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妻視点

私は、後藤 百合江として55年の生涯を、癌で閉じました。

亡くなる直前まで夫が側に居てくれて、色々有りましたけど、幸せに幕を引けたと思います。



出来の悪かった私は、家族に軽視され、家の中で安らぐ事が出来ずにいた頃、夫と知り合い、想いを育んでいきました。


大学受験に失敗した私を、両親は望まぬ相手に嫁がそうとしましたけれど、夫が私を攫ってくれたのです。


駆け落ちして、それなりの苦労も有りました。


周りは見知らぬ人ばかりですし、お金もない、保証人も居ない、頼る身内も居ない、バレない為に地元の知り合いとも連絡が取れない。


それでも、駆け落ちした先の地域性と、時代もあったのでしょう。

駆け落ちした事を話すと、

『まあ、ドラマみたいだわね』『恋に生きるのなんて素敵!』『頑張ってね、応援するわ』『よし、私があんたらのお母さんになってやるよ、なんでも頼ってきなさい』

など、好意的に受け入れてくれる方も沢山いました。


優しい人が沢山居るのねって夫に言うと、

「それはリリーが優しいから。

類は友を呼ぶって言うじゃん」

なんて照れながら言うから、私も恥ずかしくなったわ。


そう、私の事を夫やその仲間の人たちは、リリーと呼ぶんです。

夫は、暴走族のチームに入っていて、チームの皆さんは、お互いをカタカナのニックネームで呼び合うんですよ。


夫は『丈二』なんですけど、『城嶋』と言う方がいらして、その方が『ジョージ』と呼ばれていたので、丈二な夫は『ジョニー』と名乗っていました。

私は『百合江』なので、リリーと呼ばれていました。


地味な私には似合わないと言ったのですけど、

「シュッとしてる所は、背筋を伸ばしたアンタみたいだし、バラとかみたいにケバケバしくなくて、色も派手じゃなくて、白くてセーソで、アンタにはピッタリだと思う思うよ」

なんて、出会ったばかりの頃のあの人が言ったので、呼び方を受け入れました。

少しくすぐったかったですね。


二十歳になった頃、二人で住み込みで働いていたパチンコ屋に来ていた、常連のお客様の一人の方に、仕事を紹介され、夫は輸入品を取り扱う会社に就職しました。


小さなアパートを借りて、生活して慣れないこともあり、落ち込むこともありましたけど、仲良く暮らしていました。

数年後、夫の上司が保証人となってくださり、籍を入れ、夫婦となりました。


私も近所のお弁当屋さんでパートなどをして、お金を貯め、庭付きの一軒家をローンで買う事ができました。

この保証人も、上司の方が買って出て下さったのです。


不動産屋は、『親だと思いなさい』と言ってくださった、以前住んでいたパチンコ屋の寮のご近所さんの、年配女性の方です。

勿論当時仲良くしてくださった方々との付き合いは、ずっと続いています。


新居でのご近所付き合いも問題なく、周りの方々に助けられながら、夫婦二人で幸せに暮らしていました。


ただ…いつまで経っても子供は授かりませんでした。


辛い不妊治療も、夫の助けでやり過ごしましたけど、子宝には恵まれなかったです。


それでも、夫婦仲は冷める事なく、子供の代わりにペットを飼う事にしました。

犬ですと散歩が大変ですし、猫は家の中を引っ掻き回すとご近所の方が仰ったので、鳥を飼うことにしました。


言葉を話す鳥は、とても可愛いですね。

最初に飼ったインコは、すぐに寿命が尽きてしまいましたので、二代目はオカメインコを飼う事にしました。


あまり贅沢は出来ませんでしたけど、夫とオカメインコのチャックと、穏やかに過ごしていました。


ある時から、お腹の調子が悪いな、食欲があまりないな、などと思っていましたけど、年齢的な物だと思っていました。

腹痛くらいで病院へ行くのも…などと思っていたのが間違いでした。


不調はいつまでも収まらず、次第に体重が減ってきて、背中に痛みが走るようになって、見かねた夫に病院へ連れて行かれました。


結果は、膵臓癌…。


病院へ行った時点で手遅れでした。



夫は毎日仕事帰りに見舞いに来てくれましたけど、彼までどんどんやつれてきます。

無理矢理検査を受けされましたけど、私の発病に対するストレスであって、癌ではなかったのは幸いです。


最期まで、夫は私に寄り添ってくれました。

色々有りましたし、家族には恵まれませんでしたけど、周りの人には恵まれましたし、何より夫と共に人生を過ごせたのが、とても幸せに思えます。


若い頃は割と短気でヤンチャでしたけど、私のために短気を起こさないように、周りの人と上手くやるように、言葉遣いを改めて、カッときたら一呼吸して落ち着かせ、相手の立場で物事を考えて…。


人は変われないと言う人もいますけど、変わろうと思えば変われるんです。

私も変わりましたよ。


ネガティヴな思考を、極力止めるようにして、人生成るようにしかならないんだからと、悪い方に行きがちな考えを止めて。

恥ずかしいなどと思わずに、感謝は言葉に出して、笑顔にも乗せて。

出来なかった事を数えるのをやめて、出来た事を自分で認める。

他人の出来たことも、自分と同じように認める。


口癖だった「私なんて」も、「嘘」も、今では意識しないと出てきませんよ。

人は変わろうと思えば変われるんです。

変われない人は、心の奥底で『変わらなくていい』と思っているのではないでしょうか。


なんて、私の考えですから、正解だと言い切ることは出来ませんけどね。


ただ、私も夫も変わりました。

そして、幸せに過ごせました。

生まれ変われるのなら、また夫と出会い、共に生きていく事ができれば良いなと思います。


ああ、あなた、旦那様、丈二さん…ジョニー、泣かないで下さい。

私は幸せでしたから。


私は笑顔で逝きましょう。

私の笑顔があなたの記憶に残る様に。

ああ、泣かないで下さい。


今までありがとうございました…………………




トオイ ドコカデ ワタシヲ ヨブコエガ  スル







やっと奥さん視点での話を書けました。

ジョニーの視点の昔話は……随分前ですね。

奥さんが亡くなったのは、ジョニーが55歳の時、その一年後にジョニーは亡くなったので、ジョニーの享年は56歳です。

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