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彼女の本音

朝が来た。


いつもは日付を超える前に眠りにつき、朝までぐっすり快眠の純也だったが、今日は夜中の1時半まで眠れず、洗面所の鏡を見ると目の下にうっすら隈ができていた。


意中の女子に告白した、という人生最大イベントの余韻が抜けず眠れなかったのだ。


「宮原…今日は学校来るかな」


洗った顔の水滴をタオルで拭き取り、呟く。


ためしにそのまま隈を擦ってみたが、やはり隈は取れない。


自分の顔に自信があるわけではないが、できればベストな自分を宮原に見せたい。


今日、宮原から告白の返事を聞く時の自分が、少しでも彼女の目にかっこよく映って欲しいと思うから。


「どうした?鏡なんか凝視して。もうすぐメシだよ」


後ろから、兄の純喜に話しかけられた。


「純喜、隈消しとか持ってないよね?」


試しに純喜に聞いてみる。


「ごめん、隈消しはないかな。そういうのは母さんに言ったほうがいいかも。女の人は隈ができるとクリームを塗って隠すんだって。職場の女の子が言ってたよ」

「へえ…。」


その時、純也の中に一つの考えが浮かんだ。

もし、宮原と付き合えたら…記念日とか誕生日とか、特別な日は何かプレゼントしたい。その時のために自分には女子が喜ぶものをリサーチしておくべきだと。


「純喜さ、その職場の女の子って何歳?」

「えっとおれよりたしか2、3歳下だから26、7歳くらいかな」

「ああ、駄目だ!そんな年上じゃアテになんねーよ!」

「アテって…どうしたの?」

「うーん、今度話す!とりあえずプレゼントに隈消しクリームは無しか…」


ぶつぶつと呟きながらタオルと歯ブラシをしまい、食卓の方へ身体の向きを変えた時、腕組みをした母が立っていて少し声を上げる。


「あんたたち、朝ごはん食べないなら捨てるけど」


ジトっとした声に責められ、兄弟は萎縮した。

とても隈消しを貸してほしい、とは言える空気ではなく、純也はそのまま登校することになった。




宮原の朝は早い。なるべく二人きりの時間を作りたくて、いつも共に登校してる拓実に先に登校する旨をメッセージで伝え、彼女の登校時間に合わせて、一番乗りで教室に着いた。


教室の端でちょこんと座っている女子を発見。宮原だ。


「あ…」


目が合い、互いの声が重なる。

直後、今度は互いに目線を逸らす。


教室には他に誰もいない。二人だけの時間が静かに流れる。


絶好のチャンスなのに、宮原に会ったら言おうと思っていた言葉が、恥ずかしさと怖さで出てこなくて、純也は手に汗を握る。

そしていつも通りキョロキョロと目線が定まらない宮原。


ここまで来たんだ。昨日の電話での手応えは悪くなかったはず。あと一息で宮原との仲を進展させれるかもしれない。昨日はメッセージも、電話も、告白も、勇気を出して行動に移せたんだから。大丈夫。


たった一言、自分らしく、サッと言ってしまえば…


その時、また宮原と目が合った。


相変わらず綺麗な目をしてる。目を奪われ、高鳴る鼓動。


言えないのは、多分、宮原が綺麗だからだ。


廊下から他クラスの生徒の談笑が聞こえる。


時計を見ると7時45分を過ぎていた。そろそろ生徒が次々と登校してくる時間だと気づく。タイムリミットはすぐそこだ。


手の汗をズボンで拭き、気を取りなおす。


「あのさ、宮原っ…」


言うなら今しかない、と勇気を振り絞り声に出した時。


ガタッ


宮原が教室から出て行ってしまった。


「ええ?」


思わず純也は間抜けな声を上げる。


彼女の行動の予測不能さはここ数日で十二分に理解したつもりだ。宮原のことだから、今度は海じゃなくて、もしかしたら屋上から飛び降りようとしてるのかもしれない。


「宮原!待てって!」


慌てて純也は追いかける。

宮原は振り返らずにひたすら逃げる。

通り過ぎる生徒たちが自分たちを見てクスクス笑うのも気に留めず二人は必死に追いかけっこを続ける。


しかし、運動神経なら純也の方が数段上だ。すぐに宮原に追いつき、その手を掴む。


「宮原!なんで逃げるんだよ!」


純也が大声をあげると、宮原は手を掴まれたまま、その場にしゃがみ込んでしまった。


「え…?宮原?」


宮原が小動物のように震えている。瞬時に悟った。


嫌がっているのだと。


ようやく純也は自分の浅はかさに気づく。

あと一息で宮原との仲を進展させられる、なんて思っていたのは自分だけで、宮原の気持ちを全く考えていなかったのだ。逃げたのはおそらく拒絶だろうと。ここ数日で宮原とはいろいろあったものの、別に恋愛関係になったわけではない。告白だって一方的で、宮原にとって自分はそういう対象ではないのだ。


「宮原…あの…」


呼びかけても宮原は動かない。うずくまったままだ。

だんだん周囲の好奇の目も気になり始めた。中には心配そうに声をかけようとしてくる生徒もいる。


「と、とりあえず保健室!保健室行こう!」


いたたまれなくなり、純也は宮原の手を引いて、保健室に急いだ。


ありがたいことに、保健室には誰もいなかった。扉には留守のプレートがぶら下がっていた。


「と、とりあえず座ろうか?」


純也は宮原を椅子に座らせた。


自分も椅子に座り、宮原と向かい合う。


保健室の周りは人通りが少なく、静かだ。室内には時計の針の音だけが響いている。


その音が純也の緊張感を高める。まるで急かされているようだ。


けれど、確かめなきゃいけない。宮原の気持ちを。答えはおそらくノーだろうけど。それを思うと少し胸が苦しくなったが、この際さっさとフラれてきっぱり諦めるべきだと思った。


俯く宮原に、純也はそのための言葉を発する。


「宮原、ごめん。おれ、宮原の気持ちも考えずメッセージとか、告白とか、いろいろその…グイグイいっちゃって。宮原はおれにそんなふうにされたって嬉しくもなんともなかったのに。嫌だったよな。本当、ごめん。」


宮原の身体が少しピクリと反応する。

純也は続けた。


「だから、その…告白の返事だけど。この際だから、きっぱりフってほしい。おまえがおれと付き合う気がないなんてことはもう、わかってるから。」


本当は今日宮原に会ったら、付き合ってほしい、と一言言うはずだった。昨日から何度も何度もシミュレーションした。フラれることなんて想定していなかった。だからこそ、この状況から純也は自身の浅はかさを思い知らされた。独りよがりの恋とはさよならしよう。フラれても受け入れよう。そう、もう一度覚悟を決め、純也は宮原を見つめた。


しかし、宮原は俯いたままだ。

しまった。また困らせてしまったか。

そう思い、純也は、これで最後だ、と言い聞かせ口を開く。


「でもおれ、宮原と付き合えなくても、宮原のことは多分ずっと好きだから。だから…こないだみたいにまたその…死にたくなったり、海に入りたくなったら言って欲しい。絶対相談乗るから。」


これ以上ここにいたら泣いてしまいそうで、立ち上がる。


「……じゃあな。おれ、教室戻るから。」


そう言って純也が去ろうとした時。


「ま、待って!」


すごくよく通る声で引き止められた。

一瞬誰の声かわからなかったが、振り返ると宮原が泣きそうな顔で宮原がこちらを見ていた。

普段のか細い声とは打って変わった宮原の声に純也は驚愕した。

宮原が唇を震わせながら言葉を発する。


「な、長崎くんが、い、嫌なわけじゃなくて、にげたのは、すす、好きだって言われたことが、これまでなくて、びっくりして、どうしたらいいかわからなくて…。だから、嫌だとか、嫌いとかでもなくて…」


ぽろっ、と宮原の目から涙が落ちる。


こんなに感情を昂らせた宮原を見たのは初めてだった。


宮原の何かに怯えたような笑顔は常にクラスで見ていた。それはどこか作り笑いのようだった。

しかし、海で死にたいと泣いた宮原、今見せている宮原、これはどちらも宮原の本当の姿なのかもしれない。

心に闇を抱えている人ほど、他人に本音を話す時は感情が溢れ出して泣いてしまうと、精神科医である兄の純喜が前に言っていたからだ。

おそらく、宮原の今の言葉に嘘はないのだろう。きっと一生懸命どもってでも本音を話してくれたのだ。


純也は宮原の肩を支えながらゆっくりとまた椅子に座った。


「宮原…宮原はどうしたい?正直に話して」


純也の問いかけに、宮原は俯きながらゆっくり口を開く。


「側に…いたい。です。」


「え?」


「付き合うとか…よくわからないけど、側にいたい。い、いなくならないでほしい。」


ぽろぽろと数粒の雫が宮原の顔から落ちる。


彼女の本音に、純也も思わず泣きそうになる。


側にいたい、それだけで純也の胸は幸福に満ちていた。


何があっても、彼女を守ろう。


そう誓い、宮原を抱きしめた。


ホームルーム開始の鐘が鳴っても二人だけの時間は静かに、静かに続いていた。



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