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沈む星のことを

作者: 山桜りお

 ―――――――そう遠くないうちに、ぼくらがずっと生きてきたこの地が消えるのだと聞いて。知らされた信じられない事実は、けれども番狂わせもどんでん返しもないままに、そうして静かに二年の月日が流れていった。


♢♢♢♢♢♢


 その日。誰もいない草原で一人寝転んでいた僕の耳に、不意に柔らかな声がすべりこんだ。


「オグ。…隣に、いても?」


 見上げると、細い人影がふわりと笑う。別に許可なんて取らなくてもいいのに律儀に立ったままのその人に向けて、僕はとんと隣をたたいて見せた。


「……どうぞ」


 少し横にずれる仕草をすると、彼女はありがとうと静かに笑う。だらしなく寝そべるだけの僕と違って、彼女は何気なく見える仕草の一つ一つがものすごくきれいだ。今もさらりと片膝を立てて座りながら、その顔にほんのりとした笑みを浮かべている。


 優しくて、儚げで、その見た目通りに決して強くはなくて。それなのに一族の誰よりも勁い心を抱えている、年上の少女。


「どうしたの、リルィ」


 そっと投げかけた質問にしばらく黙してから、少女――リルィはするりと右手を掲げた。生涯を闇の中で暮らす僕ら一族の中でも際立って白い指先が、星々の光を浴びて透き通るように輝く。


「リルィ?」

「涙星」


 僕の問いに答えることなく、リルィは指先で星を指し示す。柔らかく澄んだその声は、今にも消えてしまいそうなほどに小さいのにりんとした芯をもって空気をざわめかせた。


朝告星(あさつげぼし)去往星(さりゆきぼし)彼方星(かなたぼし)魂揺星(たまゆらぼし)…」


 一つ一つ指し示すのは、僕らの暮らすこの星から見える、はるか昔の祖先から共に眺めてきた星々だ。闇の中で生まれ、星の光だけを頼りに生きていく僕らのすべて。


 星の動きで時をはかり、己の場所を知り、天候を読む。他の星に住む人々から原始的だと言われているのは知っていたけれど、僕らはずっとこうしてこの常闇の地で生きてきた。


「――――それに、朱雀星(すざくぼし)


 ゆらり、ゆらり。静かに揺れていたリルィの指が、ぴたりと一点を示してその動きを止めた。


 空に浮かぶ無数の星々の中で、一際大きく、赤く輝く星。一日の内ほんのわずか、朝方だけ空の上に顔を出し、あとは地平線の際を静かに漂う緋色。


 朱雀星が昇れば、そこから僕らの一日が始まる。朱雀星がその姿を消せば僕らは眠りにつく。綺麗で美しく、けれど獰猛な星。


 ――――僕らのいるこの星は、じき接近してくる朱雀星に飲み込まれるのだという。


 自分たちを殺しに来る赤い星。それをじっと眺めるリルィの横顔はいつもと同じようにどこまでも静かで、ただひたすらに綺麗だった。


「……見つめると、目が見えなくなると」


 ぽつり。リルィの口からこぼれた言葉に、僕はこくりと頷いた。


「うん。眩しい、んだって」


 その星は、空を光で覆いつくすほどに強い光を放っているのだという。僕らの生きるこの地ではたくさんある星のうちの一つに過ぎない朱雀星は、他の民族からは特別なものとして扱われているのだと。







♢♢♢♢♢







 この地が消え去ると、そう告げに来たのは遠い昔に祖先を同じくする別の星の住人たちだった。朱雀星がじきこの星に近づいて、そうして僕らのすべてを跡形もなく飲み込んでしまうのだと。


 彼らは突然の情報に言葉も出ない僕らに向かって、選択肢は二つだと告げた。


 すなわち、外へ出てほかの星に身を寄せるのか。――――そして、この、僕らの生まれて育って生きてきたこの星と共に沈むのか。


 「世界」という単位で見ればかなりの少数民族とされる僕らではあるけれども、それでも一族中の数を合わせれば万はくだらない。その全員が大混乱に陥った。


 当然だ、だってこの星に死にたい人なんていない。みんな、変わり映えのない毎日に何の不満も持たずに幸せに生きてきた。やってきて去る淡々とした毎日に、十分すぎるほどに満足していたのだから。


 けれど、この星は。何千、何万年の昔から僕らと共に過ごしてきたこの星は、もう僕ら一族そのもので。それを捨てるということは、きっと僕らの縋る縁を失くすということだ。





 どちらの道も選ぶことができずに右往左往していた僕らの前で、その時リルィだけが微笑んだ。


『私は、残ります』


 誰もが混乱をしていた中で、恐慌をきたしていた中で。当時まだ十四に過ぎなかった少女は、凛とそう言い切って、場の空気を一瞬で変えた。





♢♢♢♢♢





「ねえ、オグルァ」


 ―――そして今。滅多に呼ばない僕の本名を口にして、あの時と変わらない表情でリルィは笑う。


「眩しくても、大きすぎても、それだけしか見えなくても」


 忘れないで。


 静かなその声に込められた思いは、一体何と名付けたらいいのだろうか。


「朱雀星は、星だよ。どんなに眩しくても、変わってしまったように見えても、それでも私たちと共に生きてきた星なの」


 ね、と。柔らかい声音とその笑顔が、僕の胸に痛みを伴って響く。


「貴方がこの地を離れても、一族であることに変わりはないから。ねぇ、オグ、どうか忘れないで。貴方が星を見るように、いつも星が貴方を見ていることを覚えていてね」

「…………」


 貴方が星を見るように、星も貴方を見ているのだ。


 一族に伝わる言葉。星を想い、星と共に生きてきた僕らの矜持を示すその言葉を、リルィは今僕にくれた。―――――その意味は、リルィの思いは。どうしようもなく痛む胸を押さえて、僕は静かに下を向いた。









 ―――――結局。最後にこの星を離れることを決意したのは、僕だけだった。


 僕だってこの星に未練がないわけじゃない、生まれた時からずっと暮らしてきた星と共に在りたいという思いはむしろ有り余るほどだったけれども、それでも僕は、たった一人この星を出て生きていくことを決めた。星と共に生を終えることよりも、この先の未来を手に入れることを望んだ。


「…リルィは、僕を責めないね」


 ぽつりと、そう呟く。


 移住の申請をしているとき。荷物をまとめているとき。日程の確認を移り住む星の人々としているとき。その度ごとに、色々な人から何かしらのことを言われた。


 自分だけ出ていくなんて。一族はみんな残ると決めたのに、お前だけは出ていくのか。


 大変だねと慰められることもあったけれど、それでもその目の奥にはやっぱり責めるような光が瞬いていて。星を、みんなを見捨てるも同然の行動をとったのだから仕方のないことだと分かってはいたけれど、仲の良かった友人や家族にその色を見つけてしまった時には胸が痛くて仕方がなかった。


 ―――そんななかでリルィだけが、何も言わない。責めるでも慰めるでもなく、こうしてただ静かに僕の横に座っている。




 呟いた声に、星を見上げていたリルィが僕の方に顔を向けたのが分かった。


「―――責めてほしかった?」

「…ううん」

「じゃあ、どうして?」


 その柔らかな声に誘われるように、ポロリと本音が口をついて出る。


「…リルィは、残るって決めたのに」


 思わず出してしまったその言葉は、不安げな響きを伴って暗い空に吸い込まれていった。


 リルィは、自分は残るとそう言った。一族はみんな、リルィの言葉に賛同してこの星に残ることを決めた。そんな中ひとりだけこの星を出ていくと、そういった僕を彼女はどう思っているのだろうか。恨んでは、憎んでは、いないだろうか。たった一人出ていく僕を、心の底では許せないと思っているのではないだろうか。


 縮こまった肩越しにリルィを窺い見ると、綺麗な一重の瞳がほんの一瞬だけ瞼を閉じた。刹那の間にふわりとその眼を僕に向けなおして、そして美しく微笑む。


「――――ふふ。責めないよ。責める、わけがない」


 口の端を綺麗に上げて、軽やかな言葉が息に乗る。


「生きられるなら、生きたほうがいい。その道があるなら、そちらに進む方がいい。誰が残ったって留まったって、前に歩くことが悪いことなはずがない。オグが選んだ道は正しいよ」


 赤い唇から歌うように紡がれた言葉は、静かな闇を震わせてそっと僕の耳に届いた。


 すとん、と肩の荷が下りたように、不意に体が軽くなる。リルィのその言葉には嘘はないのだと、彼女は心からそう言っているのだと、それが分かったから。真っ白な頬に浮かんだ彼女の笑みは、大人しくも勁い心根にふさわしく、凛として穏やかなものだった。


 彼女が揺らぐことはないのだと、そう思わせるような優しくも芯のある笑み。

 





 僕の選択が正しいと、そう心から思ってくれているのがわかって。くしゃり、と思わず顔がゆがんだ。―――僕の進む道をそうはっきりと肯定して、けれどリルィは。


「それでもリルィは、残るんだね…」


 僕を責めなくても。正しいと、そう言い切ってもそれでも。


「ええ」


 一呼吸の迷いもなく、リルィは花がほころぶように笑ってそう言った。


「ここが、私のいるところだから。私は明るいところでは生きていけない。朱雀星をまっすぐに見つめられるこの星が、私の居場所なの」


 オグの進む道は、私には少し眩しすぎる。


 そう言って、リルィはそこで少し首を傾げて僕の目をのぞき込んだ。リルィの澄んだ瞳に映る星のきらめきに、びくりと肩が跳ねる。


「だけどね、オグ。貴方がこの星を離れても、この星で生まれて育ったことは変わらない。未来は分からなくても、過去は決して見失ってはいけない。この星で生きてきたことを、その全てをどうか」


 覚えていて、と優しい声が言った。この星に産まれて、生きていたことを。この星とともに、他のたくさんの星々と共に生きて、生かされてきたことを。


「――――朱雀星は、星だよ」


 ぽつん、と。唐突に呟かれたその一言だけが、静かに耳を打つ。


 はっとして目を向けた僕に、黒い瞳がこくりと頷いた。


「忘れないで、オグ。どんなに眩しくても、他の星と違うあつかいを受けていたとしても。それでも、朱雀星はたった一つの星だよ。たくさんあるうちの一つきりの、星。他の星と同じように、かけがえのない一つの星だから…」


 だから。


 その先に続く言葉をリルィは告げなかったけれど、彼女が言いたいことは痛いほどに僕の胸に刺さった。






 恨まないで。憎まないで。――――そして、忘れないで。


 僕たちが、星と共に生きてきた民族であることを。星に生かされ、星を生かしてきた民族であることを。たとえもうじきこの星を飲み込む災厄であっても、それでも朱雀星もまた僕らを生かしてきた星の一つなのだから。


 その星は全てを奪うけれど、全てを与えてくれたのもまた朱雀星だ。闇の中の光を、死に絶えない程度の温かみを、人の命を。だから、恨んではいけない。――否、恨まない。それが、一人この地を去る僕にできる、最後の恩返しのようなものだから。


「わ、かった。」


 リルィはふわりと笑って頷いた。嬉しそうに、心の底から幸せそうに。


 だけど、彼女と僕の道はもう重なることはない。この星をたった一人出て生きていく僕は、これからの生を他の地で過ごす。そこで新しいことを覚え、違う考えを抱いて成長していくのだろう。


 ―――リルィは。この星と共に沈むと決めた彼女はもう、成長することはない。僕の記憶の中でも現実でも、今の姿を留めたまま変わらないのだ。


 僕らの道は、分かたれてしまった。どうしようもなく、それが悲しかった。


 だって僕は、彼女のことを。僕は…


 涙が堪えきれずに溢れ出した。頬を伝って地面の草を濡らす水は、止めようと思ってもどうしようもなく流れ続ける。


「リルィ…」

「泣かないで、オグ」


 大丈夫。


 優しい声が耳朶を打つ。それが悲しいのだと言えたなら、どんなにいいだろう。リルィが悲しんでいないことが僕は悲しいのだと、そう言えたら。


 だけどリルィは悲しんだりしない。それが分かっていて、僕は自分で彼女と道をたがえることを選んで。分かり切ったはずのそのことが今、どうしようもなく胸を締め付けていた。


「大丈夫だよ、オグ。貴方ならきっと、ここを離れても忘れたりしない。星と共に生きてきた自分を忘れないで、胸に止めたままで前に進んでいける…」


 リルィの声はだんだん小さくなっていって、しまいにはかすかに聞こえるか聞こえないかというほどの囁き声になって。緩やかに吹く風に靡く草を見つめながら、僕はその声を意味をなさない音のようにぼんやりと聞いていた。


 拭っても拭っても溢れる涙をそのままにして、にじむ視界の向こうで瞬く星空を眺める。


 忘れないで、とリルィがそう言ったこの星空を。今僕の隣で静かに微笑んでいる彼女を。何があっても覚えていようと、強くそう思った。


 ―――もう二度と会えないリルィのことを、きっと僕はこの星空を眺めるために何度でも思い出すだろう。鮮やかに、静謐に、美しく。遠い日の思い出のような一つの絵になって、きっとこの光景は僕の心に残るのだ。


 変わらないリルィ。いつの日か、そう遠くない未来に消えてしまうこの星と共に眠ると決めた彼女は、その変わらない思いを胸に抱いたままで残りの日々を生きていくのだろう。――――だけど、僕は。この星を出て、明るい世界に生きていく僕にとっては。


(今の、この光景は思い出になる)


 ぽつん、と内心で呟いてみた。リルィにとってずっと生きていくこの世界は、僕の記憶ではもう一枚の絵と同じような世界になるのだ。覚えていても、手には触れられないし目の前に二度と現れることはないこの星の思い出。


「――――さよなら、リルィ」


 万感の思いを込めて呟いた僕の言葉はきっと涙声だったけれど、せめてもの意地で笑みを浮かべて言い切る。ぼやけた星空を背景にして、リルィが透き通るような微笑みを浮かべたのが分かった。


「ええ。さようなら、オグルァ」


 その顔が、あまりにも綺麗で。静かで何もかもを受け入れた穏やかな表情に、そのあまりの美しさに僕の瞳からはまた涙があふれる。


 リルィ。


 目をつぶって涙を必死にこらえようとしながら、心の中で彼女の名前を呼んだ。


 リルィ。――――リルィ、リルィ、リルィ、リルィ…。小さいころからずっと傍にいてくれた年上の少女。折れそうなほどに華奢な体躯で、僕を何度も助けてくれた。誰よりも儚げで細くて、それなのに勁い心を一度たりとも折らなかった美しい人。


 ――――いつか、僕が守りたいと、そう想っていた愛おしい人。


(…………さようなら、リルィ)


 片手で目元を覆ったまま、僕は夜空を仰いだ。誰にも言ったことのない想いを、誰にも言わないと決めていた想いを。小さく小さくさらけだす。リルィに聞こえないように、だけど空気をわずかに震わせるほどに。






 もう、二度と言わない。何があろうと決して生涯口にしないと誓うから、どうか一度だけ言わせてください。


「リルィ。―――僕はずっと、君のことが好きです…」





 




 まっさらな想いをさらけだして自嘲気味な笑みを浮かべた。どうしようもない感情に泣き笑うオグルァは、その向こうでふわりと笑って夜空を見上げているリルィの。その両の目が真っ赤になっていることには、ついに気づくことはなかった―――――。


















中学時代、「太陽は星」という当たり前のことに気づいたときに思いついた話です。

お読みいただきありがとうございました。よろしければ感想お聞かせください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お世話になっております。 とても儚く美しいお話でした。 星々の名前やその他の設定がまた良いです。 オグとリルィのやり取りもすごく泣けました。 こんなにも切ないSFは初めてです。 大好き過ぎ…
2021/06/29 20:59 退会済み
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