第3話 反抗的な少年
茹だるような熱気とオイル臭が容赦なく気力を削り取っていく中、多くの人間が黙々と作業を進めていた。
あちこちからゴゥンゴゥンと機械の作動する音や、ガンガンと金属同士が叩きつけられる音、熱せられた金属が水に浸けられてジュワーと蒸発する音などが休みなく響いている。
俯瞰して見れば、そこが大きな生産工場だということが分かる。
熱気は赤々と燃える大きな溶鉱炉から放たれるものであり、作動している機械類は金属を加工するためものだ。どれもこれも年季の入った今にも壊れそうな機械ばかりで、充満するオイル臭は、製品につけられたものというより、古めかしい彼等への食料というのが実態のようだ。
そこで働いている者達は、誰も彼もボロを纏ったような見窄らしい服装であり、お揃いの作業服などというものとは縁遠い様子。しかも、大抵は酷く疲れきったような表情をしており、体そのものも痩せぎすな者が多いようだった。
油と汗に塗れ、ボロボロの服を纏い、幾日も体など洗っていないかのように髪もボサボサ。
それだけで、この工場の労働環境が極めて劣悪であるということが分かる。
対して、通路の両側で機械に向き合いながらずらりと並んだ彼等労働者の間を、カツカツと足音を鳴らしながら悠然と歩むヘルメットの男は、一見して分かるほどに身なりが良かった。
熱気によって汗は掻いているものの、清潔感のある衣服を身に纏い、髪もきっちりと撫で付けられている。腰には太く硬質な警棒らしきものと、黒光りするL字型の金属塊――ハンドガンが収められており、その物々しさに目を瞑れば、彼が、労働者達を監督する立場であることがよく分かった。
作業の手を止めている奴がいれば、即座にぶっ叩いてやる! と言わんばかりの、ねっとりとした視線で周囲を睥睨しながら歩を進め、やがて、別の作業通路へと消えていった。
それを見届けて、一人の大柄な青年が隣で金属の塊をプレス機にかけている年の近そうな少年に、そっと囁くように声をかけた。
「……リオ、平気か?」
「ん? 何だ、まだ気にしてたのかよ。それなら大丈夫だって言っただろう。ダイキ」
少し癖のある黒髪に意志の強さを伺わせる茶色の瞳、まだ幼さを残す純日本人顔のリオと呼ばれた少年は、苦笑いしながら答えた。
声をかけた方――ダイキと呼ばれた青年は、それでもどこか心配そうに眉を八の字にしている。
ダイキが、この工場の労働者としては珍しく身長百九十センチメートルと大柄なのに対して、リオの身長は百七十センチメートルと少し。しかも、ダイキの顔は十九歳という若さに反して随分と渋く、横幅がないのでひょろ長い印象は受けるものの、汗で張りつた服越しに分かる引き締まった筋肉質な肉体と、ツンツンに逆立った黒髪から、普通に見れば割と恐い。
二人は、共に両親を早くに亡くし、同じ孤児院で幼少の頃から共に生きてきた間柄なのだが、ダイキがそんな風に眉の端を下げると、強面が途端に愛嬌のある面に思えてしまうのは、やはり血の繋がりはないとは言え家族だからだろうか。
そんなことを思いながら、見た目に反して繊細で心配性な年上の家族に、リオはニッと笑みを浮かべながら、殊更声を潜ませて口を開いた。
「……本当に大丈夫だって。ほら、アイリにしてもらったから」
「あぁ、そうか。それならいいが……無理はするな。リオに何かあれば、誰よりも、そのアイリが悲しむ」
「もちろん。分かってるさ」
肩を竦めるリオ。それがただの言葉だけでないのは、その表情に浮かぶ慈しみの感情が証明していた。
リオの年齢は十六歳。ダイキより三つ下だ。
しかし、割と感情を剥き出しにし、無茶無鉄砲な面を見せる子供っぽい普段と異なり、時々ふわりと浮かぶ優しさと慈愛に溢れた表情が、その年齢にそぐわない“大人”を感じさせる為、ダイキとしては弟と言うより、親友としての感覚が強かった。
リオがダイキと年齢差を感じさせない口調で話しているのも、二人の間にある空気から自然とそうなった結果である。
「おい! そこ! 何をしているっ」
「やばっ」
突如響いた怒声。どうやら、監督官にリオとダイキの私語が見つかってしまったようだ。話している間も作業の手は止めていなかった二人だが、慌てて姿勢を正す。
しかし、監督官はそれで済ますつもりはないようで、ズカズカと大きく足音を鳴らしながら二人の元までやって来てしまった。
「……チッ。また、貴様等か。どうやら、本当に自分の立場というものが分かっていないらしいな。外人共の分際で」
「――っ」
監督官は、リオとダイキの二人を見ると、途端、不機嫌そうに顔を歪めながら、リオの胸倉を掴み上げた。リオが息を詰まらせる。
少し話していただけにしては少々過激な言動に見えるが、それには理由があった。実をいうと、リオとダイキ――特にリオは、この工場で度々問題を起こす問題児として、監督官達から睨まれているのである。
と言っても、サボリの常習犯だとか、物品を横領しているとか、あるいは同僚達と争いが絶えないとかそういう理由ではない、単に、二人が、他の労働者のように媚びへつらうことがないということと、自分達の教育(という名の横暴)から他の労働者を度々庇うからである。
要は、従順さが足りないということだ。現に今も、胸ぐらを掴まれながら、リオの瞳には監督官の暴言と暴力に対する反抗の意思が隠し様もなく浮かんでいる。
「生ゴミに劣る薄汚い外人を、いったい誰が生かしてやっていると思っている? 貴様等の代わりなど吐いて捨てるほどいるんだぞっ。だというのに、昨日の今日で……余程、溶鉱炉の燃料になりたいらしいな」
「――ぐっ」
ガツンと背後の作業台に叩きつけられたリオから呻き声が上がる。更に、リオの顔面を殴ろうと腕を振り上げた監督官だったが、押し殺したような制止の声がそれを止めた。
「すみません。どうか、それくらいで。リオは、昨日のことで怪我をしていまして……。作業効率が悪くなってはと……それで、具合を聞いていたんです」
「あぁ? 怪我だと……」
監督官は訝しげに眉をしかめ、思い当たることがあったのか「ふん」と鼻を鳴らした。そして、何事もなかったようにリオを殴りつけた。ボグッと肉を叩く鈍い音が響き、リオの唇の端が切れる。
ダイキが「監督官っ、どうかそれぐらいでっ」と更に執り成しの言葉を発しながら深々と頭を下げる。その際、ダイキはリオと監督官の間にやや体を割り込ませたので、巨体の急接近に思わず仰け反る監督官。
そのまま、再び「ふんっ」と鼻を鳴らすとリオから手を離した。自分より遥かに身長の高い男が必死に頭を下げる様子を見て、ダイキの目論見通り監督官は溜飲を下げたようだ。
雰囲気の変化からそれを察し、内心でホッと胸を撫で下ろすダイキだったが、頭を下げた状態でチラリと背後を確認すれば、リオが理不尽に対する反抗の眼差しを向けているのが見えた。本人にそのつもりはないのかもしれないが、炯々と光る瞳が全てを物語っている。
「リオっ。お前も頭を下げろ!」
「っ――」
ダイキは、リオの頭を片手で上から押さえ付けるようにして強制的に下げさせた。
そんな二人の様子に、おそらく癖なのだろう――監督官は三度「ふん」と鼻を鳴らした。どうやらリオの反抗的な態度が伝わってしまったらしい。一度は鎮りかけた不機嫌ゲージがグングンと高まっていることが手に取るように分かる。
それはきっと、ダイキの言う「昨日のこと」も相まっているのだろう。
その昨日に何があったのか。
複雑なことではない。今までにも何度かあった監督官の横暴から、リオが同僚を庇ったという、それだけの話だ。
作業中に部品の一部を落とした少年を、監督官が警棒で打擲していたのだが、何か鬱憤でも溜まっていたのか明らかにやりすぎだったのだ。このままでは、少年の身が本気で危ないと判断したリオは、咄嗟に少年を庇い、どうかこれ以上はと懇願した。
他の監督官も集まってきて騒ぎが大きくなったこともあって暴行を止めた監督官だったが、懇願しながらも非難的で、かつ反抗的な眼差しを向けてきたリオを、最後に思いっきり打ち据えたのだ。その際、咄嗟に腕で防御行動を取ったリオの腕は骨にヒビを入れられてしまったのである。
もっとも、その怪我も、とある特殊な事情からほぼ完治していたりするのだが……
そうとは知らない監督官は、嫌らしい笑みを浮かべながらリオが薄汚れた包帯を巻いている右腕に視線を向けた。嗜虐心を満たしたいという下衆な思いが滲み出た醜い笑みだ。
リオは、度の過ぎた〝懲罰〟で死なないためにも、ある程度は殴らせて満足させるしかないかと覚悟を決めつつ、内心で滾る理不尽な仕打ちへの憤りを瞳に乗せた。その眼差しこそが、監督官を苛立たせ、暴行をエスカレートさせている要因の一つなのだが……
たとえそうと分かっていても、リオの中の奥深くが、監督官の横暴を許すなと叫んでしまうのだ。たとえ、今までにも陰湿なものから直接的な暴行まで様々な仕打ちを受けていても、たとえ、恭順を示すことこそが利口な方法だと分かっていても、心が深奥の意思を叫んでしまうのだ。
リオの眼光に、更に苛立ちを募らせた監督官は、負傷しているように見えるリオの右腕を標的に手を伸ばした。怪我の部分を嬲って悲鳴の一つでも上げさせたいと考えていることが丸分かりの表情だ。
と、監督官の手がリオに腕に触れる寸前、にわかに出入り口の方が騒がしくなった。
監督官は訝しそうに眉根を寄せて視線を転じた。リオ達も釣られて視線を逸らす。すると、出入り口の方から若いが監督官と同じく身なりのいい青年が駆け寄ってくる姿が見えた。
「オウダ監督官。お忙しいところ申し訳ありません」
「イズミか。いったい何事だ? 外が騒がしいようだが……」
イズミと呼ばれた青年は、一瞬、リオ達に視線を向けて眉をしかめた。しかし、次の瞬間には視線を戻して苦い表情になりながら事情説明を始めた。
「それが、討伐者達が“直込み”してきまして……」
「あぁ? 直込みだぁ? そんなもんさっさと追い出せばいいだろうが」
青年の言う【討伐者】とは、人類を脅かす天敵――グリムリーパーを討伐することを生業としている者達のことだ。
通常、討伐者達は、グリムリーパーを討伐した場合、そのボディを解体して使えそうなパーツや内蔵された銃火器類を取り出し、【交易死場】で売却することで日々の糧を得ている。
【交易死場】とは、討伐品の他、食料、武器弾薬など様々なものが物々交換や金銭売買されている市場をいう。グリムリーパーのパーツが運ばれてくる場所であり、人身売買も公然と行われていて、また都市間の輸送でもよく死者が出たりすることから、誰かがふざけて落書きした“死場”という言葉がそのまま定着した呼び名だ。
本来、グリムリーパーのパーツ類は、この死場に卸すことになる。もちろん、個人間の取引は自由だ。だが、討伐品や採掘された金属類から武器類を生産する【生産工場】に直接持ち込み、売買交渉することは暗黙了解で禁じられている。
というのも、グリムリーパーに対抗する為の武器弾薬類の生産は決して滞ってはならない人類の生命線と同義であり、金額交渉などで揉められて邪魔になっては困るからだ。
実際、【生産工場】と討伐者達の間でのトラブルが絶えず、交渉窓口と折り合いがつかなければ個人的な繋がりを利用して色々誤魔化したりするなど、【生産工場】運営陣の腐敗が進み、生産効率が落ちるという事態に陥って、その隙をグリムリーパーに突かれて滅びた都市もあるのだ。
そんなわけで、誰もが認める無法時代であっても、暗黙の了解として【生産工場】への討伐品の直接の持ち込み――【直込み】は禁止されているのである。
だが、その辺の事情というものを甘く見ているというか、余裕がなくて自分達の利益のこと以外目がいっていないというか、そういう傾向のある新人討伐者などの中には暗黙のルールを無視して【直込み】をしてくる者が多々いるのだ。【交易死場】で売るより、高く買ってくれるかもしれないと判断して。
通常、【生産工場】側も、余程の阿呆でもいない限り【直込み】には門前払いで対応しているのだが……
「そうなんですが、あいつら、依頼を受けていて約束の時間に遅れそうだからと現物を置いていってしまったんですよ。査定させて、後で金を取りに来るつもりなんですかね。こっちの話も聞かずに、さっさと行ってしまって」
「なんだそりゃ。ったく、どうせ右も左も分かってない新人共だろう」
「ええ。どう見ても新人でしたね。大方、初依頼に浮かれて~ってところですかね」
溜息を吐くイズミ青年に、同調するようにオウダと呼ばれた監督官も舌打ちをした。イズミは、気を取り直したように視線をオウダに戻すと、ここにやって来た理由を話し始めた。
「それでですね、よりによってあいつら、全く解体せずに持ってきまして……」
「おいおい……解体は討伐者の基本だろうが」
「まぁ、そうなんですが……とにかく、このまま搬入口に放置されたんじゃ邪魔でしょうがないんで、こっちで解体してしまおうと思いまして。もちろん、解体した後は、あいつらが何と言おうと、こちらの物ということにしますが」
「なるほど。解体に人手を回してくれってことか」
「はい。何人か頼めますか? 持ち込まれたのはワンコが八機です」
青年の頼みを受けて、オウダは少し考えるような様子を見せた。そして、再びその視線をリオの右腕に向けた。
二人の会話をそれとなく聞いていたリオとダイキは、オウダの表情が嫌らしく歪むのを見て、次に繰り出される言葉が容易に想像できた。
「おい、お前等。お前等が解体してこい。三十分以内だ。一秒でも遅れたら今日の支給はないものと思え」
「……三十分以内、ですか?」
「あぁ? 何か文句でもあるのか? それでさっき身の程を弁えない不遜な態度をチャラにしてやろうというんだ。むしろ、お前等の中は感謝の念で一杯だろう? 違うか? うん?」
「……いえ、違いません。ありがとうございます」
「ふん。さっさと行け」
通常、グリムリーパーの解体は、小型の物を慣れた者が行ったとしても、一機で十分から二十分程かかる。リオとダイキが二人がかりで、それも最速で出来たとしても間に合わないリミットだ。しかも、リオは現在、利き腕を怪我している、ということになっている。
つまり、オウダは、先のリオの反抗的な態度への意趣返しとして、今日の支給――僅かな賃金か状態の悪い食料――を払わない気なのだ。もっとも、やろうと思えば、どんな理由でもでっち上げて支給しないようにすることは出来るだろうから、無闇にタイムアタックさせて弄んでやろうという趣向なのだろう。
この荒廃した世界では、持てる者と持てない者の格差が絶望的なまでに大きい。リオ達のいる立場は持てない側。それはほとんど奴隷と変わらない虐げられることを良しとせざるを得ない立場なのだ。労働力として徴用の声がかかった時点で、その立場は決定しているのである。
故に、リオとダイキは、オウダの横暴に従うしかない。、従った上で、全力を出さねばならない。兄弟姉妹が飢えない為にも、例え雀の涙の如き給料でも手に入れないという選択肢はないのだ。
険しい表情で頷くリオとダイキの様子に、オウダは満足そうな笑みを浮かべつつ、巡回に戻っていった。
「……」
イズミは、オウダの背を見送りつつ、再び、リオに何とも言えない視線を向けた。それは、呆れているような、逆に感心しているような、あるいはどちらでもなく、ただ、珍妙な生き物を見るような、本当に表現し難い眼差しだった。
しかし、それもほんの僅かな間のこと。イズミは直ぐに表情を戻すと、二人に「よろしく」とだけ言い残して立ち去って行った。
「なんなんだ?」
「……さぁな」
自分達に向ける眼差しといい、奴隷同然の工場労働者に「よろしく」などと言葉を向けることといい、雰囲気や普段の言動からして少なくともリオ達に対する蔑みや見下しの感情を感じないことといい、イズミ青年は上の立場にありながらどうも毛色が違うと、顔を見合わせながらリオとダイキは首を傾げた。
周囲の同僚達が、僅かに気の毒そうな眼差しをリオとダイキに向けている中、二人は気を取り直すとグッと腹に力を入れた。
「……さて、やるしかないな」
「そうだな」
リオの表情が、オウダに見せていた反抗的なものから挑戦的なものに変わる。それに釣られるように、ダイキも薄らと笑みを浮かべた。二人共、今日の支給を微塵も諦めてはいないのだ。
そうして二人は互いに笑みを向け合うと、グリムリーパーが放置されているという搬入口へ猛然と駆けていった。
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生産品の搬入口には、灰色の金属で形作られた狼が無造作に打ち捨てられていた。四肢や体の一部を欠損させていたり、フレームが歪んだり、穴が空いたりしている。銃火器による攻撃を受けて機能停止した狼型のグリムリーパーだ。
グリムリーパーには、様々な種類がいる。それは模した動物の違いの他に強さによっても分類される。
例えば、今、リオ達の眼前にある狼型グリムリーパーは、【対人級】に分類されるもので、完全武装であれば個人で討伐可能とされるレベルだ。もちろん、個人の技量によっては、逆に狩られるわけだが、一年も討伐者として生き残った者なら基本的に誰でも討伐できる。
【対人級】の上にいるのが【対団級】だ。これは完全武装の部隊(最低でも五人以上)がきちんと機能して相対した場合に討伐可能とされるレベルをいう。時折、個人で討伐してくる猛者もいたりするが、基本、自殺行為である。最も身近な脅威と言っていいだろう。
【対団級】の上位に位置するのが【対都市級】だ。完全武装、かつ都市の総戦力で当たって初めて討伐できるかもしれないというレベルである。数は極めて少なく、滅多なことではエンカウントしない。現在確認されているのも三種類だけだ。
この【都市級】が現れた場合、この荒廃した世界に軍などありはしないことから、基本、都市の滅亡とイコールで考えられる。個人主義、頑張っても部隊主義の討伐者達に協調性など期待できないのだ。この世界では、どいつもこいつも基本的に利己主義なのである。
そして、この【都市級】の更に上に【神話級】という位階がある。かつての終末戦争――その引き金を引いたパトリック・ゴールドバーグが率いた最強最悪の怪物。聖書に書かれた終末の神獣。それぞれ大地、空、海を支配する暴虐の化身。
この【神話級】は【都市級】よりも更に出現率が低い。少なくともここ数十年は誰も見ていない。だが、一度、この三機の怪物が一機でも顕現すれば、どれだけの戦力があろうと人による討伐は不可能とされている。文字通り、絶対の死をもたらす死神なのだ。
「ダイキ。今晩の飯、一品賭けて勝負といかないか?」
グリムリーパーとしては最弱部類に入る狼型グリムリーパー“グリムウルフ”――皮肉と嘲笑を込めて“ワンコ”と呼ばれる八機の残骸を見ながら、リオがダイキに不敵な笑みを向ける。
「明日、腹が減っても仕事が出来るというなら、受けてやろう」
返すダイキもまた不敵。
一拍。睨み合い。
二人は、跳ねるようにワンコの残骸に飛び掛った。
解体手順は確立されている。とは言え、二人の解体速度は目を見張るもの。それぞれ四体ずつ引き受けて、どちらが先に解体し終えるかというタイムアタックの勝負なのだが……
まるでワンコの生産過程を記録した映像を巻き戻しでもしているかのような解体速度に、もし、この場にベテラン討伐者がいたのなら思わず呻き声の一つでも上げたかもしれない。そして、きっと低賃金ではあるだろうが解体専門で雇用を持ちかけたことだろう。
みるみるうちにただの細かな金属塊に変わり果てていくワンコ達。起動していれば、背中から飛び出すライフルや、口内に組み込まれた銃身とスラッグ弾が割と破損の少ない状態で取り出されていく。駆動回りや装甲も大切なリサイクル資源だ。これが全て、人類が死神と戦う武器に変わる。
ちなみに、頭部に組み込まれたCPU関係や放射線・放射性物質を取り込む動力炉は不用品だ。
この辺りは、終末戦争後の悲惨とも言える混乱によって技術者達が絶えてしまったことや、百年以上の年月により多くの資料が遺失したことから、元々ブラックボックス的な要素の多かったグリムリーパーの中枢部分を扱える者がいなくなってしまったことが原因である。
つまり、討伐したグリムリーパーの設定を変更したり、新たに作り出したりして従えるということは現状、不可能となっているのだ。
ちなみに、グリムリーパーや過去のハイテク関係の資料は【旧世界の遺産】、あるいは単に【遺産】と呼ばれており、一部の好事家や研究者に高値で買われたりする。
なので、CPUや動力炉は基本廃棄だ。尚、動力炉は放射線や放射性物質を取り込んだ後、起動エネルギーに変換して無害な物質になるので、例え破壊しても周囲が汚染されるということはない。その為、ベテラン討伐者などはグリムリーパーの心臓と言える動力炉の破壊を優先するのが常だ。状態のいい方が当然高値で買い取って貰えるからである。
「なぁ、ダイキ。お前、解体しやすそうなやつばっかり選んでないか?」
「その選別と確保も勝負の内だろう?」
「にゃろう……」
僅か十分と少しで二機ずつ解体し終えてしまった二人。周囲には綺麗に分類されたパーツ類が整然と並べられている。
軽口を叩き合いながらも、三機目のワンコ解体に取り掛かるリオとダイキ。
「ん?」
と、その時、リオは視界の端で何かが動いたような気がして思わず手を止めた。ダイキは背を向けているのでリオの様子には気がついていない。
リオの視線の先、そこには四機目のワンコがいる。
何となく嫌な予感がするリオ。ゾワゾワと首筋が粟立つ感覚。
予感に駆られて咄嗟にリオが叫んだのと、それが起きたのは同時だった。
「ダイキッ! 下がれっ!」
「ッ――」
ダイキが息を呑みつつも、振り返ることなく地面を転がるようにその場を離脱する。それは、義理の兄弟であり、親友でもあるリオの言葉だからこそ出来た素晴らしき反応。
それが、結果的にダイキの命を救った。
ズドンッ
と、轟音を響かせて、機能停止していたはずのグリムリーパーの口内からスラッグ弾が放たれたのである。
ダイキが一瞬前までいた空間を切り裂いて飛び出した死の塊は、そのまま搬入口の壁に突き刺さり盛大に瓦礫を撒き散らした。更なる破壊の轟音が周囲へと伝播する。
一瞬でやって来た戦場の風。
この世界に、本当の意味で安全な場所など存在しない。たとえ、都市の中であっても、だ。その事実をまざまざと見せつけるかのように、光を失って白かった眼球に鮮血の如き緋色を灯した狼型グリムリーパーが、ゆっくりと起動を再開した。
ギィイイイイイッ
独特の作動音が響き渡る。右前足と胴体を酷く破損していることから戦闘力はガタ落ちだろうが、機械故に痛みを感じない為、起きるだけなら支障はないらしい。
「くそっ、生死の確認は基本だろうがっ」
どうやら、新人討伐者達は仕留め損なっていたようだ。最低最悪の失態である。
リオは、盛大に悪態を吐きながら、手に持った解体用の電動ドリルをギリリと握り締める。そして、起き上がったばかりのダイキに口内の銃口を向けるグリムリーパーに向かって飛び掛った。
「リオっ」
「ダイキッ! 射線から出ろ!」
叫ぶダイキに更に叫び返しながら、リオは狼の背に組み付く。前足を破損していればバランスを崩せると考えたのだ。
その目論見は成功した。リオの体重を受けて再び横倒しになったグリムリーパー。
リオはチャンスとばかりに、破損口にドリルをツッコミ、動力炉を狙って最大威力で回転させた。ギィイイイイイと鳴き声とは似て非なる硬質な音を響かせながら、死神の心臓を守る装甲が回転杭の侵入を許していく。
だが、吸血鬼を滅する白木の杭の如く、とはいかなかった。
グリムリーパーが地面に向かってスラッグ弾を放ったのだ。
「ぐぁ!?」
直近で発生した爆音と衝撃に悲鳴を上げて吹き飛ばされるリオ。
ゴロゴロと転がり、衝撃で飛んできた地面の破片に頬を裂かれながらも素早く立ち上がる。
しかし、
「ぁ」
その時には既に、死神の鎌が首筋に添えられていた。たった二メートル程度、目と鼻の先でグリムリーパーが、その顎門を開いていたのだ。仄暗い銃口が完全にリオを捉えている。
遠くでダイキが何かを叫んでいる。搬入口や他の建物から何事かと顔を覗かせた者達が驚愕に目を見開いている。
小さく声を漏らしたリオ。
その視線の先で、死をもたらす鉄塊が無慈悲に放たれた。
お読みいただきありがとうございました。
次話の更新は、明日の18時の予定です。