本まみれ
「先輩、異世界って知ってますか?」
「ええっと、ここではない世界、かしら…?」
「辞書的にはそうですね、けどもし、本当にそれがあるとしたら」
「……まあ、今さら何があっても驚かないわ」
さすが先輩話が早い。
「じゃあ行きましょう」
「…どこに」
「俺んちに!」
先輩を案内しながら帰宅。
鞄を置いてそのままゲートに直行する。
「里美、ちょっと用事が……」
ゲートのある里美の部屋の扉を開ける。
すると目の前には。
絶賛着替え中の当人が驚いた顔でこっちを見ていた。
相変わらずだらしなくついた脂肪が視線を奪う。ピンクの下着がよいアクセントになっていると思う。
ってそんな事を考えている場合じゃない。
「曜ちゃんのエッチ!!」
「すっすすまん!」
慌ててドアを閉めて翔んでくる鞄から回避する。
ふと横を見ると先輩がゴミを見るような瞳で俺をへいげいしていた。
今まで無表情だったのが嘘のようだ。
「いつもああゆうことしてるの?」
「まっまさか、たまたまですよ」
「ふーん」
冷たい視線が背筋を震わせる。
俺もエロジジイのことを言えたもんじゃないな。
「む?みない顔じゃの?曜のセフレか?」
そんな事はなかった。やっぱり最低だこのジジイ。
「随分愉快なご家庭なのね」
「いやーそれほどでも…、そうだじいさん、時間を巻き戻したりするのって可能なのか?」
「できるか否かと言えば、できるかの」
「ほんとか!?じゃあ一定の期間内に閉じ込めたりとかは?」
「そういうのは時魔法の領分じゃな」
「時魔法?」
「その名の通り時間に干渉する魔法じゃよ、既に失われた古代魔法の一つじゃがな」
「失われてなんかいないんだ、事実先輩はもう何度も過去に戻らされてるんだ、先に進めないんだよ」
「そうは言ってもの…、アウステラの大図書館なら何か手がかりが見つかるかも知れんが…」
「ほんとか!」
小さな手がかりだが何もないよりはましだ。
「曜ちゃん?」
ちょうど里美が着替え終わって出てくる。入れ替わるように入室した。
「またあっちに行くの?」
「ああ、遅くなるかもしれない」
「…うん」
里美は軽く先輩に会釈すると一階に降りていった。
「あの子、恋人?」
「そういう訳じゃ、幼馴染みというか、家族みたいなものです」
部屋あるクローゼットを開けるとグニャリと不自然に景色の歪んだ空間が出現する。
「何これ……」
そういえば異世界に行ける人は限られているのだが、先輩は大丈夫そうだ。
「先に行ってください、向こうに着いたら裸になってるので俺は5分後ぐらいに追いかけます」
「なんでそんな設定なのよ……」
「さあ」
ゲートを開いたのは記憶を無くす前の里美なので詳しい事はわからない。
先輩は少し躊躇した後、ソロリソロリと消えていった。
5分後俺も後に続く。
「大図書館、大図書館っと…」
記憶を頼りに中央区へと向かう。
「本当に、こんな世界があるのね…」
先輩は感慨に耽るように町の様子を観察していた。
「すごい、頭がドラゴンよ」
もの静かな先輩がちょっとはしゃいでいるのは微笑ましい。同時に元はこういう性格なのだと思うと悲しくもあった。
できれば町を案内したいが今はそんな暇もない。
大図書館に着くと早速中に入った。
直後あまりの光景に言葉を奪われる。
見渡す限りの本、本、本。
背丈の何倍もある棚に隙間なく書物が詰まっている。それも視界いっぱいに。
一生かけても全てに目を通すことはできないんじゃないか。
一つ一つ確認するのは不可能だ。
という訳で司書とおぼしき方に相談してみた。
「時魔法の本ってありますか?」
「少々お待ちください」
司書さんは空中の文字を操作して何かの作業を始める。暫くすると返答が返ってきた。
「申し訳ありません、『時魔法』の該当件数は0件でした」
「え…」
0、一つもないってことか。
そんな……。
暗雲が立ち込めるどころかいきなり終止符が打たれてしまった。
「古代魔法ならどうですか?」
しかし横から先輩が助け船を出す。
「少々お待ちください」
先程と同じ作業、しかし返答は違っていた。
「13290番から15860番ですね、もしかしたら時魔法の記述もあるかも知れません」
「本当ですか!?」
よかった、なんとか光明が見えてきた。
「ちなみに何冊くらいあります?」
「古代魔法を扱った書物は少ないので10万冊くらいでしょうか」
「10万!?」
結構多いように聞こえるが…。
「一日100冊読んで3年弱ね…」
次のリセットまで残り8ヶ月程、とてもたりない。
だが手がかりはこれしかない。
「やりましょう先輩」
「…そうね」
例え今回無理でも必ず次には繋がる。
俺たちは指示された棚から本を抜き出し席についた。
それからはもくもくと活字と向き合う。
じっくりと読みふける必要はない、さらっと目を通して時魔法の記述を見つければいい。
ただ見落としは許されない。
読書は嫌いではないがそれでも消耗は必至だった。
ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ ペラッ………。
「んーー」
椅子から立って背筋を伸ばす。凝り固まった筋肉がビシビシと音をたてた。ふと時計を見る。
「先輩、もう7時過ぎてますよ!」
「え、ああ…」
先輩はゆっくりと本を閉じて立ち上がる。
「どれくらい読めました?」
「10冊くらいかしら…」
俺はそれよりちょっと多いくらいだ。
ここに来てから3時間程、二人合わせて30冊もない。
「先輩、一人で戻れますか?俺、もうちょっと残ってみます」
「私もいくつか借りていくわ」
先輩がいなくなった後も俺は閉館時間の夜10時までページをめくり続けた。
「めちゃくちゃ腹減った…」
夢中で読み続けた結果腹ごしらえも忘れ、お腹の虫が鳴き続けるなか、街灯にてらされながら帰宅するのだった。
ゲートをくぐって元の世界に戻ってくる。
部屋に里美の姿はなかった。
トイレか何かだろうか。俺は部屋を出て一階に向かった。
そこには作りおきされた晩御飯と机に突っ伏して眠っている里美がいた。
彼女の前に置かれた食器にもまだ手がつけられていない。
「待っててくれたのか…」
俺の胸に痛い後悔が去来する。せめて一度戻ってくるべきだった。
「ん…曜ちゃん?」
頭をなでると里美が目を覚ます。
「お帰りー、ご飯食べる?」
「お前は座ってろ、俺がよそうから」
台所に入って味噌汁を暖める。次いでご飯をよそってから席についた。
「いただきます」
「いただきます…」
里美は寝ぼけているのか手つきが覚束ない。
「いつもありがとな」
「む…何か言った…?」
「何も」
そうして夜は更けていくのだった。




