わたしといっしょにうたおうよ!②
★ ユキ編 ★
『歌を歌おうよ 愛の歌を 歌を響かせようよ あの星空に向けて』
蒸し暑い初夏の夜。今日も私は、公園のジャングルジムの上で歌う。いつもは独りだが、今日は珍しく観客がいた。今日のお客さんは、何が入っているのか、ぱんぱんのショルダーバッグを抱えた、サイドテールの女の子。じーっと私の歌を聴き入っている。歌い終わると、ぱちぱちと可愛らしい拍手を飛ばしてきた。
「お姉ちゃん、歌上手だね!」
「ありがとう。あ」
冷たい。水滴が首筋に当たった。空からぽつぽつと雨が降ってくる。今日雨降るのか。しまったなあ、傘持ってきてないや。
「クミっちー!」
公園の入り口の方から傘を差した誰かが声をかけながらこっちに急いで向かってくる。眼鏡をかけた、長髪の女性だった。片手にはさらにもう一本の傘。
「クミっち、遅くなってごめん。降りそうだったから、途中で傘取りに戻ってたら遅くなった」
女の子にもうひとつの傘を差しだす。
「サツキお姉ちゃん、クミ、傘持ってるよー」
そう言うと、女の子は鞄を漁って、折り畳み傘を取り出し広げた。
「あら、用意のいいことで。あ、よかったらこれ使います?」
彼女はそう言うと、私に傘を差しだしてきた。
「ありがとうございます。妹さんですか?」
私は、傘を広げながら、何気ない疑問を尋ねてみた。
「んにゃ。妹分ってところかな。こないだ遊んであげたら、えらい懐かれちゃって」
「サツキお姉ちゃん、このお姉ちゃんも歌上手いんだよ」
「本当!? あの、良ければもう一回歌ってもらえない?」
えらく人懐っこい猫だな。まあ、私も相当人懐っこい方だけど。他にやることがあるわけでもなし、私はもう一度歌を披露した。
「わお、本当に上手! ねえあなた、私たちと一緒に歌わない?」
「へ?」
いきなりの申し出に、思わず変な声を出してしまった。
「私の特技はこれ」
そういうと、サツキと呼ばれた女性は拳を口に当て、『音』を出した。
「でね、クミっちもこの歳で歌がすごく上手なのよ」
「サツキお姉ちゃん、まず自己紹介しないと、お姉ちゃんきっと訳分かんないよ?」
女の子が女性の裾をくいくいと引っ張り、注意を促す。
「ああ、いけない。ついテンション上がっちゃって。私はサツキ。特技は、今やったボイスパーカッション」
「クミだよ! 歌うの大好き!」
「私はユキ。よろしく」
握手の手を差し出すと、サツキがそれはもう嬉しそうに握り返して、ぶんぶん振る。続いて、クミとも握手を交わす。
「私たち本当に歌が好きでね、歌仲間探してたのよ。そしたら、こんな上手い娘に出会えるなんて超ラッキー! ね、ね、いいでしょ?」
サツキが両手を合わせて拝み倒す。クミもきらきらした瞳で見つめてくる。
「OK、いいですよ。一緒に歌いましょう」
実際、私も歌仲間が欲しかったところだ。この、でこぼこコンビの誘いに乗ることにした。
「ありがとー! だったら、敬語とかなしなし。ね!」
「ユキお姉ちゃん、ありがとう!」
こうして、私たちはアカペラユニット『カクテル』を作ることになった。いつの間にか、雨が止んでいた。
「あと一音欲しいねー」
それからしばらく経った、あくる霧深い夜。静寂に包まれた住宅街を三人で歩いている時、私は日頃から感じていた『物足りなさ』について言及した。
私は結構声が低い。逆にクミは高い。二人でハーモニーすると、声の高低差が極端なのだ。それを中和する中音域が是非とも欲しい。
「うーん、確かにねー」
変人・サツキも、こと歌に関しては真剣だ。腕組みをして、首を捻る。
「って、あれ? クミは?」
ふと気付くと、私とサツキに挟まれて歩いていたはずのクミがいない。慌てて周囲を見回すと、後方で耳に手を添えて、聞き耳を立てていた。
「何してるの、クミ?」
「ん……。何か、歌が聞こえるの。ほら、ユキお姉ちゃんも聞いてみて」
音源を特定しようと、クミの耳がぴくぴく動く。私も、クミに倣って聞き耳を立ててみた。すると、かすかに歌声のようなものが確かに聞こえる。
「二人とも、何してんの?」
「歌がね、聞こえてくるの。サツキもやってみて」
私たちが歌の聞こえる方へ、聞こえる方へと慎重に歩を進めて行くと、徐々に歌がはっきりとしてくる。それは綺麗な、中音域の歌声だった。
「サツキ、クミ、行こう!」
私はクミの手を引いて駆けだした。サツキも私に続く。ここまではっきり歌が聞こえるようになれば、走っても方向を失うことはない。
私たちは、声の出元に駆け付けた。霧の中にゴシック調の大きな洋館が浮かぶ。窓のところどころに電気が点いて、明るかった。その洋館を囲む塀の上に、歌い手は居た。
歌い手は、縦にロールした髪を持つ、フォーマルなワンピースに身を包んだ女性だった。彼女は私たちが走って近づくと、警戒して歌を止めてしまった。
「あの、いい歌声ですね!」
私は、塀の上の彼女に、賛辞の声をかける。
「ありがとう。わたくしに何か御用ですの?」
「私はユキ。で、こっちがサツキ、こっちがクミ。お願い、私たちと一緒に歌って。あなたの歌声が必要なの!
「どういうことですの? 意味が分かりませんわ」
「これを聴いてくれれば、意味が分かるはず。サツキ、クミ、歌おう!」
私たちは、すぐさま合唱を始めた。最初は呆れた様子の彼女だったが、歌を聴いていくうちに、考え込むようなポーズを取る。眼差しも真剣だ。
「なるほど、得心が行きましたわ」
歌が終わると、彼女はそう言った。
「それじゃあ、私たちと!?」
「いいえ。得心が行ったことと、あなたたちと歌うかどうかは別ですわ」
「そんな……」
私はがっくりと肩を落とした。やっと、理想の中音域と出逢えたと思ったのに!
「みんなで一緒に歌うと楽しいんだよ! お姉ちゃん、一度クミたちと歌ってよ! 断るならそれからにして!」
私の後ろから、クミの高い声が響き渡る。クミは、鞄から音符と歌詞を記した紙を取り出して、女性の方に向けて差し出していた。何と利発な子なのだろうか。
「……分かりましたわ。そこまで言うなら、一度だけ」
彼女が、塀から飛び降りて、クミから歌詞カードを受け取って、眼前に構え、腰に空いた左手の甲を当てて、歌の始まりを待つ。
四人の合唱が始まった。私の睨んだ通り、彼女の歌声は、私とクミの間にぴたりと収まる。ああ、歌うのが楽しい! すべての音が揃うと、こんなに楽しいなんて!!
『歌を歌おうよ 愛の歌を 歌を響かせようよ あの星空に向けて。
ねえ聴いて 宙の月 ねえ耳傾けて 天のヴィーナス 私たちのこの歌を どうか受け止めて』
歌が終わった。上気した体から、高揚感が覚めやらない。完璧なセッションだった。彼女は、よく一発で歌を合わせてくれたものだと思う。
「どうでした!?」
彼女の方を見やると、腰に当てていた手が、胸を押さえていた。
「一言で言うと……感動しましたわ。そしてそれ以上の言葉は要らないでしょう。よろしいですわ。あなたたちの仲間になります。申し遅れましたが、わたくしの名前はユカリと申しますわ」
「ありがとう、ユカリさん!」
私たちは、手を叩きあってユカリの参加を喜んだ。
「ユカリで結構ですわ。対等な仲間なのですから」
こうして、『カクテル』は完成した。