罪の式典
「おおむね、貴方のおっしゃる通りです。今思えば私は自由というものに憧れていたんでしょうね」
その言葉は重さによって俯いた頭から口を介してこぼれ落ちるようだった。
「私は王家の決まりで他の王が司る物事に関わることが許されなかった。幼い頃はよく木剣で競い合ったものですが、いま戦えば軍事王として訓練を受けているバウリーグには敵わないでしょう」
昔は三王子の中でバーンズリーが一番強かったとバウリーグが言っていた。
「羨ましかったんだと思います。勇者は己の技のみで困難に立ち向かい乗り越えていく。その心の隙を崇拝者達に見抜かれてしまった。尋問しながら逆に口説き落とされてしまった」
「それで奴らに協力したのか」
「はい、勇者をおびき出し儀式の贄とする。失敗しましたが」
そういえば崇拝者達の隠れ家を探すよう指示したのはバーンズリーだった。
「そこでもう一つの罠を使うことにしました。父上が誤ってしまった許可証を利用したんです」
「外交王が誤った?」
「普段、許可証を作成するのは私の仕事ですから、おそらく久しぶりで忘れていたのでしょう、塗料のビンの底に沈殿した成分を混ぜなければいけないのですが、父は筆を上面にしかつけない癖があった」
てっきりバーンズリーが偽装したものだと思っていたが、そもそも王様がドジったのか。
「父の失敗を公表するのは憚られたのでそのまま使えるようにしていました。それを逆用することにしたんです。勇者一行を密航者に仕立て上げて世界中で指名手配にした。この時にはもう私は自らの過ちに気づいていました、ですが後戻りも許されなかった」
「王様に罪を擦り付けたのは?」
「初心を思い出したからです」
「初心?」
「稚拙な言い方をすれば王への憤り、でしょうか。現職の王が勇者を落とし入れた、そんな事がバレれば王座そのものが奪われるのではないかと、次代の私も含めて」
「王様を死刑にしてでもか?」
「…あの人は私を王座に縛り付ける鎖そのものでしたから。ですが何者かが父を襲撃し意識不明になったことで、私の後継が自然の流れになってしまった」
王様を襲ったのはバーンズリーじゃなかったのか。
「私は…どうすれば良かった……どうすれば良い…??」
顔を両手で覆い隠して悲嘆するバーンズリー。彼のこのような姿を見たのは初めてだった。
それでも相変わらず自分の未来を他人に委ねようとする。
「お前はどうしたいんだ?」
「私が……?」
もしも、まだ勇者を認められないというなら、左腕の光線兵器をこいつに撃たねばならない。
「私は……王政を廃止したい…」
予想外の返答だった。
思いがけず大それた展望に呆気にとられたが確かに彼の生い立ちを考えれば当然の帰結なのかもしれない。
「ですが、もう私に時間は残されていない……」
「罪を償うのか?」
「もし全てを告白すれば死刑は免れないでしょう。そして今後も私と同じ思いをする子供たちが産まれ続けることになる」
曖昧な答えだった。
彼の言い分にも一理あるが、一度、道を踏み外した者に思いを遂げる資格は無いのかもしれない。
「勇者なら、ヘカテリーヌならきっとあきらめない」
「…え?」
「残された時間であがくことはできる。お前、勇者に憧れてたんだろ」
別に剣を持たずとも戦うことはできる筈だ。
こいつのした事は許されないが少なくとも俺達はバーンズリーに助けられた事もあった。
「しかし…」
「まあ、諦めたいなら止めはしない。今までの発言は録音させてもらった、証拠にはならないが公表すれば非難は免れない」
「いつの間に…」
左腕のツェフルに頼んでおいたのだ。
これで俺はバーンズリーの命綱を握った事になる。
「俺は真相が知りたかっただけだ、後は好きにしろ」
「…なぜ、すぐに告発しないのですか?」
「………」
正直、今回の件で俺はそれほど被害を受けていない。
ヘカテリーヌ達の方がよっぽど危険を被った筈だが、彼女たちに話して事を大きくするかは判断に迷う。
それにバーンズリーには一つ頼みたい事があった。
「『崇拝者達』について聞きたいことがある」
いかなる理由によってか魔王に心酔するようになった人間達。彼らの詳細はよくわかっていない。
「お前、あいつらと一緒に居たんだろ」
「ええ、あまり長くはありませんが…」
「あいつらはどんな集団なんだ?」
「……彼らは世界に不満を持つ人達なので力のない弱者が多いです。その為、殆ど烏合の衆だと思います。ですがトップの男だけは曲者でした」
「トップの男?砂漠の村を率いてた奴じゃないのか?」
「彼がリーダーではありましたがあくまで名目上です。実質的なトップは『オロチ』と呼ばれていました」
「オロチ…どんな奴だ?」
「表情の読めない不気味な男で、言葉巧みに人を操る術に長けています。私も彼に会って考えを曲げられました、言い逃れではありませんが…」
詐欺師の類でどうも話の上手いやつらしい。弱っている人間ならさぞや操りやすいだろう。
「そいつは何が目的なんだ…?」
「わかりません。何分、心の読めない男でして…」
「じゃあ調べられるか?」
「……そういう事ですか」
いまだ実態の掴めない崇拝者達に接触できる手段があるならば是が非でも手に入れたいところだ。
「…一度取り込まれてしまった私に、できるでしょうか?」
「さぁな、できなきゃ大人しく罪を償って死ねばいい」
「手厳しい、とも言えませんね私には…」
バーンズリーは少し黙った後、粛々と受け入れた。
「わかりました、それで少しでもお役に立てるのなら」
「契約成立だな」
「なにか書類に残しましょうか」
「今度は偽装するなよ」
「耳が痛いですね…」
こうして俺達の密約は結ばれることになったのだった。
その翌日、いよいよ新たなる王が誕生する日がやってきた。
アウステラの街は近頃の落ち込み様が嘘のように活気で満ちている。
いや、鈍重とした空気を覆い隠すための空元気かもしれない。
人々は朝から酒を煽り歌い踊って騒ぎ回るお祭りムードと化していた。
広場では式典の準備が着々と進められ、大きな舞台とそれを飾る色とりどりの織物が風に揺れている。
そんな中、俺は拘置所へ移送の為に手錠を嵌められていた。服も囚人用の白黒シャツに着替えさせられた。
「曜君、前科者になってもずっと大好きだから!」
「…いや、反応に困りますよ」
佐竹先輩が最後の挨拶に来てくれていた。
といっても一週間で帰ってくるのだが。
俺もバーンズリーの事を言えないかもしれない。
「里美ちゃんの事は任せて!」
「ほんと、迷惑をおかけします…」
懲役期間中は学校にも通えない。適当に言い訳を考えたが、下手したら留年の可能性もある。なんだかもうどうでも良くなってきた。
「私達の為にやったことだもん、何も言えないよ」
そう言って先輩は抱きしめてくれた。
温かさと柔らかさで涙が出てきた。
「そういえばヘカテの奴は?」
「なんかお城に呼ばれてるんだって。勇者として?式典に参加して欲しい?みたいな」
「へー」
「もー、何もこんな日にしなくたって良いのにねっ」
それはその通りだが文句が言えるはずもなく、俺は黙って手錠に繋がれているのだった。
そうこうしている内に王位継承の儀式はその幕を開けた。
壇上には王家の方々が席を並べている。
だが本来、現役の王が鎮座している筈の特別派手な王座は空席だ。
代わりに賑やかな会場には似つかない、物々しい断頭台が壇上の一部を専有していた。
今日は罪深き王がその役目を終える日でもあるのだ。
しかしその処刑具が使われることはないだろう。
本来なら刃の下にある穴には新王バーンズリーの首があるべきなのだが、彼は先王バンプーダァにその罪を被せた。
とある密約を交わす代わりに俺はそれを黙認したのだが、流石に命まで奪うわけにはいかないので処刑は延期になる手筈となっている。
レギュムが率いる音楽隊のラッパの音が高らかに鳴り響いた。
そして国民の歓声を浴びて次代の王が姿を現した。
バーンズリーは幾重にも丁寧に折り重ねられた仰々しい衣装に身を包み、笑顔はなく、引き締まった表情で壇上を進む。
そんな彼に人々は拍手を送り、輝かしい未来を感じて惹き込まれるように見つめていた。
バーンズリーはそのまま舞台の中央から少し離れた位置にある、大きなワイングラスのような形をした台座の前に立つ。
そこには水が張られており、水面にはおそらく覗き込む彼の顔が映し出されていることだろう。
それは『血別鏡』という。
血を垂らすとその者が前契約者の子孫であるかがわかるのだとか。
バーンズリーは水面に手を伸ばし、底に沈んだナイフをすくい上げる。
そしてその濡れ清められた切っ先で指の表面を撫でた。
わずかに染み出す鮮やかな血液。
ポタリ。
先程までの騒ぎが嘘のように固唾をのんで見守る観衆の静寂に、水滴の弾ける音がかすかに響いた。
ザワッ。
どよめきが後を追って広がる。
バーンズリーの指先からこぼれた血液は、水面に落ちると燃え盛る炎となって彼の元へ帰ってきた。
血のように赤い火は彼を覆うとその肉を容赦なく焦がしていく。
会場には人のものとも思えぬ甲高い悲鳴が轟いた。
「ひぃっ」「なんだ!?」「どうなって…」「おいおいおいっ!?」
ざわめきは徐々に大きくなって会場を騒乱に飲み込んだ。
人々はパニックを起こし誰彼構わず押し合いになる。
「何が起きてんだ…?」
その様子を少し離れた位置から見ていた俺は、理解が追いつかずにただ呆然と突っ立っていた。
壇上でも炎の中で悶え苦しむバーンズリーを王族達が愕然と見つめ続けている。
その中でただ一人、彼に駆け寄る者がいた。
彼の妹であるセイリス姫だった。
姫は血別鏡をひっくり返して、中の水をバーンズリーにかける。
だが異端者を呪う水鏡は、その裁きの炎をさらに激しく盛り立てるだけだ。
狂ったようにもがくバーンズリーは、そばに立つセイリス姫に助けをせがみ手を伸ばす。
姫はその懇願に思わず彼の手を取ってしまった。
次の瞬間、二人は炎を振り払うように空高く飛び上がった。
火の粉を舞って上昇するバーンズリーの体は徐々に人の形を失っていく。
影は膨らみ弓のように反り上がると端はジグザグに延びていく。
異形へと変貌した王となるはずだった男は、空中で静止すると、姫を抱えながら一声いなないた。
「あれは…!?」「魔物?」「魔物だっ!」
「王子は魔物だったんだぁぁーー!!??」
集まった観衆は我先にと広場から逃げ回った。
騒ぎは波となって街全体に波及していく。
「どういう事…?」
佐竹先輩の声が俺を現実に引き戻した。
「先輩、手錠、切れますか!」
「え?え?」
ぼーっとしてる場合じゃない。
俺にも訳はわからない。
それでも今やるべきことは一つだけだ。
あの怪物に囚われた姫を助け出さなければ。




