父の仕事場
母が爆発してから数日。あれから、母と兄は私を腫れ物のように扱っていた。本当に会話がない。
その上、幼稚園でウイルス性の風邪がはやり始め、大事をとって、一時休園になった。こんな空気の家にずっと居るのはしんどい。早く再開してくれないかな、と思った。
──けど。父は言った。
「風邪が流行って幼稚園が休み?ならば大学に来てみるか?」
「っ、いく!」
渡りに船というか。父としては、いつか連れてくつもりだったのか。まぁそんなわけで私は、父の運転する車で大学に来た。
父に抱き上げられ、キャンパスに一歩踏み込みぐるりと周囲を見回す。かなり驚いた。辺りは男の人ばかりだし、そこら辺で煙草を吸っている人がいる。昭和だ~!
「タキせんせ!」
たんたんたん、となんかもさっとした学生が駆け寄ってきた。あ、タキ先生って父のことか。三滝だからかな名字が。
「ザキ君がいい加減に研究室を片付けろって、あれ?その子は?……まさか誘拐!?そんな……尊敬出来る人だと思ったのにロリコンだったなんて……はわわ。」
「娘だ。」
「三滝栞です!お兄さんのお名前は?」
「浦野康一です。……にしてもタキ先生って既婚者だったんですね。」
以外、というように、浦野さんが私を見た。そんなにか?まぁ家庭的な人では無いけども。
「でも先生、今日講義ありますよね?」
「そうだな。」
「えぇ……栞ちゃん、静かに出来る?」
うーん、幼女に目を合わしてお話してくれる所が高ポイント。真っ当な心配ではあるけどね!でもまぁ、
「出来るよ!楽しみ!」
なんとも言えない目で見てきた。うん??
「やー……理解出来ないと思うよ……うん。」
「構わん。本でも与えとけば良いだろう。」
「まぁそれなら……。」
父の今日の講義は一般教養で、『教養としての宇宙物理学』という講義らしい。私は、浦野さんの隣に座った。最前列だ。わくわく。
「……138億年前、宇宙は始まった。」
父の、静かだが良く通る声が響く。ビッグバン、138億年前、カツカツとチョークの音を立てながら黒板に書いた。
「我々がそれをしったのは、ごく最近のことだ。人類の歴史からしても、ましてや宇宙の歴史からしても。」
父の声は、不思議な魅力があってよく耳に残る。家では私に色々教える時くらいしか声を発しないから、今までは気付かなかったけど。
宇宙の始まり。
一瞬のうちに膨張し、時間ができ、晴れあがり、光が真っ直ぐ進むようになって。
「──今日の講義はこれで終了だ。出席表は浦野に渡しておくように。」
気付けば90分経っていた。学生たちが一斉にざわざわと動き出す。誰かが椅子を倒す音もした。真っ先に出席表を出して教室の外に駆けだしていく人もいる。
「静かに出来てて偉かったね、栞ちゃん。……どうだった?」
「面白かったよ、凄く。」
「えっ?」
父は、とても宇宙が好きなんだなって思った。だって、あんなに熱が篭もった口調なのだ。
「来てよかった!」
家で過ごすより、よほど有意義な時間だと、自信を持って言える。良い、一日だった。