第2話 終焉予想
白転した視界の中、時折宇宙の様な空間を垣間見ながら世界を移動していく。
暫くすると目の前の白がより一層強くなり、やがて色が咲き誇り景色を構築する。
眼下に広がるは海。
そしてここはその海に迫り出す様な崖の上だった。
聞こえてくる波の音や、仄かに香る潮の匂いがこれは現実なのだと俺に教えてくれる。
この世界にもいる俺の並行存在の記憶を覗くとここは大陸の最西端、ウィーランドのそのまた最西端に位置する場所らしい。
そして俺が会うべきヴァレリールという人物はこのウィーランドの王都にいる。まずはそこを目指さねばなるまい。
「だがどうにもならんな」
今の俺には金も無ければ力も無い。頼みの綱のこの世界の俺もここは剣と魔法の世界だと教えてはくれるのだが、どうやら行商人をやっている様で、魔法や剣は専門外のようだ。
・・・剣はともかく魔法は知識さえあればイケそうだったのに。
分かるのはこの世界の常識と金勘定だけ。
「未来の俺は何か使えるかもしれんな」
記憶を探ると何人かの俺から索敵魔法が見つかった。
手頃そうだし試してみよう。
「・・・あぁっ!天よ水よ土よっ!無貌の精霊達よっ!我こそは観測者なりっ!汝我が目となり耳となり真の実を伝えたもうっ!」
───シーン。
力が放出された感覚も無く、これといって周りの様子が分かったとかそういう訳でも無い。
・・・何も起こらなかったようだ。
俺はすぐさま周りに人がいないか確認する。
見られてたなんて知ったら海へ身を放り投げる自信がある。
だが、崖下で波の音と共に男女が交わる嬌声が聞こえて来るくらいに辺りは静まり返っていた。
人はいないとは言えまだ真昼間、崖下の連中はナニをしているんだ。
ここから崖下までは目測で10メートル程の高低差があるので俺の無意味な詠唱は聞こえていなかっただろう。そう信じたい。
大体奴らは行為中なのだ、聞こえる訳なかろう。
俺はやたら崖下に向かって突っかかってしまう心を諌めこれからどうするべきか考え始めた。
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「今から5日程休暇を頂きますね」
「・・・何故事前に相談が無かったのかは不服だが、どうせ許可は降りてるんだろう?」
部下───ヴァレリール=フォルンはまた突飛な申し入れをしてきた。
まぁ、部下とは名ばかりで彼女の才能を活かす為、枷は少なくしておきたいという上層部の計らいで今の立ち位置に落ち着いているという訳なのだが。
彼女は天才だ。今までどんな偉人達も発明に至らなかった突拍子も無い技術をバンバン生み出してのける。
俺は認可せざるを得ない書類に判子を押す。
「一応言っとくがお前は特例中の特例なんだからな」
「分かってますよ。まぁ今はそれ程立て込んで無いですし、部長も申請すれば通るのでは?」
「それが通らねぇからこうして嫌味ったらしく言ってるんだろ?」
「・・・憐れ」
ヴァレリールはそれだけ吐き捨てて部屋を出て行った。
その手にしっかりと判子の押された申請書を握って。
「・・・あーあ。一服でもするかねぇ」
なんとかとなんとかは紙一重と言うがそれは案外真理を突いているのかもしれない。
西側に造られたテラスから海を眺めると水平線の辺りに黒ずんだ海域が見える。
慣れ親しんだ煙草の味もあれを見ながらでは感じなかった。
「・・・各地における魔獣の活性化と様々な分野での才媛の誕生、ったく伝承通りだな」
この世界に伝わる童話と化した終末の伝承。
『屍人の業集いし者現れし時、厄の獣栄え、対抗しうる数多の才人が現れるであろう。終焉の戦の序幕である。』
800年前綴られたと言われる”終焉予想”の冒頭一節だ。
ここから先は幾つもの未来が語られ、書き足されてきたものであるから最初から手の加えられていない原典と言えるのはこの一節しか無いのだと聞く。
「・・・外れてくれよ”終焉予想”さんよぉ」
俺には妻と二人の子供がいる。
せめて俺達夫婦と子供達が死ぬまでは平穏を保って欲しいと願うばかりであった。
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シュコシュコシュコという蒸気機関の駆動音を聞きながら車窓に映る景色を眺める。
窓に薄く反射するのは深い蒼の瞳に白っぽい金髪を生やした、この世界での私の顔だった。
ある世界では私の様な人間を白人と呼んでいたらしいがこの世界では未だそういった区別は見た事が無い。
”私の顔”を思い出すと限り無い数の顔が浮かぶが比較的白人と言う人種の顔が多い気がする。
いつからだろう。こんな感覚に浸るようになったのは。
無限に存在する1人の私。
それぞれの人生、それぞれの知識。そして記憶が共有され、混ざり、1つになる。
私は私達であり、私達は私である。そんな感覚。
私が他世界の私の記憶を見ることが出来るようになったのは5歳の頃だった。
幼い私の精神にはこの感覚が恐ろしかった。
個人が複数となり、複数の記憶が個人の記憶として流れ混んでくるのだ。
自分の母親とは違う自分の母親。
まだ迎えていない筈の誕生日。
聞いた事の無いのに意味の分かる言葉。
私は部屋に籠るようになった。
今まで生きてきた”私”を守る為に必死だった。
根本では理解していても心が認めたく無かった。
認めた途端、ヴァレリール=フォルンとしての自我が崩壊する。そう思っていたから。
鏡を見ると自分の顔に違う自分の顔が重なる様に見えるのが怖くて鏡も見なくなった。
家がそこそこ裕福であったのも幸いだった。
脛噛り?引きこもり?
・・・齧った脛の分は仕送りして返したのでこの事は気にしなくて良いだろう。うん。
『到着しますはコーウェン、コーウェンにございます。後10分程で到着致しますのでお降りのお客様はご降車の準備を宜しくお願いします』
おや、もうすぐ目的地らしい。
どうにも最近時の進みが速くて困る。
私はトランクを改造したキャリーバッグを棚から取り出し席にもう一度腰掛ける。
「・・・クグツ、今迎えに行くよ」
私は未来の私と良い関係にあったこれから初めて会う青年に想いを馳せた。
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「・・・暇だ」
未来の俺によればこの後、探していたヴァレリールが向こうから来てくれるらしいが、如何せん来る時刻まで時間があり過ぎる。
魔法もまた何度か試したが発動する予兆すら感じられない。
他の自分の記憶から情報を得る事は出来るが感情や感覚と言うものは得られないらしい。
映画や漫画なんかを読んでいるのと同じ感覚なのだ。
例えば悲しい記憶を覗いたとして違う自分が悲しいと感じていると分かってもこちらまでその感情に捕らわれるという訳ではない。
まぁ、記憶の中の相手の所業に感情が呼び起こされる可能性が無いとも限らないが。
きっと魔法を使うには大事な感覚が抜けているのだ。そこら辺も含めてヴァレリールには聞きたい事が沢山ある。
あの女神に与えられた力とやらを試してみたが、未来の自分を呼び出そうとしたところ数本の髪の毛だけが送られてきた。
それも魔法が使えないのと同じ原因な気がする。
「早く来ないかな。・・・少し寒くなってきたし」
未来の俺によればもう直ぐ来てくれる筈だ。
陽も落ちかけ薄暗くなった岬で俺は少し前とは違う嬌声を聞きながら溜息をつく。
・・・早くここから離れてぇ。
明日もこの時間に。