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8.

「ただいま、お父様。これ、返すわ」

 玄関先で会ったお父様にポシェットから出したお財布を渡す。


「ユタリア、元気ないな。クレープ、食べられなかったのかい?」

「クレープは美味しかったわ」

 ただそれ以外の全てが最悪だっただけだ。 


 なぜこうも毎回あの男に遭遇してしまうのだろう?

 まだまだ行きたい場所も食べたいものもあるというのに、こうなってしまえばしばらくは城下町に遊びに行くことすらできやしない。


「はぁ……」

 大きなため息を吐いて、お父様の脇を通る。


「何があったかは知らないが、ゆっくり休みなさい」

「ありがとう、お父様」


 背中にかけられた優しい言葉に押されながら、部屋のベッドへと倒れ込んだ。


 今日は疲れたわ……。

 こうしている間にも、着々とユグラド王子とクシャーラ様の婚姻発表が迫っている。いくら自由にしていいとはいえ、その日を境に私の自由はほとんどなくなると言っても過言ではない。


「はぁ……」

 ため息を枕に吐き出して、私の自由を奪っているエリオット=ブラントンに心の中で毒づくのであった。




「お姉様、元気出して? これ、ユラがお姉様にって送ってくれたのよ」

 あれからすっかり外出する元気がなくなった私は、部屋に閉じこもっては目的もなくただひたすらにレース編みを繰り返している。


 そんな私を心配して、ミランダはここ最近ずっと私を元気づけようと食べ物で釣ったり、綺麗な花で釣ったりを試みている。


 そして今日は従姉妹のユラが送ってくれたのだと言う、ロマンス小説を両手に一冊ずつ持って登場した。


「ユラが?」

「オススメだから是非読んで感想送ってくれって」

 私達姉妹にロマンス小説を紹介した張本人がオススメというのだ。どんなに機嫌が悪かろうが、これで読まないという選択肢はまずない。


「なら読まないとね!」

「そうよ、早く読まないと! ユラは気が短いから」


 本当はミランダだって早く読みたいのだろう。だが今回はジャンケンもせずに私に先に読む権利を譲ってくれるというのだ。私はなんていい妹を持ったのだろう。


「ミランダ、読み終わったらすぐにあなたの部屋に届けるわ」

「どんなに面白くても、感想を言うのは私が読み終わった後で、よ?」

 すっかり元気になった私に、ミランダは笑って釘を刺す。

「わかってるわ!!」



 その二時間後。

 やはり今回も良作を送ってくれたユラに感謝をしつつ、ミランダとまだ話せないこの感動をひたすらに手紙に綴るのだった。


「やっぱりニコ=スミスのダンスシーンは最高よね……」

「描写が綺麗だもの。魅せ方を知っているわ」


 翌朝、ミランダと私の感想を書いたユラへの手紙を送ってもらうとすぐに感想会に入った。


 やはり私もミランダも気に入ったのは同じシーンだ。おそらくはユラもそうなのだろう。

 三人ともが社交界をよく知っていて、現実には夜会の真ん中で踊り出すことなどあり得ないと分かっている。だが分かっていても繊細に紡がれたその言葉に心を奪われずにはいられないのだ。


 小説だと、物語の中だと分かっているからこそ何にも気兼ねせずに楽しめるというのは大きい。


 私はともかく、一つ年下のユラには八歳の頃から婚約者がいて、ミランダにも十歳の頃から三つ年上の婚約者がいる。


 二人とも婚約者とは仲は悪くはないとはいえ、異性として魅力的であるとまでは言い切れない。だがそれは貴族の娘に生まれたからには仕方ないことだと割り切っている。


 女としての憧れを全て、物語の主人公に託したのだ。

 そして一通りの感想を述べあった私達はとある問題に対峙している。おそらく本が好きな人なら誰もがぶち当たる壁である。


「ああ、新作が読みたい……」

「確か、リラ=フランソワの新刊もこの前出たばかりなのよね……」

「そろそろ他の作者に冒険もしてみたいわよねぇ」


 ニコ=スミスやリラ=フランソワの新作だけだったらいつも通り、使用人に買ってきてくれるように頼めばいい。


 一般的に貴族の間ではロマンス小説なんて庶民の読み物であると言われてはいるものの、お父様もお母様も私達がそれを手に取るのを止めることはなかった。むしろお母様に至っては私達と共に楽しんでいる。そのためよく使用人におつかいを頼むのだが、他の作者に手を伸ばすとなれば話は別だ。


「そうなるとやっぱり自分で行くのが一番……。ミランダ、私、城下町に行くわ!」


 エリオットとの遭遇率は今のところ百パーセント、と望んでもいない高確率をたたき出している。さらに前回は大変目立ってしまっている。この前の出来事を覚えている人に好奇の目で見られる可能性だってある。


 それでも新作を、新しい本を読みたいという欲望には勝てなかった。悲しいことではあるのだが、それが本好きの性というものである。抗おうと思って抗えるようなものではないのだ。


「お姉様……」

 その欲望はミランダの中にもあるのだろう。だが彼女はハリンストン屋敷から自由に出ることは許されていない。


 私だってミランダが一人で城下町に行くと言い出したら真っ先に止める。ミランダは私と違って、可愛いので夜会でもよく目立つのだ。変な虫でも付いたらと思うと恐ろしくてたまらない。


 その点、私は心配ない。

 絡まれるとしたらそれは以前の騒動を目にしていた野次馬か、失礼な騎士の二択である。


「待っていて、ミランダ。絶対に新しい本、買ってくるから!」

 ミランダの肩に両手を乗せると、彼女は強い意志のこもった瞳で私を見つめ返す。


「気をつけて、お姉様」

「ええ」


  一大決心をした私は手早く服を着替えて、お父様にお小遣いを貰うと力強い足取りで一歩を踏み出した。


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