すみません。でも、誤魔化して伝える方が増山先輩は嫌いかと思いましたので、正直に伝えさせてもらいました」

 「…まあ、ね」

 「そんな増山先輩が、河島先輩に文化祭の時にハッキリと思いを伝えた時。1年生に一喝した時。少しカッコいい先輩なんだと思いました」

 「お、もしかして俺に惚れちゃった?」

 「そういうところが大きくマイナスなので、それはないです」

 「残念」

 「でも、そう言った軽口で場を和ませてくれたり、ムードメーカーになって下さるところが、増山先輩の良いところだと思います。ご卒業後も変わらずそのままでいらっしゃれば、きっと増山先輩の魅力に気づいてくれる人がいると思います」

 「そっか」

 「ええ、そうです。だから、増山先輩は変わらずそのままでいてください。ご卒業おめでとうございます」

 「ありがと」


 「隼人先輩」

 涙を堪えるのに精一杯で声が出せず、頷いて応えた。

 「隼人先輩は、すごい努力家だと思います。だからこの先も、諦めず努力し続けて、夢に向かって歩み続けてください。ご卒業おめでとうございます」

 「え、それだけ」

 「はい、これだけです」

 2人に比べてだいぶ簡略化された祝辞に、巧が驚きの声をあげた。

 「どんまい隼人」

 「…うっせ」

 巧が茶化してくれたおかげで、なんとかそれだけ応えられた。


 「あ、隼人先輩。少しだけ残ってもらっていいですか」

 解散の流れになり、部室を出て行こうとした時、千鶴に呼び止められた。

 「どうした?」

 「部長の仕事で少し教えてもらいたいことがあるので」

 「わかった」

 「じゃあ、俺たちは先にクラスの方に戻ってるからな」

 「隼人くん、また後で」

 「また後で」

 君と巧は、そう言って部室を出て行った。



 「それで、聞きたいことって」

 「隼人先輩」

 何を聞きたいのか尋ねる言葉を、千鶴の真剣な声が止めた。

 「私は、隼人先輩のことが好きです」

 思いがけない言葉に、思考が固まった。

 「いきなりのことで困惑されているかもしれませんので、もう一度言います」

 もう一度言うという千鶴の言葉に、我に帰った。

 「私は、高橋千鶴は。隼人先輩のことが好きです」

 「…それは」

 「恋人になりたい。付き合いたい。そういう意味での好きです」

 思考こそ固まらなかったものの、どういう反応をしたらいいのかわからず、体は固まってしまった。


 「えっと…なんで、とか聞いても?」

 ようやく動いた口からはそんな言葉が漏れた。

 「なんで、と聞かれると難しいです。けど、いつからか、ならハッキリ覚えてます。一昨年の夏休みです」

 「一昨年の、夏休み…」

 君に告白して振られ、あの一方的な約束をした夏休み。

 「先輩が今も通い続けているあの場所で」

 俺があの日から毎日、今も変わらず通い続けているあの場所で。

 「私に言った言葉がどうしても忘れられなくて。眩しくて。そしてそれを叶えようとしている先輩が輝いて見えて、側で支えてあげたいって。そう思ったんです」

 「俺が千鶴に言った言葉…」

 「覚えてないですか?」


 『俺は星が輝いている姿が、俺たち生き物が精一杯生きていく姿みたいに見えてさ。そんな風に思われるように生きて行きたい』


 そんなことを言ったかと疑問に思うとともに、恥ずかしさで顔が熱くなった。

 「俺、そんな恥ずかしいこと言ったのか?」

 「恥ずかしくなんかないですよ」

 恥ずかしがる俺に、千鶴は真剣な表情で続けた。

 「行動が伴わずにそんなことを言っている人がいれば、それは恥ずかしいと思います。気障なことを言って恥ずかしい人だと思います」

 「…恥ずかしい人」

 「でも、先輩は精一杯頑張って、努力し続けることができている人です。実際には、少しだらけたりしてるのかもわからないですけど、それでも私にはそう見えてます。だから、先輩は恥ずかしがる必要なんてないです」

 「実際、今、恥ずかしくてしょうがないんだけど…」

 「なら、恥ずかしがらなくて済むように。周りの目が気にならなくなるくらい、精一杯になれば良いんです」

 そんな無茶なと思う一方で、恥ずかしい言葉を言うような俺でも肯定してくれようとしていることが嬉しかった。

 「先輩が周りの目がどうしても気になるというのなら、私しか見えなくなるまで虜にして見せます。周りの声が気になるというのなら、私がそれをかき消すくらい応援します。…だから、私を隼人先輩の隣に居させてください」

 「千鶴…」

 「だから、私と付き合ってください」

 普段の少し強気な千鶴から、懇願するような声で紡がれた言葉に心が揺れた。

 それと同時に、千鶴の純粋な想いに応える資格がないと思った。

 俺が続けているのは、千鶴が考えているような綺麗な理由じゃなくて、君への未練のようなどうしようもない理由だったから。

 それを伝えて千鶴の想いまでどうしようもないものにしたくなくて、それは隠したまま俺は告げた。

 「ごめん」

 千鶴は俯いてしまった。

 肩が揺れ、嗚咽も聞こえてきた。

 だけど、それを慰めるなんて偉そうなことはできなくて、ただ見ていることしかできなかった。


 「そうですよね。不純な動機で入部するなんてとか散々けなしてきた私が、どの口で告白なんかしてんだって感じですよね…」

 千鶴は顔を上げると、涙もそのままに歪な笑みを浮かべながら言った。

 「別にそんなこと思ってない」

 「…え」

 「こんなことして良い立場じゃないけど」

 俺は千鶴を軽く抱きしめた。

 抵抗もなく受け入れられたので、そのまま続けた。

 「人を好きになることも、好きな人に好きだって伝えることも悪いわけがない」

 「でも…私は…」

 「今の気持ちを正直に言えば、千鶴から好きだって言ってもらえてすごく嬉しい」

 否定的な言葉が聞こえてくるのを遮るようにして、正直な気持ちを伝えた。

 千鶴が俺の背中に腕を回し、強く抱きついてきた。

 「…なら、なんで。なんでダメなんですか」

 俺の胸に顔を押し付けたまま尋ねてきた。

 「俺に、千鶴の気持ちを受け取る資格がないから、かな」

 「そんなの…」

 「だから、ごめん」

 俺を肯定してくれようとする千鶴の言葉を遮って、俺は改めて千鶴を振った。

 「隼人先輩のばかぁ…」

 千鶴はより強く抱きつき、声をあげて泣いていた。

 「ホントに、ごめん」

 俺には、ただ謝りながらそこに居ることしかできなかった。


 しばらくして千鶴は泣き止むと、俯いたまま俺から離れ、背を向けた。

 「隼人先輩。もう行ってください」

 「…わかった」

 千鶴の言葉に従って、部室のドアを開いた。

 「隼人先輩」

 「ん?」

 「今日のこと、忘れないでください」

 「うん」

 「私を泣かせたこと、反省してください」

 「うん」

 「私の言葉、いつでも思い出してください」

 「うん」

 「私を振ったこと、きっと後悔してください」

 「うん」

 「私と、付き合ってください」

 「ごめん」

 「…隼人先輩のばか」

 「ごめん」

 それ以上声は聞こえず、俺は静かに部室を出た。


 こんな日を忘れられるわけがなかった。

 泣かせてしまったことに反省しかなかった。

 伝えてくれた言葉を励みにいつでもいつまでも頑張れる気がした。

 そんな女の子を振ったことに後悔しないはずなかった。



 教室に戻ると、中に残っているのは巧だけだった。

 結構な時間が経ってしまっており、最後のホームルームも終わってしまっていたらしい。

 「遅かったな、隼人」

 「まあな」

 「とりあえずもう帰ろうぜ。この後、食事会になったし」

 巧は深くは聞かず、帰り支度を促してきた。

 「食事会って何時から? どこ?」

 「2時間後くらいに駅前で」

 「まあ、間に合うか」

 そんな話をしながら、教室を後にした。


 こうして、俺の高校生活は終わった。



 あれからもう10年が経った。

 俺は今でも、あの夏の約束を守って毎日ここに来ている。

 今にして思えば、30年後の約束のために毎日ここにくるなんて、馬鹿な話だ。

 想いが溢れて口走ったにしても酷すぎた。

 そんなことを言った当時の俺も馬鹿だし、律儀に守っている今の俺も馬鹿だ。

 「お疲れ様です。隼人先輩」

 そして、そんな俺に付き合う奴も馬鹿だと思う。

 「お疲れ、千鶴」


 あの卒業式の日の夜も欠かさずにここに来ると、なぜか千鶴が居た。

 なんで居るのかと尋ねれば、天体観測です、と。

 まあ、お互い知っている場所だしこんなこともあるかと気にしなかったのだが、次の日も、その次の日も、千鶴は来た。

 家族と来ているのかと思って聞いてみれば、いつも1人で来ているとのことだったので、どうせ毎日来るのならと家まで送り迎えした。

 だからと言って、そこから何か発展するでもなく、ただ一緒に通うような、そんな仲となった。


 2、3年が経った頃。

 千鶴の理想を打ち砕くようで申し訳ないと思いつつも、俺がここに通っている理由を打ち明けることにした。

 時間を無駄にさせたと怒られるか、幻滅されて絶交となるかと考えていたが、知ってます、と返された。

 あの時も気付いてました、とも。

 そんなことを気にして私と付き合う資格がないとか言っていたのであれば何も問題ないですよね、との追い討ちもあった。

 あの時よりもお互いに成長していることもあり、より魅力的な提案のはずだった。

 それでも俺の口から出てきた答えはノーだった。

 隼人先輩のばか、と当時と変わらぬ口調で言った千鶴は、楽しげな表情をしていた。


 それからずっと同じようなやりとりをしながら、なんだかんだで10年間同じ関係が続いている。

 

 「隼人先輩は、いつになったら私を振ったことを後悔してくれるんですか?」

 「そんなの今も後悔してるよ」

 「嘘です。後悔してたら、私のお誘いを断ったりしないはずですもん」

 「嘘じゃないよ」

 「それも嘘です」

 「はいはい」

 そんな軽口を言いながら、ただただ星を眺める。

 「嘘じゃないよ」

 「何がですか?」

 「千鶴が言ってくれた言葉も覚えてるし、泣かせたことも反省してる」

 「本当に?」

 「本当に」

 「なら良かったです。…あ、流れ星!」

 千鶴の言う通り、一条の流れ星が翔けて行った。

 「…20年後」

 「はい?」

 「20年後に、彗星が見れるだろ?」

 「はい。確かちょうど20年後くらいですね」

 「その彗星の尾が消えたら、かな」

 「…20年も待ってたら、おばあちゃんになっちゃいますよ」

 じゃあ、その前に良い相手を探せば良い、なんてことは言わない。

 ここまで10年も付き合わせて、今更そんなこと言えない。

 「俺もおじいちゃんだろうから気にしないよ」

 「私は隼人先輩がおじいちゃんになる前に子供が欲しいです」

 「そうか」

 「…本田先輩と河島先輩、2人目のお子さんが生まれたそうです」

 「…そうか」

 その話を聞いて、20年後の約束にすでに価値なんてなくて、ただの自己満足に成り下がっていることを改めて実感する。

 「だから、もう良いんじゃないですか?」

 「まあな。そもそも一緒に彗星を観ようって約束だから、千鶴と付き合えない理由じゃないしな」

 「え゛」

 卒業してしばらくして、続ける必要があるのだろうかと冷静に考えることがたまにあった。

 その度に約束を思い出していたのだが、よくよく考えれば、彗星を観ようとしか告げていなかった。

 「じゃ、じゃあ、今まで私の誘いを断ってたのは?」

 「小っ恥ずかしかったのと、ちょっとした智絵さんへの未練かな。ちょっと情けなさすぎて、俺に千鶴は勿体無いだろ」

 通うことは自己満足で、そこに文句も言わず付き合ってくれていることを加味すると、他は切って落とせる枝葉しかなかった。

 「…隼人先輩」

 「ん?」

 「勿体無いかどうかは、私が決めることです」

 「確かに」

 「私が良いって言ってるのに、問題なんてないですよね?」

 「確かに」

 「何か言うことがあるんじゃないですか?」

 「ご、ごめんなさい」

 笑顔なのに圧力を感じるというのを初めて体験した。

 大人しく謝罪をすると、呆れた様子で千鶴は言った。

 「もう…。乙女の10年を無駄にした罪は重いんですから、一生かけて償ってください」

 …俺なんかの一生でよければ。

 「俺の一生でよければ、いくらでもお前に捧げるよ」

 「はい!」





 __手を伸ばせば届きそうな満天の星空。


 そんな夏の日に君と交わした約束が今も俺を縛り付けていると知ったら、君はどんな顔を俺に見せてくれるだろうか。

 一方的な自分勝手な約束だけど、それを楽しみにしながら。

 俺はこの女性と歩んで行きます。

読了ありがとうございました。


途中で迷走したり、挫折したり。

グダグダした結果、描き終えるまでに7年くらいかかってしまいました…。


途中で書き方が変わったり、無駄話が入っているのはそのせいですね(無責任)


不要な登場人物に名前をつけたり、無駄の多い駄文ではございましたが

根気強くお付き合いいただけました皆様に深く感謝申し上げます。

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