エスケープ・フロム・ダイブ 〜実力はあるがセールストークに弱い漢〜
異海へ潜るダイバーにとって、装備選びは命よりも重い。
正確には、財布よりも重い。
異海で死んでも現実の肉体は無事だが、持ち込んだ装備はすべて失われる。
どれほど高価な装備でも、どれほど貴重な物資を回収していても例外はない。
だからこそ、探索先に合わせた装備選びが重要になる。
そのことを、荒波豪介は誰よりもよく理解していた。
「だから、今回は余計なもんは買わねえ」
低い声でそう呟きながら、豪介は馴染みの装備店へ足を踏み入れた。
身長は百九十センチを超え、肩幅も広い。
分厚い胸板に太い腕、日に焼けた顔には無精髭が残っている。
大柄な身体を少し屈めるようにして店内へ入る姿は、初対面の人間なら思わず道を譲るほどの迫力があった。
「おう、豪介じゃねえか。今日は何を探してる?」
カウンターの奥から、馴染みの商人が声をかけてきた。
「消耗品の補充だ。あと、沈鐘海用の反響欺瞞器を一つ」
「へえ。今回はずいぶん堅実だな」
「いつも堅実だろうが」
「そうだったか?」
商人は笑いながら、棚の奥へ向かう。
豪介はカウンターへ端末を置き、購入予定の一覧を表示した。
今回潜るのは、異海《沈鐘海》。
青黒い海中に巨大な岩礁と奇妙な海底遺跡が点在し、どこからともなく鐘の音が響く海だ。
豪介はこれまで何度も潜っており、主要な探索経路や危険生物の生態は把握している。
基本潜水装備や探査機は、すでに手入れを済ませてあった。
必要なのは呼吸装置の交換用カートリッジと予備電源、いくつかの消耗品。
それに、万が一のための死神対策装備だ。
死神。
異海ごとに一体だけ存在する、災厄種に分類される極めて危険な生物の通称である。
通常の危険生物とは比較にならない能力を持ち、基本的に討伐は不可能。
遭遇したダイバーは戦うことなど考えず、生き延びることだけに集中する。
もっとも、《沈鐘海》の死神は比較的おとなしいことで知られていた。
普段は深い海をゆったりと彷徨い、ダイバーを見つけても積極的に襲うことは少ない。
刺激せずに距離を取れば、やり過ごせたという報告も多い。
そもそも遭遇率自体が、ほかの異海と比べて低かった。
それでも豪介は、対策装備を用意するつもりだった。
どれほど遭遇率が低くとも、ゼロではない。
実際に遭遇したとき、専用装備の有無が生還率を大きく左右することもある。
「ほらよ。頼まれた消耗品と反響欺瞞器だ」
商人が商品をカウンターへ並べる。
反響欺瞞器は、特殊な音を発生させて死神の感知を一時的に欺く使い捨て装備だ。
高価ではあるが、死神に遭遇した際には有効な逃走手段になる。
豪介はそれぞれの商品の状態を確認し、購入を決めようとした。
そのときだった。
「そういや豪介。面白いもんが入ったんだが、見ていかねえか?」
「いらん」
「まだ何も言ってねえだろ」
「お前がそう言うときは、ろくなもんじゃねえ」
「ひでえな。今回は本当にすげえぞ」
商人は笑いながら、カウンターの下から細長いケースを取り出した。
嫌な予感がする。
豪介は視線を逸らそうとしたが、ケースが開かれた瞬間、思わず中を覗き込んでしまった。
そこには、太い円筒状の装置が収められていた。
先端には複数の硬質な突起が並び、側面には出力調整用の操作部が備わっている。
外装は無骨で、まだ塗装すら十分に施されていない。
「試作型の掘削機だ。こいつがまた、とんでもねえ性能でな」
「……掘削機?」
豪介の目が、わずかに細くなる。
「普通の掘削機じゃ歯が立たねえ岩盤も砕ける。新方式の振動機構を使っててな。硬い岩ほど違いが出るらしい」
「ほう」
豪介は装置を手に取った。
かなり重い。
ただし、重量の大部分が先端側へ集中しており、岩盤に押し当てたときの安定性は悪くなさそうだった。
固定用の爪も備わっている。
確かに、普通の携帯掘削機とは構造が違う。
「出力は?」
「従来品の上位モデルを超える。ただし、まだ試作品だから長時間の連続使用には向いてねえ」
「電力消費も大きそうだな」
「まあ、そこは高出力の代償だ」
商人は悪びれずに答えた。
豪介は操作部を眺めながら、使い道を考える。
通常の掘削機では破壊できない岩盤を砕ける。
それ自体は魅力的だ。
しかし、今回の目的は海底遺跡周辺での物資回収であり、本格的な採掘ではない。
「……いや、待て。沈鐘海に、こんなもんが必要な岩盤なんてあったか?」
豪介が問いかけると、商人は待ってましたとばかりに口元を緩めた。
「それがあるんだよ」
商人は端末を操作し、《沈鐘海》の海底地図を表示する。
示されたのは、豪介も何度か通過したことのある岩礁地帯だった。
「この辺りだ。東側の崖の下に、妙に硬い岩盤があるらしい」
「ああ、ここか。確かに岩盤が露出していたな」
「そいつの奥に、鉱物反応があるって話だ」
「……何?」
豪介は地図へ顔を近づけた。
この場所なら覚えている。
岩礁が複雑に入り組んでいるが、危険生物は比較的少ない。
付近に黒い潮流があるものの、その周期を把握していれば問題なく通過できる。
ただ、あの崖の下に何かが埋まっているとは知らなかった。
「情報源は?」
「前に潜った連中の調査記録だ。鉱物反応は確認されてる。ただ、岩盤が硬すぎて回収できなかったらしい」
「反応の種類は?」
「そこまでは分かってねえ。だが、普通の鉱石じゃねえ可能性は高いぞ」
豪介は考え込む。
確かに興味深い。
未回収の鉱物が眠っているなら、試す価値はある。
しかし、問題は価格だった。
「で、いくらだ?」
「今なら、この値段でいい」
商人が端末に表示した金額を見て、豪介は眉を寄せる。
「高えな」
「試作品だからな。これでもかなり安くしてる」
「こいつを買ったら、反響欺瞞器が買えねえ」
「沈鐘海の死神なんざ、滅多に出ねえだろ?」
「だからって、対策を削る理由にはならん」
「そりゃそうだが、今まで何度潜って何回遭った?」
豪介は答えなかった。
商人の言うことも間違いではない。
これまで《沈鐘海》へ何度も潜っているが、死神と遭遇したことは一度もない。
そもそも、その姿を実際に見たことがあるダイバー自体が少ない。
だからといって、対策装備が不要になるわけではない。
今回は見送るべきだ。
豪介は掘削機をケースへ戻そうとした。
「そうだ。こいつも付けてやるよ」
商人が別の棚から、小型の装置を取り出す。
「岩盤の内部を調べる鉱物探査機だ。普通の探査機じゃ拾えねえ鉱物反応も確認できる。今回の掘削機と組み合わせれば、かなり使えるぞ」
「……それも付くのか?」
「ああ。特別サービスだ」
豪介の手が止まった。
岩盤の内部にある鉱物を探知できる。
それなら、今回の採掘地点だけでなく、ほかの異海でも役立つかもしれない。
これまで硬い岩盤に阻まれて諦めていた場所も、調べられるようになる。
掘削機と探査機があれば、探索の幅が大きく広がる。
しかも、試作品の実際の性能まで確かめられる。
悪くない。
いや、かなり良い。
「……本当に探査機も付くんだな?」
「もちろんだ」
「追加料金は?」
「なし」
「掘削機の保証は?」
「初期不良なら対応する。ただし、異海で失った場合は別だぞ」
「そりゃそうだ」
豪介はもう一度、掘削機を見下ろした。
必要な装備は分かっている。
反響欺瞞器を優先するべきだ。
だが、この掘削機があれば、今まで手を出せなかった場所を探索できる。
今回の異海なら、死神との遭遇率も低い。
通常の危険への対策は十分に揃っている。
そして、何より。
使ってみたい。
「……買う」
「毎度あり!」
商人は満面の笑みを浮かべた。
豪介は代金を支払い、掘削機と鉱物探査機を受け取る。
その直後、端末に表示された残高を確認した。
「…………」
反響欺瞞器を買うには、明らかに足りない。
豪介はゆっくりと天井を仰いだ。
「またやっちまった……」
「いい買い物だったろ?」
「まだ使ってねえよ」
商人は楽しそうに笑っている。
豪介は深いため息をつき、購入した装備をケースへ収めた。
今さら返品するつもりはない。
装備の性能は本物らしいし、採掘地点の情報にも信憑性がある。
実際に使えば、購入費用を回収できる可能性は十分にあった。
問題は、予定していた死神対策装備を諦めることになった点だ。
まあ、沈鐘海なら大丈夫だろう。
豪介はそう自分に言い聞かせた。
その判断が、今回の探索で最も大きな誤算になるとは、まだ知らなかった。
◇
異海への潜水施設は、装備店からそれほど離れていない場所にあった。
厚い隔壁に囲まれた建物の内部には、複数の潜水区画が並んでいる。
区画ごとに接続されている異海が異なり、ダイバーたちは目的の海に合わせて装備を整える。
豪介は《沈鐘海》の区画へ向かい、潜水装備を身につけた。
全身を覆う耐圧スーツ。
背部には呼吸装置と推進機構。
腰には工具や予備電源を取り付け、胸部には小型の探査機を固定する。
試作型掘削機は専用の固定具で背部へ取り付け、鉱物探査機も携行した。
普段より重量は増している。
豪介は軽く身体を動かし、重心を確認する。
水中では浮力が働くとはいえ、装備の重量配分は移動時の姿勢に影響する。
特に今回のような大型工具を持ち込む場合、急な方向転換で身体が振られる可能性があった。
固定位置を少し調整する。
これなら問題ない。
続いて、呼吸装置の残量、推進機構の出力、探査機の動作を確認する。
回収用コンテナの密閉状態も確認し、予備電源の接続を確かめた。
最後に購入した装備の一覧へ目を向ける。
反響欺瞞器の欄は空白だった。
「……まあ、何とかなるだろ」
豪介は端末を閉じる。
異海における死亡は、現実世界での死を意味しない。
異海で致命的な損傷を受ければ、ダイバーは現実世界へ強制的に排出される。
肉体は無事だが、異海へ持ち込んだ装備と回収品はすべて失われる。
高価な装備を持ち込んで死ねば、それだけ大きな損失になる。
実際、豪介も過去に何度か全ロストを経験していた。
だからこそ、今回は十分な利益を確保したら早めに帰還するつもりだった。
豪介は潜水区画へ入る。
正面には、青い光を揺らめかせる巨大な水面が広がっていた。
現実の水とは異なる、異海へとつながる境界面。
豪介は呼吸装置を起動し、ゆっくりとその中へ身体を沈めた。
視界が青く染まる。
次の瞬間、周囲の景色が一変した。
◇
青黒い海が、どこまでも広がっていた。
水面から差し込むはずの光は見当たらない。
それでも周囲は完全な暗闇ではなく、海中には淡い青い光が漂っている。
視線の先には、巨大な岩礁が幾重にも連なっていた。
岩の間には、石柱のような構造物が突き出している。
海底には崩れた建造物が点在し、中には何の目的で造られたのか分からない巨大な輪状の遺跡もあった。
そして、遠くから鐘の音が響いてくる。
ゴォン……。
低く、長い音。
その響きは水中を伝わり、四方から聞こえているように感じられた。
異海《沈鐘海》。
現実の海とは異なる法則が存在する、数多くの異海の一つだ。
豪介は周囲を見回し、探査機を起動した。
水深、地形、周囲の生物反応を確認する。
異常なし。
続いて、目的地までの経路を表示する。
今回の採掘地点は、入口から少し離れた岩礁地帯にある。
普段なら、その周辺にある海底遺跡で物資を回収するところだが、今回は商人から聞いた岩盤を調べる予定だった。
豪介は推進機構を弱く作動させ、ゆっくりと泳ぎ始めた。
しばらく進むと、正面から鐘の音が聞こえてきた。
先ほどよりも大きい。
まるで、進むべき方向を示しているかのようだった。
豪介は音の方向へ視線を向ける。
だが、そのまま進むことはしなかった。
沈鐘海の鐘の音は信用できない。
この異海では、鐘の音が聞こえる方向と実際の音源が一致しないことがある。
音に従って進んだ結果、知らないうちに危険な深場へ迷い込んだという報告も珍しくなかった。
豪介は周囲の岩礁を確認する。
左手には先端が二つに分かれた大岩があり、その奥には崩れかけた三本の石柱が見える。
地図に記録された地形と一致していた。
ならば、進むべき方向はこちらだ。
豪介は鐘の音が聞こえる方向を無視し、岩礁の間へ進んだ。
しばらくすると、先ほどまで正面から響いていた鐘の音が、いつの間にか背後から聞こえるようになっていた。
豪介は特に気にせず進み続ける。
この程度の異常は、沈鐘海では珍しくもない。
さらに進むと、海底に黒い帯のようなものが見えてきた。
黒い潮流だ。
周囲の海水とは明らかに色が異なる流れが、岩礁の間を横切っている。
豪介は速度を落とした。
この潮流は、一定の周期で流れる方向が反転する。
見た目以上に流れが強く、不用意に近づけば深場へ押し流されることもある。
現在の流れは右から左。
だが、そろそろ反転する頃合いだった。
豪介は近くの岩陰へ移動し、海中を漂う小さな砂粒に目を向ける。
黒い潮流の周囲では、細かな砂粒が流れに引かれて動いていた。
その動きが、わずかに鈍くなる。
豪介は岩に手を添え、姿勢を固定した。
直後、黒い潮流の流れが止まった。
ほんの一瞬の静寂。
そして次の瞬間、潮流が反対方向へ激しく流れ始めた。
周囲の砂や小石が巻き上がる。
岩陰に身を置いていても、水流が身体を引こうとするほどの勢いだった。
豪介は動かず、流れが落ち着くのを待つ。
反転直後の流れが最も強い。
そこを過ぎれば、しばらくは安定する。
やがて水流が一定の速さになったことを確認すると、豪介は岩陰から出た。
潮流の端に沿って移動し、流れが弱い場所を選んで横断する。
途中で一度だけ推進機構の出力を上げ、無事に反対側へ抜けた。
豪介は背後の黒い潮流を振り返る。
今のところ、特に問題はない。
予定どおりの経路だ。
そのまま岩礁地帯の奥へ進んでいく。
やがて、前方に大きな岩の裂け目が現れた。
目的地へ向かうには、ここを通るのが最短だった。
ただし、この辺りには光に反応する危険生物が生息している。
豪介は照明の出力を落とした。
裂け目の内部は暗いが、完全に見えないわけではない。
岩の表面に付着した微かな発光物と、探査機の地形表示があれば十分だった。
豪介はゆっくりと裂け目へ入る。
左右の岩壁には、細かな穴がいくつも開いていた。
その一つに、わずかな動きがある。
豪介は即座に推進機構を止めた。
穴の奥から、細長い魚の頭が覗く。
黒い鱗に覆われた身体。
大きく開いた口には、細かな牙が幾重にも並んでいる。
光喰いだ。
強い光や急激な振動に反応し、獲物へ突進する危険生物。
豪介は岩壁へ身体を寄せ、そのまま動きを止めた。
光喰いは穴からゆっくりと姿を現す。
長い身体をくねらせ、豪介のすぐ近くを泳いでいった。
距離は数メートルもない。
だが、豪介は慌てない。
照明はすでに落としてある。
推進機構も停止しており、余計な振動は出していない。
この状態なら、光喰いが反応する可能性は低い。
魚はしばらく周囲を泳ぎ、やがて別の岩穴へ潜り込んだ。
豪介はすぐには動かず、探査機で位置を確認する。
反応が十分に離れたところで、再び推進機構を作動させた。
戦えば撃退できない相手ではない。
だが、戦闘には装備の消耗が伴う。
場合によっては周囲の危険生物まで引き寄せてしまう。
わざわざ戦う理由はなかった。
必要なのは、敵を倒すことではない。
目的の物資を回収し、生きて帰ることだ。
豪介は裂け目を抜け、さらに奥へ進んだ。
◇
やがて、前方に巨大な岩壁が見えてきた。
周囲の岩礁とは色合いが異なり、黒灰色の岩盤が広い範囲に露出している。
豪介は推進機構を停止し、地図を確認した。
「……ここか」
商人から聞いた場所と一致している。
岩盤の表面には細かな亀裂が走っているが、通常の工具で破壊できそうな箇所は見当たらない。
豪介は岩壁に近づき、手を添えた。
硬い。
岩盤の一部を軽く叩いてみるが、簡単には欠けそうになかった。
確かに、普通の掘削機では苦労するだろう。
豪介は背部の固定具に手を伸ばす。
取り出したのは、装備店で購入した試作型掘削機。
無骨な外装に、大きな掘削部。
改めて見ても、なかなか面白い装備だ。
これなら、どこまで砕けるだろうか。
豪介の口元が、わずかに緩む。
まずは鉱物探査機で岩盤の内部を確認する必要がある。
掘削機を近くの岩場へ固定し、豪介はおまけで付いてきた探査機を取り出した。
通常の探査装置では確認できなかった岩盤の奥。
そこに何が埋まっているのか。
豪介は期待を込めて、探査機の電源へ指を伸ばした。
豪介が鉱物探査機の電源を入れると、小さな画面に岩盤内部の情報が表示された。
通常の探査機とは異なり、岩の密度や内部に含まれる鉱物の反応まで確認できるらしい。
豪介は装置を岩壁へ向け、ゆっくりと動かしながら反応を調べていく。
最初に映ったのは、分厚い岩盤の層だった。
想像していた以上に厚く、通常の携帯掘削機では突破するだけでも相当な時間がかかるだろう。
しかし、探査範囲を奥へ広げたところで、画面に異なる色の反応が現れた。
「……おっ?」
豪介は探査機を止め、反応の詳細を確認した。
岩盤の奥に、周囲とは明らかに異なる鉱物が存在している。
しかも、反応は一か所だけではない。
いくつかの鉱物がまとまって埋まっているようだった。
鉱物の種類までは特定できないものの、反応の強さからして、それなりの量が期待できる。
「本当にあったのか。あの商人、たまには良い情報を持ってくるじゃねえか」
豪介は思わず笑みを浮かべた。
ただし、問題は岩盤の厚さだ。
鉱物のある場所まで掘り進めるには、かなりの硬さを持つ岩盤を突破しなければならない。
通常の装備では難しいが、今回購入した試作型掘削機なら可能性はある。
豪介は探査機で鉱物までの距離と周囲の岩盤の状態を確認する。
正面から掘るよりも、少し斜めに進めた方が薄い部分を通過できそうだった。
さらに、鉱物の周囲には比較的脆い層がある。
そこまで到達できれば、残りは通常の工具でも回収できるだろう。
豪介は掘削する位置を決め、鉱物探査機を収納した。
「さて、どれほどのもんか見せてもらおうじゃねえか」
近くに固定していた試作型掘削機を取り外し、岩盤の前へ運ぶ。
装置はかなり重いが、岩場に身体を固定すれば扱えないほどではない。
豪介は掘削機の先端を岩盤へ押し当て、固定用の爪を食い込ませた。
姿勢を整え、出力を最低段階に設定する。
いきなり最大出力を使用する必要はない。
まずは岩盤への食い込み方と、装置の振動を確かめるべきだ。
豪介は起動スイッチを押した。
直後、掘削機の内部から低い唸りが響き始める。
通常の掘削機のような細かい振動ではなく、身体の奥まで伝わるような独特な響きだった。
先端の突起が激しく震え、硬い岩盤へと押し込まれていく。
豪介は手元に伝わる振動を確かめながら、出力を一段階上げた。
すると、岩盤の表面に細かな亀裂が走った。
「おお……こいつはすげえな」
思わず声が漏れる。
通常の掘削機では表面を削ることすら難しい岩盤が、目に見えて砕け始めていた。
しかも、力任せに押し込む必要がない。
装置の振動が岩盤の内部へ伝わり、硬い部分から亀裂を広げているようだった。
豪介は出力を維持しながら、掘削角度を少し調整する。
岩盤の表面が崩れ、細かな破片が海中へ散った。
確かに、従来品とは別物だ。
これなら、今まで諦めていた採掘地点にも手を出せるかもしれない。
豪介がそんなことを考えていたとき、視界の端で何かが動いた。
岩礁の隙間にいた小魚が、一斉に飛び出していく。
最初は、掘削機の振動に驚いたのだろうと思った。
実際、通常の掘削機でも作動音を嫌って逃げる生物は多い。
しかし、今回は少し様子が違った。
離れた岩場に潜んでいた魚まで、次々と姿を消していく。
さらに、普段なら掘削音に引き寄せられてくる種類の生物も、近づくどころか遠ざかっていた。
豪介は掘削機の出力を落とし、周囲へ目を向ける。
先ほどまで岩場を泳いでいた魚の姿がない。
小さな生物だけでなく、岩陰に潜んでいた比較的大きな反応まで消えている。
「……妙だな」
豪介は掘削機を停止し、胸部の探査機を起動する。
周囲の生物反応を確認するが、近くに大きな反応はない。
探査範囲を少し広げても、危険生物が接近している様子は確認できなかった。
むしろ、普段よりも安全な状態になっている。
豪介は手元の掘削機へ視線を落とした。
試作品だから、通常の掘削機とは異なる振動を発生させている。
その振動が、周囲の生物を遠ざけているのかもしれない。
「生物除けにも使えるってことか?」
もしそうなら、思わぬ利点だ。
もっとも、すべての生物に効果があるとは限らない。
現時点で分かるのは、この周辺の生物が逃げたということだけだ。
豪介は周囲をもう一度確認する。
特に危険な兆候は見つからない。
ならば、今は採掘を進めても問題ないだろう。
探査機を収納し、掘削機を再び起動する。
独特な唸りが海中へ広がり、硬い岩盤が少しずつ削られていく。
豪介は振動の伝わり方を確かめながら、亀裂に沿って掘削位置をずらしていった。
しばらく作業を続けたところで、装置の振動が不規則になった。
豪介はすぐに出力を下げる。
先ほどまでは一定の間隔で伝わっていた振動が、時折大きく跳ねるようになっていた。
さらに、操作部の表示を見ると、消費電力も想定以上に増えている。
「……なるほど。こういう欠点か」
豪介は掘削機を停止し、状態を確認した。
出力を高く保ち続けると、振動機構に負荷が集中するらしい。
その影響で動作が不安定になり、余計な電力を消費しているようだった。
商人が連続使用には向いていないと言っていたのは、これが理由だろう。
豪介は掘削機を岩盤から離し、掘削した部分を確認する。
亀裂は十分に広がっている。
この状態なら、常に高出力を維持する必要はない。
豪介は少し考え、掘削の方法を変えることにした。
まず低出力で岩盤の表面を削り、亀裂の位置を確認する。
次に、亀裂が集中している部分へ短時間だけ高出力を加える。
そして装置の振動が乱れる前に出力を下げ、別の位置へ移動する。
これなら、負荷を分散させながら岩盤を崩せるはずだ。
豪介は再び掘削を始めた。
低出力で先端を食い込ませ、亀裂が広がった瞬間に出力を上げる。
硬い岩盤が砕けたところで出力を落とし、次の場所へ移動する。
何度か繰り返すうちに、掘削機の振動が乱れる頻度は明らかに減っていった。
消費電力も先ほどより抑えられている。
「よし。こっちの方がいいな」
試作品だけあって、扱いには癖がある。
だが、その癖を理解すれば十分に使える装備だった。
むしろ、この出力を自由に扱えるなら、通常の掘削機よりも効率よく岩盤を破壊できる。
豪介は手元の感触を確かめながら、掘削を続けた。
やがて、大きな亀裂が岩盤の奥まで走る。
豪介は掘削機を止め、少し離れて岩盤の状態を確認する。
亀裂の周囲には細かな破片が浮かび、内部から崩れかけていることが分かった。
あと一押しだ。
豪介は掘削機の先端を亀裂へ押し当て、短時間だけ出力を上げた。
直後、岩盤の奥から鈍い音が響いた。
大きな亀裂が一気に広がり、目の前の岩盤が崩れ落ちる。
豪介はすぐに掘削機を停止し、落ちてくる岩片を避けて後退した。
砕けた岩の破片が海底へ沈んでいく。
その奥に、ぽっかりと空間が現れていた。
◇
「……おお」
豪介は思わず声を上げた。
破壊した岩盤の奥には、淡い銀青色の光を放つ鉱物がいくつも露出していた。
表面には細かな結晶が重なり、光を受けるたびに色合いが変化する。
通常の鉱石とは明らかに異なる輝きだった。
豪介は掘削機を近くの岩場へ固定し、鉱物へ近づいた。
岩盤に埋まった結晶の一つを確認する。
表面の特徴と色合いから、おおよその種類に見当がついた。
「鐘晶石……いや、こいつは上物だな」
沈鐘海で回収できる希少鉱物、鐘晶石。
特殊な音響装備などの素材として利用される鉱物で、純度が高いものほど高値で取引される。
通常は小さな結晶しか見つからず、まとまった量を回収できる場所は限られていた。
しかし、目の前には大きな結晶がいくつも並んでいる。
しかも、透明度が高い。
豪介は携帯用の分析器を取り出し、鉱物の表面へ当てた。
表示された純度を見て、思わず口元が緩む。
「こりゃ、とんでもねえ当たりだ」
予想以上だった。
これだけの量があれば、掘削機の購入費用を差し引いても十分な利益が期待できる。
むしろ、今回の採掘だけで元が取れる可能性すらあった。
豪介は改めて岩盤の奥を確認する。
鉱物の大部分は、比較的脆い岩の層に埋まっていた。
ここまで到達できれば、大型の掘削機を使う必要はない。
豪介は小型の採掘工具を取り出し、結晶の周囲を慎重に削り始めた。
鐘晶石は強い衝撃を受けると内部に亀裂が入り、価値が下がることがある。
そのため、結晶そのものを無理に引き抜くのではなく、周囲の岩を少しずつ取り除く必要があった。
豪介は結晶の根元を確認し、工具を差し込む位置を選ぶ。
軽く力を加えると、周囲の岩が小さく欠けた。
続けて反対側から岩を削り、結晶を傷つけないように取り外す。
掌ほどの大きさの鐘晶石が、綺麗な状態で外れた。
豪介は表面を確認し、回収用の保護ケースへ収納する。
続いて二つ目、三つ目と作業を進めていった。
途中で何度か周囲の生物反応を確認したが、危険な兆候はない。
掘削機を停止してからしばらく経つものの、周囲の生物はまだ戻ってきていなかった。
あの振動の影響が残っているのだろうか。
豪介は少し不思議に思ったが、今のところ採掘の邪魔になるものはなかった。
むしろ、これだけ安全に作業できるならありがたい。
豪介は再び鉱物へ意識を向けた。
大きな結晶は、特に慎重に取り外す。
根元を傷つけないよう周囲の岩を削り、十分に緩んだところで両手を使って持ち上げる。
ずっしりとした感触が伝わってきた。
形も良い。
この大きさなら、かなりの高値が付くだろう。
「ははっ。こいつはいい」
豪介は嬉しそうに笑い、結晶を保護ケースへ収納した。
気づけば、回収用コンテナのかなりの部分が鐘晶石で埋まっていた。
まだ奥には鉱物が残っている。
しかし、これ以上回収するにはコンテナの容量を空ける必要がある。
それに、活動時間にも余裕を残しておきたい。
豪介は残りの鉱物を確認し、回収を終えることにした。
欲張って探索を続け、帰還できなくなっては意味がない。
今回の目的は十分に達成している。
豪介は工具を収納し、回収コンテナを閉じた。
続いて、岩場に固定していた試作型掘削機を取り外し、背部の固定具へ戻す。
掘削機の使用感も悪くなかった。
高出力を維持すると動作が不安定になる欠点はあるが、使用方法を工夫すれば対処できる。
電力消費も大きいため、予備電源の確保は必要だろう。
それでも、この掘削能力は魅力的だった。
今回の成果を考えれば、購入した価値は十分にある。
「帰ったら、あいつに教えてやるか」
商人の得意げな顔が目に浮かぶ。
恐らく、また別の試作品を勧めてくるだろう。
そのときは断ればいい。
豪介はそう考えながら、装備の固定状態を確認した。
回収コンテナの密閉は問題なし。
呼吸装置の残量も十分。
推進機構にも異常は見られない。
あとは帰るだけだ。
豪介は最後に周囲を見回した。
相変わらず、生物の姿が少ない。
掘削機を使用する前には、岩場の周辺を小魚が泳いでいた。
しかし、今はほとんど見当たらない。
試作品の振動は、相当な範囲に影響するらしい。
もし本当に生物を遠ざける効果があるなら、別の用途にも使えるかもしれない。
その辺りも、帰ってから商人に聞いてみよう。
豪介は胸部の探査機を起動した。
帰還前の安全確認だ。
まず周囲の地形と生物反応を確認する。
近距離に危険な反応はない。
続いて、探査範囲を広げた。
その瞬間、画面の端に巨大な反応が現れた。
「……ん?」
豪介は表示を拡大する。
反応はかなり遠い。
しかし、通常の危険生物とは明らかに規模が違った。
探査機が捉えている反応の大きさは、これまで確認したどの生物よりも巨大だった。
豪介の表情が変わる。
この規模の生物が、沈鐘海に何体も存在するわけではない。
考えられるのは、一つだけだった。
「……死神か?」
豪介は反応の特徴を照合する。
巨大な身体。
周囲の海水に生じている独特な乱れ。
記録されている死神の探査反応と、ほぼ一致していた。
間違いない。
沈鐘海の死神だ。
豪介は即座に現在位置と死神の位置を確認した。
距離はまだある。
この異海の死神は、普段ならゆったりと海中を彷徨っている。
こちらから刺激しなければ、積極的に接近してくることも少ない。
ならば、進行方向を確認してから離れればいい。
豪介はそう考え、死神の移動経路を表示した。
しかし、次の瞬間、眉をひそめる。
「……おいおい」
死神が、こちらへ向かっていた。
しかも、異常な速度で。
豪介は探査機の表示を確認し直す。
距離の数値が、目に見えて減っていく。
速い。
いや、速すぎる。
本来の巡回速度とは比較にならない。
このまま進めば、間もなく採掘地点へ到達するだろう。
豪介は死神の移動方向を改めて確認した。
ほぼ一直線。
まるで、こちらに何か目的があるかのような動きだった。
こんな報告は聞いたことがない。
沈鐘海の死神は、基本的に刺激しなければ執拗に追ってこない。
巨大な身体でゆったりと海中を移動し、ダイバーが近づかなければ危険は比較的少ないとされている。
それが今は、明らかに異なる行動を取っていた。
「……何があった?」
豪介は小さく呟いた。
しかし、原因を考えている時間はない。
死神の移動速度を考えれば、今から帰還地点へ向かっても間に合わない可能性が高い。
推進機構を全開にすれば多少は距離を稼げるが、その分だけ音や振動も大きくなる。
死神を刺激する危険がある以上、得策ではなかった。
ならば、隠れるしかない。
豪介は探査機の使用を停止した。
続いて、不要な機器も切り、音や振動を最小限に抑える。
周囲の地形を確認すると、少し離れた場所に大きな岩場があった。
複数の岩が重なり、内部に深い窪みができている。
死神の巨体が直接入り込めるような場所ではない。
あそこなら、身を隠せる。
豪介は推進機構を最低出力で作動させ、岩場へ向かった。
できるだけ海底に近い位置を進み、余計な水流を発生させないようにする。
岩場へ到着すると、推進機構を停止し、身体を窪みの奥へ滑り込ませた。
背部の掘削機が岩に触れないよう、慎重に姿勢を調整する。
装備が岩に当たり、大きな音を立てれば台無しだ。
豪介は岩に手を添え、身体を固定した。
あとは、死神が通り過ぎるのを待つだけ。
この異海の死神は、刺激しなければ積極的に襲ってこない。
異常な速度で接近している理由は分からないが、こちらの存在に気づかれなければやり過ごせる可能性はある。
豪介は呼吸装置の作動音を抑え、周囲の様子をうかがった。
しばらくして、遠くの暗闇に何かが見えた。
巨大な影。
青黒い海の奥から、ゆっくりと輪郭が浮かび上がってくる。
豪介は目を細めた。
間違いない。
死神だ。
その巨体は、周囲の岩礁と比べても異様なほど大きい。
黒い身体が海中を進み、わずかな光を遮りながら接近してくる。
しかも、その速度はまったく落ちていなかった。
普段はゆったりと彷徨うはずの死神が、まるで何かを追い求めるように突き進んでいる。
豪介は岩陰の奥で、じっと動きを止めた。
頼むから、そのまま通り過ぎてくれ。
そう願いながら、巨大な影が近づいてくるのを見守った。
◇
巨大な影が、青黒い海を切り裂くように近づいてくる。
荒波豪介は岩陰に身を潜めたまま、その動きを観察していた。
先ほどまで異常な速度で接近していた死神は、採掘地点の近くまで来ると急激に速度を落とした。
暗闇から姿を現したのは、巨大な深海魚に似た生物だった。
漆黒の身体には鐘のような器官がいくつも並び、ゆっくりと動くたびに周囲の海水が揺れる。
その全長は、近くにある巨大な岩礁さえ小さく見えるほどだった。
死神。
異海ごとに一体だけ存在する、基本的に討伐不可能な災厄種。
豪介もほかの異海では何度か遭遇した経験があるが、《沈鐘海》の死神を見るのは初めてだった。
想像以上にでかい。
だが、問題は大きさではない。
なぜ、あんな速度でここまで来た?
この異海の死神は、普段ならゆったりと海中を彷徨っている。
ダイバーを見つけても、こちらから刺激しなければ積極的に襲うことは少ない。
それが、先ほどは明らかに何かを目指して一直線に進んでいた。
豪介は身体を動かさず、死神が通り過ぎるのを待つ。
しかし、死神はそのまま進もうとしなかった。
採掘地点の周辺をゆっくりと回遊し、巨大な頭を岩場の方へ向ける。
しばらくすると別の方向へ移動し、今度は崩れた岩盤の近くを調べ始めた。
何かを探している。
豪介はそう判断した。
ただし、自分を発見している様子はない。
もし獲物として認識されているなら、こんなに悠長な動きはしないはずだ。
死神は岩場の隙間を覗き込むように頭を動かし、再び別の場所へ移動する。
その行動を何度も繰り返していた。
豪介はじっと待ち続けた。
刺激しなければ、やり過ごせる可能性は高い。
少なくとも、ここで慌てて逃げ出すよりは安全だろう。
しかし、時間が経っても死神は離れなかった。
むしろ、採掘地点を中心に何度も同じ場所を調べている。
大きな身体が岩礁の近くを通過するたび、豪介は装備が岩に触れないよう慎重に姿勢を調整した。
妙だな。
いくらなんでも執着しすぎだ。
死神の行動については、これまで多くのダイバーが記録を残している。
その中には、岩陰に隠れてやり過ごしたという事例も少なくない。
だが、これほど長い時間、同じ場所を探し続けるという話は聞いたことがなかった。
豪介は呼吸装置の残量を確認する。
まだ余裕はある。
しかし、いつまでも待っていられるわけではない。
それに、死神が岩場の奥まで調べ始めれば、いずれ発見される可能性がある。
このまま待ち続けるべきか。
それとも、別の方法で離脱するべきか。
豪介は死神の動きと周囲の地形を見比べた。
死神は採掘地点の周辺を回遊しているが、一定の間隔で大きな岩礁の向こう側へ移動する。
その間だけは、こちらの姿を直接確認できない位置になる。
ただし、そこから帰還方向へ移動するには、開けた場所を通らなければならない。
死神が戻ってくるまでに通過するのは難しそうだった。
何か、注意を逸らせるものがあればいい。
豪介は手持ちの装備を確認する。
反響欺瞞器があれば、死神の感知を一時的に欺き、その隙に離脱できたかもしれない。
しかし、今回の探索では購入できていない。
代わりに買ったのは、試作型掘削機だった。
「……まったく」
声を抑えながら、豪介は小さく息を吐いた。
あのとき、予定どおり反響欺瞞器を買っていれば。
そんな考えが頭をよぎるが、今さら後悔しても仕方がない。
必要なのは、今ある装備でどう切り抜けるかだ。
豪介は背部の掘削機へ目を向けた。
そういえば、あれは相当な音と振動を発生させていた。
岩盤を削る際には独特な唸りが響き、作動状態を示す光も周囲へ漏れていた。
あれだけ目立つ装置なら、死神の注意を引くこともできるかもしれない。
掘削機を離れた場所で作動させる。
死神がそちらへ近づいている間に、自分は反対方向へ逃げる。
単純だが、試す価値はある。
ただし、死神が必ず掘削機へ近づくとは限らない。
音や光を嫌って逆に離れる可能性もある。
それでも、このまま待ち続けるよりは状況を変えられるだろう。
豪介は周囲の岩場を確認した。
少し離れた場所に、掘削機を固定できそうな岩盤がある。
そこから別の岩陰まで移動すれば、死神の様子を確認しながら逃走の機会をうかがえる。
問題は、設置するまでに見つからないかどうかだ。
豪介は死神の動きを観察する。
巨大な身体がゆっくりと旋回し、岩礁の反対側へ移動していく。
やがて、その姿が大きな岩壁の向こうへ隠れた。
今だ。
豪介は静かに岩陰から抜け出した。
推進機構は使わず、岩場を手で掴みながら移動する。
大柄な身体に加えて装備も多いため、狭い場所では慎重な動きが必要だった。
背部の掘削機が岩に触れないよう、身体を斜めにする。
岩場の凹凸を利用し、できるだけ音を立てずに進んだ。
やがて、目的の岩盤へ到着する。
豪介は背部から掘削機を取り外し、先端を岩盤へ押し当てた。
固定用の爪を食い込ませ、装置が振動で外れないようにする。
掘削中に確認した限り、この装置は固定さえしておけば短時間なら手を離しても作動を続けられる。
もちろん、長く放置すれば出力が不安定になるだろう。
だが、今回は長時間使うつもりはない。
死神の注意を引き、逃げる時間さえ稼げれば十分だった。
豪介は掘削機の出力を調整する。
低出力では目立たない。
かといって、最初から最大出力にすれば装置がすぐに不安定になる可能性がある。
そこで、ある程度の音と振動を発生させながら、短時間は安定して動く出力に設定した。
準備は整った。
豪介は死神の位置を確認する。
まだ岩礁の向こう側にいる。
豪介は掘削機の起動スイッチを押した。
直後、独特な唸りが周囲へ広がる。
先端が激しく振動し、岩盤の表面を削り始めた。
側面の作動灯も明るく点灯する。
豪介はすぐにその場を離れた。
掘削機は稼働したまま、音と振動を発し続けている。
豪介は近くの岩陰へ滑り込み、身を低くして死神の動きを確認した。
これで注意を引ければいい。
死神が掘削機へ近づいたところで、反対方向へ移動する。
周囲の岩礁を利用すれば、姿を見られずに距離を稼げる可能性がある。
豪介は帰還方向の岩場を確認し、移動経路を頭に入れた。
そのときだった。
死神が、ぴたりと動きを止めた。
巨大な頭が、ゆっくりと掘削機の方向へ向く。
明らかに反応している。
豪介は岩陰から様子をうかがった。
よし。注意は引けた。
あとは掘削機へ近づいてくれれば、その隙に逃げられる。
しかし、死神は動かなかった。
掘削機へ向いたまま、その場に留まっている。
豪介は眉をひそめた。
何をしている?
音に反応したのなら、近づいてくると思っていた。
しかし、死神は掘削機を見据えたまま、一向に距離を詰めようとしない。
その直後、死神の巨大な口が開いた。
豪介の表情が変わる。
まずい。
あの動きは──。
豪介は即座に岩陰の奥へ身体を引いた。
次の瞬間、死神の口から巨大な水の渦が放たれた。
渦を巻いた海水が凄まじい勢いで突き進み、周囲の水を巻き込みながら広がっていく。
水渦が通過した場所では岩盤が砕け、海底の砂や小石が一斉に巻き上がった。
死神が持つ、強力な水渦攻撃。
その存在は豪介も知っていた。
通常は巨大な生物を追い払う際などに使用されるもので、ダイバー程度の相手に使われることはほとんどない。
だからこそ、今回も警戒はしていたものの、いきなり放たれるとは考えていなかった。
豪介は岩場へ身体を押しつけ、衝撃に備える。
だが、水渦は予想以上に広かった。
掘削機へ向かって放たれた水流が周囲の岩盤を巻き込み、激しい乱流を生み出していく。
豪介の隠れていた岩場にも、凄まじい水圧が押し寄せた。
耐えられない。
豪介は即座に岩を蹴り、横方向へ逃れようとした。
しかし、周囲の水流はすでに大きく乱れていた。
身体を動かした瞬間、横から押し寄せた水流に姿勢を崩される。
豪介は岩の突起を掴み、身体を固定しようとする。
だが、その岩ごと砕けた。
視界いっぱいに砂と岩片が広がる。
豪介は推進機構を起動し、乱流から抜け出そうとした。
しかし、出力を上げても身体は思うように動かない。
水流の向きが次々と変化し、逃走方向を定めることすら難しかった。
そして、巨大な岩片が目前へ迫る。
豪介は身体を捻って避けようとした。
だが、間に合わなかった。
強烈な衝撃。
視界が大きく揺れ、次の瞬間、すべてが暗転した。
◇
「……ああ、クソ」
荒波豪介は、見慣れた天井を見上げながら悪態をついた。
ここは異海への潜水施設。
正確には、死亡したダイバーが強制的に排出される帰還区画だった。
豪介はゆっくりと身体を起こす。
全身に痛みはない。
腕も脚も、問題なく動く。
異海で受けた致命的な損傷は、現実世界の肉体には残らない。
しかし、身につけていた装備はすべて消えていた。
耐圧スーツも、呼吸装置も、探査機もない。
代わりに、施設で用意された簡素な衣服を身につけている。
豪介はしばらくその場に座り込んでいた。
試作型掘削機。
おまけの鉱物探査機。
使い慣れた潜水装備。
予備電源や消耗品。
そして、苦労して回収した大量の鐘晶石。
全部だ。
今回持ち込んだものは、何一つ残っていない。
「……いくら飛んだ?」
豪介は端末を取り出し、装備の購入履歴を確認した。
失った装備の金額を順番に足していく。
さらに、回収した鐘晶石の予想売却額まで考えると、損失はかなりのものだった。
豪介は端末を閉じ、深いため息をついた。
大赤字だ。
掘削機の性能は確かに優秀だった。
あれほど硬い岩盤を破壊できたし、希少な鐘晶石も大量に回収できた。
商人の情報も正しかった。
それなのに、最後は死神に遭遇して全ロスト。
「……反響欺瞞器、買っときゃよかったな」
今さら言っても仕方がない。
ただ、あの装備があれば、死神を欺いて逃げる選択肢があった。
少なくとも、掘削機を囮にするような危険な方法を選ばずに済んだかもしれない。
豪介は今回の探索を思い返す。
死神が異常な速度で接近してきたこと。
採掘地点の周囲を執拗に探していたこと。
そして、掘削機へ向けて水渦を放ったこと。
どれも、通常の行動とは違っていた。
特に最後の攻撃が気になる。
死神は掘削機へ近づくことなく、いきなり強力な水渦を放った。
まるで、何かを追い払おうとしているかのようだった。
だが、掘削機はただの装備だ。
なぜ、あそこまで反応したのか。
豪介は少し考えたものの、結論は出なかった。
「……まあ、帰ってから考えるか」
豪介は立ち上がり、帰還区画を後にした。
◇
「おう、豪介。どうだった、あの掘削機は?」
馴染みの装備店へ入るなり、商人が声をかけてきた。
豪介はカウンターへ近づいた。
「性能は良かったぞ。あの岩盤も問題なく砕けた」
「おお、そうか! やっぱりな!」
商人は嬉しそうに笑う。
「で、鉱物は採れたのか?」
「ああ。かなり良い鐘晶石が出た。しかも相当な量だ」
「そりゃ大当たりじゃねえか!」
商人は満足そうに頷いた。
「どうだ、買って正解だったろ?」
「まあ、そうだな。装備自体は悪くなかった」
「だろ? で、いくらになりそうだ?」
「全部失った」
「……は?」
商人の笑顔が固まった。
「何だって?」
「全ロストだ」
「おいおい、あの装備をか?」
「掘削機だけじゃねえ。ほかの装備も鐘晶石も全部だ」
商人はしばらく言葉を失っていた。
「……何があった?」
「死神に遭った」
「はあ!?」
今度こそ大声が上がった。
「沈鐘海でか!?」
「ああ」
「お前、あそこじゃ滅多に出ねえって……」
「俺もそう思ってたよ」
豪介は肩をすくめる。
商人は額に手を当て、しばらく考え込んだ。
「それで死んだのか」
「ああ。水渦に巻き込まれた」
「そりゃ災難だったな……」
商人は少し気の毒そうな表情を浮かべた。
しかし、すぐに顔を上げる。
「それで、掘削機の使い心地はどうだった?」
「お前、そこは気になるんだな」
「そりゃあ、試作品だからな」
豪介は呆れたように笑い、今回の採掘について説明し始めた。
岩盤の硬さ。
掘削機の出力。
実際に使用した際の振動。
そして、長時間使用すると出力が不安定になること。
「高出力を維持すると振動が乱れる。電力消費もかなり増えるな」
「やっぱりか。そこは開発側も気にしてたんだ」
「ただ、短時間だけ高出力に切り替えるようにすれば、かなり安定したぞ」
「ほう?」
「低出力で亀裂を広げてから、硬い部分だけ一気に砕く。そうすりゃ負荷も抑えられる」
商人は興味深そうに頷いた。
「なるほどな。そりゃ開発側にも伝えとくか」
「ああ。あと、もう一つ気になることがあった」
豪介は掘削中の出来事を思い出す。
「あの掘削機、生物除けの機能でも付いてるのか?」
「生物除け?」
「作動させた途端、周囲の魚が全部逃げたんだ。普段なら掘削音に寄ってくる奴までな」
商人は首を傾げた。
「いや、そんな機能は聞いてねえぞ」
「そうなのか?」
「ああ。特殊な振動機構は使ってるが、生物を遠ざける目的じゃねえ」
豪介は眉を寄せる。
「……妙だな」
「まあ、普通とは違う振動だからな。生物の反応も変わるのかもしれねえ」
商人はそう言ったが、豪介は少し引っかかっていた。
掘削機を作動させた直後、周囲の生物が一斉に逃げた。
そして、その後に死神が現れた。
偶然だろうか。
「そういや、死神も妙だったんだよな」
「妙?」
「ああ。あいつ、普通じゃ考えられねえ速度でこっちへ向かってきたんだ」
豪介は死神との遭遇について話し始めた。
探査機で発見したとき、すでに異常な速度で接近していたこと。
岩陰に隠れてやり過ごそうとしたが、採掘地点の周囲を執拗に探していたこと。
そして、掘削機を囮として使ったところ、死神が強く反応したこと。
「掘削機を岩盤に固定して、動かしたまま離れたんだ。音と光で注意を引けりゃ、逃げる時間が稼げると思ってな」
「なるほど。それで?」
「注意は引けた。だが、あいつは近づいてこなかった」
「近づかなかった?」
「ああ。その場で口を開いて、水渦をぶっ放してきやがった」
商人は目を丸くした。
「……掘削機に向かってか?」
「そうだ。俺は少し離れた岩陰にいたんだが、攻撃範囲が広すぎてな。岩場ごと巻き込まれた」
豪介は肩をすくめる。
「ありゃどうしようもなかった」
商人は難しい顔をして考え込んだ。
「しかし、妙だな。沈鐘海の死神が、そんなに執着するなんて聞いたことがねえぞ」
「だろ? 俺もそこが気になってる」
そのときだった。
「……すみません。少し、お話を聞いてもいいですか?」
横から女性の声がした。
豪介が振り向くと、少し離れた場所に一人の女性が立っていた。
手には装備の資料らしき端末を持っている。
年齢は若そうだが、落ち着いた雰囲気があり、先ほどから二人の会話を聞いていたようだった。
「あの試作型掘削機を買ったのって、あなたなんですか?」
「ああ、そうだが」
「……本当に買う人がいたんですね」
女性は少し驚いたように呟いた。
豪介は眉を上げる。
「何だ。そんなに変な装備なのか?」
「いえ、性能は面白いと思います。ただ、扱いづらいですし、普通のダイバーならもっと安定した装備を選ぶと思うので」
女性はそう答え、豪介の話に興味を示した。
「それで、あの岩盤を本当に破壊できたんですか?」
「ああ。硬かったが、問題なく砕けたぞ」
「出力が不安定になる問題は?」
「使い方を変えりゃ何とかなった。高出力を維持せず、必要なときだけ切り替えればいい」
「……なるほど」
女性は少し考え込む。
「確かに、それなら負荷を抑えられますね。でも、実際にその場で調整したんですか?」
「ああ。何度か使えば癖は分かる」
「……そうですか」
女性は感心したように頷いた。
ただし、それ以上に気になっていることがあるらしい。
「それより、さっきの死神の話なんですけど」
「ああ」
「掘削機を作動させたあと、周囲の生物が一斉に逃げたんですよね?」
「そうだ」
「そのあと、死神が異常な速度で接近してきた」
「ああ」
「さらに、もう一度掘削機を作動させたら、そちらへ向かって水渦を放った……」
女性は何かを確認するように、順番に出来事を整理した。
豪介は頷く。
「そういうことだ」
「……それ、掘削機が原因だった可能性はありませんか?」
豪介は眉をひそめた。
「掘削機が?」
「はい。少なくとも、三つの出来事には共通点があります」
女性は指を折りながら説明する。
「最初に掘削機を動かしたとき、周囲の生物が逃げた。次に、死神が異常な速度で接近してきた。そして最後に、掘削機へ向かって攻撃した」
「……確かにな」
豪介は当時の状況を思い返す。
最初に周囲の生物が逃げたのは、掘削機を作動させた直後だった。
そして、死神が向かってきたのも採掘地点。
最後の攻撃も、掘削機へ向けられていた。
女性は商人へ顔を向けた。
「あの試作機って、通常の掘削機とは振動方式が違いますよね?」
「ああ。硬い岩盤を砕くために、新しい振動機構を使ってる」
「具体的には、どんな周波数なんですか?」
商人は端末を操作し、試作機の仕様書を開いた。
「ちょっと待てよ……ああ、これだ」
表示された資料を女性が覗き込む。
豪介も横から画面を確認したが、細かな数値を見ても、それだけでは何が問題なのか分からなかった。
「……やっぱり」
女性が小さく呟く。
「この装置、かなり特殊な周波数帯を使っていますね」
「それがどうした?」
「もしかすると、その振動が死神の行動に影響したのかもしれません」
豪介は腕を組む。
「つまり、あの掘削機が死神を呼び寄せたってことか?」
「可能性はあります。少なくとも、そう考えればいくつかの行動に説明がつきます」
女性は少し考えてから続けた。
「例えば、死神が縄張りを主張するときに、特定の音や振動を使っているとしたら?」
「……ほう」
「その周波数と掘削機の振動が似ていた場合、別の個体が縄張りに侵入したと勘違いする可能性があります」
豪介は目を細めた。
縄張りへの侵入。
そう考えれば、死神が異常な速度で接近してきた理由も説明できる。
採掘地点を執拗に探していたのも、敵対する相手を見つけようとしていたからかもしれない。
そして、最後の水渦。
「……だから、近づかずに攻撃したのか」
豪介が呟く。
「ええ。もし敵対個体を追い払おうとしていたなら、捕食する必要はありませんから」
「なるほどな……」
豪介は深く頷いた。
もちろん、まだ仮説にすぎない。
実際に死神がどんな周波数を使っているのかは分からないし、掘削機との関連性も確認されていない。
だが、少なくとも筋は通っている。
「……ってことは、俺は自分で死神を呼び寄せたかもしれねえのか」
「そうなりますね」
「しかも、逃げるためにもう一度動かした、と」
「……はい」
豪介はしばらく黙り込んだ。
そして、深いため息をつく。
「……最悪じゃねえか」
商人が思わず吹き出した。
「おいおい、豪介。自分で買った装備で死神を呼んだのかよ」
「まだ決まったわけじゃねえだろ」
「まあ、そうだがな」
商人は笑いながらも、すぐに真面目な顔へ戻った。
「しかし、本当にその可能性があるなら、開発側にも伝えねえとな」
「ああ。少なくとも、死神を引き寄せる可能性がある装備なんざ、知らずに使ったら危険すぎる」
豪介は頷いた。
女性も同意する。
「詳しい検証は必要ですけど、重要な情報かもしれませんね」
その後も三人は、掘削機の仕様や死神の行動についてしばらく話し合った。
ただし、これ以上は実際の記録や追加の調査が必要になる。
現時点で確かなのは、掘削機の使用と死神の異常行動が続けて起きたという事実だけだった。
豪介は一通り話し終えると、端末を取り出して残高を確認した。
「……さて、問題はこっからだな」
「何がです?」
「装備を買い直さねえと、次の探索に行けねえ」
豪介は購入履歴を開く。
女性が何気なく画面へ目を向けた。
「……あれ?」
「どうした?」
「死神対策装備、持っていなかったんですか?」
「ああ。反響欺瞞器を買う予定だったんだがな」
「予定だった?」
「掘削機を買ったら金が足りなくなった」
女性は目を瞬かせた。
「……え?」
「いや、面白そうな装備だったしな。探査機も付くって言うから、つい」
「……それで、反響欺瞞器を諦めたんですか?」
「まあ、沈鐘海なら滅多に死神に遭わねえしな」
女性は何とも言えない表情になった。
「……必要だと思っていた装備を諦めて、試作品を買ったんですか?」
「ああ」
「しかも、まだ性能が安定していない試作品を?」
「使いこなせば問題ねえだろ」
「……そういう問題じゃないと思いますけど」
女性は呆れたように息を吐いた。
豪介は少しばつが悪そうに頭を掻く。
自分でも、装備の購入計画が甘かったことは分かっている。
ただ、珍しい装備を見せられると、どうしても試したくなってしまうのだ。
女性はそんな豪介を見ながら、少しだけ首を傾げた。
装備の選び方は、随分と杜撰だった。
それでも、扱いづらい試作機を実際に使いこなし、希少鉱物の回収にも成功している。
死神との遭遇時にも、状況に応じて冷静に対応していたらしい。
装備の扱いには、それなりの腕があるのだろう。
ただし、今回の探索は全ロストに終わっている。
それだけで、どれほどの実力を持つダイバーなのか判断することはできない。
変わった人もいるものだ。
女性はそんな感想を抱いた。
「まあ、次からは気をつけた方がいいと思いますよ」
「ああ。俺もそう思ってる」
「……本当に?」
「本当だって」
豪介が苦笑すると、女性も小さく笑った。
やがて、豪介は端末を閉じる。
「さて、俺はそろそろ行くか」
「もう帰るのか?」
商人が尋ねる。
「ああ。失った装備をどうするか考えねえとな」
「また面白い試作品が入ったら教えてやるよ」
「……しばらくは勘弁してくれ」
商人は楽しそうに笑った。
豪介は女性へも軽く会釈する。
「いろいろ参考になった。ありがとな」
「いえ。こちらこそ、興味深い話でした」
女性はそう答えた。
豪介は名を告げ、女性も簡単に名乗り返す。
ただ、それ以上の話にはならなかった。
互いに特別な約束を交わすこともなく、そのまま別れる。
豪介は店を後にした。
女性はその大きな背中を見送りながら、先ほどの話を思い返す。
試作型掘削機を購入し、死神に遭遇して全ロスト。
なんとも運の悪い話だ。
それにしても、装備の選び方と扱い方の差が随分と大きい。
少し変わったダイバーだった。
女性はそれ以上深く考えることなく、手元の資料へ視線を戻した。
このとき、二人はまだ知らなかった。
これが、後に数々の異海を踏破する伝説のダイバーと、
その偉業を支えた相棒との、
最初の出会いであった。




