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わたしといっしょにうたおうよ!①

 一迅社文庫大賞アイリス部門落選作品です。この題材でリベンジしたいので、ご助言よろしくお願いします。

 これは、とある街に棲む擬人化された猫たちの物語である。




★ アメリ編 ★


 ダンボール箱に詰められてから、どのぐらい経っただろう。時々、大きく揺れる。狭いところは大好きだけど、いささか飽きてきた。箱に入れられる前、たくさんご主人様と遊んだから、なんだか眠い。楽しかったなあ。また明日も遊べるといいな。でも、ご主人様は、なんであんなに悲しそうな顔をしていたんだろう?

 今の私は、カジュアルなショートパンツルックのショートカットという姿をしている。声を上げてみると、ご主人様が、言葉を返してきた。何か音がする。確かこれは自動車とかいうものの音だ。病院というところに連れて行かれる時、聞いた覚えがあった。また病院に連れて行かれるのだろうか。

 揺れが収まった。しばらく、ご主人様とご主人様のお母さんが言い争う言葉が聞こえた。何だろう? 私にも、人間の言葉が分かればいいのに。続いて、私入りの箱は、ひょいと持ち上げられたみたいだ。そして、着地の感触。そして、ご主人様が何かをしゃべりかけてくる。それが、ご主人様の声を聞いた最後だった。


 いくら声を上げてみても反応がないので、天井を開いてみた。箱から身を乗り出してみると、そこは見たことがない場所だった。

 一言でいうと、大きな夜の公園。街頭が周囲を照らし、人の姿がいくつか見え、中央の光を放つ大きな噴水と、その手前のステージ施設が印象的だった。どういうことなんだろう。私は、少し混乱していた。木枯らしが肌寒い。震えると、首の鈴がちりんと鳴った。


「あなた、捨てられたのね」

 背後から突然かかった声に驚いて振り向く。そこにいたのは、一人の少女だった。

 すらりとしたボディを黒のワンピースに包み、綺麗な短い黒髪を持つ、端正な顔立ち。クールビューティーという言葉がよく似合う。

「捨てられた……? 誰が?」

 最初、彼女の言っていることが理解できなかった。いや、理解はしてしまったのだけど心の奥底で否定したかったのかもしれない。

「あなたよ」

 彼女は、淡々とそう言った。彼女の言葉を聞いたら、ふいに涙が頬を伝った。手の甲で拭いながら、私は訊いた。

「あなたは誰?」

「私はクロ。来なさい。今日は夜会があるから」

 クロと名乗った少女は、そう言うと歩き出した。私もどうしたらいいのか分からないので、後を付いていく。

 しばらく公園内を歩いていくと、ライトアップされた噴水前ステージに群がる無数の猫たちが目に映った。ものすごい熱気で、サイリウムを振り回している。ステージ上では、BGMに合わせて誰かが歌っていた。

 ステージ前のボックスには、審査員と思われる猫たちが歌に聴き入っている。


「私、これが終わったら歌うから。ほかの猫にこの街のことを訊いておきなさい」

 そう言い残して、クロは人ごみに消えていった。何やら歓声が上がる。

「ねえ、クロっていう猫にこの街のことを訊けって言われたんだけど」

 とりあえず、手近にいた前髪を切りそろえた、おさげの少女に話を訊いてみることにした。一度結んで、さらにそこからもう一度結んだ、おさげを束ねているリボンが特徴的だった。

「えっ!? あなたクロの知り合い?」

「知り合いというか……さっき知り合ったんだけど。なんか凄い猫なの?」

「凄いなんてもんじゃないわ! この街の歌姫(ディーバ)よ」

「歌姫?」

「あなた本当に何も知らないのね」

「うん……。なんか私、捨てられたみたいで。いきなりここに置かれて困っているの」

 相手が気の毒そうな表情を一瞬した。

「そうなの……。この街ではね、猫たちが週に一度、夜にこうして集まって、歌の大会を開くの。通称『夜会』。で、大会で毎回優勝するのがクロ」

 話をしていると、歓声が上がった。

「あ、クロの出番よ」

 相手が歓声の理由わけを教えてくれた。私もステージのほうに注目すると、クロがちょうど歌い始めるところだった。さっきの猫もすごかったけど、それとはさらに比べものにならないほどの熱狂が沸き起こる。


『私は飛びたい あの鳥のように 空を舞いたい』


 クロの美しい歌声が、ゆっくりとしたBGMとともに風に乗って鳴り響いていく。私は、歌声に聴き入った。感動のあまり、耳と尻尾がぴんと立ってしまう。

 やがて、クロの歌が終わり、盛大な拍手に包まれた。私も無心に拍手を送る。少し置いて、審査員たちが十人全員、十点満点であるアナウンスが流れた。

「すごい! クロすごいね!」

「でしょう?」


 二人でクロを称えあっていると、ステージを終えたクロが通りかかった。思わず私は、クロに呼びかけた。

「クロ! 私と一緒に歌おうよ! デュオになってよ!」

 発言に場が凍りつき、ざわめきが起こる。このとき、私は大それたことを言っているのだという自覚がなかった。

「ちょっと! あなた、クロ様に対してなんて厚かましい!」

 クロを挟んだ向かいから、ヒステリックな声が上がる。声の主は、ツインテールの少女。尻尾を腹立たしげに大きく振っている。良く見ると、クロの前に歌っていた人だ。隣で、ロングヘアの眼鏡の少女がフリフリの服を着たツインテールの少女の袖をつかんで、困った顔をしている。

 しかし、クロがツインテールの少女を制して言った。

「私は誰とも組む気はないわ。でも、どうしてもと言うのなら、大会で九九点を出しなさい」

 クロの一言に、場が大きくざわめく。

「九九って、一〇〇点は?」

「私に決まっているでしょう」

 さらりとクロが言う。すごい自信。でも、さっきの歌を聞くと、過信でないことが分かる。

「ありがとう、クロ。私、絶対一緒に歌うね!」

 私の言葉を最後まで聞かず、クロは去って行ってしまう。

「あなたなんかが、九九取れるはずないわ! クロ様、待ってください~」

 さっきのツインテールの少女が言い捨てて、クロの後に追いすがる。さらにその後を、眼鏡の少女がぺこりと一礼して追って行く。


「あの()、何であんなに噛みつくんだろう」

「クロの大ファンなのよ。あなた、大胆ね」

 きょとんとする私に、先ほどのおさげの少女が言った。そして、言われて気づいたけど、かなりの数の視線が私に突き刺さっている。でも、後悔はしていない。私はクロのパートナーを目指すんだ。

「そういえば、あなた捨てられたって言っていたけど、行く当てないのならうちに来ない?」

 おさげの少女が言う。

「いいの?」

「ええ。私も独り暮らしで寂しかったから」

「ありがとう。そういえば、自己紹介がまだだったね。私はアメリ」

「私はカンナ。よろしくね」

 人がはけていく会場を、私たちも後にした。



 カンナの家は、洋風の綺麗な一軒家だった。花壇では手入れされたガーデニングの花が咲き誇っている。これは何という花だろう。後で気が向いたら訊いてみよう。

「どうぞ入って」

「お邪魔しまーす」

 室内は、アイボリーの色調で、ガラスのテーブルと丸いクッション、そしてアップライトピアノが目に入る。私は手近なクッションに腰を降ろす。右手にはキッチン、左手には寝室があるようだ。カンナはお茶を淹れに行った。

「ねえ、カンナ。九九点取るって大変なの?」

「それはもう大変よ。いつも二位になるのはミケ……さっきあなたに食って掛かった()ね、なんだけど、彼女でも九○点超えがやっとだもの。あなたって自信家なのね」

「んー、自信があるというか、私って物事をいい方にしか考えない癖があって。ご主人様とも、また会えるかもって思っているし」

「本当に前向きなのね」

 そして、庭で採れたというハーブティーを飲みながら、カンナと流行りの爪とぎのこととか、マタタビの木が生えているスポット情報などの他愛もないおしゃべりをして時間を過ごした。

「そういえば、カンナはピアノ弾けるの?」

 私は、居間の一角を占めるアップライトピアノを見ながら言った。

「手慰み程度だけど。作曲と作詞が趣味なの」

「へえ、ちょっと聴いてみたいな」


 カンナとのおしゃべりは楽しかった。大人しい外見の割には社交的で、ころころととてもよく笑う。そうこうしているうちに、日も昇ってきたので、寝ようということになった。ベッドはひとつしかないので、それを二人で使うことになる。ああ、やっぱり狭いところは心地いい。

 カンナの髪の香りがふわりと漂う。肌のぬくもりが心地よかった。ベッドに入ってからも、また少し他愛もないお話をして、私たちは寝た。



「あめんぼあかいなあいうえおー!」

 夕方に起きて、外で発声練習をしてみた。とはいっても、やり方が全く分からないから我流だけど。

「おはようアメリ。何してるの?」

「発声練習。適当だけど、何もしないよりいいかなーって思って」

「うーん、ちゃんとした先生に教わった方がいいんじゃないかしら」

「心当たりがないし……」

「一人、心当たりがあるわ。ご飯を食べたら行きましょう」

 私たちは、チーズトーストとスクランブルエッグ、ウィンナーとシーザーサラダにホットミルクの朝食を済ませると、家を出た。


「どんな猫なの?」

 私は道すがら訊いてみた。

「教会の修女さん。聖歌隊員で、とってもものを教えるのがうまいの」

「楽しみだなあ」

 私は、まだ見ぬ師匠に思いをはせた。

「結構歩くね」

 周囲が夕闇に沈んできた。街灯が点き始め、道路を照らす。

「離れたところに建ってる教会だからね」

「ねえ、カンナは好きな猫っているの?」

「え?」

カンナは一瞬どきりとしたようで、「うーん、今はまだ、好きっていうより少し気になる猫がいるって感じかしら」と、ちょっと気になる答え方をした。

「誰だれ? 教えて、教えて」

「……内緒♪」

「えー」

 そんなことを話しながら、私とカンナは、夕闇の中を歩いて行った。



 教会に着いた。大きくて、時代を感じさせる造りだった。頂上には巨大な鐘が見える。カンナがドアを開けて中に入り、「お邪魔します」と声をかける。

「はい」

 綺麗な女性の声が返ってきた。

「あ、まりあさん。今日は、紹介したい友達を連れてきました」

 カンナが応えると、中から修女服を着た、清楚で美しい女性が扉を開けた。黄と青のオッドアイの持ち主だ。

「どうぞ入って」

 中に入ると、ステンドグラスに十字架、聖画、聖像、聖壇が目に飛び込んでくる。参列用の席は、ざっと数えただけでも五十は軽く超えている。奥にある大きなパイプオルガンが目を引いた。すごく天井が高い。荘厳というのは、こういうことを言うのだろう。ほかにも、修女さん数人の姿が見られた。

「はじめまして、アメリです!」

 私はぺこりと深く一礼した。

「私は、まりあ。よろしくね」

 続いて、ほかの猫たちとも挨拶を済ませていく。

「まりあさん、アメリに歌を教えてあげてください」

 カンナが、私があの大舞台で歌うことになったいきさつを説明した。

「まあ、大胆なのね」

 まりあさんが目を丸くする。

「よく言われます」

 まりあさんにも言われてしまった。さすがに尻尾を丸めて恐縮する。

「責めてはいないわ。むしろ、行動力があっていいなって。じゃあ、ちょっとやってみましょうか」

 まりあさんが、パイプオルガンに付いてくるように促す。私は、どきどきしながらカンナと一緒に後を付いて行った。まりあさんが席に着いてパイプオルガンの蓋を開け、カンナが手近な参列席に腰かける。

「じゃあ、まずは限界まであ~って声出してみて」

 言われた通りに声を出してみる。

「いい肺活量ね。じゃあ次、一番低い声から一番高い声まで出してみて」

 これも言われた通りにする。

「ちょっと音域が狭いかしら。鍛えた方がいいわね。じゃあ、次。音に合わせて、あ・あ・あ・あ・あ~ってやってみて」

 まりあさんがオルガンを弾く。私も音を合わせる。

「ラの音が、少しずれてるわね。直していきましょう」

 まりあさんの指摘に、楽天家の私もさすがに少しへこんだ。でも、まりあさんはいい先生だと直感的に思った。

 こうして、私の特訓は始まった。



「ねえ、カンナ。私、歌上手くなれるかな」

「なれるわよ。きっと大丈夫」

 特訓が始まってからの数日後の朝近く、私とカンナはいつものようにベッドに横たわっていた。楽天家な私だが、本格的なレッスンに、ちょっと不安を感じていた。そんな私の頭を、カンナは優しく撫でてくれた。ああ、そういえば、昔はご主人様にもこうやってよく頭撫でて貰ったっけ。彼女は優しい()だ。ご主人様に捨てられて行く当てのない私を、こんなにも快く受け入れてくれた。

 カンナと接していると、何とも言えない気分になる。ぽわぽわして、温かくて、でもちょっと心臓がドキドキして苦しい気分になる。この気持ちは一体何だろう。生まれて初めて味わう気持ちだ。

「それは恋ね」

 ある日、私は教会でまりあさんにこの気持ちが何なのか尋ねてみた。そして、返って来たのがこの答えだ。

「恋って……私もカンナも女ですよ!?」

 私は席から立ち上がって、思わず強く否定した。

「でも、あなたの想いはそうとしか表現できないわ」

「……まりあさんは恋したことあるんですか?」

 私は、座り直した。

「神様に仕える前は、恋に身を焦がしたこともあったわ」

「相手はどんな猫だったんですか?」

「とっても綺麗なシャム猫の女の子だったわ。一方通行の片思い」

 まりあさんが、真剣な眼差しで私を見つめ返してくる。その瞳は、愁いを帯びていた。まりあさんにも同性愛の経験があるとは意外だった。とっても理知的で聡明なまりあさんが、今の私と同じような、慕情と苦しみに身悶えしていたというのが想像できなかった。



「アメリ、今日もまりあさんのところ?」

「うん。今日も遅くなるかも。ご飯も教会で済ませちゃうと思う」

 私は、意図的にカンナと距離を置くように努めていた。もし、私がカンナに恋愛感情を持っていると知られたら、きっと嫌われるに違いない。カンナに嫌われるのだけは嫌だ。

「そう……。たまには、私も一緒に行こうか?」

「独りで大丈夫だよ。もう何度も通ってるし」

 この時、私はカンナの気持ちに気づかなかった。この時、気づいてあげられていたら……。

「じゃあ、行ってくる!」

 私は振り切るように駆け出した。



 さらに時は過ぎる。

「まるでスポンジみたいな吸収力ね。教えることがなくなってしまったわ。テクニックに関しては完璧ね」

 まりあさんの教えを受けて二か月ぐらい経っただろうか。ついにこの言葉をもらった。これで夜会で歌える!

「まりあさんの教え方が上手なんですよ」

 私は、照れくさくて頭をぽりぽり掻いた。でも、尻尾は正直で、嬉しさでぴんと立ってしまう。

「あとはここ。ここで決まるわ」

 まりあさんは私の胸の中央を、とんとんと指差す。

「歌はハートよ。でも、今のあなたには雑念があるわ。それが心配」

 そう言って、まりあさんは私をじっと見つめた。

 私の雑念。それは、カンナの事に他ならない。でも、今の私にはどうしたらいいのかもわからない。

「まりあさん。私の恋は許されないものですか?」

「私たちの宗派は、同性愛を認めているわ。ただ、本当の心の決着は、あなた自身で付けるしかない。私には、あなたの悩みを聞くことしかできないわ」

 重い空気が流れた。そんな状態にかぶりを振って、私はまりあさんにお礼を述べて教会を後にした。



「ただいま~」

「お帰りなさい、アメリ。ねえ、聞いて。今日、とてもいい日向ぼっこスポットを見つけたの」

 うん、うん、と相槌を打つが、上の空だった。私は歌のこと、クロのこと、そして皮肉にもカンナの事でいっぱいいっぱいで、カンナの話がとても頭に入らなかった。それに、連日の特訓でへとへとだった。

「ねえ、明日遊びに行きましょう」

「ごめん、歌の大詰めがあるから」

大会まで残り数日。まりあさんの指導がなくても、歌の練習をしなければいけい。

「じゃあ、練習に付き合わせて」

「それぐらい構わないけど、別に面白くないと思うよ?」

 本当は死ぬほど嬉しい。でも、自重しないと。カンナは首を横に振る。

「ううん、それでいいの」

「カンナがそれでいいならいいけど。ふう、疲れちゃった。先に寝るね」

 眠ろう。今は眠ってこの気持ちをやり過ごそう。私は、練習の疲れもあって、泥のように眠りに落ちた。



 ついに歌の夜会が来た。今日も噴水前のステージに猫たちが集う。冬なのにすごい熱気だ。喧噪で耳が痛い。私は記入用の机でエントリーを済ませた。順番は十三番目。

「アメリ、私は用事があるから先に行ってて」

「うん? ステージ前でいい?」

「ええ」

 一緒についてきたカンナが、用があるので先に行ってほしいと言う。まあ、カンナにも私用ぐらいあるだろうと思い、言われた通りに先に行くことにした。

 熱狂の中、順調にプログラムが進んでいく。あのミケも歌っていた。点数は九十二点。熱狂の歓声が上がる。さすがに九十点超えともなるとファンも少なくない。最前列で、初めて出逢った日にミケに付き添ってた猫が、誇らしげな顔でミケに熱い視線を送っているのが見えた。

 いよいよ私の番。どうしたんだろう、カンナがまだ来ない。仕方ないので、カンナを待たずにステージに上がる。


『主は護り給う 永遠(とわ)の時を 祈りを聞き届け 心に平静を』


 まりあさん仕込みの讃美歌を歌い上げる。この二か月と少しの集大成だ。音も完璧に合っている。声もよく伸びる。確かな手応えがあった。

 そして歌い終わった。審査員が審議を終えて、点数が発表された。


 八九点。


 嘘? 何で!? 完璧な歌だったはずなのに。まりあさんが、テクニックは完璧って褒めてくれたのに。まりあさんの言葉を反芻したとき、「歌はハートよ。でも、今のあなたには雑念があるわ」という言葉が頭の中でリフレインした。

 私の歌にはハートが足りなかったの? 雑念で満ちていたの……?

 くらくらしたままステージを降りる。


「あははは! ざまないわね! あれだけ大口叩いておいてこの程度!?」

 歌手用控室前ですれ違ったミケの嘲笑も虚ろに響くだけだ。

 ステージ施設出入り口でクロと目が合った。クロは、つまらないものを見たように、無愛想に通り過ぎてしまった。

 私は、頭を抱えて逃げ出した。


 会場の人ごみに戻ってくると、歌が聞こえてきた。とても聞き覚えのある声。カンナの声。カンナ、いつの間に。


『私はずっと見つめていた あなたのことだけを 切ない思い胸に秘めて たとえ伝わらなくても ああ 心が裂かれそう ああ、でも叶うならば 私の想いに応えてほしい』


 この歌は私にあてた歌だ。私への想いを綴った歌だ。そして、私はこんなにも大事に想われていたのに、カンナから逃げていた。私はなんて臆病で鈍感なのだろう。

 私に足りないハート、雑念、その意味が分かった気がする。


 カンナの歌が終わった。得点は六五点。テクニックはなくても、私のハートにずしりと重く響く歌だった。

 カンナに合わせる顔がない。まりあさんに合わせる顔がない。私にはもう戻れるところがない。私はクロの歌を待たずに、ふらふらと会場を後にした。



 どのぐらい当てもなく歩いただろうか。気付けば隣町の公園に来ていた。公園と言っても、あの街の公園とは違って狭く、バスケットのゴールが風に揺れている。人気ひとけはまったくない。木馬とブランコが目に入る。寒い。会場の熱気が嘘のように、体の芯から震えた。

 少し佇んでいると、歌が聞こえてきた。思わず耳がぴくりと反応する。私は、誘われるように、声のする方へと足を向けた。

 声の主は、四人の猫たちだった。ジャングルジムの上で、アカペラを熱唱している。


『歌を歌おうよ あの空に響かせようよ 空はどこまでもつながっているから』


 私は四人の歌に聴き入った。なんて楽しそうに歌うんだろう。思えば私は、まりあさんに褒められたことを喜んでも、歌うことそれ自体を楽しんだことはなかった気がする。歌を聞いていたら、自然と涙が零れてきた。

「ねえ、どうしたの?」

 四人組の一人、髪の短いが、私の異変に気付いて声をかけてきた。いつの間にか、目の前まで近寄っていたらしい。

「あ、うん……。ちょっと色々あって」

 私は涙を拭った。

「そっか。私はユキ。よろしくね。で、こっちがサツキ、クミ、ユカリ」

 ジムから飛び降りて、順にロングで眼鏡、サイドテールの子供、縦ロールの仲間を紹介していく。残りのメンバーも、飛び降りてきて会釈する。

「私はアメリ。ごめんなさい、涙が止まらない」

 私は謝りながら自己紹介した。

「気にしなくていいよ。私たちは『カクテル』っていうアカペラグループを組んでるんだ」

「凄く楽しそうに歌うんだね」

 少し涙が収まってきた。

「だって楽しいもん! ね」

 ユキがメンバーに確認すると、一同も頷く。

「私も、そんな風に楽しく歌えるかな……」

「だいじょぶだいじょぶ、歌えるよ! レッツ・ポジティヴ・シンキン!」

 ユキがサムズアップする。何だろう、すごく親近感を覚えるだ。

「ねえねえ、アメリお姉ちゃんは何で泣いてたの?」

 下から覗き込むようにクミが訊いてくる。実際、クミは背が小さい。

「クミ、そういうことは無闇に訊くものではありませんわ」

 ユカリが人差し指をちょいちょいと振ってクミを制する。

「そゆこと。深夜の公園で独り涙する乙女。ミステリアスよねえ」

 頬に手を当て、サツキがなにやらうっとりしている。変な猫だ。

「ね、家はどこなの?」

 人差し指を頬に当てて、ユキが訊いてくる。私は首を横に振って答える。

「ないの。世話になってたとこはあったんだけど、戻れなくなっちゃった……」

「訳アリか……。じゃあさ、私の家に来なよ」

 ユキの申し出はカンナを彷彿とさせた。そして、また涙が出てしまった。

「あーもー、ほら泣かないの。おいでよ、ね?」

 ユキが涙を拭ってくれる。

「ありがとう」

 そう応えるのが精いっぱいだった。私は自分が、元気が服を着て歩いているような猫だと思っていたけど、こんなにも脆いところがあるとは思っていなかった。

「じゃ、今日はここで解散~! お疲れ~!」

 ユキが号令をかけると、みんな口々に別れを告げ、去って行った。

「さ、行こうか」

 私はユキにぽんぽんと背中を叩かれ、手を引かれながらユキの家へと向かった。



 ユキの家は、煉瓦で覆われたマンションの一室だった。中に案内されると、ロフトとその下のベッドとキッチンが目に入った。ロフトの上には、段ボール箱がいっぱい置かれている。ベッドの上には、大きなパンダのぬいぐるみがあった。

「今、コーヒー淹れるね。あと、これから料理するから一緒に食べる? まあ、料理って言ってもランチョンミートサンドだけど」

 言われて、自分が空腹だったことを思い出す。私はこくりと頷いた。しばらく待っていると、コーヒーより先にランチョンミートサンドが出てきた。空腹が満たされると人心地つく。

「ありがとう。おいしかった」

「いやー、褒めるほどのことしてないよ。ただ、お肉パンに載せてはさんだだけだし。もうすぐお湯も沸くかな」

「独りで暮らしてるの?」

「うん。寂しいのはなかなか慣れないね。アメリが来てくれて嬉しいよ」

 ああ、こんなところまでカンナと同じだ。

「あのね、私、とても大事な人を傷つけちゃったんだ」

 思わず後悔が口をついて出た。

「ご主人様に捨てられて、行く当てのなくなった私を、こんな風に受け入れてくれた」

 ユキが黙ってコーヒーを出してくれる。私は、カンナに恋したこと、カンナへの気持ちから逃げて、ほったらかしにしていたこと、大会で九九点にほど遠かったこと、そしてカンナの歌について話して聞かせた。ユキは私の頭をぽんぽんとたたきながら、じっと聞いてくれた。話していて、また涙が出てきた。

「ほらほら、もう泣かないの」

「ねえ、ユキは私が気持ち悪くないの? 女が好きなんだよ?」

「別に。猫それぞれだなーってしか思わないかな、私は」

 ユキがハンカチで涙を拭いてくれる。子供になったみたいで恥ずかしかった。しかし、それ以上にユキの自然体が嬉しかった。こんな猫もいるんだ。

「ねえ、ユキたちはどうやって知り合ったの?」

「私たち? 私たちはね――」

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