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荒廃世界のワンダーワーカー  作者: 厨二好き/白米良
16/26

第16話 覚醒



 徐々に強くなってきた雨のベールを切り裂いて、連続した轟音が響き渡る。リオに銃口を向けていた男が冗談のように弾け飛び、周囲の黒服も幾人かが地面に投げ出されて血溜りに沈むことになった。


 予想外の方向からのファーストアタックを逃れた残りのキメラ隊隊員達は、素早くその場から離脱しつつ、反撃の銃撃を行う。


 が、そこへ、お返しだと言わんばかりにグレネード弾が撃ち込まれた。


「ちょっ、俺もいるんだけどっ」


 着弾と同時に発生した凄まじい衝撃に、ゴロゴロと転がりながらリオが抗議の声を上げた。


 一応、リオから一番離れた位置にいた敵を標的にしたようだが、余波だけでも十分な脅威だ。なにせ、対グリムリーパー用に改良された高威力弾なのだから。


 意図的フレンドリーファイヤの可能性に、今度は違う意味で冷や汗を流しつつ、リオは某黒くてカサカサ動くあんちくしょうを彷彿とさせる素晴らしきほふく前進で、攻撃範囲から離脱を図った。


 キメラ隊の数人が、そんなリオに、捉えられないならば殺してしまえと言わんばかりに銃口を向けるが、次の瞬間、その連中の頭部がピンポイントで吹き飛んだ。


 明らかに狙撃されたと分かる。リオが射線を辿って振り返れば、校舎の二階部分から顔を覗かせたサクラおばあちゃんの姿が。


「暗視ゴーグルも、スコープもなしに、雨の中で連続ピンポイント狙撃って……なにが“それほど腕は良くなかった”だよ」


 【レミントンM700】に似た古めかしい狙撃銃を構え、鮮やかな手つきでボルトを操り、瞬く間に排莢、装填を行う姿からは、現役のスナイパーと言われても不思議ではない。


 どうにか距離を取ることに成功したリオは、苦笑いしながら内心でサクラに礼をした。


 気が付けば、キメラ隊の姿が消えている。周りには、頭部を穿たれた者が二人、グレネードで体の一部を欠損させた者が三人、体を蜂の巣にされた者が二人、死体となって転がっていた。今度は、死体を回収していかなかったようだ。


「リオ! 無事か!」


 肩から対グルムリーパー用の高威力ライフルを下げたダイキが駆け寄ってくる。その後ろからも、周囲を警戒しながら、アキナガとレンがやって来た。アキナガは、片足が義足なので速くは動けない。にもかかわらず、キメラを撃退できたのは、その射撃の腕故だろう。


「肩をやられたけど、何とか無事だ。ありがとう、助かった――」


 リオが自分の無事と礼を言おうと口を開いた刹那、


「馬鹿者っ、伏せろっ!」


 アキナガの警告が飛び、同時に、彼のライフルが火を噴いた。標的は、体に風穴を無数に空けられたはずの、そして既に事切れていたはずのキメラの男。


 なんと、その男は、まるで糸繰りでもされているかのようにカクカクと体を揺らしながら起き上がり、その銃口をリオへと向けていたのだ。


 アサルトライフルの弾丸を何十発と体に受けて、おびただしい量の血を流していたことから完全に死んでいると思っていた。まして、立ち上がって戦闘を続行するなどと、誰が思えるのか。


 アキナガの警告に従い、反射的に身を伏せつつ瞠目するリオ達の視線の先で、再度、キメラの男はアキナガの銃撃により体を風に翻弄される木の葉のように揺らしながら泥水へと沈んだ。


「最後の力ってやつか? そんなに根性があるようには――って、おいおい、冗談だろう?」

「馬鹿な……有り得ない」

「は、はは。やっぱり、こいつら新手のグリムなんじゃ……」


 リオ、ダイキ、レン三人の表情が盛大に引き攣る。百戦錬磨のアキナガでさえ、険しい表情を崩さないまでも、驚愕の雰囲気を隠すことはできないでいた。


 それも仕方のないことだろう。なにせ、アキナガに再度銃弾を受けた男と、サクラに頭部を破壊された二人以外の、全てのキメラ隊員が、まるで痛みを感じていないかのようにむくりと起き上がってきたからだ。


 呻き声の一つも、痛みを堪えるような体の震えも、まして死を恐れるような雰囲気もない。まるで、そうすることが当然であるかのように、ごく自然な動作で銃を手に取ると、そのまま銃口をリオ達へと向けた。


「呆けるなっ」

「ッ」


 アキナガの喝により、非常識な光景に呆けていたリオ達が我を取り戻す。そして、それぞれ手に持つ銃の引き金を引いた。相手が引き金を引くより早く、アキナガが牽制をしてくれたおかげで、間一髪、リオ達の応戦が間に合う。


 連続した発砲音が、復活したとはいえ、動きの鈍いキメラ部隊員達の体を尽く打ちのめした。


「なんだってんだ……」


 リオの零した言葉に、ダイキ達は内心で同調する。今度こそ動かなくなったキメラ部隊員達に、アキナガが慎重に近寄り、今度こそ絶命していることを確認した。ようやく一息ついたリオ達だったが、その身には薄ら寒い何かが這いずっているようだった。


 明らかに、非人間的な行動だったのだから無理もないだろう。痛みも、死の恐怖も、感じているようには見えず、絶命するまで戦い続ける戦士――その姿は、まるで機械のようで、確かに、レンの言う通り新手のグリムリーパーのようだった。


「取り敢えず、リオ。肩の傷はどうだ?」


 気を取り直すように、アキナガがリオに尋ねる。それに対して、リオは問題ないと伝え、改めて助けに来てくれたことに礼を述べた。


 ダイキが安堵の吐息を漏らしつつ、リオに尋ねる。


「カンナとアイリは?」

「カンナが迎えに行ってるところ。俺は囮だ。危うくカンナの信頼を裏切ってしまうところだったけどな」


 苦笑いを浮かべるリオに、ダイキは首を振った。結果的に生きているのだから問題ないと言いたいのだろう。


 リオは、立ち上がり、キメラ隊の武器を拾い上げながら口を開く。


「とにかく、直ぐにカンナとアイリのところへ行かないと」

「ならば、私はジープのところへ戻るぞ。この足では、拠点防衛くらいしか出来んからな」


 アキナガが、己の義足をコツコツと叩きつつ、二階のサクラに手を振った。サクラもジープの守護に戻るようだ。コクリと頷くと窓枠から姿を消した。


 と、そのとき、少し離れた校舎の一角で、連続した発砲音が届いた。


「ッ――アイリ、カンナっ」


 銃声の響いた方向は、リオの部屋がある方向。リオは、総毛立ったように表情を強ばらせると、弾かれたように駆け出した。


「リオっ」

「リオ兄ッ」


 あっと言う間に校舎へ飛び込み、自室の方向へ消えていくリオの後を、ダイキとレンが追う。最悪の事態を想像して、アキナガも義足をガシャガシャと鳴らしながら後を追い始めた。


 廊下を、一陣の風の如く走り抜けるリオ。


 最後の角を曲がり、その目に飛び込んできた光景は……


「ッ、カンナぁ!!」


 足から血を流し、髪を掴まれて引き摺りあげられているカンナの姿だった。顔を苦悶に歪め、己の髪を引き千切る勢いで掴むキメラ隊の男の手をガリガリと引っ掻いている。


 そのカンナに苦痛を与えている男は、銃口をカンナの額に押し付けた。まるで、処刑でもするかのようだ。リオの絶叫に、男の視線が一瞬、リオを向く。しかし、何事もなかったようにカンナへ向き直った。


 代わりに、カンナを囲むもう二人のキメラ隊の男がリオに銃口を向けた。


 だが、そんなもの、今のリオには関係ない。大切な家族が傷つけられ、今にも殺されようとしている、その事実だけがリオを支配する。そして、脳の一部がスパークを放ったように弾けた。


 刹那、リオは灰色世界に突入する。だが、リオの世界は、今までと少し異なるようだった。水の中にいるような抵抗をほとんど感じなくなっていたのだ。


「どけぇえええええっ!!」


 世界は色褪せたままであるのに、間延びするはずの己の声が明瞭に聞こえる。飛び来る銃弾の何と遅いことか。カンナを処刑しようとしている男の指が、ゆっくりと引き金を引き絞っている様子すら明確に見えた。


 そして、その指が一ミリ動く間に、リオは、彼我の距離を半分に縮めてしまった。更に、指が一ミリ動く。銃弾をミリ単位でかわしながら、残り三メートルに接近する。また一ミリ動き、トリガーが僅かに沈む。


 リオは……


「っぁ!!」


 気が付けば、カンナを掴む男は、リオの飛び蹴りを顔面にくらい、まるで玩具のようにグルンと首を回しながら吹き飛んでいた。


 更にリオは、外しようのない距離で、先のキメラ隊から奪ったライフルの弾丸をばら撒いた。一メートル程度の至近距離で放たれたアサルトライフルの掃射に、三人のキメラ隊隊員が放射状に吹き飛ぶ。


「ッ、ぐぅ」


 かつてない効果を見せた灰色世界が強制的に解除された。


途端、リオの全身を激しい痛みが襲う。頭の奥が割れそうなほどにズキズキと痛みを伝え、全身が筋肉痛にでもなったかのように疼痛に苛まれる。やはり、今までの比でない負担がかかるようだ。


 しかし、リオは、今しがた起きた現象に関する考察は一度に脇に置いて、目をぱちくりとさせているカンナに迫った。


「カンナっ、無事かっ!」

「え、ええ、私は、大丈夫……でもないけど……えっと、そうじゃなくて、リオ。あんた、今のはいったい……」


 リオに肩を掴まれガクガクと揺さぶられるカンナは、遠くにいたはずなのに突然消えたかと思うと、気が付けば周囲のキメラ隊を吹き飛ばしていたリオに困惑気味の眼差しを向けた。


 しかし、視界の端にダイキやレンが駆けてくるのが見えると、直ぐにそんなことをしている場合ではないと気が付き、太腿に走る激痛を堪えながら、逆にリオへと掴みかかった。


「って、そうじゃない! アイリがっ、リオっ! アイリがっ」

「っ、そうだ、アイリはどうしたんだ、カンナ」

「連れて行かれたわ! 私、逃がそうとしたけどっ、でもあいつらが! 早く追いかけないと! ごめんなさいっ。私っ、守れなくてっ。だからっ」

「落ち着け! カンナ!」


 悲壮な表情で、太腿から血を噴き出しながらも立ち上がろうとするカンナ。アイリが連れて行かれてしまったことに、言葉を乱す程、焦燥をあらわにする。


 リオの手すら振りほどいて、足を引き摺りながら廊下の奥へと駆け出そうとするカンナを、リオは必死に引き止めた。幸いなことに動脈は傷つけていないようだが、看過できる出血量でもない。アイリがいない以上、直ぐに治療が必要なレベルの怪我だ。


 だが、半ばパニック状態にあるカンナは、そんなリオの制止も煩わしいだけなのか、キッと睨みつけると激しく抵抗する。


「リオ! アイリが連れて行かれたのよっ。心配じゃないの!?」

「カンナ……」


 ダイキやレン、それにアキナガまで追いついて来た。カンナの状態と、アイリがいないことで事態を察したようだ。悔しげに表情を歪める。


 そんな中、リオは、唐突にカンナを力強く抱き締めた。


こんなときに何のつもりだとカンナの抵抗が激しくなるが、リオは渾身の力で抱き締めて決して離さない。これ以上、カンナの傷口に負担をかけさせるわけにはいかないのだ。包容は、すなわちパニック状態のカンナに対する拘束でもあった。


 そうして、動きを封じたカンナの耳元に、囁くように、されど、誰が聞いても分かるほど激情を孕んだ声音で語りかけた。


「アイリは取り戻す。必ずだ」

「な、ならっ」

「だけど、カンナが死んだら意味がない。自分を助けに来て、そのせいでカンナが死んだら、アイリがどう思うか、分かるだろう? その怪我は、今すぐ処置しないと不味い」

「それは……」


 徐々に落ち着きを取り戻すカンナを見て、リオは僅かに拘束を緩めると、至近距離から真っ直ぐにカンナの瞳を射抜いた。


「アイリの為というなら……わかるな?」


 いつもの優しい声音ではない。時折出る、威厳すら伴った声音。凪いだ水面のように静かでありながら、その奥に轟々と燃え盛る意志の炎を宿す瞳。


「……うん」


 冷静さを取り戻したカンナは素直に頷く。そして、耐えかねたように崩れ落ちた。


「ダイキ、カンナを――」


 リオが、カンナを支えながら、ダイキに預けようとしたそのとき、再び、複数の連続した発砲音が響いた。一つの音は既に聴き慣れてしまった、キメラ隊のメイン武装である【XM8】に似た高性能ライフルの射撃音だ。


「この方角は……おのれっ、奴等、孤児院の人間を逃さんつもりかっ」


 追いついてきたアキナガが、発砲音のした方向へ視線を転じて血相を変える。轟く銃撃戦の音は、下水道を抜けて脱出したはずの孤児院の家族、それにジュウゴとエリカがいるはずの方角だった。アイリを攫ったというのに、孤児院の子供達を狙うなど予想外である。


 目撃者は消すということなのか、それとも他の子供達もさらうつもりなのか……


「アキナガさん、ダイキ、レン。カンナを連れて皆のところに行って欲しい。俺は一人でアイリを追うから」

「だが、リオ。一人では……」


 リオの言葉に、ダイキが難しい表情になる。ここで戦力を分散させるのは悪手だ。ただでさえ戦力差があるのだから。せめて、余り動き回れないアキナガにジープの防衛を任せるとしても、ダイキとレンくらいは共に行くべきだ。


 だが、子供達を放っておくことも出来ない。


「なにも正面きってドンパチやるわけじゃない。アイリを連れ戻しても、皆に何かあれば意味がないし。ほら、こうして話している時間も惜しいんだ。頼んだぞ」

「リオ……わかった。こっちは任せろ」

「わかりましたよ。リオ兄。アイリを頼みます」

「ふむ。そうするしかあるまい。リオ、正念場だ。気張れよ」

「リオ……アイリをお願い!」

「ああ。そっちも気をつけろよ!」


 リオ達は互いに力強く頷き合うと、一気に別方向へと駆け出した。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 雨足は刻一刻と強くなっていく。遠くの空で稲光が走り、雷鳴が轟く音が響き出した。


 体を叩く冷たい雨と、肩口の傷に顔をしかめながら、瓦礫と泥にまみれた貧民区の悪路を駆けるリオ。キメラ隊から奪ったマグライトで、地面に残された複数の足跡を必死に見分ける。


 だが、激しさを増す雨が、元々荒れ放題で足跡を見分けにくい道を更に滅茶苦茶にしてしまい、複数の同じ靴跡という特徴がほとんど分からない。


「くそっ、せめて雨さえなければ……」


 カンナに大見得切ったものの、一向に追いつく気配のないことに焦燥感が募っていく。


 目に流れ込む雨の雫を乱暴に拭い、足跡が向かう方向と、大人数が移送可能な大型車両を待機させるのに都合のいい一番近い場所を頭に思い浮かべる。


「アイリ……無事でいてく――」


 リオが祈りにも似た懇願を口にしかけたそのとき、


バラララララララッ


 雷鳴と雨音の狭間から、奇妙な音が聞こえ始めた。思わず立ち止まり、耳を澄ませるリオ。その、かつて一度だけ聞いたことのある音に、まさかという思いが過る。


「……これは。まさか、ヘリで連れて行く気なのか!?」


 悪天候の中、というだけではない。基本的に航空機というものはリスクが高すぎてほとんど誰も使おうとしない乗り物なのだ。なにせ、空にも飛行型グリムリーパーはいるわけで、遮蔽物もなく、機動力でも圧倒的に負けている以上、自殺行為に等しい。


 故に、そんなものを使えるのは、対グリムリーパー用にカスタマイズできるほどの資金力を有し、かつ、超低空でも飛行させ続けられるような凄腕のパイロットを確保しているような組織力のある者達だけだ。


 だが、その組織力というものも、エリカからの情報や軍隊のような雰囲気を持つキメラ隊を思えば、有り得ると納得できてしまう。


「飛ばれたら終わりだ……」


 リオの顔が青褪める。そして、一気に駆け出した。飛ばれたら確かに終わりだが、逆に目立っているので、アイリの居場所も分かる。


 ヘリの飛んでいく方向を、雨が目に当たるのも気にせず見上げながら追いかけていく。瓦礫の山を越え、蓋のないマンホールを跳び越え、廃ビルの中を通ってショートカットし、ヘリが着陸しやすい広場に当たりをつけて、裏道を駆け抜ける。


 そして、正面に着陸できる広場と、着陸寸前のヘリを見つけて……


 その瞬間、


バスッ


 そんな、ある意味、間の抜けたとも言える音が響いた。


 リオの胸から。


「……ぇ?」


 残心するようにトタトタと勢いのまま駆けたリオは、ふと立ち止まる。


 そして、そっと自分を見下ろした。


胸元に小さな穴が空いる。そこからジワリと血が染み出してくる。


 周囲に人影はない。狙撃されたのだ。そう認識したリオは、咄嗟に、物陰へ隠れようとした。だが、その前に、刹那の風切り音が響き、同時にリオの体が跳ねた。二発目の弾丸が、リオの体を貫いたのだ。


「ガッ――」


短い呼気が吐き出され、リオの手からマグライトとライフルが滑り落ちた。リオは苦悶に歪んだ表情のまま灰色世界の発動を願う。だが、世界は色づいたまま、何も変わらない。


(なっ、また灰色世界がっ……なんで……まさか、さっきので負担がかかり過ぎたのか!?)


 そんなことを思考している間にも、更に、三発目、四発目の弾丸がリオの体を出来の悪いマリオネットのように揺らした。


 ふらふらと必死に瓦礫の向こう側へ身を隠そうとするが、その足も穿たれる。ガクッと足から力が抜け、強制的に膝をつかされた。


 雨が体を打つ。流れ出た血が滴り落ち、水溜りの色を変えていく。


 稲光が、濡れ鼠のリオを照らす。ただでさえ血を失っていた体に追い打ちがかかったせいで、その顔は死人のように青白い。


 雷鳴が轟き空気を震わせる。しかし、リオの耳には壊れたラジオのようにノイズが響くだけで、天の轟雷は届かない。


「ァ、イ――」


 六発目の弾丸が、リオを貫いた。


 ドシャリと泥水が跳ね飛ぶ。リオの体が、遂に力を失って倒れたのだ。


 リオの手が、泥水を掻く。足掻くように、少しでも前に進もうとするかのように、その先にいる誰かを求めるように……


 霞む視界の先に、今にも着陸しようとしている大型のヘリの前照灯の光が見えた。そして、ヘリのライトに照らされて、地上で待機している幾人もの影も。


 その中の一人が何かを背負っているのが分かる。はっきりとは見えない。雨のベールと距離のこともあるが、リオの視界そのものが暗く靄がかっているのだ。それでも、本能にも似た直感が、あれはアイリだとリオに伝える。


「いか、せ、るか……」


 血の川を作りながら、必死に手を伸ばす。しかし、体は意思に反して一ミリとて前に進みはしない。


 遂にヘリが着陸した。開いた後部ハッチがそのままスロープとなり、まるで怪物が獲物を飲み込むかのように、人影を内へと収めていく。当然、そこにはぐったりと脱力したままの小さな人影もあった。


「――!」


 リオが絶叫を上げた。が、既に声にすらなってはいない。代わりに吐き出されたのは真っ赤な液体だけ。


 ヘリのローターが回転を上げる。生み出された浮力により、その巨体がふわりと宙に浮き上がる。


「――! ――! ――!」


 必死にもがくリオ。その視線の先で、大切な家族を乗せたヘリは前傾姿勢になると、スッと滑るように空を泳いでいった。


 パタリと、リオの手が落ちた。届かなかった手が、泥の中へと沈む。


 雨が激しくなっていく。泥や血と一緒に、リオの命まで洗い流していくようだ。


 リオの脳裏に、アイリとの思い出が過ぎっていく。


(これが、走馬灯?)


 もう、ピクリとも動かない体。それでも記憶だけは鮮明だ。


 ボロボロの格好で、それでも凛と瓦礫の中を駆ける六歳のアイリ。漁りの帰りに遭遇したリオは、わけもなく“見つけた”と感じた。


 意外に足の速い彼女を、ダイキの制止の声も無視して必死に追いかけた。親を亡くしたことにより、廃ビルの中で、ゴミ同然の残飯で飢えを満たしていたアイリに、それでも、輝きを失わない瞳に、呆然と見蕩れたのは、今思い出しても赤面ものの想い出だ。


 まして、リオに気がついた幼いアイリが、驚いたように目を真ん丸にしてリオを凝視し、“見つけた”なんて呟いたのを聞いたときは、嬉しさの余り涙を流しそうになったなんて誰にも言えない。


 互いに同じことを思った不思議さを、二人だけの秘密にしておきたいなんて、乙女チックなことを考えたことも絶対に明かせない秘密だ。


 あのときも、そうだった。


 数人の護衛と共に、十倍以上の賊相手と渡り合っていた彼女。絶賛大ピンチで、偶然通りかかり助太刀した。賊の討伐が終わった後、彼女は真っ直ぐにリオを見つめて“見つけた”と言ったのだ。


 トラブルに巻き込まれて大怪我を負ったリオに、初めて異能を使った八歳のアイリ。その温かな光を見たとき、驚きよりも懐かしさを覚えた。その後の、八歳とは思えない鋭い眼光と、永遠に続くかと思われた説教は苦い思い出である。


 あのときも、そうだった。


 Sランク以上の魔物の討伐で大怪我を負ったリオを、彼女は涙目になりながら癒しの光で包み込んでくれた。治った後、リオが苦笑いしていると、度々無茶をして大怪我をしてしまうリオに、彼女はいつものようにスッと細めた目で真っ直ぐに見つめながらクドクドと説教してきたものだ。


 十歳のアイリにせがまれて、二人でこっそり中央区を巡った。リオ自身は、妹のおねだりに付き合ったという感覚だったが、アイリは仕切りに「兄さんとデート」と言いながら眩しいくらいの笑顔を見せてくれていた。リオ自身、いつの間にかアイリとの時間を楽しんでいた。


 あのときも、そうだった。


 こっそりと王城を抜け出し、フードを目深に被りながら、護衛も付けないお忍びデートをしたとき。あのときも、アイリの笑顔は燦々と輝く太陽よりも美しく魅力的だった。結局、お忍びがばれてしまって城下が大騒ぎになり、慌てて手を取り合って逃げ出したのだが、そんな失敗も、リオにとっては楽しいことだった。


 年を経るごとに、美しく、女らしく、魅力的になっていくアイリ。ふと見せる微笑みや、包み込むような優しい表情は、いつだってリオに懐かしさと愛しさを感じさせた。


(……懐かしい? そう、だ。俺はいつも、アイリを、誰かに重ねて……)


 リオの中に、奇妙な熱が生まれる。


 渦巻き、駆け巡り、リオに“本当の自分〟を思い出せとがなり立てる。


 一度は失ったそれを、忘れてしまった己の一部を、取り戻せと絶叫を上げる!


 いつしか、雷鳴は頭上に、豪雨は滝の如く、機械仕掛けの死神がリオを取り囲んでいた。だが、その事実に知覚を超えた何かで勘付きながら、リオは己の深奥に潜ることを優先する。


 思考の渦、記憶の泉、魂の深奥に手を伸ばす。


 そこに、忘れていた大切なものがあると本能が理解しているから。死の淵で、失われていく生命の熱の代わりに、深き場所から溢れ出る別の熱が己を救うと信じているから。


 自分の力も、アイリの異能も、二人の間に最初から存在していた不可思議な絆のことも、そこに答えがあると、今なら分かるから。


(……アイリ……俺は君と出会った。あの瓦礫の狭間で。賊と魔物の蔓延る森辺で)


 リオの中に二つの記憶が浮かび上がる。


 知っている記憶と、知らないはずの記憶。だが、どちらも自然と受け入れている自分がいる。


(君は俺に撫でられるのが好きだった。その濡れ羽の黒髪を……月色の金髪を……)


 大和撫子の見本のような容姿と雰囲気を持つアイリ。


 気品と威厳に溢れ、されど可憐さをも振りまく王女を体現したアイリ――。


(俺は君を……貴女を……愛して……)


 自分を見つめる、あの真っ直ぐな瞳。慈愛と意志の炎に彩られた誰をも惹き付け、生涯、“リオ――”が心奪われ続けた……


 記憶の中の彼女が自分だけに見せる特別の笑顔。今のそれと、過去のそれが重なりゆく。


 黒の彼女が呼びかける。嬉しそうに、幸せそうに“兄さん”と。そして、時折、こっそり照れくさそうに“リオ”と。


 金の彼女が呼びかける。誇らしそうに、愛おしそうに“リオン”と。そして、時折、こっそり照れくさそうに“旦那さま”と。


 リオの混濁した頭にスパークが奔る。霞みがかった記憶の一部が、風で吹き飛ばされたようにクリアになる。そして、リオは思い出した。


(リオン……そうだ。そうだった。俺の名前はリオン。リオン・ベンタス・ガイラルディア。そして、彼女は……)


 死神の鎌がリオに迫る。狼型グリムリーパーの爪牙が、今にもリオの命を刈り取ろうと稲光にキラリと反射する。


 そんな中、動かないはずのリオの口が、その名前を紡いだ。誰よりも、何よりも大切な人の名前。生涯愛し続けた最愛のパートナー。


「……ァィ、リ……ス」


 宝物庫に掛けられた鍵が外され、黄金がその光を溢れさせるように、リオの中から魂の深奥に押し込められていた全てが解放される。


 それは、いわゆる前世の己。その記憶と、自分が何者かという証。


 首に突きつけられた人類の宿敵が繰り出す爪の鋭利さを感じながら、しかし、リオの中に焦燥の色は一切なかった。この程度の魔物(・・)なら数え切れないほどに討滅してきたのだ。


最愛の彼女と共に。


 かつて世界最強と讃えられたその力が、今――目覚める。


 轟ゥ! と風が唸りを上げた。自然のものではない、不自然極まりない逆巻く風が暴風の如く吹き荒れる。


 直後、蒼穹の光柱が天を衝いた。螺旋を描いて風雨を吹き飛ばし、それだけに留まらずグリムリーパー達をも困惑の内に退ける。


 次の瞬間、黄泉の国に片足を突っ込んでいたはずのリオは、泥水に浸かっていた顔をガパリッと上げた。


 そして、ある意味、シリアスブレイクとも言えるセリフを吐き出した。


「そうだった……俺、魔法剣士だった」


お読みいただきありがとうございました。


次話の更新は、明日の18時の予定です。

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