第14話 目撃
「カンナちゃん、こんなもんでいいかい?」
そう言って、差し出された麻袋の中身は、パック詰めされた保存食がたっぷりと詰められていた。
「……うん。ありがとう。ハナさん」
カンナは、麻袋を受け取ると深々と頭を下げて礼を言った。
そんなカンナに、先日、アキナガの居住区に訪れた際、リオ達を焼き芋に誘ってくれた四十代くらいの女性――ハナは、苦労が滲み出ている皺の深い顔をホロリと綻ばせて首を振った。
「いいんだよ。あんた達、サクラさんとこの子達には、今まで散々世話になったんだ。……都市を出るなんて一大事に、これくらいのことも出来なきゃ人として嘘ってもんさ」
「でも、万が一ばれたら……」
カンナがいる場所は、【生産農場】のはずれにある仕分けを行う大きな建物の裏手。そこで、旅に必要な保存食を手に入れる為に、保管庫の様子を探っていたカンナに、ハナが協力を申し出てくれたのだ。
彼女は、加工品の袋詰めをする班に配属されているので、出荷前の製品に近づくことが出来る。なので、食料を盗み出すのに、これほど有難い協力者はいないのだが……
普通の作物に比べ、討伐者御用達のパック詰めされた保存食は高級品だ。調理とパックの加工なども農場側の施設で行うので、それだけ手間暇がかかるからである。しかも、家畜の肉などは、これまた加工に手間がかかるので、市場で買えば余計に金はかかる。
そんな商品を盗んだと分かれば、当然、農場にも工場と同じく厳しい監督官がいるわけであるから、私刑にされてもおかしくない。相当に危ない橋なのである。
カンナは、都市から出て行くのでばれたときには後の祭りと手を振ってやればいいのだが、これからも同じ場所で働くハナはそういうわけにはいかない。残していくことが、とても気掛かりだった。
「何を遠慮しているんだい。中央の連中に目をつけられたらヤバイって分かっていながら、アイリちゃんの元へ死にかけてた私と娘を連れて行ってくれたのはカンナちゃんだ。食べ物が無くて腹を空かせていたときも、冬の寒さに凍えていたときも、私達親子だけじゃなくて、沢山の人を助けてくれたのはあんた達だろう? なに一つ返せない心苦しさを晴らすこのチャンス、悪いけど逃しはいないよ?」
いつも通りの快活な笑顔を見せるハナに、カンナは頬を綻ばせた。それでも本当に大丈夫だろうかという心配は消えず、少々複雑そうな表情は残る。
カンナ一人では、きっと協力を頼んだりはしないだろうと見越して、ハンナに話を通したアキナガの判断は正しかったと、ハナは人を気遣ってばかりのカンナを優しく抱き締めた。本当に気にする必要はないのだと、むしろ協力できて嬉しいのだと伝えるために。
と、抱き締められて照れるカンナへ更に声がかけられた。
「そうだよ。カンナさん。やっとカンナさんの役に立てて私も嬉しいよ。私とお母さんが住んでいる地区の人達なら、カンナさん達に協力したいっていう人は沢山いるんだから。だから、そんな顔しないで?」
「メイちゃん……」
周囲を警戒しながらも駆け寄ってきた小さな影――メイと呼ばれたハナの娘が、そんなことを言いながら麻袋をカンナに差し出した。中身は缶詰類とフランスパンに似たパン類だ。彼女もまた、別の場所から長持ちする食料を持ってきてくれたのである。
カンナは、屈託なく笑う母娘に、申し訳なさそうだった表情を崩し、ふっと微笑んだ。
「うん。ありがとう。これだけあれば十分。また、会えるかは分からないけど、二人とも、どうか元気で」
「それはこっちのセリフだよ。アイリちゃんを守りたいって気持ちは分かるけど、カンナちゃんも決して無理をするんじゃないよ? それで、ほとぼりが冷めたら、必ず会いにおいで。私達も、皆、元気にやっておくからね」
まるで、家を出る娘を見送る母親のように、薄らと涙を浮かべながら再びカンナの頭を掻き抱くハナ。カンナも、満更でもない様子で抱き締め返す。
そんな二人を見ながら、今年十三歳になるメイは、くすくすと笑いながらからかうように口を開いた。
「お母さん、カンナさんなら大丈夫だよ。だって、直ぐ傍に王子様がいるんだから」
「んなっ。な、なに言ってんの? リオはそんなんじゃないし! 王子様とか有り得ないし!」
「あはは、カンナさん。私は別にリオさんのことだとは言ってないよ~」
十三歳にからかわれる十六歳のカンナ。赤い顔で「ぬぐぐっ」とメイを睨む。
「ほらほら、こんなときに遊ばない、遊ばない。いつ上の連中が戻ってくるか分からないし、もう行きな。体に気をつけてね」
「カンナさん、元気でね。また、絶対に会おうね」
「うん。ハナさんも、メイちゃんも、本当にありがとね。また、会いましょ!」
カンナは、二人にとびっきりの笑顔を見せると、トレードマークのツインテールをヒラヒラさせながら踵を返した。
背中に食料がたっぷり詰め込まれた麻袋を背負って、持ち場に自分がいないことを気づかれる前に仕分け施設の裏から出る。最後にチラリと背後を振り返れば、ハナとメイが小さく手を振ってくれた。
カンナも小さく手を振り返し、都市を出る前に感じることの出来た温かさに頬を綻ばせる。これも、きっとリオとアイリに感化されたが故の奇跡の一つなのだと思いながら。
人目に付かないように、農場エリアから貧民区へと入る。
ダイキがジープを受け取っているはずの場所が集合場所だ。そこまで油断せずに進む。と、その途中で、不意に声が掛けられた。
「カンナ姉!」
「ッ、ってレンじゃない。脅かさないでよ」
「あはは、すみません。こっちは終わったので、手伝いに来ました。食料とは言え、結構重いでしょうから」
「あら、流石、レン。気が利くわね」
カンナは、背中に背負った麻袋の一つをレンに渡す。そして、レンが背負ったのを確認して、一緒に駆け出した。
「それで、そっちは上手くいったの?」
「う~ん、こればっかりは確認のしようがありませんからね。ご婦人方を信じるしかないでしょう」
「あんた、刺されないように気をつけなさいよ、ホントに」
「あ、あはは、肝に銘じてます。前科があるので……」
カンナの、困ったような心配するような眼差しに、レンは乾いた笑い声を上げながら、そっと脇腹を撫でた。
レンが請け負った役割は噂の流布だ。中央の女性に対する男妾という立場から、よく情報を集めてくるレンだが、今回は逆に、客として親しくしている女性方に“貧民区の奇跡”についてあらぬ噂を流して貰う協力を取り付けてきたのである。
少しでも、キメラの連中が混乱してくれるように、と。
ちなみに、レンの首筋には複数の異なるキスマークがついている。レンの“お願い”への前報酬という奴だ。もっとも、お客の中には、のめり込んでしまう者もいるわけで、一年前、レンはサクッとやられてしまった苦い経験がある。そのときは、散々家族に心配をかけたので、レンも十分に注意はしている。
「……まぁ、これからは長く一つの都市にいることはないだろうし、危ない女に狙わることもないだろうけど。っていうか、もうしなくてもいいのよ?」
「いやぁ~、僕は、リオ兄やアイリみたいな力も、ダイキ兄みたいな大きな体も、カンナ姉の勘もありませんから」
だから、この女受けする顔くらいは十全に使いたい。家族の為に。と、言外に伝えるレン。いつも飄々としていながら、実は家族でも一、ニを争うくらい情の深い弟に、カンナは複雑な表情をしながらも、グシャグシャと頭を撫でた。
「あぁ、なにをするんですか、カンナ姉。せっかくカエデさん好みにセットしたのに……一番可愛がってくれた人だから、最後にいい夢見させる予定だったんですよ?」
「レン……あんた、ホントに気を付けなさいよ。刺されないように」
意外に、楽しんでいるのかもしれない。カンナの眼差しがジト目になったのは言うまでもない。
カンナが呆れ、レンが誤魔化し笑いをしながら貧民区を駆けること数十分。
集合場所まで、角を一つ曲がったところという距離までやって来たその時、焦燥感に揺れる絶叫が響き渡った。
「兄さんっ!! 兄さんッ!!」
それは紛れもなく愛すべき妹の叫び。明らかに何か不測の事態が起きている。
カンナとレンは、一瞬、顔を見合わせると同時に表情を強ばらせて一気に速度を上げた。
そして、最後の角を曲がり、その視線の先に映った光景は……
「兄さんっ」
血塗れのまま力なく地面に倒れているリオと、人目も憚らず、必死の形相で治癒の異能を行使するアイリの姿だった。
リオは、体の至る所から血を流しており、衣服が穴だらけになっている。どう見ても、十数発の銃撃を受けた後だ。頭部に損傷がないのは不幸中の幸いか。
傍らには、掌から治癒の光を迸らせるアイリの他に、歯噛みしながら立ち尽くすダイキとジュウゴ、アキナガ、そしてリオと同じく服を大量の血で汚したエリカがいた。エリカの方は怪我をしている様子はない。もしかすると、リオの血なのかもしれない。
「な、に、これ……」
「リ、リオ兄っ!!」
角を曲がったところで呆然と立ち竦むカンナ。レンは、顔を真っ青にしながら駆け寄る。
レンが近くで見てみれば、リオは浅く呼吸を繰り返しながら、時折咳き込んで血を吐いている。胃の中に血が溜まっているのだろう。意識はないようだが、その動きがリオの命が未だ失われていないことを示していて、レンは少しだけ安堵の吐息を漏らした。
それでも余談を許さない重傷であり、もしアイリがいなければ確実に致命傷である。アイリのかつてない必死の形相が、リオが如何に不味い状態なのかを示していた。
「リ、リオ! リオっ!」
ようやく正気に戻ったカンナが、激しく取り乱した様子で駆け寄ってきた。そのまま縋り付こうとする。それをダイキが羽交い締めにして止める。
「離してっ、リオがっ」
「心配なのは俺達も同じだ! 今は、アイリに任せろ!」
「でも、でも……」
悲壮な顔で崩れ落ちそうなカンナをダイキが抱き留める。
「大丈夫、必ず治すわ。必ずっ」
アイリが叫ぶ。額から大量の汗が流れ落ち、ますます輝きを増す光に反して呼吸は荒くなっていく。
そんなアイリを、ジュウゴ達が己の無力を呪いながら見守る中、気持ちを立て直したレンが、リオの血で真っ赤に染まっているエリカに顔を向けた。
「エリカさん……その血は……」
「ええ、リオのよ」
「……いったい、なにがあったんです?」
リオを見つめながら押し黙っていたエリカは、レンの問いかけにようやく顔を上げた。そして、一度深呼吸をすると、ゆっくり話し始める。
「リオは、私が仲介した護衛の討伐者達と顔合わせに行ったのよ。彼等は、琵琶湖エリアから隊商護衛で仙台エリアに来ていた人達で、どうせ帰らなきゃならないからって、相場の三倍は依頼料を出したこともあって快く引き受けてくれたわ」
「まさか、その人達が裏切って?」
レンが顔をしかめながら尋ねるが、エリカはふるふると首を振る。
「いいえ。彼等は、実利主義者だから貧民区の人間に対して意味もなく横暴を働く人達ではなかったわ。私が、危ない連中を紹介するわけないでしょう?」
「そうですね。でも、それじゃ、いったい、なにが……」
「逆恨みよ」
「逆恨み?」
エリカが、ギリッと歯ぎしりした。その普段は艶やかな顔が怒りに歪んでいる。アイリの治癒を見ながら、エリカは何があったのかを思い出しつつ口を開いた。
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リオがダイキと別れてからやって来たのは、中央区のはずれにある、露店が並ぶ界隈だった。
ズラリと並んだ様々な露店を冷やかすこともせずに、真っ直ぐ進んでいくリオの視線の先に、寂れた様子の屋台が見えてくる。適当に放り出されたような木製のベンチが置かれており、客はほとんどいない。
破れてボロボロになった暖簾の奥にはやる気のなさそうなおっさんが、頬杖をつきながら店番をしていた。時折、客である三人の討伐者らしき男三人の注文に従って、串焼きと飲み物を出している。
リオは、その三人の客に歩み寄って行った。この場所が、エリカから伝えられた待ち合わせ場所だからだ。予定より早い時間だが、エリカが連絡を取ってくれたおかげで、彼等は既に揃っているようだ。
「すみません、あなた達が護衛をして下さる方達ですか?」
「ん? あぁ、お前が依頼の?」
「はい。俺を入れて五人。代表で来ました。エリカさんから聞いていると思いますが」
「ああ。聞いている。あの綺麗な上に金払いのいい姉ちゃんから、琵琶湖エリアまで一緒に連れて行ってやって欲しいってな」
リオの呼びかけに答えたのは、三十代手前くらいの体格のいい男だった。灰色の戦闘服を着ている。共にいる男達も同い年くらいだ。
脇に置かれている武器は、旧世界のおいて、【M249】――通称【ミニミ】と呼ばれていた軽機関銃に酷似したものだった。もちろん、対グリムリーパー用に改良が加えられている。
武器のグレードは悪くない。町中でも、火力のある武器を手放さない用心深さもある。
また、リオに対する眼差しも、貧民区の人間というだけで侮蔑するような色はなかった。共に旅をするのに悪い印象は与えたくないと、慣れない敬語も使ってみたが余り心配はなさそうだった。
リオは内心で、流石、エリカの紹介だと感心する。同時に、既に随分と高い料金を払ってくれたのだと理解し、協力は惜しまないというエリカの言葉を思い出して心の中で頭を下げた。
「俺はヒデだ。二人はカズとトシ。まぁ、金はもう貰っているし、きちんと琵琶湖エリアまで届けてやるよ。但し、俺達は見ての通り三人だけだから、五人の護衛には数が心もとない。全員、生き残って向こうに着きたきゃ、俺達の指示には従ってもらうぞ?」
「ええ。もちろんです。プロの方に任せますよ。俺達は戦闘も、都市間移動もズブの素人ですから」
「はは、物分りが良くて助かるぜ。下手な新人討伐者なんかだと、馬鹿やらかす奴が結構いるんでな」
リオの返答に気をよくしつつ、ヒデと名乗った討伐者は、ルートや日程、戦闘になった場合の行動指針などを細く話し始めた。それを大人しく聞き入るリオ。一通り、必要なことを話し合うとリオは席を立った。
「それじゃあ、俺は今の話を仲間に伝えてきます。合流場所で会いしましょう」
「おう。後でな。……そういや、一つ聞きたいんだが……」
「はい?」
立ち去ろうと背を向けたリオに、ヒデが声をかけた。
「その年で、貧民区の人間が、どうして都市を出ようと思ったんだ?」
それは確かに当然抱く疑問である。リオは、まさか異能を狙う謎の集団に追われていると言うわけにもいかないので、時系列は無視して事実を伝えることにした。ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら。
「工場の監督が余りにムカついたんで、ちょっと腰が抜ける程度に脅かしてやったんですよ。なので、もうこの都市にはいられないんです」
「はぁ?」
リオの返答に、キョトンとするヒデ達。一拍後、彼等は盛大に笑い声を上げた。リオの返答は、彼等のツボに入ったようだ。痛快だと、膝を叩きながら笑っている。
リオも釣られて笑みを浮かべた。
周囲の人達は、そんなリオ達を不思議そうに見ている。
だからだろう。
屋台の裏から迫る悪意に気がつかなかったのは。
ジャキッ……
そんな音が笑い声の狭間に響いた。一瞬で、表情が硬直するヒデ達とリオ。反射的に身を投げ出そうとするが、僅かに薄れていた警戒心がワンテンポ行動を遅らせてしまった。その絶妙なタイミングが、狙ったものか偶然かは分からないが……
連続した炸裂音と同時に、死線がヒデ達とリオを狙って飛び出した。間にある屋台やベンチが一瞬で粉砕されて細かな残骸へと成り果てる。
アサルトライフルのフルオートで放たれた弾丸の群れは、屋台の店主に無数の風穴を空けて絶命させ、そのままヒデ達に襲い掛かる。
「っ!?」
ヒデの仲間であるカズと呼ばれた男は、運悪く最初の一撃で頭部を穿たれ、脳髄を撒き散らし、トシと呼ばれた男の方も首筋と右胸部を穿たれ首筋を抑えながら地面をのたうち回った。
ヒデは、一番反応が早かったせいかファーストアタックでの致命傷は避けたものの、大腿部を撃たれ、地面に体を投げ出してしまう。咄嗟に、腰のホルスターからハンドガンを抜き撃ちし、屋台の向こう側に悲鳴を上げさせることに成功したが……
次の瞬間に殺到した弾丸の群れに、今度こそ体を貫かれて、その命を終わらせてしまった。
「くそったれがっ、なんで当たらねぇんだっ」
屋台の背後から怒声が響く。
残骸と化した屋台の後ろ、そこにある大きな瓦礫から上半身を覗かせた二十代前半くらいの男が、表情を歪ませながら小型のライフルをリオに向けていた。
それに対し、ヒデ達が殺されたことに顔を歪めながら銃弾を回避したリオは、側宙しながら、ヒデの死体から少し離れた場所に落ちていた【ミニミモドキ】を拾う。
上下反転した世界で、リオ達を襲撃してきた若い男が表情に焦燥を浮かべるのが分かった。その顔に見覚えはない。何故、襲われたのか分からない。あるいは、キメラ隊かとも思ったのだが、どう見ても新人討伐者といった風情だった。
リオは、わけがわからないまでも、せっかく会えた気のいい討伐者達と関係のない屋台の店主を殺したことに、激しい怒りをあらわにした。スローになった世界で、体が一回転しながら着地すると同時に、【ミニミモドキ】の引き金を引く。
ダッダッダッダッダッ
そんな音を立てて7.62mm弾が分間730発の速度をもって放たれた。ばら撒かれた弾丸は、瓦礫の上部ごと、その後ろに隠れていた男の頭部を吹き飛ばす。血飛沫を撒き散らし、もんどり打つ男に驚いたのか、瓦礫の脇から別の男が倒れ込むように現れた。
そちらにも、引き金を引きっ放しにして瞬時にミニミモドキの銃口を向けるリオ。パパパパッと瓦礫の破片と粉塵が弾丸の着弾している軌跡を描く。それが、地を這う蛇のように倒れている男に急迫し、慌てて転がる男の胸部に無数の穴を穿った。
リオの感覚が、後二人。物陰に潜んでいる存在を捉える。
それを証明するように、別の瓦礫の奥から、瞳を憎悪に燃やす男が二人、銃口をリオに向けながら姿を見せた。
「死ねよ! 化け物っ!」
罵倒に対する返答はミニミモドキの弾丸。暴虐の嵐が二人の男が隠れた瓦礫を吹き飛ばす。
しかし、今回は、仕留めること敵わなかった。流石に、仲間が二人殺られていることから、少しは慎重さが出てきたようだ。彼等は、直ぐさま身を伏せて瓦礫の向こう側に姿を消してしまった。
その間に、一人は姿勢を低くしながら移動し、別の瓦礫の奥からリオを狙う。
それをしっかり認識しつつ、かわし様に反撃してやろうとリオが身構えた、そのとき、不意に泣き声がリオの耳に響いた。
(嘘だろう!?)
総毛立ちながら肩越しに背後を振り返れば、四、五歳くらいの女の子が泣きながら座り込んでいる姿があった。
拡大したリオの知覚は、女の子が膝を擦りむいていることに気が付く。おそらく、逃げようと走り出して転んでしまったのだろう。そして、恐怖と痛みで立てなくなってしまったに違いない。
このままでは銃撃戦に巻き込まれるかもしれない。そう考えたリオは逡巡する。そして、女の子に万が一にも流れ弾がいかないように、その場を離脱しようとする。
が、そんなリオの目に信じられない光景が飛び込んできた。
戦場において、武器を持つ標的から意識を逸らすなど自殺行為以外のなにものでもない。少しでも戦場の風を知るものなら、それは有り得ない行動だ。だから、リオもそんなことは頭の片隅にもなかった。
にもかかわらず、襲撃者の男が持つ小型ライフルの銃口は、痛みと恐怖に泣く何の関係もない女の子の方に向いていたのだ。その瞳からは既に正気の色が消えかかっている。正常な判断力すら、既に失われつつあるのかもしれない。
(ちくしょうっ)
リオの脳裏に、家族の影が過る。放っておけと、助ける義理も義務もないと、どこか冷静な己が語りかけてくるのが分かる。
だが、
(出来るわけないだろうっ)
それがリオなのだ。“他人”とか“関係ない”とか、“義理”とか“義務”とか、あるいは“善”や“悪”なんてものすら、リオにとってはただの言葉に過ぎない。理屈と利害だけで生きているわけではないのだ。そんなものだけで生きられないのだ。
魂が許さないから。心の奥の奥。自分でも分からない深奥が、リオという人間を突き動かすのだ!
だから、
「――ッ」
リオは、その身を危難へと飛び込ませる。傍から見れば、きっと随分と馬鹿に見えるだろう選択をする。
男にミニミモドキを向けながら、その身を以て少女の盾となる。
結果は明白、ミニミの弾丸は男を穿ち、男の弾丸はリオを穿つ。血飛沫を撒き散らしながら、激痛といよりも熱いと感じる体の感覚に歯を食いしばり、女の子座りをしている少女を片手で押さえつけるように伏せさせた。
「あぁあああああっ」
「ぐぅうううううっ」
遠くから男の悲鳴が聞こえる。同時に弾丸が少女を庇うリオの周りでタップダンスでもしているかのように跳ね回った。
リオもまた、遅れてやって来た激痛に唸り声を上げながら、ミニミモドキの引き金を引く。数発の弾丸がリオを更に撃ち抜くと同時に、リオの放った弾丸も男を粉砕した。
もう一人の男が、顔を覗かせ照準してくる。リオは、少女を抱き抱えると死に物狂いで近くにあった瓦礫の奥へと飛び込んだ。
「がはっ。ごふっ。ぐっ、いいか? ここから、っ、出ちゃダメだ。ジッとしてろよ?」
リオの言葉に、少女はコクコクと頷く。
仲間が全滅したことに動揺しているのか、狙いがぶれていたのは僥倖だった。少女に弾は当たらなかったらしい。直撃コースの何発かも、リオがその身を盾にすることで防げたようだ。
もっとも、肉の壁などたかが知れているわけで、あるいは貫通して少女を傷つける可能性も高かったのだが、どうやらすべて受け止め切れたらしい。直撃の寸前、体の奥で、なにか熱いものが蠢いたような気がしたのだが、あるいはそれのおかげかもしれない。
そんなことを頭の片隅に、リハどうにか少女の安全を確保すると、これ以上巻き込まないように転がり出て行く。
だが、その瞬間、リオの体を更に衝撃が襲った。撃たれたのだ。
(は、灰色世界がっ……)
奇跡的に弾丸を受け止め切れた代償というのか、それとも連日の連続行使のせいか、灰色世界が発動しなかったことに、リオは内心で悪態を吐く。
そうしている間にも、音速の死は急迫していて、
「ぐぅ、ああっ」
いったい、何発撃たれたのか……
悲鳴すら上げられないほどに風穴を空けられたリオ。既にその身は己の血で真っ赤に染まっていた。それでも、その瞳に輝く生命の光は絶えることなく、リオは血を滴らせながら立ち上がった。
そして、震える手でミニミを構え引き金を引く。
が、返ってくる反応はカチッという音だけで、頼もしい振動は伝わってこなかった。
代わりに伝わったのは、体を貫く衝撃。急所を外れているのは、本能のなせる技か。無意識レベルで傾けた体が、結果的にリオの命を長らえさせた。もっとも、虫の息であることに変わりはなく、その身は主の願いも虚しく崩れ落ちる。
(ま、ずい。これは……ホン、トに…まずい)
焦燥感が、濁流のように胸中へ流れ込む。遠くから、最後の襲撃者が近寄って来るのが分かる。瓦礫の影から、巻き込まれた女の子が泣きながら自分を見ているのを感じる。……視界が霞む。
ザリッと、耳元で地面の砂利を踏み締める音が響いた。リオが血溜りに沈みながら視線を向ければ、そこには鬼の形相をした若い男がいた。目が血走っており、吐く息は狂乱の熱を伴っている。
男の足が、リオの胸部を踏みつけた。
「っが!?」
リオが、強制的に押し出されたような苦悶の声を上げる。身悶えるリオに、嘲笑と憎悪で出来た生地に狂気をトッピングしたような声音が降り注いだ。
「せいぜい、苦しめよ。俺達はお前のせいで滅茶苦茶になったんだ。当然の報いだろ?」
「ッ――」
「わけがわからないって顔してるなぁ? えぇ? クソが。自覚もねぇのか。この外人が」
男の足がリオの胸部を踏み躙った。傷口からグチュリと生々しい音が鳴り、血が溢れ出す。
「俺達の仕留めたワンコを間違えて再起動させやがったくせに、壊れた施設の弁償は俺達がすることになったんだぞっ。そんな金はねぇのに! これじゃ、俺達は外区行きだ! お前等のせいで、俺達は討伐者すら出来なくなったんだぞ!」
出血多量で意識が朦朧とする中、どうにか襲撃の動機を知ったリオは、余りに見当外れな理由と、その結果もたらされた惨劇の大きさに、煮え立つような怒りを覚えた。
どうやら、襲撃者の正体は、先日、生産工場に直込みをしてきたあの新人討伐者達だったらしい。案の定、壊れた施設の弁償を突きつけられたようだが、要求された賠償金を払うことが出来ず、貧民区に落ちざるを得なくなったのだろう。その腹いせに責任転嫁しつつリオ達を襲ったようだ。
「へ、へへ……仲間も全員死んじまった。……せっかくお前等のこと調べてぶっ殺してやろうと思ったのに……ぶっ殺して、また討伐者を……なのに……お前のっ、お前のっ、せいでっ」
「ぁ、ぐぅっ!?」
リオ達を殺すことが、どうして討伐者として再起することに繋がるのか。
既に、男の言っていることは支離滅裂で、感情に任せて暴走しているのは明らかだった。おそらく、調べたというより、偶然知って衝動的に襲ってやろうとでも思ったのだろう。
傍に熟練の討伐者がいるにもかかわらず、襲撃してきたのがいい証拠だ。本当にリオ達のことを調べて襲撃計画を練ったのなら、貧民区で一人になっているときにでも襲うのがベストなのだから。
その無計画っぷりは、確かに新人のそれだ。その代償は高くついた。仲間の死という形で。直込みというルール違反の代償だけで、自分達の愚かさを学べばこんなことにはならなかっただろう。
男は、散々、瀕死のリオを踏みにじると、その手に持つ小型ライフルの銃口をゴリッとリオの額に押し付けた。
「なんだよ……なんだよ、その目はっ! 命乞いでもしてみろよっ! 無様に泣き叫べよっ! てめぇの命は俺が握ってんだぞっ!」
「……」
実際、リオにはもう言葉を発する余力もなかった。それでも、その瞳は何よりも雄弁に訴えていた。
――死んでも諦めはしない
死に体で、実際に放っておけば数分後には死んでもおかしくない重傷なのに、その瞳に宿る意思の炎だけは益々火勢を強めていく。轟々と燃え盛る煌きは、それだけで相手を圧倒しようとでも言うように、銃口を押し付ける男を貫いた。
「こ、この化け物がっ! 死に損ないのくせにっ!」
男のヘドロの沼のように濁った瞳にチラチラと垣間見えるのは、圧倒的優位にあっては似つかわしくない“畏怖”の色。それを示すように、男の小銃を持つ手は小刻みに震え出している。
そうして、真っ直ぐ射抜いて来るリオの眼光に耐えかねたように、引き金に掛かる指に力を込めた。
引き金が引かれ、パンッと乾いた音が響き渡る。
「――ぁ?」
しかし、弾け飛んだのはリオの頭ではなかった。わけが分からないといった様子でキョトンとし、己の体を襲った衝撃に首を傾げる――男。
リオも瞠目する。その視線の先――男の胸部には小さな穴が空いていて、ジワリと血が流れ出した。
男が、「これ、なんだろう?」と、小さな穴に手を這わせた、その瞬間。
パンッパンッパンッ
連続して乾いた炸裂音が響き渡った。
同時に、男の体からパッパッパッと血飛沫が舞った。その衝撃に、トタトタと幼児のように覚束無い足取りで後退りした男は、ようやく、己の身に起こった事態を理解したようで絶望に顔を歪めながら、弾丸が飛んできたと思われる方向へ視線を転じた。
そこには、厳しい表情でウェーブのかかった長い髪をなびかせる妙齢の美女が、両手で銃を構えている姿があった。手に持っているのは護身用のコンパクトなオートマチックだ。
「ち、くしょう……」
男は、ゴフッと口から血を滴らせながら、手に持つ小銃を向けようとするが、相手方がそれを許すはずもなく、
パンッ
止めの一撃が、男の胸に吸い込まれた。グラリと体を傾け、泣き笑いのような表情をしながら、ドウゥと地面に倒れ込む男。
直後、悲鳴じみた声が響き渡った。
「リオっ」
リオの傍らに、焦燥と共に走り寄って来たのはエリカだ。リオと護衛達の顔合わせに付き合うべく、少し時間から遅れたもののやって来て、そしてこの惨劇と今にも止めを刺されそうなリオを目撃したのである。
「ェ……ヵ…」
「話さなくていいっ。あぁ、こんな……どうしてこんなことにっ」
泣きそうな顔で、必死に傷口を抑えるエリカ。その手は瞬く間に鮮烈な赤で汚れていく。
「アイリちゃんのところへ連れて行かないと。しっかりなさいっ、リオ! 絶対に意識を落としちゃダメよっ! あんたは、こんなところで死んでいい人間じゃないのよっ」
エリカは、リオの腕を取ると自身の肩に組ませて引き摺るように歩き出した。だが、女の身で弛緩した男の体を運ぶのは重労働だ。気ばかりが焦り、されど歩は遅々としている。
歯噛みするエリカ。
と、そのとき、エリカとは反対側に小さな影が走り寄ってきた。膝を擦り剥いて、涙で頬を汚している、先程リオが庇った小さな女の子だ。紅葉のような小さな手で、必死にリオを支えようとしている。
「あなた……」
「うぅ、お兄ちゃん、死なないでっ」
既に目が落ち込み、濃い隈が出て、瞳は虚ろになりつつあるリオ。明らかに死相が浮かんでいる。
それでも、自分を支えようとする小さな手を感じ取ったようで、小さく視線を動かすと、見上げてくる女の子に目を合わせて小さく微笑んだ。
申し訳なさと、感謝を綯い交ぜにした淡い微笑み。巻き込んでしまった罪悪感と、無事でいてくれたこと、今、支えてくれていることへの感謝。それらが否応なく伝わる。
女の子は、一瞬、驚いたように目を丸くしたが、直ぐに、同じ様に花咲くような笑顔を浮かべた。
そんな二人に、エリカは何とも言えない表情になる。
「リオ、あなたって人は本当に……もう……」
今にも死にそうなくせに、どうしてこうも容易く人を笑顔にできるのか。胸の内に、温かな何かが溢れてくるのを感じながら、エリカはリオを支え直し、絶対に助けると気を引き締め直した。
~~~~~~~~~~~~~~~~
「結局、私一人じゃ間に合わなかったでしょうけど、途中で、その子の父親が来てね。その子の懇願で、リオを運ぶのを手伝ってくれたのよ。その道中で、何があったのか女の子から聞いたわ。推測するに、その馬鹿共の逆恨みでしょう」
「そういうことですか……全く、リオ兄は、ぶれないですね」
アイリの治癒により、リオの顔色が元に戻って来たのを見て、レンは安堵の息を吐きながら困った人を見るような目でリオを見やった。
リオは決して、自分を蔑ろにしているわけではない。何かあれば、自分を大切に思ってくれている人達が、同じだけ傷つくのだと理解している。だが、それでも踏み込むのだ。自分が傷つくことで、アイリ達の心が傷つくと分かっていながら、“それでも”と。
それは、きっとリオが見せる甘えなのだろう。家族だからこそ、遠慮なく心配してもらうし、一緒に傷ついてもらう。そうして甘えられるから、躊躇いなく一歩を踏み込めるのかもしれない。
大切だから、危険から遠ざけ自分だけで背負う。
大切だから、共に傷ついてもらう。
果たしてどちらが正しいのか。あるいは、どちらも間違いなのか……
(僕には分かりませんね。でも、僕は、それをリオ兄の信頼と受け取りますよ。アイリも、ダイキ兄もカンナ姉も、他の皆も、リオ兄の為に傷を負って上げますから、だから、死んではダメです。生きていてくれれば、いくらでも、どこまでも、あなたの行く道について行きますから)
レンの内心は、実際、この場にいる全員と共通していた。誰もが、アイリの光に包まれるリオの回復を祈って一心不乱に見つめている。
そうして、いよいよアイリが限界に達したように体をふらつかせたそのとき、
「ぁ――」
傾ぐ体を支えるようにリオの腕がスっと上がった。アイリの肩に添えられた手には確かに命の温かさが宿っている。
閉じていた目蓋がふるふると震え、やがてスっと開かれた。
「に、いさん」
「ああ。ありがとう、アイリ。助かったよ」
薄らと微笑むリオに、疲れきった表情のアイリは、しかし、満開に咲く花の如き笑顔を浮かべると、目の端に安堵と歓喜の涙を溜めながら、その血で汚れた胸元に縋り付いた。
途端、ダイキが、カンナが、レンが、ジュウゴが、アキナガが、エリカが、一斉にリオのもとへ集う。口々に、手厳しい説教やら怒声やら罵倒が叩きつけられるが、一様に、彼等の顔には歓喜の色が浮かんでいる。
それに、謝罪やら感謝やらを伝えつつ、リオが怪我をしたこと以外は、皆、計画通り準備が上手くいっていることが報告され合った。リオを運んでくれた父娘は、アイリの異能のこともあってエリカがお礼と共に帰したことも伝えられた。また、他の護衛を見つけるのは難しく、自力で動かねばならないだろうことも。
一通り、話し合いが行われた後、リオは、再び目蓋に重さを感じ始めた。
「兄さん、少し眠った方がいいわ。傷は治っても、失われた血までは取り戻せないから」
「だけど、準備が……」
「それなら、私達がやっておくわ。出発するときに、兄さんがふらふらじゃ、ままならないでしょう?」
「確かに……」
リオがダイキ達を見渡せば、全員、力強く頷いた。それに安心して、リオは静かに目を閉じた。アイリの胸元に、体を完全に弛緩させて倒れこむ。やはり、限界だったようだ。
アイリ自身も、異能を使い過ぎて相当、疲労しているはずなのだが、自分の腕の中で早くも寝息を立て始めたリオに、聖母のような慈愛の表情を浮かべて優しく頭を撫でた。甘ったるい空気が周囲にふわりふわりと漂う。
「アイリも、少し眠りなさい。力の使い過ぎでふらっふらじゃない」
「カンナ姉さん……うん。お言葉に甘えるわ。後は、宜しくね」
「ええ。任せなさい」
そう言うと、アイリもまたそっと目を閉じて、直ぐに寝息を立て始めた。寄り添いながら眠る二人に、カンナ達は、「しょうがないなぁ~」と生暖かな眼差しを向ける。
そして、アキナガの号令により、リオとアイリを孤児院に運びつつ、旅の最終準備に入るのだった。
離れた廃ビルの屋上から、双眼鏡で一部始終を見ていた者がいることには、結局最後まで、誰も気がつかなかった。
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次話の更新は、明日の18時の予定です。