摩天楼
世界三大国家の1つ、ヒメチュリア共和国。
歓楽街が並ぶ綺羅びやかなその都の中心で人々を見下ろす巨大な塔。
一階は街の様相を表すように、この国一番の大規模なカジノが開かれていた。
俺達は赤青白、豪華なドレスを着込む人々とコインの中を突っ切って、エレベーターで上階へと向かう。
窓から見えるのは夜闇に浮かぶヒメチュリアの眠らぬ街。その端で暗く沈む一帯、監獄と非民街だ。
「つきましたよ」
兵士らしき男の導きでエレベーターを降り、真っ赤な絨毯を歩き、やがて目を痛めそうなほど豪華な広間へとやってきた。
その中央に数段ほど盛り上がった舞台があり、広い部屋に不釣り合いにポツンと椅子が1つだけ置かれていた。
そこに座っていたのは腹の膨れた不健康そうな髭面の男だった。
おそらくこの国で最も偉い人間だろう。
だが俺はその隣りにいる、男によりかかる人影に目を奪われた。
ケモ耳だ。
銀色の長い髪を自由に垂らし、肢体に沿って流れるそれは乱れているようでどこか均整がとれているようにも感じられる絶妙なバランス。
ケモ耳だ。
通った鼻筋にきりりとした眉。
長いまつ毛はピクピクとこちらを誘うように揺れて、照明が反射し輝く瞳は全てを見透かされそうで、しかし吸い込まれそうなほど底が見えない。
ケモ耳だ。
水々しいピンク色の唇に、紫の上品なドレスから覗く透き通るような白い肌。
自然に投げ出された肉体は、最小限の奥突でいやらしさのない神々しいまでの造形をしている。
そして頭頂には柔らかそうな毛皮に覆われたケモ耳がちょこんと生えていて、美しさと可愛らしさが同居した人間離れした容姿を生み出しているのだった。。
「ふふふ、残念だがこの子はわしのものじゃ」
すると王がその人の頭を抱えてひき寄せた。
この野郎。
「ヨウ、どうしたの?」
「…?…何が?」
「なんか変だったから…」
そうだろうか?
確かになんとなく頭がボーっとする気はするが…。
「私語は慎みなさい、王の御前ですよ」
すると隣の部屋から誰かが出てきた。
その男も顔に傷がある。
「ああー!あんたはぁー!!」
男を見るなりヘカテリーヌが叫び声をあげた。喋るなと言われたろうに。
「これはこれは、勇者様、どこかで出会いましたかな?」
「白々しい!私をボコボコにしたくせに!」
ボコボコ?
「私が相手をしたのは偽物の方です。まさかあなたがそうですか?」
「私はいつだって本物よっ!」
どうやら指名手配されていた時に面識があるらしい。
「咬狼、客人に対して無礼であろう」
「失礼いたしました」
王に叱責されて男は引き下がる。1つ気になる言葉が聞こえた。
「客人?俺達はルール違反で連れて来られた筈ですが」
「ん?はっは、ちょっとした洒落だよ。勇者一行が我が街に来ているというので少し挨拶をと思うてな。ビビった?」
「王様、イジワルをしては可哀相ですわ」
美人が初めて口を開いた。
清らかで美しい、珠のような声とはこういうのを言うのだろうか。
あとケモ耳だ。
「どうかな、ヒメチュリアは。活気に溢れた素晴らしい街だろう」
「はぁ、そうですね…」
溢れ過ぎてる気がしないでもなくもない気がしないでもないが。
「塀の向こうの人達を出してあげられないの?痛っ!?…なにするのよっ」
「でっかい虫が居たんだ」
いきなりこいつは何を言い出してんだ。
「ははは、勇者様はお優しいですなぁ。しかしあれらは罪人やその子孫達、貴方が気にするような連中ではありません」
「けど、そんなに悪い人達には見えなかったわ」
「それはあそこに閉じ込めているからです。自由を与えれば何をするかわかったものじゃない。奴らの魂は罪を背負っているのですから、国内に留めてやっているだけありがたいというものだ」
「でも…」
そもそもの価値観が違うのだ、話になるはずもないし、ここで事を荒げる必要もない。
「しかし鉱山で採れる物はこの国を支えているのでは?いなくなったらそれはそれで困るような…?」
「む…」
とはいえ俺も気になることがないわけではなかった。
他人の矛盾はつっつきたくなる。
「それなら補充すればいいだけ。代わりはいくらでもいるのです」
すると後ろに控えていた傷の男が口を挟んだ。
「そうだそうだ、代わりはいくらでもいる、私や貴方がたと違ってね」
「そんな事むっっ」
ついにヘカテの容量の少ない我慢が限界に達したので、俺は即座に彼女の口を塞いだ。
「そういえばこの国にはいかなる理由で来られたのかな」
「ああ、ジッポンガに渡りたいのです」
「黄金の国にか、それは難儀であるな。あの国との関わりは偶に交易船が来るくらいだ」
「交易船。それはいつ頃やってきますか?」
「ふむ…。一月の時もあれば、半年以上、間の開くこともある」
いつ来るのかはわからないらしい。
「まあそれまではゆっくりしていくがよい。ヒメチュリアなら退屈することもないだろう」
そして俺達は城を後にした。
「もう、なんで邪魔するのっ」
「あそこで口論しても意味ないだろ」
「私、勇者なのに…」
「勇者の仕事は魔王を倒すことで社会問題を解決することじゃない。魔物がいなくなればもっと広く人間が住めるようになって、彼らの立場も変わるかもしれない」
「………」
ヘカテリーヌはまだ納得いかないようだったが、こらえてもらうしかない。
「じゃあ、魔王倒す」
「その為にはジッポンガにいかないとな」
「もぉ~、早く来てよ〜」
交易船とやらが来るまでは立ち往生になってしまう。
「剣の稽古でもしとくんだな」
「む〜……、私レンダ達に無事だって報告してくる」
「ああ、それがいいだろうな」
まだ俺達は規律違反で連行されたと思っていることだろう。
鬱憤を晴らすように駆け出したヘカテを見送って、俺はもう少し情報を集めることにした。
「お前はついていかないのか?」
珍しく別行動を選んだハルシャークに問いかける。
「道案内くらいはできるだろう」
「詳しいのか、お前」
「この街は勇者教の中心地だからな」
「へー」
ハルシャークの話を聞きながら常に騒がしい街を右往左往に歩き回った。
「ほんとに教会がいっぱいあるんだな」
「信徒達の寄付金のおかげだ」
「ギャンブルで巻き上げた金か」
「そういう物もあるだろう、だが最近は苦労しているようだ」
「なんで?」
「マフィアが台頭してきたところに、王が美女にうつつをぬかして国の金を散財しているとか」
「ああ、あの人か…」
確かに魅了されるのもわかるくらい美しい人ではあった。しかしそこまでだろうか?
「宗教とマフィアと美女の三つ巴か、嫌な国だ…」
表向きはただの賑やかな街だが、一歩奥に踏み入れば人の欲望が渦巻いている。
「お前もギャンブルとかすんの?」
「生きることがギャンブルのようなものだ」
「めんどくせぇ」
「金にもスリルにも興味はない」
「じゃあ何ならあんの?」
「ひとえに信仰と神の愛だけだ」
「信者乙」
「そういうお前はどうなんだ?」
「俺?……俺は…世界平和かな」
「やはりそうだろう」
「冗談だよ」
世界、というのが自分に見える範囲の事なら誰だって平和が一番だろう。
だが塀の向こうの事は誰も気にしない。
いやその為に視界を隔てているのか。
「神は皆を救ってくれないのか?」
「信じる者は救われる、それ以外は異教徒だろう」
「そうかい…」
適当に会話しながら街を見て回ると、中央の塔に次いで大きな建物へとやってきた。
まだ工事中のようで、所々、木造の足場が見られる。
「アステリウス・ユナ大聖堂だ。我らの持つ最も大規模な教会になる」
「ほえー」
見上げるほど大きなその威容は、たいして信心深くない俺でも圧倒される荘厳さだ。
細やかな装飾の意味を読み取ることはできないが、鍛冶師とはまた違った職人達の技術とこだわりを感じ取れる。
周りの装飾過多な家々と飾りの量は同じでも、質にはだいぶ差があり、ここだけ切り離されているような特別な空間を思わさせられた。
中に入ると外の騒がしさは完全に隔離され、冷たいまでの静けさに満ちている。
美しいステンドグラスが見下ろすそこでは人々が祈りを捧げていた。
「ハルシャーク君かい?よく来たねぇ」
すると汚れのない真っ白な服を来たおじいさんが声をかけてきた。見るからに偉い人だとわかる。
「ご無沙汰しておりました、ジェト大司教」
「いやいや、勇者様と共に旅をしていると聞いたよ、同じ教えを受けるものとして誇らしい限りだ。そちらの方は、もしかしてカタクラ様かい?」
「ええ」
「なんと、これはこれは、よくぞお越しくださいました」
偉そうなおじいさんは俺の前にひざまずくと手を組んで何やら祈り始めた。
俺は突然の事に困惑してしまう。
「いや、あの、…俺を知ってるんですか?」
「当然でございます。勇者様の従者ならば皆、聖人と同等かそれ以上に尊い方々ですから」
「そんな大げさなもんじゃないですけど…」
勝手に話が大きくなっているみたいだ。
「彼は隠遁を好みます。あまり構わない方がよろしいかと」
「そうかそうか、流石は謙虚でいらっしゃる」
陰キャも見方によっては美徳になるということか。
大司教様は祈りを終えると俺達を奥の部屋へと案内してくれた。
「それで、何か要件があって帰ってきたんだろう?」
「ええ、実はジッポンガへの渡航を考えていまして」
「ほう、なるほどそういうことか」
「行き方を知ってるんですか?」
「いいえ、ただ我々は彼の地にも教えを広めたいと考えていまして。今は船を用意している最中なのです」
「それはいつぐらいになりますか?」
「まだ数ヶ月はかかるかと、お役に立てず申し訳ありません」
「そうですか…」
結局は時期を待たなくてはいけないようだ。
「ちなみに船はどうやって…?」
「ヒメチュリアの南にある港湾都市で建造しております」
「なるほど…」
「どうかなさいました?」
「もしかしたら力になれるかもしれない」
「なんとっ」
俺のスキルならもっと速く船を作り上げることができるかもしれない。
「さっそく行ってもいいですか?」
「す、少し時間をくださいますか?」
流石に今すぐという訳にはいかないか。
だがそれでも、何もせずにいるよりは先を見通せるだけマシになったと思う。
俺達は話を終えて教会を後にする。
「ハルシャークや、たまにはこうして顔を見せに来なさい。私はいつでも待っているから」
「御心遣い、感謝いたします。しかし今は私は聖戦にこの身を捧げたいのです」
「まったく、教えに従順なのはいいがお前は自分を顧みないところがある。孤児であったお前を拾った時からな」
「…申し訳ありません、救ってもらったこの命を主の為に捧げたいのです」
「やれやれ、カタクラ様、どうかこの哀れな男をよろしくお願いします」
「なるようにしかならないんじゃないですかね…」
「流石の一言です。達観していらっしゃる」
「まあ、たまには帰ってきてやったら?」
「…考えておく」
ハルシャークは珍しく要領を得ない感じだった。案外、恥ずかしがっているのかもしれない。
二人の関係はよくわからないが、お互いそれなりに思い合っているのだと思う。
「勇者様にもよろしくお伝えください。そういえば、どこに滞在しておられるのかな?近くまで来ていらっしゃるのでしたら、ぜひ一度ご挨拶に伺いたい」
「ああ、今はたぶん塀の向こうにいますよ」
「なんとあのような場所に!?」
すると今まで温和だった大司教様の表情が険しくなった。
「ハルシャーク、どういう事だ?」
「勇者様は彼らの現状を嘆いておいででした」
「そういうことか…。流石は勇者様、あのような者達にまで慈悲の心をお持ちとは。配給の量を増やさなくてはな」
「食料は教会が配っているんですか?」
「一部を負担しております。神に背きし者たちの子孫とはいえ、生まれながらに罪を背負った哀れな子等ですから、せめてもの施しとして」
俺の世界では差別的なんだろうがこの国ではまだましなんだろうか。
俺達はいくらかのお土産を持たされて、非民街へと戻った。




