夢のあと
「はあぁ~~」
朝起きて大きなあくびを一つ。
今だ夢心地の目蓋をこすって現実に引き起こす。
「あらおはよう、曜くん」
だがここも現実ではない。
夢から覚めても夢の中。
「おはようございます」
里美の母さんに挨拶をする。
なぜかそれが当たり前のようにするりと口から出てきた。
数年ぶりの筈なのに。
「あの子まだ寝てるみたいなの、曜くん起こしてきてくれる?」
にべもなく受け入れ俺は里美の部屋へと向かった。
元の世界だと朝御飯を作る彼女が俺より後に起きることはなかった。
だが両親が健在のここでは寝坊助のままらしい。
鍵はかかっておらずドアはスムーズに開く。
中にはいってベッドを見ると、年頃の女の子とは思えない姿でまどろんでいた。
手足は開放的になげだされ、裾がめくれておへそが顔を出している。ズボンをはいていないが為に下着が丸見えだ。
寝ながらに脱ぎ捨てられたであろうそれが床にくしゃっと落ちていた。
長らく忘れていたが彼女には睡眠中に、暑いのか衣服を脱いでしまう癖がある。
俺は目を泳がせながらなんとか起床を促そうと肩を揺らしてみた。
「起きろー、朝だぞー」
「ムユゥ……」
変な鳴き声を発するだけで目覚める気配はない。
「しょうがないな……」
俺は最終兵器の起動を得心する。
指を滑らかに動かしながらそれを里美の脇腹に当てた。
「……っ…あ、んあぁあ…あっ…んん~~」
たまらず悶え身をよじりだす。
彼女は体が敏感なようでくすぐりに弱いのだ。
「あっ」
しかし悪戯心に火がついた俺はつい視野が狭まってしまう。
俺の指から逃れようと暴れた彼女がベッドから落ちてしまったのだ。
慌てて受け止めようと身を屈める。
腕を伸ばして抱き止めた。
「ぁんん……」
手に柔らかいものが収まる。いや収まらず指の間から押し出されているが。
脇腹も柔らかかったがここはそれ以上だ。
「わっ悪い」
慌てて手を話すと里美が寝返りをうった。
手の中にあったおっぱいが今度は胸板に押し付けられる。
ほんの数センチ先に里美の顔があった。
寝起きの焦点の合わない瞳が俺を覗く。
熱い吐息が鼻に当たった。
「曜…ちゃん」
その顔が徐々に近づいてくる。
手と手を合わせるように、一つになるように、重なる。
おでことおでこ、鼻と鼻、唇と唇。
お互いの形が噛み合うように首を傾けて、肌を滑らせて。
そうして交わる、その寸前に俺は体を揺らしてそれを拒んだ。
「んー…おはようのキスはー?」
「そんなものはない」
俺は彼女から離れて立ち上がろうとする。
引き留めるように彼女の腕に力が入る。
里美が本気を出せば俺は敵わない。それは彼女が勇者だから。
しかしこの時は容易に抜け出すことができた。
その後朝食を食べて学校へと向かう。
夢の癖にしっかりと登校するあたり、自分のまめさに泣けてくる。
学校にはたくさんの俺がいた。
ボッチを謳歌する俺、クラスを従える俺、佐竹先輩と付き合っている俺、生徒会に入った俺、ヘカテリーヌと魔王を倒した俺、魔族と関わりの無いキルシュアと遊ぶ俺。
ほぼ共通点のないそいつらのどれもが俺であり、皆、満足そうにしていた。
ボーッとそれらを眺めていると終業のチャイムがなる。授業は全て自習だった。
里美がお昼を誘ってきたので一緒に食べる事にする。
何度でもいうがこれは夢だ。
アニメとかでよくある理想を餌に対象を縛り付ける世界だと思う。
俺は勇者の装備を封印した神殿にいた、もしかするとこれは試練なのかもしれない。
しかしどうすれば抜け出せるんだろう。
ここを拒絶すればいいんだろうか。
どうやって?
強く念じればいいのか?
それならさっきからやっている。
しかしいっこうに抜け出せる気がしなかった。
「聞いてる?曜ちゃん」
「え?何が?」
「もう、だからね、お父さんが洗濯物一緒にするの、やめてっていってるのに」
「はは…、それぐらい許してやれよ」
こっちの里美は反抗期らしい。
なんというか、平和だなぁ~~。
いつまでもこんな話を続けられれば幸せだろう。
だがそういう訳にはいかない。
ここはただの夢なのだから。
「馬鹿か貴様は」
「へ?」
唐突に罵倒された。
気づけば横に誰かが立っていた。
白い髪の目付きの悪い少年。現代の学校には似合わない弥生時代の単織物みたいな服を着ていた。まるで異世界の住人のようだった。
「この阿呆め」
また罵倒された。
おかしい、ここは俺の理想の世界ではなかったのか。目の前の少年にはあったことがない。しかし妙に懐かしい感じがした。
「その程度で世界を拒絶した気でいるとはな」
「じゃあどうすりゃ良いんだよ」
「殺せ」
そう言うと少年は剣を生み出した。
俺がいつも使っている自作の剣だ。
幾度も改良を繰り返して、俺の成長を見守ってきてくれた愛用の一振り。
それを手渡してくる。
「殺せ、て……何を」
「全てを」
そう言うと少年は消えてしまった。
俺の手には握りなれた剣だけが残る。
それをじっと見つめる。
「曜ちゃん……私を、殺すの?」
「そんなわけっ………」
少年の言葉を思い出す。
『その程度で世界を拒絶した気でいるとはな』
この手で殺さねばならないのか?
里美を。里美の両親を。
こんなにも平穏なのに、それを壊すのか、俺が……?
「うわあああ!」
「!」
突然、教室に響いた絶叫。
そして鳴り響く金属音。
見ると俺同士が剣を合わせていた。
「どけ!元の世界に帰りたくないのかっ!」
「これで戻れる保証はないだろ」
「やってみりゃわかる!」
どうやら俺の中の一人がクラスメイトに斬りかかったらしい。
それを別の俺が止めたようだ。
「どけぇ!」
「うりゃあ!」
他の場所でも戦闘になっている。俺同士が斬りあっている。
もうぐちゃぐちゃだ。
これはたぶん、俺の心の中なんだろう。
ここは俺の理想の世界だから。
「曜ちゃん……」
「里美……」
名を呼ばれて目が合う。
もう本人にしか見えない。けれど絶対に偽物だ。
すると彼女は近づいてきて剣を握った。
抜き身の刃が手のひらに食い込んで鮮やかな血液がこぼれでる。
ゆっくりと動かして切っ先を自分の胸にあてがう。
「良いよ、曜ちゃんの為なら」
死の承諾。
それを見て、俺の疑念は確信に変わった。
「そんな事できるわけないだろうが」
俺は剣先を握る里美の手を優しく剥がす。
そして滴る鮮血をペロと舐めた。
「よ……曜ちゃん…」
「里美、結婚しよう」
「え、ええ……!?」
俺の告白に教室内は静まりかえる。皆が俺達を見つめていた。
里美は赤面して逃げ場を探すように目を泳がせる。
俺は彼女を逃がさないよう握る手に力を込める。
やがて逃げられないことを悟った里美はうつ向いて、目をつぶり、そっと触れるようなか細い声で返事をした。
「………ハイ」
「ふ、ふふ…ははははははははははははっ……」
思わず笑いが込み上げてくる、いや笑わずにはいられない。
「曜ちゃん……?」
里美は不安そうな、今にも泣きそうな声で俺の名前を呼ぶ。
さすがにかわいそうになったのでなんとか話を進めることにした。
「流石に都合が良すぎるわ」
結局はそれだけの事だ。
彼女は、彼女達はどうしようもなく偽物なのだ。
現実はそんなに甘くない。
例え彼女達が幸せそうでもそれは俺がこうじゃないかと押し付けたものでしかない。
気持ち悪い独善でしかない。
いくら里美でも俺の為に死んだりはしないだろう。混乱して設定がぶれたのかもしれない。
俺が助けて欲しかったから里美が応えてくれたのかもしれない。
どんだけおんぶにだっこなのか。気持ち悪い。
「曜ちゃん…」
「里美、また会おうな」
けれど、俺はこの世界を否定しない。殺さない。
ここは俺の理想郷だ。そこを目指すこと自体を悪いとは思わない。
間違っているのはなんの努力もせずにそれが手にはいると思ってる俺だ。
この世界に必要ないのは今の俺だけだ。
剣を握り自分の喉元につき当てる。
他の俺もそれぞれ同じ体勢に移った。
そして勢いよくそれを差し込んだ。
目が覚めるとやっぱりそこは神殿の中だった。
硬い石の床がひんやりと寝ぼけた頭を冷やしてくれる。
それとは裏腹に頭部はなぜか暖かく感触は暖かい。
「おはよう」
そして寝そべる俺を上から覗きこむ顔があった。
佐竹先輩だ。
俺は先輩に膝枕されているらしい。
腕に力を入れて身を起こす。
「もう少し居てくれてもいいのに」
「先輩が一番乗りだったんですか?」
「うん、そんなに待ってないけどね」
振り替えると反対の膝ではヘカテリーヌが眠っていた。どうやら最下位は免れたらしい。
俺は先輩の隣に腰かけると軽く息を吐いた。
「良い夢だった?」
「はい、とても……」
「そっか…、里美ちゃんの夢、かな?」
「いえ、みんなの。たくさん俺がいていろんな事してました。先輩やヘカテリーヌもいました」
「ははは、流石にたくさん自分がいたら夢だって気づくよねー」
「……いえ、里美に告白したらOK貰えたんで、これは違うなって」
「え?どういう事?」
「幼稚園の頃にもプロポーズしたんすよ、そしたらふられて……」
「ええー、幼稚園なんてノーカンでしょ!」
「……そうですかね」
「当たり前でしょ、もう」
そうなのか、まあそのお陰で出てこれたし結果おーらいだろう。
「先輩はどうでした?」
「私?私はー……君の夢だよ」
「……」
予想はしていたが実際に口にされるとドキッとする。
悪戯っぽい笑みも破壊力が凄かった。
「でも、覚めたんですね」
「うん、夢は夢だもん、いつかは覚めるものだよ、良いものも、悪いものも」
「先輩は強いですね」
「だてに100年近く生きてないからねー、はっはっ」
そう言うと先輩は俺の肩に頭を乗せてくる。
「でもちょっと疲れちゃった……」
「膝枕してくれましたからね」
しばし沈黙して冷ややかな空気で火照る体を冷ます。
今は静寂が幅をきかせているのだろうが俺の耳には心音がやけに大きく聞こえていた。
肩に先輩の重みを感じる。
恋人同士ならこんなこともするんだろうか。
俺はその重みを少し持て余していた。
先輩は俺に好意を持っているらしい。
けれどそれに応えられる物が今の俺にはない。いやこの先見つけられるかもわからない。
もしこのまま放置し続けるくらいならきっぱりと断るべきなのではないか。
だけどきっと先輩はそれすら受け入れてくれるだろう。
彼女は言った、好きにさせてみせると。そして言うだろう、今はその途中なのだと。
俺は先輩を好きになっているんだろうか。
どうして先輩はそんなにも俺が好きだと言えるんだろうか。
「意地悪な先輩でごめんね……」
「え?」
不意に聞こえた言葉は冷たい静寂によく響いた。




