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俺は今、病院のベッドに寝ている。
戦場をかけまわった頑丈な身体も、病には勝てないようだ。
「ドクター、まだ生きてるか?」
一緒に従軍していた兵士の一人が俺を見舞いに来た。口は悪いがこうして俺の世話をしてくれている。
あの時、キャプテンを助けた俺は、ずいぶんと株を上げた。
しかし同時に、頼りになる軍医という、あまりうれしくない称号もいただいてしまった。だが、せっかく株を上げて皆の中での地位も高まったのに、それを放棄するわけにも行くまい。
俺はそれから、ムキになって連中を助けた。
助けてやると、俺を神様みたいな目で見るのが気持ちよかったことも、助けに行った理由である。連中は俺を頼りにし、いろいろと便宜を図ってくれたり手に入りづらいものを持ってきてくれたりした。
俺は隊の中で、キャプテンと並ぶくらい尊敬されるようになった。
だからこそ、こうして病気になった今も、面倒見てくれる連中がいるのだ。
「どうやら、まだ迎えは来ない。早いところ、来てもらいたいんだが」
「バカいっちゃいけねえな。あんたにはまだ、カードの貸しがたっぷり残ってるんだ。死ぬならそれをきちんと払ってからにしてくれよ」
「ああ、そうだな。だが、もうカードをするのは無理のようだ。俺が死んだら少しだけど保険がおりる。それでカンベンしてくれ」
「ち、弱気になりやがって。からかい甲斐がねぇ」
ヤツは口を尖らせてそっぽを向く。
不器用ながらもヤツなりに励ましてくれたのだろうが、俺の方にそれに応えるだけの元気は、もう残っていない。あきらめたというよりは、疲れたといったところか。
俺は心の底で、こいつらを見下していた。助けてやることで俺を尊敬させ、ちやほやされることを喜んでいた。けが人なんて俺の人気を高める道具だとさえ、思ったこともある。
そして、その通りになり、こうやって皆に慕われて。
俺はなんだか、虚しさを感じていた。
誰も俺の本心に気づいていない。自分たちが騙されてることを知らない。俺が本当はご立派なドクターなんかじゃないってコトを、誰ひとり疑わずにいるんだ。
カッコつけて、虚勢を張って、見栄を張って。
俺に残ったのは、結局そんな虚しさだけ。
俺の人生は、なんだったんだろう?
誰かの目を気にして、偽りの人生を歩んでしまったのだろうか。
トントン。
病室のドアがノックされた。
ヤツが俺の代わりにドアを開けると、ずいぶんと懐かしい顔がそろっている。隊の連中だ。なかには俺が初めて戦場に出たときの、あの兵士たちも混じっている。今じゃ、やつらも古株だ。
「よう、汚い顔をそろえて、どうしたってんだ? 俺の死に様でもからかいにきたのか?」
やつらの顔を見たら不思議と元気が出てきて、俺はそんな軽口をたたいた。連中は屈託ない笑顔を浮かべて、俺の周りに集まってくる。
「ドクター、あんたが病院にいるなんて、なんだかおかしな話だな」
「おかしなもんか。俺だって人間なんだぞ」
俺がおどけて答えると、一人がまじめな顔で口を開いた。
「いや、あんたは人間じゃない。俺たちにとっては神様みたいなものさ。戦場で動けなくなり死への絶望に震えている時、必ずあんたが飛んできて俺たちを救ってくれた」
別の男がうなずいて、言葉を引き継ぐ。
「普通なら絶対に死ぬと思っちまいそうなときも、俺たちだけはいつも希望をつないでいた。何とか生きていれば、あんたが必ず飛んできてたちどころに治してくれるってな。確かにあんたは幸運のシンボルだったよ」
俺は照れくさいのを、軽口でごまかす。
「こんな爺じゃなくて、幸運の女神ならよかったのにな?」
「それじゃあ、だめだ。女は奪い合いになるからな」
誰かがそう言い、みなが笑った。
俺はなんだか申し訳なくなってしまった。だってそうだろう? 俺は自分がカッコつけるために、打算でやつらを助けてたんだ。それなのにこいつらは、こんなに俺を信頼し、慕ってくれているんだぜ?
なんだか、ひどい裏切りをしている気分じゃないか。
笑いやんだところで、俺の口から、自然に言葉がでてきた。
「俺はさ、戦場にいるのがすごく怖かったんだ。今でも戦場の光景を思い浮かべるだけで、吐き気がしてくるほどさ。ホント、なんど医者を辞めようと思ったかわからねぇよ」
「だが、あんたはいつだって俺たちを助けてくれた。あの勇気は本物だ」
俺は、思わず笑ってしまう。
「勇気なんて気の利いたもんじゃない。あれは虚勢だ。俺はええカッコしいだから、てめえがビビってるコトを認めたくなかった。臆病者と思われたくなかった。それなのに初めての戦場で、いきなり小便を漏らしちまった」
あの時のことを知っている連中はにやりと笑い、後から知り合った連中は、ぽかんと口をあけている。若いひとりが、驚いた顔で言った。
「ドクターが、戦場でびびって小便を漏らした? 嘘だろう?」
「本当だ。ここにいる古株の連中は、みんな知ってるよ。その時に俺が当時キャプテンと呼ばれていた男に助けられ、それでも虚勢を張ってビビったことを認めなかったって、みっともない話も全部な」
若い連中が古株の顔を見ると、みな、ニヤニヤと笑っている。
「俺はみんなの前でカッコつけたかっただけなんだよ。いや、今だってそうだ。本当は死ぬのが怖くて仕方ないのに、こうして平気なふりをしてるんだ。ただカッコつけてるだけで、本当は臆病なのさ」
連中は、しかし、優しい顔で俺を見る。
「ドクター、それでもあんたの勇気は本物だ。虚勢だろうがウソだろうが、あんたは自分の命も顧みずに俺たちを助けてくれたんだ。そして、その勇気が今こうして俺たちを生かしてるんだ」
俺は、その言葉をかみ締めた。
「だけど……俺は心のそこから助けてやろうって思ってたわけじゃない。助けに行く自分の姿に酔ってただけなんだ。幸運のシンボルなんて、そんな気の利いたものじゃないんだよ」
「関係ないって」
誰かが言う。するとみながうなずく。また、誰かが言う。
「俺たちが必要としてたのは、俺たちを救いたいなんて崇高な精神じゃない。実際に医療かばんを持って駆けつけてくれる、あんた自身だったんだ。心なんてクソの役にも立たないものじゃなくて、な」
「心底心配されたって、それが銃弾から俺たちを守ってくれるわけじゃない。痛みと苦しみの中、あんたの顔を見て声を聞いただけで、俺たちはひどく安らげたんだよ」
なんてことだ。
俺は、泣いていた。
泣きながら、キャプテンが俺を助けてくれたときの、心の底からの安堵を思い出していた。俺は、カッコつけて、打算いっぱいで、皆にえらそうにしたいから、やってただけなのに……
「いいかい、ドクター」
「…………」
「俺たちは、国のために戦ったんじゃない。愛する家族や仲間のために。そして、俺たちを助けてくれるあんたを守るために戦ったんだ」
「おまえら……」
「あんたが生きていること。それは、俺たちの誇りでもあるんだ」
俺は心の底から、涙を流した。
そうか。カッコつけでよかったのか。
何を思ったかじゃなく、何を成したか。
彼らは最初から、それで評価してくれていたんだ。
「俺の人生は、無駄じゃあなかったんだな」
俺は泣きながらつぶやいた。
すると。
「無駄なわけないだろう! どれだけの人間の命を救ったんだ! あんたがいなきゃ、何人死んでると思ってるんだ? あんたが誰に何を思ったってかまわない。だけどな」
ひとりが、泣き笑いしながら言った。
「あんたの生き様をバカにすることは、俺たちが許さない。たとえそれが、あんた自身であってもだ」
俺の心は、蒼天のように晴れ渡っていた。