氷の廃村
夏の暑い日だった。飛竜の谷は森が近く、例年はそれほど暑くならないはずだが、今年は格別に暑い。
「そもそも谷底にあるのだからもっと風が吹いてもいいと思わないか?」
隣の宿の主人は、冷えたスイカを食べながら庭に種を飛ばしていた。
大の大人が4人、盥に水を溜めて足を冷やしながらスイカを食べているところだ。朝から氷室に貯めていた食料の整理をしていた。八百屋もないし、一番近い魚屋は駅馬車を使わないといけない距離にあるというのに、俺が滞在している三宿の氷室には向こう3年くらいは食べて行けるだけの保存食があった。
「今年は、山屋が各地の土産を買って来てくれるから、全然消費しなかったんだ」
そう言えば、何かと買って帰ってきていた。俺としては新鮮な野菜を食べたいとか、旬の魚は皆で食べた方が美味しいだろうという考えだったが迷惑だったか。
「買わない方がよかったか?」
「いや、そんなことはない。一人、ここを拠点にしてくれると食糧事情がまるで変わるって話さ。今年は買い出しに行く必要もないだろう」
毎年、小麦などを買いだしに行くらしいが、行商人から買い取った分があるし、僅かな菜園で作った芋も豊作だったので炭水化物としてはそれほど必要なくなった。
「そう言えば、氷室と言えば、昔氷漬けになって潰れた村の氷室がダンジョン化した話を聞いたんだが、あれは本当か?」
「村が氷漬け?」
「ああ、秋に降った雨で洪水になった村が、復興できないまま冬に氷漬けになった話だろ? 氷室をダンジョンにしても、たかが知れてる」
「それがさ、氷漬けになった果物が今頃樽の中でワインになってるんじゃないかって噂になってるらしい」
宿の主人たちはどこから情報を得ているのか知らないが、筆まめな人たちなので、いろんな場所に知り合いがいる。洪水で潰れた村の話は嘘ではないだろうが、氷室の果物がワインになってるというのはホラ話だろう。
「で、その氷室のダンジョンは攻略されてるんですか?」
「攻略されてるだろう。知りたければ冒険者ギルドで確認してみるといい」
「確かに……」
俺はスイカを食べて種を庭に吐き出し、立ち上がった。
「行くつもりか?」
「廃ダンジョンなら行かないと」
俺は準備をして、とっとと出かける。夏の暑さもなぜか気にならなかった。
町まで行って冒険者ギルドに氷漬けにされた廃村のダンジョンについて聞いてみると、確かにその場所では氷室がダンジョンになったらしい。
「でも、5年前にはすでにダンジョンも潰れてますね。僧侶がダンジョンマスターとなり、氷室を墓所に変えて水害の死者の魂を鎮めていたんですが、僧侶が老衰で死んで以降、誰も引き継いでいないと思います。山屋さんの好きな廃ダンジョンですよ」
ギルド職員にすら俺の趣味は知られている。
「果物がワインになってるという噂が立っているらしいんだけど」
「ホラ話ですよ」
「だよな」
「行くんですか?」
「ああ、暑いし氷室で納涼してくる」
「ドラウグルや骸骨に気を付けて。一応、雪男の目撃情報もあります。十分に対策をしておいてください」
「わかった」
町でトウガラシ袋を作っておく。たいていの魔物には粉にしたトウガラシをぶつければ、時間を稼げる。教会で聖水も購入。竹筒の水鉄砲も雑貨屋で買った。水鉄砲は子どものおもちゃとしてではなく、農薬や魔物除けの薬を散布するためにも使う。
廃村までは途中まで駅馬車で向かい、山道を登っていく。恰好が登山家なので、特に怪しまれることもない。橋が崩れていたので、靴とズボンを脱いで川を渡り、再び山を登る。
獣道になった山道を進み続け藪をかき分けていくと、廃村があった。
信じていないわけではなかったが、もう少し時間がかかるかと思っていたので、見つけた瞬間はちょっと感動がある。家々は水没したから壁や屋根にも苔が生え、草木が家を貫いて伸びている。
水害があったのはかなり前だ。歪んだ鉄鍋はプランターのようになっている。
ただ、ところどころ耕作放棄地があるのだが、野生化した野菜が実っていた。数年前にダンジョンマスターの僧侶が育てていたものだろう。果物の木もたくさんあり、そこかしこで蜂が飛び回っている。豊かな山だ。
廃ダンジョンは廃村の先にあった。
氷室らしく三角屋根の入り口があり、奥は洞窟に繋がっているらしい。最近では知らない若者もいるらしいが、氷室は魔法が発展していなかった時代、雪や氷を貯蔵することによって食料などを夏まで保存しておく施設だ。
入口は鎖でカギがかけられていたが、あっさり開錠。開けるとすぐに骸骨があった。村の人が自分が死んだことを受け入れられずに出ようとしていたのか。とりあえず、遺体は袋に詰めておく。
ランプを点けて、中に入ると入口付近の部屋は罠だらけだった。中は村人の死体だらけで、冒険者や魔物の死体はない。
「鎮魂のためと言うよりも、外に出さないためにあったのか」
事故や災害で亡くなった人たちは、どうして自分が死ななければならなかったのかと現世を彷徨うことがある。
コンコンコン、ピシュ!
毒が噴出したのかと思ったら、氷魔法の魔法陣が仕掛けられて、一瞬魔法陣の周りが氷に覆われた。幸い、俺は魔法を使えないし、魔力が必要な道具もほとんど持っていないので被害はなかった。もし、魔法使いが入っていたら氷漬けにされていたかもしれない。
「珍しい罠だな。元氷室らしい」
氷魔法の罠は床にも設置されていて滑って転びそうになる。すべて解除していくが、なんとなくもったいないのでスクロールに魔法陣を転写させておきたい。ただ、スクロールなんて持ってきてないので空の袋に転写できないかやってみた。保冷バッグの完成だ。
「やればできるもんだ」
だからと言って、なにか特別なものを入れるわけではない。このダンジョンのものはほとんど腐っているだろう。
コンコンコン、ボコッ。
壁を叩いていたら、隠し扉を見つけた。ピッキングをしなくても蝶番が壊れていたので、ピッケルの頭を突き入れて、てこの原理でこじ開けた。
扉の向こうは樽だらけ。しかも保存状態がいい。
「重いな」
樽の中は液体が入っているらしい。ワイン樽だとしたら小さいが、山の中で持ち運ぶことを考えると、このくらいではないと無理なのか。一つ、持ち帰ってギルドで鑑定してもらおう。
扉を戻して、奥へと進む。部屋に棚が並び、瓶詰のジャムやピクルスなども出てきた。
ダンジョンは奥に行けば行くほど冷えているので、食べられるかもしれない。鮭の干物や鹿の干し肉なども吊るされている。誰も取っていかなかったのだろうか。
最奥でボス部屋らしき広い部屋に行きついたものの、雪男の着ぐるみが壁にかかり、さらに奥には死霊術の魔法陣などが描かれた黒板や祭壇などがあった。
村人のために鎮魂していた僧侶が住んでいた場所だろう。
僧侶が使っていたランプに火を灯し、記録書を見てみると、死者が勝手に動き出すと書かれていた。
「村人はまだ自分が生きていると思っていて、まるで黄泉の国へ向かわない。今でも仕事へ向かい、保存食を作り続けている……?」
保存食は死者が作っていたのか。鍵が内側からもかけられていた理由がわかった。
記録書の最後のページには僧侶の感想が書かれていた。
「趣味は生きているうちに楽しめ、仕事を趣味にすると死んでからも大変だ」
俺は仕事が趣味になっているのか、趣味が仕事になっているのかわからない。氷の廃村の予備軍だ。
俺はダンジョンを出て、周辺で実っていた野菜や果物を、最奥の祭壇にお供えしておいた。
冒険者ギルドに樽を持って行くと、やはりワインでかなり美味いらしい。すぐに回収のための冒険者たちを向かわせていた。死者が作ったワインかもしれないので、俺は遠慮しておいた。




