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10.

「ごちそうさまでした」

「ああ。そういえば君の名前、まだ聞いてなかったな」

 別れ際にペコリとお辞儀をするとエリオットはそんなことを口にした。


「私はエリオット=ブラントンだ。君の名前は?」

 知っているわよと思いながらも、わざわざこうして名乗られてはこちらも名乗らざるを得ない。だが正直にユタリア=ハリンストンですと名乗るのも抵抗がある。


なにせ本来ならばハリンストン家のご令嬢が、従者も連れずに城下町でクレープを頬張っているなんてあり得ないことなのだから。


少し考えて、真っ先に頭に浮かんだ偽名を口にする。


「……ユリアンナです」

「ユリアンナ、か。いい名前だな」

「ありがとうございます」


 私もそう思う。とっさに口から出たのはユラから送ってもらった小説に出てくるヒロインの名前だった。


白百合のように儚くて美しい、私とは正反対の、ロマンチックな物語のヒロイン。


「ユリアンナ、よければ家まで送ろう」

「いえ、そう遠くはないので大丈夫です」

「そう、ですか……」

「クレープ、ありがとうございました」


 改めて深々とお礼をして、清々しい気持ちでその場を後にした。そして裏道へ待たせていた馬車へと戻ると、その前でなにやら使用人が焦った様子でウロウロと右へ左へと移動を繰り返していた。


「どうしたの?」

「ユタリア様! お怪我などはありませんか?」

 彼は私へと駆け寄ると、ずずいと顔を寄せて安否を確認した。その様子に驚きつつも「大丈夫よ」と告げる。


 すると彼は「よかった」と、心の底から安心した様子でその場にへたり込んでしまった。


「何かあったの?」

 尋常ではないその様子に、彼の耳元でひっそりと尋ねた。

 すると彼は私の前に懐中時計を差し出して「十分すぎても帰っていらっしゃらないので……」と説明した。


「ごめんなさい。……心配、かけてしまったわね」

「いえ、ユタリア様に何かあったのでないのならいいのです……」

 時間が身体に染み込んでいる私が約束の時間から十分も遅れてきたらそれは心配するだろう。


「ごめんなさい」

「いえ、いいのです。それよりもユタリア様」

「なぁに?」

 立ち上がろうとする彼に手を伸ばすと彼はフルフルと首を振って自力で立ち上がる。


「本日は楽しめましたか?」

「ええ」

 本心からそう答えると彼は嬉しそうに笑った。


「それは何よりです」――と。


 城下町に行く時はいつだって着いてきてくれた彼はずっと心配してくれていたのだろう。

心の中で「ごめんなさい」と謝罪をしつつ、それでもいつもこの場で待っていてくれて、城下町に行くのを止めないでくれて「ありがとう」と感謝を込めて彼に微笑むのだった。




「ただいま」

「おかえりなさい、お姉様!」

 玄関で私の帰りを待っていてくれたらしいミランダに駆け寄ると本屋さんの袋から買ってきた三冊の本を順に取り出した。


「ニコ=スミスとリラ=フランソワの新刊に、シェリー=ブロットの本を一冊買ってきたわ!」

「シェリー=ブロットってあの!?」


 興奮気味に食いつくミランダの手にシェリー=ブロットの本を載せてやると、高く掲げてその場でクルクルと回り出した。


「さすがはお姉様!」

 こんなに喜んでもらえるのなら買いに行った甲斐があったというものだ。妹の可愛らしい姿につい頬が緩んでしまう。


「ユタリア、おかえりなさい」

「ただいま、お母様」

「ミランダ、あなた、どうして回っているの?」


 お母様は私からミランダに視線を移すと未だにクルクルと回り続けている彼女を不思議そうに見つめた。


 尋ねられたミランダはピタッとその動きを止めて、お母様の前までズンズンと進むと掲げていた本の表紙を顔の前に突き出した。


「お母様、見てください! シェリー=ブロットの本です!」

「シェリー=ブロットですって! この本、どうしたの?」

「お姉様が買ってきてくださったのです」

「ユタリア、読み終わったら私にも貸してちょうだい」

「ええ、もちろんです」


 興奮した様子のお母様にグッと親指を立てる。本を前にすれば母と子も関係なく、同士なのである。


「先にニコ=スミスの新刊を読みますか?」

「ええ、いいの!?」

「私はリラ=フランソワの新刊を読みますので」


 お母様に買ってきたばかりのニコ=スミスの新刊を手渡すと、ぱぁっと大輪の花のような笑顔を咲かせた。


「早速読まなくっちゃ!」

 お母様はそう呟くと、胸元に大事そうに抱えて部屋へと帰っていった。

 残った私とミランダは顔を見合わせてから、お母様に続けとばかりにそれぞれの部屋へと帰って読書を楽しむのだった。




 あれから数日が経ち、三冊ほど読み終わってそろそろ新しい本が読みたくなった頃――お母様への部屋へと呼び出された。


 ドレスが完成したのかと急いで向かうと、そこには仁王立ちをしたお母様が待ち構えていた。


「ユタリア、このお金でシェリー=ブロットの本と、新しいロマンス作家の小説を何冊か買ってきなさい」


 お母様から差し出されたお財布の中を覗くとそこには五千リンスが入っていた。

二千リンスで三冊買ってもお釣りがくるほどだったから五千リンスもあれば六冊は確実に買える!


「こんなに!? いいの?」

 お財布から顔を上げてお母様の顔を覗くとお母様は目を逸らさずに「早く次の本が読みたいの」と告げた。


「わかったわ! 着替えてすぐに行ってくる」

「ユタリア……言わなくても、わかっているわよね?」

「ええ。『己の直感を信じるべし!』よね」

「ええ。いい本に出会えることを楽しみにしているわ」


 私達三人は親子だけあって、好みがよく似ている。だからこそ今回、新しい作家に手を伸ばす役目は私に託されたのだ。


 お母様もミランダもお忍びで本屋に行くことなどできない。そして私も結婚してしまえばそれもできなくなってしまうだろう。


つまり今こそ新しい作家を発掘する絶好のチャンスなのだ。


 部屋へと戻り、すぐさま用意を調えるとミランダとお父様の元へと向かい、城下町に行く旨を伝える。


するとどうやら二人ともお母様から話は聞いているらしく、城下町へと赴く私を「いってらっしゃい」と送り出してくれた。


 ミランダからはお母様と同様に「楽しみにしていますね」と告げられ、両手を強く握られた。それはプレッシャーに感じるよりもむしろ二人に良作を届けなければという使命感を私に背負わせた。


 今日の私を物語の登場人物に例えるのなら、ファンタジー小説の中に登場する冒険家だ。ギッシリと本棚に並んだたくさんの本の中から六冊だけを選び抜かなければならないのだから。


 馬車の中で、ガタリと小さく揺れる度に私の心も軽快に弾んでいった。


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