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17.

 ライボルト=ハイゲンシュタインはユラの兄で、私の従兄弟にあたる男である。

 年は私よりも三つほど上。そんな彼にも他の御令息方と同様に、婚約者がいる。彼女とは確か仲はよくもなく、悪くもなくといった感じだ。


 後々公爵家当主の座を継ぐライボルトの婚約者は同じ公爵家の長女で、ただでさえ近しい親戚関係にあるハリンストン家の娘である私と婚姻を結ぶより、その婚約者と夫婦となった方が明らかに利益は大きいはずだ。


 そんな私でも簡単に行き着くようなことを、お父様や叔父様が辿り着かないわけがない。それなのにこんな切り札のように掲げてくるなんて、絶対何か裏があるに決まっている。


 その理由を聞かずして、あらそうなの? それはいい話だわ! なんて頷くほど、私は愚かではない。もちろん理由を話してくれるんでしょう? とお父様の顔をじいっと見つめれば、お父様は相変わらずの顔で、今度は焦らすことなく答えてくれた。


「昨日、やっとあちらの家とも決着が付いたらしくてね」

「決着って、まさか……ついにライボルトが何かやらかしたの!?」


 あまりにも想像通りの答えに思わず正直な言葉が口から豪速球となって飛び出してしまう。


 私が言うのもなんだが、ハッキリいってライボルトは性格があまりよろしくない。

 私達の間に亀裂が生じるまで、十二歳まではそこそこ交流のあった従兄弟を思い出して顔を歪める。


 元々ライボルトとは仲がよかった。私も彼も読書が好きで、今でこそユラの影響でロマンス小説にただハマりしている私だが、昔はライボルトの影響で冒険小説やファンタジー小説をよく読んだものだった。


 お互いに好きな本を送りあって、感想を交わして……。

 ユグラド王子との決められた時間を過ごし続けなければいけない私にとっての楽しみの一つだった。けれどそれは唐突に、ライボルトの裏切りによって決裂する。


 ある日のこと、ライボルトから大量の手紙が届いた。いつもなら本も一緒に届くはずなのに、おかしいなと思いつつもその手紙に目を通していった。それが間違いだった。


 大量の便せんにビッシリと書かれていたのはライボルトの近況でも、私が送った本の感想でもなく、私が未だ読んだことのない本の内容だった。


 それも家庭教師によく褒められるのだという理解力の高さをフル活用して、要約されたそれは十枚にして約三十冊分のネタバレが含まれていた。


 それに私は怒り、ライボルトとの連絡を絶ったというわけだ。

 だが今になって思えばあれは嫌がらせでも何でもなく、勉強で忙しくてなかなか本を読む時間がないのだとボヤいた私への、ライボルトなりの心遣いだったのだ。


 一言でも彼の言葉が付けてあれば気づくことができたのだろうが、一方的に本の内容だけ送られてきて、そのことを理解できるほどその頃の私は大人ではなかった。


 そんなこんなで切れた文通関係ではあるが、それまでに行き交った手紙の中でライボルトが婚約者をあまりよく思っていないのは知っていた。


 何をしても、何を話してもつまらない――といつだって彼は交わされる手紙の中で愚痴を零していた。


 あれなら花瓶に生けられた花に話しかけた方がマシだと書かれていた時もある。本が好きなライボルトにとってその話ができないのはよほど辛いことなのだろう。だが、使用人や家族に彼女と共に遠駆けでも行ってきたらどうだと言われ、一時間もしないうちに帰ってきたというエピソードはなかなかに酷いものだった。


 ライボルトの言い分としては、どうせ結婚することが決まっているのだから、わざわざそんな面倒なことをしなくてもいいだろうに、だ。


 それはそうなのだが、それにしてももう少しくらい相手に気を使ってもいいのではないか? と、性別と爵位くらいの共通点しかない、ライボルトの婚約者を可哀想に思ってしまった。


 それについ二年ほど前に送られてきたユラの手紙には、ライボルトへの愚痴が書かれていた。


 相手の誕生日に何を贈っていいのかわからないからと、ついには使用人に選ばせるようになった――と。


 本当に今も昔も、興味のないものには義務以上の働きはしない男なのだ。

 そんなライボルトがついに相手方を怒らせて婚約破棄にまで至ったのかと、何をしでかしたのだと前のめりになって聞き出そうとするとお父様はフルフルと首を左右に振った。


「違うよ。やらかしたのは相手の方。まさか今になって、それもよりによって庭師と駆け落ちするなんて」

「駆け落ち?」

「そう、もう少しで結婚だったんだから、もう少しだけ我慢しておけばよかったのにね。……まぁ、おかげでハイゲンシュタイン側は違約金やその他もろもろを大量に取れたから、婚約者を失うよりも多くの利益を得たわけだけど……」


 ロマンス小説には身分差がテーマで、主人公達が駆け落ちをして家を捨てていくものもある。けれど一貴族の視点から見ると、それはあまり現実的なものではなかった。


 もちろん完全なるフィクションとして楽しむことはできた。けれどそれはフィクションだからいいのであって、現実の世界の話となれば事情が変わってくる。


 貴族として産まれた以上はその責務を果たすべきで、家を捨てるなんてそんな選択肢は私の中に発生したことは一度だってない。


 それに平民の間では、愛人を持つのはよろしくないこととして捉えられることが多いが、貴族の間では夫婦とも愛人を囲っていない者など数少ない。


 お父様もお母様も政略結婚の割に仲がいいため、愛人は囲っていないようだが、何も政略結婚をするから恋愛感情を捨てるなんてことはしなくていいのだ。


 身分差があるのなら使用人として迎え入れるなり、家を買い与えてそこに暮らさせるなりすればいいのだ。わざわざ家を捨ててまで結婚する意味がない。それなりの地位があればなおのことである。リスクどころか損害が大きすぎる。


 特にライボルトの元婚約者は公爵令嬢。彼女の家族もまさか駆け落ちなんかをするとは思わなかっただろう。それも最悪のタイミングで。


 だが子どもの責任は親の責任。ひいては家の責任である。

 貴族としての意識が足りず、家族もその兆候に気づなかった……と。


 夜会やお茶会で何度かお会いする機会はあったが、そんなことをする方には見えなかった。そういえば聞こえはいいが、正直に言ってしまえばそんな度胸があるようには見えなかったのだ。


 そんな彼女が……ねぇ。

 さすがに今はもう彼女に同情する気持ちは一切ない。もう二度と顔を見ることはないだろうその女性は、愚かな人だったのだなぁと冷えた気持ちだけが残るだけである。


 そして脳内メモにきっちりとその家名を刻み込む。

 ハイゲンシュタインとの婚約を蹴った家として、そして子の教育に失敗した家として。


 次の夜会で彼女が交流を持っていたご令嬢達についても探る必要がありそうだ。だがその情報はそう苦労せずとも手に入るだろう。なにせ夜会は常に刺激を求める貴族達の社交場。足を大きく踏み外した家を炙りあげるのは大のお得意である。


 その友人ともなればたちまち渦中の人となることだろう。早速次の手を打つ算段を立てていると、お父様はニコリと笑って私の肩に手を置く。


「そんなわけで、ライボルトは今のところ新しい相手を探していることだし、いざとなったら彼がいるからそう気負わずに選ぶといいよ」

「…………いくら婚約破棄されたばっかりとはいえ、ライボルトは私が相手じゃ嫌でしょう……」

「ハイゲンシュタインはこの話、結構乗り気だよ」

「ライボルトは何か言ってた?」

「今度、オススメの本持ってこっちに来るって。ライボルトらしいよね」


 それは何ともライボルトらしい。というよりもこの数年間で全く変わっていないようにも取れる。彼個人が乗り気かそうでないのかはさておき、ライボルトを夫にという選択肢があることで一気にお相手選びの気が楽になる。


 なにせライボルトは社交界で取り繕っている私も、家の中の私もよく知っているのだ。結婚後も今まで通り、中と外でオンとオフがハッキリとできるので、一番気が楽といえば楽だ。


 だがライボルト……か。

 夫としてはなかなか、好条件ではある。当主の妻になるという点では若干面倒臭くはある。


 だがハイゲンシュタイン家は私の身内でもある。ハリンストン屋敷にいる時と同様、とまではいかずとも彼らにもあまり気を使わなくてもいいのだ。


 だけど気になることはある。こんなにいい条件を連ねても、やはりどこかが引っかかってしまうのだ。だが肝心の『それ』がどこなのかは自分自身でもよくわからない。


「ねぇ、お父様。そのことはちゃぁんと考えるから、城下町にお菓子食べに行ってきてもいい?」


 こんな時はそこそこの運動をして、糖分を補給するのが一番である――というのはもちろん建前である。新たな重大情報を得た私ではあるが、城下町に繰り出したいという欲求は収まりそうにないのだ。


「はぁ……。いいよ、どうせ今のうちしか行けないだろうし」

「ありがとう、お父様! 大好きよ」

「その代わり、明日は空けておくこと。早速針子を呼んで新しいドレスを何着か作らせるから」

「わかったわ!」


 ため息をついて呆れた様子ではあるけれど、なんだかんだいって娘に甘いお父様からお小遣いをもらう。そして早足で自室へと向かった私は、慣れた手つきで着替え終わるとすぐに城下町へと繰り出すのだった。


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