ヤミサクラ
ヤミサクラ。
桜のような花を咲かせる樹木の一種。
外見は染井吉野に似ているが、
ヤミサクラの花は条件が合えば一年中咲くことができる。
地中深くに根を張り、伸ばした根から新たな芽を出して繁殖する。
近年、急速にその生息域を拡大しているという。
春。4月下旬。
花が芽吹くというには少し遅い時期。
恋人同士の若い男女二人が、花見に行くことになった。
本来はもっと早い時期に行くはずだったのだが、
お互いに忙しく休みが合わなかったこともあって、
この時期になってしまったのだった。
そうして夕方、都市部の小さな駅。
駅の規模の割には混雑している中で、
その若い男は、恋人である若い女の姿を見つけて声をあげた。
「おーい、こっちこっち!」
恋人の声を耳にしたその若い女はキョロキョロと辺りを見回して、
その若い男の姿を見つけると、表情を明るくした。
それから混雑する人の間をすり抜けるようにして、若い男の近くへやってきた。
「ごめんなさい、待った?」
「いいや、僕もさっき着いたところだよ。」
「思ってたよりも人が多いわね。
この人たちもお花見をしに来たのかしら。」
「ああ、そうだろうね。
この駅からすぐ近くに川が流れていて、その川沿いに桜並木があるらしいんだ。
歩きながら桜並木で花見をして、上流のもっと大きな町で夕食にしよう。
少し歩くことになるけどいいかな?」
「ええ、大丈夫。」
「よし、じゃあ行こうか。」
そうしてその若い男女は、まずは桜並木があるという川を目指して歩き始めた。
春の太陽が西に傾いて、間もなく日没という頃。
その若い男女は、お互いに手をつないで、
楽しそうに歓談しながら歩いていた。
その若い女が首を傾げて、その若い男に尋ねる。
「もう4月も下旬ね。
お花見には少し遅くない?
桜がまだ残っていると良いのだけれど。」
するとその若い男が胸を張って応えた。
「それは大丈夫。
この辺りではソメイヨシノはもう散ってる頃だけど、
でも、今から見にいく桜はまだ満開らしいんだ。
それどころか、一年中いつでも咲いてるんだそうだよ。」
「まあ、そんな桜があるの。なんて品種?」
「えーっと、なんて言ったっけ。
ヤミサクラ、だったかな。
特に、夜になるときれいな花を咲かせるんだって。」
「夜にきれいな花を咲かせるから、夜に見る桜で夜見桜かしら。
素敵ね。」
「ヤミサクラの字がどんな字なのかはわからなかったんだけど、
君が言うならそうかな。
きれいなだけじゃなくて、癒やし効果もあるらしい。
知る人ぞ知る穴場なんだよ。
・・・ほら、もう見えてきた。」
そう言って若い男が指差した先、
川に沿って桜並木が姿を現してきたところだった。
その若い男女が待ち合わせの駅から少し歩いた先、
道がひらけた場所が川辺になっていて、
その川辺に沿ってヤミサクラの桜並木がひろがっていた。
もう4月下旬なのにもかかわらず、
ヤミサクラの桜並木は散るどころか七部咲きといったところ。
桜並木はちょうど見頃で、花見客でいくらか混雑していた。
夕闇に染まる桜並木を目にして、その若い女が感激して声をあげた。
「まあ!本当に桜が満開ね。
ちょっと暗くなってきたけれど、夕焼けに照らされた桜がきれい。
こんなに桜がきれいなのに、あんまり混んでないのもいいわね。」
「知る人ぞ知る穴場だって言っただろう?
いくら桜がきれいでも、人混みでは楽しさ半減だからね。
空いてそうな場所を探しておいたんだ。」
「それはうれしいわ。
でも、どうして空いてるのかしら。
こんなにきれいな桜並木が、今みたいに遅い時期でも見られるのなら、
もっとたくさんお花見の人が来てもよさそうなのに。
ここって、そんなに不便な場所でもないわよね?」
「う、うーん、そうだなぁ。
言われてみれば、どうしてだろう。」
春の遅い時期でも満開の桜並木が見られる。
しかも、都会から遠くない場所とあれば、花見客でごった返しそうなもの。
それがどうして、気にならない程度の混雑で済んでいるのか。
いくら考えても答えはわからなかった。
その若い男は頭を振って、その若い女に向かって笑顔で返した。
「考え事は後にしようか。
せっかくこうして二人で花見に来たんだからね。
そうそう、ヤミサクラには癒やし効果があって、
木に触ると嫌な気持ちや思い出が軽くなるそうだよ。
さっそく試してみないか。」
「それもそうね。
せっかくお花見にきたのだから、桜を楽しみましょう。」
そうしてその若い男女は、考え事をするのを一旦止めて、
ヤミサクラの木へと近付いていった。
「ほら、こっち。ヤミサクラの木を触ってみよう。」
その若い男が、恋人である若い女の手を引いて、
二人一緒にヤミサクラの木に手を添えた。
通常、桜の木に触れるのは無作法といわれるが、
このヤミサクラに限っては、触ると癒やし効果があるということで、
その木に触れてもいいことになっているようだ。
現に周囲では、ヤミサクラの木に手を添えている人たちの姿が見受けられた。
同じようにその若い男女がヤミサクラの木に手を添えてみる。
すると、心なしか、
気持ちがふっと軽くなったような気がしたのだった。
誰しも、心配事の一つや二つはあるもので、
何をするにしてもそれは、
頭の片隅に蜘蛛の巣が張ったように居座っているもの。
それが、ヤミサクラの木を触っていると、
頭の片隅にある心配事が、さらさらと崩れるようにあいまいになっていく。
心のどこかにある重りのようなものが、軽くなっていく気がする。
ヤミサクラの木がもたらしてくれるその感覚に、
その若い女は目を閉じてうっとりと身を任せていた。
「・・・なんだか、気持ちが楽になっていくわ。
まるで、ヤミサクラの木がストレスを吸い取ってくれてるみたい。」
その隣で、その若い男も安らかな顔になって言う。
「・・・そうだね。
ヤミサクラに癒やし効果があるとは聞いてたけど、
まさかここまで実感できるほどとは思わなかったよ。」
そうしてその若い男女は、ヤミサクラの木に手を添えたままで、
しばらくうっとりと時を過ごした。
コーヒーを飲み終えられるほどの時間が経って、
その若い男女はようやくヤミサクラの木から手を離した。
軽くため息をついて、ふと頭上のヤミサクラの花を見上げる。
すると、心なしかその花が少し黒ずんだように見えたのだった。
それからその若い男女は、川沿いを歩きながら、
ヤミサクラの桜並木で花見をすることにした。
二人とも、もっとヤミサクラの木に触っていたかったが、
せっかく花見に来たのだからということで、
名残惜しくもヤミサクラの木から離れたのだった。
今はお互いにその手をつなぎながら、川の上流にあるという町を目指して、
ヤミサクラの桜並木の下を歩いている。
その若い女が、桜並木を見上げながら言葉を漏らした。
「夜に見るヤミサクラの桜並木がとてもきれいね。
それにこうして歩いていると、なんだか花が増えて、
だんだんと満開に近付いてるみたい。」
その若い女の言う通り、ヤミサクラの桜並木は、
川の上流へいくにしたがって咲いている花が多くなっていった。
川の下流の駅の近くでは七部咲き程度だったのが、
上流に行くにしたがって、八部咲き、九分咲きになっている。
その若い男もそのことに気がついて、首を傾げている。
「ああ、そうだな。
川の上流にいくほどヤミサクラの桜が咲いてるみたいだ。
どうしてだろう、日当たりのせいかな。」
「でも、川の上流に行くにしたがって、背の高いビルが増えてるわ。
むしろ日当たりが悪くなってるんじゃないかしら。
それに・・・」
「それに?」
その若い男のオウム返しに、
その若い女は口元に手を当てて気味悪そうに言った。
「あのね。
なんだかヤミサクラの桜の花が黒ずんで見えるような気がするの。
さっき私たちが触った桜を覚えてる?
あの花も、私たちが触った後で黒ずんだような気がしたの。
でも、今ここにあるヤミサクラの桜の花は、もっと黒ずんでるみたい。」
それは、その若い男も気になっていたことだった。
ヤミサクラの木に触れて癒やし効果を得ると、桜の花が黒ずんだ気がした。
川の上流に行くにしたがって、ヤミサクラの桜並木が咲き乱れ黒ずんでいく。
気のせいかはたまた何かの都合なのか。
その理由を、その若い男女は間もなく知ることになる。
ヤミサクラの桜並木が続く川沿いを進むことしばらく。
川沿いの建物が、徐々に大きな町の建物へと変わっていった。
背の高いオフィスビルが建ち並び、低層部分には商店が軒を構えている。
そんなビルの向こうには、もくもくと煙を吐く工場の煙突がそびえ立つ。
もう太陽はとっぷりと暮れて、夕飯には遅い時間になっているが、
目の前のオフィスビルも工場も煌々と明かりが灯っていて、
そこではまだ大勢の人たちが働いているのがうかがえる。
美しくも厳しい都会の夜景が広がっていた。
そして、その町を貫くように川が通り、
川沿いにヤミサクラの桜並木が続いていた。
町を通るヤミサクラの桜並木はまさに満開で、
黒ずんで煤けたヤミサクラの花が咲き乱れていた。
「・・・何、あれ。」
すると、町を通る川沿いのヤミサクラの並木道を見て、
その若い女は驚いて口を覆いながら言った。
川沿いの桜並木を少し進んだ先、
そこでは、町の人たちがヤミサクラの木に群がって列をなしていた。
列をなす町の人たちの表情は皆一様に虚ろで、
目の下に真っ黒な隈が溜まり、頬はげっそりと痩せこけていた。
それが、ヤミサクラの木にしばらく触れていると、
隈がいくぶん薄くなって、目に微かな生気を宿して蘇るのだった。
その度に、頭上のヤミサクラの花が黒く咲き乱れていく。
まるで人がヤミサクラに養分を運んでいるかのよう。
その様子を見て、その若い男が眉をひそめて応えた。
「きっと、あの町の人たちは、
溜まったストレスをヤミサクラに吸ってもらってるんだ。
ヤミサクラのおかげで、町の人たちは、
遅くまで働いていてもストレス解消ができてるってところか。」
「それか、ヤミサクラが人を養分にしてるのかも。
・・・あれを見て。」
その若い女が地面の端を指差す。
そこには道路の舗装面を突き破るようにして、木の根が顔を覗かせていた。
たくましく伸びた木の根からは、新芽が芽吹いているのがわかった。
その若い女が、木の根に芽吹く新芽を見ながら言う。
「植物ってね、養分が多い場所で多く育つの。当然よね。
それだけじゃなくて、
時には自分に都合がいいように環境を作り変えたりもするのよ。
大きな木の幹に蔦が絡んで繁殖したり、
植物が美味しい実を実らせて動物に食べさせるようにね。」
その若い女が言わんとすることは、その若い男にも理解できた。
人がヤミサクラの木に触れて癒やし効果を得るというのは、
あくまで人から見た場合のこと。
人以外から見れば、ヤミサクラが人を養分にしているのと変わらない。
もしかしたら、ヤミサクラは人を利用し養分にして、
繁殖しようとしているだけなのかもしれないのだ。
川の上流の町へ近付くにしたがって、ヤミサクラの花は黒く咲き乱れていった。
それも、養分を運ぶ人間が町に多いことを考えれば自然なこと。
ヤミサクラの木に触ると癒やし効果があるのではなくて、
養分を吸い取られていただけなのかもしれない。
人間がその身に溜める養分が多くその人数も増えるから、
だから、川の上流の町に近付くにつれて、
ヤミサクラが満開になっていたのだとしたら。
美しい風景を見ていたはずだったのに、
足元の石をひっくり返して虫を見つけてしまったような、
きれいな花の葉の裏にびっしりと卵が張り付いているのを見つけたかのような、
そんな気味の悪い感覚。
さらにその若い女は、駄目押しのようなことを口にせずにはいられなかった。
「私、ヤミサクラって聞いて、夜に見る桜で夜見桜だと思ったの。
でも、もしかしたら違うかも。」
「・・・暗闇に咲くから、闇桜?」
「あるいは、人を養分にするから病桜かも。
いずれにせよ、知る人ぞ知る穴場になるわけよね。
こんな光景を見たら、とても他人におすすめできないもの。」
お互いの推測にその若い男女は身震いする。
それからその若い男女は、とても悠長に食事をとる気にもなれず、
手早く簡単な食事を済ませてから、
早々に解散し帰宅してしまったのだった。
ヤミサクラ。
人に癒やし効果をもたらし、人を養分にする、桜に似た花。
疲れた人が多い市街地などでその生息域を拡大しているという。
人々が桜の花見をして楽しんでいる時、
その桜の中にもヤミサクラが紛れ込んでいるかもしれない。
終わり。
自然の恵みという言葉をよく耳にします。
しかしそれが恵みなのかは、受け取った人の主観であって、
自然の方は恵みのつもりがないどころか、
人を利用しようとしているだけかもしれない。
そんなことを考えて、この話を作りました。
ヤミサクラの木に触れると、ストレスや心配事が楽になります。
一見、人間に有益なもののようですが、
実際にストレスの原因や心配事を解決してくれるわけではないので、
せいぜい酒程度の効果か、
あるいはもっと質の悪いものである可能性もあります。
嗜む程度で止めた若い男女のやり方が正しかったのかもしれません。
お読み頂きありがとうございました。
2022/4/25 訂正
本文
第6段落23行目
(誤)いやし効果
(正)癒やし効果