第4話 灰色世界
大きく開かれた顎門。緋色の眼光。機械であるにもかかわらず伝播する殺意。
それを具現化したスラッグ弾が標的を粉砕せんと空を切り裂く。
それは死そのもの。未来は確定している。轟音と同時に、死神の鎌は確実に少年の命を刈り取る――はずだった。
「ッ――」
リオが反応する。死に物狂いで上体を傾ける。
次の瞬間、スラッグ弾はリオを掠めるようにして通り過ぎ、後方の壁を粉砕した。
――有り得ない。
そんな表情を浮かべながら、周囲の人々が今度は違う意味で驚愕に目を見開いた。
リオとグリムリーパーの距離はせいぜい二メートルといったところ。そんな至近距離で、いくら“グリムウルフ”が口から放つスラッグ弾の弾速が遅い方だとは言え、それを回避するなど人間業ではない。
偶然だ。たまたま体勢が崩れたところを弾丸が通っただけなのだ。誰もがそう思ったことだろう。
だから、スラッグ弾の余波に体を打たれ投げ出されたリオに、再度、グリムリーパーが顎門を向けたとき、二度目の奇跡はないと誰もがリオの死を確信した。
だが……
(あぁ、またこの世界か……)
リオは間延びした轟音を聞きながら、特大のマズルフラッシュとともに飛び出してきたスラッグ弾を視認しつつ、そんなことを内心で呟いた。
リオの視界の中で、世界が急速に色を失っていく。命の危機に瀕した時、リオの意思に関係なく発動する摩訶不思議。きっと、この世界に二つとない奇跡の一片。
名を【灰色世界】――色あせ、モノクロとなった世界にリオが名づけた。この世界が発動している間、リオの知覚能力は爆発的に上昇する。あらゆるものの動きが酷く緩慢になるのだ。
本人にも何故こんな現象が起きるのか分からない。ダイキ達に話した際には、いわゆる火事場の馬鹿力のようなものではないか、極限の集中力が発揮されているのではないか、という結論でひとまず原因については保留となった。
その灰色の世界で、リオは火花の一つ一つ、スラッグ弾の回転、巻き上がった埃まで明確に認識しながら極自然に射線から体を逃がした。灰色世界はリオの身体を速く動かしてくれるわけではないので、リオからするとまるで水の中にいるように緩慢な動きではあったが、初動の早さがリオを安全地帯へと誘う。
そうして、再び、標的を逃して虚しく後方へ抜けていく弾丸。
リオは倒れた体の勢いを余さず利用し、地面を転がりながら途中で片手を支点に倒立する。そうして、一回転して逆さまの状態で立ち上がったリオの、そのすぐ脇を、螺旋の衝撃と共にスラッグ弾が通過。
更に、足が地面についた瞬間、リオは、すかさず側宙の要領で宙を舞った。反転した視界の中、体の下を三発目が通り過ぎていく。
四発目は――――来ない。
(弾切れ……それに、時間切れだ、死神)
口の端を釣り上げながら、全てがスローになった灰色世界で独り言ちるリオ。徐々に世界へ色が戻ってくるのを認識しながら、その視線の先で、飛び上がりながら鉄塊を振りかぶるダイキの姿を認める。
ダイキが持っているのは、グリムリーパーの足。それを棍棒のように上段に構えながら、グリムリーパーの背後より、突き刺さったままのドリル目掛けて振り下ろす。
ガンッと、そんな硬質な音を響かせて、狙い違わずドリルの太い芯をめり込ませた。
その瞬間、リオの世界は完全に元の色を取り戻し、遅くなった時間の流れも元に戻る。【灰色世界】が発動したあと特有の、体の中から活力を吸い取られたような倦怠感を覚えながらも上手く着地して、硬直するグリムリーパーを鋭い視線で睨みつけた。ダイキも、殴りつけた勢いのまま転がり、受身を取りながら立ち上がる。
二人の視線の先で、ピクリとも動かないグリムリーパーは、一拍後、その緋色に輝く瞳を白に戻し、グラリと傾いて地面に倒れ伏した。リオに突き立てられ、ダイキに押し込まれたドリルが動力炉に届いたのだろう。
しばらく様子を見るが、再起動する気配は全くなかった。
「はぁ~、し、死ぬかと思った。ありがとう、ダイキ」
「お互い様だ。気にするな」
グリムリーパーの機能停止を確信して尻餅をつきながら安堵の息を吐くリオ。ダイキも今更吹き出てきた冷や汗を拭いながら同じように息を吐く。
そして、二人してニッと笑い合うと拳を突き合わせて互いの生存を喜んだ。手負いだったとは言え、銃火器もなくグリムリーパーを倒したのだ。大金星である。
だが、そんな空気をまるっと無視してくれる輩はどこにでもいるものだ。
「き、貴様等ぁ! これはいったい、どういうことだっ」
ダイキがリオを引っ張り起こしていると、オウダの怒声が響き渡った。
その声に釣られて二人が視線を転じる。オウダが出てきた搬入口は壁が粉砕されており、近くに止めてあった運搬車の扉も大きく穴が空いていて、窓ガラスも軒並み粉砕されてしまっている。
リオが避けたスラッグ弾による破壊の爪痕だ。
ズカズカと肩を怒らせて迫ってくるオウダに、リオが事情を説明する。
「監督官。ワンコの一体がまだ生きていました。解体中に再起動したのですが、手負いだったこともあり、どうにか停止させました」
「なにぃ? 貴様等が? 銃もなく?」
「はい。周りの人達に聞いてもらえば直ぐに分かるかと」
半信半疑のオウダだったが、確かに周囲には大勢の野次馬がおり、直ぐ分かる嘘を吐くとは思えなかったので、余程、グリムリーパーは戦闘力を低下させていたのだろうと納得する。
そして、内心で、ワンコを直込みした例の新人共を後悔させてやると心に誓いつつ、リオとダイキの二人を睨め上げた。
「お前等、今日の支給はなしだ」
「なっ、これは俺達のせいじゃ……」
「解体を始める前に、さっさと確認していれば被害を最小限に抑えられただろう。貴様等にも責任はある」
「そんな馬鹿な……」
余りに理不尽な物言いに、リオは呻くような声を上げた。明らかに、オウダの八つ当たり、あるいは嫌がらせである。
「なんだ? それともやはり溶鉱炉の燃料がいいか? 別にかまわんぞ。クソほどの役にも立たない貴様等の命など、一瞬でも燃料代わりになれば十分すぎるだろう。なに、貴様等の代わりなら心配するな。せいぜい、貴様等が必死に世話をしている家畜共を使ってやる」
「っ。お前っ――ッがぁ!?」
大切な家族を家畜呼ばわりされ、一瞬で頭が沸騰したリオは怒声をあげようとしたが、その声は途中で遮られることになった。オウダが、何の躊躇いもなく引き抜いた警棒でリオを殴りつけたのだ。それも包帯が巻かれている右腕を狙って。
鈍く生々しい音とともに激しい痛みが襲い、リオは思わず右腕を抑えながら蹲る。
「リオ!」
ダイキが心配して傍らに寄る。リオは視線で大丈夫だと伝えるが、吹き出した脂汗と引き攣った表情がダメージの大きさを物語っていた。ヒビの入った右腕は既に完治していたのだが、その様子を見れば再びヒビくらいはいれられてしまったようだ。
「ふんっ。卑しい外人如きが中央の人間である私を恫喝しようとするとはな。どうやら、貴様の頭の中には“身の程を弁える”という言葉がないらしい」
警棒を片手にパシパシと打ち付けながら侮蔑の表情を浮かべるオウダ。
それに対し、リオは伏せていた顔を上げると逆に侮蔑の表情を返しながら辛辣な言葉を叩きつけた。
「すみませんね。どうやら、住んでいる場所と人間性は必ずしも関係がないようで」
「? ――ッ。貴様ぁ」
一瞬意味が分からないといった表情を浮かべたオウダだったが、直後には含まれた意味――「中央区に住んでいても、お前の人間性は下劣だ」と言われたことに気が付き瞬間湯沸かし器の如く顔を真っ赤に染め上げた。
「リオっ、この馬鹿っ。すみません、監督官。リオは少し、なんと言うか、その、正直なだけなんです!」
「き、きっ、貴様、キサマらぁ~」
慌てて執り成そうとしたダイキだったが、焦りの余りつい本音がポロリと出てしまった。それに気が付き冷や汗を流しながら弁解を試みるが、自尊心を傷つけられたオウダの心はマグマの如く煮えたぎっており焼け石に水状態。
激した感情は理性を簡単に上回り、遂には腰につけたホルスターへ手が伸び始めた。ダイキが表情に焦りを浮かべ、リオも「やばっ」と引き攣り顔になる。
あわやオウダによる公開処刑になるかと思われたその時、再び若い声がかかった。
「オウダ監督官」
「っ、……イズミか。なんのようだ。私は今、この害虫共を駆除するので忙しい。用事なら後にしろ」
いよいよホルスターから拳銃を抜き出そうとしたオウダの手を、イズミはやんわりと抑えた。そして、「邪魔する気か」と、八つ当たり気味に血走った眼光を叩きつけるオウダに向かって、深々と頭を下げた。
「オウダ監督官。先程は申し訳ありませんでした」
「あ? なんのこと……」
「グリムリーパーの機能停止を確かめもせず解体の協力を依頼したことです。まさか、あの討伐者達が最低限の仕事すらしていなかったとは思いもしなかったのですが……とにかく、オウダ監督官に怪我がなくて良かった」
「あ、ああ。私はなんともないが……」
「ええ、本当に良かった。日頃からオウダ監督官にはお世話になっていますから、何かあれば悔やんでも悔やみきれません」
本当に安堵した様子で胸を撫で下ろすイズミに、いつの間にかオウダの気勢が削がれていた。本気で向けられる心配や労わりに、悪い気のする者はそうはいない。
「処分はいかようにも。例え、新人討伐者の不始末と言えど見逃したのは私の責任です」
「あ、ああ、いや、何もそこまで思いつめんでもいいだろう。原因は馬鹿な討伐者共なのだしな」
「しかし……」
「ははっ、全く君は少し真面目すぎるぞ。私は何ともないし、施設の修理は新人討伐者共からふんだくればいい。何の問題もない」
イズミは、オウダの言葉を聞くと感心したような表情をしつつ頭を下げた。
「ありがとうございます。流石、オウダ監督官ですね。その寛容さ、私も見習わせて頂きます」
「はははは、いい心掛けだ。まぁ、君は見所のある青年だ。精進したまえ」
実に気持ちよさそうに笑い声を上げるオウダ。イズミは再び礼を言いつつ、その視線をリオ達に向けた。
「オウダ監督。新人討伐者達を確実に追い詰める為にも、解体作業をした二人に事情説明をさせたいのですが、しばらく貸して頂けますか?」
「ん? ……あぁ、こいつらか。ふんっ、反抗的でクソの役にも立たん害虫共でよければすきにしろ」
「ありがとうございます。一段落つきましたお返ししますので」
律儀に答えるイズミに、オウダは鷹揚に頷くとズカズカと派手に足音を鳴らしながら担当の現場へと戻っていった。
それを見送った後、イズミは視線をリオ達に戻す。何となく、助け舟を出されたのだと感じたリオは、イズミに礼を述べようとした。
「あの、イズミ監督官。そのさっきは――」
「君達は、もう少し自分の立場を弁えた方がいい」
リオの言葉を遮って放たれた言葉。それはオウダと同じ言葉。されど込められた意味は異なるようだとリオ達は感じた。イズミの表情に、侮蔑や見下しの表情が見受けられなかったからだ。
なので、その言葉を忠告と受け取ったリオは、助けられたことは事実なので素直に頭を下げた。
「はい。すみませんでした。それと、ありがとうございました」
ダイキも同じように礼を述べる。
そんな二人を見て、イズミはまた形容し難い表情を浮かべる。
「貧民区の人間に対して、補充の効く工場の歯車であるという認識が持たれているのは事実だよ。だけど、その数は決して無限ではないんだ。労働力を無闇に失わせるようなことは、そのまま自分達の首を締めることに繋がる。まして、それが比較的優秀な労働者なら、尚更。私はただ、この仙台エリアの危険度が上がることを阻止しただけだ」
どうやら、先程のオウダに対する態度は演技らしい。オウダによって二人の労働者が意味なく減ることを避ける為に、オウダを誘導したようだ。見た目二十代前半と、むしろダイキよりも若く見える青年は腹芸も使いこなすことの出来る人間らしい。
「……君達のことは知っている。度々、騒動を起こしているようだね。大抵は他の労働者を監督官から庇って、というのが理由のようだけれど」
「えっと、それは……」
何が言いたいのかよく分からないリオは、困惑したように眉を八の字にした。隣ではダイキも同じような表情を浮かべている。
そんな二人の困惑をさくっと無視して、イズミは言葉を続けた。
「自分達も余裕がないだろうに、怪我までして身内でもない他者の為に……いったい、何が君達をそうまで駆り立てるんだい? その果てに、いったい何がある? いったい、その瞳はどんな未来を映しているんだ?」
既に独白となっているイズミの言葉。リオ達の困惑はますます深まる。
「あ、あのっ。イズミ監督官!」
「ッ。……今のは忘れてくれ。とにかく、君はもう少し本音と建前を使い分けられるようになった方がいい」
「は、はぁ……」
リオの強い呼びかけにハッと我を取り戻したイズミは、気を取り直すように頭を振ると、リオとダイキにとって驚くべきことを伝えた。
「それと、リオ。君には明日一日、休みを与える」
「や、休み、ですか?」
「その死人のような顔色で仕事などできないだろう。その腕も、ヒビくらいは入っているんじゃないかい? 今日、明日は熱が出る可能性が高い。ふらふらのまま現場に出られても作業効率が悪くなるだけだよ。事情説明や現場検証には、そちらのダイキだけで十分だしね」
「あ、ありがとうございます」
イズミは一つ頷くと、散らかったワンコの部品だけ纏めて今日は帰宅していいと伝え踵を返した。
その後ろ姿を見ながら、リオが呟く。
「なんていうか……変わった人だよな。あの人」
「そうだな。まぁ、お前程じゃないが」
その返しにムッとしながら視線を転じれば、そこにはリオ以上に不機嫌そうな表情のダイキがいた。
「リオ。もう少し自重しろ。今回はやばかったぞ」
「うっ。それは、その、悪い。家の奴等を家畜呼ばわりされて、つい」
流石に、頭に来たからといってあの態度はなかったと反省の色を見せるリオ。精神が未熟と言われれば全く反論ができない。まして、それで大切な家族にして親友を巻き込んでいれば世話がない。
「はぁ、しくじった。もっと上手く立ち回らなきゃなぁ」
「まぁ、今回は俺もミスったから説教しにくいんだけどな。代わりに家でしっかり絞られろ」
「うぅ、そうだった。最大の難関は家にいるんだった。ダイキ、いざというときは援護を頼む」
「無理だ」
「即答!? 諦めるなよ、親友だろう?」
「親友にも限界はあるんだ。昨日の今日で同じ場所に怪我……お手上げだ」
「……」
ガクリと肩を落とすリオに、ダイキは笑いを噛み殺しながら慰めるように肩をポンポンと叩いた。
「それより、灰色世界を使ったんだろう? 動けるか?」
「ああ、それはまだ何とか。数秒程度だしな」
ダイキの確認にリオは自分の体の状態を確かめながら頷く。
灰色世界は、リオに驚異的な知覚能力を与えてくれる代わりに代償もある。それは、まるで生命力を抜き出したかのような酷い倦怠感に襲われるというものだ。数秒程度なら動けないほどではないが、長く使えば使うほど反動を受ける。
また、リオ自身が高速で動いているわけではないものの、反応速度に応じた急激な緩急のある動作により体にも相当な負担がかかる。筋肉痛になったり、筋や関節を痛めたりするのだ。
どうやら今回はまだ余裕があるようなので、ダイキはホッと胸を撫で下ろした。
そんなダイキを横目に、リオは腕の応急処置をしながら帰宅後に待っているであろう説教に溜息を吐くのだった。
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