第20話 事情説明
「それで……アイリはどうなった?」
場所は孤児院の食堂。そこには現在、カンナ達孤児院の年長組の他、アキナガ、ジュウゴ、エリカが集まっていた。
どことなく緊張感を孕んだ空気の中、最初にそう尋ねたのはダイキだった。聞きたいことは山程あれど、まずは家族の安否が先だ。それは、この場にいる他の者達も同じである。
リオは、一拍ほど瞑目すると端的に述べた。
「さらわれた。ヘリに乗せられて西へ飛んでいった」
その答えに、全員の表情が強ばった。やはりという思いが過る。同時に、少しだけ空気が弛緩する。
リオが気を失ってから半日ほど過ぎているのだが、その間、戻って来なかったアイリの安否を思い誰もが憂慮していたのだ。彼等の脳裏には、凶弾に倒れ永遠のお別れをしなくてはならなくなったサクラのこと過ぎっていた。よもや、アイリまで……と。
リオが寝ている間、高熱を発するリオをカンナ達が交代で看病しつつ、他のメンバーはアイリの痕跡を探して貧民区を彷徨っていたのだ。結果的に、見つかったのは両断された狼型グリムリーパーの群れだけだったので、ある程度、予想はしていたのだが、やはり目撃者の証言があると少しは安心できるものだ。
少なくとも、まだアイリという大切な家族を諦めなくていいのだと。
リオから、更に何があったのか詳細を聞く。そして、一通り話し終わり、アイリに届かなかったことを謝罪するリオへ、誰もが首を振り謝罪など不要だと伝えた。
「それにしても……ヘリ、か。相手は、そんなものを所有できるほどの組織力を持っているということか。アイリをさらった理由は言わずもがな。リオよ」
「ああ。アキナガさん」
顎を撫でながら思案していたアキナガが、その年を感じさせない鋭い眼差しをリオに向ける。リオは、たじろぐことなく真正面から受け止めた。
「アイリの異能を、我々は単に不思議な力としか認識しておらんかった。それ以外に出来なかったとも言えるが。だが、今のお前ならば説明できるな? アイリの、そしてお前のその力は、いったい、なんなのだ? お前達はいったい、何者なのだ?」
その疑問に、全員の視線がリオに集中する。あり得べからざる力の行使。大剣を軽々と振り回し、氷や土を操り、雷の獣を召喚し、時の理にすら干渉した奇跡の力。渦巻く疑問で胸中を荒らしているのは誰もが同じだった。
リオは、そんなアキナガ達にゆっくりと視線を巡らせる。その眼差しはとても静かで、同時に深海でも見ているかのように深い。今までの落ち着きのなさが目立ったリオとは、どこか異なる“大きさ”を感じさせる眼差しだった。
「長く、それでいて荒唐無稽な話になる。信じる、信じないは皆の判断に任せるよ。聞いてくれ。俺とアイリは……」
まるで、酸いも甘いも噛み分けたずっと年上の男を前にしているような感覚を覚えながら、それでも、リオの話に耳を傾ける。
そうして始まったリオの話は、確かに荒唐無稽なものだった。
何でも、リオは、かつて地球とは異なる別の世界で生まれたリオン=ベンタスという名の男だったらしい。齢九十歳で生を全うしたはずなのだが、どうやら生まれ変わりというものをしたのだという。
その根拠の一つとして、前世における記憶やその時の感情も思い出せる上に、人格そのもの変わったようには思えなかったということがある。推測ではあるが、無意識の領域で前世の自分が性格形成に影響を及ぼしたのだろう。
もう一つの大きな根拠として、別の世界と断言できる理由――地球と前世の世界では決定的に違う点があるということだ。それはすなわち、魔力の有無――ひいては魔法の有無である。
魔法とは、自然界の物質が自然発生させるエネルギーである自然魔力や、生物の生命活動によって生成される生物魔力――総称として単に魔力と言うが、その魔力をエネルギー源として自然現象を発生・操作し、あるいは干渉する技術のことである。
前世の世界においては、この魔力が世界に溢れており、基本的には誰でも使える技術だった。もちろん、魔力の保有量や操作技術の才能などという面では個人差はあったが。
この魔力が地球には存在しないのだ。自然魔力はもちろんのこと、生物魔力もリオは感知できなかった。今思えば、アイリがリオの帰宅をいち早く感じていたのは魔力を感じ取っていたとも考えられる。……単にリオ専用アイリレーダーのせいかもしれないが。
とにかく、この点がリオに「別の世界だ」と結論させた理由である。
また、前世の世界には、地球におけるグリムリーパーのように魔物と呼ばれる人類の天敵がいた。意思の疎通など不可能で凶悪凶暴極まりない最悪の生物。
リオ――リオン=ベンタスは、この魔物を駆逐することの他様々な依頼をこなす冒険者と呼ばれる存在だった。
リオンは若くして頭角を現した。剣に対しても魔法に対しても才能があったということもあるが、何よりリオンには唯一無二の切り札があったのが大きい。
そんな風にリオンが冒険者として世界を渡り歩いていた頃、とある事件から一人の女性と出会うことになった。
彼女の名前はアイリス=デルフィ=クラスペディア。前世の世界でも特に有名で大きな力と歴史を持った国――クラスペディア王国の王女だ。
そして、今世におけるアイリでもある。そう、アイリもまたアイリス王女という前世を持つ生まれ変わりなのだ。癒しの異能とはすなわち、回復系統魔法の片鱗だったのである。
アイリスは王女でありながら防御系統魔法と回復系統魔法の名手だった。それが、たとえ前世の記憶を取り戻していなくても発露させることが出来た理由だろう。生まれ変わっても魔法に対する才能は変わらなかったらしい。もっとも、正規の手順を踏まず力尽くで発動していたようなものだから消耗も相当激しかったようだが。
リオンはアイリスに捕まって魔物の討伐――より正確に言うなら魔王の討伐に付き合わされることになった。
魔王とは、魔物の中でも規格外の力を持つに至った天災と同義の怪物だ。時折生まれては人類に絶大な厄災をもたらす。
リオンとアイリスが出会った頃にも魔物の活性化などから新たな魔王の生誕が疑われていたのだが、何と王女であるアイリス自身が討伐団を組んで討滅に乗り出したのである。
隣国との政略結婚に使うよりも、自分の魔法の腕を思えば戦場で使うことこそ有用だと自分で嘯いて。自分の才能を理解していながら、魔物の脅威に怯え、蹂躙される民を放っておくことがどうしても出来なかった。王女としての使命感以上に、一人の人間として手を差し伸べずにはいられなかったのだ。
最初は、言葉や振る舞いこそ流石歴史ある国の王女というべき上品さ清楚さ慎み深さを示すものの、客観的な行動は女傑そのもののアイリスに振り回されていたリオンだったが、共に何度も何度も死線を潜り抜け絆を育んでいく内に、自然と惹かれるようになった。
アイリスの方は、リオンを捕まえたという点から言わずもがなである。
結果、紆余曲折を経て魔王を倒した後、リオンはその功績と、誰かさんの圧力など諸々あって、クラスペディア王国ガイラルディア公爵家の養子となった。
挙句、王国近衛騎士団総長という地位にまで就任し、アイリスと結ばれることになった。
つまり、前世においてリオとアイリは夫婦だったのである。それも、当時、世界最強の魔法剣士と世界最高の守護者と讃えられ、国民から絶大な支持と人気を博すほどの。
その辺りまでを、じっくりと説明したリオは、アキナガ達の理解が追いついていることを確認すべく、一度ゆっくりと息を吐いた。
食堂はシンと静まり返っている。異世界、転生、魔法――なるほど、と納得するには内容がぶっ飛び過ぎていて、特にシビアな現実の中で生きてきたこの場の者達には、たとえリオがそんな嘘をつくわけがないと分かっていても少し整理する時間が必要だった。
「ふ、ふ、ふふ、ふ、ふう、ふ……」
そんな中、真っ先に沈黙を破ったのは、何やらおかしな呼吸法でも試していそうな声を漏らすカンナだった。注目が集まる中、様子のおかしいカンナにリオが心配そうに声をかける。
「カンナ? どうした? やっぱり信じ――」
「ふうふって、つまり、あれ? 妻と夫とか、嫁と旦那とか、ハニーとダーリンとか、おまえとあなたとか、そ、そういうあれ?」
「……そこが疑問なのか? もっと他に、異世界のこととか魔法のこととか色々ツッコミどころがあると思うんだが……というか、ハニーとダーリンはないだろう」
何やら動揺しているらしいカンナにリオは思わずツッコミを入れる。よりによって何故、そんなところに食いつくんだ? と。対するカンナは、何故か逆ギレを始めた。
「うっさい! か、可愛い私のアイリが、あ、あんたと夫婦とかっ。ちょっと気になっただけよ! ……まぁ、確かに、あんた達の分かり合ってる感じとか、アイリのリオに対する察知能力とか、今思えば凄く夫婦っぽ気がして納得しちゃうけど……」
「確かに、リオに対してはアイリちゃんの女の勘は物凄いものねぇ。それにアイリちゃんの貧民区の人間らしくない気品とか上品さとか、お姫様だったというなら納得だわ」
カンナがモゴモゴしながら呟けば、エリカが納得したような表情でうんうんと頷き出した。女性同士、何やら思うところというか、納得できるところがあったらしい。そして、女の勘という部分で、前世、今世を通してリオもまた思いあたるところがあるのか微妙に頬を引き攣らせた。
そんなカンナの動揺により、シリアスな雰囲気が程良くほぐれたところで失笑するアキナガが口を開いた。
「魔法、か。ずっと昔、まだ若い頃、知り合った酔狂な男に見せて貰った書物にそんな御伽噺があった。まさかそれを目の当たりにすることになるとは……いや、アイリの異能を目にしていたのだから今更ではあるのだがな。改めて言われると己の常識が崩れていくようだ」
「俺の話、信じてくれるのか?」
「無論。己の目で、お前の起こす奇跡を見たのだ。信じざるを得まい。それに……」
アキナガが少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「話の通りなら、お前さんは私よりも精神的には年上ということだろう? 年長者の真剣な話は無碍にできんよ」
「いや、そう言われると……」
確かに、リオは前世で百歳近くまで生きているので余裕でアキナガよりも年上だ。しかし、記憶を取り戻したとは言え今世の“リオ”としての意識と記憶もしっかりあるので何とも複雑な心境である。
そんなリオに、今度はレンが話しかけた。
「リオ兄って昔からどこか特別だと思っていましたけど、そういう理由なら納得ですね。アイリのことも、前世で十分に経験を積んでいて、記憶はなくても無意識にそれらが溢れ出ていたと考えるなら、あの年齢に似合わない包容力も頷けます」
レンの言葉にダイキ達も同じ気持ちのようで、うんうんと頷いている。
「なんだか、皆、あっさり信じるな」
「馬鹿野郎。お前のとんでもねぇ戦闘を見た後だぞ。どんな荒唐無稽な話も、本人が言うなら納得しないわけにはいかねぇだろうが」
「師匠……」
全くもって反論できない。もっと言葉を凝らす必要があるかと思っていたので、リオは肩透かしを食らった気分だった。
「っていうかね、赤の他人ならともかく、リオ。あんたの言葉を疑う人なんて、ここにはいないわよ。それがどんなに信じ難い内容であってもね」
「カンナ……そうか。……ありがとう」
それだけの信頼がリオにはあるのだと、カンナだけでなく他の者達も眼差しで同意を示す。リオは込み上げてくる感情が溢れでないように堪えながら、代わり心底嬉しそうに微笑んだ。カンナがパッと顔を背ける。少し傷ついたリオだった。
「それで、リオ。魔法というのは具体的にどういうものなんだ? 今すぐアイリの居場所を突き止めるようなものはないのか?」
ダイキが話を戻すように、疑問を口にする。
「……魔法というのは、さっき説明した魔力を燃料にして発現させるもので、一見するとデタラメな力のように思えるかもしれないが歴とした技術なんだ」
そう言って僅かに歯噛みしつつ魔法の詳細を語るリオ。
それによると、魔法は、俗に魔法陣と呼ばれる設計図と魔力に干渉し操る為の詠唱によって発動するのだという。
魔法陣は何かに書いてもいいし、正確にイメージできるなら脳裏に描いてもいい。要は、設計図を魔力によって形作ることが出来ればいいのだ。
何かに書いた場合というのは、わかりやすく言えば下書きをしている状態と言える。熟練すればある程度無詠唱で魔力を操れるようにもなるし、その魔力を操って空中にイメージ通りの魔法陣を形作れるようにもなる。
また、威力や効果に比例して魔法陣の規模や複雑さ、詠唱の長さ、消費される魔力は増していき、主に下位階、中位階、上位階、最上位階に分類される。属性によっても炎、水、地、風、光、闇、氷、雷に分けられ、用途によっても攻撃系統、防御系統、回復系統、生成系統、加纏系統、補助系統などに分類される。
ちなみに、リオは攻撃系統の魔法なら下位階までは無詠唱、中位階でも魔法名のみで行使できる。リオの前世での戦闘スタイルである魔法剣士は、剣による近接戦闘をこなしながら同時に魔法を行使する者だ。それくらい出来なければ話にならず器用貧乏で終わってしまうのである。
「探査の為の魔法はある。その気になれば半径五キロくらいは精査できる。だが……」
「流石に、ヘリで飛んでいった相手を直ぐに見つけるような魔法はない、か」
「ああ。ままならないものだよ」
忸怩たる思いを眉間の皺によって示すリオ。その様子で、ダイキ達も少し、魔法は技術であるという言葉の意味を実感できたようだ。
「リオ兄の灰色世界も魔法なんですか? 何だか、他の魔法とは少し毛色が違うように感じましたけど……」
「流石、レン。鋭いな。あれは俺の固有魔法だ」
「固有魔法?」
「技術的に確立された系統魔法と異なって、個人が先天的に備えている特異な魔法のことだ。その効果は人それぞれで同じ時代に二つとないと言われるほど珍しく、俺も例に漏れなかったな。灰色世界――前世では【破刻領域】と呼ばれていたんだが……能力は時間干渉だ」
「それって……」
レンは、何となく察していたが改めて本人から灰色世界の真の能力を聞かされ思わず瞠目した。それは他のメンバーも同じようだ。
それも無理はないだろう。何せ、時間という絶対的な理に対して一個人が干渉できるというのだ。明らかに人の範疇を超えた御技である。
「想像の通り、【破刻領域】は俺の半径三メートル以内の時間を最大で万分の一にまで遅延させることが出来る。もちろん、比率が高い程消費する魔力も大きくなるけどな」
「……あの速度もか?」
「あれは逆だ、ダイキ。周囲を遅くしたんじゃなく、俺の行動を速くしたんだ。例えば、剣を振り上げて振り下ろすのに一秒かかるとするだろう? その時間に干渉して、コンマ一秒で振り下ろせるようできるんだ。名を【神速】という」
「改めて聞いても、とんでもないな……」
ダイキが頭を振りながら乾いた笑みを零した。自分の親友にして兄弟の規格外ぶりに笑わずにはいられなかったのだ。
「で、前世では超凄腕の魔法剣士にして一国の軍事力のトップか。しかも、お姫様な嬢ちゃんを射止めていたわけだしな。勝ち組じゃなねぇか」
「いや、師匠。これもで結構な苦労人だったんだ。魔王との戦いで瀕死になるし、公爵家の婿養子になったのも王国の騎士団総長になったのも、アイリスに外堀埋められて気が付けばって感じだったし」
「外堀り?」
「……ある日いきなり陛下の御前に放り込まれて『あ、お前今日から総長で公爵家次期当主な。娘の頼みだから異論も反論も認めん』と言われたときは……はは、人生で一番驚いたな。その後、呆然としながら部屋に戻ったらアイリスが満面の笑みで待っていて……あのとき、止めを刺されるとはこういうことなんだと心底理解したんだ。……魔王に殺されかけた時もそんなことは思わなかったのになぁ」
「お、おう、そうなのか……」
リオが突然、死んだ魚のような目をして遠くを見だしたので、思わずドン引くジュウゴ。その原因は、回想するリオの姿にあるのか、それとも「王女からは逃げられない!」と言わんばかりのアイリの行動力にあるのか……きっと両方に違いない。
ちなみに、リオンの最終的な肩書きはクラスペディア王国近衛騎士団総長リオン=ベンタス=ガイラルディア公爵である。アイリスは降嫁して、最終的にアイリス=デルフィ=カイラルディア夫人となった。王国自体は弟が継いだのである。
もちろん、その後の人生においても、度々生まれる魔王を幾度も討伐し、民の守護者とも呼ばれ絶大な人気を誇ったアイリスとリオンを次期国王夫妻に、という声は物凄くあったのだが……
国政からは一歩引いた立ち位置で落ち着いた生活も送りたいと、アイリスパワーが炸裂したという事実があったりする。被害者は当然、国王と公爵である。
リオとアイリのこと、そして魔法について大体のことを聞けたメンバーが自分達の中で聞かされた内容を咀嚼する中、アキナガがリオに尋ねた。
「ふむ。リオよ。アイリはどうなのだ? 窮地にあったお前が前世の記憶を取り戻し、魔法の力をも取り戻したのならば、さらわれたアイリにもその可能性はあろう。仮にアイリが目覚めたとして、奴等から自力で逃げ出すことは可能か?」
「……アイリに攻撃系統の魔法適性はありません」
「適性……魔法にも向き不向きがあるのだな?」
「はい。俺は攻撃系統や補助系統が得意な反面、回復系統や防御系統は苦手です。逆に、アイリは攻撃系統はからっきしですが、回復系統や防御系統には無類の力を発揮します。ですから、防御魔法を行使しながら逃走すればあるいは可能性もありますが……」
リオは、難しそうな表情で頭を振った。
「この世界では自分で生成する分以外に魔力を回復する手段がない。ヘリを用意しているような組織力のある精鋭部隊に追われれば、おそらく魔力が保たないでしょう」
「一時凌ぎにしかならんということか……」
アキナガもまた難しそうな表情となった。アイリの力は後方支援特化。強力な攻撃力を持った仲間がいて初めてその真価を発揮できるのだ。
「でも、迎えに行くんだから問題ないでしょ?」
重くなりそうな雰囲気を再び吹き飛ばしたのはカンナだった。その眼差しは真っ直ぐにリオへと向けられており確信が宿っていた。
リオは、不敵な笑みを以て返す。
「当然だ。絶対に取り戻す。奴等は心の底から後悔させてやる。たとえどこに連れ去ったのだとしても、地の果てまでだって追いかけよう」
その声音には圧倒的な意志の力が乗り、眼差しには最愛を奪われた憤怒の炎が燃え盛っていた。全身から噴き出す覇気は、それだけで息を詰まらせそうなほど。あのアキナガですら、思わず居住まいを正すほどの威厳が溢れていた。
「もちろん、私も行くからね。アイリがどんな存在でも、私の可愛い妹であることに変わりはないんだから!」
「僕も忘れないで下さいね。幸い、リオ兄が倒してくれたキメラ連中の装備もありますし、足で纏いにはなりません」
「ばあちゃんの仇も取らないとだしな」
カンナとレン、それにダイキが決然とした表情でリオに宣言する。キメラ隊の猛攻を経験してなお、怯みなど一切ないらしい。
「ふむ、そうなると行き先は富士エリアということになるか」
「そうなりますね。アキナガさん、師匠、エリカさん。申し訳ないですが、家族のことを……」
「皆まで言うな。こっちのことは任せとけ。代わりに、絶対アイリの嬢ちゃんを連れて戻ってこいよ」
「チビちゃん達は守ってみせるわ。絶対、皆無事に戻ってくるのよ」
アキナガ達は、リオの頼みに水臭いと言いたげな表情で快諾した。
それに感謝と安堵の表情を見せるリオ。先程までの歴戦の戦士の如き覇気は鳴りを潜めて、いつものリオの雰囲気が前面に出ていた。
と、そのとき、リオは不意に食堂のドア付近から視線を感じ振り返った。そこには、つぶらな瞳でリオ達の様子を伺う年少組以下のちびっ子達の姿があった。その後ろには、面倒を見ていたキキョウの姿もある。
「話し合いは終わった? この子達が自分達もお話したいらしいよ。特にリオとね」
「ああ、こっちは構わない。ほら、お前達。もういいからこっちにおいで」
リオが微笑みながら扉の影に隠れている子供達に呼びかけると、途端、「わぁーー」と一斉に雪崩込んできた。
「お兄ちゃんっ」
「リオにぃ!」
「だいじょうぶ? もういたくなぁい?」
「ふぇぇぇ、お兄ぃ~~」
中には泣きべそを掻きながら猛ダッシュし、そのままリオの胸に飛び込む子や、足に縋り付く子、よじよじと背中をよじ登りセルフ肩車を強行する子、ひしと腕に抱きつきコアラになる子など、実に様々だが一様に丸一日昏睡状態だったリオを心配しているようだった。
「ありがとう。俺は大丈夫だよ、皆」
そう言って、リオは微笑みながら一人一人頭を撫でる。大好きな兄の健在を、それで実感できたようで子供達は一斉にホッとしたような表情で体から力を抜いた。
「リオお兄ちゃん……アイリお姉ちゃんは?」
「ヒナ……」
真っ先にリオの胸元に飛び込んできたヒナが純粋な疑問を口にする。アイリが攫われたことは子供達にも伝えられている。それはヒナも同じだったが、それでも聞かずにはいられなかったのだろう。
ヒナの疑問に、他の子供達も再び表情を強ばらせた。包容力があり、優しく世話好きのアイリは彼等にとって第二の母にも等しい存在なのだ。きっと、リオのこと以上に気がかりなのだろう。
喚き散らしたり、癇癪を起こしたりしないのは、流石シビアな世界で生き抜く子供達といったところか。孤児院での教えが刻み込まれているというのもあるのだろうが。
だからこそ、幼いヒナに対してもリオは真剣に答える。下手な誤魔化しはしない。現実から目を背けさせはしない。それが、このくそったれな世界で胸を張って生きるために必要なことだから。
「ヒナ、それに皆。よく聞くんだ。……アイリは、あの悪者達に連れて行かれてしまった」
「ぅ、お姉ちゃん……」
泣きそうな表情のヒナに、リオは今までよりもずっと力強さのある眼差しと声音で宣言した。
「だから、俺が、俺達が取り戻しにいってくる。ついでに、あの悪者達もぶっ飛ばしてくるから。ヒナ達は、ここで俺達が帰ってくる場所を守っていてくれ」
「アイリお姉ちゃん、もどってくる?」
「ああ。必ず。約束するよ」
「ぅん。ヒナ、おうちまもるよ。それで、お姉ちゃんとお兄ちゃんが帰ってきたら、おかえりなさいする!」
「そうだな。帰ってきても、おかえりがなかったら寂しい。頼んだぞ、ヒナ、皆」
ヒナに続いて、子供達は一斉に元気一杯の返事をした。そんな中、一人、沈んだ表情で口を開いたのはミナトだ。
「なぁ、リオにぃ。アイリねぇが帰ってきたら、おばあちゃんも……」
サクラの死を覆せるのではないか。言外にそう尋ねるミナトに場の空気が凍る。主に子供達が表情を凍てつかせる。
こんな時代である。こんな世界である。この孤児院にいる時点で、子供達は皆、理不尽とその果ての死というものを目の当たりにしてきている。サクラの死を、例え幼くとも理解していた。最年少のヒナですら、だ。その証拠に、アイリのことは聞いてもサクラのことは聞かなかった。
だが、理解していることと感情の納得は別の話だ。
「リオにぃだって、なんかすごかった。光ったり、びゅんびゅんうごいたり。な、なぁ、リオにぃ。リオにぃなら、おばあちゃんを――」
「ミナト」
「っ……リオにぃ?」
縋るような眼差しで、大好きなおばあちゃんを生き返らせて欲しいと、もう一度、悪者から自分達を救ったときのような奇跡を見せて欲しいと、そう訴える幼きミナト。その優しい願いを、しかし、リオは遮る。
そして、リクの頭を撫でながら他の子供達にも聞かせるように静かな声音で話し出した。
「よく聞くんだ。どんな奇跡も、死んだ人を生き返らせることは出来ない。命とは、そんなに軽いものではないんだ」
シンと静まり返る食堂に、リオの言葉が紡がれる。リオの言葉は、どこか真実味があって幼心にも分かるほど“重い”ものだった。
それは、かつての世界にも死んだ人間を蘇らせる魔法などなかったからか、長い戦いの人生の中で多くの仲間を失い、幾度となくそんな奇跡を求めて叶わなかったからか。
「だから、生きている俺達がすべきなのは、死を否定することじゃなく、死んでしまった大切な人を忘れないこと。そして、今、生きている大切な人の為に全力を尽くすことなんだよ」
「……おばあちゃんをわすれないようして、ヒナたちを守れってこと?」
精一杯、難しい表情をしながらミナトは咀嚼したリオの言葉を口にする。リオは、そんなミナトに微笑みながらわしゃわしゃと頭を撫でた。
「ばあちゃんは、いつだって俺達を守るために戦ってくれた。争いだけじゃない。少ない材料でおいしい料理を作ってくれたことも、寂しかったり辛かったりしたときに一晩中抱き締めていてくれたことも、酷いものから俺達を守る為にしてくれたおばあちゃんの戦いだった」
リオの言葉に、皆がサクラを思い出す。
「俺達はばあちゃんの子供だ。だから……わかるな?」
サクラを想い、すすり泣く音が響く中、それでも子供達の瞳に濁りはなかった。リオに確認されるまでもなく、誰もが、サクラの教えを、強さを、温かさを胸に秘め前を向く。
「リオにぃ……絶対、アイリねぇを取り返して。おれたち、待ってるから」
「ああ、必ず。俺の全てを賭けて共に帰ってくる」
リオの断言に、ミナトはゴシゴシと目元を擦って涙を拭き取ると、ニッと男の子らしい笑みを浮かべた。精一杯の信頼を示す表情だ。
再び、ミナトの頭をわしゃわしゃと撫でつつ、自分も自分もと群がる子供達を構うリオ。未だ涙ぐんでいるカンナを筆頭に、アキナガ達が微笑ましげその様子を眺める。
と、そのとき、不意にリオが険しい表情になってあらぬ方向に視線を向けた。何事かと訝しむ面々。
その理由は直ぐに示された。
タンッという、孤児院の外から響いた乾いた破裂音と、
『今すぐ出てこい。従わなければ建物ごと撃滅する』
という、機械で拡声された酷く冷徹な声音によって。
お読みいただきありがとうございました。
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