兄・翼:「お兄ちゃん」
お兄ちゃんになるのよ、と母に言われた時の事を、翼は今でも覚えている。
弟だろうか妹だろうか。弟なら、一緒にサッカーとかできるかもしれない。妹なら、おままごとに付き合ってあげてもいい。弟が良いなぁ、とは思ってたけど。どっちにしろ楽しみだった。
翼の父は、家庭に興味が無いようで、母はいつも文句を言っていた。それを聞くのは、いつだって翼の役目だった。母は父への文句をつらつらと並べたあと、翼を褒める。
良い子ね、翼は。可愛い可愛い私の子。いっつもお母さんの味方してくれるもんね。何でも出来る、私の自慢の子よ。
それは期待で、呪いだった。幸いにして、努力すれば帰ってくるだけの才能はあった。だから、何でも出来るように頑張った。母がサッカーを勧めたから、サッカーをした。努力を重ねエースになった。勉強も手を抜いたことはない。ずっとずっと百点を取り続ける。でも、自分を見て欲しいっていう気持ちは押さえられなくて。
──だから、弟妹がいたら、純粋に自分の事を愛してくれるんじゃないかなって、思った。
生まれたのは妹だった。朝も昼も夜も泣いていた。「良く泣くね」と言ったら、翼も同じくらい泣いてたわよ、と言われた。手を差し出せば指をきゅっと握って来た。その時、兄として妹を守ろうと決意した。
──決意、していたのだ。その時は。
すくすく妹は育った。どうやら妹は、手の掛からない子供らしい。トイレが出来るようになるのも、ご飯を自分で食べれるようになるのも、自分はもっと遅かったらしいから。
それが、一番最初に、ざらつきを覚えた時。
それでも妹は可愛かった。年齢差があって、一緒に遊ぶ事なんてほとんど無かったけど、それでも妹は自分を慕ってきたから。心の空白が埋まる気がした。
妹は幼稚園に入ったころ、翼は小学校二年生になっていた。父親の事を話題に出さないようにすれば、毎日は平穏だった。
だった、のに。
父が妹に辞書を与えた。衝撃だった。
──なんで?俺はこんなに頑張ってるのに、こっちを見ない癖して栞ばっかり。
母は妹の話ばかりするようになった。翼がサッカーで活躍しても、テストで満点をとっても、「そんなことよりお兄ちゃんなんだから栞の面倒を見なさい。」と。これ以上どうしろと言うのだろうか。栞が、母の思う理想の女の子じゃないのは自分のせいだと?
あんなに家に帰ってこなかった父は、帰って来るようになった。栞のために。栞自身は、本に夢中だった。
──サッカーのエースで居られなくなったのは、それから少しの事だった。
母が次に妊娠したときはもう、期待なんてしなかった。どうせ、栞と一緒で自分から離れていくのだ。
それでも翼は頑張った。妊娠中不安定な母を支えた。
──なんで栞は、母さんが妊娠してるのに父さんと遊んでるんだ。
冷たい怒りが、どろどろと腹の奥に溜まっていくようだった。
「そもそも赤ちゃんがいること自体初めて知ったんだけど!?」
妊娠してることすら知らないなんて、思いもよらなかった。
「……栞はさ。父さんに似てるよ、本当に。」
大好きだった。だから、愛されたかった。
でも、こっちを見なかった。
二人は、似ている。本当に。
ちょっと訳分かんない感じになりかけたので翼視点挟みました。
前提として、栞は「信用できない語り手」というか、栞視点で書けるのはあくまで栞の考えです。それと同じで、翼視点で書けるのは翼の考えです。例えば徹が本当に翼に興味が無いのかは、徹にしか分かりません。
翼は、四月生まれなので他の子たちより成長が早いです。低学年の頃は、その違いが顕著でした。でも、大きくなるにつれてそれだけではトップで居続けることは出来ません。翼は、選ばれた側では無いので。