3-2 落胆の放課後
昼から少し時間が進みます。
放課後になっても、健斗は悩んでいた。
捨てきれない野球への思い。
甲子園は全国の高校球児の聖地。
そこにたどり着くチャンスは年にたったの2回だけで季節は春と夏。
たどり着ける高校数は春で三十校程度、夏は50校程度とかなり少ない。
健斗たちの高校、港高校が所属しているのは南北海道ブロックになる。そして、このブロックだけでも140校くらいの所属高校数があろ。さらに全国ともなると4000校を超えるのだから、どれだけ高いハードルなのかは言わずもがな、と言ったところ。
けれども、そんなことは高校球児じゃなくても知っていることだ。わかりやすく言うならば選ばれしものだけがたどり着けるトコロ。
それが甲子園だ。
高校球児のみんながその夢を追い求め、そして、結果に涙する。最終的に栄光をつかめるのは一度も負けなかった1校のみ。
俺にとっての夢って何なんだろう?
野球って俺にとってそこまで大切なものだったんだろうか?
野球は好きだ!・・・と、思う。
『甲子園に行きたい』
好きだからと言ってそんな大それた夢を見たとしても、俺は野球部に入ることそら拒まれたようなものだぞ?
「はぁ・・・」
思わずため息が漏れる。
俺が野球部に入るのをやめて、晶と花形が活躍する姿を応援する。
そんな姿を想像するとかなりつらい気持ちになる。
だったら俺も野球部に入って・・・
ダメだな。まともにやれているイメージすらできない。
俺はどうしたいんだよ。
自問自答してみるものの、どうしてか答えが出ない。
晶は俺と甲子園に行きたいと言っていた。俺だってできることなら甲子園に行きたいと思う。でも、できることとできないことがある。それは俺が一番よく知っているんだ。
俺には野球の才能があるようには思えない。才能?それはわからない。そこまで言い切れるほどの努力をしただろうか。答えは否だ。
でも、と健斗は思う。
『努力は人を裏切らない。』
そんな言葉があるけれど、それは結果がついて来る確約ではないと思うし、事実そうではないことも知っている。もちろん、だからと言って努力の全てが無駄だった。そんなことも思うわけがない。
『塞翁が馬』
こんな言葉もある。幸せや不幸は予測できない。何が幸せに繋がるのか、何が不幸に繋がるのかわからない。そういう言葉だ。
だからこそ思うんだ。今までの経験や努力が役に立つ時がきっと来る。いや、そう思いたいんだ。でなければ、今を頑張って生きて行く意味もないのではないのか。
ちょっと風呂敷を広げすぎたような気もするけれど、要するに諦めきれない野球への思いをどうするのかってことだった。
「健斗、かーえろ?」
まるで、悩みが一つも無いような明るい表情で晶が声をかけてきた。もちろん、そんなことはないんだろうけれどもな。
もしかして、この展開は川島が何かチャチャを入れて来る流れなのでは無いか?
そんなことを考えて教室を見回してみるが、川島の姿は無いみたいだ。
「なに?どうしたの?」
晶が健斗の顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
「いや、ちょっと考え事をしてたからな、色々と。」
そう言って健斗も帰り支度を始める。そして、一つだけ聞きたかったことを思い出す。
「あ、そうだ。晶はさ。昨日の電話なんだけど・・・空木美優って子はどんな選手だったんだ?」
健斗は机の中の物をカバンに詰め込みながら晶に尋ねる。
それにしても、どうして学校から帰るとき荷物がカバンの中にうまく入らないのだろう。朝はきちんと入っていたはずなのに。そんなことを考えつつ荷物も積めていたら机の上や中から小物がバラバラと床に落ちてしまった。
「くそっ・・・」
健斗は悪態をつきながらも仕方がなく床に散らばったものを拾い始めた。
「うーん、そうだねぇ。憧れちゃうような選手かなぁ。プレーに華があってカッコ良かったよ。」
ここからじゃ晶の顔は見えないが声だけは聞こえる。
あぁ、あと晶の健康的な足も見えているがそれはどうでもいいことだ。俺は足にはそれほど興味はない。
いやいや、それよりも晶の言葉に少し引っかかるところがあったように思う。
「華かぁ。さぞかしすごい選手だったんだろうな。」
健斗は床にばら撒いたものを拾い集めながら聞き返す。
「そうだよ。足も速くて守備も上手。元気な盛り上げ屋だし、それにすごいピッチャーだったもの。」
そう口にしていた時の晶の表情を見ることができなかった健斗には、彼女の心の内に秘められた想いまで聞き取ることは絵できなかった。
「なんだそりゃ?どこかのヒーローみたいだな。いや、女の子だからヒロインか。」
健斗は彼女のことを一応はネットで調べた。だから、どう言った経歴の子なのかは大まかには把握したつもりでいた。でも、あのとき出会った彼女にはスポーツに命を懸けていた女の子というよりは、こう儚げな、それでいて年相応の可愛らしさというか、そういったものを感じていた。だから、晶が言うような雰囲気は一つも感じていなかったのだった。
「そだね。できるなら一緒にプレーしてみたかったなって。そう思ったんだよね。」
晶のソフトボールの腕前は健斗から見た贔屓目であっても凄いレベルに到達している。
中学時代はエースを張っていて、チームとしての成熟度が高ければ全国大会に行って活躍していてもおかしくは無いほどのレベルだったと思う。それを高校に入ってからはバッサリと切り捨てて、甲子園を目指すっていうんだから、晶の向上心というか野望というか、願望はすごいものがある。それに比べて俺は・・・
「そっか。彼女はそんな子だったのか。」
「うん、そだよー。って、健斗も知ってるでしょ?」
晶がアレっと言いたげな表情で健斗を見ている。健斗はようやく拾い終えたものをカバンに詰め終えて、席を立ったところだった。
「俺が?どうして?」
健斗は昨日の出来事を知るはずのない晶の言葉に少しだけドキッとしながら晶の顔をみた。
「え、だって、美優ちゃんは健斗の友達だったでしょう?」
「は?」
我ながら間抜けな声を出したと思う。
でも、それには理由があった。いや理由はわからなかった。あれ?何を言っているんだ、俺は。というか今はそれどころじゃない。美優が俺の友達?俺が彼女に出会ったことがあるって?昨日よりももっと以前に、彼女が生きていた頃に?
「覚えてないの?健斗と美優ちゃんはすごく仲が良かったよ?小学校の3年生の時。」
そう言われても何も思いだせない。けれど、晶がこんなくだらない嘘をつくわけがない。ということは本当のことってわけだ。
「覚えてない。」
「それは美優ちゃんがかわいそうかな。」
そう言われて健斗だって困る。小学3年生の頃ということは8歳くらいの頃だ。10年とは言わないけどかなり昔のことである以上、覚えていないのも仕方がないかもしれない。
「そう言われてもなぁ・・・」
健斗は荷物も手に持って晶に『帰ろうか。』というジェスチャーを見せ、晶も無言で頷き健斗の後をついてくる。
「美優ちゃんは半年くらいしかいなかったからかな。」
「半年?短いな。転勤族っていうやつ?」
2人で玄関に向かって歩きながら美優についての話を聞いていた。
晶が言うには美優はちょっと暗い感じの女の子で、友達もあまりいなくて一人ぼっちでいることが多かったそうだ。もちろん晶も話しかけたりしていたみたいだったけれど、あんまり仲良くなることはできなかったらしい。そんな美優がただ一人心を許していたのが健斗だったそうだ。そして、二人でよく遊んでいたらしい。校庭や近所の空き地で一緒に遊んでいる姿をよく見かけたと言っていた。
そうこうしているうちに2人はバス停までやってきていた。タイミングよく、2人が乗るはずのバスも到着しているようだった。
健斗は晶の話を聞いているうちに少しずつ思い出してきた。
そうだ、確かに俺は彼女を知っていた。いつも『みっちゃん』と呼んで遊んでいたんだ。
どうして今まで思い出せなかったんだろう。
ちゃんと覚えていたなら昨日ももっとたくさん話せたはずなのに。
みっちゃんにはもう二度と会えない。
どれだけ会いたいと思っても彼女はもうこの世にはいないのだから。
晶の話を聞きながら考え事をしていたせいか、あっという間にバスはいつもバス停に到着していた。自分で言うのもなんだが、どうやってここまで来たのかもよく覚えていない。
「健斗、降りよ?ね?」
晶は俺が落ち込んでいるのがわかったようで、必要以上に声はかけてこなかった。でも、それが俺にとっては辛いことで、もっと色々なことを話して気を紛らわせて欲しかった。それは俺のわがままだったのだろうか。
「あ、あぁ、もう着いたんだ。」
「うん、高校へは自転車でも行ける距離だからね。」
晶に促されるようにしてバスを降りる俺。なんだろう、すごく体がダルい。
「大丈夫?美優ちゃんのこと、考えてたの?」
晶は優しく、それでいてどこか寂しそうな笑顔を浮かべて聞いてきた。
「思い出したんだ。少しだけだけど、みっちゃんのこと。」
「そっか。」
晶はそれだけを言って俺の先に立って歩き出し、俺も晶の後をついていくように歩いた。バス停から家まではそう遠くはないから、あっという間に家の近所までやってくる。
その間、晶も俺も一言も話さなかった。それは俺も晶も美優のことを考えていたからなのか。それはわからない。俺は美優のことを考えていた。けれども、晶はどうだったのだろう。
「晶は美優のこと、覚えてたんだよな。」
「うん、覚えてたよ。私は。美優ちゃんのこと。健斗のこと。ちゃんと覚えてる。」
覚えていた、か。
しかも『私は。』と来たもんだ。これは堪える。たった一言が胸に突き刺さった棘のように抜けない。
「俺は・・・忘れてた。」
自然と涙が溢れてくる。
俺とみっちゃんが一緒だったのはほんの短い間だけ。それもまだほんの子供の頃のことだ。なのに、どうして急にこんなに悲しくなるのだろう。
「健斗の初恋の相手、だったよね。」
晶がポツリと呟いた。その声はいつもの晶とは違ってどこか弱々しい声で、その声はどこかに消えてしまいそうな感じのする声だった。
「そうだった・・・かな。」
健斗は晶に気がつかれないようにこっそりと右手で溢れて来たものを拭いとった。ここはもう健斗の家の前。晶の家は隣だ。
「そうだよ。美優ちゃんが引っ越しちゃった後に私、聞いたから。だから・・・知ってる。」
「そっか。」
「落ち込んじゃダメだよ。健斗。」
晶の言葉が優しい。でも、今さらそんなことを思い出したくもなかったし、思い出させても欲しくなかった。
「わかってるよ、晶。じゃ、また明日な。」
「うん、また、明日。」
俺と晶はいつものように別れの言葉をお互いに口にし、俺は玄関の前で一度振り返った。晶のことが気になった。なんだかいつもの晶らしくない気がしたのだ。
晶は一人泣いていた。
けれども、その涙の意味を健斗には正しく理解することができなかった。
人の記憶力って都合のいいものです。
ほら、テストが終わった瞬間に、テスト中に思い出せなかった答えを思い出したり。
これは例が良くなかったかもしれないですけれど、記憶はきっかけという目次があれば必ず戻ります。
問題は、そのきっかけが何なのか。目次を見つけられることができるのかどうかです。
健斗は、あの時、見つけられなかったというわけですね。