旧聖会
「はっくしょん!」
典型的な自分のくしゃみで、朝の目覚めを迎える。目を開けると、周りは深いきりに包まれており、視界が極度に悪い。体を起こすと、硬い土の上で寝ていたせいか、身体中が痛い。
「いってて…しかし、霧が深いな……テントまで行けるかどうか…」
「ハクリ?」
「うおぉい!?」
不意に届いた自分を呼ぶ声に肩をビクッと揺らす。
「…イタチか?」
恐る恐る振り向くと、眠たげな目をした無表情な顔、イタチがそこに立っていた。
「はぁ…脅かさないでくれ。心臓飛び出るかと思った」
そう言いながら自分の胸部をさするハクリ。
「ん。それより、これじゃヤヨイ達の所まで行けない」
「…それなんだよな。しかしこの霧は異常だな…何かが意図的に放ったような…そんな感じだ……あ」
と、予想を立てたところで気がついた。
「…?」
何やらハッとしたように口を抑えるハクリの反応に、イタチは疑問そうに首を傾げる。
「……やっちまった。これじゃあフラグ立ててるだけじゃないか」
「……フラグ?食べ物?甘いの?」
「いやフラグは食べ物ではありませんよイタチさん。フラグっつーのはな、簡単に言うとーー」
そこで始まるフラグの説明。
フラグがいかに酷く残酷なものかをイタチに分かるように教え込む。理解しているのかいないのか、イタチはぽけーっとした顔で聞いていた。
「ーーとまぁこれがフラグの意味だ。分かったか?」
「ん。フラグは美味しくて甘いもの」
「いやどういう解釈してるんだよ。甘いもの好きなのか?」
ハクリのツッコミを経て、再びぽけーっと考え込むイタチ。
「…ん。フラグは〇〇〇が〇〇〇〇〇で〇〇な事…でいい?」
「ちょっと待て、俺はそこまで言ってないし、それを口走ったらネットで殺されるぞ割とマジで!」
「……ネット?何それ美味しいーー」
「はい待った。これから先はまた後だ…何か来る……」
ハクリの言葉に、イタチは神経を研ぎ澄まし、意識を集中するように目を閉じる。
「……北西、多分、数は複数」
霧の中を颯爽と駆け抜ける複数の獣。ハイエナのような容姿を象ったその黒い塊は、ハクリとイタチの近くまで駆け寄ると、威嚇するように牙を向ける。
魔獣『ブラックハンター』。容姿はトラやライオンのようで、名前の通り黒い事が印象的である。群れで行動し、狙った獲物を疲労させつつ狩るという知能的な面を持つ。
「…結界を張っていたはずなのにいるって事は、まさか……な」
「…分からない。でも、今は考えている暇は……ない」
即座に錬金術で短剣を両手元に生成、装備する。戦闘態勢に入っている両者は睨み合い…。ハクリは懐に入れてあった魔札を取り出した。
「……斬る……ッ!」
最高速度に達するまでに必要な時間が、ほとんど0秒のイタチ、相手も負けていない。素早くイタチ目掛けて襲い掛かかる。
「……これは…」
群れの数は目視できる程度で約7体。そのうちの3体は真っ直ぐ、3体は左右から挟むように、残り1体は様子を見るように佇んでいる。
安易的ではあるものの、ここまでの知能がある事に驚きを隠せないイタチは、目を細めた。
左右からの攻めは、正面の攻めより少し遅い。ものの数秒ではあるものの、首を正確に刈り取れば破れない陣形ではない。
「左に2、右に1…」
目だけで敵数を確認し、正面へと意識を集中する。手に持った探検が目指すべき場所は、敵の首元…。
戦闘を走る魔獣が、イタチに向かって飛びがかかる。
「……遅い」
それをしゃがみこむ形で懐に入り込み、一閃。
「グルルァァァッ!」
見事に首元をえぐり取られ、勢い余り空を切る…イタチの世界では既に遅い。
首を刈られ、胴体だけが空を舞う中、イタチは次の手を打つ。
「ガァァァァァッ!」
「グルォォォォォ!」
2体同時に襲い掛かる。流石のイタチでも、これを先程のように交わすことは出来ない……なら、別の手を打つ。
「…うるさい」
瞬時に短剣を持ち替え、逆手に柄を構える。
そしてそのまま魔獣の頭へと…
「キャイイィインッ!」
1体の魔獣の頭を串刺しにするように短剣を差し込む。それを利用した体重移動。突き刺した探検を軸にして宙を舞い、片手に持った短剣を投げる
「ギャッ!」
短剣は首に突き刺さり、一気に3体の命を刈り取る。
着地したイタチは、そんな光景を目に止めず、次の戦闘に移る。
イタチが駆け抜けた事により、残された3体の魔獣は後方の左右から襲い掛かる。
まずは右方からーー
「……ッ!」
着地して、地に手をついた状態からの回し蹴り、魔獣の1体を地面に叩きつける。そして、その勢いで左方に振り向き、飛びかかってきている2体の魔獣の方を向く。
「…………」
しかし、イタチは何か行動するわけでもなく、じっとその光景を見つめている。
「お、おいイタチッ!」
「………」
ハクリの呼びかけに応答する様子もなく、未だじっとしたままのイタチ。
そして、2体の魔獣の牙が、同時にイタチに襲い掛かってきた刹那ーー
「武装技術発動。名称。斬撃者」
自らの拳を、襲い来る魔獣の顎の下に、ピンポイントで構えるイタチ。即座に発動されたイタチの技は、自身の手腕を剣の刃へと豹変させ、顔の下から上部へと貫通させる。
だらんと力が抜けたようにぶら下がる2体の魔獣。飛び散る鮮血を意に返さず、イタチは二つの屍を地に放った。
そしてーー
「これで終わり」
イタチの右足は、地に向かって、足元に転がる残りの魔獣へと向かう。
その最中、発動された武装技術によって刃となったイタチの足。無残なまでに首と胴体を2等分に切り分けた。
「……すげぇ」
この戦闘の多くの情報量が、ものの数十秒で繰り広げられた結果だという事を理解し、背筋が凍る。
あの小柄な女の子が、ここまでやるのだ。それに比べて自分は、出方を待つことしか出来ない。
「……あとはあいつだけだな」
霧はまだ濃いままだ。視界が悪い以上、敵数も分からなければ自分たちの位置も感知できない。その点魔獣は周囲のマナエネルギーを感知、目視できるため、霧が濃かろうが関係ない。
「このままじゃジリ貧…。せめて霧が晴れてくれないと」
「分かってる。でもこの霧は自然に出来たものじゃない。よく良く考えればタイミングが良すぎる。霧とこの魔獣は絶対に何か関連がある」
「……とりあえず、あそこにいる最後を討つ…」
ゆっくりと、歩み寄りながら錬金術により短剣を生成。鋭い刃から垣間見える恐ろしい殺気に、佇んでいた魔獣は引け気味だった。
「…痛みは与えない」
ある程度近づいたところで、一気に駆け抜けたイタチ。間合いを詰めるまでに一瞬の隙も与えない。
今、懐に潜り込もうとした……
「ッ!?イタチ!止まれ!」
「……?」
イタチと魔獣との間の道、たった今イタチが踏み込もうとした地面に、突如魔法陣が形成される。赤く染め上がった魔法陣に記されていた魔法はーー
「第二炎系魔法だと!?イタチ!避けろ!」
「…無理」
イタチの踏み込んだ地面に形成された魔法陣から伸びる炎のツタ。それは足を絡め、イタチの動きを封じた後、球を描くようにイタチを取り囲む。
設置式魔法。あらかじめ魔法陣を設置しておき、条件を満たして発動させる魔法である。通常の魔法詠唱とは違い、設置してしまえば容量は維持しなくても大丈夫なのが利点な反面、対象がジャストミートで設置した場所に来るか条件を満たさないと発動されないというのが欠点である。
「……熱い」
イタチの足を絡めている炎のツタ。次第に狭くなっている空間。ジリジリと周りを囲むツタが迫ってくる。
そして、そんな光景を嘲笑うように見つめる人影が2つ、ハクリとイタチの視界に現れる。
「やぁやぁお二人共。これはこれは私の罠に易易とハマってくれて…ぷぷっ。滑稽だぁねぇ」
「…あまり茶化すんじゃない。第一俺達の目的はその女ではないだろう」
ハクリ達を小馬鹿にしたのは、長髪低身長の男、それとは対照的に、少し長く髪を伸ばした高身長の男は、ユックリとこちらに近づいてくる。
「…なんだお前達は…」
「我々は、君に用があってきた者だ。なに、危害を加えようという訳では無いし、君たちの仲間にも何ら手出しはしていない…このバカがしくじって、その娘には出してしまったが」
「あるぇー?スライク君は僕がミスったって言うのかなぁー?」
「何度も言うようだが、あくまで我々の目的は『彼』だ。『彼女』ではない」
「むむむー?結果的には僕の罠のおかげでここまで来れたんだしー。結果オーライじゃあないかぁなぁ?」
「……あまり調子に乗らない事だシャーマック。妖精族が竜人族に勝てると思うな」
度が過ぎた態度に、スライクと呼ばれた竜人族の男は目を細める。対するシャーマックと呼ばれた妖精族の男は、それを意に返さず、ニタニタとしたままだ。
「…何なんだあんた達は」
恐る恐るハクリが問いかけると、スライクはシャーマックに向けていた鋭い目つきを戻し、ハクリとイタチに向き直る。
「我々は旧聖会という組織のものだ…。君たちに分かりやすく説明するなら、過激派組織とでも言っておこう」
「…テロ組織か……まさか、対全種族反対主義ーー」
「僕達をそんな下劣な無差別殺人組織と一緒にしないでくれるかなぁ?殺すよ?殺めるよ?」
「……我々は君の思っている組織のように無差別殺人はしない。知らないのであれば教えてやろう…我々の意思というものをーー」
『旧聖会』。この世界に三つ存在するテロ組織のうちの一つである。殺人を行う他の二つの勢力とは違い、一切の殺人を行わない。
彼らが手にする旧聖書という書物にのっとり、『殺人』『建造物の破壊』は禁止されている。
そこで浮かべる一つの疑問。ならば何故過激派組織の類に入るのか…。
彼らは破壊と殺人を行わないだけであり、呪術関連の攻撃を行うのである。
死なない程度に苦しめる。これが彼らのやり方だ。1番残虐な事件は、約400人もの犠牲者を出した『大規模呪術事件』である。
約400人もの民間人を手にかけ、痛み、熱、免疫低下等の呪術を一斉にかけるといっ事を、旧聖会は行った。
死者は出なかったものの、行動不能者、障害を持ってしまった者が多発してしまうという被害を受けた。
「ーーとまぁこれが我々の組織の説明だ。ご理解頂けたかな?」
「……」
「……」
「ふひひ。これは分かっていないよねぇー?あ、ごめんごめん。熱いの止めなくちゃね、忘れてたわー」
そう言うとシャーマックは指を鳴らし、魔法を解除する。
地に足をつけたイタチは、警戒するように即座に短剣を構えた。
「…あんた達は俺に用があるって言ってたよな?」
訝しい思いでスライクとシャーマックを睨むハクリ。
「我々が来た理由は、君の生存確認だ」
「……生存確認?」
全く話が読めないハクリに、シャーマックは見下すように笑う。
「ひひっ。君はまだ分からなくて良いんだよぉ?ま、いずれ分かると思うけどねぇ」
「……戻るぞシャーマック。そろそろこの霧も晴れる。我々の仕事は終わりだ。拠点へ帰る」
「ふぁいふぁい。じゃあねぇハクリ君。イタチちゃん」
その言葉を残し、霧の中に姿を消す2人の後ろ姿を、イタチとハクリが深追いする事は無かった。
「…私達の名前……知ってた」
「あぁ。何者なんだあいつら」
残った2人は虚無感に煽られ、ただ呆然としている事しか出来なかった。
 




