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君が失った21g  作者: 結城雫
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感情論じゃ語れない3

間違えるはずがない。それは僕が音楽の授業中に描いていた譜面の一部だ。そして、それが僕の探していたものに他ならない。

「私、作曲はしたことが無いから分からないのだけど、阿久津君が自身の曲を手描きしていた証拠にはなるんじゃないかしら?」

手描きしていいた証拠…というか彼女の指摘からもう逃げることはできない。僕は諦めることにした。

「降参するよ。それは僕が描いたんだ。」

「ふーん、まぁここまでくれば言うしかないわよね。」

僕が何を言っても思っても、彼女にはその全てがお見通しだ。占い師に心当たりがあることを指摘され続けているような…不思議な体験をしているような…。いや違う。僕は彼女に弱みを握られ、推理と推測から同意せざる負えない状況に追い込まれたのだ。故に終わりが正しければそれは僕がいくら否定しようが無駄になる。

「僕からも質問いいかな?」

「どうぞ」

「どうして僕が描いた落書き…オリジナルの曲の譜面を長篠さんが持っているの?」

些細な質問、しかし、一番大切な質問でもある。これを聞いた後、長篠明美は不敵に微笑んだ。

「席替えしたときに私の机に入っていたのよ」

あぁ…終わった、これ以上にない喪失感が僕を襲う。


ピアノをしている、楽譜を書いている、これが僕の隠したかったことであり中学一年から隠していたことだった。小学校の嫌な記憶が一瞬にして頭をよぎる。どうしても忘れたい過去…考えたくもない最悪な記憶…



“失敗してしまった過去”である“



それは担任のたった一つの提案から始まった。

「阿久津君、五年生最後の合唱祭、阿久津君にピアノを頼めるかしら?」

僕のいた小学校では四年生から大きな区民ホールを貸し切って『合唱祭』と呼ばれるものの参加が義務づけられていた。そこでは各クラスが一曲課題曲を決め、それをみんなでパート分けをして歌うというものだった。そこで欠かせないのが指揮者並びにパートリーダー、そしてピアノを演奏する奏者だった。小学校5年の時、僕は担任の先生から直々に頼まれたのだ。断る理由は無かった。

「分かりました」一瞬戸惑いもしたが僕は奏者になることを決めた。僕のいた5年2組はピアノを習っている女子や楽器屋の息子、ギター経験者といった『音楽経験者』が8人いた。だからこそ、そのイベントにかける熱量は独特なものだった。

「これ六年おいて優勝できるんじゃね?」「ここのパートにアレンジを入れよう」

「●●君と○○君、ここのアレンジを一緒に練習しない?どうかな?」

「××ちゃん達のコーラス綺麗だね」

言い出したらキリがない。前向きな言葉と温かい言葉であふれていたのだ。そう、音楽経験者を含め、クラス全員が前向きにそしてひた向きに練習に取り組んだのだ。小説や漫画でよく見るような女子が男子を注意する。男子が女子を馬鹿にする。そういったものが一切見られなかったのだ。

僕が適当に演奏する理由は当然ない。クラスの熱量を無駄にしないためには僕の練習が不可欠だ。来る日も来る日も僕は練習し続けた。ミスするはずが無かった。


ただ、練習をしすぎたことが仇となってしまう。当日の朝、僕は手の甲、いや、根本だったかもしれない。奇妙な痛みを覚えることになった。よりにもよって当日の朝になってからだ。疲労による若干の痙攣ならまだしもそれは右手の小指と中指を伸ばし切ったときにたしかに感じる痛み。


これのせいだった。たった一音、本番でミスタッチをしてしまった。否、指の痛みから届かなかったのだ。すぐに体制を整えようと次の音へ指を伸ばす。しかし、焦りからそれも間違う。何度も何度も練習した場所、だけど僕はその二つの音のせいで何もできなくなった。手の痛みから…いやそれは建前だ。頭で処理できなかった、僕の弾く手は自然と止まった。会場にはクラスメイトの歌声だけが響いていた。幸か不幸か、ラスト付近だったためすぐに合唱は終わった。会場ではどよめきが一瞬起こったが、すぐさま拍手へと変わった。僕にとってはどこまでも虚しい拍手喝采であった。


それから数日後、僕は小学校を休んだ。たった二音の失敗から学校へ行くことを拒否させたのだ。それでも僕はピアノが、音楽が好きだった。だから僕は通っていた音楽教室『Shelly音楽教室』へは足を運ぼうとはしていた。

「先生…こんにちは」

「あら、こんにちは」当時、お世話になっていた芹沢先生は合唱祭のことは知らない。合唱祭前に出されていた課題の部分を引こうといつものように鍵盤に手を置いた。その瞬間、絶え間のない震えがひじから手へと伝わった。

「…弾けません」

歪む視界、震える手、気持ちの悪い汗が体中から噴き出すのを感じる。出来るわけがない。


あの日から、ミスタップした二音から僕の音楽は止まり続けている。そして、それは今も変わらない…


「長篠さん、一つ訂正。僕はピアノを弾けることを隠していたわけじゃないよ。ピアノを弾くことが出来なかったから誰にも言わなかっただけなんだ」

僕の言葉に少し不思議そうな表情を浮かべている。いきなり理解できる症状じゃない。それは僕が一番よく分かっている。だけど、僕のレベルではうまく伝えることもできない。

「小学校の頃、たった二つの音の失敗をしてから鍵盤に手を置くと震えて引けなくなって…ほら、なんか行事とかで出来るってなったらこの奇妙な症状を話しても誰も信じてくれないし馬鹿にされるだけでしょ?」

ピアノを弾けるようで弾けない今の現状が僕にとっては一番恥ずかしいことだった。それでも…

「阿久津君はそれでも音楽は好きなんでしょ?」

「それは…」

言うまでもない。嫌いなはずが無い。小さい頃から僕にある唯一の趣味であり、特技だったもの。取り返せるならなんだってしたいと思う。

「これも簡単な推理よ、ピアノを弾けるのにそれを隠して、それでもあなたは楽譜を書いてる。書いても弾けない楽譜を描いたの。何か目的があるか、それほどもまでに熱中しているかとしか考えられないわ」

「長篠さんには敵わないな…」

嫌悪感を抱くまでに的を得ている。僕にとってこの落書きは“リハビリ”だ。ピアノが弾けない今、治ったときに好きな音楽を、旋律を弾けるように曲を作ることしか思いつかなかった。これでしか僕は音楽とピアノと繋がることを許されなかった。再び訪れる沈黙、それを打ち破ったのはまたしても長篠明美だった。


「それじゃあ私が“阿久津君がピアノを弾く理由”になってあげる」


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