第18話 異世界の魔法剣士
蒼穹が夜闇を鮮やかに駆逐する。流れる蒼き光芒は、さながら稲妻だ。
それは、宣言と同時に地を踏み割る勢いで突進したリオの軌跡。刹那の内に、ダイキ達へ挟撃を仕掛けていたキメラ隊の一人に肉迫したリオは、しかし、相手が肉迫されたと認識した時には、既にその背後へと駆け抜けていた。
まるで、立ったまま微動だにせず、そのまま場所だけが変わったかのような違和感。だが、確かにリオが掲げた掃討の意志は両断という形で示された。
「ぁ?」
ズルリと、男の体が斜めにずれる。斬られた男自身、自分の身に何が起こったのか理解できていないようで呻き声とも疑問の声ともつかない半端な音を漏らしながら眼下の泥水へとダイブした。
バシャリと、雨音を掻き分けて、地面を叩く絶命を知らせる音が響いた。
天を奔る稲光が、その凄惨な末路を照らし出す。
その轟く光とは対照的に、静かにうねる蒼穹。それはまるで、蒼いオーロラを纏っているかのよう。人知の及ばない神秘の光は刻一刻と強さを増していっており、このまま夜と暗雲の黒を逆に染め上げてしまうのではないかと思わせる。
その中心にいるのは一人の人間。
余りの異様な光景に機械のように無感情かつ無慈悲な印象を与えていたキメラ隊の面々が攻撃の手を完全に止めてしまった。それは、死の間際にいたダイキや、カンナ、銃撃が止んだことで遮蔽物から顔を覗かせたアキナガやレン達も同じ。世界の時間が止まってしまったかのように目を丸くしてリオを見つめている。
心の時間が止まった世界で、リオは言の葉を紡ぐ。世界さえ塗り変える圧倒的な意志と共に。
「もう、誰一人傷付けさせはしない。 氷華よ、守護の意志を対価に咲き誇れ、其は蒼き断絶――【蒼の城塞】」
その瞬間、リオを中心にしてザァと波紋が広がり、何かの冗談のように説明不能の事象が発現した。
雨が凍てついたのだ。ビキビキと音を立てながら、降りしきる雨が、地面の雨水が、ダイキやカンナ、それに離れた場所にいるアキナガ達や孤児院の子供達が隠れている建物の入口を凍てつかせながら覆っていく。
泥水からせり上がってきたというのに、その氷壁は驚くほど透明度が高い。分厚い氷でドームを形成しているというのに壁向こうで目を丸くしているカンナ達の表情がよく分かる。
氷で作られた半球状の障壁は雨を受ければ受けるほど厚みを増しいくようだ。孤児院の子供達が隠れている建物に至っては半ば氷の城ともいうべき状態になっている。
――生成・防御複合系統中位階氷属性魔法 【蒼の城塞】
生成系統の術式と防御系統の術式を複合させて、恐ろしく高密度かつ不純物の少ない氷壁を生成する魔法だ。
本来、リオは防御系統の魔法を不得意としている。なので、魔力の密度を上げて魔力自体を盾にするような強引なもの以外、実戦的な防御系統の魔法を使えないのだ。そんなリオが得意系統である生成系統魔法と複合させることで編み出したオリジナル防御魔法の一つがこれである。
いわゆる純氷というものと原理は同じだ。不純物を極力取り除き、密度を上げて凍てつかせる。普通は純氷を作るには相当な時間を必要とするのだが、それを一瞬でやるところが魔法の魔法たる所以だろう。しかも魔力が込められているので更に堅牢さを増している。
攻撃特化のリオに出来る最高の防御系統魔法だ。
「……かつてない特異性を確認。目標を捕縛せよ」
そこまで来てようやく、キメラ隊が動き出す。意味不明、理解不能の異常事態を引き起こしていると思われるリオに対して一斉に銃口が向けられた。
だが、発砲は数発程度。それも手足や肩口を狙ったものばかり。どうやらその言葉通り、リオの特異性から“可能なら捕獲”から“絶対捕獲”に切り替えたようだ。
「……」
リオが無骨な鉄剣を振るう。蒼穹の燐光を纏った剣は鮮やかとも言える円の軌跡を宙に描き、キンキンキンッと硬質な音を奏でた。
それもまた夢幻のような光景だ。あっさりと、まるで羽虫を叩き落とすように、リオは音速を超えて迫った弾丸を切り払ったのだ。
一瞬の停滞。キメラ隊は、無言の意思疎通により引き金を引く人数を倍増させた。今もって、銃口の先はリオの手足であるようだ。
それを感じ取ったリオは、波紋のように広がる声音で警告した。
「死に物狂いになれ。全身全霊を尽くせ。万の策を持ってかかってこい。でなければ――」
「撃て」
リオの言葉を遮るように、キメラ隊が引き金を引いた。あるいは、リオの異様な雰囲気に呑まれたか。暗闇に瞬く無数のマズルフラッシュ。響き渡る轟音。
その狭間に、リオの、最後の言葉が囁かれた。
――すぐに終わるぞ?
再び、リオの姿が消えた。
一瞬の後、リオが出現したのはダイキ達を挟撃していたもう一方の男の後方。先程と異なるのは剣を振り切った状態で残心していること、そして、両断されたのが胴体ではなく首だったことか。
リオが残心を解くと同時に男の首がポロリとずれ落ち、血が噴水のように噴き上がった。
瞬時に照準し直すキメラ隊の面々。
しかし、銃口を向けたときには既に、その姿はなく。
ザンッと、不吉な音だけが、全く別の場所より響いた。視線を転じれば、最後方にいたキメラ隊の男が宙を舞っている。上半身と下半身を泣き別れにされた状態で。
「6時方向、反面カバー」
抑揚のない小さな声が伝播し、キメラ隊は群体のように一糸乱れぬ動きで隊列を作った。半数はリオに銃口を向け引き金を引き、半分は射撃中の仲間の背後で背を預ける。
が、
「がはっ」
「ごぉっ!?」
次の瞬間、二人一組で背を預け合ったキメラ隊の二人は、蒼き光芒に連れ去られた。凄まじい衝撃音が轟く。少し離れた廃ビルの壁。そこに、二人はいた。背を向け合った状態で、一緒くたに大剣に貫かれ、壁に縫い付けられるようにして。
真っ直ぐに剣を突き出しているリオは、くるりと踵を返した。キメラ隊の二人を縫い付けたまま、大剣を肩に担ぐような大勢。
そうして発せられるのは裂帛の気合い。
「はぁああああああっ!!」
轟ッ!! と蒼穹の光がうねる。直後、キメラ隊の二人は空へとかっ飛んだ。背後の十五階建ての廃ビルが縦に両断され、その勢いのまま大上段より唐竹に振り下ろされた大剣が地面に着弾する。
大地が裂けた。同時に、発生した衝撃波が土石を巻き上げ吹き飛ばし、放たれていた弾丸の群れの尽くを呑み込む。
その即席の土石流を切り裂いて、リオが飛び出してきた。ご丁寧にも、大剣の一振りで無数の石を弾き飛ばし、呆れるほど正確にキメラ隊のフルフェイスに直撃させた。
位置取りを変えていたキメラ隊が、十字砲火を浴びせる。
しかし、やはりというべきか、認識できるのは蒼き光芒だけ。
気が付けば、四人のキメラ隊の中心に出現している。そうして振るわれる大剣の一振り。それだけで、冗談のように四人が同時に吹き飛んだ。盛大な血飛沫と共に。
認識力の埒外にある圧倒的な速度を見せるリオに、部隊としては頗る付きの練度を誇る彼等をして即応できない。
雷鳴が轟き、闇を切り裂く稲光が大剣を払って血振りするリオを映す。蒼穹の光が雨粒を煌かせ、舞う血が彩を添える。
なんと凄惨で、なんと幻想的か。
感情に乏しいキメラ隊をして、遂に動きが止まった。それは眼前の神秘に目を奪われたから。加えて、次手として、どのような手を打つべきか分からないというのもある。なにせ、銃弾を視認して避けるどころか、切り払ってしまう相手なのだ。
今更ながらに、〝捕獲〟の命令が、余りに相手を見誤った判断だったと理解する。
が、気が付いたところで、既に遅い。その停滞はリオにこそ、次手を振るう隙を与えた。
「来たれ、雷光の化身。恐慌の担い手。閃牙の捕食者よ。求めに応え、顕現せよ。その空虚なる一撃を以て、惑う獲物を喰らい尽くせ――【閃天の雷獣】」
世界に夢想を顕現させる祝詞が放たれる。と同時に、リオの左右の虚空に激しいスパークが迸った。
何もないはずの空間に轟く雷鳴と迸る蒼い雷。今までの氷花の障壁や閃光の如き疾駆も十分あり得ざる事態ではあったが、今度のそれは常識というものを笑いながら三段跳びしている。
キメラ隊が、理解はできずともその危険性を察知したのか、停滞から回復した。
が、行動を起こす前に、その機先を制するが如く、天上の雷雲より轟雷が降り注いだ。夜闇を切り裂いて落ちた雷は、まるで吸い寄せられるように蒼穹のスパークへと突き刺さる。
虚空に発生した蒼い雷は瞬く間に天からの贈り物を吸収すると、拳大の大きさを一気に直径三メートルほどに肥大化させた。そして、生まれ出るように、瞬く間に形を作ると、
「「ゴァアアアアアアアアアッ!!」」
雷鳴の咆哮を上げる、蒼雷の獅子となった。
ふわりと、詠った通りの雷獣が二体、地に降り立つ。
「駆逐しろ」
リオの命令に、蒼雷の獅子は再び雷鳴の咆哮を上げて、刹那、パシッと軽い音を立ててその姿を消した。否、そうとしか思えない尋常ならざる速度で戦場へと飛び出したのだ。
ニ条の閃光となって空を切り裂いた蒼雷獅子。その速度は雷速。人の知覚能力が捉えられる限界を軽く超える。
故に、狙われたキメラ隊の男――六人が、刹那の内に頭部を喰い千切られた挙句、その頭部すら圧縮された雷により灼滅されて、無残な姿を晒すことになったのは必然といえた。
「……脅威認定。エデンロードの敵を排除せよ」
キメラ隊に行き渡る指示が変わった。無感情には相応しくない、なりふり構わない銃撃、そして重要な情報をもらしたのは、やはり動揺せずにはいられなかったのか。
ダダダダダダダッと激しい銃撃音が木霊する。フルオートの射撃が四方八方へ放たれる。仲間をカバーし合いながら、キメラ隊は、見ようによっては必死に、パシッパシッと軽い音を立てては戦場を蹂躙する蒼雷獅子を追う。
同時に、そのあり得べからざる怪物を呼び出した正真正銘の化け物へも、遠慮容赦の一切を切り捨てた銃撃を行った。
しかし、それでもやはりリオには届かない。ゆらりゆらりと風に舞う木の葉のように揺れながら、放たれる殺意の尽くをミリ単位の見切りでかわし、逃げ場がなくなれば円を描く剣閃が片っ端から標的を両断する。
(エデンロード? ……それが奴等の組織名か?)
ポロリと溢れたキーワードを気にしつつ、“遠距離攻撃には遠距離攻撃を”と意趣返しを行うリオ。
「――【氷剣の騎士団】」
リオが手をかざした瞬間、ビキビキッと音を立てて、無色透明の騎士剣が無数に創造される。
――生成・攻撃複合系統中位階氷属性魔法 【氷剣の騎士団】
雨を媒体に圧縮した水分を凍てつかせて作り出した氷の剣群。それらが、まるでリオに忠誠を誓うように剣先を上に向けて並び立つ。
直後、一斉に剣先を標的へと向けると、それぞれ別方向へ掃射された。
息を呑むほど美しい無色透明の騎士剣に狙われたキメラ隊の面々は、横っ飛びに回避する。だが、ホーミングミサイルのように軌道を途中で曲げた氷剣は、容赦なく彼等の腹部に突き刺さり、あるいは風車のように高速回転して斬り裂き、ただの一人も逃すことなく絶命させた。
リオの視界の端に、グレネードランチャーを構えるキメラ隊の姿が映る。
「――【光堅の纏衣】」
グレネードの仄暗い銃口を無視し、詠唱しながら大剣を水平に構えるリオ。薄らと纏っていた蒼穹の光の上から、更に純白の光が重ね掛けされる。
そこへ殺到するグレネード弾。それも複数。一度着弾すれば、人間など木っ端微塵に吹き飛んでしまう。
しかし、リオはまるで気にした様子もなく正面の標的に向けて突進した。グレネード弾が、間違いなくリオの体を捉える。直後、凄絶な爆炎と轟音が響き、雨粒と地面の泥を纏めて吹き飛ばす。
リオの命も、同じくただの血肉の欠片となって四散するはずだった。だが、飛び散る泥水の中に、命を示す赤は一滴足りとも含まれてはいなかった。それは、グレネードの直撃を受けた人間が無事である証
それを証明するように、赫灼たる爆炎の中から炎と噴煙を纏わりつかせたリオが、全くの無傷で飛び出してきた。先に受けていた傷以外服に焦げ目すらつけず、グレネード弾の攻撃などなかったと言わんばかりに。その鋭い眼光は真っ直ぐに正面の敵を捉えて離さない。
射抜かれたキメラ隊の男は知らず一歩後退りした。それはきっと、明白には見えなかった彼等があらわにした感情の欠片。慄きの感情。フルフェイス型ヘルメットの中の視線は、リオの体の手前――その身に纏う純白の光に遮られて潰れたグレネード弾の欠片らしき物を捉えていた。
――加纏・補助複合系統中位階光属性魔法 【光堅の纏衣】
光属性の持つ“強化”の性質を対象に纏わせる魔法だ。
本来は武器に付加して攻撃力をあげるための魔法だが、リオがアレンジをして一瞬の防御用に編み出したオリジナルだ。
当然、そうとは知らないキメラ隊の男にとっては、いくらグレネードを撃ち込んでも何の通用も与えれない不死身の相手にしか見えず、
「……化け物」
思わず、そんな言葉を呟いた。
「そうさ。相手を間違えたな」
返されるのは氷雪より尚冷たい肯定の言葉。
瞬く間に距離を詰めたリオの剣が宙に美しい軌跡を描く。同時に、その軌跡が重なった男の体がズルリと斜めに擦れた。
今度はキメラ隊も硬直しなかった。むしろ、今斬られた仲間を囮にして飽和攻撃を実行する。間髪入れず最大攻撃力を叩き込もうと引き金を引き続ける。ライフル弾とグレネードの弾幕がリオを襲った。それは既に弾幕を超えた壁とも言うべきもの。逃げ場はない。物理的に、全方位同時攻撃は防げない。
だが、
「――【破刻領域】」
リオは悠然と佇んだまま身動ぎ一つしない。動く必要などないからだ。
その証拠に、リオの周囲には数多の弾丸が空中で制止していた。
ダイキ達にそうしたように、雨を凍てつかせて障壁を張ったわけでも、純白の光を纏って塞いだわけではない。ライフル弾もグレネード弾も、ただ、まるで展示品のようにリオを中心にしてピタリと動きを止めているのである。
否、よく見れば、弾丸の群れは全て、ゆっくりと回転しながらジリジリとリオとの距離を詰めているようだ。
――先天性特殊系統時属性固有魔法 【破刻領域】
リオを中心に半径三メートル以内の空間に流れる時間を最大で一万分の一にまで引き伸ばすことが出来る魔法だ。引き伸ばす時間に比例して消費魔力も上がる。燃費は悪いが絶大な効果を発揮するリオの切り札とも言える魔法だ。
放たれ続ける弾丸の嵐は次々と、この世の理に喧嘩を売るようなふざけた領域に捕まり、その中心にいるリオを弾丸のベールで包み込んでいく。そうして、あっと言う間にリオの姿は弾丸の向こう側へ消えていき、ゆるりと回転する弾丸による円柱が出来上がった。
「……お前は……いったい……」
掠れる声音。キメラ隊の一人が、弾丸の尽きたライフルをだらりと下げて、尋ねる。
お前は何者だと。否、お前はいったい、〝なんだ〟と。
リオは、まるで昔から、何度も同じ問を投げかけられたことがあるかのように、何気ない口調で応えようとした。
「カイラルディア王国近衛騎士団総長――」
そこまで言って、リオははたと言葉を止めた。そして、苦笑いを浮かべつつ言い直す。
「ただの、魔法剣士だ」
弾丸の壁の向こうから響いたのは、簡潔、かつ理解不能な回答だった。
同時に、緩慢に進む弾丸の壁に蒼閃が奔る。
万分の一に引き伸ばされた時の流れの中でも、術者たるリオだけは自由に動けるようだ。スーパースローカメラの再生映像のように、連鎖して爆発するグレネード弾の爆炎と両断された弾丸の群れがゆるりと蹴散らされていくのが見える。
その中を掻き分けて踏み込むリオ。
と、思った瞬間には、先程呟いた男が両断されていた。ズザザザザザーと遅れてリオの残像が本体に重なっていく。
地面を抉りながら流麗にターンする。その視線の先で、キメラ隊の数人が人質でも取ろうというのかダイキ達や廃ビルの奥の子供達の方へ迫っているのを捉えた。
「俺を前に余所見か……代償は高くつくぞ――【氷雪の咆禍】」
また一人切り捨てながら、片手間に突き出した手から真白き冷気が螺旋を描いて放たれた。周囲の雨を取り込み、鋭い断面を持つ氷の礫を含ませて掘削機のように突き進んだ氷雪の砲撃は、ダイキ達に急迫していた男達を一瞬で呑み込む。
後に残ったのは、全身を刻まれ霜が降りたように凍りついた人間の彫像のみ。宣言した通り、もう誰一人傷つけさせはしないと証を残して示したようだ。
「……どうなっている?」
キメラ隊の一人が呟いた。それは、仲間が真白く染まった原因に対する疑問ではなかった。
「気になるか? 狙撃の援護が何故ないのか」
「……」
図星を突かれ押し黙る男。リオは覚めた眼差しのまま男の疑問に答えを示す。
「全部で二人か。まぁ、俺の雷獣が相手では何人いようと同じだろう」
そう言い終わると同時に、近くの廃ビルから蒼い稲妻が落ちてきた。その正体は、いつの間にか戦場からいなくなっていた蒼雷の獅子二体。それぞれの口には、電撃を流されビクンビクンッと痙攣しているキメラ隊の男が二人仲良く咥えられている。
ついさっき狙撃を受けたばかりのリオは当然の如く伏兵や狙撃手の存在を警戒し、どさくさに紛れて雷獣達に潜む敵の駆逐を命じていたのである。
「……撤退する」
キメラ隊の一人がそう声を張り上げた。同時に、空へ信号弾が放たれる。暗雲が覆う夜空に人口の華が咲く。
波が引くように、今までの攻勢は何だったのかと思うほど鮮やかな撤退を見せるキメラ隊。どうやら、誘拐や目撃者の排除、あるいはリオの殺害よりも、顕現した神秘について情報を持ち帰ることを優先することにしたようだ。どうあっても、リオには勝てないと悟ったのだろう。
「お前達に、背を見せる権利を与えたつもりはない。――【大地の縛鎖】」
底冷えするリオの言葉が響くと共に、闇と雨の向こう側へ消えようとしていた残党の足元が突如渦巻いた。かと思うと、次の瞬間には、地面から幾本もの鎖がジャラジャラと出現し抵抗させる間も無く拘束していく。
「迸れ」
グルアァ
リオの命令に、雷獣二体が拘束を解こうともがくキメラ隊の元へ駆け、その身を弾けさせた。内包していた雷が解放され、余さず彼等を感電させていく。アイリの居場所や、エデンロードというキーワードなど聞きたいことは山程あるのだ。予定通り、残党は五人程残してある。
だが、彼等も捕虜となって尋問を受ける気はないようだった。
「「「「「……エデンロードに栄光あれ」」」」」
感電しているとは思えないほど綺麗に揃った声で、特に感情を感じさせることもなく呟いたキメラ隊の残党は、一瞬ビクリと大きく痙攣するとパタリと力を失って動かなくなった。
「ちっ」
彼等が何をしたのか察したリオは慌てて一番近くの男に駆け寄り、そのフルフェイス型ヘルメットを取り外した。
「ッ――」
ヘルメットの奥に隠れていた男の素顔は、禿頭で眉毛もなく、どこかのっぺりした人間味を感じさせないものだった。その瞳は開いたまま虚ろとなっており生命力の光がスッと溶けるように消えていく。そして、口からは大量の血と泡を吹き出していた。
「……きた、る滅びに…呑まれ、て…果てる……がいい……」
「なんだと? どういうことだっ。おい!」
不吉な言葉を残す機械じみたキメラ隊の男。咄嗟にリオが問いただすが呼びかけも虚しく男の瞳から生命の光が完全に消えてしまった。
リオは念の為、男の首筋に手を触れて脈を測るが……案の定、生存を示す脈動は伝わって来ない。
「……ダメ、か」
リオは表情を歪めガクリと肩を落とした。手がかりが皆無なわけではない。それでも、アイリを追う有力な情報源を失ってしまったことに違いはなく、その分、再会が遅れることは明白だ。
そして、捕まったとなれば躊躇いなく自らの命を絶てる兵達。それは、それだけエデンロードという組織がいろんな意味で際立っていることを示している。得体の知れなさは、かつての異世界を含めても群を抜いていた。
「くそっ」
グシャとぬかるんだ地面に拳を叩きつけるリオ。ゆっくりと立ち上がり、いつの間にか遠くに過ぎ去ってしまった雷鳴を聞きながら、薄れてきた暗雲の彼方を見つめる。その方角に、アイリを感じながら。
「……私、頭がおかしくなったのかも……」
「……まぁ、リオだしな」
事態の終息を知らせるように、溶け出していく氷の障壁の中で、佇むリオを見つめながらポツリとカンナが呟けば、引き攣り顔のダイキがそう返した。呆然から帰還したカンナは己の正気を疑い、ダイキの方は「あのアイリにして、このリオあり」ということで無理矢理納得しようとしているようだ。
少し離れた場所では、同じくレンが自分の正気を疑うように頭をコツコツと叩いており、ジュウゴやアキナガ、エリカは未だ口を空けたまま意識を彼方へ飛ばしている。
暗雲の隙間から天使の梯子が降り注ぐ。
二人の大切な家族を失った日。片方はもう二度と言葉を交わすこと敵わない永遠の旅路に出てしまった。
それでも、完全武装の、軍隊における特殊部隊とも言える凄まじい練度と最新装備で身を固めた敵を相手に、多くの家族を守れたのは紛れもなく“奇跡”と表現すべき出来事だ。
それを理解しているから、奇跡そのものを行使し自分達を守ってくれたリオの、静かな、されど激情を押さえ込んだような痛々しい背中を、カンナ達は放っておけなかった。
「リオっ」
カンナが呼びかける。
肩越しに振り返るリオ。
ダイキと、そのダイキに支えられて立ち上がっているカンナを見て、更にその後ろの廃ビルから顔を覗かせる孤児院の家族やアキナガ、ジュウゴ、エリカ、レンを見て、心底安堵したように頬を緩めて微笑んだ。
直後、その体がグラリと傾く。
「リオっ」
「おい、リオ!」
カンナとダイキの張り上げられた声も虚しく、リオは一言も応えることなく膝から崩れ落ちた。
お読みいただきありがとうございました。
次話の更新は、明日の18時の予定です。