1:天辺草
<俺たちはただの人間で、ここは紛れもない現実なんだ>
目の前で横たわる “それ” は、あたかもそう語りかけるかのようであった。
気付いていた、知っていた、理解していた、と自答するも目の前に広がる光景は、思い込みよりも雄弁に事実を説いていた。
「何をしている、すぐに ハイエナ か ハゲタカ 共がくる。急げ。」
私の隣にいる男は、何を感じる間もなくそう言うと、リュックから香のようなものを取り出し、すいはつ式けん銃の火種をうまくつかい、香の先端に火をつけた。
赤く光る香の先端は、確かに熱を帯びているが煙は立たず、先程まで “それ” が発していたであろう嫌な臭いが薄らいだようであった。
「あいつらは鼻が利くし、目も悪くない。
これも高いんだが遺品を持ち帰れないよりはマシだ。心境的にだけどな」
何も感じていないわけではなかったようだ。
私よりも多少深く、この世界を事実として認識しているだけなのかもしれない。
「気持ちはわからないでもないが、さっさと剝いじまいな。
コイツだってどこぞの馬の骨に持っていかれるよりは喜ぶだろうよ」
男はそういうと銃を構え、あたりを警戒している。
「柄でもないが、縁者なんだろ。ならお前が一番取りだ。」
「・・・・」
先程からの言動は、この男の精一杯の気遣いか。
あるいは、がさつに見える男にとっては気まぐれの一つかもしれない。
なんにせよ、私にとっても “それ” との縁はかけがえのないものだった。
この縁のおかげで、私は今を生きていられると言えるかもしれない。
「この場合、間に合わなくてすみませんなのか。
間に合ってよかったなのか、わかりませんが」
私は少しの笑みを向けつつ、元は彼女であった “それ” の手に握られていた短剣を剥ぎ、ついでに彼女のピアスも外し、ポケットにしまい込んだ。
「そいつでよかったのか?だいぶ癖が強いもんだが」
「かまいません、それに私も同じのを1本持っていますので」
男の問いにそう答えると、剝ぎ取った短剣をベルト右腰のつり革に下げた。
「へぇ、トリックダガーの2本持ちね。
ゾッとしないな。ローグギルドにでも入るつもりか?」
「まさか。彼女に使い方を教わって、たまたま性に合ってるってだけです」
「そりゃ性格の悪いこって」
男はそう言うと警戒を解き “それ” の身体をまさぐった。
いや、身体をまさぐっているわけじゃない、ローブを脱がしているようだった。
「信二さん、それサイズ合いませんよね?」
「ばーか。カミさんにだよ。コイツと仲良かったからな」
信二は “それ” から剥したローブを丁寧にたたみ、リュックへとしまった。
「・・・残ったものはどうしますか?」
「幾分かは “ハゲタカ” に残してやれ。帰路に襲われる可能性は少しでも低い方がいいし、奴らはコイツの処分もしてくれる」
処分という言い方が少しだけ琴線に響いた。
もちろん “それ” を持ち帰ることはできないし、埋葬している時間もない。
放置した場合 ”アンデット” になればまだマシな方。
”マリオネット” にでもされたら、そう遠くない町にまで被害は及ぶだろう。
「・・・・」
「感情的になるなよ。ここはそういう所だって教わっただろう。」
そういうと信二は “それ” から踵を返し、来た道を戻り始めた。
気付いていた、知っていたが、理解はできていなかった。
その証拠に、苦しさを伴う胸の痛みが帰路についている間、ずっと付きまとっていた。
*
ハイファンタジーだとか、ローファンタジーだとか、三十歳を過ぎてもそういった文献にあこがれてしまうというのは、童心を忘れていないからなのだと思う。
妻もいて、子もいて、ある程度の会社で、ある程度のポジション、何も不自由というものはなく、今でいえば平凡より恵まれている状況だ。
だからこそファンタジーに憧れるのだ。
現実ではなしえない成功がある、その世界に憧れるのだ。
自分にとってファンタジー世界に登場する主人公たちはヒーローだった。
異能を持ち、それを駆使して大立ち回りし、成功を収める。
現実感がないからこそのヒーローであって、現実感がないからこそのファンタジーだ。
だから、きっと今、自分が置かれた世界も現実ではない。
最初はそう思っていた。
この世界に来た瞬間をはっきりと覚えている。
あれは不思議な体験だった。
あの日、世間は新しい年号の発表で少しだけ賑やかだった。
仕事帰りで疲れていた私は、帰宅ラッシュの喧騒の中をぼうっと歩いていた。
何を考えていたわけでもない、仕事において管理職という役割は、それはもう相当に脳みそのリソースを使うので、帰り際くらいは何も考えないで歩くのだ。
だから、目の前にぶらさがった “茎” とも “紐” とも取れる、垂れ下がったものに気付いたのも、自分の前髪にそれが掛かった時だった。
前髪が顔にかかると気持ち悪いのと同じように、細く柔らかいものが顔にかかったら、それを振り払わずにはいられないだろう?だから、その “紐” のような何かを、カバンを持っていた手とは逆の手で、反射的に掴んで退かそうとした。
その時だった。
今思い返してみれば、何かのアニメで「天辺草」というものを見たことがある。
空から垂れ下がる紐をつかむと、空高く舞い上げられてしまうというものだったが、それに近い体験だった気がする。
“紐” を掴んだ瞬間、急に何かに引っ張られる感覚に襲われた。
その後、一瞬で目の前の景色が変わったのだ。
瞬きはしていないし、むしろ驚きで目を見ひられていたと思う。
文字通り一瞬で変わったのだ。
目の前に広がっていたコンクリートジャングルは、ただのジャングルに代わっていた。
おそらく2~3分程度は、その場でぼうっとしていたと思う。
人間、与えられた情報量が脳みそのキャパシティを超えると何もできなくなり、そして次に「笑う」のだ。パニックというやつだ。落ち着くまで合計5分はかかったか。
ふぅと一息付き、まずは自分の居場所を確認するためにも、ポケットに入れていたスマホを取り出したが3Gも4Gも入らない。
それどころかGPSも入らないようで、この事実が再度パニックを引き起こした。
次に起こした症状は「笑い泣く」だ。「泣く」が加わった。
ジャングルでおっさんが咽び笑い泣くっていうのは、はたから見たら滑稽だっただろう。
人が見て滑稽なものは、人以外から見てもおかしな物に見えるのかもしれない。
涙でにじむ視界の隙間が、少しだけ暗くなったことに気付いた私は、目をこすり、涙をぬぐって顔を上げると、そこには子供の時に大好きだった “虫” がいた。
その虫は天敵である鳥にも果敢に立ち向かい、両手の鎌を器用且つ狡猾に使う虫なのだが、「かまきり」というには決定的に違う部分があった。
人間大なのだ。
身長170cm程度の私と、同じくらい、いやそれ以上の背丈がある。
腹を加えれば、私よりも図体は圧倒的に大きいだろう。
強靭そうな顎をカチカチと鳴らし、こちらを窺っていたのだった。
はじめまして。あいよと申します。
地道にコツコツがんばります。