15 運動エネルギー(Kinetic energy)
「……、わかった。その挑発、乗ってやるよ」
「決まりだね。では、健闘を祈るよ」
エンゲルハートが再び、挑発的な笑みを浮かべる。その笑顔は冷笑に満ちており、部屋の空気がピリリと張り詰めた。
「待ちなさい!」
須黒が突然、毅然とした声で言った。彼女の中に秘められた情熱と決意が一気に噴き出したかのようで、言葉が空気の振動となって鋭く部屋中に響いた。
「私も参加するわ……」
(さっきと言ってることちげえじゃねーか……)
「はぁ?お前は忙しいんじゃなかったのかよ」
「だっておもしろくなってきたんだもの。それに、私もちょっとムカついてんのよ」
須黒は微笑んでいたが、その瞳の奥には怒りの色が浮かんでいた。彼女の静かな怒りは、表面下で煮えたぎる溶岩のようだった。
「それはいい。まとめて潰した方が手間が省ける」
エンゲルハートが冷たく言い放つ。その言葉には、自信と傲慢が滲んでいた。
「口だけは達者のようね。そこの男ども二人だけなら勝機はあったかもしれないけど、私が加われば申し訳ないけど勝つのは無理よ」
須黒は冷静に、しかしその言葉には確固たる自信が込められていた。王者が宣言するかのような風格だ。
「島国の小娘が僕に勝つ?笑わせるな。多少、頭の回転が速いからって大陸から来た天才のこの僕に勝てる道理なんてないさ」
エンゲルハートは鼻で笑い、見下すような目つきで須黒を見つめた。その態度は、まるで勝利が既に決まっているかのようである。
「せいぜい恥をかかないようなものを作ることね」
須黒は挑発を返し、その姿勢は戦場に立つ女戦士のようだった。
「ククク、この大学に来て退屈ばかりだったけれど、少しは楽しめそうだ」
エンゲルハートが不敵に笑う。その微笑みは、獲物を見定めた猛禽のごとき冷酷さを帯びていた。
「それで?お前は一人で参加するつもりなのか?」
俺は一瞬の沈黙の後、その眼差しを捉え、問いかけた。俺の声には、隠された挑戦と冷静な観察が混じり合う。
「当たり前さ。君たちごとき僕一人で十分さ」
「その傲慢が仇とならないことを祈っている」
「では、そろそろ失礼するよ」
エンゲルハートが去ろうとする。その背中には、勝利を確信した者の余裕が漂っていた。
「待て」
「まだ、何かあるのかい?」
エンゲルハートが身を翻し、再び鋭い視線をこちらに向ける。
「せっかくだ、賭けをしよう」
「賭け……?いいだろう。何を賭ける?」
「俺たちは科学者なんだ。負けた方が、勝者に自分の研究データを提供するっていうのはどうだ?」
この大学では、研究データは何よりも価値があった。近未来のこの時代、データは単なる情報ではなく、資源そのものだった。科学の進歩が加速度的に進む中、個々の研究者が集めたデータは新しい発見の糸口となり、技術革新を引き起こすカギとなる。データを提供することは、単に知識を共有するだけでなく、他者の研究を大きく前進させる可能性を秘めていた。特にこの大学では、研究データが市場価値を持ち、交換されることで新たなプロジェクトが生まれることも少なくなかった。だからこそ、研究データを賭けるという提案は、単なる勝負を超えた重みを持っていたのだ。
「なるほど……、女王の研究データとなるとかなり価値がある……。よし、それでいい」
「決まりだな」
「ちょっと、何勝手に私をだしに賭けなんてしてるのよ。私は別にいいけど」
須黒が軽く肩をすくめ、その態度は彼女の自信を物語っていた。
「では、今度こそ失礼させてもらうよ。僕をがっかりさせないでくれよ」
エンゲルハートは振り返ることなく、その背中にはどこか孤高の獅子のようなオーラを纏い、ドアの向こうへと消えていった。
やつが去った後には、深い静寂とともに、その存在感の余韻が部屋に漂っていた。




