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画‐かく‐  作者: 芳野 喬
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画内と画外

第3章 地方発展計画

1.夕暮れ

 あの後、松田を紹介してもらい、残った仕事を片付けるという神村を残してKPWを後にした。同期会の場所はお馴染みの新橋だ。虎ノ門からならゆっくり歩いても15分で着いてしまう。7時半までは1時間以上もある。

 以前の上司や同僚、関係省庁の知り合いに出くわすのは面倒な気がしたので霞ヶ関方面は避けて、久し振りに内幸町から日比谷公園辺りを歩いてみることにした。内幸町までは虎ノ門の裏通りを歩く。以前に比べて行き交う人が少なくなって随分歩きやすい。昔は間口の狭い小さな飲食店が軒を連ねていたが、小さな雑居ビルの多くが取り壊されて小奇麗なビルに生まれ変わり、1階は明るいカフェやラーメンショップ、小洒落た和食処に変わっていた。

 

 外堀通りに出ると、ここも以前に比べ人通りが少なくなっていた。歩道が随分広くなったように感じる。外堀通り沿いのビルもほとんどが高層ビルに建て替えられ、歩道に沿って銀行や証券会社が並び、所々に高級ブランドのブティックやゴルフショップ、ワインショップが入り、カフェのテントやレストランのイタリア国旗などが見える。歩道はレンガ敷きで、葉を落したプラタナスが立ち並び落ち着いた佇まいだ。

 歩いているうちにオレンジ色の街燈が点り始めた。車道をみても以前と比べ車が少なくなった。スピードを上げる車もなく静かに流れている。タクシーは全て無人の自動運転車だ。

 

 画内では3年前にタクシーが全て無人化された。乗り方は昔と変わらない。こちらに向かってくるタクシーを見つけたら手を上げれば良い。空車なら停まってくれる。乗車拒否はしない。ドアが開いたらシートに座り、座席前のモニタ画面に映る男性乗務員に行き先を告げれば良い。昔のタクシーと違いモニタ画面の乗務員は丁寧に「いらっしゃいませ。ご乗車いただきありがとうございます。どちらまで参りましょうか」と聞いてくるので、行き先を告げれば「かしこまりました」と落ち着いた品のある声で応対してくれる。女性乗務員の場合もあるにはあるが、タクシーの場合は男性の方が安心感があるとかで8割方男性だ。無人だからどちらでも関係ないようなものだが。

 目的地に近づいたら停車位置を口頭で指示すれば停まってくれる。運賃は全て国民カード決済だ。行き先を告げたときに顔のデータが記憶されているので、読取り機にカードをタッチすればそれで終りだ。

 メカニズムは分からないが、かなりの精度で外国人を識別できるようで、乗客に応じて英語、中国語、韓国語で対応してくれるらしい。同じような顔をしているはずだが、ちゃんと日本語、中国語、韓国語を使い分けるそうだ。試してみたい気もするが、今は時間をつぶさなければならないのでタクシーは使わず気ままに歩くことにする。

 

 日比谷公園は以前と同じように大木が鬱蒼としていた。図書館は既に取り壊され、跡地にはオープンカフェを併設したギャラリーが木立の中に佇んでいた。外のテーブル席に座っている人はおらず、明かりの灯った店内で何組かのカップルやグループが語り合っている。公園は新緑間近でウメとモクレンの花が見えるくらいだ。散策している人の数も少ない。

 

 夕闇が濃くなってきた。日比谷通りに出て、帝国ホテル横の道を数寄屋橋方面に向かう。さすがにこの当たりまで来ると行き交う人の数は多い。人波の中に何組もの外国人観光客がウインドウショッピングを楽しみ、夕食の店を物色している。この辺りも人々はゆったりと歩き、急ぎ足の人はいない。数寄屋橋交差点まで来るとすっかり夜の風景になり大型ビジョンの広告が眩しい。昼間の暖かさはすでになく、寒さが増してきた。コートのポケットに手を突っ込む。スクランブル交差点は以前のように混雑することはなく歩きやすい。

 晴海通りを銀座4丁目交差点に向かう。オレンジ色の街燈の下を行き交う人々はこれからディナーなのか映画を見るのか、皆着飾り笑顔で話しながら歩いている。歩道沿いには高級ブランドの衣料品や靴、宝飾品などを扱うブティックが並び、それらを眺めながらゆったりと歩いている。半分くらいは外国人旅行者だ。

 

 時刻はいつの間にか7時10分を回っていた。新橋まで歩こうと思っていたが、遅れるとまずいので地下鉄を使うことにした。

 銀座4丁目交差点そばの出入り口から地下に降りていく。駅の構造は以前と変わらないが、明るく綺麗になった。改札を抜けホームに降りて行く。最も混雑する時間帯のはずだがあまり混み合ってはいない。

 ホームに降りるとすぐに渋谷行きの黄色い車両が入って来た。降りる人を待って乗り込む。少し混んではいるが押し合いへし合いというほどではない。着飾った中年婦人のグループ、品のある熟年夫婦がシートに座り静かに語り合っている。ビジネススーツを着た人達がつり革を持ちスマホを眺めている。

 落ち着く間もなく新橋に到着した。ホームから階段を昇り、改札を出る。新橋駅も随分明るく綺麗になった。オリンピックの後しばらくは地下通路にホームレスがたむろしていたが、景気の回復に伴い徐々に姿を消していき、画ができてからは画内にいたホームレスは全て画外のシェルターに移されたらしい。

 コンビニ、衣料や雑貨を扱う小さなブティック、ドラッグストアの並ぶ地下通路を抜け、階段を上り、JR新橋駅の駅前広場に出た。

 


2.議連

 2010年代後半、日本経済は失速し、多くの国民は日々の暮らしを維持することで精一杯。政治に対する不平、不満が日本中に充満していた。

 活政治家たちはここに来てようやく事態の深刻さに気付いた。このままでは自分たちの身分が危ない。早急に定数削減と選挙区割りの見直しをしなければならない。国民の目に見える形で。とは言え、なるべく自分たちの首だけはつながるように。

 

 そして、早々に与野党合同の協議機関の設置を決めた。しかし、問題はこれからだ。自分たちの首がつながる、自分たちだけは首がつながるような協議機関にしなければ意味がない。まずは協議機関の構成をどうするか?政党ごとの人数の配分をどうするか?協議機関が出した結論をどの様に具体化していくのか?入口からもめ始めた。また始まった。学ばない人たちなのだ。


 2019年、「納税者党」が旗揚げされた。東京の都心部や山の手に住む富裕層が中心になって立ち上げた政党だ。国のやることは富裕層から税金を吸い上げることと、その税金を役に立たない人気取り政策にばら撒くだけだ。

 苦労して納めた自分たちの税金だ。意味のないことに使わずに有効に使ってもらいたい。この国の経済の発展のために、この国の安全を確保するために、国民の生活を快適にするために。富裕層が次々と国外に逃避するのも元はと言えば税金が正しく使われないためだ。

 庶民も庶民だ。政府や国会は何もしない、何もしてくれないと文句ばかり言っているが、ろくに税金も納めないでよく言えたものだ。ただ飯を食っているのは政治家だけじゃない庶民も同じだ。


 国の政策とは突き詰めれば税金の使い途だ。大事な税金を何にどれだけ使うかを決めることだ。だから、国会は納税者の声を第一に聴くべきなのだ。税金を納めていない人たちは政策に対して意見を言う権利などないのだ。株を持っているから株主総会に参加できるのだ。株を持たない人たちにはその権利は与えられないのだ。納税者だけに選挙権、被選挙権を与えるべきだ。

 憲法や戦後長く続いた民主主義体制に真っ向から挑戦する荒唐無稽な主張を繰り広げる政党に対して、学者やマスコミは集中砲火を浴びせた。しかし、政府や国会の無為無策振りを嫌というほど見せつけられてきた国民の中に支持する声が広がっていった。そして、次の総選挙では議席を獲得するかもしれないとの憶測が出始めた。

 

 この年の7月、参議院議員選挙が行われた。一票の格差は3年前に微調整されたが、すぐに3倍以上に拡がった。しかし、国民の反発は総選挙ほどではなかった。全体の投票率は過去最低の44%だった。20歳代以下は23%、30歳代は34%、40歳代は43%だった。国民は参議院に期待することを止めた。

 そして、「参議院廃止国民運動」が起こる。参議院は一体何をしているところだろうか?衆議院で決まったことを追認しているだけではないか。これまで何度か衆議院で決まったことに反対したことはあった。しかし、結局は衆議院に押し切られるのが落ちだ。議員はといえばタレントとかスポーツ選手とかテレビによく出てくるニヤけた学者とかの集まりじゃないか?有名人が政治家面してえらそうにただ飯食ってるだけじゃないか?衆議院も大した仕事をしている訳ではないが、強いていえば衆議院だけあれば十分じゃないか。参議院はもう要らない。これまた憲法や戦後の民主主義体制に挑戦する国民運動だったが、生活苦にあえぎ、不公平感が募り、重税感に嫌気がさした国民の支持が広がっていった。


 2020年、超党派の現職議員により「納税額比例選挙制度創設議員連盟」と「参議院廃止議員連盟」、いわゆる「納税議連」と「廃止議連」(産廃ならぬ参廃議連だと陰口をたたく者もいた)が相次いで発足した。日本国憲法のもとで選出された議員たちが日本国憲法に真っ向から挑戦しようというのだ。以前なら内閣総辞職か衆議院解散ものだ。いや、その程度では済まなかっただろう。国政は、いや国内が大混乱したはずだ。しかし、経済が疲弊、混乱する中で国民の政治に対する期待、関心は薄れ、信頼は地に落ちていた。

 形だけとはいえこの国の骨格をなしてきた戦後民主主義体制が崩壊する危機に、本来なら声を大にして反対したであろう学者や文化人、マスコミ関係者たちも相次ぐ国政と経済の大混乱の中で感性が鈍り、反対の大合唱が巻き起こることはなかった。


 納税議連はともかく廃止議連に名を連ねる参議院議員はいないだろうと誰もが思った。参議院を廃止するということは自らの身分を失うことなのだから。

 ところが廃止議連のメンバーの三分の一が若手の参議院議員だった。何故か?それは参議院の廃止に取り組む方が得策と判断したからだ。参議院に対する風当たりは強くなる一方だ。そう遠くないうちに参議院は廃止を余儀なくされるだろう。このまま参議院に留まっていても展望は開けない。それなら参議院の廃止をいち早く宣言し、自ら身を切る改革派政治家として名を売った方が得だ。そう考えたのだ。

 そして、参議院が廃止された後に衆議院に鞍替えするのだ。改革派の若手が老いぼれの現職衆議院議員を追い落とすのは簡単だ。同情票も少しはもらえるかもしれない。勿論、今は鞍替えの話は一切口に出さない。今は自ら身を切ることを決断した改革派政治家なのだから。



3.けやき

 新橋駅前。猥雑でエネルギッシュで人間臭い、かつてサラリーマンの聖地と呼ばれた風景はそこには無かった。居酒屋、サラ金、風俗店、パチンコ屋など男達の欲望を満載した多くの雑居ビルはもうどこにも見当たらない。待ち合わせの定番だった蒸気機関車だけがぽつんと残されていたが、再開発によって機関車を取り巻く一帯は大きな広場に変わっていた。

 広場には葉を落して寒そうなマロニエが格子状に整然と立っている。マロニエ周囲にはベンチが置かれている。広場を取り囲むように高層のオフィスビルやホテルが並んでいる。広場は乗り入れが禁止されているのか車は全く見えない。ビジネスマン、ビジネスウーマンたちが談笑しながら行き交っている。酔っ払って陽気に騒ぐ中年サラリーマン、ひざの抜けたジーンズを穿いた若者、作業服を着た中年男などかつての新橋の主役たちの姿はもうそこにはない。

 

 広場を取り囲む真新しいオフィスビルやホテルは、その1階から3階までが歓楽街として統一的に整備されている。そこにカフェやレストラン、ビアホール、カラオケ店、和食や中華の店が入っている。その一角にはバーが連なるエリアがあり、辛うじてサラリーマンの聖地たる新橋の面影を残している。ただし、画ができてから、画内の風俗関係の取り締まりが徹底して行われたため、それらしき店は全く見掛けなくなったという。

 

 蒸気機関車を横目に見ながら直進し、正面の高層ビル横の歩道を歩く。その先に目的のビルがあるはずだ。そこは駅正面のビルよりは若干低いがそれでも優に30階はあった。上はオフィスビルかマンションのようだが、1階から3階まではやはり飲食店が入っている。1階には飲食店のほかにコンビニとドラッグストアが入っていた。スマホのGPSで確認するとこのビルで間違いなさそうだ。

 飲食街のエントランスホールに入り、ズラリと並んだ店名の中から目当ての名前を探す。3階の店名の中に「和食けやき」という名前を見つけ、エレベータで3階に昇る。ドアが開き正面の案内に従って左側の通路を行く。通路左側の4軒目、小さな行灯に和食けやきの文字を見つけた。神村の行き付けの料理屋だ。新潟の漁港直送の魚と地酒が自慢の店らしい。コースの値段は他のお客の手前安くはできないが、女将秘蔵の地酒をサービスしてくれるとのことだった。

 

 引き戸を開くと掃き清められた土間があった。ケヤキの上り框の奥にヒノキの廊下が伸びている。白檀がかすかに香る。靴は並んでいない。スリッパが廊下に4組綺麗に揃えてある。まだ誰も来ていないのかと思う間もなく女将が奥から出てきた。三つ指をついていらっしゃいませと迎えてくれる。神村さんの名前でと告げるとお待ちしておりました、こちらへどうぞと廊下の一番奥の部屋に通された。障子を開けると神村と増本、小西、前田が茶碗を手に一斉にこちらを向き、お久しぶりと声を掛けてきた。

 「やあ久しぶり。みんな元気そうだな」と応じる。

 「今日は芳野が主役だからこちらへどうぞ」と小西が奥の席を勧める。

「何で主役なの」と問うと「遠路北海道から出てきたんだから」と小西が答え、「主役と言っても勿論割り勘だから心配すんな」と前田が付け加えた。

「まあ気を使うメンバーでもないから何処でもいいか」と言いながら奥の席に座り「他には誰が来るの?」と聞いた。

「矢崎と大原だ。藤田は海外主張中なので今日は7名だ」と幹事然と神村が言う。

 「藤田から昨日メールをもらった。今頃はローマで仕事中だろう。参加できないので皆によろしくとのことだった」と私から伝えた。


 障子が開き、「お客様がお見えになりました」と言いながら女将が私のお茶を持って入ってきた。その後から大原が入ってきた。外はかなり寒いはずだが額に汗が見える。少し息が荒い。大きなバックパックを背負い、登山用のシャツにウインドブレーカーを羽織っている。下はチノパンだ。アマチュア登山家が山から帰ってきたようだ。

 「お待たせ。悪い悪い。みんな久しぶりだね」

 「今回も現場か?このところ毎週出張だな。情熱の人だね、よく身体が持つよ。ほどほどにしておいた方がいいぜ、頑張っても給料は変わらんだろう。身体を壊したら元も子もない。俺の場合は頑張れば頑張っただけ儲けになるからいいがな」と神村が労いにならないような労いを言い「矢崎は少し遅れると言ってたから始めるか」と女将を呼び、始めるように言った。

 「今日はメバル、ノドグロ、サクラマスの良いのが入ってます。こちらのお任せで用意させて頂こうと思いますが何か苦手なものがあれば仰ってください」と女将が言うと「ありません!」と全員が即座に答えた。思わぬハーモニーに女将がプッと吹いた。

 「日頃まともな物食ってる奴はいないのかよ?ここは魚が絶品だからな。刺身は勿論だけど、煮物、焼き物、蒸し物何でも旨いから楽しみにしていてくれ」と神村が期待を持たせ「で、大原今回は何処に行ってたんだ?」と聞いた。



4.袋小路

 最初は荒唐無稽と思われた二つの議連だったがその勢いは増すばかりだった。景気はなべ底を這ったままだ。庶民は日々の暮らしを守るのに汲々とし、政治に目を向けるゆとりはない。そもそも政治に何の期待もしていない。テレビの中で、世間のことは何でも承知しているかのような顔でインタビューに応える政治家を見ていると無性に腹が立ってくるが、腹を立てても腹の足しにもならない。これまで何回か選挙で投票してきたが何も変わらなかったし、これからも変わることはないだろう。彼らは庶民のことなど何の関心もないのだから。投票に行くのは時間の無駄だ。選挙権なんてどうでもよい。勝手にしろ。参議院を廃止するらしいが、無くなるならそれはそれで結構なことだ。これで役に立たない政治家が一人でも減るなら国の財布も少しは楽になるだろう。ざまあ見ろだ。庶民にとって二つの議連の活動などどうでも良いこと。応援する気持ちなどさらさらないが、反対する理由もなかった。


 富裕層は大賛成だ。相次ぐ増税で政治に対する不満は高まる一方だった。税金の使われ方だって我慢ならないことだらけだ。仮に納税額比例選挙が導入されたら少しは自分たちの意見が反映されるかもしれない。参議院の廃止にしても異存があろうはずがない。そもそも何の役にも立っていないのだから。衆議院にしても役に立ってはいないが、とりあえず一つくらいは残しておかないと先進国としての体裁が保てない。取りあえず残すなら衆議院だろう。まあ、その程度だった。


 先に現実味を帯び始めたのは納税額比例選挙制度の方だ。与党の支持層は相対的に高所得層が多い。仮に納税額比例選挙制度が導入されたら、当然与党に有利に働く。歓迎すべきことだ。

 しかし、与党としてもこの話に安易に乗る訳にはいかない。憲法の根幹に関わる話しだからだ。ましてや憲法をないがしろにして我田引水を企んでいるなどと言われたら元も子もない。

 与党幹部や政府高官はいろいろな場で「納税額比例選挙制度は明らかに憲法44条に反するものである。権利の平等は当然保障されなければならない。しかし一方で言論の自由は保障されるべきものであり、制度について議論すること自体を妨げる訳にはいかない。いずれにせよ、本件については慎重な上にも慎重な対応を願いたい」と釘を刺した。

 

 参議院廃止の方はもっと厄介だ。与党にも参議院議員が多数いるからだ。身内を切る話に簡単に乗れるはずがない。彼らを救済できる方法があるとすれば話は別だが。

 「参議院は立法の一翼を担う重要な機関であります。憲法を尊重する我が党としましては、現行憲法に定められている参議院を廃止するなどという問題が軽々に論じられることは極めて遺憾であります。今後、与党内においてこの問題を議論することは厳に慎んで頂きたい」与党総裁である長田が議論禁止令を出した。

 しかし、この時、長田は与党の政策調査会のごく少数の幹部に対して、納税額比例選挙制度が導入された場合の与党が獲得できる票数、当選できる議員数、参議院から衆議院に鞍替えしてきた場合の議員の受け入れ可能数、鞍替えできない議員の救済対策などを極秘裏に検討することを指示した。

 

 その後しばらくの間、日本経済は底を這う。回復の兆しは一向に見えない。大手企業は発展著しい新興国に本社を移し始めた。富裕層の国外逃避も止まらない。失業者が街をさまよい、物乞いが列をなす。今こそ、思い切った手を打たなければこの国が消えてなくなってしまう。それは与党も消えるということだ。税収は落ち込み、国債残高は膨らむ一方だ。時間だけは怠りなく進む。

 

 こんな時の伝家の宝刀は、これまでは中央省庁の再編、合理化だった。しかし、これはすでにやり尽くして、目ぼしいタマはない。

 同じく役人の人減らしと賃金の引き下げも限界だ。それでなくても最近の中央省庁のモチベーションの低下は著しい。役人の能力の低下も目を覆うばかりだ。中央省庁の厭戦ムードは深刻だった。

 この国の将来について、役人たちがどれだけ立派なビジョンを描いてみても、その内容がどれだけ優れていても、実行に移す予算は始めからゼロ査定なのだ。国民の暮らしを必要最低限守ろうと役人たちが知恵を絞っても、認められるのは予算の削減につながるアイデアだけだ。役人たちがやれる仕事は前年度まで続けてきた事業をうまい理屈をつけて廃止するか、廃止が無理なら大幅に削減することだけだ。

 そんな状態だから役人たちだっていつ首を切られるかわからない。しかも今や給料は中堅企業並みに引き下げられてしまっている。公務員になれば将来は安泰といわれたのは遠い昔話だ。

 それでも一般庶民の思い描く公務員像は高給取りのエリートだ。だから公務員を羨ましく、妬ましく思い、目の敵にする。不景気になればなおさらだ。結果的に優秀な人間、やる気のある人間は次々と中央省庁を辞めていく。残るのはほかの職場ではとても使い物にならない者たちだ。また、そんな中央省庁に新しく勤めようとするのは中央省庁しか勤め口を得られない者たちだけだ。

 

 政治家たちはここにきてようやく自分たちの失敗に気付く。公務員たたきは国民の不満を解消する極めて有効な方法だった。しかし、やりすぎて行政が機能しなくなってしまった。これまでは、分かったような分からないような、曖昧で抽象的な指示でも、とりあえず指示さえしておけば、役人たちはもっともらしい政策に仕立て上げてくれた。そして「この政策は○○先生が立案されたものです」と手柄をお膳立てしてくれたものだ。しかし、今は役人に指示してもまともな答えは返ってこない。へたに役人に指示して、つまらない政策を考案され、それが大きな問題に発展し、指示を出した自分の責任を問われかねない。元はと言えば政治家の身から出たサビだが、後の祭りだった。



5.地方発展計画

 「先週の金曜日から九州に行ってたんだ。土曜日は阿蘇山麓の町のセミナーに出て国の方針を説明してね。その後はお決まりの懇親会で、翌日はセミナーの現地見学会に同行してね。月曜日は県庁主催の講演会があって、そこでまた国の方針を説明した。ここまでは変わりばえしない内容だよ。まぁ本業だから手は抜けないけどね。ただ、講演会の出番が午前の部だったから、夕方の懇親会まで付き合ってくれというのを丁重にお断りして、会場から車を飛ばして蔵原村に行ってきたんだ。それで今日の昼過ぎまで村にいた。あそこはすごいね。面白かったよ。頑張ってる地方は本当に頑張ってる。勿論頑張ってないところの方が圧倒的に多いけどね」と大原が汗を拭きながら答える。

 

 「そうか、そういえば大原は「地方発展推進本部」に出向中だったよな。で、今は本部で何やってるの?」と挨拶代りに聞いた。

 「えーっと。地方発展計画は知ってるだろ。あれが去年12月に正式に閣議決定されたんだ。で、その計画をしっかり進めるためにお決まりの推進本部が出来た。で、計画の農林水関係部分の説明行脚をしてるということだね。農林水関係のスタッフはスタッフ長とアルバイトさんを含めて10人しかいないし、アルバイトさん2人と庶務の1人を除くと中身を説明できるのは7人しかいない。その7人で国会対応、関係省庁対応、地方回りをしてるってことだよ」

 「なるほど。じゃ忙しいはずだ。確かに地方は大変だよ。旭川だって今じゃ人口が30万人を割って、高齢化は当たり前すぎて話題にもならない。デパートは10年前に完全撤退。企業倒産も相変わらずだ。それでも旭川はまだましで、観光資源に恵まれた一部の自治体を除いたら北海道の北部や東部の自治体は大半が消滅寸前だ。昼間に町の中心部に行っても人の姿がないというのは20年くらい前からあった話だけど、街中を走ってる車すら見なくなった。昔賑やかだったはずの商店街は街並みだけはそのまま残ってるんだけど、看板は錆びて、剥がれて、プラスチックの看板は割れて、中には窓ガラスが割れたままになった空き家もちらほらあってね。空き地は草ぼうぼう、舗装の割れ目からも草が生えてきてね。昔は町一番のおしゃれな洋品店だったと思われる店のショーウインドの奥から裸のマネキンがにっこり笑ってる。まるでホラー映画だ。棄てられた町だよ。ゴーストタウンというのは例えでも何でもない現実の姿だ。政府は地方の活性化が最重要課題だとか言ってるが口先だけとしか思えないな。地方に暮らしたことがあるのかと言いたいよ」とついぼやいてしまった。

 

 着物姿の若い娘が瓶ビールを運んできて各人に注いで回り、一度奥に戻ってから八寸を持ってきて卓に並べた。手際はいいのだが、空腹気味なので料理の出るのを遅く感じる。神村が皆の顔を見回し、美味しいものを美味しいタイミングで提供するのがこの店のスタイルだとのたまう。

 「さあ、先ずは乾杯だ。芳野ご発声」と神村が促す。

 「ではご指名なので。今日は皆さん集まってくれてありがとう。皆さんのご健康とご活躍を祈念して乾杯!」私の発声で近くの者同士がグラスを合わせて乾杯し、一斉に飲み干して、互いにビールを注ぎあってひと段落。ようやく落ち着いて箸を進め始めた。ホタルイカの煮物、雪下にんじんのムース、ズワイガニの手まり寿司など、素材の旨味が利いている。ビールより辛口の酒が合いそうだ。後に続く料理が楽しみになる。

 

 「ところで、地方発展計画の話だがな。俺も原木の買い付けで年中地方回りをしているが、計画通りには行ってないな。すべての地方とは言わないが、大半の市町村は元気がない。政治家は本当にどこを見てんだろうな」と神村もぼやく。

 待ってましたとばかり大原が「それよ。選挙区は全国各地に散らばってるから国民の皆さんは政治家はほとんどが地方出身だと思ってるけど、殆どの先生は東京生まれの東京育ちだからね。大阪圏とか名古屋圏の選挙区でも東京生まれの東京育ちが結構いる。だから地方の実情なんて本当のところは分からないだろうな。与野党とも一応勉強会みたいなのは開いているし、ごく一部勉強熱心な先生もいるにはいる。でもそんな先生だって言うことは理想論というか机上の空論というか、どこかの大学教授や評論家の受け売りか、一部の成功している自治体の宣伝のようなものが多いんだ」

 「なるほどそんなものかもな」

 「地方発展計画にしても書いてあることは至極もっともで、間違ってないとは思う。計画通り行けば上手く行きそうに見える。でも現実はご覧のとおりさ。これまで同じような計画を何本も作ってはきたけど、計画通りにいかなかった原因、理由をしっかりと調査、分析していないから上手くいくはずがない。でも、自治体は目先の金が欲しいから計画自体に反対はしない。まあ、僕が言うのも変だけどね」

 「確かに」

 「だから、蔵原村みたいに必死で頑張って成果を出しているところは、発展計画なんて言うと鼻で笑うよ。中央政府には一切期待してないから計画づくりでも何でも適当に遊んでろってね。ただし邪魔だけはしないでくれと釘を刺されたよ」



6.シミュレーション

 2022年7月の参議院議員選挙の投票率は33%と過去最低だった。20歳代以下は15%、30歳代は20%、40歳代は28%だった。組織票を持つ与党は大きく過半数を上回った。しかし、与党執行部に歓喜の表情はなかった。国民が参議院を見捨てたこと、国民が政治を見限ったことが明白な事実として突き付けられたからだ。


 国会改革に取り組むしかない。2022年の暮れ、この国の将来に何ら明るい展望を示せない貧弱極まりない政府予算案を仕上げると、与党総裁であり内閣総理大臣を務める長田は腹を固めた。

 国会を改革したくらいでここまで悪化した国の財政が改善するとは毛頭考えてはいない。ましてやこの国の将来を切り拓く手段になるはずもない。しかし、やるしかない。政府、与党の覚悟の程を見せるのだ。国民に対して、世界に対して。

 これは生きるか死ぬかのカケだ。国会は大混乱するだろう。国会どころか国内がまたしても大混乱だ。連日連夜国会議事堂や永田町をデモ隊が取り囲むだろう。しかし、ここに至っては政府、与党が一致結束してこの壮大な実験を完遂させなければならない。この賭けに勝てる公算は極めて大きいからだ。


 密かに作業を続けてきたシミュレーションの結果が2022年の秋に出ていた。

 納税額比例選挙を導入したとすると、衆議院の投票総数に占める与党の得票数の割合は1.5倍から2.5倍になった。1倍もの開きがあるのは、納税額に対応する得票ポイントをどのように設定するか、また投票率をどの程度見積もるかによって差が生じるためだ。


 納税額比例選挙とは、例えば、前年の納税額をもとに複数のグループに分け、最上位のグループに属する者が1票、その次のグループの者が0.7票、その次が0.5票というように1票の効力に差を設けるというものだ。保有する株式の数に応じて株主総会の議決権に差を設けるのと同じようなものだ。

 設定する数値によって当然のこと結果に違いが出るが、与党への得票数が仮に2倍になったとすると獲得できる議席数は大体1.8倍になった。単純に考えれば議席数も2倍になるはずだが、比較的野党が強い都市部の定数を多くせざるを得ないため野党に有利に働いた。


 また、シミュレーションでは、衆議院の議員定数を50増加することとした。これは、参議院を廃止することによって国会に民意が反映されにくくなる弊害を軽減するためだ。勿論、本音は参議院議員の救済策の一つだが、これには野党も反対しないだろう。むしろ100人くらい増員しろと言い出すかもしれない。しかし、そんなことをしたら何のための参議院廃止かと国民にそっぽを向かれてしまう。

 もし、衆議院の議席数を1.8倍にできれば、参議院の若手で将来役に立ちそうな者たちの7割は衆議院に鞍替えさることで救済できる。さらに、高齢の衆議院議員の地盤を引き継がせればほぼ100%救済できることになる。残る役に立ちそうにない参議院議員たちには、野党の議員たちと同様に相応の救済策を用意してやれば乗り切れるだろう。



7.自治体連合

 「面と向かって発展計画にダメ出しするなんて強気だな」と神村。

 「そうだね。蔵原村の場合は鼻で笑う余裕があるけど、僕が政府の職員だと判ると俺達を見殺しにするのかと食って掛かる首長までいる。でも、食って掛かる元気が残っている自治体はまだいい方で、消滅寸前の自治体なんかは首長のなり手がいないなんてところがある。将来の展望は全く見えないし、首長になっても待ち受けてるのは苦労の連続だということが明白だからね。結局、以前財政状況が比較的良かった時代に首長になったか、その後何かのはずみで首長になってしまって、そうしたら後任がいないから辞めたくても辞められなくて、という後期高齢首長のところが多くなるばかりだよ。住民も企業も減るだけ減って自前の税収はほとんど無し。借金が嵩むばかりで、行政サービスなんて必要最低限のレベルの半分もできない。自治体の職員は、先輩が定年で辞めも後補充されないから減るばっかり。人口が半分になっても仕事の量は半分にならないから、一人で何役もこなさなければいけないし、この先楽になる見通しもない。意欲がなくなるのも無理はないよね。節電は当たり前で、暗い事務室に青白い顔をして目がぎょろぎょろした職員がチラホラいて、暗い顔でパソコンに向かっている。もっとも、訪ねて来る住民もほとんどいないからあまり問題もなさそうだけど。ああ、この自治体も死に向かっているんだなと心が寒くなる。現場に行くたび自分の非力が情けなくなるよ」

 大原の嘆きに「こうなったのは何も君のせいじゃない。あまり自分を責めるな」と神村が柄にもなく慰める。

 

 ただ、大原も凹んでばかりいる訳もなく面白いことを言い出した。「でも、捨てたもんじゃないよ。蔵原村のように元気な自治体は既に中央政府を見限って自治体の有志連合を作ってるんだ。そして地元の名産品や工業製品の見本市を海外で共同で開いたりしている。そればかりじゃない、ニューヨークとパリと上海には有志連合の現地事務所まで持っている」

 「やるじゃないか」

 「でもね、こんなことで驚いてちゃいけない。自治体運営に必要な短期資金や公共投資に必要な長期資金を融通し合う基金を有志連合で創設してるんだ。ほかにも地域で起業する人材の養成とか自治体職員の研修も合同でやっている。目的がはっきりしていて、戦略があって、何よりやる気が違うからやることなすこと全部上手く行っている」

 「へえ、そうなると霞ヶ関は面目丸つぶれだ。関係省庁は面白くないだろうなあ」と役人時代に遭遇した何人かの顔を思い出して、つい口走ってしまった。

 「そうなんだよ。黙ってやりたいようにさせればいいんだ。助けが必要になったら向こうから泣き付いてくるんだしな。泣き付いて来たら大人の対応をしてやればいい。

 ところが、貿易は国の産業政策の要だから勝手にやるな。国の方針に従ってやってもらわないと困るとか。融通し合えるくらい資金に余裕があるなら有志連合に参加する自治体への交付金は減額すると脅しをかけてくる。何のことない、自分達がロクな仕事もできないくせに、自分たちの権力が損なわれるんじゃないかと心配してるだけだ。地方は生き残りを賭けて必死にもがいているのに、霞ヶ関はこのザマだ。何のための政府かって言いたいよ。僕だってこんな連中の仲間と思われるからやり難くて仕方がない」また大原のぼやきが始まった。



8.決断

 2023年の年明けを長田は今まで経験したことのない緊張感を持って迎えた。今年こそ、これまで先延ばしを繰り返してきた宿題に決着をつける。現行憲法を改正するのだ。改正といっても文言の一部を修正するような生易しいものではない。憲法の根幹部分の改正だ。

 現行憲法の核心部に真っ向から切り込む重圧を長田は感じないわけにはいかなかった。自宅に与党幹部を招いて行った恒例の新年会の場では意気軒昂な姿を演出し、皆で力を合わせて戦後最大の難局を乗り切ろうと気勢を上げたのだが、皆が帰り一人残されると、迫りくる壁の高さと厚さに震えが止まらなくなった。

 シミュレーションの結果は予想以上に楽観的なものだった。しかし、それは所詮仮説、仮定の話だ。もしシミュレーションに反して大敗し、下野することになれば、その責任の全てを背負わなければならない。自分がやらなくても良かったのではないか。何故、わざわざ火中の栗を拾わなければならないのか。馬鹿な男気を出したものだ。後悔の念が何度も押し寄せた。しかし、もう後戻りはできない。悶々とする日が続いた。


 ところが、この年の春、日本経済は図らずも急回復する。メタン景気の始まりだ。起死回生の神風が吹いた。その後も日本経済は追い風を受け続ける。

 

 この年の1月に招集された通常国会は、年末に編成された超のつく緊縮予算を予定通り年度内の3月に成立させた。何の混乱も起きなかった。国に金がないことくらい野党だって知っている。予算の拡充を要求しても実現できないことくらい初めから分かっている。取れない予算を要求しても恥をかくだけだ。一方で、予算の無駄を追求して、削減を迫れば実現することはほぼ間違いない。しかし、予算削減の首謀者にされては困る。ということで予算審議は粛々と進み、予定通りに可決成立した。

 同時に、前年に仕込んだ法案のうち百二十本ほどが粛々と成立していった。新たに財政負担が生じるような法案は皆無で、治安の悪化に対応して防犯対策の強化を図るもの、孤児や浮浪者の増加に対応して彼らの保護を効率的に行うもの、農畜産物の増産を促すため農地の利用促進を図るものなど、これまでの予算を組み替えて対応するものばかりで、どこからも反対が出そうにない代物ばかりだった。

 6月に入り、成立を見ていない法案が20本ほど残っていたが、この国会で成立させなければ国が立ち行かなるようなものは無く、6月の上旬には国会は終わったも同然になった。勝負に出るならこのタイミングしかない。メタン景気が始まり、ようやく訪れた春に国民は浮き立っている。争点は勿論「国会の大改革」だ。この国の戦後民主主義体制を土台から作り変えるのだ。

 


9.蔵原村

 「それはそうと蔵原村って最近よく聞くけど何処がスゴいの?」と今は森林政策研究所に出向している前田が聞いた。

 「先ずは直接民主制だな」

 「えーっ?直接民主制て、スイスみたいな?」と前田が食い付いた。

 「そう。内務省がうるさいから形だけは村議会を置いているし議員も一応いる。でも議員イコール区長で、議員は肩書きだけで議員報酬はゼロ。議会に出た日だけ日当が出る。議会と言っても実際は区長会議だけど」

 「へえ。そんなこと聞いたことない」と前田。

 「内務省がマスコミに手を回して報道させないように抑えている。他に波及すると不味いと思ってるんだろう。で、直接民主制のことだけど、赤ん坊だって意見が言える。勿論赤ん坊が発言する訳ないけどね、例え話しだよ。つまり発言する権利には年齢制限は設けていないということなんだ。小学生くらいになると結構意見を言うらしい。しかも具体的な政策に反映されることもたまにはあるようだ。しかも何をしゃべってもいい。夢物語、大言壮語大歓迎だと村役場の職員が言っていた。但し、勿論ルールはある。あくまでもテーマに関係する意見であることと本人が真剣に考えたものであることだ。そんなことですか?どうやって判断するんですか?って職員に聞いたら、村民は皆真剣だから不真面目な意見を言うとブーイングが出たり、雰囲気が一瞬にして凍るらしい」

 「なるほど、じゃあうまく運営できてるんだね」

 「直接民主制を導入した頃は、受け狙いの不真面目な意見もあったらしいけど、いつの間にかそんなことをするバカ者はいなくなったと言ってたな。だったら雰囲気は結構堅苦しいんじゃないのって聞いたら、職員いわくどんな意見でも皆真剣に聞いて、それに対する反論や応援も堂々と発言するが、場の雰囲気は全然堅苦しくなくて、むしろ和気あいあいとしてるらしい。要は皆でこの村を盛り立てていこう、もっと元気にしたいという意欲が浸透しているからだと思うと胸を張ってた。しかも「全員集会」の映像は全てネットで配信するようにしてあって、都合で集会に出られない村民も情勢をフォローしているようだ」

 

 「画内とは大違いだな。蔵原村に比べたら画内の人間は去勢された牡牛だ」と神村が嘆く。

 「そういえば画内には議会はあるの?選挙のことなんて聞いたことないな。もっとも北海道で東京のローカルニュースは流れないけど」と私。

 「実はこの前、俺の会社に中央政府の役人がやって来てね。議員に立候補してくれないかって頼まれた」と神村。

 「なんだそりゃ、官製選挙か?」と私。

 「まあな。芳野以外は皆知ってるが、画内には事実上自治はない。中央政府の直轄地みたいなものだ。これは東京だけじゃない、大阪も名古屋も同じだ」

 「へえ」

 「画が導入されたとき、画内は統一的に維持、管理した方が治安上も機能上も効率的だという理由で、中央政府が地方自治法を改正して、これまでの区を解体して単一の行政区にしたのは芳野も知ってるよな」

 「知ってる」

 「そのとき、画内のインフラ整備とか住民の管理や監視も中央政府の意思が強く働くようにしたんだ。それで、本来地方政府がやるはずの都市計画や住民福祉なんかも中央政府の一部のセクションが担当することになった。要するに住民から自分たちの暮らす土地を管理運営する権利を取り上げたんだ」

 「そこまでは知らなかったな。でも誰も文句言わないの」

 「それがな、住民たちは自分たちの意思で画内で暮らすことを選択してる訳だし、画内は画外と比べてはるかに安全だし、住民サービスが行き届いているからな。誰も文句なんて言わんさ。だから去勢された牡牛だと言うんだよ」

 「なるほどね」

 「ただし、地方自治がないというのは民主国家として体裁が悪いということなんだろう。一応は首長もいれば議会もある。ただ、首長とか議員になってもやる仕事なんて何もない。住民だって彼らに何も期待していない。そんなのがいることすら知らない。だから誰も首長とか議員に立候補なんてしない」

 「そりゃそうだ」

 「で、中央政府の役人が、画内の住民から適当な人物を首長候補とか議員候補に選んで立候補させるんだ。今年は統一地方選挙があるだろう。選挙にならないと格好が悪いから候補選びに躍起になってるんだ」

 「じゃあ、神村もめでたく議員様か」

 「馬鹿言え。俺はそんな暇人じゃない。丁重にお断りしたよ。それより蔵原村の話の方が余程建設的で面白い。大原ほかにも言いたいことがあるんじゃないの」

 

 「そうだね。エネルギーだけど完全自給だ。太陽光と木質バイオマスがメインで、小水力発電も取り入れている。村内の全部の電力需要に対して30%以上の余力があるらしいけど、遺憾せん山の中の村だから送電コストがかかるので売電は難しいらしい」

 「山の中の村だからやっぱり林業は盛んなの?でも林業だけじゃ食えないか」と前田。

 「山の中だから木材資源だけは豊富だよ。しかも良い木ばかりだ。ただ、特別な理由が無い限り丸太では村外に出さない。全て村内で加工する。家の構造材、内装材から家具、日用品、玩具に至るまで加工している。家の部材の市場は主に九州で、遠くは岡山県くらいまでを商圏にしているらしい。受注すると加工した部材を施工場所に直送する。そもそも木の質が良い上に加工精度が高いから注文が相次いで工場はフル稼働だ。家具、日用品、玩具は蔵原村の魅力に惹かれて優秀なデザイナーが続々と村内に移住してくるから今やKURAHARAはブランドだよ。しかも、国内だけを相手にしてないからね。今ではアジアの新興国の富裕層をターゲットにして売れ行き好調らしい。内外比率は去年海外向けが国内向けを上回ったと言っていた。勿論林業だけじゃない。農産品、農産加工品にしても有機、減農薬のKURAHARAブランドは強い。あと染色、織物、衣類もあるしね。あの村は何をやってもセンスが良い」

 

 「センスね。ただの田舎の村じゃないんだな」と前田がうなずく。

 「そうだよ。村の中心部に150mほどの商店街があるんだけど、これがなかなか素敵な街でね。電線は地下に埋設されて無粋な電柱はない。昔宿場町だった雰囲気を生かした歩行者専用道路で、中ほどに広場があって休めるようになっている。土日は何がしかのイベントかパフォーマンスをやってる。パフォーマーと言ったって大半は村内のアマチュアで、さすがに若者が多いけど熟年層や中年層も負けじと頑張ってる」

 「力強いなあ。でも田舎だから夜は早いんだろう?」

 「僕もそう思ってたんだけど、これも良い意味で裏切られた。食堂、レストランは地産池消でおいしいものを出す店ばかりでね。まずいと競争に負けるから。衣料品や日用品を扱う店も皆センスがいい。だから村外から大勢の人が遊びにやってくる。だから儲かる。夜、飲食店は、早いところで8時に閉まる店もあるけど大抵は9時までやってるし遅いのは11時というのもある。普通の商店も7時までは開けてるし8時までやってるところもある。だから平日の夜もそれなりに人が歩いてる。金、土の夜は賑やかだよ」

 「旭川と変わらんな」

 「ところがね、コンビニは村のポリシーとして一軒もない。12時から6時は寝る時間で、この時間に起きてウロウロしている奴は人間のクズだという考えが浸透していて誰も文句を言わない」

 「そりゃあっぱれだ」

 

 「ただし、3月下旬の金土2日間の桜まつり、お盆の13日から15日の3日間、稲刈りが終わった10月下旬の金土2日間の秋祭り、年末の29日から31日の3日間は、夜市と称して、一般の店は10時、飲食店は深夜1時頃まで店を開ける。中央の広場で村民大歌謡大会とかのイベントもやる。羽目を外す時は外すんだ。メリハリが利いている」

 「でも遠隔地の集落の人は車だろうから運転手役は酒が飲めないので気の毒だな」と酒好きの前田が我が事のように心配する。

 「これもちゃんと考えてるんだな。通常でも無人の電気バスが夜10時頃まで村の中心部と遠隔地の集落を結んでいる。だから店を開けてられるんだ。で、朝は6時頃から走ってる。通勤、通学の時間帯は30分おき、それ以外は1時間に一本くらいかな。電気は腐るほどあるからエネルギーの心配をする必要がない。夜市の日は深夜2時が最終だよ。酒を飲むかどうかはともかく交通の便が確保されてるから高齢者もどんどん町場に出てきてワイワイやってるから年寄りは皆元気はつらつだ」

 

 さらに大原が続ける。「でもあの村は、一面ドライというかちゃっかりしててね。村の運営について話を聞かせてくれと役場に電話したら、先ずは広報を通してくれと言われてね。広報に電話したら、広報担当者の対応は実に手慣れたものでね。さわやかな声で「取材費は資料代を含めて1時間4千円です。半日なら1万円2千円、丸一日なら2万円になります」とサラッと言われた。

 結構な値段ですねと言うと、担当者曰く村民へのサービスが自分たちの仕事なので、村民に対するサービスは基本的に無料ですが、村民以外の方には有料で対応させて頂いております。但、村のPRにつながることでもありますので特別お安く設定しておりますと言ってのけるんだ。なかなかあっぱれだよ」

 「確かに」

 「蔵原村に行ったのは公務というより個人的に興味があったからなので、一日休暇を取って行ったんだ。だから、取材費は勿論自腹だよ、痛かったなあ。先方は、一日目は午後から、2日目は午前中なので本来なら半日かける2なので2万4千円になりますが、1日分の2万円にまけておきますとこれまたさわやかに言いやがった。こっちも自腹だから遠慮なく色々聞かせてもらった。対応はすべて責任者かその代理が自信を持って、いやな顔一つせず的確に答えてくれる。そう考えるとあの値段は安いかも知れない」



10.信を問う

 「本日、衆議院を解散いたしました」6月16日夕刻記者会見に臨む長田内閣総理大臣の第一声だ。幾分紅潮している。いつも以上に胸を張り、ゆっくりと記者たちを見回し、言葉を続ける。

 「日本経済は今春、奇跡かと思える回復を始めました。勿論、これは奇跡ではありません。これは国民の皆様がかつて経験したことのない苦難に耐え、たゆまぬ努力を続けてこられた成果であります。私は国民の皆様の忍耐力、持続力に対して深甚なる敬意を表するものであります。わが党はこれまで常に国民の皆様とともに歩んで参りました。そして、これからも国民の皆様と苦楽を共にし、この国の発展のために一身をささげて参る所存であります」ここで正面を見据える。

 「しかし、経済の回復に安んじているいとまはありません。この回復を確実なものにし、この国を再生、発展させなければなりません。この国を一から創り直さなければならないのであります」一呼吸おいて話しは続く。

 「この国の経済は今後しばらくの間、着実に発展していくことでありましょう。では、国を動かす両輪、すなわち政治と経済でありますが、片方の政治は万全と言えるのでしょうか?今後、我が国を再生、発展させる力量が政治にあるのか?そう問われれば、私は遺憾ながらその力量はないと断ぜざるを得ないのであります」ここでコップの水を一口飲む。


 「冒頭申し上げましたように、我が国の経済は回復を始めました。しかし、これまで長期間経済が低迷したことで、国内産業の疲弊は深刻であります。また、その影響により国民の皆様の生活水準も遺憾ながら低下していると言わざるを得ない状況にあります。一方、海外に目を転じますと、欧州の経済は依然混乱の只中にあります。また、中東やアフリカ諸国ではテロ組織の動きが一層活発化しております。このように国内外ともに情勢は困難極まりないものがあります。今後、情勢がどのように変化していくのか。そのことに思いを巡らせますと、楽観できる材料は一つとしてありません」ここで一度演台に目を落とし、正面を見据えて続ける。

 「しかし、山積する困難な課題に直面している現在、我々はここに立ち尽くしている訳にはいかないのであります。私は国民の皆様の先頭に立って、国民の皆様と手を携えてこの難局を乗り越えていきたい、そう思うのであります」ここで一呼吸置く。

 「今後、国民の皆様の負託を受け、私が方向を見誤ることなく国政を着実に前進させるためには、国民の皆様のご意思をしっかりと受け止めることができる政治体制、日々刻々と変化していく諸情勢に対して迅速に、かつ的確に対応できる政治体制、即断、即決できる政治体制が不可欠であります」そしていよいよ本題に入っていく。


 「私はこのたび国政の大改革、すなわち国会の大改革を国民の皆様にご提議申し上げる決断をいたしました。具体的に申し上げます。「納税額比例選挙制度」と「国会の一院化」であります」これまでタブーとされてきた二つの言葉が、ついに国民に向けて発せられた。

 「私は、かねてから政治とは国民の皆様のためのものであり、国民の皆様こそが政治の当事者であると固く信じて参りました。即ち、国民の皆様には政治に対して応分の責任を担って頂きたいのであります。但し、これは私たち政治家が政治の責任から逃れようという意図では毛頭ございません。責任を担って頂く国民の皆様の力をいただきながら先頭に立って責任ある政治に邁進して参りたい。そう考えるのであります」最初は威勢が良かったが、段々と奥歯にものが挟まってきた。

 「また、国民の皆様に責任を担って頂くからには、国民の皆様のご意思が最大限尊重されるのは当然であります。同時に、ご意思が政治に反映されるよう努めることが私たち政治家の責務であります」そりゃそうだ。

 「では、皆様に担っていただく責任とは如何なるものでありましょうか?その一つは、国民の皆様の賢明なるご判断であります。国を憂い、国を思い、国を愛する心に根差した国への献身であります。賢明な国民の皆様のご意思が国政を動かすことは自明の理であります」そして核心に迫る。

 「もう一つ重要な責任がございます。それは国家財政への貢献であります。言うまでもなく国の財政は国民の皆様の浄財に支えられております。ですから、国民の皆様にご支援をお願いする以上は、政治は国民の皆様のご貢献に応える必要があることも自明の理であります」なるほど。

 「そこで考えていただきたい。果たして、国民の皆様の国家財政への貢献度が正当に国政に反映されているでしょうか。勿論、選挙権は全ての国民に平等に与えられるべきものであります。しかしながら、現在行われている選挙の投票効果が真に平等であると言えるのでしょうか。国家に対して多大な貢献をされた人たちと図らずも国の財政により支えられている人たちが同じ一票ということが真に平等と言えるのでしょうか。貢献度の大きさ、国を愛する重さをできる限り投票効果に反映させることこそが真の平等と言えるのではありませんか」いよいよ核心部分に入ってきた。

 「そこで、私は今般、納税額比例選挙制度をご提案させて頂くことにいたしました。選挙権は所要の年齢を満たした国民の皆様すべてに与えられることを基本といたします。これが大原則であります。そして、これに加えて、国家財政への貢献度すなわち納税額に応じて一票の重みを調整し、もって真に平等な投票効果を実現することといたしたいのであります。この制度の仕組み、効果、運用方法等につきましては、後日開会される国会の場で詳細にご説明させて頂き、十分なご議論を賜りたいと考えております」一つ山を越えた安ど感からか、いつの間にか顔から紅潮が消え余裕が見える。そして次の山に登っていく。

 

 「さて、今さら申すまでもございませんが、国会には衆議院と参議院の二院がございます。我が国が二院制をとってまいりましたのは、民意をできる限り幅広く国政に反映させるというのがその本旨であります。しかし、国内外の諸情勢が急速に変化する現代において、果たして二院で審議するいとまがあるのでしょうか。あえて言えば、二院で審議することによる支障が生じているのではないでしょうか。衆議院又は参議院で審議、可決し、それを参議院又は衆議院に送り、さらに審議、可決するという時間的猶予が許されるのでしょうか。我が国の経済はようやく回復軌道に乗ったところでありますが、国家財政は依然危機的状況にあることに変わりはございません。こうした中、両院を維持し、議事を運営する財政的、時間的余裕が今の日本にあるのでしょうか」ここでコップの水を含み、一度息を吐き、そして続ける。

 「我が国は勿論独裁国家ではございません。与党も野党も存在しております。国会の構成を一院に集約し、今以上に多くの審議時間を確保する。そして十分に議論する。論議を尽くした後は速やかに採決し、可決したものは速やかに実行に移す。そうすることで幾多の難題を迅速に解決できるのではないでしょうか」いよいよ本題だ。

 「では、一院にするとはいかなることでありましょうか。衆議院もしくは参議院のいずれかを廃止するということでしょうか。いえそうではありません。両院を統合するということであります。戦後、我が国の国会は衆参の両院によって支えられて参りました。この歴史の重みを新たに構成される一院が引き継ぐのであります」いずれ国会を追われることになる参議院議員に対する心配りを忘れてはいけない。

 「ここに国会改革のもう一つの柱である国会の一院化を改めてご提議させて頂きます。一院化した場合の院の構成、議員定数、議事の運営、選挙制度等につきましては、後日開会される国会の場で詳細にご説明させて頂き、十分なご議論を賜りたいと考えております。今般、国民の皆様にご提議させていただいた国会の大改革は、景気が着実に回復し始めた今しかできないのであります。この国政の大改革が成就した暁には、我が国の政治は強靭なものに生まれ変わり、強い経済と両輪を成して、我が国の再生、発展をより確実なものとし、さらに前進させることができると確信しております。私のこの考えが果たして正しいのか間違っているのか。私は、政治生命をかけてここに国民の皆様の信を問いたいと考えるのであります」長田内閣総理大臣は力強く宣言し、決戦の火ぶたは切られた。



11.与党PT

 障子が開き矢崎が顔を出した。以前より少し肉付きがよくなった感じだ。やり手官僚らしくなった。

 「悪い悪い。与党のPTプロジェクトチームに呼ばれて、さっき局に戻って局長に報告してきた。今日は早く終わると思ってたけど、なかなか帰してくれなくてね。おう、芳野元気そうだな」と矢崎がニコリと笑う。官僚臭さが消え昔に戻る。

 「久しぶり。商売繁盛でなにより。それに元気そうだ。ところで先ずはビールかい?」と応じる。

 皆は店自慢の刺し身を食べ終え、シンプルに塩焼きにしたメバルをつつき始めていた。ビールは最初だけで、その後、女将秘蔵の地酒が振舞われ、既に半分近くが無くなったらしい。相変わらずのハイピッチだ。

 「そう、絶対ビール。早く飲みてー」

 神村が女将を呼ぶ間もなく障子が開きお盆にビールを乗せて女将が入ってきた。「さすが読みがいいね」と神村が言うと「取りあえずはビールでしょう」と女将が応え、矢崎にビールを注ぎ奥に戻っていった。

 

 矢崎は、同期の出世頭で現在森林局の筆頭課長を務めている。同期の間では神村か矢崎のどちらかが森林局長になるというのが共通の認識だったが、神村が早々に退職したため矢崎が順調に出世の階段を昇っている。私の同期は役人の世界には珍しく仲が良い。皆それぞれ個性的で、自分の役回りを全うすることには熱心だが、出世欲がない。

 そもそも局長というのは面倒なだけのポジションで誰もえらいとは思っていない。能力と体力がそこそこあって運の悪いのが局長になると思っている。だから神村と矢崎にしても本来なら局長候補のライバルになるのだろうが昔から親しく付き合っている。


 「矢崎さん、今日のPTは何があったの?」と神村が聞く。

 「森林買収。以前から問題になってる外国企業とか外国人による森林買収問題だよ。最近は景気が良くて土地の値段が上がってるから、以前ほど買いあさられることはなくなったけど、それでも一年に20件ほどはあるしね。PTは現行の法規制では甘すぎるから法律改正すべきというスタンスなんだ。ただ、中には自分の息のかかった企業が持ってる二束三文の山林を政府に高値で買い取らせようとたくらんでいる先生もいてね。それで怪しい外国企業が買収を進めているから早く政府で何とかしろと騒いでいるというのも中にはある。どっちがハイエナか判らん」と矢崎が嘆く。

 「なるほど。でも、分からんでもないな。山奥で外国人の姿を見ることがたまにある。リゾート地ならまだしも、何もなさそうなところで見かけるんだ。日本人は山を見捨ててどんどん山から出て行って、代わりに外国人が山に入っていく。確かに不気味ではある。で、今日は何で長引いたんだ?」

 

 「今日はね、中国地方に高台山ってあるだろう。あの高台山の山麓で去年から中国系企業が100ヘクタールほどの森林買収を進めていてね。これで大騒動だ。先週、局長が桧山先生から呼び付けられてね「自衛軍の演習場の隣接地を勝手に中国企業に買わせて良いのか。森林局は何処を見てるんだ」と怒鳴られたんだ。

 それで、調べてみたら買収は別荘地の多い南麓側で、演習場がある北麓側とは全然関係がない。土地買収の目的は主に中国人富裕層をターゲットにしたリゾート開発で、少なくとも怪しい事案じゃなかった。勿論、水源地の問題とか、希少動植物の有無のとか、開発の手続きなんかはしっかりウォッチしておかないといけないけど、自衛軍とは全然関係ない。ということをご説明申し上げた」

 

 「で、一件落着したんじゃないのか?」

 「それが、そうはいかないんだ。一度拳を振り上げたら簡単に下ろせないだろう、あの人たちは。今の技術なら南麓でも北麓でも同じだ。リゾート開発というのはカモフラージュかもしれない。トンネルだって掘れるだろう。なんて滅茶苦茶なことを言い出してね。さすがに回りの先生方もあきれ顔だったよ」

 「そりゃ大変だ」

 「でもな、ある意味仕方がない面もあるんだ。桧山先生にしたら中国地方選出と言ったって東京生まれの東京育ちのボンだからな。子供の頃に夏休みの時だけお爺ちゃんの家に4日か5日遊びに行ったくらいで地元に住んだことなんて一度もないらしい。今は選挙の時しか帰らない。だから地元のことなんてほとんど知らないし、土地勘なんてあるはずがない。全部地元の秘書任せだ」

 「よくある話しだな」

 「で、今度のことだってリゾート開発に関連する土地買収で、欲をかいて中国企業に売り損なった連中が先生のところにガセネタをご注進したという訳だ。でも先生はそんな事情は知る由もないから局長を呼びつけてこの顛末だ」

 

 「しかし先生には納得してもらうしかないよな。何とかして」

 「そう。で、先生のご懸念はごもっともでございます。こちらの危機管理が甘うございました。今後このようなことのないよう状況把握に万全を期して参ります。また、本件につきましても国防省と然るべく連携し、監視を強化することといたします。今後ともご指導をよろしくお願いしますと平身低頭して何とか許してもらった。最後に先生から、こちらも怒って悪かった、局長によろしく伝えてくれと労らわれたよ。局に戻ってから一応国防省の担当課長に電話して事の経過を説明しておいた。手数をお掛けしました、何かあれば然るべく対応しますと笑ってたよ」

 「やれやれ、お疲れ様」

 

 「俺だって外国人が日本の森を買いあさることに良い気はしないさ。でも外国人富裕層の旅行者誘致の号令を掛けておいて、つまらんガセネタで大騒ぎだ。政治家の連中はこの国の現状を何も解っちゃいないし、この国の将来のことなんか何も考えちゃいない。今の好景気が続けばそれで良い。GDPがどんどん増えてくれれば良い。そうすれば国民は満足だし、自分たちの身も安泰という訳だ」

 「そんなことで良いのかね」

 「自分たちは画という安息の地に身を置いて、役人が用意した絵に描いたような国民の暮らしぶりとか希望に満ちた市井の営みの動画を見て、都合のいいように調整した経済指標を眺めてこの国の運営はうまく行っていると錯覚しているだけさ。要するにバーチャルな世界に身を置いてバーチャルな政策をしているだけなんだ。彼らは政治家という稼業を親から受け継いで、子供の頃から大事に育ててくれた家臣のような取り巻きに囲まれて江戸屋敷でお殿さま同様の暮らしをしてるだけだ。政治に関心を持たない国民も悪いには悪いが、それを良いことに気楽なもんだ」いつも強気で如才のない矢崎がひとしきり政治家の悪口を言って大きなため息をついた。

 


12.圧勝

 2023年6月に衆議院が解散し、総選挙に突入した。選挙日程は6月27日公示、7月9日投票日と決まった。解散後も株価は上がり続けた。久しぶりに訪れた満開の春の恩恵をいち早く手にした人たち、春の温もりを感じ始めた人たちだけでなく、恩恵にほど遠い人たちまでもが何となく明るい顔つきになっていた。景気回復に中央政府、与党が関与した形跡はみじんもなかったが、政府、与党がいろいろな場で、様々な形で自分たちの功績であると喧伝した。国民にしてみれば政府が関与しようがしまいが、与党が関与しようがしまいが関係ない。景気が良くなることは大歓迎だ。いつの間にかこの景気回復は政府、与党が頑張ってくれたお蔭だと多くの国民が思い始めていた。


 国会改革のうち納税額比例選挙制度は金持ちを優遇するようで、初めのうちは国民の多くが抵抗感を持った。しかし、そもそも選挙権自体、国民が血を流して勝ち取った権利ではない。進駐軍と時の政府から与えられたものだ。そんな歴史があるから国民の権利意識は薄かった。

 また、一票の格差にしても以前からあったことだ。また、格差があったからといって何か実害があったのかと言えば思いつくようなものは何もない。

 むしろ、この制度のお蔭で税金を多く納めてくれるお人好しが増えるならまんざら悪い制度とは言えないんじゃないか?これをきっかけに、お金持ちからガッポリ税金を取ってもらえばいい。まあ。我々庶民はたいして税金を払っている訳じゃないからあまり文句も言えないか?

 良く言えば分をわきまえる、悪く言えば大勢になびきやすい国民性、お任せ民主主義の伝統からか、納税額比例選挙制度に対する抵抗感は次第に薄れていった。


 もう一方の国会の一院化はもっとあっさりとしていた。これに対する国民の抵抗感は初めからゼロだった。国会議員の取り巻きや議員から何らかの恩恵を受けている者たちはごく少数派であり、大半の国民にとって、国会議員とは選挙の時だけ妙に愛想が良いが、選挙が終われば物知り顔で演説をぶっている目立ちたがり屋。その実、いつもは何をやっているのかさっぱりわからない人たちというのが大体のイメージだ。そんな国会議員がいなくなっても何も困らない。むしろ、国会議員が減って、彼らに支払う給料が減って、それが国民に少しでも回ってくるなら願ってもないことだ。

 何のことはない、一院化の最大の抵抗勢力は失職を余儀なくされる国会議員、特に参議院議員たちだ。勿論、憲法学者や政治学者、弁護士たちは民主主義を否定する暴挙だと批判したが、国民の共感は全く得られなかった。


 7月9日の投票日は全国的に朝から晴れわたっていた。しかし、梅雨の晴れ間にしては気温はさほど上がらなかった。投票所への出足は朝から順調だった。

 週末の株価は今年の最高値を付けていた。金額はともかく多くの労働者がボーナスや一時金を手にしていた。最終の投票率は71%まではね上がった。与党は勝利した。すべての常任委員会で委員長を独占し、なおかつ過半数の委員数を確保できる絶対安定多数を15議席も上回った。勝利を確信していた与党の幹部さえも予想できないほどの圧勝だった。国民の大多数が与党を支持した。長田は賭けに勝った。もう躊躇することはない、国会の大改革を断行するのみだ。





第4章 密入画

1.アイラ

 踊場のない急な階段を昇りきった2階の右側に分厚い木目のドアがあった。ドアの横に「バーアイラ」の看板が架かっている。

 けやきの入っているビルから2ブロック虎の門方面に行ったところに昭和時代そのままの4階建ての雑居ビルがあった。1階は間口の狭いコンビニで、その左手に2階に上る入口が開いている。入口の壁にバーアイラ2Fと虎の門探偵社3Fの表札が2枚だけ貼りつけられている。手すりを持たないと転げ落ちそうな急な階段だ。暗くて少しかび臭い。目的がないと絶対に昇って行こうとは思わないところだ。

 あと2ブロック行けば神村の会社のあるビルだ。新橋や虎の門の再開発に乗り遅れた区画なのだろう。いまどき探偵社などやっていけるのかと思うが人間の欲望や猜疑心はいつの世も涸れることはないのだろう。


 けやきで旨い酒と魚を堪能したはずだが、やはり二次会は欠かせないという神村、矢崎、前田と私の4人で神村行きつけのバーにやってきた。大原は明朝出張結果をまとめて午後一に課内報告会をするというので不参加。酒があまり強くない増本と小西は一次会で退散した。

 前田は筑波の研究都市に住んでいる。研究都市には国内の研究機関が集積しているのでセキュリティーの関係から「ミニ画」になっている。だから、夜間も11時頃までは画内発研究都市直行の専用電車が走っている。秋葉原駅を出ると研究都市のミニ画内の最初の駅まではノンストップで30分少々で到着するので下手に東京の画外に住むより便利だ。ということで前田も10時過ぎまでは付き合えるとのことだ。

 研究都市のミニ画の周囲は東京のようにグリーンベルトで囲まれてはいない。手っ取り早く高さ3.5mのコンクリート壁で囲われている。このため筑波監獄と呼ばれ研究都市に住む研究者たちにはすこぶる評判が悪い。ただ、ミニ画と言っても面積は広大で普段暮らす分には壁を目にすることはなく、当然のこと出入りは自由にできるし、画外と比べ安全性が格段に高く、福利厚生施設や教育環境が十分に整備されているので、文句を言う割には長く住み続ける人が多く人口も増えている。


 ドアを押し開け店内に入る。神村がカウンターの中のマスターに軽く会釈し、無言で親指を折った右手を挙げ、4人であることを知らせる。マスターも軽く会釈しカウンター奥の4人掛けの席を指さす。神村に続いて3人も席に向かう。店内はカウンターに10席ほど、カウンターの奥に4人掛けの席が1つと2人掛けの席が3つある。

 4人掛けの奥、つまり店の一番奥はフロアが一段高くなってステージのようにしてある。電子ピアノとドラムセットが据えてある。たまにライブでもやるのだろう。ビルの外観や重々しいドアの印象とは違って中は結構広い。

 店内は、カウンターの中ほどに中年男が一人座ってマスターと何やら話している。二つ席を空けたカウンターの端にカップルが一組ほとんど会話することもなくグラスを傾けている。2人掛けの席の一つにもカップルが座り語り合っている。店内には低くコルトレーンのバラッドが流れている。

 

 マスターが近づいてくる。

 「お久しぶり。2月の雪が降ったとき以来でしたか」

 「そうだね。あの時は早めに引き上げて良かったよ。お客さんたちはちゃんと帰れたのかな」と神村が応える。

 「4種の皆さんは画外に出るだけだから、電車がいつもより遅れたくらいで特に問題はなかったみたいです。むしろあの日画外に出ていたインナーの人たちが大変だったみたいですね。雪で画外線の電車が遅れて。ようやく画外のゲートに辿り着いたと思ったら入画の閉門時間は早いから入画できなくて。警察は24時間関所へ回るように指示したんだけど。画外電車が着く度にゲート前に入画できない人があふれ出して。インナーの人たちは皆さん強気だから、こんなときくらい入画時間を延長しろと押し問答になって相当混乱したみたいですね。結局、ほとんどの駅で入画時間を延長して、臨時のシャトルを走らせたようです。画内に入ってしまえば本数は少ないけど深夜まで電車は走ってるから何とかなったようですが。翌日常連さんがやってきて、なんだかんだで家に着いたのは夜中の3時で、風邪をひいたってぼやいてました。あ、長話になっちゃった。何にしましょう?」

 「じゃ、ラフロイグでいいかな?」と神村が皆の顔を見る。

 矢崎と私はうなずいたが、前田があの香りはちょっと言ってメーカーズマークのソーダ割りを注文した。神村が、じゃ二人はロックでいいよなと言ってから目でオーダーし、マスターがうなずいた。

 

 「ここは4種の人もよく来るから面白いよ。インナーの店は大抵がよそよそしくて落ち着かない。バカ高い店も多いし、慇懃無礼な店員もいるしな。ここは気持ちよく飲める。しかも安い」

 「いい店じゃないか。どうやって見つけたんだ?」と矢崎が聞く。

 「偶然だ。このビルの前はよく通ってたんだが、ある日このビルの階段に目が留まってね。それで上を見上げたら古臭いビルだろう。昭和の匂いがプンプンだ。俄然興味が湧いてね。で、階段の入口をみたらバーアイラだろう。ラフロイグ好きの俺としちゃ入らない訳にはいかない。という具合だ。しかも、マスターが魅力的でね。淡々として飾り気がない。ああ見えてこのビルのオーナーだ。4階に住んでる。バーは道楽みたいなもんだ。3階の探偵社も家賃の滞納が多いらしくて、いつもボヤいてはいるが、探偵社の社長が、俺も二度ほど話したことがあるが、怖いのか怖くないのか、悪人なのか善人なのかよくわからない人物でね。マスターの小学生時代の同級生だとかで仲がいいんだ。水商売だからたまに訳の分からない人間が出入りすることがあるんだが、そんなとき探偵社の社長が頼りになるみたいだ。とにかくこの店は落ち着くし飽きない」

 「さっき4種の人がよく来るって言ってたけど?」と矢崎。

 「ああ、多いね。マスターがあんな人だから4種の人も入りやすいんじゃないの。値段も安いし。マスターはそもそも画の存在を認めてないし、というより人間が昭和のままだから。誰でも飲みたい奴がバーに来て好きな物を飲んで、楽しくやればいいという感じでやってる。ライブも大半は4種の人間だ。インナーもたまにやるが全然面白くない。ノリが違う。マスターも昔ベースをやってて、今はもっぱら聴くばかりだがライブもマスターの趣味だな。そんなこともあって4種の人を大事にするのかもな」

 「なるほど、俺もたまに飲みに来るよ。居心地がいい」と矢崎。

 「来るのはいいが、重鎮にはそんな暇ないんじゃないか?」と神村が応じる。

 「重鎮こそ気の休まる穴場が必要なんだよ。まあ重鎮は冗談だけど。ところで芳野、北海道はどうだ。神村が辞めて、そのあと芳野も辞めたから随分さみしくなった。北海道に行ったのは奥さんの関係だったよな」



2.特訓

 総選挙で圧勝し、その後の特別国会で再び内閣総理大臣に指名された長田は、8月に入ってすぐに長い夏休みを取り、信州の高原のホテルで過ごした。

 お盆明け早々に始まる臨時国会に備え、心身を万全の状態に整え、憲法や関連する法律をみっちりと勉強しておかなければならない。この臨時国会が正念場だ。年末までに一気に憲法の改正と国会改革関連法案を成立させなければならない。

 歴史に残るであろう国会を思い描きながら、早朝から昼食を挟んで昼過ぎまで東京から呼び寄せた学者からレクチャーを受けた。その後はゴルフかジョギングで過ごした。大学を卒業して以来これほど熱心に勉強したことはない。いや学生時代でもここまで勉強しなかった。レクチャーの中身は興味深いものばかりだった。早朝から始めてもすぐにランチの時間が来た。時間が惜しくてランチを頬張りながら質問し続けた。

 しかし食後のレクチャーは必ず2時には終えた。その後はゴルフでハーフを回るかジョギングで過ごした。雨が降ればジムのある近くのホテルに出かけた。充実した時間だった。少し日焼けし鷹揚さを増したが目には力がみなぎってきた。歴史に名を残す宰相になる高揚感に満たされた至福の10日間だった。



3.北海道

 「北海道に行った理由は三つある。一つは確かに女房の母親の関係だ。お母さんが旭川で一人暮らししてて。80幾つになるんだけど体調が思わしくなくて女房がそばで面倒みたいと言い出してね。二つ目は、女房の叔母さんの嫁ぎ先が旭川の木材会社でね、叔母さんの旦那さんがそこの会長なんだけど、専務で来てくれないかというオファーがあったんだ。社有林の管理を任せられる人材が欲しいということでね。もっとも女房が叔母さんにお願いしたのかもしれないけどね」

 「三つ目は?」

 「画に馴染めなかったことだね」

 「そりゃ分かる。こっちは、仕事で追い廻されてるのと少し慣れてきたのか、抵抗感が薄れてきたけど、やっぱり嫌なところだ。とろで専務さん、給料は良いのか?」

 「良い訳ないだろ。勿論下がったよ。でもね、旭川は物価が安いだろ。それに女房が市内のマンションを相続してるから家の心配はないしね。寒いところだけど、四季がはっきりしててのんびり暮らすには良い街だよ。それよりも、社有林が北海道北部に1千6百ヘクタールくらいあってね。それをこの手で管理経営できるというのは何とも魅力的だったからね。矢崎じゃないけど、霞が関で机上の空論を言い合っているより何倍も面白い」

 「そりゃそうだ。芳野のように現場で実のある仕事をしている方が余程やり甲斐がある。さっきの話じゃないが、画の中で生まれ育って、地方のこととか庶民の暮らしを何も分かっちゃいない政治家の相手をしてるのが虚しいよ。俺も役所をやめて田舎へ引っ込もうかな。まあ泣き言は止めとこう。ところで芳野、社有林の管理だけど具体的にはどんな仕事をしてるんだ?」と矢崎が聞いてきた。

 

 「さっきも言ったけど、わが社は旭川の郊外に1千6百ヘクタールの社有林を持ってる。森の7割はエゾマツ、トドマツ、カラマツの人工林だ。まずはこれの管理だな。要するに林道づくりと間伐だな。あと補助金の申請なんかもある。それと、大雪山に向かう国道沿いにまとまった自然林があってね。ミズナラ、カンバ、ハリギリ、イタヤカエデなんかの落葉広葉樹にエゾマツ、トドマツが混じった素晴らし森だ。夏は森林浴、冬はスノーシューを履いてトレッキングするには絶好の森だ。国道から150mほど入ったところが森の入り口でね。入り口横の林の中でレストランを経営してる。結構人気があって土日は満席になることも多い」

 「えっ?じゃ脱サラのレストラン経営者みたいだな?」と前田が突っ込む。

 「いやいや。僕はレストラン自体は関与していない。建物は会社の所有だから建物と敷地の管理は僕がしてるけどね。中は札幌のホテルでシェフをしていた者が経営している。わが社はシェフから家賃を貰うという訳だ。もっとも家賃収入といっても会社の儲けはほとんどない。建物の維持修繕には結構お金が掛るし、それを考えたら収支トントンだよ。でも、赤字さえ出さなけりゃいいと会長も社長も割り切ってる。二人ともああいうのが好きなんだろう。本当に良いところだし、常連からの勧めもあって、今は会社の業績が良いからこの際増築してオーベルジュにしようかと社長と相談しているところだ。ペンションが出来たら一度遊びに来てよ」

 「そりゃ脱サラしたペンション経営者だ」と前田もしつこい。

 「まあ、レストラン関係の仕事はごく一部で、大半は森の管理だよ。今年も林道を500m入れたし、人工林は50ヘクタールくらい間伐して、約2千?丸太を生産した。それからね、旭川市内の中堅建築会社と合弁で住宅販売事業もやってるんだ。肝心なところはわが社の森から出した良材をふんだんに使ってね。8割くらいは人工林材だけど2割くらいは自然林から抜き伐りした広葉樹を内装に使ってる。勿論自然林をバックにしたしゃれたレストランの佇まいがわが社の森づくりと住宅のイメージアップに一役かってる。地元ではすこし注目され始めてるんだ」

 「なかなか楽しそうな仕事してるじゃない。東京なんかよりよっぽど暮らしやすそうだしな」と矢崎がうらやましそうに言った後で聞いてきた。「で、参考までに聞くが給料はいくらくらい貰ってんの?」

 

 「年によって違うけど大体800万円くらいかな。一応専務取締役だから給料じゃなく役員報酬だけどね。社長からはもっと取っていいと言われるけど、社有林の林道整備の経費を捻出するのに無理を聞いて貰ってるし、オーベルジュの投資もあるから、しばらくは締めていきましょうと言ってるんだ」

 「えらく殊勝だな。雇われ重役のくせして」と神村が茶化す。

 「仕事が面白くて苦労は無いし、借金も無い。物価が安いからこれで十分だ。住宅販売が軌道に乗ったらしっかりもらいますよと社内で宣言している」

 「欲のない奴だな。でも800万円だと居住権は返上か。もう東京で暮らすことがないから関係ないか。そういえば芳野は都内にマンションを持ってたんじゃなかったか?あれはどうした?」と神村。

 「よく覚えてるな。あれは2年前に売った。それから、居住権なんだけど、まだ継続して持ってるんだ。というのはね、例のマンションは10年前にうん千万円で買ったんだけど、これが画内の不動産価格が高騰したお陰で8千万円近くで売れたんだ。で、ローンの残額が3千5百万円くらいあったのを全て返済してね、それで退職金が2千5百万円くらい出たんで、旭川で暮らす準備に幾らか使ったけど、結局手元に7千万円近く残った。そしたら、2種の居住権は失ったけど、リタイア組の3種の基準に適合するようになった」

 「じゃあ、その年にして小金持ちの年金オヤジだ」

 「まあね。もう画内に住むことはないから関係ないけど、出張なんかで東京にくるとき一々入画許可を取らなくて済むから便利だよ」



4.逆襲

 長い夏休みで準備万端整えた長田は意気揚々と臨時国会に臨んだ。

 「世界に誇る平和憲法に手を付けることは日本の信頼を損なう」「国政選挙は民主主義の根本だ。その根本をないがしろにする暴挙だ」「1票の効力に差を設けるのは国民の権利の平等に反するものだ」「国会は株主総会ではない」「2院があるから、仮に1院で間違った判断を下しても残る1院がこれを是正することができる」「幅広い国民の意思を国会に届けられなくなる」「先進国として1院では恥ずかしい」質問は予想通りのものばかりだった。かすり傷さえ負わない。長田は自信に満ちた顔で身振り手振りを交え質問者たちにレクチャーを続けた。

 国民の圧倒的な支持を追い風に、粛々と審議日程が消化され9月末には憲法改正案と国会改革関連法案が衆議院を通過し、参議院に送られた。

  

 一院化に限れば衆議院は所詮他人事だ。しかし、参議院はそうはいかない。自分たちが席を置く伝統ある院を廃止する法案を審議しなければならない。まさに屈辱の日々だ。しかし、国民の多くが参議院の廃止を支持していることは明らかだった。既に勝負は着いていた。ここで下手に反対しても「口ではえらそうなことを言っているが、要するに政治家というおいしい仕事を失いたくないだけだろう」と勘繰られるのが落ちだ。

 それだけではない。与党の参議院議員のうち約半数の者は次の職場として衆議院議員の席が一応は用意されていた。つまり、次の総選挙で立候補する予定の選挙区が内々に決まっていたのだ。勿論、選挙の洗礼は受けなければならないが、今の与党の支持率なら、余程のことがない限り当選することは確実だ。ここで、下手に長田総裁の機嫌を損ねるようなことをしたら元も子もない。ここは神妙にしておいた方が得策だ。

 

 敗北ムードがただよう中で、気を吐く者たちはいた。与野党を問わず一院化によって議席を追われることが確実な古参の議員たちだ。

 「良識の府、再考の府である参議院に身を置くものとして今般の国会の大改悪に断固反対する。納税額比例選挙制度にしても国会の一院化にしても、民主主義の何たるかに思いを致そうとしない、拝金主義に陥った薄っぺらな政治家たちの軽挙妄動であると断言する。このような法律が成立してしまったら民主主義の根本である国民の権利の平等が失われてしまう。貧乏人は2割の権利しかないのか。2割の価値しかないのか。金を持っている者だけがまともな人間として扱われて良いのか。我々は票の効力だけを指摘しているのではない。長田総理!あなたは人間の価値を金で測ろうとしているのだ。このような人間の尊厳に泥を塗りつけるような発想がどこから生まれたのか。あなたは恥ずかしくないのか」野党の議員ではない。与党のご意見番と言われている木下参議院議員だった。

 野党席から「そのとおりだ」「いいぞ」のヤジが飛び、議場に拍手が渦巻いた。与党席でも数人が思わず拍手をしてしまい気まずそうにうつむいた。木下の舌鋒は鋭い。これまで自信満々に答弁を続けてきた長田総理も神妙な顔つきになった。


 「次に、参議院の廃止の問題である。参議院がこれまで十分な役割を果たしてきたかと問われれば内心忸怩たるものはある。そこは素直に反省しなければなるまい。第二院である参議院は大所高所から国政を考え、第一院である衆議院の決定を正さなければならない。しかし、幸か不幸かこれまでは若干の行き過ぎはあったにしても衆議院の決定にあえて異議を唱える事態が起きなかったのだ。ところが、この度衆議院が決定した法案はどうか。これに対しては、参議院は明確にノーと言わなければならない。勿論、議員の身分が惜しいから反対するのではない。この法案は国民の意思をないがしろにするものであるからだ。参議院が廃止されれば我々参議院議員は身分を失う。それは、我々に投票してくれた数多くの国民の意思を全て消し去ることになるのだ。私は、参議院の使命、すなわち衆議院の暴走を食い止め、慎重な議論を促すという本来の使命を今こそ痛感している」一呼吸おいて、天井をにらみ、その後正面を見据えて続ける。

 「ここはひとまず衆議院の決定を白紙に戻し、改めて一院化が真に日本国民にとって有益なものであるか否かについて慎重に議論頂きたい。その上でなお一院化が望ましいという結論が出されれば、我々は潔くその法案を審議しよう。しかしながら、今般の衆議院の決定はあまりにも拙速である。再度申し上げる。私は国会の一院化と納税額比例選挙制度に断固反対である。他の議員諸君のご賛同をお願いしたい」木下が長田総理をにらみつけて締めくくった。同時に「そのとおりだ」「民主主義を殺すな」というヤジが飛び、委員会室内に拍手が沸き起こった。与党席の大半の議員も拍手していた。衆議院の議席が約束されているとはいえ、また、影が薄いとはいえ、これまで所属していた参議院には愛着があったし、これを短期間の議論で廃止してしまおうとする与党執行部に対する憤懣が思わす噴出してしまった瞬間だった。長田総理の顔面は蒼白になった。



5.密入画

 ドアが開いて若者が二人入ってきた。二人とも下はジーンズで上は一人がダウンジャケット、もう一人がフリースだ。ダウンジャケットがマスターにぺこりと頭を下げ、カウンターを見やり、テーブル席の方を見た。そのあとフリースにカウンターの席を指さし、こちらの方に歩いてきた。

 「神村さんお久し振りです」

 「え、おお森下君か久し振りだな。元気そうだ」

 神村は壁に向かって座っていたので二人が入ってきたことに気付かなかったようだ。

 「今日は何?デートなの?一人?」と聞きながらカウンターの方を見る。

 「二人です。男だけど」 

 「なんだ。まあいいや。良かったら友達も一緒に飲まないか?オゴるよ」

 「いいんですか?ありがとうございます。じゃお言葉に甘えて」と言ってからカウンターのフリースのところに行き、それからマスターと一言二言話し、フリースと一緒に戻ってきた。

 

 「紹介します。僕と同じアパートに住んでる上村君です。マスターがテーブルを付けていいと言ってるのでテーブル付けます」と言って二人で横の二人掛けのテーブルと椅子を寄せてきた。フリースが上村です言いながらぺこりと頭を下げた。

 「まずは森下君の紹介からだけど、その前に酒はラフロイグでいいか?」

 「できれば普通のやつがいいですけど」

 「何が普通だ。俺たちが飲んでるのは真っ当なアイラウィスキーだぜ、失礼な。じゃ前田と同じのにしとけ」と言ってメーカーズマークのソーダ割りを二つマスターに注文した。「で、この失礼な森下君はうちでたまにアルバイトをしてもらってるんだ。見ての通りの好青年でしかも現役の経世大の学生だ。確か出身が北海道と言ってたよな。この芳野は今は旭川市民だから紹介しておくよ」と言って私を指さした。

 「芳野です。よろしく。で、北海道はどこなの?」

 「深川です」

 「じゃ隣町じゃないか。奇遇だね」

 

 「で、次は上村君だ。自己紹介するか?」

 「え?はい。上村と言います。今森下君と同じ蒲田のアパートに住んでます。森下君は経世大だけど僕は川崎にある専門学校に行ってます。出身は甲府です」

 我々も一応自己紹介しとくかと神村から、私、矢崎、前田の順番で簡単に自己紹介した。自己紹介している最中にマスターがソーダ割りを持ってきたので紹介が終わると同時に乾杯した。


 「皆さんえらいんですね。緊張するなあ」と森下が言ってのける。

 「えらかあない。ただの中年オヤジの集団だ。でも全く緊張してないくせによく言うよ」と神村が応じて場がなごむ。

 「森下君は今3年生で、俺がクライアントの家とかオフィスに出かけてプレゼンをやるときに運転手兼荷物持ち兼ディスプレイ担当で手伝ってもらってるんだ。うちの社員を使えばいいんだけど行く場所によっては1日つぶれるし、もったいない。パソコンの画面じゃ小さ過ぎてイメージ湧かないんだ。今はどこの家やオフィスでも大きなディスプレイはあるから、俺がクライアントと挨拶とか世間話をしている間にパソコンとディスプレイを繋ぐセッティングをしてもらうんだ。他に、使う予定の部材の見本を並べたりしてもらう。結構イイ男だから高級ブランドの少し地味目のスーツを着せればうちの商品がより高級に見えるという利点もある。順調にいけば来年卒業だろうからいい跡継ぎを見つけておいてもらわないと困るぜ。で、就職はどうするんだ?経世大なら引く手あまただろう」

 「まだ全然です。このままいけば東京に本社のある企業に勤めることになるんでしょうけど。ゼミの先輩たちのように画内で働いて、30代で画内のマンションを買って、海外勤務か海外出張以外はずーっと画の中で暮らすと思うと全然楽しそうじゃないですよね。何だか息がつまりそうで。いっそのこと北海道に帰ろうかなとも思うんです。ただ、北海道は勤め先があまり無いので」

 「じゃ、芳野のところに雇ってもらえ」

 「いやいや、経世大の卒業生が来るような大手じゃないから。来てくれるんなら勿論うれしいけどね」

 「そうですか?神村さんところの仕事って面白いし。僕も木のことがちょっと好きになってきたから、芳野さんところも木の関係のようなので考えてみます」

 「うれしいこと言ってくれるね。期待しないで待ってるよ。でも経世大ってたいしたもんだ。お宅もお金持ちなの?」

 

 「いえ、うちのおやじは普通の教員です。だから画内には住めないので蒲田でアパート暮らしです。同期の友達はほとんど画内から通ってますけど。だから皆それなりのお金持ちなんでしょうね。そういえば僕のアパートにもう一人経世の学生がいます。実家は名古屋の近くのなんとか市って言ってたけど、そいつの家もお金持ちみたいです。ただ他の友達と違って画内は嫌いだって言ってます。講義とかゼミで用事のない日はもっぱら川崎あたりで遊んでます。今日も学校がないから川崎に行くって言ったんで、上村君が彼のカードを借りてこっちに来たんです」

 

 「え?ということは密入画っ?」

 「しっ!!」神村が制する。

 「聞こえたらまずいぜ。アイラはこんな店だからそんなに心配することはないと思うけど。相互監視システムは強力だからな、どこにどんな奴がいるかわからない」 

 「ごめんごめん。しかし大胆だな。でも普通には来れないの?」

 「結構難しいですね。僕らは大学から在学証明書が出るからフルに入れる入域許可が簡単に取れるけど。上村君のようにただ画内を見てみたいという理由じゃ入域許可って下りないんです」

 「そうか、なるほど。で、上村君は画内は初めてなの?」

 「ええ、今20歳なんですけど、今まで一度も画内に入ったことなくて。一度見てみたいなと思って。彼女いるんですけど彼女は一度入ったことがあるらしくて、それが自慢で。街がすごくオシャレでゴミも落ちてなくて。みんな恰好良くって、いつか画の中で暮らしたいって言うんです。僕それまで、画の中って関係ないし、あんまり関心もなかったんだけど。そんなに言うなら一度くらい見てみてもいいかなって思って。で、坂本さんにちらっとそんなこと話したらカード貸してくれるって言ってくれて」

 

 「で、坂本っていう経世の奴なんですけど、その坂本が僕に上村君も一人じゃ心細いだろうから案内してやれって言うんで。じゃたまには東京見物でもするかってことで、午前中は大学に案内して、そのあと渋谷とか浅草とか行って、最後の締めがアイラです。でもアイラってちょっと画内らしくないから失敗だったかも」

 「そうか、じゃ上村君には悪いが、これからは一応坂本君ということにしとこう。俺たちもバレると色々と難しい立場にいるし、アイラにも迷惑が掛るからな。さあ坂本君遠慮なく飲め」神村が酒を勧め、マスターに何か旨いオードブルがないかと尋ねた。

 「で、画内はどうだった?」私から聞いてみた。

 「ええ、女性がみんな綺麗でした。着てる服も彼女と大違いだし。街だって蒲田とか川崎とか甲府なんかとは全然違う。日本にこんな綺麗なところがあるなんて知りませんでした。みんなお金持ちっぽいし、日本じゃないみたいです。でも、僕には合ってないのかもしれない。なんか落ち着かないんですよね。何だか疲れました。僕なんかの来る場所じゃないんだろうなあ」

 「初めてだからだよ。でも彼女と対等になったじゃないか」慰めにもならない。

 「そうですね。良かったです。今日は思う存分遊んだから、また明日から真面目に勉強します」

 

 「上村君て偉いんですよ。アルバイトで稼ぎながら川崎の専門学校に通ってるんです。今夜も本当は仕事があったんですけど、今日は学校もアルバイトも休んだんです」

 「どんな関係の専門学校行ってるの?」

 「福祉です。僕お婆ちゃん子で。離婚しておふくろが働かなきゃいけなかったんで、妹がいるんですけど僕たち二人はお婆ちゃんに育てられたみたいなもんです。だから、年寄を相手するのが上手くて。年寄嫌いじゃないし。福祉なら働き口に困ることもないだろうなって。でも、妹がまだ高校に通ってるんで、おふくろに苦労かけられないから自分で稼げるだけは稼ごうかなって」

 「偉いな。若者の鑑だ。年取ったら面倒見てくれ」胸が詰まりそうになる。

 「はい喜んで」

 「しかし、こんないい青年を大事にしなくてどうする。政府はなにをやってるんだ。おい矢崎お前何とかしろ政府の端くれだろう!!」酔いが回ってきたのかな?

 「おいおい。そりゃ俺じゃなく福祉省に言えよ。酔っ払ったのか芳野、分からんでもないが。そういえば最近、若い人が政治のこと話すことってないよな。昔は若い人が政治のことを語り合う番組があったがそんな番組もなくなったよな。ところで君たちは選挙権あったんだっけ?」



6.参議

 思いも寄らない参議院の抵抗を受けたが、政府、与党の方針が無論変わるはずはない。思わず拍手をしてしまった議員のうち衆議院に鞍替えを予定していた者たちは翌日幹事長に連れられ与党総裁室を訪れ、平身低頭詫びを入れた。勿論、長田からは厳しい叱責を受け続けた。中には土下座をして涙を流す者さえいた。

 長田の怒りはそう長くは続かなかった。最後には長田も彼らに労いの声を掛けた。未来永劫彼らが長田に弓を引くことはないことを確信したからだ。

 木下の反対討論で参議院が一致結束するかに見えたが、逆に木下の討論で溜飲が下がったのか参議院は一気にガスが抜けてしまい、その後の審議は順調に進んだ。

 野党議員の中にも衆議院に鞍替えを狙っている者がいたし、ここで無理に抵抗するよりも潔く身を引き、衆議院選挙で弔い合戦に臨む方が得策だと考えた。

 また、一院化、すなわち参議院廃止に伴う現職議員に対する処遇が思いのほか手厚いものであったことも反対が盛り上がらなかった理由だ。

  

 一院化するにあたって最も重要なことは、一院化によって国民の意思すなわち民意の反映に支障が出ないよう最大限配慮することだ。院が一つになるということは民意を伝える機会が半分になるからだ。

 そこで二つの対応策が採られた。一つは衆議院の定数を増やすことだ。これにより民意をよりきめ細かく反映できることとされた。

 もう一つの対応策は参議院議員に政治に参画できる権利を与えることだ。それは、参議院議員は国民の投票で選ばれた者たちであり、民意を背負った者たちだからだ。

 この裏には失職を余儀なくされる参議院議員の処遇にできる限り配慮する狙いがあったことは当然だ。


 議員定数の50増については、当初、野党が100にすべきであると主張したが、何のための国会改革かと国民の失笑を買い、すぐに取り下げた。なお、定数を50増やすことに伴う選挙区割りについては、別途、公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法を一部改正することで対応することとされた。

 次に、参議院議員の政治への参画だが、参議院の廃止に伴い「参議制度」を創設することとされた。

 具体的には、参議院廃止時点で参議院議員であった者は「参議」になることができることとした。参議は、自ら辞職を申し出ない限り終生参議職を務めることができることとした。また、参議院議員会館は参議会館となり、参議は以前の部屋を無償で利用できることとされた。

 参議には、「国政参画費」として、従前の議員報酬の半額が支給され、「国政調査費」として一律に月額で20万円が支給された。

 また、参議には特別に「法案提出権」が与えられた。これで多くの参議院議員は不承不承納得した。


 では、実際のところ参議はどのような活動をするのか?最大の出番は4月と12月に開かれる「参議会」だ。この場で、内閣から国政報告が行われ、参議から意見、提言を述べることになる。また、法案の提出は何時でも可能であるが、参議会の場に提出することが推奨された。なお、4月は新年度予算の説明、12月は翌年度の主要施策と予算案の説明が主要議題であった。

 しかし、4月時点では予算はすでに決定されたものであり、12月時点で予算案を説明されても実際のところ修正する余地は残されていない。そのため、型どおり国政報告が行われ、これに対して応援演説をするか意味のない反対を表明するだけだった。このため、初めのうちは総理大臣以下すべての閣僚が出席して国政報告が行われたが、徐々に総理大臣が出席することはなくなり、官房長官と各省の副大臣が出席するようになった。


 また、参議には、参議の権威を損なわないことを条件に兼職が認められていた。兼務できる職業には都道府県知事や市町村長も含まれていた。このため、衆議院を目指さない40代、50代の議員の多くが首長選に出馬し、参議院が廃止されて5年を経過した時点で43名の参議が首長を兼務していた。ただ、実態は、首長が参議を兼務していたと言う方が正確だろう。

 このほかにも参議たちは宮中晩餐会や諸外国の元首を交えたレセプションにも招待された。一院化によって議席を失う参議院議員たちにはこのように手厚い救済措置がとられたため、大きな混乱もなく一院化に関する法案が参議院を通過したのである。


 なお、参議院廃止に最後まで抵抗した木下をはじめとする10人は「議会制民主主義は死んだ」との言葉を残して参議院を去り、参議に就くこともしなかった。また、長期間入院し3年間議員として活動した実績のなかった1名も参議になることを辞退した。

 一方、11名を除く231名の参議院議員は全て参議になった。また、2022年の参議院議員選挙で参議院の廃止を訴えて当選した議員が15名いたが、全員が「参議院の廃止を勝ち取った」と胸を張ってそのまま参議に収まり、国民の失笑を買った。

 また、231名のうち125名は、一度は参議になったものの、次の総選挙に出馬して衆議院議員になり、参議職を返上した。

 

 参議の特権として認められた法案提出権とはどのようなものだったのだろう?

 参議が提出できる法案には制限があった。すなわち、憲法の改正及び憲法に抵触するものは認められなかった。また、民法、刑法など憲法以外の6法に関連するものも事実上認められなかった。要するに提出できる法案は特別法に限られていた。これは唯一の立法機関である国会の役割と参議の役割を峻別する必要があったからである。

 また、提出を予定する法案は、事前に、「法案審査委員会」で審査を受けることとされていた。委員会は8名の法学者と2名の官僚OBで構成されていたが、政府からは独立した中立的な機関であった。

 また、委員会が審査する項目は法律によって厳格に規定されており、基本的に法案の目的、内容に関しては審査の対象としてはならないとされていた。

 委員会は、あくまでも法案が憲法、民法、刑法等に抵触していないか?その他の一般法、特別法と整合性がとれているか?法理上内容に矛盾がないか?法律の形態を備えているか?用字・用語に誤りはないか?などの純粋に技術的な事項についてのみ審査することとされていた。

 委員会発足当初は、政府の恣意的な運用が免れないとの批判があったが、政府にはそのような意図は毛頭ないようだった。それは参議の能力を甘く見ていたからに外ならない。

 また、実態をみても、参議制度発足後提出された法案は年に2~3本程度しかなく、参議が提出して成立した法律も新たな祝日を設けるもの、スポーツで活躍した選手に特別の年金を給付するものなど他愛のないものだった。今では、委員会の運営に疑問を呈したり問題を指摘するような者はいない。



7.ペナルティー

 「選挙権ですか?僕はあります。詳しいことはよく分からないけど、森下君なら良く知ってるんじゃないのかな?」と上村か答えた。

 「一応法学部なんで知ってるよ。僕らも一応選挙権はあります。でも被選挙権はありません。それから、神村さんたちだと年収高そうだから1票か0.8票はあると思います。勝手に想像してすみません。で、僕たちなんですけど、学生なんで一律0.2票しかありません。納税額比例選挙権制度というやつです。納税額に応じて人それぞれに一票の格差があるという訳です。それから、これは調べてみないとわらないけど上村君はアルバイトしてるでしょ。上村君の場合は僕と違って常勤で働いてるからひょっとしたらあと0.2票上乗せされて0.4票になる可能性がないでもない。職場でちゃんと報告してれば。僕の場合、神村さんのところのバイトは金額が小さいし闇というか表に出てないでしょうから無理でしょうね」

 「人聞きの悪いこと言うな。ちゃんと給与で払って経費として処理してるぞ。でも君の選挙権のことまで考えちゃいがな」

 

 「ところで法学部のお兄ちゃん!ついでに教えてくれ。国民カードを失くしたら選挙ポイントが引き下げられるって聞いたけど本当か?そんな馬鹿な話ないよな」

 「もちろんありませんよ。そりゃ誤解です。ちょっと話が長くなるけどいいですか?」

 「もちろん」中年4人組が口をそろえる。興味津々だ。

 「結論を先に言うと、他人が落としたカードを届けるとポイントが加算されるということです。神村社長のおっしゃってることと逆です。つまり、誰かが落したカードを拾って警察に届けると報償として現金5万円か50万円の税額控除か投票権0.2ポイントが与えられるという制度です。目的はもちろんカードの不正使用を防止することです」

 「じゃあ失くしても問題はないんだな。安心した」

 「でもペナルティーはありますよ。もし再発行するとなったら5万円取られます。しかも再発行まで2~3日はかかるし、警察でジクジクと説教食らったりもするらしいです。皆さん失くされたことないんでしょうね。僕もないですけど、友達が失くしましてね。結局出てこなくて5万円パーです。皆さん気を付けてください」

 「そりゃ気を付けるけど5万円は高すぎる」

 「そうですね、実際に再発行に掛かる経費なんて数百円だと思いますけど。カードの管理をおろそかにしないようにペナルティー的な意味合いを持たせてるんでしょうね。でも、普通はすぐにカードは見つかるので、半日もしないうちに元の所有者の手元に届くらしいです。報償制度の効果は絶大ですね。ただ、この場合は届け出てくれた人に別途に謝礼をするのが慣例になってて相場は1万円だそうです。届ければ5万円の報償プラス1万円だから悪くないですよね。制度としては税額控除とか選挙ポイントも選べるけど5万円もらうのが圧倒的に多いみたいです」

 「そりゃそうだろう。でも報償が良すぎると報償狙いで盗む奴も出そうだな」

 「そうですね。その可能性は否定できない。だから、1回報償を受けると5年間は拾って届けても報償は受けられないというのが原則になってます。また、報償金をもらった人のうち、警察が怪しいとにらんだ場合は、届けられたカードじゃなくて届け出た人のカードの使用履歴が1年間追跡されるようです。これはどこにも書かれていないのでことの真偽は分かりませんけど」

 「今の政府ならやりそうだ。やろうと思えば簡単だしな。たかが5~6万円で追跡されちゃかなわん。下手に届け出ない方がいいな」

 「そんな風に考えるのは神村社長のようなお金持ちだけですよ。ついでに「関所破り」のこともご説明しましょうか?」

 「うんうん」中年4人組が身を乗り出してきた。

 

 「関所破りと言っても、セクションを強行突破するような馬鹿はいませんよね。そんなことしなくてもその気になれば画の中なんて簡単に入れますもんね。要するに出入画ゲートを通らないでグリーンベルトを歩いて越えたり、隅田川を泳いで渡ったりすることですけど」

 「それそれ」

 「案外ペナルティーは緩いんです。照明塔とかフェンスとかグリーンベルトの施設を壊したりするとこれは勿論罰則がありますけど。ただ、これって器物損壊ということですから関所破りとは直接関係ない」

 「そりゃそうだ」

 「で、単にグリーンベルトを越えたとか隅田川を渡っただけで、特に悪質なものでなければ、一時的に最寄りの関所所管の警察署にしょっ引かれて、身元を確認されて、説教を食らって、はい帰っていいよということになります。拘置されることは滅多にないらしいです。その後、数日したら罰金の納付告知書が送られてきて、それを払って一件落着です」

 「へえ、大したことないな」

 「だって、画内に入るのは上村君じゃないけどそんなに難しくないし。あっ、上村君ごめんね余計なこと言っちゃった。まあそんなことで、あまり厳しく取り締まっても意味ないんです。ただ、落しものカードの報償制度じゃないけど、関所破りをした履歴はしっかりと国民カードに残されて要注意人物扱いされることは間違いないでしょうね」

 「なるほどブラックリストか」

 「それから、もう一つペナルティーを忘れてました。関所破りするような人間は国の秩序を守らない者、国政に貢献する意識が低い者と断定され、選挙ポイントが0.2から1の幅で引き下げられます。引き下げ率は、動機や内容に応じて決まります。引き下げの適用期間も動機や内容に応じて5年から20年の幅で決められます。処分のうち軽いものは正式な裁判を経ずに略式命令で処理されます。交通違反みないなものですね」

 「なるほどな。良く分かったよ。さすが法学部だ。見かけによらずしっかりしてる」

 「こんなことは大学じゃ教えてくれません。社会人としての常識です。ていうか、大学にはいろんな奴がいるから、そいつらの経験談とかの受け売りです」

 「そうか常識か?しかし、選挙権が増えたり減ったりするなんて変な制度を作ったもんだ。大人になっても点数付けられるなんて感じ悪いな」

 


8.即断即決

 国会の一院化については不承不承賛意を示した参議院だったが、納税額比例選挙制度に対しては激しく抵抗した。

 自分たちが所属する院を廃止する法案を審議しなければならない屈辱の中で、参議院議員たちは良識の府、再考の府として、何としても衆議院に一矢報いたかった。その思いは与党、野党の所属を問わなかった。


 衆議院で議決され参議院に送られてきた時点の法案では、納税額を年収に換算すると年収300万円までの者の1票の効力は0.1票、年収500万円までの者の効力は0.3票、同じく700万円までの者は0.5票、1000万円までは0.7票、1000万円以上が1票となっていた。

 また、収入のない18歳以上の学生は0.1票とされ、被選挙権は25歳以上で0.7票以上の投票効力を持つ者とされていた。


 これに対し、参議院は、国民の意思はあまねく国政に反映されるべきである、国民の権利の平等は守られるべきであるとの正論を盾に、多くの国民の声に後押しされて投票の効力をできる限り平準化することを参議院議員の総意としてまとめ上げ、法案を修正した。

 修正した法案では、年収300万円までの者と18歳以上の学生は0.2票、500万円までの者は0.4票、800万円までの者は0.6票、1000万円までの者は0.8票、1000万円以上の者は1票とし、被選挙権は25歳以上で0.6票以上の投票効力を持つ者とした。また、「この区分は次期の衆議院議員選挙を経た後、遅滞なくその効果等について検証を行う」とする付帯決議まで付けた。


 一度議決した法案を修正された衆議院側にとっては青天の霹靂である。これまでカーボンコピーと侮っていた参議院から思わぬ反撃を受けたからだ。

 「第一院である衆議院が議決した法案を修正するとはけしからん。一部の文言を修正するならまだしも制度の根幹を修正するなど言語道断だ。すぐさま衆議院で再議決すべきだ」との発言が与党議員から相次いだ。

 しかし、長田たち与党執行部は、仮に参議院の議決を認めたとしても、与党にとって特段不利にはならないこと、失職する参議院議員たちへの絶好のはなむけになること、そして何よりも今般の国会改革に対する国民の根強い抵抗感が和らぐことを見て取り、参議院から回付されてきた修正法案を衆議院が同意することを決断した。

 こうして、納税額比例選挙権制度と国会一院化に関する法律が成立し、1年間の周知期間を経て2024年11月に施行された。

 日本は「即断即決できる国」になった。

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