nowadays
「ふう……」
玄関のドアを閉め、玄関からマンションの部屋を見れば、閑散としてどこか侘しい空間が広がっていた。一人暮らしなのだから、いつもこんなものだが、今日は特に侘しく感じる。周囲から見れば、人でなしと呼ばれてもおかしくない俺でも、少しは感傷的な気持ちになる時はあるらしい。
最近は色々な事が一度に起きて、目が回る忙しさだったので、活動的だった事との対比で、閑散とした空間に、侘しさを感じたのかも知れない。
五年前までどん底だった。一年前までは順調だった。
元々が極度の引き籠もり体質だった俺は、中一の一学期、部活を決める時に先輩の一人にくせ毛を笑われたのを機に、学校に行くのが怖くなり、それからズルズルと部屋に閉じ籠もるようになり、それは治る事なく、俺が三十になるまで、家の扶養家族として、親に面倒をみて貰う生活をしていた。
常々これを問題と捉えていた姉二人により、引っ越し費用などは出すから、と三十歳を機に家から出るように仕向けられ、強制的に一人暮らしを始める事になった。
最初の二年は何とか派遣の仕事を頑張ったが、それも体質的に張り切れる訳もなく、何となくズルズルと仕事に行かなくなり、姉から借金をする生活が続き、遂には二人の姉たちからも見放され、生活保護で何とか命を繋ぐ生活をしていた。
そんな時に出会ったのが小説投稿サイトだった。初めはアニメ化やマンガ化したライトノベルが、万年金欠の俺でも只で読める。と読み漁っている毎日だったが、段々と、自分でも書いてみたい気持ちが沸き起こり、スマホで書いて、投稿するのが日常となっていた。
折角だから、と応募出来るコンテスト全部に応募し続けていたら、有り難い事にとある出版社の目に止まり、俺の小説が出版される事となった。
同時にマンガ化もされた事で、それなりの人気を得た俺の小説は、その後アニメ化まで進んだ。ここが人生の絶頂だった。
アニメ化をしたのはそれなりの実績のある制作会社だったが、他に大作のアニメ化も平行していた事、出版社からアニメ化に際して提示された金額が少なかった事等々、様々な要因が重なり、俺の小説のアニメ化は見事に爆死。そのクールで最低評価が下され、それに伴い小説とマンガも打ち切りが決まった。
どうやって閉めるかと編集者と打ち合わせをしていると、父が危篤との報が入り、仕方なく家に戻れば、父は既に亡くなっていた。泣きむせぶ二人の姉たちを、それぞれの夫が慰める中、長男である俺が葬式の指揮を執る事となり、初めての事で葬儀会社の方とてんやわんやで葬式を終えたと思ったところで、一ヶ月後に母の訃報が届いた。
父の葬式にマンガの最終回に小説の最終巻、そして母の葬式と、やりきった事で燃え尽き症候群でも出たのか。いや、単なる老化かな。
リビングのソファに背を預け、天井を見遣る。しかし一息吐いたところで、このままでいる訳にもいかない。俺の味方だった両親はもういない。姉たちにまた援助して貰いながら生活する事も難しいだろう。この歳にこの性格で、また仕事を探すのも難しい。となると、生活保護の生活に戻る前に、また小説で一花咲かせなければならない。
有り難い事に、アニメ化の報の段階で、小説とマンガは重版して貰えたので、それなりの印税が入ってきて、少しの間なら生活する分には困らない。
両親の葬式でも、自分の小説の打ち切りでも、どこか他人事のようで、マンガ担当だったマンガ家さんが悔しさで泣くのを、姉たちが両親の死に泣くのを横目に、俺は次にどんな小説を書こうか? そんな事を考えていた。人でなしと揶揄されても受け入れざるを得ない。
◯◯◯◯.✕✕.△△
「う〜ん、やっぱり専門書は高いなあ」
ガラスケースに収められた本の数々には、下はお幾ら万円から、上は天井知らずの物が並んでいる。
「専門書としての価値と言うより、絶版で、もう手に入らないからの値段ですね」
ガラスケースを見詰めていると、この古書店の店主が、そう教えてくれた。まあ、世界に一冊しかないとなれば、それだけの値段になるか。
既に自分の手の中には、何冊かの本が抱えられている。今度の小説は古代日本を下地にしたファンタジー物にしようと思ってだ。これだけでも五万円を超えているが、必要経費と思って身銭を切る事とした。
古事記に日本書紀、風土記に日本霊異記と色々買い揃えるとなると、やはりそれなりの値段になる。だがまだ何かが足りない。と自分の中の何かが訴えている。
「! そう言えば、竹内文書みたいな、偽書関係は扱っていないんですか?」
ファンタジーにするなら、日本史に正確である必要はない。日本史の正史には書かれていない、偽書にのみ記載されているものを、敢えて出すのも一興だろう。
「そうだねえ。古史古伝についてなら、そのガラスケースの中にもありますよ。特別詳しいやつが一冊」
フランクな店主からそのように教えられて、またガラスケースの中に視線を戻す。それにしても、引き籠もり体質だった自分も、自身の小説がライトノベルとなり、マンガとなり、アニメとなるにあたり、他者とのコミュニケーションが少しは取れるようになったものだ。
「『古史古伝大集成』。これか」
分厚い。十センチはあるんじゃないか? お値段は……、
「二万五千円……。買えなくはない。けどなあ……」
悩む。一冊に二万五千円は高いよなあ。
「お勧めですよ。その本は昭和後期に出版されたのですが、その本にしか収録されていない、原本が消失してしまった古史古伝も収録されていますから」
商売上手な店主である。そんな事を言われては、買わずにはいられない。
「じゃあ、これを」
「はい。毎度あり」
店主がレジカウンターから鍵を持ってきて、ガラスケースの鍵を開け、『古史古伝大集成』を取り出すと、
「ああ!!」
悲鳴にも似た大きな絶叫が店内に響き渡った。思わず絶叫が上がった方、店の入口へと店主共々顔を向けると、背筋のピンと伸びた一人の老人が、こちらを指差して震えている。
「山下さん。こんにちは」
「いや、こんにちは、ではない! その本は私がいつか買うから、取り置きしておいてくれ、と言っていただろう!」
店主の知り合い、と言うよりは常連客なのだろうその老人は、フランクな店主の言動に腹を立てながら、こちらへズイズイと歩いてくる。その姿には老人とは思えない迫力があり、思わず一歩後退る。
「そう言われましても、こちらも商売ですからねえ。何年も買わずにただ眺めているだけの人と、即決でお金を払って下さるお客様とでは、態度も変わると言うものですよ」
店主はそう言いながら、レジカウンターへと戻っていく。俺はどうしたものかと思っていたが、店主がレジで手招きするので、そちらへ向かう事とした。
「ぐぬぬ。君は何者かね!?」
そんな俺と店主のやり取りをただ眺めるしかなかった老人が、不意に俺へ声を掛けてきた。
「俺ですか?」
「古代史の絶版本など、酔狂で買うものではないだろう? 何をしている者かね? どこぞの大学で古代史を教えているのか? それとも学者崩れか?」
何者かと問われると困る。しかし答えなければ、この老人は納得しないだろう。
「えっと、今は無職です」
「無職!?」
老人にとって予想外の答えだったのだろう。俺の姿を上から下までマジマジと見定めた後、
「その年齢でか?」
と不躾な問いを投げ掛けてきた。余計なお世話だ。と半眼になる。
「ああ、いや、済まぬ。事情は人それぞれだな」
俺の半眼に狼狽え、老人は前言撤回をした。そのしょぼんとした姿がちょっと可哀想になって、俺はちゃんと答えてあげる事とした。
「ちょっと前まではライトノベルの作家をしていました。でもそれが打ち切りになったので、今は無職です。それで次回作の参考にでも、とこの古書店にやってきたんです」
俺の答えに、老人は目を丸くする。そしてその目をどこか行き場なくうろうろさせてから、また理解出来ないとばかりに尋ねてきた。
「ライトノベルと言うのは、あれだろう? 十代を対象にした軽く読める小説だろう?」
ライトノベルを読まない人らしい。
「それはもう昔の話ですよ。今のライトノベルのターゲット層は、十代よりも上です。二十代三十代が主ですね。それくらいの人たちが、丁度ライトノベルを読んで育ってきたので、そのまま読み続けているので、主要なターゲット層となっています。マンガを子供の頃から読み続けて、大人になっても読んでいるのと同じ感じですね。勿論十代も読みますけど」
「成程。……しかし、軽く読む本なのに、わざわざこんな古書店まで足を運んで、希少本を手に入れる必要があるのか?」
…………。
「読者は莫迦じゃありませんよ? 確かにライトノベルは娯楽ですが、出来が悪ければ、当然金を払う事はありません」
「むむ。確かに」
納得してくれたらしい。まあ、俺の小説が、そんな高尚なものでない事も確かなのだが。
「では、七万八千円です」
俺と老人の会話が一段落したところで、店主がそのように声を掛けてきた。本は全て紙袋の中だ。
「あ、はい」
うう、痛い出費だ。アニメ化までしたお陰で、少しは名が売れたので、投稿サイトのPV数もそれなりに稼げている。今なら、出版社からお声掛けもあり得る。今度の小説で再起を願いたい。
「ま、ま、待ってくれ!」
紙袋を持って店から出ようとしたところで、老人がまた声を掛けてきた。
「まだ何か?」
「その本を、読ませてくれないだろうか?」
「はい〜?」
何を言っているんだ? と懐疑的な視線を送ると、老人は綺麗な直角のお辞儀をしていた。老人のお辞儀……、ぶっちゃけ引く。
「いや、いきなりそんな事を言われましても……」
「この通りだ!」
老人が更に土下座に移行しようとしたところで、俺は慌てて止めに入った。
◯◯◯◯.✕✕.△△
「日本史の教授、ですか?」
「うむ。大学で日本史を教えている」
場所を近くの喫茶店に移し、互いに自己紹介をした。そしてこの老人、御年八十三歳の山下肇さんが大学で日本史を研究、講義をしている事が判明した。それで余計に分からなくなった。
「何でそれで、偽書、古史古伝の本に固執しているんですか?」
日本史を研究しているのなら、正史を研究するのが筋だろう。
「うむ。古史古伝、神代史、太古史、超古代史、偽書の類にも様々あるのだ。現在偽書とされている先代旧事本紀も内容の一部は本当だと言う学者もいる。一概に偽書であるからと、その全てを闇に葬る事は出来ないのだ。特にその『古史古伝大集成』の中には、既に散逸して無くなった偽書の内容が多く含まれている。それらを正史とされている日本書紀や各風土記などと比較する事で、当時の日本の有り様の一端が分かる可能性も少なくない。そもそも執筆年代の書かれていない古事記もまた偽書とする者もおり……」
「あ、はい。もう大丈夫です」
どうやら相当な熱量で古代日本史と向き合っている人らしいが、老人にこれ以上血圧を上げられて、そのままぽっくりいかれても困る。俺が途中で話を遮った事で、山下さんも自分がヒートアップしていた事に気付いたらしく、今度はしゅんとして眼前のコーヒーを啜って大人しくなっている。
「貸すのは問題ありません」
「本当かね!?」
俺の言葉に反応して、立ち上がる山下さん。しかし流石にこれは周囲からの注目を引いたらしく、その視線に山下さんはまたもしゅんとなって席に座り直した。
「本当かね?」
二度目だ。別に内容を独占したい訳ではないので、貸す事に抵抗はない。日本史の専門家なら、希少本を手荒に扱う事もないだろう。それに、
「この『夢幻に霞む古代日本』の作者ですよね?」
俺が取り出したのは、先程の古書店で買った別の本だ。その作者の一人が山下肇となっている。
「おお! そうだ! そちらも買ってくれたのだな!」
何でか嬉しそうだな。古書店で買ったんだから、印税は入らないだろうに。
「その本も既に絶版になっていてな。古書店にでも足を向けないと、手に入らんのだ」
成程。理由はあったのか。自分の本を見た山下さんはとても嬉しそうだ。そう、嬉しそうだ。嬉しいものなのだろう。俺の本も、ほんの二、三年もすれば絶版になるだろう。それでも、誰かが見付けてくれたなら、嬉しいのかも知れない。
「この本を貸すのは構わないのですが、その代わりと言うには図々しいですけど、俺の執筆の手伝いを少しして頂けませんか? 暇な時で良いですから」
「そんな事か。それくらい手を貸す事は惜しまん。我々は同士だからな!」
山下さんの中では、既に俺は同士認定されているらしい。
「古代日本を舞台にした小説を書くのだったな?」
「ええ。定番ですけど、ヤマトタケルを現代的な解釈で再構築して、主人公にしようかと」
俺の説明に鷹揚に頷いてから、山下さんは首を捻る。
「私は小説にはてんで詳しくないので、質問させて欲しい。ヤマトタケルを主人公にするのは頷ける。古代史で主人公にするなら、ヤマトタケルかスサノオ、それかオオクニヌシが定番だろう。それで、ヤマトタケルを現代的な解釈で再構築とは、どのようなものだろうか?」
まあ、当然の疑問だろう。う〜ん、まだ内容は固まっていないんだよなあ。
「例えば……」
「例えば?」
「ヤマトタケルを女体化するとか?」
「女体化? ヤマトタケルを女性にするのか?」
「はい」
真剣に古代日本を研究している人からしたら、怒られるかな。と恐る恐る山下さんの顔色を窺う。が山下さんは怒るでもなく、何とも微妙な顔をしている。
「駄目ですかね?」
「駄目と言うか、ヤマトタケルは記紀でクマソタケル征伐において、女装をしているからな。それがただ女性に置き換わっては、逆にパンチに欠けるのではないか?」
「成程?」
言われると納得してしまう。女性としてクマソタケルに取り入るよりも、女装して取り入る方が、物語的に面白い。女性だったら普通に感じてしまうな。
「となると、男の娘か」
「オトコノコ? まあ、確かにクマソタケル征伐の頃のヤマトタケルは、まだ少年期であったようだが……」
「いえ、男のムスメと書いて男の娘と読むんです。見た目は女の子にしか見えないけれど、れっきとした少年を、そのように呼ぶ風習が、ライトノベルやマンガアニメなどの界隈にはありまして」
「ほう……?」
まだ理解しきれていないようだけれど、山下さんはどうやら一先ず納得してくれたようだ。
その後も古代日本を舞台にするにして気を付けていなければならないところや、ファンタジーとするので、ここそこは大胆に変更しよう。等々、山下さんとの話は尽きなかった。
◯◯◯◯.✕✕.△△
それからだ。山下さんとの付き合いが始まったのは。山下さんは実地研究を大事にしている人だったらしく、本に出てきた場所に出向いては、そこの神社やお寺、祠等に足繁く通い、宮司や坊さんに話を聞いたり、森や海に沈んだ祠を見付けては、あれやこれや思索する。そうして新たな知見を研究にアウトプットしていくのが、山下さんの研究方針だった。
何故そこまで俺が分かったのかと言うと、事あるごとに、山下さんに誘われて、俺も日本各地へと出向くようになったからだ。
「はあ。まさか俺がこんなあちこちに旅するようになるとは思わなかったな」
新幹線で出雲大社のある島根に向かう道中で、ぼそりと呟く。
「そうか? 日本は縦に長い国だからな。地方によって特色がまるで違う。本とにらめっこしているだけでは分からない事が、現地に赴く事ですぐに解決する事も少なくないぞ」
横で三個目のお弁当を食べながら、俺の呟きを耳にした山下さんがそう応える。
「はあ」
それはそうなのかも知れないが、しかしこの老人は良く食べる。食べるのもそうだし、良く歩く。背筋はピンとしているし、歩くのも俺よりも早いので、付いていくのが大変だ。これで八十を超えていると言うのだからたまげたものだ。俺より長生きしそうである。
「そんなんだから、欲しい本が買えないんですよ」
「余計なお世話だ」
俺たちはそんな事ばかりしていた。これは絶対だが、山下さんのお陰で、俺の小説は当初の想定よりも早く出版社の目に留まり、今現在は出版に向けて編集者との打ち合わせや改稿の段階だ。
俺ばかりが山下さんの影響を受けた訳ではない。当初ライトノベルやマンガアニメにまるで興味のなかった山下さんだが、俺が勧めると疑う事なく興味を持ってくれて、今では電子で雑誌や単行本を買い、今クールのアニメを十本以上追うまでになった。
そうやって作家と学者と言う垣根を超えて、互いに影響を与え合いながら、時に笑い、時にケンカし、時に肩を組んで酒を酌み交わす日々は続き、まるで同年代の少年のようなやり取りをしながら、俺たちは旅をしてはその地のあれこれを調査し、家に戻れば最新のマンガアニメにライトノベルに触れる。
そうやって月日は矢の如く過ぎていき、出版された俺の小説がマンガ化され、小説も四冊目に入り、一回目とは別の制作会社からアニメ化のオファーが来た頃の事だった。
お風呂で脳梗塞となり、そのまま……だったそうだ。
棺桶に納められた山下さんは、まるで旅館で寝ている時と変わらないように見えた。もう起きないなんて信じられなかった。信じられなかったのに、涙が止まらなかった。
山下さんも余り人付き合いが得意な方ではなかったらしく、通夜にも葬式にも、親族以外で駆け付けたのは、俺と古書店の店主だけで、その中でも泣いていたのは、親族でもない俺だけだった。俺だけが周りが引く程大泣きして、良い大人が子供のように泣きじゃくり、それを周囲が横目に冷ややかに見ていた。
山下さんは凄かった。山下肇は凄かった。日本史に対する造詣が深く、情熱を持って仕事を遂行する人だった。許せない。誰もこの偉大な人をそこら辺の通行人のように、一般人のように扱うのが許せなかった。
だからって俺に出来る事は限られている。書く事だけだ。有り難い事に、山下さんは生前に遺言を遺していたようで、山下さんが所有していた数々の本は全て俺に贈与された。親族から異論は出なかった。本の価値に気付いていなかったからだ。そして俺は書き続ける。山下さんが遺した遺産でもって、山下さんと過ごした旅から得た知見でもって、俺が創れる、俺に出来得る最高の物語を書くのみだ。