最後の夜
時間はあっという間に過ぎ去った。驚く程今まで通りな時間は早すぎるくらいで、実感がない。
明日、自分が死ぬという実感が。
桃花さんが作ってくれた寝る前のココアを飲みながら、窓から外を見上げた。今日は満月だったと思うけど、残念なことに雲が多く見えなかった。残念だ。最後くらい月を見たかった。
昨日よりもちびちび飲んだココアも、あと一口ぐらいしか残っていない。諦めて飲みほして、椅子から立ち上がってキッチンまで移動した。
「ご馳走さまでした」
「ふふ、お粗末さまでした」
ここでいつもは「おやすみなさい」と言って別れる。でも、今日は言わなくちゃいけないことがあった。私は一度深呼吸してから「桃花さん」と声にだす。
「どうかしたの、優愛さん」
「いつも美味しいご飯とかお洗濯に、お掃除とか綺麗にしてくれてありがとうございました。いっぱい優しくしてもらって、嬉しかったです」
嘘偽りない心からの感謝の言葉。短い間だったけれど、沢山お世話になった。これだけじゃ足りないけれど、でも言い過ぎるとバレちゃうかもしれないから。
「……お礼なんていいのよ。私がやりたくてやっていたことだもの」
ゆっくりとした動作で、私と目線を合わせた桃花さん。手を伸ばして優しく頭を撫でてくれる。
「優愛さんが家に来てくれて、私とっても嬉しかったのよ。貴女のおかげで桜也がいつも楽しそうだもの。私はあの子をあんな笑顔にさせてあげられなかったから。……それに私ね、娘が欲しかったの。だからお礼はいらないわ」
「……桜也が、楽しそう?」
「えぇ、あの子は昔から熱がなかったの。つまらなさそうと言った方が、わかりやすいかしら」
確かに、原作で出てきた頃の桜也はそんな感じだった。
生徒会長で不良達のトップ。けれどそこに力を入れているような感じではなかった。洋太にも成り行きでやっている、といったような話をしていた記憶がある。
そんな彼が鍵を巡る戦いに興味を示すのはわかるけど、私と関わって桜也が変わるなんてことあるのだろうか。桃花さんの勘違い?
「だからあの子の傍に、ずっと家にいていいのよ。大丈夫だから」
見透かされているような言葉に一瞬固まるが、誤魔化すように笑った。バレるわけないんだから堂々としよう。
「……桃花さん。おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
涙を堪え、部屋に戻るために階段を上る。一段一段ゆっくりと足を進めるけれど、すぐに上がりきってしまう。
部屋に戻らなくちゃ。そう思って部屋へと続く廊下の先を見れば、私の部屋の前に誰か立っている。もちろん一人しかありえない。
「……さくや」
「ねぇ、優愛。今日は一緒に寝よう」
耳を疑う。聞き間違いかな。
「ごめん。もう一回お願い」
「今日一緒に寝よう。優愛」
ゆっくりと私に近づいて、その二本の腕で軽々と私を抱き上げた。私は一般的な子どもぐらいの体重があったはずだ。でも桜也は表情をピクリとも変えずに、穏やかな笑みのまま私を自身の部屋へと運ぶ。
抵抗は出来た。足や腕をばたつかせたり、大きな声を出したり。私は出来た。
でもしたくなくて。なぜだかこうやってずっとしてほしくて。されるがままになる。
桜也の部屋の真ん中には布団が一組敷いてあった。前見た時にあった机と座布団は端に避けてある。旅館などと同じようなシステムだ。
私は目をこすってもう一度確認する。布団は一組しかない。
「一緒に寝るの……?」
「そう言ったよ」
てっきり布団を隣り合わせてとか、そういうのを想像していた。文字通り一緒の布団で寝ることだとは思わなかった。
私の体を床に下ろし、先に布団に入る桜也。掛け布団を少し持ち上げて、私が入ってくるのを待つ体制になる。
今なら逃げられる。けど明日の自分を想像すれば、体はゆっくりとそこに向かう。
明日私は死ぬんだ。だったら最後の日くらいいいだろう。
布団に入る。いくら私が小さいとはいえ自然とくっつく形になる。自分と同じシャンプーの匂いにこんなにドキドキするなんて、思いもしなかった。
「優愛」
「……ど、どうしたの?」
「何か……。いや、暖かいね。優愛」
「うん。桜也とっても暖かい。ホカホカだね」
いま桜也は何かを聞こうとしていた。もしかしてバレたのかもしれない。だからいつも通り子どもらしい満面の笑みを浮かべる。確信を抱かせないように。桜也に気づかれないように死ぬために。
桜也はギュッと私を抱きしめる。さっきから凄い音を立てる心臓。もうとっくにバレていそうだ。しょうがない、ずっと大好きな作品の中の人で、転生して死ぬしかなかった私を助けてくれた生きている人だもん。しかも顔面もいい。これでドキドキしない人は鋼の心臓すぎる。
「……おやすみなさい。桜也」
「うん、おやすみ」
目を閉じれば少しづつ意識が沈んでいく。寝れないかもしれないと思っていたけど、大丈夫そうだ。
――簡単に眠れるのなんて、当たり前か。この世界で誰よりも信用できる人の傍だし。
こうして私の夜は終わる。
「大丈夫だ。優愛」
彼の独り言が耳に届く前に。




