明日は桜晴れ
「おーいそこの人、ボール取ってくれ!」
遠くから人間の声が聞こえる。私に言っているのか?そうか、私、今、人間に化けているからか。私は無言で野球ボールを拾い、声の方へ投げた。
「ありがとう!」
声の持ち主が私に礼を言ってお辞儀した。それからまた野球というボールを投げて打つ遊びをはじめた。人間とは不思議な生き物だ。あやかしの姿では怯えて声もだせず逃げていくのに、同じ格好をしているだけで友好的なのだ。
この公園は何十年も前からある古い公園だ。桜の木は何十本もある。私はその桜の木の1本だ。戦後、桜の木を植えはじめ、いつの間にか公園になった。最初はどの桜も細い枝だったが、今では子供数人で囲うほど太い幹になった。そしていつのころか、私は自分の桜の木から抜け出し、あやかしとなり人間や動物に化けて、公園の掃除をしたり、たまに人間や動物をおどろかしたりしていた。
今年の春は雨が続き、桜の花もあっという間に散り、葉桜の季節になっていた。ここ最近は、少年たちが野球をしているのを眺めている。桜の木のままでは近くで見えないので子供の姿をして人間には見えないように気配をけしてみていた。野球ボールは桜の木に当たると結構いたい。たまに枝先が折れたりするくらい強力な打線が飛んでくるときもある。だから桜の木にぶつかりそうになったら、私がボールに石でもぶつけて桜の木にぶつからないよう見張っている。
少年たちは飽きることなく楽しそうに野球をしていた。とくにピッチャーの子は筋がいい。投球もいいが、チームをまとめるのがうまい。野球以外の遊びもよくしていた。桜の木にのぼったりもしていたが、木に乱暴なことをする子がいなかったので他の桜の木も何も言うこともなかった。
夕暮れになると少年たちは家に帰っていく。そろそろ夜がやってくる。夜は本当のあやかしたちが動き出す。人間は少しまよいこんだら魂がかえってこれなくなるものもいる。
「ねえ、もうすぐ夜になるよ。帰らなくていいの?」
後ろからいきなり声をかけられたのでびっくりした。振り返ってみたら先程野球をしていた少年だった。あのピッチャーの少年だ。あやかしの私が人間ごときにおどろかされてどうするのだ。それに今は人にはみえないはずだがこの少年には私の子供の姿がみえるようだ。少しあやかしをみる力があるようだ。
「もうすぐかえるからだいじょうぶ」
私は子供の声で返した。以前、人間の母親と子供が桜の木の下でやりとりをしてたのをきいたことがあるので、話し方や声くらいなら真似できる。
「じゃあ、お母さんがくるまで一緒にいてあげるよ」
少年は不思議に思うことなく私の隣にすわった。少年は私が何も話さないことをいいことに聞いてもいないことをたくさん話しをしはじめた。自分の家のこと、友人関係のこと、将来のこと。私はただ黙ってとなりで聞いていた。少年も私ではなくても誰かに聞いてほしかったのだと思う。少年は悩める年頃だなと思った。
夜風が冷たく感じた。何か嫌な予感がする。少年もとなりで寒そうにしていた。
「お兄ちゃん、帰ったほうがいいよ。ここにいたら危ないよ」
「お前だって同じだろ。本当にお母さんくるのか?」
この少年はあやかしをみる力が少しあるようなので、もしかしたら危険も回避できるかもしれないが、どんなあやかしが現れるかわからない。早く家に帰るように私は立ち上がった。
「もうすぐお母さんくるから、大丈夫よ」
私は少年に告げ、少年の手をとり立たせた。
「そうなのか。でも心配だな」
「だいじょうぶ、ほら、お母さんが迎えに来たから」
私はたちあがり、少年に手を振って暗闇の中へはしりだした。
「じゃあね。お兄ちゃん、ありがとう。お兄ちゃんも気をつけて帰ってね。明るい道を通って帰るのよ」
「え、お母さんって、どこに?気をつけて帰るんだよ」
少年は少し不安げにつぶやいたが、私はふりかえることなく闇夜に姿を隠した。
少年は私の言うとおりに明るい道を帰っていた。暗がりに何かあやしい影が少年をみているようだったので私は少年の帰り道を先回りしてあやしい影をおいはらった。それにしても人間とは不思議な生き物だ。見ず知らずのあやかしに声をかけるとは。それに私は人間の子供ではなく何十年も生きている桜の木だ。少年もすぐ大きくなり、この公園にもこなくなるだろう。そして少女の姿をした私のことはわすれるだろう。私はわすれることはないのに。
別の日、また少年たちの野球を遠くから見ていた。
「こんにちは、また会えた」
またしてもいきなり後ろから声をかけられた。この間の少年だった。今野球をしているのはこの少年たちではなかったのだな。人間の区別がそんなにつくわけではないので少年が野球しているのだと思っていた。
「こんにちは、お兄ちゃん」
私は少年に向かって話しかけた。少年は笑顔で私の頭をなでまわした。
「おまえ、いつも一人で遊んでいるのか?」
少年は私がいつも一人でいることに気づいているようだった。
「いつもじゃないよ。たまたまだよ。お兄ちゃんこそ野球やらないの?」
「ああ、今は野球よりも勉強しなければならなくてさ」
よくみると少年はいつもの野球をする服装ではなく、学生服をきていた。でも手には野球ボールを持っていて
少しでも野球がしたかったのではないだろうかと思ってしまった。
「それじゃこの公園にもあまりこれなくなっちゃうね」
「そうだなぁ。おれ、この公園が結構気に入っているんだけどな。それにお前にも会えるしさ」
「しかたないよ。勉強は大事だよ。おとなになってまた公園で野球すればいいよ」
「なんだ、俺の両親と同じこと言うなよな」
「いいお父さんとお母さんだね」
「いい父親と母親なんかじゃないよ。ふたりとも俺の気持ちなんて関係ないんだ」
担任の先生から野球の推薦がきているという話もあったが、結局親の言う学校への進学を勧められたそうだ。
人間の大人とは子供のことを考えているのか考えていないのかよくわからない時がある。それでも少年は野球の道へと進みたかったようだ。それに悩んで迷って私に少しでも話せば何かしら納得できる答えがでてくると思ったのだろう。
「じゃあ、お兄ちゃんとはしばらく会えないね」
「そうだな」
少年は私の頭をぽんぽんとなでる。
「なんだかお前と話していると不思議な感じがするんだ。また会いたくなるっつーか」
「お兄ちゃん、へんなの。私が人間じゃないって気づいているでしょ」
「そうだな。他のやつにはお前の姿が見えないって知ったときは驚いたけど、俺にはお前がみえるんだからしかたない。それにお前いいやつだし話していて楽しいしな」
本当に変な少年だ。私と話していて楽しいとか。私も少しだけあたたかい気がするのは気のせいか。
それから冬が来て、少年や人間は公園に現れなくなった。受験勉強というものを頑張っているようだ。私も冬の寒さに耐えねばならない。私はいつの間にか少年にまたあう日がくるのが楽しみになっていた。
そしてまた春がきた。りすたちが冬眠からさめて桜の木にのぼってきた。あたたかい春の光が公園をつつむ。あの少年はくるだろうか。もしかしたらもうこないかもしれない。それも仕方ないこと。人間の心は自然と同じで移り変わりゆくものなのだ。毎年私もそうやってきたではないか。あの少年とのふれあいに少しあたたかさを感じてしまったのでそんなことを思うようになっていた。人間は学校にいくために勉強をする。毎年受験生は大変だと風のうわさで聞く。子供だった人間はあっという間に大人になっていく。そして年老いて、私をおいて土へかえっていくのだ。
桜のつぼみがふくらみはじめた。明後日頃、雨がふらなければ桜は咲くだろう。私は桜が咲く頃だけあやかしの姿ではいられなくなる。桜の木になり、桜の花が咲き、散るのを見守るのだ。少年は私との約束を覚えているだろうか。そんなことを考えながら夜になり、朝が来た。春になったとはいえ朝はまださむい。太陽の光が届かぬ公園の入口に一人の人間が立っていた。あの少年だ。
私は少年の姿が見えると同時に走り出していた。
「お兄ちゃん」
少年が私に気付いて公園の入り口から走ってきた。
「おう、久しぶりだな。元気だったか?」
「うん」
「そうか、なかなかこられなくてごめんな」
「だいじょうぶだよ。私はいつもここにいるから」
「もう春だな。俺、受験した学校合格したよ。地元を離れて遠くの学校に行くことになった」
「そうなんだ」
「お前と会えなくなるのは寂しいけれど、たまに帰ってきたらまた話してくれないか」
「考えておく」
「明日の夕方に引っ越すよ。朝、もしよかったら会えるかな」
「明日はちょっと難しいかも。でも桜晴れするよ」
「さくらばれ?聞いたことないな」
「じゃあまたね、お兄ちゃん」
私は少年の目の前から姿を消す。
「おう、またな」
そして私たちは明日を待つ。明日になれば私は桜の花びらとなり、人間の姿では少年には会えなくなる。それでも約束したかったのだ。私を見てほしかったのだ。
「まだきてないな」
少年は朝から公園に来て時計とにらめっこしていた。
そして夕方になるまで私をずっとまっているようだった。
「また明日って約束したのにな」
「このまま会えなくなるのか」
少年は明日から遠くの学校へ進学する。
「お兄ちゃん。明日は桜晴れするよ」
私は小さく枝を揺らしてみた。桜の花びらが少年の頭に降り注ぐ。
「桜、桜晴れ、そうか、お前だったんだな」
少年は私を見ていた。正しくは桜の花びらをみていたのだ。
「ずっと俺を待っていてくれたんだな。ありがとう」
少年は花びらひとつ手のひらにのせ、口にあてた。
「またかならず帰ってくるよ。そしたらまた話してくれ」
少年は遠くへ言ってしまった。だが、また約束をしたからきっとまた会えるだろう。それまで私は待とうではないか。
「うん、お兄ちゃん、またね」