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荒廃世界のワンダーワーカー  作者: 厨二好き/白米良
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第6話 貧民区の日常 前編



 貧民区の朝は早い。


 淡青色とも表現すべき仄かな明るさが夜の闇色を塗り替え始める頃、年齢や性別に関係なく大抵の人々は目を覚ます。今日を生き抜くために、寝ぼけて朝の貴重な時間を浪費するようなことはしない。


 それは孤児院の子供達も同じで、眠そうではあるもののぐずることもなく自ら寝床から這い出てくる。粗末でボロボロの掛け布でも、それしか知らない貧民区の子にとって寝床はやはり極楽の城。


 それでも、文句一つなく一斉に起き出すのは、各々が割り振られた仕事をこなす為だ。それが、自分達を生き永らえさせ、家族を助けることに繋がることを理解しているが故に。まずは目覚まし代わりの冷水を求めて廊下にズラリと並んだ水道へと集うのだ。


「おはよう」


 元々少し癖のある髪が寝癖により強化され、実験に失敗して爆発事故を起こした科学者のような髪型になっているリオが、あくびを噛み殺しながら朝の挨拶を響かせる。


「お兄ちゃん、おはようっ」


 それに真っ先に返したのは、孤児院でも女の子としては最年少の――四歳のヒナだ。ボブカットの黒髪に、くりくりの瞳をキラキラさせて実に元気よく挨拶をする。顔を洗っている最中であったにもかかわらず両手を上げてピョンとジャンプまでつけてくれるサービスぶりだ。


 代わりに隣の男の子――五歳のミナトが、ヒナの飛ばした水の飛沫を目に受けて「目がぁ、目がァ~」とのたうっているが、ヒナはまるで気にしていない。将来はきっと大物になるに違いない。


 ヒナの挨拶を皮切りに、他の子供達も次々と挨拶をしていく。


「おはよう、リオ。昨日は随分と絞られたみたいね」


 同じく顔を洗っていたカンナが、タオルで顔を拭きながら挨拶がてらに揶揄する。その後ろではダイキやレンも同情半分、面白半分といった様子でリオに視線を向けていた。


 昨夜、夕食が終わった後、リオはアイリの宣言通り正座させられて滔々と説教を受けたのだ。


 曰く、わざわざ反抗的な態度を取って争いを呼び込むなど馬鹿のすることである。


 曰く、理不尽に憤るのは当然ではあるが、流せることや流すべきことにまで突っかかるなど無闇に自身を危険に晒す愚かな行為である。それは、極端な言い方をすればリオを心配している家族への裏切りとも言える行為だ。


 曰く、それが分かっていて内心を隠せないのは未熟の証。いい加減、少しは落ち着きというものを持って欲しい、などなど……


 丸三時間に及ぶ対面式説教だった。まるで母親に叱られる子供のような構図に、子供達は「また怒られてやんのぉ~」といった呆れた表情で、年長組は同情半分、ある意味仲の良い二人の様子に微笑ましさ半分で遠巻きにしていた。巻き込まれないように逃げたとも言えるが。


「早々に逃げやがって……助けてくれても良かったろ」


 リオがげっそりした表情を浮かべながら恨みがましい眼差しをカンナ達に向ける。


「なに言ってんのよ。いつだって正しいのはアイリじゃない。あんたが怪我して帰ってくる度に皆心配してんだから、あれくらい甘んじて受けなさいよ」

「カンナの言う通りだな。どうせ反省はしても、また突っ走るんだろうから意味はないかもしれないが」

「ダイキ兄。それを言ったらお終いですよ。まぁ、あれも見方によってはイチャついているとも言えますし、邪魔は出来ません」

「……また正論の弾丸が俺を撃ち抜いてくる。だが、レン。あの説教がイチャついているように見えたなら、お前は一度病院に行くべきだ」


 わざとらしく胸を抑えてガクリと項垂れるリオに、年少組はクスクスと笑いを漏らしている。最低でも月に一回はある定番のやり取りなのだが、飽きることもなく子供達にとっては楽しいイベントの一つらしい。


 そんな中、ヒナだけはトテトテとリオに近寄ると、精一杯背伸びをしながら項垂れるリオの頭をいい子いい子して慰めにかかった。


「お兄ちゃん元気だして。ヒナの朝ごはん分けてあげるから」

「うぅ、ヒナ。お前って子は……天使はここにいたんだな」


 阿呆なことをいいながらヒナを抱き締めるリオに、カンナ達が口に出して「阿呆」と言う。しかし、ヒナとてこんな過酷な世界で逞しく生きる者なのだ。甘く優しいだけはない。


「でも、アイリお姉ちゃんを困らせてばっかりはメッだよ!」

「……はい」


 四歳の幼女に、早朝からお叱りを受ける十六歳の男子の姿。カンナ達は完全に失笑している。


「でもある意味、兄貴ってすげぇよな」

「うん、流石、兄ちゃんだよな」


 十歳のマサトと九歳のジュンがしみじみとした様子でアウェーなリオに称賛の言葉を送った。「いきなりどうした?」と訝しむリオに、二人は顔を見合わせながら言葉を続けた。


「だって、アイリ姉ちゃんって普段はすんげ~優しいけどさ、一度怒らせたらめっちゃ怖ぇじゃん」

「大きな声出したりするわけじゃないんだけど、こう何ていうか真冬の海に突き落とされた、みたいな?」

「そうそう。顔はいつもみたいに優しい笑顔なのにさ、何か震えが止まらなくなるんだよな」


 二人の会話に、何人かが顔を逸らしたり虚ろな瞳で虚空を見つめ出した。トラウマを刺激されたようだ。皆、経験があるらしい。


「たぶん、うちで一番怒らせちゃダメなのは、ばあちゃんでもキキョウ姉ちゃんでもなくてアイリ姉ちゃんだろ?」

「なのに毎回平然と怒らせるとか……」


 マサトとジュンは、リオに向けて実にいい笑顔を受けるとサムズアップしながら声を揃えて言い放った。


「「兄ちゃん(兄貴)、マジ勇者!」」

「は、はは……どうしよう。弟達から勇者の称号を貰ったのに素直に喜べない」


 乾いた笑みを浮かべるリオに、ヒナが更にいい子いい子する。「この天使さんめっ」と半ば抱っこするように抱き締めていると、突如、朝の廊下にブリザードが吹いた。


「それじゃあ、私はさながら魔王といったところかしら? ねぇ、マサト、ジュン?」

「「……」」


 マサトとジュンの笑顔が文字通り凍りつく。同年代の女の子、おしゃまな十歳のツキヒやカンナ二世とも言うべきツンデレの十一歳――ワカバが、如何にも「男って馬鹿ね」と言いたげな表情で溜息を吐いた。


 油を差し忘れた機械のように、ぎこちない動きで背後を振り返ったマサトとジュンは見事なハモリで笑顔のアイリへ言葉を送る。


「「アイリ姉ちゃんは女神様です!」」

「もう……あなた達ったら」


 呆れの溜息を吐いたアイリは、その視線をリオへと転じる。


「兄さんも兄さんで何をしているの。中々皆が食堂に来ないから呼びに来てみれば、どうして早朝からヒナに慰められているのかしら」

「あはは、いやヒナが天使だったもので……」

「……お説教が足りなかったのかしら? それともお説教をし過ぎたのかしら?」


 困ったように眉を八の字に下げながら微笑むアイリ。しかし、直ぐに気を取り直すと早く朝食を平らげるように皆を促した。


 ぞろぞろと食堂に入れば、その鼻腔を仄かな味噌汁の匂いが擽る。具はほとんど入っていないが、それでも毎朝の楽しみの一つである。本来なら合わせてお米を食べたいところだが、毎食となると難しいので週の大半は芋をふかしたものがメインになる。


 貧民区の大半の人間は、硬いパン以外主食などないのが常識なので、やはり孤児院は恵まれている方と言える。


「朝から随分と賑やかやったねぇ~」

「もう、ごはん冷めちゃうでしょ。早く席に着きなさい」


 手ぬぐいで手を拭きながら現れたサクラが穏やかに微笑みながら呟けば、キキョウが腰に手を当てて軽く叱るように言う。


 それなりに長身で、ベリーショートの髪に切れ長の瞳、性格も見た目もボーイッシュな十八歳の長女だ。髪が極端に短いのは、母親役も父親役も両方ともやりたいという気持ちの発露らしい。


 サクラを除けば、実質的に孤児院の家長と言っていいだろう。手先が器用で、主に内職関係の仕事を、まだ外で働けない子供達の面倒を見ながらこなしているしっかり者だ。昨夜は、サクラのお使いで近所に出かけており、ちょうどリオがアイリの説教によって瞳を虚ろにし始めた頃に帰って来た。


 キキョウの言葉に、年少組は「は~い」と素直に返事をしつつ鼻をヒクヒクさせて席に着く。何人かの子供達がお手伝いとして食事を運ぶのを手伝い「いただきます」の言葉と共に朝食の時間が始まった。


 朝食が終われば、子供達も孤児院の清掃や敷地内で育てている自家製作物の世話、内職の手伝い、最低限の勉強など色々と忙しくなる。年長組は言わずもがな、【生産工場】や【生産農場】、あるいは中央区のどこかで仕事をこなす。


「リオは久しぶりのお休みやったね。漁りに出るんやろうけど、いつ行くんや?」


 食事をしながらサクラがリオに尋ねた。リオは、芋を口の中でモゴモゴと転がしながら答える。


「昼間から、と言いたいところだけどレンがいい場所を知っているらしくてさ。昼は仕事の予約が入っているらしいから、レンが戻る夜にする予定だよ。ダイキも一緒に行くって言ってるし」

「リオを一人にすると、どこまで突っ走るか分からないからな」


 すかさずダイキの補足が入る。リオはムスッとしながら言葉を続けた。


「取り敢えず、時間があるから中央で日雇いの仕事でも見つけるよ。討伐者に解体とか荷物運びで声をかければ見つかると思うし」

「たまにはゆっくり休んでもええと思うけどねぇ。リオがいてくれたら子供達も喜ぶやろうに」

「……でも、稼げる時に稼がないと、さ」


 苦笑いしながら答えるリオ。そこでレンが、にこやかに爆弾を投下した。


「なんなら中央のご婦人を紹介しましょうか? ちょうどリオ兄みたいな人が好みだという人がいまして。休憩も(・・・)出来ますよ?」


 そしてリオが答える前に一斉に響く否定の声。


「ダメに決まってるでしょ!」


 アイリである。別に男妾という仕事に蔑みの気持ちがあるわけではない。大切な家族であるレンの仕事にそんな気持ちを抱くなど有り得ない。だが、リオがそれをすることは断じて許容できないのだ。別の理由で。


「あはは、ですよねぇ~」


 それが分かっているからレンもあっさり引き下がる。元々、冗談で言っただけで、予想通りの反応にご満悦だ。流石、兄弟一“いい性格”の少年である。


 そんなレン達を見て楽しげに頬を綻ばせるサクラは、視線をリオに戻して一つ頼みごとを口にした。


「まぁ、リオの気持ちも分かるんやけどな? せっかくの機会やし、おチビ達を連れて出かけて欲しいんよ。普段は危ないから余り出歩かされへんやろ? リオが見ててくれたら、あちこち見て回れるし勉強にもなる」

「なるほど……」

「それに、アキナガさんが分けてくれはったお味噌で作った料理も、お裾分けしてきて欲しいんよ。西区だけならともかく、北区まで女子供だけで行くんはちょっと危ないしな」


 アキナガとは貧民区の顔役のような人物だ。元第一級討伐団のリーダーを務めていた男で、手酷い裏切りにより貧民区へ堕とされた挙句、片足を不自由することになった。金属の簡素な義足と、齢六十にして筋骨隆々の肉体という特徴を持った益荒男を体現したような男である。


 彼は主に北貧民区を根城にして貧民区の人々の纏め役や相談役も担っていたりするのだが、とある経緯を経てリオ達と知り合い、それ以来なにかと孤児院の子供達を気にかけてくれるのだ。


 毎朝の味噌汁も、アキナガが分けてくれた味噌のおかげである。


 そんな日頃から何かと世話になっている顔役へのお使いを頼まれては、リオとしても断れないし、そもそもそんな気も起きない。子供達の顔を見せるのも悪くないだろう。


「そういうことなら引き受ける。俺も、アキナガさんに会うのは久しぶりだし顔くらい見せておきたいしな」

「そら良かったわ。うちの分も、よろしゅう伝えてや」

「了解」


 そんな訳で、リオは子供達を連れて北貧民区へと社会見学を兼ねた遠足をすることになったのだった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「皆、準備はいいかしら?」

「「「「「「「は~い」」」」」」」


 アイリの呼びかけに元気な挨拶を返すちびっ子達。その数は全員で七名。最年少のヒナに、ミナト、七歳の男の子フウタとイチカ、八歳のユイに七歳の女の子ミコとアヤだ。


 マサト達のように十歳くらいの年齢の子供達は、今回は御預けである。何かあったとき、余り人数が多いと危ないということと、十歳くらいの年齢層は何かと仕事があるからだ。


「で、何でアイリまで準備万端なんだ?」


 物凄く自然に一行へ加わっている上に保母さんのような見事な統率力を見せているアイリに、リオがツッコミじみた疑問を口にする。


「私も一緒に行くことにしたからよ」

「簡潔な説明をありがとう。でも、俺が聞きたいのはどうして行くことにしたのかという点なんだが……」

「私だってたまには出かけたいわ。それに診療所に来られない人は北区にも沢山いるのだし、こういう機会に見てあげたいのよ」


 アイリは万一異能がばれて中央区に人間に目をつけられないように、家族の満場一致で働きに出ることを止められている。


 当然、【生産農場】からの徴用もあったのだが、そのときは、生まれつき腕が動かず労働力になれないと言って免れた。そのために、わざわざ腕の腱を切っておくという徹底ぶりもあって、現状、中央からの徴用は免れている。


 痛みを和らげることができ、かつ、自分の体であれば他者よりも遥かに治癒できる異能があるが故の荒業だ。


 そうして、他の家族のように働きに出ない代わりに、アイリは貧民区において簡素ではあるが診療所を開いている。


 サクラから習った怪我の治療や山間部で取れる薬草類などを使った民間療法程度のもので異能を使うわけではないし、貧民区の人々が患者なので碌な報酬もないが、それでも中央の病院にかかるお金など持ち合わせていない貧民区の人々にとっては、有り難すぎる場所であり人が絶えない大切な場所となっている。


 貧民区のご年配方に協力してもらいつつ、お礼として食べ物などを貰いながら家計の一助としている。アイリの慈愛に満ちた人柄や実際に治療を受けた人々からは絶大な信頼と人気を誇っている。


 アキナガとの繋がりで北貧民区の人々とも面識のあるアイリだが、やはり一人で北区にまで行けるわけではないので、こういう機会には様子を見ておきたいのだ。このマメさと自然体の気遣いが、心の荒みがちな貧民区の人々をして笑顔と好意を向けさせる理由の一つだったりする。


「そういうことか。アキナガさんも義足の付け根辺りが痛むって言ってたしな」


 その説明に納得顔で頷くリオを横目に、アイリがボソリと一番の理由を呟く。


「それだけじゃなくて……その、わ、私も兄さんとお出かけしたいし……」


 頬を染めてチラチラとリオを盗み見るアイリ。ヒナ達女の子組がリオとアイリを交互に見る。しかし、肝心のリオは、そんなアイリの様子には気がつかず自分の荷物を背負うと「じゃあ出発するか」と普通に号令をかけた。


「アイリお姉ちゃん、元気だして」

「リオお兄ちゃんってば、おんなごころがわかってないのね!」

「ぼくねんじんだね!」

「アイリお姉ちゃん、頑張って!」


 溜息を吐くアイリに、幼くとも心は乙女の女の子達が励ましの言葉を送る。


 不思議そうに首を傾げるリオに、ミナト達にまで「兄ちゃんはダメだなぁ」といった眼差しを向けられつつ、リオ達一行は北貧民区を目指して出発した。


 西貧民区は、アイリの人望や孤児院の対価を求めない助け合いの精神、厚意から子供達に危害を加えようとする者はほとんどいない。


 だが、それでも他の区から移動してきたばかりの者や、質の悪い中央区の人間が入り込むことは多々あり、そういう者にとって貧民区の子供がうろついているのを見ればカモネギに見える。もちろん、金目のものを奪えるとい意味ではなく、単なる鬱憤晴らしの相手として、だ。


 道中、顔見知りのご近所と挨拶を交わしつつ表面上は和やかに、されど内心は最大限に周囲を警戒しながら進む。


 やがて西貧民区を抜けて北貧民区との狭間へとやって来た。


「お兄ちゃん……」


 ヒナが少し怯えたような表情でリオを見上げる。その小さなモミジのような手がリオの服の裾をギュッと握り締めていた。他の子供達もどこか不安そうな様子でキョロキョロと周囲を見渡している。


 理由は簡単。空気が変わったのだ。


 天候が変わったわけではない。ただ周囲の雰囲気に陰鬱としたものが混じり始めたのである。まるで川の水に排水が流れ込んだような、あるいは工場の噴煙がじわりじわりと大気に染み込んでいくような、肌に纏わりつく不快な空気。


 これこそ本来の貧民区に満ちるもの。明日に希望などなく、ただ生きる為に生きるだけの日々を送る者達が集う掃き溜め。


 人という生き物は、衣食住が揃わなければ自然と堕ちるものだ。心は荒み、放つ空気は陰惨なものとなり、倫理や良心といったものは彼方へと放逐される。奪うことが当たり前、生きる為なら何をしても許される、そんな価値観が自然と心に巣食い獣となる。


 ヒナ達は、そんな空気を敏感に感じ取ったのだろう。


「ヒナ、それに皆も。普段は家から離れてはダメだと言っているから忘れがちかもしれないけど、これが貧民区の本来の空気だ。いや、これでもずっとマシな方だな。俺達のいる西区やアキナガさんのいる北区の一部が特別なだけで、東区や南区はもっと酷い」


 それは最年少のヒナですら分かっていること。孤児院の子供達は皆なにかしらの悲劇を経験している。そして、荒みきった廃墟と瓦礫、汚物と害意の中を彷徨っているところをリオ達に保護されたのだ。


「人は慣れてしまう生き物よ。家や周りの人達が優しくても、決してそれが当たり前と思ってはいけない、それをもう一度きちんと思い出して欲しいの。おばあちゃんも、その為に皆を送り出したのよ」


 アイリが補足する。


 貧民区の人間が。いったいどれだけいるのか。自分達が孤児院の家族として迎えられたことは本当に奇跡的なことだったのだと、ヒナ達は幼いながらに改めて自覚する。そして幼いが故に染まりやすく移ろわせやすい心に、危険に対する心構えを刻みつける。


 今の今まで、どこかピクニック気分だった子供達の表情がグッと引き締まった。まだ、十歳にも満たない年齢で、人の悪意や害意に対して常に警戒の心をあらわにする姿は何とも物悲しい。


 本当なら沢山わがままをして、やんちゃをして、大人を精一杯困らせて、満面の笑みを浮かべているべき年齢だ。それが許されるべきなのだ。


「……ただ生きるだけのことが難しいなんて、間違っているわ」


 自分で忠告をしておきながら、ついポロリと心の声が零れ落ちる。アイリの表情は悲しそうであり悔しそうでもあった。


「最低最凶の外敵、中央の差別意識、抜け出せない貧困……人の心がダメになってしまう要素が満ちすぎているんだ。まぁ、大元は結局、グリムリーパーなんだけどな」

「そうね。グリムリーパーさえいなくなれば人は余裕を取り戻すわ。そして、余裕は人を優しくする。本当の意味で良心を宿すには、まず余裕が必要なのよ。……グリムリーパーの脅威を消し去る。はぁ、それこそ、私の異能なんて目じゃないくらいの“奇跡”が必要ね」

「確かにな」


 リオとアイリの会話に、子供達は頭上に“?”を浮かべて首を傾げている。年齢が幼いからというのもあるが、ヒナ達にとってはこの荒廃した酷い世界こそが生まれ故郷なのだ。グリムリーパーの脅威がなくなり、人々が倫理と良心、法の下に秩序を取り戻した世界など想像するのは困難なのである。


 もっとも、それはリオとアイリにも当然言えることで、まるで、そんな世界を知っているかのような雰囲気を漂わせているのは何とも奇妙な光景だった。まして、単なる憧れや夢想を越えた、国のあり方を語り合う政治家のような会話は異常と称しても過言ではないだろう。


「リオ兄っ、あれ!」


 リオとアイリがやたらと近い距離で更に言葉を交わしていると、突如、ミナトが声を上げた。その視線は廃墟ビルの合間にある昼間でも薄暗い路地に向けられている。


「っ、アイリ」

「ええ、兄さん」


 ミナトの視線を辿ったリオは直ぐにアイリへ呼びかけた。阿吽の呼吸で、アイリもまた直ぐに返事をする。そして、一気に路地に向かって駆け出した。


 リオも子供達を纏めながら路地の方へ急ぐ。


「……アイリ。どうだ?」

「……」


 背を向け地面に膝をつくアイリにリオが呼びかける。アイリは答えず、ただ静かに首を振った。


 リオは歯噛みする。その視線の先には、路地の壁にもたれるようにして凄惨な姿を晒す小さな子供の姿があった。腕があらぬ方向に曲がり、顔は原型を失うほどに腫れ上がっている。至る所から出血しており、その体は酷くやせ細っていた。


 既に命の鼓動を止めている小さな存在。明らかに暴行を受けた後だ。よく見れば、肩口には銃槍らしき傷も見える。貧民区の人間は銃などまず持っていないし、持っていてもわざわざ小さな子供を襲うのに貴重な弾丸を使うことなど有り得ない。


 そんなことをするのは中央の人間だけだ。


「どうして? どうしてこんな小さな命が、こんな酷い仕打ちを受けなければいけないの? どうして、こんな酷いことが出来るの? どうしてっ」

「アイリっ」


 ボロボロの亡骸を、服が汚れるのも気にせず抱き締め、呻くように、慟哭するように言葉を零すアイリに、リオは強く呼びかけた。同時に、その亡骸ごとアイリを抱き締める。


 アイリの嗚咽が響く。面識などない赤の他人の為に本気で悲しみ涙を流す。それがアイリなのだ。そして、同じようにやりきれない様子で歯噛みする、それがリオなのだ。


 リオとアイリを子供達が囲み、同じく瞳に涙を溜める。


 どれくらいそうしていたのか、やがてリオが少し体を離しそっと囁くように口を開いた。


「埋葬してやろう。気休めだが放置はできない」

「……兄さん。……そうね。これ以上、傷つくことはないわ」


 放っておけば野良犬やネズミ、カラスなどに貪られる可能性がある。そうでなくても腐っていくのは余りに哀れだ。


「皆、この子のお墓を作る。協力してくれ」


 リオが呼びかけるとヒナ達はコクリと頷いた。凄惨な現場だからといって、リオ達が子供達の目を覆うことはない。


 子供が理不尽に傷つく、そんな悲惨な出来事であっても本来の貧民区では珍しくないのだ。今回のことも、実にありふれた悲劇の一つなのである。そして、そんなくそったれな現実を、“ゆっくり成長してから少しずつ”などという生温い方法で学んでいては遅いのだ。


 リオ達は、少し離れた場所に空き地を見つけると瓦礫などを利用して穴を掘り、そこへ亡骸を埋めた。同じく鉄棒や木の棒などを利用して簡素ではあるが墓としての外観を作る。


「……お兄ちゃん。ヒナはわるい子?」

「ん?」


 何となく全員でお墓を見つめていると、突如、ヒナがそんなことを尋ねた。訝しむリオやアイリを前に、ヒナが口を開く。


「ヒナね。お兄ちゃんに見つけてもらえてよかったって思ったの。見つけてもらえなかったら、きっとあの子みたいになってたって思うから。あの子はたくさん痛い思いをしたのに、ヒナはあんしんしたの。ヒナはわるい子?」

「ヒナ……」


 どうやらそんなことを考えていたのはヒナだけではないらしかった。見れば、ヒナ以外の子供達もどこかバツ悪そうな、あるいは罪悪感を覚えているような、そんな表情をしている。


 リオとアイリは顔を見合わせた。そして、二人して表情を和らげる。それはとても優しい表情だった。


「ヒナ。それに皆も。今、感じている気持ちは決して間違ってなんかいないぞ」

「でも……」

「まぁ、聞いてくれ。誰だって、自分にとって良い事が起きれば嬉しいと、良かったと思うものだ。それはとても自然なことなんだよ。安心することに、幸せだと感じることに、悪いことなんて絶対にないんだ」


 膝を折って目線の高さを子供達に合わせたリオが、一人一人の目に視線を巡らせながら言葉を紡ぐ。


 アイリもまた、リオの隣に膝をついて語り始める。


「大切なのは、自分が良かったと思ったことを他の人にも分けて上げようって思えることなのよ。どれだけ恵まれていても、自分さえ良ければいいと考える人は、いずれ心が貧しくなるものだから。皆は、その点、大丈夫かしらね」

「? どうして?」

「だって、あの子のこと想像できたでしょう? 痛かったんだろうな、悲しかったんだろうなって。そうやって相手の痛みを想像できるなら大丈夫よ。ヒナ達なら絶対、相手が痛くないように、悲しくならないようにって助けられる人になれるから」

「そうかな……ヒナもお姉ちゃんとお兄ちゃんみたいになれるかなぁ」


 ヒナ達は難しそうな表情で互いの顔を見合わせている。


「俺達より、ずっと優しくて強い人になれるさ。何せ、俺とアイリの自慢の妹と弟だからな」

「兄さんの言う通りよ」


 一人一人の頭を優しく撫でるリオとアイリ。ヒナ達は今聞いた二人の言葉をうんうんと唸りながら一生懸命に自分の中へ落とし込もうとしている。


 そんなちびっ子達の様子に笑みを深めつつ、亡くなった幼子のお墓に冥福を祈り、一行はアキナガの居住エリアへ歩みを再開するのだった。


お読みいただきありがとうございました。

感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございました。


次話の更新は、明日の土曜日の18時の予定です。

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