聖女の住む町 ~巻き戻りの終わった人生を、癖の強い町民と共に~
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誤字報告も大変有難いです。
私、多田野美咲は時間が巻き戻ることで同じ1年を繰り返していた。
その回数、27回。
けれど、つい数秒前に魔王が倒れたことで、巻き戻り続ける時間はようやく終わりを告げた。
周囲では、魔王を倒した討伐隊の面々が一斉に歓声を上げ、近くの者と熱い抱擁をかわしている。旅半ばで命を落とした者へ弔いの涙を流す者もいた。
歓声を上げる人々を眺めながら、私は目的の人物を探す。
隊の中心に立つ、一際目立つ金髪の青年。
魔王にとどめを刺したヨーク国第三王子、エドワード殿下だ。
王子という立場でありながら、率先して魔王討伐の為に立ち上がった勇敢な人である。
今は激戦の直後で、軽傷とは言えない負傷もしているが、表情は達成感に満ちていた。
共に戦った討伐隊の面々にねぎらいの言葉をかける殿下を、少し離れた場所からじっと見つめる。二度と会うことがなくても、その顔や表情を忘れないように、しっかりと。
しばらくそうしていたが、そろそろ頃合いだろう。
私は皆に気づかれないよう、懐に忍ばせていた紙を手に取った。この紙には、国王陛下に用意してもらった転移用の魔法陣が書かれている。
転移といっても、日本に戻る為のものではない。
これは、今いる世界の指定した場所へ転移するための魔法陣だ。
そもそも、この世界に召喚された私は、もう二度と元の世界へは戻れないらしい。
身寄りの無い身だったこともあり、元の世界に戻れないことについては既に割り切っている。
私は今からこの魔法陣を使い、この場から立ち去る。
そして、聖女という肩書を捨て、転移先でこの世界の住人として新しい人生を歩むのだ。
今まで関わった人達から身を隠し、誰も私を知らない場所で。
魔王討伐を達成するまで約1年。
27回その1年を繰り返した私からすれば、途方のない時間を過ごしてきた。
このまま転移すれば、その長い時間共にいたエドワード殿下や、討伐隊の人達とも会うことは無くなるだろう。
ふと寂しさが込み上げそうになるが、離れがたくなる前にと、私は魔法陣に手をかざした。
すぐに魔法陣はぼんやりと光りだし、少しずつ私の体を包み込んでいく。
転移発動まであと数秒。
再び隊の中心に目を向けると、不意にエドワード殿下と目が合った。
その瞬間、何回繰り返しても変わることのなかった気持ちが溢れだす。
「ずっと……好きだったなぁ」
小さく呟いた私の声は、誰の耳にも届かなかった。
けれど、抑えていた気持ちを吐露したら、不思議と気持ちが軽くなった気がする。
そう思うと、自然と私の表情は綻んだ。
そうこうしている内に段々と私の体は光に包まれて、周囲の景色もぼんやりと薄れていく。
光に包まれた私を見て、殿下の目が大きく見開かれた。
どうやら、時間が来たようだ。
————さようなら。
心の中で別れを告げ、
完全に光に包まれた私は、
誰に告げることもなく、
そのままその場から姿を消した。
————ことの始まりは、私が魔を祓う聖女として、異世界であるこの世界に召喚されたことから始まった。
魔王にダメージを与えるには、魔王の魔を祓わなければならない。
その魔を唯一祓えるのが、聖女だった。
聖女の素質を持っている人物として、私は大国であるヨーク国に召喚されたのだ。
召喚されたことに慄いて、召喚された理由を聞き、出来るわけが無いと大いに取り乱したのは言うまでもない。
なんせ私は日本で普通に大学生活を送っていた一般人だったのだから。
けれど紆余曲折あり、聖女であることを受け入れた私は、第三王子エドワード殿下率いる魔王討伐隊と共に旅へ出た。
そして、召喚されてから1年。
ようやく魔王と対面し、決死の覚悟で戦っている時だった。
目の前で『ある出来事』が起きた時、最初の巻き戻りが起きたのだ。
召喚直後————つまりは、この世界に召喚された日に巻き戻された私は愕然とした。
なぜなら、私以外は巻き戻る前の記憶が無く、この1年で築いてきた人間関係や全ての事が無かったことになっていたのだから。
信じられないと絶望し途方に暮れた。
……けれど私は何とか思い直した。
私には1回目の記憶がある。
魔王討伐の旅で、どんな危険が待っているのか、前もって知っているのだ。
その記憶があれば仲間の怪我や死といった危険も回避できるだろう。
人間関係はまた築き上げていかなければならないけれど、大体の人となりは理解しているのだから、最初よりは難しくないはずだ。
そう思い直してやり直した2回目の魔王討伐の旅。
仲間の怪我や死、危険の回避も上手くいき、人間関係も前回以上の信頼関係を築くことができた。概ね順調にことが運んだといえるだろう。
けれど、一つだけ上手くいかなかったことがある。
それがエドワード殿下との関係だった。
唯一、エドワード殿下との関係だけは、1回目と大きく異なってしまったのだ。
そもそも一回目とは違う行動を取っているので、全て同じようにはいかないのかもしれないけれど……。
そうして少しずつ1回目とは異なった状態で迎えた2回目の魔王との決戦。
再び時間が巻き戻り、召喚直後に戻された私は、1回目以上の絶望を味わったのだった。
それから、何度絶望したことだろう。
何度も巻き戻る時間に、心が折れそうになる。
終わりのない時間に閉じ込められることへの恐怖。それに、大切に思っていた人が、巻き戻ることにより他人になることへの悲しさ。それは思ったより精神的にきついものだった。
どうせ私を忘れてしまうなら、最初から深い関係を築かない方が良い。
いつしか私は、そう考えるようになっていた。
転機が訪れたのは、時間の巻き戻しが15回目となった時だ。
誰にも悩みを言えず、1人で苦しんでいた私を王妃殿下が心配してくれたことがきっかけだった。
「ミサキ。あなたに元気がないとエドワードから聞いているわ。魔王討伐に付き合わせてしまっている立場で聞くのはおかしいけれど、何か悩みがあれば教えてちょうだい」
あなたの力になりたいの、と優しい声で尋ねる王妃殿下。
一人で色々と悩んでいた私は限界だった。
受け入れられるか分からないが、誰かに今の状況を聞いて欲しい。
そう思った私は、王妃殿下に今の状況を打ち明けることにした。
「……王妃殿下。私は、何度も同じ時間を繰り返しているのです」
既に15回。召喚されてから魔王討伐の日までの時間を繰り返していること。
時間が巻き戻る事を止めようと頑張っているが、止められず悩んでいること。
拙い私の言葉に、王妃殿下は驚きながらも茶化さずに耳を傾けてくれた。
「驚いたわ。まさか同じ時間を繰り返していたなんて」
「……信じてくれるんですか?」
「あなたが、そんなに悩んでいるんだもの。冗談とは思えないわ」
完全に信じてくれたのかは分からないが、否定されなかったことに私は思わず涙ぐむ。
「今まで一人で悩んで、大変だったわね……」
背中をさすり慰めてくれた王妃殿下は、色々と融通を利かせるためにも、国王陛下に話したほうが良いとアドバイスをくれた。
エドワード殿下にも話すことを勧められたが、それに関しては思うところがあり、私は頑なに拒否をした。
その後、国王陛下にも悩みを打ち明けると、陛下は王妃殿下と同じく私の話を受け入れてくれた。
「しかし、魔王との戦いの最中に時間が巻き戻るのか。やはり魔王の力だろうか……」
顎に手をやり、国王陛下はううむと首を捻る。
「魔王の力なのかは分かりません。けれど、時間が巻き戻る切っ掛けはあります」
私の言葉に、国王陛下と王妃殿下はこちらに目を向けた。
「ほう……切っ掛けがあると?」
「はい。ある出来事が起きると、必ず巻き戻りが起きるのです。毎回その出来事が起きないように、手を尽くしてはいるのですが……」
「その切っ掛けとは、何かしら?」
2人が、興味深そうに聞いてくる。
もったいぶっている訳ではないけれど、私はその『出来事』について話すことを少し戸惑った。
話せば国王陛下達の気分を害してしまうかもしれない。
けれど黙っているわけにもいかず、私は小さな声でその出来事について口を開いた。
「それは……エドワード殿下の死です」
国王陛下と王妃殿下が息を飲んだのが分かった。
繰り返しの原因。それが息子の死だというのだから当たり前だろう。
エドワード殿下に時間が巻き戻ることを伝えないのも、これが理由だった。
誰だって「あなたは近い将来死にます」だなんて、言われたくないはずだ。
「エドは、魔王討伐で命を落としてしまうの?」
王妃殿下が震える声で、私に尋ねる。
「……エドワード殿下は魔王との戦いの最中に命を落とします。けれどそれと同時に時間が巻き戻るので、命を落とした先の未来があるのかは...…私にも分かりません」
エドワード殿下が死ぬことで時間は巻き戻るのだ。
つまり、殿下の死を正すために時間が巻き戻っているのではないかと私は考えている。
だから実際には殿下が死ぬという未来は無いのかもしれない。
「私は、個人的にもエドワード殿下に死んで欲しくないのです。だから、殿下が命を落とさないように、色々と手を尽くしてはいるのですが……」
1回目は、魔王の放った炎のブレス。
2回目は、手先の魔物の毒。
3回目は、魔王の物理攻撃によるダメージ。
その後も様々な理由で、殿下は命を落としている。
ブレスが当たらない様に、毒に犯されないように、物理攻撃が当たらないように……。
色々な手を使い、殿下が死なないように動いてきた。けれど、どんなにそれらを回避しても、前回とは違う理由で唐突に殿下の死は訪れるのだ。
「もう、嫌なんです。目の前で殿下が死ぬのを見るのは……。なのに……」
はらはらと涙をこぼす私を見て、国王陛下と王妃殿下は顔を見合わせた。
そして2人は優しい微笑みを私に向ける。
「ミサキ。あなたは、エドのことをとても大切に想ってくれているのね」
王妃殿下の言葉に上手く返事ができなかった。
けれど、返事がないことが答えとなった。
「あなたが想っていることを知ったら、きっとエドは喜ぶわ」
嬉しそうに話す王妃殿下は、本当に殿下が喜ぶと思っているようだ。
けれど私はそうは思えなかった。
時間の巻き戻りが起こる前……つまりは最初の時間でその言葉を聞いたなら、私は素直に喜んでいただろう。
なぜなら最初の時間では、私とエドワード殿下は、実際に想いを通わせていたのだから。
最初の魔王討伐の時、共に旅をするうちに私達はお互いに惹かれ、そして恋に落ちた。
『私はミサキを愛している。けれど、魔王を倒すまでは聖女と一国の王子としての立場を守ろう。だから、魔王を討伐した暁には、私の婚約者として……側にいて欲しい』
今でも忘れないあの幸せな約束は、魔王との戦いの最中にエドワード殿下が命を落としたことで、果たされない約束となった。
初めての魔王との決戦の時、殿下は私の目の前で、魔王が放った炎のブレスに包まれた。
あまりに衝撃的な光景に、私は立ち尽くし呆然とする。
けれど次の瞬間、私の視界はぐらりと歪み、気が付いたときには、炎に包まれたはずのエドワード殿下が国王陛下達と共に目の前に立っていた。
炎に包まれたエドワード殿下が、無傷だった。
私は喜びのあまり、思わずエドワード殿下に抱きついた。
良かった!無事だった!生きていた!
けれど、泣きながら殿下に抱きつく私を、慌てて護衛の騎士達が引き離す。
強い力で引き離され、私は驚いて顔を上げた。
そして、抱きつかれた事に困惑するエドワード殿下を目の前で見てしまった。
……なんでそんな困惑した顔で私を見るの?あれ?少し様子がおかしいような……
気がついた時には、もう遅かった。
『召喚された聖女は、転移の影響で気が動転していたために奇行に走った』
そう結論付けられたのはまだ良かったが、最初に抱きついて以降、エドワード殿下は私を警戒する様になった。召喚を望んだ聖女とはいえ、見知らぬ女に抱きつかれたのだ。戸惑うに決まっている。
物理的にも距離を取られ、よそよそしい殿下。
それでも時間をかけて接していけば、それなりに仲良くはなれた。けれど、恋仲ではなく、せいぜい戦友止まりだ。
そんな状態で戦った2回目の魔王との決戦。
前回の殿下の死因となった炎のブレスを、私は殿下に体当たりするという荒業で回避させた。だというのに、手先の攻撃で毒を負った殿下は、あっけなく目の前で亡くなった。
そして2回目の巻き戻り。
3回、4回と繰り返された時間では、最初の出会いを間違えなければ、エドワード殿下と再び想い合えると信じていた。けれど、何度も時間を巻き戻るうちに、それは二度と叶わないのだと思い知る。
何度巻き戻っても、私のエドワード殿下に対する気持ちは変わっていない。
けれど殿下は……。
今までの経緯を国王陛下と王妃殿下に包み隠さず話すと、2人は悲しそうな表情を浮かべた。
「あなた達は想い合っていたのね」
「1回目だけです。それ以降は、全く……」
自分で言って悲しくなってきた。
けれど、全てを話したことで少しだけ心が晴れた気がする。
そして、私は決心した。
「国王陛下。私の話を聞いて下さりありがとうございます。あの……お願いがあるのです。聞いて頂けますか?」
「ミサキ、迷惑をかけているのは私達の方なのだ。遠慮せずなんでも言って欲しい」
真剣な面持ちで私に向き合う国王陛下に、私は言葉を続けた。
「先程伝えた通り、私は個人的にもエドワード殿下に死んで欲しくありません。だからこれからも時間が巻き戻る限り、殿下が死なないよう手を尽くすつもりです。……けれどそれと同時に、何度も巻き戻る時間にとても疲れてしまいました。殿下を思う気持ちに変わりはありません。けれど、叶わない想いを抱いたまま側に居続けるのは、とても辛いのです。だから、魔王討伐が達成された暁には、殿下への想いを断ち切る為にも、殿下の目が届かない場所で……1人静かに暮らしたいのです」
『聖女』という肩書きだけで側に居続けるのは耐えられない。
殿下から想われることが無いのなら、いっそ私のことを忘れてくれた方がいい。
殿下の側にいるだけで、私は淡い期待を抱いてしまうから。
切々と話す私に、国王陛下は悲しそうな目を向けた。
「……聖女として、エドワードの婚約者にすることも出来る。どうしても身を隠したいか?」
「気持ちのない婚約など、悲しさが増すだけです」
国王陛下と王妃殿下は何度も説得してきたが、最終的に私の意思を尊重し、安全な場所と十分に生活できる環境を整えた上で、身を隠す手伝いをしてくれることを約束してくれた。
「あなたがいなくなるのは寂しいけれど、それがあなたの願いだものね」
悲し気にそう言った王妃殿下は、私の幸せを願い、王家に伝わるという『祝福の唄』を私に歌ってくれた。
15回目以降、このやりとりは時間の巻き戻りが終わるまで毎回行われることとなる。
さすがに何度も繰り返されたので、最後はセリフも歌も完全に覚えてしまった程だ。
けれど、この約束は私の希望となった。
全てが終わったら、私はエドワード殿下の前から姿を消し、淡い期待を抱くこともなく、平穏な生活を送るのだ。
————そうして、冒頭に戻る。
転移の魔法陣で辺境の町に転移した私は、無事に身を隠すことに成功した。
国王陛下から新生活の為に必要な家や家具、更にはこれでもかという程お金も貰ったので、一生働かなくても生きていけそうである。
しばらくは何もせず、のんびり自堕落に過ごすのも良いだろう。
27回の巻き戻りを聖女としてがむしゃらに生きてきたのだ。少しくらいだらだら過ごしても罰は当たらないはずだ。
そうして始まった新生活は、それなりに充実していた。
たまに買い物をして、元の世界では見かけない物珍しい食べ物や、美しい装飾品に驚かされる。そんな、何気ない日々。
気を抜くとすぐにエドワード殿下のことを思い出すけれど、新しい環境で過ごしていれば、いつかは殿下への想いも良い思い出となっていくだろう。
締め付けられるような胸の痛みには蓋をして、私は巻き戻りが終わった人生を、ただ平穏に……淡々と過ごしていた。
『第三王子エドワード殿下が、魔王討伐を達成しました』
そんな知らせが届いたのは、私がこの町に転移して、一か月ほど経った頃。
町の中心にある広場で、ベンチに座りぼんやりと過ごしていた時だった。
広場に設置された魔道具から、不意にその知らせは流れてきた。
魔力で動くその魔道具は、元の世界でいうテレビのような物である。
初めて見たときは、この世界にもテレビがあるのかと驚いた。
縦長の楕円の形をしたその魔道具は、定時になるとその日のニュースが流れてくる。
この国では町に一つはその魔道具が設置されており、それにより国民は最新の情報を得ることができるのだ。
私が転移してから————つまりは、魔王を倒してから一か月。
魔王討伐の情報が解禁になったのだろう。
魔道具から届いた魔王討伐の知らせに、町の人たちは歓喜に沸いた。
飛び上がり喜ぶ者、急いで家族に知らせに走る者。泣きながら見知らぬ者同士で抱き合う人もいた。
そんな人々を見ながら、あの巻き戻しの日々も無駄ではなかったのだな、と温かい気持ちが込み上げてくる。
エドワード殿下を死なせないために必死に頑張ってきたけれど、結果的にこの世界の人達の平和に繋がったのだ。
ふと、魔道具を見ると、エドワード殿下の静止画がこちらを見て微笑んでいた。
その表情に、きしりと胸が痛んだ。
想いが通じ合ったまま、共に喜ぶ人々を見れたら良かったのに。
そんなことを思うが、それも叶わない願いなのだ。
殿下はどんな気持ちで、歓喜する国民を眺めているのだろう。
私のことを少しは思い出したりするのだろうか。
まだ消えることのない気持ちを持て余したまま、私は歓喜に沸く町の人たちをぼんやりと眺め続けた。
魔王討伐の知らせが流れてから7日後。
『魔王討伐直後、聖女が忽然と姿を消しました』
魔道具が魔王討伐の新情報を伝えた。
不意に流れた『聖女』という言葉に、私の心臓がどきりと跳ねる。
姿を消した聖女。
何故姿を消したのか、色々と憶測を呼んでいるようで、様々な説が噂されていた。
魔王との戦いで死亡したという説が最も有力で、政治的に利用されないように匿われている、もしくは殺されてしまったという説。護衛騎士と駆け落ちした。実は天界人で魔王討伐後に国の平和を願い天へ帰ったなど、とんでもない説も持ち上がった。
当人としては、これだけ噂されると少し居心地が悪い。
それらしい大袈裟な理由が上げられているようだが、実際は叶わぬ恋から逃げ出しただけなのに。
「きっとエドワード殿下にこっぴどく振られた聖女が、失恋して気まずくなったから逃げ出したんだろうね。真実なんてそんなもんだ」
肉屋のおばちゃんが、私の注文したお肉を袋に詰めながらそう話す。
当たらずも遠からず……いや、正解にほぼ近い。
「それなら私は、天界人説を押します。美しき聖女がエドワード殿下と恋に落ち、天界に帰ることになったため泣く泣く身を引いたんですよ」
見栄を張ってロマンチックな説をあげると、おばちゃんは生暖かい目を私に向けた。
「天界人って……まだまだ夢見る年頃なのねぇ」としみじみ言われ、居たたまれなくなってくる。
その後、「あんた、そんなんじゃ変な男に引っ掛かるわよ。気を付けないと……」と散々心配され、小一時間おばちゃんに恋愛説法を聞かされる羽目になった。
帰り際、少しだけお肉をおまけしてくれたので、そこはまあ嬉しかった。
それから1ヶ月が経った頃。
エドワード殿下が『聖女は生きている』と大々的に発表し、捜索隊を結成したというニュースが流れた。
『魔王討伐に大いに貢献した彼女を、行方知れずのままにする訳にはいかない』
エドワード殿下の発言が、殿下の静止画と共に映し出される。
忘れて欲しいと願って身を隠したのに、エドワード殿下が私を気にかけてくれている事実がとても嬉しかった。
「殿下は分かってねぇなぁ。何も言わずに居なくなったんだ、きっと聖女は訳アリだよ!金か男かギャンブルか……。何か仕出かしてトンズラこいたかもしれねぇのに。お礼なんて言ったら色々とせびられるに決まってる!本当に殿下はお人好しだよ!」
魚屋のおばちゃんが、私の注文した魚を三枚におろしながら、訛りのある言葉で毒を吐く。
「魔王討伐中にそんな遊ぶ暇なんて無いですよ!それに殿下はお人好しとかじゃなく、義理堅いんです。行方知らずの聖女を決して見捨てない……。すごく素敵な人なんです!」
つい夢中になってエドワード殿下がいかに素晴らしい人なのか話し続ける私に、魚屋のおばちゃんは「1匹おまけするからサッサと帰れ!」と鬱陶しそうに私を追い払った。まだまだ話し足りなかったのでしばらくそこに居座ったが。
それから毎月、捜索隊が国中で聖女を探しているという情報が流れた。
捜索している場所は、私が身を隠している町から大きく外れているので、おそらく国王陛下が私の願いを守るために手を回しているのだろう。
隠れている私を探すために国力が注がれていることは気になったが、そのうち諦めてくれることを祈るしかない。
「あーあ。この町にも探しにきてくれないかなぁ。エドワード殿下のあの美しい顔を直接拝んでみたいわよ。ミサキもそう思わない?」
同い年ということで仲良くなった雑貨屋のミアが、見るからに怪しいお守りを店先に並べながら私に聞く。
「そうね。一目でも顔を見れたら……嬉しいでしょうね」
身を隠してから数か月。
今後一生会う予定はないけれど、遠目でも一目見れたなら。きっと飛び上がるほど幸せだろう。
それに、どんな気持ちで私を探しているのか。
見つけた後はどうするつもりなのか。
今のエドワード殿下の気持ちが気になった。
「エドワード殿下がこの町に来てくれれば、このお守りを渡せるのに……。そうすれば『殿下御用達!』と銘打って売り出せるじゃない?」
そんなことを言いながら、ミアはお守りを見て溜息をついている。
本音はそっちか、というツッコミは声に出さないでおいた。
見るからに怪しいお守りは、やはり売上が芳しくないようだ。
付き合いで仕方なくそのお守りを購入すると、ミアはおまけでもう一つお守りをくれた。「想い人に渡すと、何かしら効果があるかもよ」と言われたが、具体的な効果は何なのかを尋ねると、途端にミアの歯切れが悪くなるので、きっとご利益は期待できないだろう。
更に時は経ち、身を隠してから1年が過ぎた頃。
『本日、聖女捜索隊の解散が発表されました』
遂に、捜索隊解散の知らせが流れた。
エドワード殿下は捜索の継続を望んでいたらしいが、国の上層部の人達との話し合いで、これ以上捜索に国力を注ぐわけにはいかないと判断されたらしい。
妥当な判断だと思う。
そして捜索隊を解散したことで、魔王討伐に一区切りついたため、今後は遅れていたエドワード殿下の婚約者の選定が開始されるそうだ。
「エドワード殿下も適齢期だもんねぇ。聖女様の安否は気になるけれど、見つからないなら仕方がないわよね。……あら?どうしたのミサキ。大丈夫?」
買い物帰りに鉢合わせた八百屋のおばちゃんが、心配そうに顔を覗き込んできた。
たぶん私は今、とても情けない顔をしているのだろう。
いつかくると分かってはいたが、『婚約者』という言葉に胸が痛む。
捜索も打ち切られ、私は本格的にエドワード殿下と無関係になったのだ。
「ミサキはエドワード殿下の大ファンだったわね。エドワード殿下の話をする時のあなた、本当に幸せそうだもの。捜索も打ち切られて、この町に殿下が来る可能性も低くなったし、悲しいのね……。良かったら、これあげるわ。元気出して」
優しく慰めてくれた八百屋のおばちゃんは、そっと私に何かをくれた。
見ると、エドワード殿下が花畑を背景に爽やかに笑う水彩画のハガキだった。
「うちの店で5000G以上買い物した人におまけで渡そうと思って作ったの。よくできてるでしょう?バレたら肖像権で国からお咎めがあるからあまり大々的にできないけどね。エドワード殿下の水彩画をおまけにするようになってから、売り上げも伸びに伸びてるの。うふふ」
商魂たくましいおばちゃんの笑顔で、少し元気がでた気がする。
貰ったエドワード殿下のハガキは、懐に大切にしまった。
帰路につきながら、色々と考える。
エドワード殿下の婚約者はどんな人になるのだろう。
この国の貴族令嬢か、はたまた隣国の姫様か。
ふと、初めて召喚された時にエドワード殿下と交わした約束を思い出した。
『魔王を討伐した暁には、私の婚約者として……側にいて欲しい』
あの約束が果たされる未来はあったのだろうか。
少し想像しようとしたけれど、すぐに止めた。
想像したところで、もうそんな未来はこないのだ。
ずきずきと心は痛むけれど、私はエドワード殿下の幸せを密かに願うしか無い。
もし殿下の婚約が決まったら、いつか王妃殿下が歌ってくれた『祝福の唄』を歌ってお祝いしよう。遠い地にいる私には、それぐらいのことしか出来ないのだから。
「エド……私、今でもあなたのこと……」
「愛してるんでしょう!!?」
気持ちが溢れて呟いた私の独り言に、知らないおばちゃんが返事をした。
「エドとかいう男が好きなのね!?思わず呟きたくなるその気持ち分かるわ!!!私も昔はそんな恋愛をしたのよ!確かあれは30年前だったかしら……」見知らぬおばちゃんは弾丸の様に自分の恋愛論を話し続けた。
あまりの長話に疲労困憊になった私は、家に帰るなり倒れるように速攻で寝た。
この町に来てから、感傷的になる時間が減ったように思う。
主にこの町の住人のせい……もとい住人のおかげだろう。
私はそのことに深く感謝した。
———そして季節は2回ほど移ろい、皆が冬支度を始める頃。
あれから、エドワード殿下の婚約者の選定方法や候補者の情報など幾度も流れ、そろそろ婚約者が決まるだろうと言われていた。
私はいつも通り夕飯の買い出しで、町の中心部へ出ていた。
今日は、雑貨屋のミアも一緒に買い物に付き合ってくれている。
「寒くなってきたから、今日は温かいものが食べたいわぁ」
寒そうに手をすり合わせながら、ミアが白い息を吐く。
「今日はポトフを作る予定なの。ミアも食べにくる?」
「絶対行く!お酒も持っていく!!」
吞兵衛なミアは、夕飯に招くと必ずお酒を持ってくる。
そして飲み潰れるまで、お酒をあおるのだ。
今日は泊まりになるだろうなぁ。と思いながら連れ立って歩いていると、魔道具の置いてある広場に人だかりが出来ているのが見えた。
「何か知らせが届いたのかな?」
ミアは興味津々な様子で広場へ駆けていく。
けれど私は、なんとなく何の知らせが届いたのか、分かった気がした。
いつかは、そうなることを知っていたはずなのに。
心臓がキリリと痛み出す。
『第三王子エドワード殿下の婚約者が決定しました』
広場に置かれた魔道具から、エドワード殿下の婚約者決定の知らせが届いた。
————その後のことは、全く覚えてない。
気づいた時には次の日の朝で、私は自宅のリビングで机に突っ伏して眠っていた。
そして、床には酒瓶を抱えて眠るミア……だけでなく、肉屋のおばちゃん、魚屋のおばちゃん、八百屋のおばちゃん。
そして何故か以前恋愛論を語っていた見知らぬおばちゃんまで寝っ転がっている。
訳の分からない状況はさておき、私は腫れぼったい目を擦りながら、顔を洗いに洗面所に立った。洗面所の鏡には、泣き腫らした何とも情けない顔の私が映っていた。
昼過ぎに起きてきたミアに事情を聞くと、あの後、エドワード殿下の婚約者決定の知らせを聞いた私は、見たこともないくらい取り乱し、「う、歌を……祝福の唄を歌わないと……」と呟いて、突然泣きながら歌いだしたのだという。
それに対して、広場に集まった人たちが「お嬢ちゃん、いい歌声だ!ほれ、もう一回!アンコール!」と声をかけたことで、即席ライブが開始されたそうだ。
肉屋、魚屋、八百屋のおばちゃんはそのライブに乗じて路上販売をし、そこそこ儲けがでたらしい。
その後、歌を歌い続ける私を引きずり帰り、私の家にお邪魔したおばちゃん達は「今日は飲み明かすわよ!」と宣言し、そのまま夜中まで騒ぎ通したとかなんとか。見知らぬおばちゃんは、気が付いたら何故かいたそうだ。
…………なんとも頭の痛くなる話だった。
頭が痛いのは、お酒のせいもあるだろうけど。
昼過ぎになり、ミアは仕事で帰っていき、二日酔いでなかなか起きてこないおばちゃん達を叩き起こし家から追い払うと、私はようやく一息ついた。
そして、ぼんやりと昨日のことを思い出す。
エドワード殿下の婚約者が決まった。
いつかはこの日が来ると分かっていた。
エドワード殿下は、相応しい婚約者を見つけたのだ。
私じゃない、相応しい誰かを……。
涙が零れそうになるが、私は必死に耐えた。
「幸せになってね、エド……」
「やだね!あんたも幸せになりな!」
感傷的になって呟いた私の言葉に、何故かまだ家に居座っていた見知らぬおばちゃんが返事をした。
さっき追い出した筈なのに、何でまだ居るんですか?と聞くと、事情は知らないけどあんたが泣いてるような気がしてね。と見知らぬおばちゃんは私の頭を優しく撫でた。
その優しさに私の涙腺が崩壊する。
嗚咽を上げながらボロボロと涙を流す私の背中を、おばちゃんはずっと撫でていてくれた。
名前も知らないおばちゃんだけど、誰かが側にいてくれるだけでも、今の私には有難かった。
「今日も皆を呼んで、飲み明かしましょう!」
きっと悲しい気持ちも吹き飛ぶわよ!と笑うおばちゃんに、私は力強く頷いた。
お酒の力で、少しでもエドワード殿下を忘れられればいい。
そんなことを考えながら、私は見知らぬおばちゃんと共に、今夜のお酒を買うために酒屋へと足を運んだのだった。
————その日以降、私は魔道具を一切見なくなった。
見てしまえば、嫌でもエドワード殿下の情報を見てしまうから。
忘れるためにも、魔道具から離れなければ……そう思ったのだ。
そしてそれから、何ヶ月が経ったのか。
日本で言えば真夏日とでも言うような、茹だる暑さの昼下がり。
私は氷菓子を買いにふらふらと町の中心部へと向かっていた。
意識的に魔道具のある広場を避け、少し外れた道を歩く。
そして、ミアの雑貨屋の前を通り過ぎようとしていた時、店先からミアがひょっこり顔を出した。
「ミサキ!今日の夜、あんたの家に行ってもいい?良いお酒が手に入ったのよ。魚屋のおばちゃんが違法に作ったものだけど、美味しく出来たからお裾分けしてくれたの」
「それ、飲めるやつ?大丈夫?」
「飲めるわよ!記憶が飛ぶくらいヤバい逸品らしいわ。味はお墨付き」
そう言って、良い笑顔で親指を立てるミアに私は思わず笑いを零す。
エドワード殿下の婚約者決定の日から、ずっと落ち込んでいる私を、ミアやおばちゃん達は、それなりに心配してくれていた。
主にお酒で酔わせて元気づけようとしてくるので、迷惑な時もあるのだが、その豪快な優しさに、私は何度も救われている。
しばらくそのままミアとお酒に合うつまみについて立ち話をしていると、道を歩く若い女の子達の会話が耳に入ってきた。
「……明日この町に来るんでしょう?楽しみね」
「私、絶対に顔を見に行く!」
ウキウキと話す女の子たちに、何の話だろうと私は首を傾げる。
意識してみれば、その子たち以外にも同じような会話で盛り上がっている町民が沢山いるようだ。
「なんだか、皆同じような会話してるけど、何の話だろうね?」
「え!?……あーっと……そうね、何の話かしらね……」
何故か歯切れが悪いミアに、違和感を覚える。
はっきりものを言うミアが言い淀むなんて……。
「……ミア、あなた何か知ってるんでしょう?」
訝し気な顔でミアを見ると、ミアはダラダラと冷や汗を流し始めた。
なんて分かりやすいのだろう。ミアは隠し事が下手なのだ。
確証を得た私は、何を隠しているのかとじりじりとミアを問い詰めた。
問い詰められるごとに、ミアは冷や汗を流すので、既に全身がびしょびしょになっている。
「あー!ダメだわ!やっぱり私には隠し切れない!ミサキが心配だったからおばちゃん達と結託して黙ってたけど、どうやら明日、エドワード殿下がこの町に来るらしいのよ。ミサキ、エドワード殿下のファンでしょう?婚約者決定の知らせを聞いてからは殿下の話をしなくなったけど……。あれからすごく落ち込んでるみたいだから、なるべく殿下の話題をミサキに触れさせたくなくて……」
黙っててごめんね、と申し訳なさそうにするミアの言葉を聞きながら、私は呆然と立ち尽くした。
エドワード殿下が、この町に来る?
予想もしていなかった言葉に、理解が追いついてこない。
「殿下が明日この町に来ても、魚屋のおばちゃんが作ったこの強いお酒でミサキを潰しておけば、寝込んでる間に殿下も何処かに行くだろうから……。そう思ってお酒を用意したのに……」
計画がバレちゃったわ、としおらしく不穏なことを言うミアに、私は狼狽えながらもう一度聞き返す。
「ミ、ミア……?で、殿下が、明日この町に来るって……?」
「そうみたいよ?今朝、速報が魔道具から流れたんだけど、エドワード殿下がこの町に凄い速さで向かってるとかなんとか……」
ミアの話を要約すると、今朝、速報が魔道具から流れたそうだ。
曰く、エドワード殿下が国王陛下や王妃殿下の制止を振り切って、国宝である速度強化の腕輪を使い、この町に向かっているらしい。
何故この町に向かっているのか理由は伏せられていたが、『ごめんなさい。匿うって約束したけど、エドを止められなかったわ……』と、王妃殿下直々のコメントまであったという。
王都からこの町まで速度強化の腕輪を使えば2日と掛からないらしく、今朝から町民達は明日にはやってくるであろうエドワード殿下の来訪で盛り上がっているらしい。
速報で流れたという王妃殿下のコメントは、恐らく私に宛てたものだろう。
何ということだ。
殿下が町にやってくる……?
私がここにいることがバレたのだ。
けれど今更なんの用事で……
私の頭は、混乱を極めた。
「ど、どうしよう……ミア。殿下が来るって……。会うべき?いや、逃げるべき……?」
挙動不審にオロオロとする私に、ミアは訝し気に首を傾げる。
「逃げるってミサキ……あなた殿下に何かしたの?」
ただのエドワード殿下ファンだと思ってたんだけど……?そう言って疑問を呈するミアに、私は何と答えれば良いのか分からなかった。
私があの行方不明になっている聖女だなんて、今更言ったところで信じてもらえるかどうか。
それに、聖女だと知られれば、今の関係が壊れてしまう可能性だってあるのだ。
居心地が良いと感じていたこの関係が、壊れてしまうなんて……そんなの嫌だ。
「……なんてね。まあ実は、皆なんとなくあなたの正体は察してたけどね、ミサキ」
「え?」
何も答えない私に、ミアがポツリと零す。
ミアの言葉に、私の心臓はどきりと跳ねた。
「あの時期にこの町に来るなんて、察するに決まってるじゃない。それに、エドワード殿下のことを気にしてるみたいだったし……。いつか気持ちが落ち着いたら話してくれるかもしれないと思って、皆黙ってたの」
まあ、なかなか話してくれなかったけどね。そう言って寂しそうに笑うミアに、私は何も言葉を発することが出来なかった。
ミアは、皆も……知っていたのだ。
私の正体を。
驚いて固まる私に、ミアが優しく微笑んだ。
「あなた、魔王討伐直後に消えたっていう……エドワード殿下の下着を盗んだ犯人なんでしょう?」
「違う!聖女!!私は魔王討伐後に姿を消した聖女なの!!」
まさかの勘違いに、私は思わず勢い良く自分の正体を明かした。
そもそも、そんな事件があったことも知らなかったし、その犯人だと思われていたことも心外である。
は?え?聖女?じゃあ、討伐後に消えた殿下の下着はどこにいったの?絶対ミサキの家に隠してあると思ってたのに……と戸惑うミアに、私は今までの経緯を簡単に語った。
聖女だったこと。
エドワード殿下のことを好きだったこと。
けれど、想いが通じないことが辛くて、魔王討伐後に逃げて来たこと。
「だから私は、この町で殿下を忘れようと……」
そう呟いた私に、珍しく真面目な表情になったミアが問いかけてきた。
「……それで?結局、ミサキは殿下のことを忘れられたの?」
その言葉に、私の心がずきりと痛む。
忘れられたかどうか、なんて。
今までの私の態度で明らかだ。
「それは……」
「ミサキ!!!」
私がミアの質問に言い淀んでいると、誰かが私の名前を呼んだ。
とても聞き覚えのあるその声に、私はびくりと肩を揺らす。
いやまさか。そんなはずは無い。
だって、明日この町に着くのだと……町の皆もそう言っていたじゃないか。
そう思いつつ、私は恐る恐る後ろを振り返る。
そして、振り返った先に立つ1人の青年を見て、私は目を見開いた。
はあはあと肩で息をする、見覚えのある金髪の青年はまさしく————。
「え、エドワード殿下……」
動揺で思わず声が裏返ってしまった。
けれど、それも仕方がないだろう。
忘れようとしても、忘れられなかったエドワード殿下が、目の前に現れたのだから。
町民たちは、1日早いエドワード殿下の来訪に驚き慌てふためいている。
おもてなしの準備が整ってない!だの、酒の準備をしろ!だのと騒々しく走り回っている。
「この町に来るのは明日だって言ってたのに、どうして……」
「がむしゃらに走ってたら……思いの外、早く着いたんだ」
思わず呟いた言葉に、息を整えながらエドワード殿下は律儀に返事をした。
てっきり馬で来ると思っていたのに、どうやら自力で走ってきたらしい。
まさかここまで走ってくるなんて、殿下も無茶するわね、とミアが呆れた声で小さく私に耳打ちする。「速度強化の腕輪は、王族にしか嵌められない。馬に嵌めても効力はないから、自分で走るしかないんだ」この疑問にも殿下は律儀に返事をした。
町民たちがバタバタと騒がしく動き回る中、私はそれ以上どうしていいのか分からずに、その場に立ち尽くした。
バクバクとうるさい心臓の音だけが、妙に耳に響く。
しばらくして、殿下の呼吸が整った頃。
一度、大きく息を吐いた殿下は、真っ直ぐと私を見つめてきた。
「ミサキ」
真面目な顔で、殿下が私の名前を呼ぶ。
緊張で固まっていた私は、びくりと肩を揺らし、困惑した表情で殿下を見返した。
そんな私の様子に、エドワード殿下は酷く悲しそうな表情を浮かべた。
「すまない。ミサキが俺の顔も見たくないことは分かってる。……けれど、どうしても会って話したくて」
切々とそう話す殿下に、私は何も答えられなかった。
エドワード殿下の顔を見たくなかったなんてことは、決してない。
それどころか、久しぶりに殿下を前にして、勝手に心が浮き立ってしまう程だ。
けれどそれ以上に、私は怖いのだ。
話とは、何だろう?また聖女の力が必要なことが起きたのだろうか?
それとも、結婚するから聖女としてお祝いに来て欲しい……とかだったら?
次々と浮かんでくる想像に、胸が締め付けられていく。
————どうしよう、逃げてしまいたい。
苦しくて、自然と私の足は後ずさった。
けれど、そんな私の背中に、ミアが軽く手を添えた。
「ミサキ、折角だから話を聞いてみたら?ここで逃げたら、ずっと辛いままなんじゃない?」
その言葉に、私は少し足を止める。
確かにここで逃げれば、私はずっと今日の日を後悔するだろう。
けれど……。
「そうよ!聞いてみなさいよ。事情はよく分からないけど!」
迷っていると、不意に明るい声がして、私は思わずそちらを向いた。
「聞いときな!殿下は素晴らしい人だって、ミサキが言ったんだ。きっと酷いことは言わねぇさ。多分な」
「殿下の絵を描いて売るのは違法だけど、殿下の話を聞くのはタダなのよ!お得じゃない!」
「何かあったら、私たちと飲み明かして忘れちゃえばいいのよ!」
いつの間にか周りに集まっていたおばちゃん達が、やいのやいのと騒ぎ出す。
その声に、事情を知らない町民達も「おう!よく分からねぇが、聞いときな!お嬢ちゃん!」と一緒になって声を上げた。
いつも通りいい加減で適当なその言葉に、強張っていた私の体の力が抜ける。
皆、事情も知らずに適当よね……ミアが呆れながらそう呟いた。
けれど少しして、ふふっと軽く笑いを零す。
「でも、ミサキは少しおばちゃん達の適当さを見習った方がいいわ。あんたがずっと辛いのは、大切な気持ちを忘れようと頑張り続けてるからだもの」
忘れる時は頑張らなくても忘れるんだから。
忘れられないうちは適当に向き合っときなよ。
そう言って、ミアはポンと軽く私の背中を押した。
押されるがまま、私はそのまま数歩前に進む。
前を向くと、私を見つめるエドワード殿下と目が合った。
ここまで後押しされたら、もう向き合うしかないじゃないか。
そう思った私は、ようやく覚悟を決めた。
「……エドワード殿下」
私がエドワード殿下殿下の名前を呼ぶと、殿下は表情を柔らかくした。
「いい町民に囲まれているな」
「少し、癖が強い方達ですけど」
そう言ってちらりと横目で周りを見れば、町民たちはこちらを少しだけ気にしながらも、おもてなし用のお酒に夢中で、殿下そっちのけでお酒をあおり始めている。
ミアやおばちゃん達も、今夜飲もうと言っていた魚屋のおばちゃん特製違法酒をいそいそ手に取っていた。
相変わらずのマイペースさに、苦笑いを浮かべるしかない。
殿下も少し表情を崩しながら町民達を見ていたが、それから少しして、徐に私の方へ向き直った。
「……ミサキ、突然会いに来て申し訳ない。ミサキの居場所を知って、ずっと父上や母上に止められていたが、どうしても会いたかったんだ」
再び殿下に謝られ、私は戸惑いながらも首を横に振る。
突然殿下がこの町に来たことには驚いたが、会えたことは素直に嬉しかった。
またこうして話ができるなんて、夢みたいだ。
「あの、どうしてこの場所が分かったんですか?」
国王陛下や王妃殿下も秘密にしていたはずなのに。
私がそう尋ねると、殿下はふっと口元を緩めた。
「数か月前、ミサキは魔道具の前で歌を歌っただろう?」
そう言われ、私は数か月前を思い出す。
取り乱し過ぎて記憶はないが、恐らくエドワード殿下の婚約者決定の情報が流れた日のことだろう。泣きながら、エドワード殿下の為に『祝福の唄』を歌ったあの時だ。
「ミサキは異世界からきたから知らなかったかも知れないが、あの魔道具は情報を流すだけでなく、魔力や法力などの力を感知する道具でもあるんだ」
殿下曰く、魔物の出現など不測の事態に備え、あの魔道具には魔力や法力の力を感知する機能が付いているらしい。どの場所で力を感知したのか、危険はどのくらいあるのかなど、王宮にある研究所で解析すれば、その詳細が分かるそうだ。
「そんな機能が……。けれど、それと何の関係が?私は歌を歌っただけです。力なんて使ってません」
「あの時ミサキは、王家に伝わる『祝福の唄』を歌っただろう?恐らく……俺の為に。あの唄は力のある者が歌えば祝福が与えられると伝えられていた唄なんだ」
今まで誰が歌っても何も起きなかった。だから、ただの言い伝えだと思っていたけれど。
そう言って殿下は、真っ直ぐに私を見つめた。
「……あの時に思い出したから、俺は祝福を与えられたんだと思う」
「祝福?思い出した?」
エドワード殿下の言葉に、私の心臓はどきりと跳ねた。
一体何を思い出したのか。
もしかして?いや、まさか。
もう二度と期待なんてしたくないのに、ドキドキと煩い心臓の音で周囲の音がかき消されていく。
「思い出した。忘れていた時間……ミサキと出会ってから魔王討伐までの、巻き戻りが起きた時間の全てを」
殿下の言葉に、私は息を吞んだ。
そんな訳がない。だって、何度巻き戻っても、決して思い出すことなんてなかったのに。
「あの日、魔道具が不思議な力を感知したと報告があったんだ。討伐した魔王に関係があるのかもしれないと考えて、俺は慌てて研究所に駆け込んだ。そうしてそのまま魔道具に近付いたら、微かに誰かの歌う声がして……」
殿下は、思い出した時のことを語りながら、ゆっくりこちらへ歩を進めた。
「その歌声を聞いた時、不意に思い出した。出会った時のことも、一緒に旅をしたことも、それに魔王討伐の度に何度も死んでしまったことも……」
そうして、目の前で立ち止まり、殿下は固まったままの私の手を握る。
「……あの時交わした、約束も。全部」
そう言いながら、殿下は真っ直ぐに私を見つめてきた。
思い出した?本当に?だって、何度も忘れたじゃないか。
殿下の話に、様々な感情が込み上げてくる。
記憶が無くなるのは、殿下のせいじゃない。
巻き戻ることで殿下が死なずに済むのなら、仕方がなかったのだ。
そう、自分に言い聞かせていた。
けれど、本当は……。
何一つ、忘れて欲しくはなかった。
どんなことが起きても、覚えていて欲しかった。
私との思い出も、関係も全部。
想いを寄せあった、殿下には。
「……殿下と離れれば、この辛さも軽くなるかもしれないって……そう思ってこの町に転移してきたんです」
「ああ」
「毎日それなりに楽しくて、充実してて」
「ああ」
「それなのに、いつまでも殿下のことばかり気になって……どうしても忘れられなくて」
ぽつりぽつりと語る私の言葉を、殿下は真剣な表情で聞いていた。
「婚約者が決定したって聞いた時は、何も考えられないほど悲しかった。何で私を忘れちゃったのって……そんなことばかり」
ポロポロと涙を流して泣き始めた私を、エドワード殿下が強く抱きしめた。
「本当は思い出して欲しかった。あの時の約束も、全部、全部!!」
「すまない、ミサキ。ずっと、忘れたままで……!」
我慢していた気持ちをぶつけながら、私は殿下の腕の中で泣きじゃくった。
けれど、泣いている間、抱きしめる殿下の腕の力が、いつまでも緩まないことに、私は酷く安堵した。
「ミサキ。まだ間に合うなら……まだ俺の側にいてもいいと思えるなら、これから共に人生を歩んでくれないか?」
その言葉に私は顔を上げる。
「でも……殿下には婚約者がいるでしょう?」
「あれは、どの婚約者候補にも首を縦に振らない俺に痺れを切らして、国の上層部の奴らが無理矢理流した、偽情報だ。外堀を埋めれば俺も観念するだろうって」
そう言いながら、殿下は、腕の中にいる私に視線を下ろした。
「結局、記憶が戻らなくても、俺は巻き戻る度にミサキに恋をしていたから……ミサキ以外を伴侶にする気は無かったが」
まさかの言葉に、私の涙もぴたりと止まる。
「う、嘘……。だってそんな素振り全然……」
「一国の王子として、魔王を討伐するまでは、この気持ちを隠しておこうと思ってたんだ」
まさか討伐後に姿を消すとは思わなかったがな。
そう言って、悲しそうに目を伏せる殿下にただただ驚くしかない。
殿下が毎回、私を好きになってくれていたと言う事実に嬉しさが込み上げる。
「……あの、それで、ミサキはどうだろうか?俺に婚約者はいないんだが……」
頬を染め黙ったまま俯く私の顔を、殿下が不安そうに覗き込む。返事が無いことを不安に思ったのだろう。
私はその顔を見て、思わず笑った。
27回、時間が巻き戻ってもずっと好きだったのだ。私の答えは、最初から決まっている。
「ずっと、一緒に生きていたいです。これからは共に同じ時間を歩んで下さい」
そう言って微笑めば、殿下は泣きそうな顔で、私を強く抱きしめた。
「うぅぅ、良かったわね、ミサキ」
「うははは、幸せになりなー!!」
「何か知らねぇが、おめでたいな!皆で祝杯をあげようぜ!」
気がつけば、ミアやおばちゃん、それから町民たちもデロデロに酔っ払っており、笑い上戸に泣き上戸……様々な酔っぱらい達で、手が付けられなくなっていた。
けれど、事情を把握してないにも関わらず、良かった良かったと口を揃えて祝ってくれる町の人たちの優しさに、私と殿下は温かい気持ちに包まれたのだった。
————数年後。
王都から距離のあるこの辺境の町は、『聖女の暮らした町』として大変賑わいを見せていた。
聖女御用達!と銘打った肉屋や魚屋。聖女の姿を絵葉書でオマケしてくれる八百屋。聖女の恋を実らせた怪しい御守りを売る雑貨屋。
面白い名文句のお店は、観光客に大変注目を集めていた。
実際に聖女がその町に住んでいたのかは公表されていない為、その真偽のほどは不明だが。
けれど、王都にいる筈の聖女と第3王子によく似た仲睦まじい夫婦が、町民と共に度々お酒を飲み交わす姿は、まるで聖女が本当にその町で暮らしていたことを裏づけるようで————その町の賑わいに一役買っているのだった。
宜しければ、評価をよろしくお願いします!