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荒廃世界のワンダーワーカー  作者: 厨二好き/白米良
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第19話 前世の記憶

 深い森の中は、静謐さと心安らぐ自然の匂いに満たされていた。


 土や緑の匂いは、前日に降った雨のせいでより芳しい香りを発しており、中天に差し掛かった太陽の光は神秘的な木漏れ日を作り出している。


 そんな中をガッサガッサと、ある意味、無粋な音を立てながら歩いている男が一人。


 くすんだ金髪に蒼穹の瞳、顔立ちはそれなりに整っているが、目の下に色濃く出た隈やボサボサの髪が男前度を三割減にしている若い男だ。年の頃は、ようやく二十歳に届いたかといったところだろう。


 割と年季の入った最小限の革鎧に、大きめのザックを肩にかけ、背中には大剣を背負っている。


 大剣の使い手は珍しい、という点を除けば、実にありふれた冒険者の格好だ。その大剣にしても、武骨に過ぎて一見すればただの鉄塊であり、装備だけを見れば、下手をすると初心者に間違われ兼ねない出で立ちである。


 その使い込まれ方から正しく青年の力量を判断できなければ、ちょっかいをかけた相手は要らぬ恥か手痛いしっぺ返しを喰らうに違いない。


「……簡単な採取依頼のはずだったのに……。全くついてない」


 そうボヤいた青年は、盛大に溜息を吐きながら、そのただでさえボサボサの髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。結果、まるで実験で爆発を引き起こしたギャグ漫画の科学者のような髪型になり、更に見窄らしくなってしまった。本人は全く頓着していないようだが。


 だが、青年の事情を知れば、顔見知りの冒険者仲間だけでなく見ず知らずの相手でも「ついてないとかそういう問題じゃない」と、戻って来られたこと(・・・・・・・・・)自体に呆れか驚愕の表情を見せたに違いない。


 というのも、青年は、普通では有り得ない危険極まりない事態に遭遇していたのである。


 冒険者ギルドにて、森の中腹辺りまで入り込まないと手に入れられない、ちょっと珍しい薬草の採取依頼を受注した青年だったが、いざ採取ポイントに行ってみれば、そこには薬草の影すらなかった。


 仕方なく、更に森の奥へと入り込みながら手当たり次第に探し始めたのだが……どれだけ探そうとも薬草は見つからなかった。


 時期が悪かったのだろうと、仕方なく依頼失敗を伝えるべく町へ戻りかけたその時、青年は全身に悪寒を感じ、本能が命ずるままに臨戦態勢を取った。


 冷や汗を流しながら身構える青年の前に、森の木々をへし折りながら降下してきたのは一体の魔物――それも危険度高ランクのブラックドラゴンだった。


 魔物とは、魔法の元となる自然界の物質である魔素を取り込み変質した動物の成れの果てをいい、ほぼ例外なく凶暴極まりない性質を持っている。それらは危険度、驚異度によって上からSSS、SS、S、A、B、C、D、Eとランク分けされており、今、青年の目の前に降り立ち空気すら慄きそうな眼光と大地すら怯えるように震える唸り声を上げている黒い鱗のドラゴンはSランクに分類される化け物だった。


 Sクラスは、同じランク分けされている冒険者の内、Aランク以上の人材で一個小隊を作って挑まなければ全滅必須のというレベルだ。


 ちなみに、青年の冒険者ランクはAランク。当然、周囲に味方は一人もいない。つまり、普通に考えれば、青年の眼前にはドラゴンという形を取った“死”そのものが顕現したと言えるわけである。


「……野郎、タフ過ぎるだろう。倒すのに丸三日もかかるなんて……」


 再度、青年の口から愚痴が溢れた。


 そう、その言葉通り、青年はブラックドラゴンを見事討伐したのである。


 もちろん、青年には遁走という選択肢もあったのだが、ブラックドラゴンは明らかに青年を標的に定めており、もし逃走に成功した場合、青年を探して町までやって来てしまう可能性が大きかった。その可能性が高い以上、青年は安易に逃走を選べなかったのである。


 それに、青年には、その若さでAランクを手に入れた理由――とっておきの切り札があった。勝算があったのだ。


 なので、決死の覚悟でSランクの化け物に対する単独討伐を試みたわけだが……結果、倒すことは出来たものの、ブラックドラゴンの特性がその耐久力、タフネスにあった為に、丸三日も戦うはめになったのである。


 要は、青年は精根尽き果てた状態なのだった。


 今すぐ睡魔の誘いに乗って意識を夢の国へ飛ばしてしまいたいというのが青年の本音だったが、流石に、魔物蔓延る森の中で爆睡するわけにはいかない。なので、こうしてトボトボと重い体を引き摺って町に帰っているところなのである。


 そうして、ようやく森辺に差し掛かった頃、まるで青年に意地悪をするように騒音が飛び込んできた。それはどう聞いても剣戟や怒号といった人が争う音。つまりは、森辺か、森から出た街道付近で、森の木々でも吸収しきれない程度には大きな音が響く争いが繰り広げられているということである。


「おいおい勘弁してくれよ。神様は俺に過労死をご所望か?」


 青年は頭痛でもしてきたのか、こめかみを指でグリグリしながら呟く。だが、嫌そうに言いながらも、その足は既に争いの方へと向かっていた。


 それは青年の性分故だ。困っている者を放っておけない。助けを求める者に応えてやりたい。己に届いたその叫びをなかったことにしたくない。


 それが人として当たり前のことだなんて言いはしない。それでも、青年にとって、赤の他人だとか、義理も義務もないとか、危険な森辺を通るなら覚悟の上だろうとか、偽善だとか、そんな意見は重みのない、ただの“言葉”に過ぎなかった。


 疲労の極地にありながら、その体は既に一陣の風と化し、瞬く間に森辺までの距離を走破した。そして、木々の隠れながら顔を覗かせ争いの様子を探る。もしかしたら、青年の横槍が悪い方に働く可能性もあるのだから最低限の確認は必要だ。


「……これはどう見ても、賊の集団に襲われている騎士隊の図、だな」


 青年の視線の先、そこには現在青年がいる国の騎士団の装備を身に付けた七人程の集団が、十倍以上の賊らしき集団に襲われ必死に応戦している光景が広がっていた。何故、賊とわかるかというと、格好が見窄らしく、下卑た笑みを騎士団の中にいる女性騎士二人に向けているからだ。実に、賊らしい典型的な雰囲気を持っている。


 騎士団は、十倍以上の戦力を相手によく戦っていた。一人一人の技量が、流石は王国の正規軍というべきレベルであり、また仲間同士の練度も半端なかったのだ。特に、後方で魔法支援を行っている女性騎士は格別だった。


 判断力も、機を読む力も、仲間への指示も、自身が放つ癒しと防御の魔法も、どれをとっても一流、否、超一流レベルである。彼女の援護が、前衛の騎士達に最大限の戦闘力を発揮させているのだ。


「だが、不味いな。……彼等、もう限界だ」


 青年の分析通り、騎士隊の面々はどういうわけか最初から相当疲弊していたようで、誰も彼もが顔を青褪めさせ、気力を振り絞っているのが分かる。治癒系魔法を行使する女性騎士がいるから戦線を保っていられているが、その女性騎士も目深に被ったフードから覗くほっそりした頬は既に蒼白だ。今にも意識を失って倒れてしまいそうである。


 明らかに魔力枯渇の症状である。推測するに、賊に襲われる前に相当な強敵相手と一戦交えてきたのだろう。その疲労が回復する前に、賊に襲われてしまったといったところか。


 と、その時、遂に後方支援していた女性騎士が貧血でも起こしたかのように足元をふらつかせ倒れそうになった。


「アイリス様っ」


 護衛のように、否、事実護衛なのだろうもう一人の女性騎士――ベリーショートの赤髪を持つ切れ長の眼の美人は、咄嗟にフードの女性騎士を支えながら悲鳴じみた声音でその名を――何故か“様”付けで呼んだ。


「わ、たくしは……大丈夫。それ、より……援護、を」


 途切れ途切れの言葉が、説得力を簡単に奪い去る。


 崩折れた体に力は入らず、赤髪の女性騎士に支えられなければ立つこともままならない。気力だけでは、もうどうしようもないところまで来てしまったのだ。


 それはアイリスと呼ばれた彼女の援護が無くなった騎士達も同じだった。卓越した技量でどうにか凌いでいるが、既に防戦一方。アイリス達の元へ行かせないように壁になることで精一杯といった様子だった。


 更に、現実は非情を突きつける。盗賊の中にもそれなりの魔法師がいたようで、中位階クラスの攻撃魔法が今にも発動しようとしていた。一度、それが放たれれば、騎士達の前線が崩れることは間違いないだろう。彼等の表情に焦燥が浮かぶ。


「くそっ、ベリー! アイリス様だけでも連れて逃げろ!」

「そ、んなことっ、許しません!」


 騎士の一人が、赤髪の女性騎士に叫ぶ。だが、ベリーと呼ばれた赤髪の女性騎士が応えるより早く、アイリスの方が叫び返した。仲間を置いていくなど有り得ないと、その声音に絶対の意志が宿っているのが分かる。


 そうこうしている内に、相手の詠唱が完了してしまった。術師の周囲に、十本もの螺旋を描く炎の槍が浮かぶ。騎士達一人一人に撃ってもお釣りが来る。否、彼等が賊で、追い詰められた女性騎士達を見て舌舐りしていることからすれば、標的は前衛の五人だけだろう。一人二本のサービスコースだ。


「へへっ、安心しろよ。俺等は優しいからよ。犯されて良かったと思わせてやるぜぇ。ひゃはははははっ」


 術師の賊が、下卑た嗤い声を発しながら、炎の槍を放とうと腕を掲げた。


 騎士達の表情に絶望が浮かぶ。


 と、その瞬間、不意に、怒気を孕んだ声が響いた。


「一度、生まれ直して来い。クソ野郎――【炎帝の鉄槌】」


 そんな辛辣な言葉と共に紡がれた詠。


 顕現するは太陽の如き巨大な炎塊。空気すら焼き焦がし、地上を一瞬で灼熱の地獄へと変貌させる。


 それに比べて、賊の男が発動させた炎の槍の何と貧相なことか。真上に現れた赤き滅びをポカンと見上げる術師の男は、次の瞬間、視界の全てを赫灼に染め上げて、塵一つ残さずこの世から消滅することになった。


 地上へと落ちた小さな太陽は、そのままうねるように炎の波を広げ周囲の賊達を無慈悲に呑み込んでいく。


「……炎属性、上位階魔法」


 騎士の一人がポツリと呟いた。突如出現した上位階クラスの魔法に思わず呆然として手を止めている。幸い、対峙する賊達も後方の味方が一瞬で消滅させられたのを見て、やはり思考停止状態に陥っているようだ。


 それこそが、わざわざ目の前で騎士達が窮地に陥っているのを見ながら飛び出したいのを我慢して、詠唱に専念していた青年の狙いだとも知らずに。


「助太刀する! 態勢を立て直せ!」


 霧散してゆく炎の向こう側から、青年が高速で踏み込んだ。


 と、思った次の瞬間には、青年の無詠唱かと思うほど省略された詠唱によって、騎士達の眼前にいた賊達が地面から生えてきた鉄の鎖によって雁字搦めに拘束されてしまった。


 それにより、ようやく何者かが助けに入ってくれたのだと理解した騎士達は、取り敢えず、目の前で動けなくなり芋虫のようにもがく賊を一撃で切り伏せながら後方へと下がった。


「助力、感謝するっ! 少しでいい、時間を稼いでくれ!」

「早くしないと、出番がなくなりますよっと!」


 言葉をかわす間にも瞠目すべき速度で戦場を駆け、既に二人を切り伏せた青年。その言葉と技量に、返答した騎士は思わず苦笑いを浮かべる。このままだと、本当に一人で片付けてしまうかもしれないと思ったからだ。


「て、てめぇ、なにもんだ!」


 賊の一人が、慄きながら青年を誰何する。それに対する青年の返答は、やはり飄々としていて小気味いい。


「見ての通り、通りすがりの魔法剣士だ」

「通りすがりだとっ。なら邪魔してんじゃねぇ! てめぇには関係ないだろうがっ」

「御託はいらない。俺の刃が届く前に、降伏か降参か人生終了か選べよ」

「意味変わってねぇぞ! ふざけやがっぐぺッ!?」


 理不尽な要求に思わず悪態を吐いた賊の男は、言い終わる前に、ぬるりと間合いを詰めた青年の剣に首をはねられて、信じられないものを見たように目を見開きながら絶命した。


 最初の炎属性上位階魔法による一撃で八十人以上いた賊の内、三十人弱が死に、今までの十秒足らずで更に七人が死んだ。


「囲めっ! 囲んで殺せ! 上位階の詠唱をさせるなっ」


 賊の一人が叫んだ。その指示に従って、十人以上の賊が無骨な両刃剣を掲げたまま一斉に襲いかかった。全方位からの剣戟だ。更に、それを抜けた先には更なる剣戟が待っている。賊にしては中々の連携だ。


 普通なら絶賛大ピンチといったところだろう。しかし、青年は、己の状態と、騎士達の疲弊具合を見て苦笑いを浮かべた。そして、仕方ないと肩を竦めつつ、疲れた体に鞭打って切り札の一つを切った。


「――【破刻領域】」


 青年を中心に、一瞬、蒼穹に輝く魔力の波動がドーム状に脈打った。


 その瞬間、飛びかかっていた賊達が冗談のようにその動きを止める。跳躍していた者は空中で磔にでもされたかのように、駆けていた者は踏み込みの足を上げたまま、雄叫びは間延びして獣の唸り声のようになっている。


 更に、異常を察して距離を取ろうとするものの、勢い余って領域に踏み込んでしまった者も、引き攣った表情のまま固まってしまった。


 見れば、巻き上げられた砂埃や、彼等が飛ばした唾液の雫までもが、宙に浮き上がって動きを止めている。


 文字通り、時の理が破られた領域で、その主が動き出す。


「――【閃華の纏剣】!!」


 裂帛の気合と共に紡がれた言霊。それは遺憾無く効果を発揮する。


 青年がその場で一回転しながら大剣を横薙ぎに振れば、そこに蒼き光芒の軌跡が走った。剣先から更に伸長して半径三メートルはある綺麗な大円を描いた剣閃は、青年の周囲で遅延する時の流れに捕まった賊達を何の抵抗もなく両断する。


――加纏・補助複合系統中位階光属性魔法 【閃華の纏剣】


 空間に作用する魔力の刃を纏わせ、空間ごと対象を断裂させる魔法だ。一瞬の発動しかできず、発動自体も一筋縄ではいかない魔法なので実戦での使用は困難を極めるが、防御もまた著しく困難という凄まじい術である。


 舞い上がったままゆるりと動いていた砂埃が一斉に吹き払われる。時の流れが戻ったのだ。


 剣を振り抜いた状態で残心する青年の周囲で、正常な時の流れに関係なく硬直していた賊達は、直後、一斉にずれた(・・・)


 何が起こったのか分からないといった表情で、ドシャリと地面に倒れ伏す彼等の上半身(・・・)。遅れて、下半身もポテリと情けなさすら感じさせる有様で崩れ落ちた。


 今度は、違う意味で時が止まる。それは、今しがた起きた尋常ならざる事態が原因だ。


「固有魔法……」


 止まっていた心の中の時計針を、先程、アイリスと呼ばれていた女性騎士の呟きが再び動かした。


「くそったれっ」


 賊の一人が、悪態を吐く。しかし、言葉とは裏腹に、その表情には恐怖の影がチラついていた。固有魔法の使い手は、その能力の特異性から一線を画す者が多く、ある意味恐怖の代名詞でもあるのだ。


 と、その時、一瞬、森の木々の合間がキラリと光ったかと思うと、ヒュンという風切り音が突如として響いた。その正体は、森の中に潜んでいた賊が放った弓矢。標的は、どういうわけかアイリスだった。


 青年には敵わないと察して、せめて騎士達が守ろうとしていた女を殺して腹いせでもするつもりだったのかもしれない。実に、下衆な発想である。


 だが、たとえ自分が狙われたわけでなくとも、今更、そんな目論見を青年が許すわけもなく……


「――【神速】」


 青年の姿が掻き消えた。


 刹那、アイリスと彼女を守る騎士達の傍に青年が出現する。まさに瞬間移動というに相応しい圧倒的速度。その手には、アイリスを狙った矢がしっかりと掴み取られている。


「まさか、固有魔法の使い手だったとは……」


 騎士の一人が、不幸中の幸いとはこのことかと苦笑いを浮かべながら青年に話しかけた。


「このまま君に任せても問題はないのだろうが、我々にも矜持がある。賊如きに煮え湯を飲まされたとあっては祖国の威信にかかわるのでな。すまないが、ここから先は任せてもらえるか?」

「少しは回復できたんですね。そっちに問題ないなら……後は頼みます」

「? ……ああ、任せてくれ」


 騎士は、青年の無表情な物言いに少し違和感を覚えたようだが、直ぐに気を取り直すと、既に幾人が逃走を始めている賊に向かって、仲間と共に飛び出していった。王国の騎士として逃すつもりはないのだろう。


 それから数分。全快には程遠いものの、確かに回復していた騎士達の活躍は凄まじくあっという間に賊を駆逐してしまった。


 それを見届けていると、青年に声がかかった。可憐な、鈴のなるような声音。


「あなたのおかげ助かりました。宜しければ、お名前を伺っても?」

「……」


 アイリスと呼ばれていた女性騎士だ。しかし、青年は、アイリスに背中を向けたまま無言を貫き、反応しなかった。


 それに不快を示したのは、ベリーと呼ばれた赤髪の女性騎士。恩人であるからして抑えてはいるようだが、声音に非難的な色が隠せていない。


「おい。アイリス様を無視するとは何事か。せめて、こちらを向かんか」


 そう言って、アイリスが制止する間もなく青年の肩に手をかけ、強制的に振り向かせようとした。


 すると、青年の体は些かの抵抗もなく、その手の引きに合わせて動き、そのままグラリと傾いて倒れそうになってしまった。


「なっ、お、おい! 大丈夫か、君!?」

「大丈夫ですかっ?」


 ベリーとアイリスが揃って倒れる青年を支える。


「……悪、い。流石に……げんか、い…だ、です」

「あなた……」


 青年を支えるアイリス達は、そこでようやく青年の状態を把握した。それは先程までのアイリス達と同じ。魔力枯渇の症状だった。それだけでなく、極度の疲労状態での魔力枯渇だったので、尚更体に負担がかかり、今にも意識を飛ばしそうになっていた。


「ア、アイリス様。これは……」


 アイリスと同じく、青年を支えていたベリーは、青年の懐からこぼれ落ちた物を見て頬を引き攣らせる。


 それは黒い鱗。彼等が逃した討伐目標の片割れのもの。騎士団は、王都近郊に現れた二体のドラゴンを討伐することを目的としていたのだ。死闘の果て、その内の一体を討伐したものの、もう一体には逃げられてしまった。


 休憩をして回復したら追うつもりだったのだが、その前に運悪く賊に襲われたというわけである。


「これをどうしたのですか? 私達は、この鱗を持つドラゴンを追っているのです」

「…たお、した。だから……しんど、いんだ、です……」

「なっ、馬鹿な……一人であれを」


 アイリスの質問に、億劫そうに答える青年。ベリーが信じられないといった表情をするが、アイリスはジッと青年を見つめた後、コクリと頷いた。あなたを信じるというように。


 青年の体が、仄かな光に包まれる。少しずつ、体の芯にこびり付いた倦怠感が洗い流されるように抜けていくのが分かる。アイリスの回復魔法のようだ。ベリーが心配そうにアイリスを見つめていることから、アイリスもまた回復しきってはいないのだろう。無理を押して青年を癒しているらしい。


 アイリスがフードを外した。回復してきた意識が、青年にアイリスの素顔を明確に意識させる。


「……驚いた。まるで、月の精霊様だな……」

「ふふ、ありがとうございます」


 いつの間にか、アイリスに膝枕されていた青年は、後頭部に柔らかい感触を感じながら、金色に輝く髪と、吸い込まれそうな碧眼の瞳にわけもなく見蕩れる。


 御伽噺に出てくる世界を司る精霊の一角、月の精霊にそっくりだと、そう思ったのだが、無意識に口に出していたようで、嬉しそうに目元を和らげるアイリスの微笑みに当てられて青年は思わず視線を逸らした。


 その先には、物凄いジト目をした赤髪の女性騎士が……


「一つ、お聞きしたいことがあります」


 青年が内心で冷や汗を流していると、アイリスが静かな声音で話しかけた。視線で先を促す青年。


「何故、助けてくれたのですか?」

「いや、何故って……」


 質問の意味が分からないと、青年は首を傾げる。アイリスは真剣な表情のまま続きを口にした。


「あなたは、わたくし達と遭遇する前に、ブラックドラゴンと戦ったのですよね? 察するにお一人で。そのせいで、あなたは既に疲労の極地にあった。にもかかわらず、助力して下さった。あの固有魔法の行使が、正真正銘限界だと、賊を倒しきれないと、そうなればご自身の身も危ういと理解していながら」

「……」

「何故なのですか? 我々がこの国の騎士だからですか? 王国への忠誠故ですか?」

「いや、そういうわけじゃないです……俺、この国の人間じゃありませんし」

「では、何か見返りを求めるためですか? あるいは、単純に賊という存在に恨みでもありましたか?」

「……」


 アイリスは自分でも信じていなさそうな理由を列挙する。青年は、いったいなんなんだと、アイリスの真剣な、真剣すぎる問いかけに少し辟易した様子を見せた。


 ただ、騎士達の言動や、一見して分かる気品により、アイリスがやんごとない身分の者であると察したリオは、無視はできないなぁと内心で愚痴を吐いた。そして、アイリスの膝枕から自主的に起き上がって、面倒くさそうな雰囲気を隠しきれないまま答えた。


「道端で」

「?」

「例えば、道端で小さな子供がこけたとする。なら、普通は助け起こすだろう? それと、いったい何が違うっていうんです?」

「……」


 言外に、理由なく助けることの何がそんなに不思議なんだと、助けたことに理由などなかったと、そうしたいからそうしただけであると、そう伝える青年。


 アイリスの隣で、ベリーが絶句している。まさか、百人近い賊との死ぬかも知れない闘争と、街中でこけた子供を助けることを同列に語るとは思わなかったのだろう。


 だが、アイリスだけは分かっていたかのようにほわりと微笑むと、確信を込めた眼差しと声音で、今後の青年の人生を決定づける言葉を紡いだ。


「ふふ、見つけました」


 キョトンとした表情でアイリスを見返す青年。そんな彼に、これまで以上に可憐な微笑みを浮かべたアイリスは、改めて尋ねる。


「あなたのお名前を教えてくれませんか?」

「え? あ、ああ、そう言えば言ってなかったですね。……リオンです。リオン=ベンタス」


 アイリスは、まるで自分に刻み込むかのように小さく「リオン、リオン……」と呟くと、花咲くような笑顔を見せながら、何故かリオンの背筋をゾクリと震えさせるような言葉を送った。


 すなわち、


「リオン。逃がしませんからね?」

「え? えっ? なに、どういう意味です? なんか怖いんですけど……」

「ふふふ……」

「いや、ちょっとアイリス、様?」

「ふふ、ふふふ」


 後になって、リオンを思ったものだ。


 確かに、この日、この時、自分の行く道はアイリスによって決定づけられたのだと。今や最愛の彼女に、確かに捕まったのだと……



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「それでも、あの時の笑顔は怖かったっ」

「ひゃっ!? な、なによっ、いきないり!」


 ガバリと起き上がったリオの目に、見慣れた部屋の天井が映った。


同時に、耳に飛び込んできた悲鳴と文句に、「おや?」と視線を転じると、そこには尻餅をついたカンナの姿があった。その手には濡れタオルが握られており、近くには水の入った桶もある。


「夢、か。随分とまた、懐かしい頃を見たもんだなぁ」


 包帯の巻かれた己の体とカンナの姿から、リオは大体の事情を察した。どうやら倒れた後に孤児院へ運び込まれ、その間に前世の極めて懐かしい記憶――アイリスとの出会った時のことを夢に見ていたらしい。


 一人納得の表情を浮かべるリオに、カンナが青筋を浮かべながら手に持つ濡れタオルをポフッと投げつけた。


「なに一人で納得してんのよ。こっちがいったい、どんだけ心配したと思って……」

「カンナ……」

「ボロボロだったのよ、あんたの体。いったい、何発撃たれたと思ってんのよ。止血だけはできてたけど、いつ死んでもおかしくなかったっ。今だって治ってなんかいない。絶対安静の重傷なのよっ。それなのに、寝起きにふざけて……ぐすっ、本当に、このまま死んじゃうじゃないかって……私……」


 確かに、意識してみれば体中が悲鳴を上げている。傷口も止血だけは出来ているが傷口も完全には塞がっていない。この場にアイリがいれば別なのだが、回復系統の魔法が苦手なリオではこの程度が限界だ。疲弊が激しいせいで魔力の回復も遅く、現在の魔力量は半分以下といったところ。


 正しく、満身創痍という有様だった。


 いったい、どれだけカンナを含め家族に心配をかけたのか。リオは眼前で肩を震わせるカンナに申し訳なさそうに眉を八の字にする。


「それに、なんかあんたってば、光ったりビュンビュン動いたり……アイリは連れて行かれるし……ホント、わけわかんない……ぐすっ、でも、目が覚めて良かったよぉ」


 本当にわけがわからないというのが正直な心情なのだろう。それでも、リオが目覚めたことは嬉しくて、飽和した感情が雫となって瞳から零れ落ちる。


 そんなカンナをリオは優しく抱擁した。かつて、貧民区の一角で泣いていたカンナにそうしたように、包み込むように。


 しばらくリオの胸で泣いたカンナは、鼻をスンスンと鳴らしながらリオから離れた。その瞳には、いつもの勝気な色が戻っている。


「それで、全部説明してくれるんでしょうね?」

「ああ。それは構わない。といっても荒唐無稽というか、話が長くなりそうというか……」

「そんなの別にいいわよ。とにかく、私達に分かるように話してくれれば」

「もちろんどうするつもりだが……取り敢えず、そろそろ入ってきたらどうだ? みんな」


 リオは、おもむろに視線をカンナから外して扉の方を見た。カンナがギョッとして視線を向けると、そこには少し開けた扉からトーテムポールのように室内を覗くダイキ達の姿が。


 カンナは悟る。先程までのリオの胸に縋り付いて、子供のように泣きじゃくっていた姿をばっちり観察されていたのだということを。顔に火が付いた。


 カンナの怒声が響き渡る中、「さて、どう説明しようか」と、リオは頭を捻るのだった。


お読みいただきありがとうございました。


次話の更新は、明日の18時の予定です。

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