第23話 北区の壊滅と黄金蜘蛛
「ちくしょうめっ、ついてないにも程があるってのぇのっ」
戦場に木霊する阿鼻叫喚と火薬の炸裂音の狭間に、そんな悪態は吐き出された。
声の主は、額に特徴的な傷を持つ中年一歩手前くらいの男――討伐部隊“黄金蜘蛛”のリーダー、サカキだ。
サカキは手元のグレネードランチャー付きアサルトライフルを流麗な手つきで操作すると、先程撃ち放ったばかりのグレネード弾を再装填した。
そして、目前に迫る大量の狼型グリムリーパー〝グリムウルフ〟――通称“ワンコ”の群れの一角に向かって引き金を引いた。同時に、彼の周囲にいた部下達が完璧なタイミングで同じくグレネード弾を撃ち放った。
バシュと、ある意味戦場には似つかわしくない間抜けな音を響かせて飛び出した死の風は、群れなすワンコを取り囲むように着弾し、その衝撃を余すことなく全体へと伝える。凄まじい轟音が爆炎と共に荒れ狂った。
「リーダーっ、マジやべぇって! 大喰らいが目視できてんですけど!? もうすぐそこなんですけど! 俺は喰うのが専門なんだっ。食われんのは勘弁だぜ!」
「カイト先輩! こんな時に何いってんッスか! 絶体絶命って状況の時くらい、女のことは忘れて下さいッス!」
サカキの後ろで、膝立ちしながらライフル弾をばら撒く軽薄そうな二十代前半くらいの茶髪の男が大声で下品なことを言えば、その隣りで同じくライフル弾をセミオートで撃ち放っていた坊主頭の実直そうな青年がツッコミをいれた。
と、その時、二人の頭の間を掠めるように、刹那の衝撃が駆け抜ける。
それは一発の弾丸。
表情を硬直させたカイトと呼ばれた男と、坊主頭の青年――テツの視線の先で、グレネードの爆炎から飛び出してきたワンコの目が撃ち砕かれた。
『……あんまりふざけてると不幸な事故が起きるかも』
「っ、お、俺は真面目だぜ! いつだってな!」
「お、俺も真面目ッスよ、ヒビキさん!」
耳につけた無線機から流れる無機質な、されど美しいとも感じる女の声音。彼女の名はヒビキ。【黄金蜘蛛】の狙撃手だ。今も、数百メートル離れた廃ビルのどこからサカキ達を援護すべく弾丸を死と共に送り込んでいる。
「おいおい、ヒビキ。この状況で仲間を減らすようなことは勘弁してくれよ?」
『……冗談。半分は』
「うん。後で“仲間とはなんぞや”ってことについてゆっくり話し合おうな。それより、ソウシ達の方はどうなってるよ? こっちは正直限界だ。大喰らいの前に死神の群れに呑まれちまうよ」
『……“骸骨”と“轢き逃げ屋”が回り込んだみたい。貧民達のパニックもあって退路を確保するには未だ時間がかかる』
「チッ、ますますついてねぇ。こりゃあ、イチかバチか強行突破するしかねぇか」
『自業自得。リーダーも、それに従った私達も』
「手厳しいねぇ。ま、その通りだわな。ヒーローなんて気取るんじゃなかったぜ」
ヒビキの言葉に苦笑いしながらサカキはハンドシグナルを仲間へ送る。カイトやテツは勿論のこと、他の【黄金蜘蛛】のメンバーも銃撃を続けながらジリジリと後退を始めた。
その動きはまるで一糸乱れぬ集団行動を見せる鳥類の如く。弾倉が尽きるタイミングも互いに把握し合っているようで、決して銃撃に間隙を生じさせない。先の一斉グレネードも合わせて、彼等の練度が超一流のそれだと分かる。
彼等【黄金蜘蛛】がいる場所は北貧民区の外れ。まさに、【大喰らい】が進撃してきている方向であり、呼応した【対人級】及び【対団級】グリムリーパーの群れが真っ先に侵攻した場所である。
サカキ達がこの場にいたのは偶然に過ぎない。しかし、【大喰らい】の姿を遠目に発見しながらこんな場所で死神の群れに囲まれ、退路の確保もままならない理由は、確かに自業自得とも言えるものだった。
というのも、サカキ達は早期に【大喰らい】とグリムリーパーの群れを発見したことから、逃げようと思えば直ぐにでも都市を離脱することは出来たのだ。それをしなかったのは、自分達が銃撃戦を繰り広げることで中央に危険の急迫を知らせつつ、グリムリーパーの侵攻を遅らせるため。
そして、“ワンコ”の群れに囲まれ、今にもその凶悪な爪牙に命を刈り取られそうになっている貧民区の子供達を見てしまったため。
これがもし【対団級】の群れだったり、【大喰らい】の到達がもっと差し迫っていたりする状況であったのなら、サカキ達も見て見ぬふりをしただろう。だが、ワンコ十数匹程度なら彼等の敵ではなかったことが、その貧民達にとって幸いであり、サカキ達にとっては苦笑いの原因だった。
そう、彼等は命を風前の灯としていた貧民達を助けたのだ。結果、その銃声によりグリムリーパーを集めてしまった。
サカキ達は何も他人の為に全力を出せるような人柄というわけではない。大きな余力があり、気分的な問題として“助けた方が寝覚めがいい”くらいの気持ちで手を差し伸べることはある。今回も、その程度の気持ちだった。
まさか既に多数の死神が郊外の廃ビルや建物に潜んでおり、まるでチェスの如くタイミングを合わせて一斉攻勢に出るとは思いもしなかった。グリムリーパーはワンコのような群れであることを前提として設計・プログラムされていない限り、基本的に集団行動というものはしないのである。
おかげでサカキ達は、正面からの侵攻を足止めしつつ、退路を確保するため別働隊を先行させなければならなくなった。
グリムリーパーの分布状況が分からない以上退路を探して右往左往するはめになる可能性が高く、そうなればまず間違いなくタイムオーバーとなって【大喰らい】に呑み込まれるからだ。また、完全に包囲されたりすることだけは避けなければならなかったのだ。
「ったく。三十年前の襲撃じゃあ、他のグリムリーパーが呼応するなんてなかったはずなんだがなぁ。こりゃあ、【大喰らい】の新スキルって可能性が高けぇなぁ」
サカキは、後方からの不意打ちを避けるために即席のバリケード代わりにしていた装甲車へ後ろ歩きの状態でにじり寄りながらぼやく。
【大喰らい】は直径十五センチメートル程度のバッタ型グリムリーパーが、数万という数で集合して一体の【対都市級】となったグリムリーパーだ。ならば、本体から離れた個体が周囲のグリムリーパーと同期するなどといった能力があっても不思議ではない。
事実、これまでサカキ達が倒した【対人級】【対団級】のグリムリーパーの影には【大喰らい】の個体が張り付いているのは何度か目撃したので、この推測は間違ってはいないだろう。
サカキからいつもの飄々とした雰囲気が薄れ、次第に険しさと冷や汗が顔にあらわれ始めた。
目前に迫るグリムリーパーの群れを、類まれな連携と熟練の射撃技術で的確に排除しつつも、遂には暗雲の如く太陽の光を遮り、仙台エリアへ影を落とし始めるほど迫ってきた【大喰らい】の黒いモヤに視線を向け焦りを隠せなくなってきている。
と、その時、待望の声が無線機のザーザーという音の狭間から響いてきた。
『リーダー、まだ生きてます?』
「っ、ソウシ! 退路はっ?」
『切羽詰まってますね。もち、確保しましたよ。そのまま南下して下さい。地下道使って西へ抜けます』
「地下ってお前、挟撃されたら……いや、【大喰らい】に空から襲われるよりましか」
『そういうことです。……急いでください。もう、本当に時間がない』
「わーてら。すぐに行く。そっちも気ぃ抜くんじゃねぇぞ」
『了解』
サカキは通信を切る。仲間からの退路確保の知らせは既に全員に伝わっており、全員がグレネードの装填を終えていた。装甲車に乗り込む時間を稼ぐためだ。
「てめぇらこっからが正念場だっ。さぁ、気合入れろ! ケツまくって逃げ出すぞぉ!」
「「「「了解っ」」」」
サカキの号令に従い、一斉にグレネード弾が発射される。
取り囲もうと散開しながら迫っていたグリムリーパー達は、爆炎と衝撃の壁に足止めを余儀なくされた。更に、この時のために設置しておいた爆弾が一斉に爆破されてグリムリーパー達の重量級の鋼鉄ボディを盛大に吹き飛ばし強制的に距離を取らせる。
その隙に装甲車へと乗り込んだサカキ達は、地面を抉る勢いで車輪を高速回転させ、ドリフトしながら方向転換し脱兎の如く逃走を開始した。
後方から爆炎を抜け出して追いすがるグリムリーパー達を、窓やルーフ部分から身を乗り出して銃撃し接近を許さない。
もし組み付かれて足止めをされたら、そこでサカキ達の命運は容赦なく絶たれてしまうのだから必死だ。
後方へ向ける視線の先では、いよいよ【大喰らい】が貧民区を呑み込み始めた。次々と消えていく廃墟の群れ。まるで冗談のような光景である。
一キロほど進んだ辺りで、サカキの視界の端に必死に逃げようとしている貧民達の姿が入った。サカキ達が迫るグリムリーパーの相手をしていた分逃げる時間を与えられた者達だが、幼子を抱える母親や必死に子供の手を引く父親の歩みは遅々としている。
突き飛ばされ地面に投げ出される者もいれば、諦めて座り込んでいる者もいた。
そんな中、サカキの目に飛び込んできたのは見覚えのある少女の姿。
先程助けた子供達の一人だ。貧民にしてはやけに力強い眼差しをした十二、三歳くらいの少女で、グリムリーパーを前にして必死に他の子供を庇っていたのがやけに印象的だった。
あるいは、その姿こそがサカキに引き金を引かせた理由なのかもしれない。今も、一人ならもっと速く走って逃げられるだろうに、小さな子供や足を悪くしているらしい老人達を必死に鼓舞しながら寄り添っている。焦燥を浮かべながらも曇りのない眼差しは、一人で逃げ出すつもりがないことを雄弁に物語っていた。
「確か、メイって呼ばれていたっけか……」
サカキ達の装甲車が、少女――メイ達、アキナガの居住区に集う者達を横目に追い抜く。
刹那、メイとサカキの視線がかち合った。それは一瞬にも満たない時間であったし、もしかしたら気のせいかもしれないが……
サカキには、メイが僅かに、困ったように微笑んだ気がした。
理由は分からない。分かるわけがない。けれど、なんとなく、それは先程助けられた感謝と、与えられた生き残るチャンスをものに出来なかったことへ悔しさ、申し訳なさ故のもの、とサカキには思えた。
「すまねぇな、嬢ちゃん。こんな世界だ。それが弱い奴の運命なんだよ」
独りごちるサカキの声は風と爆音に紛れて虚空へと消えていった。
今頃は、サカキ達が抑えきれなかったグリムリーパーの襲撃に中央も大混乱に陥っているだろう。討伐者達が応戦しているだろうが、それ以外の人間は【大喰らい】の威容にパニックを起こしているに違いなく、そんな人混みの中ではまともに戦えるとも思えない。
中央から聞こえてくる銃撃戦の音が散発的なのがいい証拠だ。大抵の討伐者は我先にと逃げ出しただろうし、最大戦力である【小さな巨人】もこの時点で動いていないということは逃げ出したのだろうと推測できる。
つまり、仙台エリアは碌に反撃も逃亡も出来ないまま死神の抱擁を受けて壊滅するのだ。
サカキが諦観したような表情で、きっと直ぐに蹂躙されることになるであろうメイ達が出来るだけ苦しまず逝けるようにと、柄にもなく祈ったそのとき、荒廃世界の残酷な運命は轟音と共に顕現した。
「っ、避けろ!」
「ちくしょうっ」
サイ型グリムリーパー“グリムライノ”――通称“轢き逃げ屋”。体長三メートル程のサイを模した重量級グリムリーパーが、サカキ達が通るタイミングを見図ったように廃ビルを粉砕しながら飛び出してきたのだ。
背後で崩壊していく廃ビルなど一顧だにせず、“轢き逃げ屋”は真っ直ぐに【黄金蜘蛛】の先頭車両へと突進した。頭部についた一角獣の如き鋭いドリル状の角が装甲車の分厚い扉に甲高い金属を響かせながら衝突する。
突進を受けた先頭車両は、まるでピンボールのように吹き飛ぶと側転しながら地面を転がり逆さまのまま扉部分をひしゃげさせて停車した。
「ヤマト! 無事かっ。応答しろ!」
サカキが無線機に向かって焦燥に満ちた声音でがなり立てる。
「リーダーっ、掴まれ!」
運転席のカイトが勢いよくハンドルを切った。車体が遠心力によって滑り、地面へ盛大にタイヤ痕を刻みつける。
車体が横転一歩手前のような状態で横滑りした直後、掠めるようにしてミサイルが火線を引きながら後方へと飛び去った。冷や汗を掻くサカキ達の視線の先、そこに背中からミサイルポッドを露出させたグリムライノの姿があった。
危機一髪、カイトの奇跡的な反応で爆死を回避したサカキ達だったが、グリムライノはまるで闘牛のように足元を掻き鳴らし、口元から蒸気を噴出させている。殺意に激っているかのような朱色に光る眼が獲物であるサカキ達をしっかりと捉えていた。
『ザッ、ザー……リ、リーダー。こちらヤマト。俺達のことはいいから行ってくれ』
緊張が高まる中、吹き飛ばされた装甲車に乗っていた部下の一人、ヤマトの声が無線から響いた。サカキは、グリムライノから目を逸らさずに汗ばむ手で無線機に手をやる。
「馬鹿言ってんじゃないよ。戯言をほざく暇があるなら、さっさと脱出しろ」
『そうしたいのは山々なんだけどな……リュウが足をやられて、ユウマは脳震盪を起こしている。俺とコタロウだけ逃げ出すわけには行かねぇよ』
「それは俺らも一緒だろうが。お前らを置いて――ッ」
サカキの言葉が途中で遮られる。グリムライノが背中のミサイルポッドからミサイルを発射し、同時に突進を始めたからだ。相手の空気など読んでくれるはずもない。
カイトがアクセルをベタ踏みして急発進させる。ケツを振りながら飛び出した装甲車を掠めてミサイルが通り過ぎる。
辛くも二度目の回避に成功するが、グリムライノはまるでそれを読んでいたかのように、角を回転させながら進路方向へ真っ直ぐに突っ込んできた。
「やべぇっ」
カイトが必死にハンドルを回す。屋根から上半身を覗かせて備え付けの機関砲をぶっ放していたテツが何度目から衝撃に苦悶の声を上げ、サカキが車内でシェイクされて悪態を吐く。
それでも、銃口だけは逸らすことなくグリムライノに向けたまま弾丸を送り込むが……流石はあらゆる障害を吹き飛ばし目標を轢殺することが存在意義の死神だ。銃弾を頭部の回転角と硬い装甲で弾きながら些かも勢いを弱まらせることなく急迫した。
刹那、一発の弾丸がグリムライノの踏み出した瞬間の前足を薙ぎ、まるで合気でも使ったかのように横転させることに成功した。
『リーダー、無事?』
「つぅうううっ、ヒビキちゃんよぉ。おいちゃん、思わず惚れそうになったぜ!」
無線から伝わったのはチーム一の狙撃手――ヒビキの声。見れば、道路の奥からオフロードバイクに乗りながら狙撃銃を構える女の姿がある。染めた金髪ストレートの髪をなびかせた二十代前半くらいの切れ長な瞳を持ったクール系美人だ。
サカキは、装甲車から転がり出ると車内に置いてあった大型のロケットランチャーを肩に担ぎながら、横転から立ち直ったグリムライノに向けた。
そして、
「うちの大事な車ちゃんを台無しにしてくれやがって。責任とれや、ボケェ!」
そんなことを言いながら引き金を引いた。飛び出した特大のロケット弾は対グリムリーパー用に改良が施された特殊な弾頭であり【黄金蜘蛛】の切り札とも言える貴重なもの。「また金が飛んでいくぅ」と内心で絶叫するサカキだったが、その分効果は絶大だった。
グリムライノの首元に直撃したロケット弾は、その凄まじい衝撃と熱波を撒き散らしながら爆発すると、その首から先と前足を根こそぎ引き千切り素敵な致命をプレゼントした。
「よっし。お前ら、さっさとヤマト達を回収してずらかるぞっ」
「「「「アイサー」」」」
「皆、急いで」
運転席のカイトとバイクに跨ったまま周囲を警戒するヒビキ以外のメンバーが横転した車両へと集まる。既にヤマトとコタロウは抜け出しており、車内からリュウとユウマを引っ張り出そうとしていた。
と、その時、遠くからまだ幼さを感じる女の悲鳴が聞こえた。
周囲は必死に逃げ惑う貧民達の阿鼻叫喚で埋め尽くされているというのに、サカキの耳にはっきりと聞こえたそれは……紛れもなく先程見捨てたメイのも。耳についたのはきっと、助けたときに言われた彼女のお礼の声音が鮮明だったから。
「リーダー」
「あぁん? わーてんよ。俺達自身、生き残れるかわかんねぇのに他人のことなんて考えてられねぇって」
これが現実だ。理不尽がすぐ隣でニヤニヤと嗤いながら手ぐすね引いている世界なのだ。
視線を切り、装甲車に負傷した仲間を押し入れる。定員オーバーは否めないが仕方ない。そうして、サカキ達も乗り込もうとした直後、
ゴバッァアアアッ
そんな地面の弾ける音と同時に大量の土砂が舞い上がった。
……装甲車と共に。
「ッ、ミミズだっ。散開しろ!」
サカキが散弾の如く飛んできた石を避けるために地面に身を投げ出しながら叫ぶ。
通称“ミミズ”――正式名称は“グリムワーム”。掘削機のような顎門により高速で地中を移動しながら地上の獲物に奇襲をかけてくる恐るべき【対団級】の地中型グリムリーパーだ。
そのグリムワームが装甲車の真下から強襲してきたのである。
「リュウ! ユウマ! 無事か!?」
上半身を地中より露出させたグリムワームが、五段構造の回転する掘削機型顎門を鳴き声のようにギィイイイイイイイッと鳴らす中、サカキは装甲車の中へ先にいれた部下達の安否を確かめる。
「一日に二回も、装甲車でシェイクされるなんて最悪すぎるって」
グリムワームへの銃撃音に紛れて盛大に吹き飛んだ装甲車の方から呻き声にも似た小さな声が聞こえた。どうやら足を骨折していたリュウが生存報告がてら愚痴を吐いたらしい。
その軽口に苦笑いを零すサカキだったが、事態は既に最悪の一言だ。【大喰らい】と無数の魔物が迫る中、サカキ達は足を失ったのだから。
弾薬とて無限ではない。短時間とはいえ、最大火力をもって防衛戦等を繰り広げていた彼等の装備は既に半分を切っていた。排出されていく薬莢や消費されていく弾丸が、まるで死へのカウントダウンのように感じてしまう。
「はは、全く本当についてないぜ。ここまでかよ……」
色濃くなった諦観がサカキ胸中を侵食し始める。幸い、しぶとさには自負のある仲間達は一人も欠けてはいないが、それも時間の問題だろう。手に持ったライフルの硬質な感触や肩に伝わる衝撃が、これ程までに頼りなく感じたことはない。
「リーダーっ。乗って!」
「ヒビキ……」
オフロードバイクをドリフトさせながら横付けしたヒビキが膝立ちで射撃していたサカキに手を差し伸べる。
乗れるのは二人が限界。それはヒビキも分かっている。歯噛みする口元から滴る血が、彼女の選択への覚悟と悔しさを物語っていた。
サカキが視線を転じれば、少し離れた場所でグリムワームへ射撃していたカイトが肩を竦めるのが見えた。何も言わずとも、彼もまたヒビキと同じ選択をしていると分かる。
きっとそれは他の仲間も同じなのだろう。
「いやぁ、うん、そうだな。ついてないなんてこたぁないか。俺はついてる男だ。出来過ぎだぜ。俺の部下共は」
苦笑しながらそう呟いたサカキは、弾倉を入れ替えながらヒビキに視線を転じた。
「ヒビキ。ソウシ達と合流してさっさと逃げろ。そんで、あいつに伝えてくれ。【黄金蜘蛛】の次のリーダーは、お前だってな」
「っ、馬鹿なこと言わないで。殺すわよ」
「物騒だなぁ。だがよぉ、他人は切り捨てられてもアイツ等は無理だ」
「リーダーなら合理的な判断をすべき」
「俺は二流のリーダーだからな。このくらいが限界なのさ。なに、今度はあの世でこいつ等と金儲けするさ。この世のことはソウシやお前に任せた」
そう言って、視線でさっさと行けと伝えてくるサカキにヒビキは歯噛みする。すっかり自分の行く道を決めてしまった自分達のリーダーが、テコでも動く気がないことを理解してしまった。
逡巡するヒビキに、サカキは再度、逃げるように口を開きかける。
だが、死神達はよほど彼等を、人間を、蹂躙し尽くしたいらしい。絶望の底へと叩き落としたいらしい。
ィイイイイイイ、ギィ、
ッガガガガ、ギギギ、イィ
ギギィィィィイイイイ
いつの間にか回り込んでいたらしいグリムウルフやグリムマンティス、更にグリムライノが四方八方から出現したのである。それだけでなく二体目、三体目のグリムワームまで地面を爆ぜさせながら出現した。
グリムワームの一体がサカキとヒビキに向けて頭上より突進してくる。ヒビキはサイドから強襲してきたグリムウルフへの対応で咄嗟に動けない。サカキはヒビキの首根っこを掴みグレネードを放ちながら倒れ込むようにして庇った。
頭部を粉砕されたグリムウルフが錐揉みしながら後方へと流れていき、標的を外したグリムワームが地中へと消えていく。
だが、そこまでだった。
ヒビキと共に倒れ込み死に体を晒すサカキの視線の先に、グリムライノが突進してくる姿が映る。
グレネードは放ってしまった。あの装甲車すら一撃で横転させる突進を止められる火力は手元にはない。……どう考えてもチェックメイトだった。
サカキは、自分達の最期を悟った。
そのとき、不意に、何故か一度しかあったことのない少年の言葉が脳裏に蘇った。不思議な少年だった。ナリは明らかに貧民区の人間なのに、中央の人間より“生きている”と感じた。
その少年の問いかけ。
――貧民区の奇跡を知っているか?
何故、今、こんな時にその言葉が過ぎったのか。分からないが、サカキは自然と皮肉げに口元を歪めながら呟いた。
「知らねぇよ。奇跡なんてもんがあるんなら、今、見せてくれ」
その瞬間だった。
空から伸びた蒼穹の光芒がレーザーの如くグリムライノを貫いたのは。
蒼き光の軌跡――その正体は一本の武骨な大剣だった。それがまるで選ばれし英雄に抜かれるのを待つ伝説の剣の如く、あるいは墓標に立つ十字架の如く、グリムライノの心臓部を串刺しにして地面に突き立ったのである。
「……おぉ?」
余りに非現実的な光景に思わず間抜けな声を漏らしポカンと口を開けて呆けるサカキ。隣ではヒビキもまた目をパチパチ、コシコシとしながら「もしかして自分は既に死んでいておかしな夢でも見ているのかしらん?」と首を捻っている。
だが、非常識はそれで終わりではなかった。
サカキ達を囲むグリムリーパーの群れはまだまだ存在する。サカキとヒビキだけでなく、カイト達も死の淵にあった。特に、装甲車という名の監獄から脱出できずにグリムワームの餌食になりそうなリュウやユウマの命はまさに風前の灯。
そこへ、
「――【緋炎の槍】」
今度は剣ではなく、業火そのもので作られた槍が空より滅びの雨となって降り注いだ。それらの緋雨は、ただの一つも狙いを外すことなくグリムリーパー共に突き刺さると、内部で凝縮したエネルギーを一気に解放して紅蓮の花を咲かせた。
内部から爆発して飛び散るグリムリーパー達。冗談のような光景。
残骸で怪我を負わぬよう地面に伏せながら半ば思考停止に陥っていたサカキ達の前に三度目の驚愕が降ってくる。
スタッと軽やかな音を立てて降り立ったのは一人の少年――リオである。
リオは、グリムリーパーの生き残りがいないか周囲に視線を巡らせながら、突き刺さったままの大剣を引き抜いた。
「坊主……お前さん……」
「ん? ああ、あんただったのか、戦っていたのは。確か【黄金蜘蛛】の……サカキ、さんだったな」
言葉もない様子のサカキに、リオは心底良かったと思っていることが分かるような安堵の表情を浮かべる。
「どうやら、以前の借りを返せたようだ」
そう言ってサカキに手を差し伸べる。サカキは反射的に差し出した手をグイッと引っ張られて立ち上がった。リオはヒビキも同じように立たせる。
周囲ではやはり呆然とした様子のカイト達が、突然空より降ってきたリオに視線を向けている。
サカキがどうにか精神的な衝撃から立ち直りリオに疑問をぶつけようとした。が、その前に、遠くから聞き覚えのある女の子の声が響いて来たことにより言葉を呑み込む。
「あっ、リオさん本当にいたぁーー! さっきのっ、さっきのなんなんですかぁ! 頭の中にいきなりリオさんの声が響いたり、バチバチしている猛獣が現れたりぃーー!!」
その声の主は、とっくの昔に死神の鎌に命を刈り取られたと思われていたメイだった。彼女の周りにはアキナガの居住区にいた子供達や住人達も健在している。どうやら全員無事のようだ。
リオを見つけるなりピョンピョン跳ねながら大声で溢れ出す疑問を叫んでいるメイの姿に、サカキは「あぁ、嬢ちゃんも非常識の被害者か」と精神が更に落ち着いてくるのを感じた。近くに錯乱している人がいると、例え同じくらい驚いていても妙に冷静になれてしまうあの心理状態である。
「……奇跡、か。ははっ、やっぱ俺ってついてるわ」
サカキが乾いた笑い声を上げた。
そんなサカキを尻目に、メイ達を迎えたリオは目をスッと細めて真っ直ぐに前方を見やる。
「リオさんっ、さっきの――」
「メイ、それにサカキさん達も。色々と聞きたいことはあるだろうが後にしてくれ」
メイ達北区の住人やサカキ達が視線を辿る。
そこには、直径五十メートルはあろうかという黒煙――【大喰らい】から一部が分離し、まるで触手のようにリオ達へと迫る光景があった。
お読みいただきありがとうございました。
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