表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

1話

気晴らしに投稿です。全六話。12時、15時、18時、21時、24時(二話投稿)に投稿し完結させる予定です。

「ここは……家の……前……?」

 彼の正面には地平線から顔を出したばかりの太陽が見えている。本日は晴天。雲一つない空がどこまでも広がっている。彼は正面から差す陽光に目を(しばたた)かせる。手のひらで影を作りながら、彼は正面に位置する太陽から視線を逸らす。右を見れば長い廊下が、左を見ても同じような廊下が続いている。

 彼が今いるところは、彼が住んでいるマンションの八階。それも彼が住んでいる家の玄関の前だ。それはいつも目にする景色の高さと角度から彼は確信していた。玄関に張り付けてある表札を見るまでもなかった。そんなところに彼は日の出と同時に佇んでいた。

 ――何故だ?

 その理由はいくら考えても分からないでいた。

「へっくしゅ! ……うぅ~、まぁいいや。家に入ろ。寒いし」

 今の季節は冬。しかも真冬に当たる二月の上旬だ。日の出直後のこの時間帯は、もしかしたら氷点下にまで気温が下がっているかもしれない。それだというのに、彼の格好はかなり軽装だ。上は半そでのTシャツ一枚。下は半ズボン。靴下に運動靴という真夏のような格好だ。

 ――俺はたしかに自室で寝ていたはずなんだが……。

 彼はたくさんの疑問に頭を悩ませながらドアノブに手をかける。そしていつもの調子でドアノブを下げて引こうとしたが、それは出来なかった。

「鍵が閉まってる?」

 それはある意味当然だろう。彼が外にいるということは家の鍵を閉めたということになる。だが彼にはその記憶が少しもなかった。

「一体何が起きてるんだよ」

 彼はポケットを(まさぐ)る。鍵が閉まっているなら自分が鍵を持っているはずだと思っての行動だ。そして彼は鍵をズボンの後ろの右側に見つける。勿論、彼は何故鍵がそのポケットに入っていたのかも覚えていない。

 ――……俺、記憶喪失か?

 彼は乾いた笑みを浮かべながらドアの鍵穴へと鍵を差し込む。そしていつものように反時計回りで鍵を開けようとするも、鍵は回らなかった。

「――は? なんでだ?」

 彼はもう一度力を込めて回そうとするが鍵はピクリともせず、一度も回らない。

 ――……となると、どうやって鍵を閉めたってんだよ。これじゃ俺家に入れないじゃないか。

 彼は仕方なく鍵を引き、鍵の形状を何気なしに見つめる。

「はれ? これ、家の鍵じゃねえ」

 鍵の凹凸の正確な形は覚えておらずとも、本来の鍵よりも凹の数が明らかに少ないことに彼は気付く。

 ――気味(わり)い……。

 彼は異様な状況に身震いする。そして彼はふと気が付く。彼の身の回りの状況だけでなく、周囲の、辺り一帯の異変に。

「……静かすぎる。鳥の鳴き声一つ聞こえないなんて……」

 普段なら聞こえる鳥の鳴き声はおろか、車の気配、人の気配も全く感じられない。単純に早朝だからというだけではない。日の出直後でも六時を過ぎているといつもなら車も走り始めている。そして人も通勤や通学で家を出ているはずなのだ。それなのに、物音一つしない。それは異様すぎた。

 気温によるものか恐れによるものか分からないが、彼は震えが止まらなかった。

 ――……きっとこれは寒いからだろう。

 彼は無理やりそう思い込んだ。

「くそっ。なんか他にねえのか?」

 この状況を打破できるような、最低でも理解できるような物がないか。彼は鍵が入っていたポケットとは別のポケットを探った。すると出てきたのは彼のスマホだった。一ヶ月前に機種変したばかりのまだ新しいスマホだ。

「電源が落ちてる」

 彼はスマホの電源をいつもスリープ状態にしている。しかし今彼が持つスマホは電源が落ちていた。そのことを不思議に思うも、彼は取り敢えずスマホの電源をつけてみることにした。だが電源をつけてみたはいいものの、電波が一向に入ってこない。圏外になっているのだ。

 ――おかしい。

 普段なら電波など当然のように入って来るこの場所で、圏外など本来はありえない。何か他に変った所はないか、彼はスマホの画面をスクロールする。すると、一つ身に覚えのないアプリが表示されていた。

「説明書……?」

 説明書という名のアプリ。何の説明書かも表示されておらず、誰が見ても胡散臭いアプリそのものだ。彼はそのアプリを開くことなくスマホをスリープモードにする。怪しいものは放っておくに限る。アプリを削除しようにも、そのアプリだけは何故か削除できなかったためだ。何か意図的に仕組まれたアプリでありそうで、彼は完全無視を実行した。

「さてと。動かないことには何も始まらないからなぁ」

 右方向へと進めばエレベーター、その先に階段がある。そこから一階へと降りればエントランスへと出られる。左方向へと進めば階段があり、二階へと降りれば駐車場へと続く道に出られる。まぁ普通に考えたらエントランス方面に向かうのが一般的であろう。本来なら多くの人間が利用する場所、エントランス。人間出入口に向かうのは当たり前。そこから建物に入ったり出たり出来るのだから。

 誰かいやしないかと薄い望みを抱きながら、彼はエレベーターに乗り込む。今彼がいるマンションは十五階建てだ。一階が三戸。二階から十四階までは各階十五戸ずつ。十五階は三戸という構成になっている。このマンションは駅にも近く、小学校や中学校にも近いことから人気なマンションとなっている。そしてこのマンションと似たようなマンションが周囲にも存在する。一つのマンション群、グループと呼んでいいだろう。スモークマンションという名称でそれぞれのマンションが建っており、スモークマンション一番館から六番館まで存在する。彼が住んでいるマンションは三番館だ。そしてこのマンション群は周囲を道路で囲まれている。つまりこれらのマンションに住む人たちは道路を境界に孤立していると言っていい。それは言い過ぎだと普段の彼なら言うかもしれないが、今はまさにそれが的確だった。

「……出られん」

 エレベーターを降りて自動扉をくぐり、エントランスへと出た彼は目の前に見える大きな公園に足を運ぼうとしていた。しかし透明な壁に阻まれてしまい、彼は公園に入れなかった。マンション群を囲む道路上に見えない壁が存在したのだ。見えないために彼は思いっきりつま先をぶつけてしまい、その際に思わず変な声を出してしまった。しかしそんな恥ずかしいことも、周囲に人はいないため聞かれることはない。もし誰かに聞かれていたら内心悶えていたに違いないだろう。

 見えない壁伝いに彼は歩き続けた。すると、彼の住むマンション群を囲うように、見えない壁は存在することが分かった。マンション群の外周は一キロ弱だ。それだけの距離を囲むこの見えない壁は何故存在するのだろうか。まるで彼を逃さんとするばかりのようだ。

 彼は途方に暮れつつ、マンション群内の中心に位置する広場、遊び場へと足を運んだ。その広場へ三番館のエントランスから行くには、坂道になっている左手へと道路沿いに少し進む。すると左手に砂利で出来た小さな広場と目指すべき中心の広場へと続く長い階段が見える。彼はその階段を上って中心広場へと辿り着く。彼は人の存在を期待して広場に出るが、そこにもやはり人はいなかった。

 ――寂しい……。

 彼はそう思わずにはいられなかった。人がいないのがこれだけ心細さを助長するものだと彼は思いもしなかった。

 彼は今、実家であるこのマンションから大学へと通っている。そんな彼もいつかは家を出て一人暮らしをしなければいけない。そして彼女いない歴二十年の彼だが、彼はそれでいいと思っていた。彼女がいる人を羨ましく思うこともなく、自分の彼女が欲しいと思ったこともなかった。結婚も考えたことはない。俗にいう女子力という彼の家事スキルは結構高いため、料理や洗濯掃除、裁縫まで何でもできる。妻という存在を考えたこともなかった。一人でも生きていけると思っていたからだ。

 ――結婚ってなんだろ……。

 彼は思う。結婚とは人との濃い繋がりが出来ること、つまり結婚することで辛い事があった時に頼れる相手、何でも話せる相手が出来、一人では解消できない辛さを共有してもらい、共に解決してくれる心から許せる相手を作ることこそ結婚に意味があると。そして生命。新しい命を次の世代につないでいくのも生物としての宿命であることから、妻帯者となることは宿命なのかもしれない。

 彼はそれからも一人孤独に中心広場で思考に耽る。それは彼の癖だった。彼は気兼ねなく話せる友達も少ないから独りでいることが多い。そのため暇つぶしにボーッとしながら無駄なことばかり考えたりすることが多々ある。そのような癖のおかげで女子には変な顔しているだなんて引かれたりすることもまま、いや多々あった。それは彼のモテ度を下げる要因の一つだった。たとえ勉強が出来て運動も出来、家事全般何でもこなし、人に優しい男でも、顔が普通だったり変だったり、恋に関して積極性に難ありだとどう考えても……。

 ――うん、自分には無理だ。

 またもやネガティブなことを考えながら彼はそう結論付けた。

「それにしても、静かだなぁ……。寂しいけど、静かなのは嬉しい」

 静か。それは孤独でありながらも自分だけの空間を広く持てているということだ。そんな状況にあこがれるため、彼は田舎に住みたいと思うのだった。

 ――車や電車、人の叫び声が聞こえない、自然の音だけが聞こえる空間に俺は閉じこもりたい。

 引きこもりに近い思考だが、仕方がない。それが彼なのだ。

 彼は中心広場で腰に手をやりながら堂々としていた。太陽は少しずつ上昇してきている。現在の時刻は六時半ってところだろうか。スマホで時刻を確認した彼は中心広場から続く左手の上り階段を上る。二十段ほどの短い階段を上りきると、左手には遊具が存在する。平日の夕方や休日には幼稚園の子や小学生の子がここら辺で遊んでいる。今は早朝だが人の気配が全くない。今日の夕方になっても利用されることはないだろう。彼は今からそんな予感めいたことを感じていた。遊具は音も立てず、静かに立っていた。それも当然。無風かつ利用されていないからだ。彼はそのままその遊具広場を通り過ぎ、スモークマンション群一大きいマンション、四番館の下を通り抜ける。トンネルのようになっているため、そこを通っているのだ。そのトンネル内を出た右手には四番館のエントランスがある。そしてついに彼は、ここまで来てようやく人の存在を認識することが出来た。しかし、それは断末魔。聞いたことのないほどの叫び声だった。

「ぎゃぁああああああああっ!!」

 彼はその叫び声に体を跳ねさせた。寒さと緊張で体は震え、足は立ち止まる。トンネルの先を見つめつつ、彼は恐怖に支配されていく。人間の気配、第一声が叫び声となるとは思いもしなかっただろう。

 やはり、この空間は異様だ。透明な壁で閉じ込められ、人の気配が全くしないと思いきや、人の存在を認識するもそれは断末魔。

 ――何に巻き込まれたんだよ、俺。

 すると、トンネル内に足音が微かに反響する。トンネルの向こう右手側から誰かがやって来るようだ。彼は喉を鳴らし、若干後退しながらその正体を待った。トンネルを出た先の右手から影が現れる。中々にガタイがいい。背も高く、男のようだ。手には何やらチェーンソーらしきものを持っている。

 ――おいおい、物騒じゃねえか……。

 そして男はトンネルの出入り口の真ん中付近で立ち止まると、顔をこちらへと向けて来た。

「おい……おいおいマジかよ」

 彼の口から思わず出た言葉は現実を確認したくなるような言葉だった。立っている謎の男の左手から差す陽光に照らされたのは、仮面。男は白い穴付きの仮面をかぶっていた。穴は三日月形で三か所。両目と口に当たる場所に開いていた。その仮面は笑っているように見える。それは不気味すぎた。さらにはその仮面、一部が赤く染まっていた。白い仮面が赤く染まっている。そして先程の断末魔、さらによく見るとチェーンソーまで赤い。ここから連想される赤い正体は血。

 ――さっきの叫び声の人は……。

 すると、男は陽光を反射させるチェーンソーを正面に持ち上げる。そのゆっくりとした動きに彼は反応出来なかった。恐怖で足は震えていた。

 ――いや、これは武者震いだ。

 彼はそう自分に言い聞かせたくなる程、膝は笑っていた。

 謎の白仮面男との距離は実に二十メートル弱。

 ――何をしてくるつもりだ……。

 彼は笑う膝を叩きながら身構えた。その瞬間――

 男の持つチェーンソーが唸りをあげた。

「ま、まさか」

 そして男は上体を前方へと少しかがめ……彼めがけて全力で走り始めた。彼との距離はあっという間に十メートルまでになる。彼は反転し、かっこ悪くも腹の底から叫び声を上げ、全力で男から逃げ出した。

「う、わぁあああああああっ!!」

 彼は恐怖に押しつぶされそうになる。脳内では現実逃避をしようとするも、耳に届くチェーンソーの音に現実へと引き戻される。

「…………」

「待て待て待ってぇえええ!! あんたほんと何者ぉっ!?」

 彼はトンネル内に響くチェーンソーの唸る音と駆ける足音を耳にしつつ、全速力で逃げだす。そして顔を半分後方へと向けながら返事の期待できない男へと問う。当然のように謎の白仮面男からの返答はなく、空間をも裂きそうな音をあげるチェーンソーを振り上げながら黙ったまま追いかけてくる。黙ったままというのがまた恐怖を煽り、彼の脚はさらに回転数を上げていく。

 ――マジで夢であってほしい! これがリアルなんて有り得ない!

 彼は走りながらチラリと後方を振り返る。謎の白仮面男は当然のようにまだ追ってきていた。

命の危機にさらされる絶望的な状況だが、彼にはまだかすかな希望があった。それは謎の男が疲れて走ることを止めることだ。男の持っているチェーンソーは重さ十キロを超えていそうな重量感あふれる代物だ。それだけの物を頭上に掲げながら走るのは相当な体力が必要だ。かたや彼はほぼノー荷物。ポケットに入った鍵とスマホだけだ。そして彼はスポーツ全般が得意だ。勿論走ることも得意。それは陸上部に所属する連中にも匹敵するほどだ。どちらかというと短距離の方が得意だが、長距離も苦手ではない。奴から逃げきるだけの体力も十分にある。ただし、彼の実力が通用するのは男が一般的な人間であった場合に限る。現実とは思えないこの空間。男が超人的な力を持ち、いくら重いものを持っていても走り続けることの出来る無尽蔵の体力を持っていた場合はそれに当てはまらない。彼の命が力尽きるのも時間の問題だろう。

 ――頼む! 奴が薬漬けの超人でないであってくれ!

 彼はそう願いながら脚を止めることなく駆け続けた。

 彼は四番館のトンネルまで来た道を辿る様に走り続けた。中心広場への下り階段を三段飛ばしで駆け下り、そのまま右に曲がって長い階段を駆け下りる。焦って階段を踏み外しては元も子もないため、冷静に五段飛ばしで駆け下りる。……五段飛ばしの時点で冷静でないのがまる分かりだが、それは仕方がないだろう。それだけ鬼気迫った状況なのだから。

 階段を降り切り、彼は後方を振り返ることなく右手へと曲がり道路沿いに走る。そしてすぐ見える三番館のエントランスへと突入した。ポケットから取り出した鍵で自動扉のオートロックを開ける。いつものようにとった行動だったが、この鍵はどこの鍵とも知れぬ鍵。マンションのオートロック解除に対応していたのはかなりの幸運だっただろう。彼はエレベーターのボタンを連打し、開いたドアに滑り込むようエレベーター内に入る。閉じるボタンを連打しつつ、透明なガラス扉で出来た自動扉越しに、一瞬見えたエントランスの様子を確認する。そこに、チェーンソーを持った男の姿は見当たらなかった。


 

◇◇◇



「はぁっ、はぁっ……はぁっ……はぁ~……」

 ――まったくどうなってるんだよ……。

 彼は力なくしゃがみ込み、エレベーターの壁に寄り掛かる。エレベーターは静かな駆動音をあげながら緩やかに上昇していく。今だ、彼の呼吸は荒れに荒れている。落ち着くのはもう少しかかるだろう。

 彼は胸に手を置き、動悸を沈めんとす。

 彼は状況の整理を始めた。朝六時、彼はいつも見る、よく知っている光景を前にして目覚めた。その時、人の気配はなく、怖いほど静かだった。そして彼は家に入ろうとするも、ポケットに入っていた鍵は自分の家に対応しておらず、中に入ることは出来なかった。他に何かないかを確認したところ、ポケットに彼のスマホが入っていた。彼は外へと繰り出し、このマンション群が透明の壁で囲われていることを知る。その後、四番館のトンネルへと差し掛かったところで人の叫び声を聞いた。そして現れたのは大型のチェーンソーを持った謎の白仮面男。その男の仮面とチェーンソーは血に汚れ、叫び声の主の最悪の行方を想像させた。その光景に固まっていると男はチェーンソーを振り上げながら彼を追いかけ始める。当然のように彼は逃げだした。三番館まで逃げ切った彼はエレベーターに乗り込み今に至る。

「スマホ……か……」

 彼は一つのアイテムを思い出す。ポケットを探りまだ綺麗な相棒を片手にスリープモードを解除する。画面をスクロールし、注目したのは存在理由不明な謎のアプリ――説明書。

 ――こいつが全てを教えてくれるのか……?

 走り疲れたのと緊張で手は震えている。説明書のアプリにゆっくりと指を伸ばしタップしようとした瞬間、エレベーターのドアが開き始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ