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変化・1

「おはよー」


 ガラリと教室の扉を開けると、クラスメイトの目が一斉に香瑠に向いた。香瑠にも交友が全くないわけではないが少ない。だとしてもクラスメイトの目線は異様だ。


 事件を起こしたのが土曜日で、月曜日の今日になってすでにうわさは広がっているようだ。大都市近郊のこの地域でも、うわさが広がるスピードは予想以上に速いものだ。


「かおる、みられてるね」


「……学校では話しかけないで……」


 香瑠は天使様にボソリと呟くように言って、自分の机に向かった。

 机に突っ伏して、狸寝入りを決め込む。周囲のうわさ話が聞こえてくる。


「……母親殺したってマジ?」「あの子早生まれでしょ、三月。うちらの大半を殺しても罪に問われないよ……」「……親殺すのは無理だわ、どんな事情があったんだよって感じ」「カッとなってやっちゃったとか?うわ、怒らせないとこ……」


 様々な憶測と偏見と、多少の事実。聞こえかねない範囲でやる話題ではない。でも、狸寝入りしている間は「聞いていません」のフリをする。香瑠はとうの昔にその方向を決めている。


 ふと、肩を叩かれた。


「香瑠、大丈夫?」


 香瑠の親友、明日香(あすか)だった。明日香は元から鈍い節があったが、ここまでとは。


「殺人犯によく話しかけられるね」


「不問なんでしょ?それくらい知ってるよ。ねぇ、親がいなくて寂しいとか、生活に不便があるとか、大丈夫?」


 明日香は香瑠と目線を合わせようと、机に頬杖をついてしゃがんだ。


「今はホームに身を寄せてるし、特に不便はないかな。明日には家に帰るけど。まあ、障害がなくなったくらいの感覚でしかないんじゃない?てか、反抗期の子供にとっての親ってそういうもんでしょ」


「あっさりしてるねぇ……でも、寂しくなったらいつでも言ってよ?家に招待して、ママの料理食べさせたげる。ママは料理上手だから!」


 ふへ、と笑う明日香を、香瑠はふ、と微笑んで見つめた。明日香は親に愛されて、親に丁重に扱われて、親を愛している。親への無償の愛情がそこにある。


 対して、自分はどうだったろうか。親からの愛情はいつだって自分の出来次第。有償の愛情だ。それでも幼少期は愛されたいと願って、親に無償の愛情を向けていた。それが裏切られ続けて、やがて親に期待しなくなった。それでも親は香瑠に期待し続けて、香瑠はとうとう心を蝕まれ始めた。それを助けようともしなかったから、母親を殺した。

 この判断が正しかったのかどうか、香瑠にはわからなかった。


「かおる、かおる」


「何?」


 下校途中、天使様が香瑠に話しかけた。香瑠は電話をするふりをした。


「なんでくろいいたを、かおのよこにあててるの?」


「あぁ、これはスマホ。天使様と話してても、これなら異常者だって思われないし。人に見られてる可能性があるときは、天使様とはこうしながら話すから」


「ふうん。ねぇ、かおる」


「何?」


「せんせい?がはなしてるとき、ずっとねてたよね」


「大丈夫、教科書の内容は頭に入ってる。理解できないところは先生に聞きに行ってるし、テストの点数も平均点より高いから」


「かおる、にねんせいなんだね」


「あぁ、そうだね。私はまだ十六だけど、四月一日より前には十七になるし。後輩にはいつ殺されても文句言えないから。それも、私が歳を取れば取るほど、後輩が増えて、数が増えていく。罪に問われないならあっさり殺すかもしれない、私みたいに。だから、私は」


 香瑠は踏切の前で立ち止まり、目の前を高速で通り過ぎていく電車を眺めながら言った。


「老害にはならない」


「……ろうがい?」


 すでに電車は通り過ぎている。立ち上がる踏切を眺めて、安全を確認して香瑠は歩き出す。天使様もそれにすぅ、とついていく。


「まあ、自分の感情を制御できなかったり、自己利益を優先する大人のこと。子供は感情を制御することも、自己中心的なのも仕方がないと思うけどね。成長して、大人になったら、そのくらいの分別はついてほしいよね、ってこと」


「こどもは、ゆるされるの?」


「子供だからっていうより、未熟だから、かな。子供は何も知らない…天使様と同じような存在で生まれてくる。でも、天使様より好奇心が強くて、感情があって、それらをコントロールできないの」


 花田ホームが見えてくる。今日中に荷物をまとめなくてはならない。そもそも短期滞在だと分かっていたから、あまり散らかしてはいないが。

 洗濯された服が部屋の入口に置かれている。花田ホームは子供を受け入れる施設なので、家事は本人が希望する形である程度大人の手を借りることができる。職員はほとんどが女性で、女子の服の洗濯は女性の職員がする決まりがあるので特に不安に思ったことはない。


 たった3日。それだけで、この花田ホームの温かさが染み入るようにわかっていた。頭ごなしの否定はしない。むやみな肯定もしない。提案をしてくれる。適度な距離感を持って、子供に接しているとわかる。


「…お礼したいな…」


「おれい?」


「あぁ、うん、お世話になったし。でもそこいらに置けるものは困るよね…よし、食事の配膳くらい手伝う。天使様はまた私が一人になるまで話しかけないでね」


「わかった」


 香瑠が部屋の扉を閉めたとき、少しだけ風が吹いた。天使様の髪と服が、ほんの少しだけ揺れた。

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