第11話 黄金蜘蛛
「で? おたくら、なんなのよ?」
車両の分厚い装甲で覆われたドアを盾にしながら降り立った男が、ヘッドライトに照らされて眩しそうに目を細めるリオ達に胡乱な眼差しを向けた。
三十代半ばの、短髪で無精髭を生やしたガタイのいい男だ。額にある真一文字の傷が実に特徴的である。片手で顎を撫でながら、もう片方の手には、対グリムリーパー用の大型ハンドガンを握っている。
「しがない漁り屋だよ」
「……漁り屋ねぇ~。最近の漁り屋は、随分派手にやるようになったじゃねぇの。知らんかったよ。手榴弾なんぞ使ったら赤字だろうによ」
リオは、ジュウゴの怪我を応急処置しているレンとダイキを横目に、会話しながら目の前の討伐部隊を探る。一難去って、また一難という状況なのか、それとも、本当に一難は去ってくれたのか……
「いやいや、あれは俺等じゃないよ。ここで【小さな巨人】がワンコを大量に放置したって情報を手に入れたから漁りに来たんだけど……途中で、おかしな連中に襲われたんだ」
「おかしな連中?」
「ああ。少なくとも仙台エリアじゃ見たことのない連中だった。最高グレードの武器で完全武装、獅子の上半身に鷲の下半身なんていうわけの分からない部隊章をつけていた」
「四肢の上半身に鷲の下半身、ねぇ」
額に傷の男は思案するように再び顎を撫でた。どうやら、考えるときの癖のようだ。
(……どうやら、あからさまに貧民区の人間を貶めるような人柄ではなさそうだな。見た目に反して理性的だ。統率もきっちり取れている)
リオもまた、眼前の討伐者について思考を巡らせた。と、そのとき、視線を感じて、そちらを横目で見る。すると、ジュウゴの応急処置を終えたレンが何かを伝えるようにリオを見つめていた。それを示すように口がゆっくり動く。
(……く・も? 雲? いや、蜘蛛か? この状況で蜘蛛って……そうかっ、こいつら、【黄金蜘蛛】か……評判は悪くない。下手に誤魔化したりしなければ、きっと悪いようにはしないだろう)
リオは内心で少し気の抜けた息を吐いた。
討伐部隊【黄金蜘蛛】――規模は小隊レベルだが、その実力は第二級レベルと評価されており、また、無法者が多い討伐者にあって悪い噂のない連中である。貧民区の人間に対しても特に理不尽を働いたことがない上に、他の討伐部隊が意味もなく貧民区の人間をいたぶっていたのを気まぐれに止めたことがあると聞いたこともある。
また、仙台エリアの全部隊の内、最も金にがめついことでも有名である。第二級ともなれば対人級のグリムリーパーなど放置するものだが、たとえワンコ一匹であっても自分達で倒したグリムリーパーは自分達で売り捌く! 他人が倒したグリムも貰えるなら全部貰う! と豪語するほど。
その部隊名の由来も、蜘蛛のように糸を張り巡らせて黄金を片っ端から手に入れるという決意が込められている、らしい。本当かどうかは分からないが。
とにかく、金には煩いが割と善良な連中ということだ。
「確かに、そんな部隊は知らないねぇ。仮に、その話が本当だったとすると、おたくらはそんな連中相手にほとんど丸腰状態で生き残ったってことになるんだが……随分と不思議な話じゃないの」
「自分でも、よく生き残ったと思うよ。あんた達が来てくれなけりゃ今頃死んでた。確実に」
「ふ~ん? ……まぁ、罠を張るなら事前に気づかれるようなへまはしないか……」
やはり、漁り屋風情に警戒心をあらわにしていたのは罠の可能性を考慮してのことらしい。
もうひと押しと、リオは足元に落としていた黒服達のアサルトライフルを足で蹴って【黄金蜘蛛】のリーダーらしき男の方へ滑らせる。
「それ、連中が持っていたライフルだ」
「おっ、マジで? ……へぇ、こいつはまた、いいもん持ってんじゃないの。余所さんという話は本当っぽいねぇ。仙台エリアじゃあ、どの店でも見たことねぇや」
しげしげと、珍しい高グレードライフル――【XM8】のカスタムっぽい外観のアサルトライフルを眺める額傷の男は、僅かに目を細めた後、納得したように頷いた。
「それは渡す。解体したワンコのパーツも渡せというなら渡すよ。だから、そろそろ帰っていいか? 早くきちんとした怪我の治療をしたいんだ」
「うん? あぁ、そりゃそうだわな。OK~、OK~、行っていいよ。ワンコも略奪なんぞしないから持っていきな。俺等は、この先に対団級の生き残りがいないか見に来ただけだからよ」
「そうか……助かる。いや、本当に色々と助かった。まだ、あの黒服の連中が周辺にいるかもしれない。得体の知れない奴等だから気をつけて」
「おう、ご親切にどうも」
リオは、自分達の悪運に苦笑いしつつダイキ達の方へ歩み寄った。既にダイキがジュウゴに肩を貸して立ち上がり、レンが麻袋を二つ背負っている。リオもジュウゴの分の麻袋を背負って森辺へと歩みを進めた。
その途中で、ふとリオは足を止めて振り返った。
「ん? どうしたよ?」
額傷の男が、車両に乗り込みかけたところでリオに気がついて声をかける。
「あ~、えっと、あんた……」
「サカキだ。気がついているみたいだが、【黄金蜘蛛】のしがないリーダーだ」
「ああ。サカキ、さん。ちょっと聞きたいんだけど……」
「?」
「……“貧民区の奇跡”って、知ってるか?」
その質問に、ダイキ達が僅かにギョッとしたような表情になった。まさか、リオが自分から藪をつつくとは思わなかったのだ。
だが、リオとしても考えなしで尋ねたわけではない。仙台エリアの外の連中にまでアイリの異能が伝わっていた以上、実際の噂の広がり具合というものを確かめておきたかったのだ。
昼間のウエスギの態度も、もしかしたら失踪事件の犯人か否かの見極めという目的の他にアイリに関する噂を聞いていたが故かもしれないのだ。
しかし、
「んん? 貧民区の奇跡? なになに、貧民区の人間が奇跡みたいな成り上がりでもしたのかよ? どんな金のなる木を見つけたんだ?」
「あぁ、いや、詳しいことは知らないんだ。そういう言葉を聞いただけで。サカキさんみたいな名のある人なら、何か情報を持っているのかと思ったんだが……すまない。変なことを聞いて」
「……ふ~ん。まぁ、そういうことにしておこうか。そいじゃ、気ぃつけて帰れよぉ~」
何か違和感は覚えたようだが、サカキはさっさと車両に乗り込んでスルーしてくれた。人がいいのか、あやふやな噂より今晩の狩りを優先したのか……それは分からないが。
九死に一生を得たリオ達は、急いで貧民区に戻る森の中の道を進んだ。
「師匠、具合はどう?」
道中、リオがジュウゴに尋ねる。ジュウゴはダイキに肩を預けたまま、どうということもないと言いたげな澄まし顔で返答した。
「弾は綺麗に貫通してるし、血管の損傷も酷くはねぇ。もう血も止まっているしな。問題ねぇよ」
「はぁ~、そうか。良かった。ごめん。俺等が漁りに誘ったから……」
「ド阿呆。あんな連中がいることなんか誰が予想できんだ。失踪事件のことを聞いていても、あんな異常な連中想像の埒外だ。それに、この程度の理不尽、貧民区の人間にとって日常茶飯事だろうがよ。そんなことより、リオ。てめぇには考えなきゃならねぇ重大事があるだろうが」
「アイリのこと……か」
リオが絞り出すような声音で答えた。ダイキとレンも、深刻そうな表情で顔を見合わせる。
「でも、リオ兄。ちょっと変ですよね。元々、秘密なんてどこからか漏れるものだし、アイリの治癒はそれなりの人に使っているから、中には一人くらい情報を漏らしちゃった人もいるでしょうけど……」
「ああ。もしそうなら、外の連中が知っていて【黄金蜘蛛】のメンバーが知らないというのはおかしい」
そうなのだ。もし自然と広がった噂なら、地元の人間である【黄金蜘蛛】の耳に入らないはずがない。黒服連中が、いったいどういうルートで噂を仕入れたのか。そして、何故そんなオカルトじみた噂を信じて追っているのか……
余りに不可解だった。
「奴等、討伐者とは毛色が違うように思えた……」
「ダイキの言う通りだな。俺も、長年討伐者という人種を見てきたが、野郎共とは纏っている雰囲気が違った。……あるいは、ワンコからCPUやら動力炉を回収したのも連中かもしれねぇな」
「でも、いったい何の為に……失踪事件にしろ、アイリのことと何か関係が?」
首を傾げるリオに、ジュウゴは首を振る。関係があるのかもしれないし、全くの別の目的の為という可能性もある。どちらにしろ、余りに情報不足だった。
「リオ。分かっていると思うが、予想が現実になった以上、しばらくアイリには使わせるな。治療したことのある奴等にも口裏を合わせるように伝えとけ。それと情報収集を忘れるなよ」
「わかってるよ、師匠。取り敢えず、アキナガさんに話を通しておく」
しばらくの間、沈黙が続いた。森の中を歩く音だけが僅かに響く。そんな中、レンがポツリと言葉を零した。
「場合によっちゃあ、他の都市に逃げないとダメかもしれませんね」
「……元より、覚悟の上だ」
その呟きにダイキが既に覚悟を決めたような表情で返した。
「そりゃあ、僕もですよ。ダイキ兄。リオ兄とアイリが行くところなら、どこまでだって付いて行きます」
「お前等、余り先走るなよ……」
ジュウゴが、諌めるような声音でレンとダイキを見やる。
「二人共、ありがとう。いざって時は逃避行だ。まぁ、今はとにかく情報収集だな。エリカさんとも情報交換したいし」
「了解です」
「ああ」
分かりあったような笑みを浮かべて頷き合う三人に、ジュウゴが「若ぇなぁ~」と少し遠い目をして呟いた。
やがて、周囲を最大限に警戒しながら森の中を抜けたリオ達は都市の端にあった廃ビルに入った。一度、この後の方針を話し合うためだ。
「ダイキは師匠を連れて先に孤児院に戻ってくれ。師匠の治療と皆に警告を。それと、レンはアイリの異能を知っている人達に口裏合わせを頼んで来て欲しい」
「リオは?」
「俺は回収品を売ってくる。粗悪品しか無理だろうけど銃も手に入れられないか見てくるよ。対グリムリーパー用の高性能な奴は無理だろうけど、対人用なら何とかなるかもしれない。今日は稼ぎがいいからな」
リオは、倦怠感と体の節々の痛みに少し辛そうにしながらも、気合でダイキとレンの分も合わせて麻袋を三つ背負った。
「おい、リオ。売るなら俺の分も足しにしとけ。遠慮はいらねぇ」
「はは、ありがとう、師匠。師匠ならそう言ってくれると思ってたよ。でも、重すぎて持てないから、取り敢えず俺達の分だけにしとく」
「あ~、そりゃそうか……まぁ、明日朝一にでも売ればいい」
「ああ」
ジュウゴの厚意に頭を下げリオはダイキとレンに視線を合わせた。
「二人共、くれぐれも付けられたりするなよ。あいつらが、どこから見ているか分からないからな」
「大丈夫ですよ、リオ兄。貧民区は俺達の庭なんですから」
「ああ。レンの言う通りだ。油断もしない」
ダイキとレンの力強い返答を聞いて、リオもまた力強く頷き返した。
そうして、リオ達は、深夜に差し掛かった夜の闇へ、それぞれ消えていくのだった。
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ダイキ達と別れたリオは、肩にギリギリと喰い込むパーツの重みに苦笑いしながら中央区に向かって歩を進めていた。
グリムリーパーは、貧民区であれば、たまに入り込んでいることがあるので当然警戒しなければならない相手ではあるが、今は、それよりも例の黒服連中につけられてやしないかということの方が、リオの警戒心を普段以上に引き上げていた。
夜の闇から闇へ、影から影へ、時に廃墟の中や、周囲から死角になっている秘密の抜け道を使って確実に距離を稼ぐ。
月が中天に上がるこの時間だと、既に【交易死場】は終わってしまっているが、深夜に狩りに出る討伐者用に、開店している個人商店も結構ある。リオが、今、向かっているところも、そういう個人の商店だ。
【交易死場】のような中央の人が多く集まる場所では、貧民区の人間は絡まれやすいので、比較的、リオ達は個人商店を利用することの方が多い。厳しい商い上の戦いをくぐり抜け生き残る為に、いい物を持ち込んでくれさえすればいいと、個人店主達は貧民区の人間も無碍にはしないのでやり易いのだ。
夜中でも絶えない中央の明かりを目指して進んできたリオは、ようやく中央区に入った。
時間帯的に、酒場で浴びるように酒を飲んで酔っ払った討伐者が蔓延っているので、絡まれないよう目的の店まで裏路地を縫うように進む。
と、そのとき、不意に声がかけられた。
「リオ、偶然ね」
若い女の声。そして聞き覚えのある声だった。
リオは背後を振り返る。すると、薄暗い裏路地の奥から予想通りの女性が現れた。
「今からあなたの家に行こうと思っていた直後に会えるなんて凄い偶然ね。何だか運命的だと思わない?」
緩くウェーブのかかった長い黒髪に、深いスリットの入ったワインレッドのワンピースを纏った妙齢の女性。どこか退廃的な雰囲気を放っており、一見すると娼婦のように見える。というか、実際、娼館でも働いているのだが彼女の本職は情報屋だ。
名前はエリカ。リオ達の会話の中に度々登場したあの彼女だ。エリカもまたジュウゴと同じく、かつてリオとアイリに心身共に救われた人物であり孤児院の家族とも知己である。
「エリカさん。運命的かどうかは置いておくとして、確かに凄い偶然だ。だけど、この時間に裏路地で一人だなんて……危ないぞ」
「あら、心配してくれるの? うふふ、リオは相変わらず優しいわねぇ」
「茶化さないでくれ……」
にんまりと笑いながら擦り寄ってくるエリカに、リオがジト目を向ける。
細身なのに出るところは出すぎなくらい出ており、露出の多い服装なので彼女の纏う雰囲気と相まって凄まじくエロい。並みの男ならあっさりと理性を飛ばされそうである。
しかし、会う度にやたらと絡まれるリオはすっかりエリカの攻撃に慣れてしまい、彼女が楽しんでいるのが分かるので大きな動揺はない。たとえ、魅惑の双丘がリオの胸元でムニュムニュと形を激しく変えていても動揺などないと言ったらないのだ。
「そ、それで? アキナガさんから話は聞いてる。色々調べていたんだろう?」
「もう、せっかちねぇ。私はリオと会えてこんなに嬉しいのに……」
しなを作りながら、更にリオに密着するエリカ。その細く引き締まった美脚をそっと絡ませてくる。指もわざとらしく、リオの胸元を這う。
「勘弁してくれ。今夜は色々大変だったんだ。こんなガキをからかってないで本題に入ってくれよ」
「あら、私は本気よ? リオなら、タダでも……」
「エ・リ・カ・さ・ん?」
リオが強い調子でエリカをグイっと引き離す。「あぁん」と実に艶かしい声を上げながら、これまた随分とわざとらしく身をくねらせるエリカ。リオのジト目が突き刺さる。
「んもっ、リオったら本当に朴念仁なんだから。これはアイリちゃんも苦労するわけだわ」
「いや、何でそこでアイリが出てくるんだよ」
「同じ苦労をするものだからよぉ~」
どこか拗ねたようにエリカは唇を尖らせる。わけがわかないといった表情のリオに、再度溜息を吐きながらエリカは本題に入った。
「アキナガさんから聞いているなら話は早いわ。実は、出来るだけ早く伝えたいことがあってね」
先程までのふざけた雰囲気は微塵もなく、瞳に鋭さを宿したエリカにリオは内容を先回りして口を開いた。
「伝えたいことっていうのは、最近、外からやって来た黒服連中のこと、か? おかしな怪物の部隊章をつけた」
「……知っていたのね。いえ、もしかして、もう遭遇した?」
やはり、そうだったらしい。リオは、周囲に一度視線を巡らせた後、心なし声を潜めながら口を開いた。
「ああ。ついさっきね。実は、そのことで俺もエリカさんと情報交換するつもりだった」
そう言って、リオは事の次第を話し出した。全てを聞いたエリカは、「はぁ」と憂鬱そうに溜息を吐きながら新たなタバコを取り出した。
「ごめんなさい。もっと早くに伝えておくべきだったわ」
「いや、仕方ないさ。“小さな巨人”ですら掴めていない情報なんだ。今日中に伝えに来てくれただけでも感謝だよ。それに、奴等の異様さをこの目で見られたのは幸いだった。だから、気にしないでくれ。それより……」
「ええ。黒服のことね。私の仕入れた情報だと、連中は今日の朝方、貧民区の人間を装って南貧民区をうろついていたみたいね。質問の内容は、リオがされたのと同じ“貧民区の奇跡を知らないか”だそうよ」
エリカの情報網は広い。そして、その主なルートは貧民区で繋いだ縁だ。なので、貧民区で起きた出来事については、特に情報を掴むのが早い。
「奴等の部隊章は、神話に出てくる“キメラ”という幻獣らしいわ。ホウジョウって聞いたことある? 有名な好事家の。アキナガさんに紹介してもらって聞いてきたのよ」
「あぁ、今日、アキナガさんに教えてもらった。【旧世界の遺産】に関するものなら幾らでも金を出すっていう変わり者なんだろ」
「ええ、そうよ。凄い資料の数だったわ。とにかく、奴等――キメラ隊は、どうやら富士エリアの部隊のようよ。まぁ、未確認の情報なのだけど……数年前に富士エリアから移住してきた人がいるんだけど、以前、向こうでその部隊章を付けた連中を見たことあるらしいわ」
「富士エリア……」
エリカはリオの呟きを聞きながら、話を続ける。
「もっとも、見たことがあるだけで、討伐部隊として有名だったわけではないらしいわ。時折、戦場に現れてはグリムリーパーのCPUや動力炉ばかり回収していく上に、町中では滅多に見かけないから拠点がどこかも分からない……そんな不気味な印象を抱かせる連中だったみたいね」
「そうか。やっぱり奴等がCPUを……。それに富士エリアでも得体が知れないという評価は変わらないんだな」
リオは納得したように一つ頷くと、エリカに聞きたかったことを尋ねた。
「それで、奴等がどこからアイリのことを聞きつけたのか……それについては何か情報はある?」
「それなんだけどね。奇妙なのよ。私が調べた限り、アイリちゃんに救われた人で情報を漏らした人はいないようなのよ。時間がなかったから絶対ではないのだけど。それでも、“癒しの異能”については、独自の情報網を持っている第一級クラスの討伐者達ですら知らないようだった。情報が、貧民区の一部で遮断されているのは確かだわ」
「ということは……」
「ええ。奴等、わざわざ貧民区に紛れ込んで、身分を隠しながら色々と情報を集めていたのでしょうね。キメラ隊自体は今朝方目撃されたばかりなのだけど、いわゆる諜報員のような役割を担った奴は、相当前から貧民区に紛れ込んでいたのでしょうね」
リオとエリカの表情が険しいものになる。もしそうなら、キメラ隊の目的が気になるところだ。果たして、アイリの噂を聞いたから調査に来ていたのか、別の目的で調査に来ていて偶然、アイリのことを知ったのか……
「私の推測ではあるけれど、おそらく、キメラ隊は別の目的で貧民区をうろついていたのだと思うわ」
「理由は?」
「……これも未確認なのだけど」
エリカ曰く、どうやらここ数ヶ月ほど前から、最大規模の東貧民区と南貧民区で百人近い人が行方不明になっているらしい。
貧民区の人間が、ある日忽然と消えるというのは特に珍しいことではないので、特に誰も気に留めてはいなかったらしく、エリカの耳にも、「どこどこの誰それが、どっか行っちまったなぁ」という程度の話は届いていたのだが、彼女も特に気にしてはいなかったらしい。
しかし、先程話に出てきた富士エリアからの移住者の話を聞いて、エリカは、もしかすると何か関係があるのかもしれないと二つの情報を結びつけたようだ。
というのも、その富士エリアから移ってきた人達の移住理由が、富士エリアの貧民区で数年前から起きていた大量の失踪事件から逃れるためだったと聞いたからだ。何でも、向こうでは既に五百人以上の人が消えてしまったらしい。
グリムリーパーなどに襲われたのだとしても、争った形跡も血痕の後もなく、本当に最初からいなかったように行方が分からなくなってしまうのだ。流石に、その異様さに耐え切れなくなって逃げ出してきたのだという。
「つまり、貧民区の行方不明者続出に、キメラ隊が関わっていると?」
「あくまで推測だけどね。無関係で切って捨てるには、タイミングとか色々と重なりすぎでしょう?」
確かにと頷くリオに、エリカは心配そうな表情をしながら、リオの手を握った。
「おそらく、連中は貧民区の人間を攫うか殺すかしているのだと思うわ。そこにどんな目的があるのかは分からないけれど、クズパーツの積極的な回収といい、オカルトの領域を出ない噂話に本気になるところといい、余りに得体が知れない。リオ、本当に気をつけて。連中がアイリちゃんに辿り着くのは時間の問題よ」
「エリカさん……分かってる。どうやら、アイリを狙っている連中は、俺が思っていたよりもヤバイ連中みたいだ。アキナガさんにも相談して、直ぐに今後の方針を決めるよ」
「ええ、そうした方がいいわ。何なら、他の都市に逃げることも考えておいてね。護衛が欲しければ、私の伝手で紹介してあげるから」
「ありがとう。エリカさん」
「いいのよ。リオとアイリちゃんには命を救ってもらったのだもの。それに、単純に私はあなた達を気に入っているの。何かあったら、悲しすぎて生きていけないくらいにね」
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべるエリカに、リオは嬉しそうに微笑んだ。
それから二、三、話をした後、エリカは伝えるべきことは伝えることが出来たため孤児院には寄らず、引き続きキメラ隊の情報を集めるべく夜の闇へと消えて行った。リオもワンコのパーツを売り払って、その金で粗悪品ではあるがリボルバー拳銃を三丁手に入れて帰宅の途についた。
肌を撫でる風が、エリカの話を聞いたせいかいつもよりぬるりとしている気がする。醜悪な虫に背筋を這われているような、そんな不快で気持ちの悪い感覚が拭えない。
だが、それでも、ジュウゴといい、エリカといい、リオ達の為に対価も要求せずに力になってくれる人達がいる。事情を話せば、まだまだ協力を惜しまない人達は出てくるだろう。リオ達が、リスクを背負い、余裕のない中でも忘れず撒いてきた善意の心が芽吹いているのだ。
(大丈夫。きっと何とかなる。いや、何とかして見せる)
リオは心の内で、改めて決意を呟いた。
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