湯治
1日を費やして屋敷の建て直しを終えた俺はご厚意で湯屋に預からせてもらっていた。
お湯で汗を流すとヒリヒリと傷にしみた。
「あの野郎…」
昼間、匠座一門のコテツと殴り合ったことを思い出す。
思いっきり人を殴るのは気持ちいいような悪いような微妙な気分だった。あんな事をしたのはいつぶりだろう。少なくともすぐには思い出せなかった。
「ふーー」
湯船に浸かると水圧に押されて大きく息を吐く。
趣のある木造の浴室も相まって、目を閉じると眠ってしまいそうなほど心地良い。
毎日これにつかれるなら匠座に通うのも悪くないと思える。
だがそうもいかない。
俺の居場所は里美の待っている古いアパート。
ヘカテと冒険もしなくてはいけない。
佐竹先輩のこともある。
匠座の問題は匠座の人々に任せるしかない。
人にも何でもそれぞれのキャパシティーがあり、各々に見合った領分を超えることはできない。
できない分まで背負おうというのは無責任だろう。
スズの事も、コテツの事も俺は一緒に背負ってやることはできない。後は彼らに任せるしかないのだ。
「はぁーー」
再び大きく息を吐いた。
そう考えると世界を救おうという勇者様はたいしたものだと思う。俺にはとてもできそうにない。
がららららっ。
すると浴室と脱衣所とを別ける木製の引き戸が開け放たれる。
今まで貸し切り状態だったので誰か入って来たのだろう。
特に気にする質でもないが脱力したまま半目で姿を確認する。
「!?」
立ち上る湯気の向こうに見えた人物に思わず立ち上がる。
湯水が跳ねる音にその人もこちらに気づいたようだ。
黒く長い髪を頭上にまとめ、一糸まとわぬ体は起伏に富み女性の特徴を存分に見せつけている。
「あら、お邪魔だったかしら?」
浴室に入ってきたのはスズの母親、スミさんだった。
彼女はまったく臆する事なく堂々と木の床の上を歩いて洗体所の椅子に腰掛ける。
あまりの自然な仕草にもしかしたら俺がおかしいんじゃないかと思ってしまう。
ここって混浴だったっけ?
それとも匠座では常識なのか?男も女も同列的な?
もしかして俺が男として見られていない?
確かに壮年の人妻からすれば、高校生くらいはガキの範疇なのかもしれない?
「あのぅ」
「はいっ?」
「良ければお背中、流してくださいませんか?」
「よろこんでっ!?」
なんでこうなった。
石鹸を手にとって軽く泡立てる。
白い肌に触れるとしっとりとした弾力を感じた。
本物の女の体だ。
思わず生唾をのむ。
無防備な裸の女が目の前に存在している。
「もう少し強めでお願い」
「は、はいっ」
なるべく無心で言われるがままに手を動かす。
それでも目前で脈打つ柔肌は容赦なく俺の理性を奪いに来た。
よく考えろ、この人はスズの母親だ。曲がりなりにも教えを受けた人の親族なんてとんでもない地雷だろ。しかも未亡人。
耳をすませばスズの言葉が聞こえてくる。
数々の教えは俺の血肉となり技となった。
目を瞑ればスズの姿が浮かんでくる。
初めてあった時のふんどし姿だった。
控えめな性格とは真逆の主張の激しい肉体。
まるで見せつけるように大きく膨らんだ乳房は母親譲りだったのか。
って、何を考えているんだ、まずい、思考が完全にそっち方向に引っ張られている。
「どうかしました?」
「なんでもございませんよ!」
今こっちを向かれるのはまずい。とにかく手を動かさなくては。
泡を満遍なく延ばして擦る。
本当に俺と同世代の娘がいるとは思えないほど、きめ細やかで美しい肌をしている。
いや、もしかしたら封印されていた10年くらいの間、本当に年を取っていないのかもしれない。
「カタクラさんはスズと同じ力を使えるんですってね」
「え?」
突然、話しかけられてとっさに反応できなかった。
「えっと、そうですね」
素材から直接、武具を生み出す技術。ここではカンゲンコーリン術と言うんだっけ。
「情けない事に私にはできない、あの子と同じものを見てあげることができないの」
「俺だって一緒ですよ」
食い気味に拒絶のような同調をした。
牽制の為か、それとも本心か。
多分、両方だ。
「男と女、子供と大人、同じ人間なんて端からいませんよ」
「……そうね」
しばらく沈黙が続く。
その内にだいたい洗い終わり、泡を湯で流して俺はさっさと湯船に戻った。
「カタクラさんのお母様はどんな人?」
気を紛らわせようと木目をなぞっていたらそんな事をたずねてきた。
「普通の人ですよ」
あえて既に亡くなっていることは伏せた。
もうあまり覚えていない。特別に秀でた何かがあったわけじゃない。これといって特徴のない、本当にただの人だった気がする。
「そう、私もそんなふうになりたいわね」
「そうですか?」
別に憧れるような性格の人ではなかったと思うが。
それでもそんなふうに言ってもらえるのはなんだか少し嬉しかった。
バシャァ。
大きな音を立てて湯水がスミさんの体を流れていく。川が谷間をいくようにうねりながらその肉林に沿って流線を描く。四肢を覆う白泡を洗い流し、お湯で赤みがかった柔肌を露わにさせながら。
洗体を終えたスミさんは椅子から立ち上がるとこちらに振り向いた。
やはり大きい。
普段から里美のそれを不可抗力で見ている俺でもその迫力には目を奪われてしまう。
年齢のせいか多少、重力の影響をうかがわせるが、それがかえって熟れた果実の柔らかさを想起させた。
「はぁぁ…気持ちぃ…」
俺の隣に来ると肉体をゆっくり湯船に沈める。
どうやらおっぱいは水に浮くものらしい。
「俺、もう出ますね!!」
慌てて立ち上がり、目にも留まらぬ速さで退室した。
「あら、もういっちゃうの?」
これ以上は本当にまずい。
頭がクラクラしておかしくなりそうだ。
大急ぎで服を着替え、隣にスミさんの脱いだ着物もあったが無視して、何事もなかったかのようにその場を後にした。
「はー〜〜…」
大きくため息をつきながら廊下を歩く。
汗を流しに来たのに逆に疲れた気がする。
火照った体と頭を冷ますために屋敷の中を散策してみることにした。
匠座の屋敷は異世界にありながらどこか懐かしい和風の建築物で、歩くとギィ…ギィ…と廊下が鳴いた。
昔話に出てきそうな少し怪しい雰囲気も田舎の実家に帰ってきた感じがする。
バシンッバシッ。
しばらくふらついていると何かを叩くような音が聞こえてくる。
なんだろう?
釣られて覗いてみると道場のような一室。その中央でヘカテとコテツが木刀をぶつけ合っていた。
きっと稽古でもしているんだろう。肉体労働の後だというのにご苦労な事だ。
浴室が空いたと伝えようか、いや今はまずいか。
とりあえず少し待ってみることにした。
二人の稽古を陰ながら見守る。
内容ではヘカテがコテツを圧倒していた。
相手が相手とはいえあいつも強くなったもんだ。
しかし、しばらく打ち合うと動きが重くなる。結果として決着がなかなかつかない。
最初は稽古だから寸止めしてるんだと思ったがどうも違うらしい。
「勇者様、もっと打ち込んで来てくださいっ!」
コテツが激を飛ばすがヘカテの動きはやはりぎこちない。
どうやら片腕のコテツに遠慮しているらしかった。
呼吸を整えた後また数回打ち込むがやがて完全に手が止まってしまった。
「俺じゃ稽古にもならないか」
ヘカテが勇者だからかいつもより殊勝な態度をみせるコテツ。
「そ、そういう訳じゃなくて、でもこれ以上、怪我させたらまずいし…」
「……すまん、気を使わせて」
ヘカテにとっては優しさのつもりなのだろうが、手を抜かれるというのもそれはそれで悔しさもあるだろう。
「なんかもう傷だらけみたいだし…」
「カタクラは容赦なかったからな」
お前もな。
青くなった腕をさすって悪態をつく。
「ヨウったら、後で注意しとかなくちゃ」
「必要ない、貴方もあいつくらい向かってきてほしい。その方がやりやすい」
別に俺はコテツの事を考えてやった訳ではないんだからね。手心を加える余裕が無かっただけだ。
「ふーん、意外と仲良しなんだ」
「殴りやすい相手をそう言うなら、そうなんだろう」
言葉って難しいよな。
「あいつに裏切られても心は傷まない、だから気が楽だ」
「ヨウは裏切ったりしないわ」
「どうだろうな」
なんだか急に雲行きが怪しくなってきたな。
嫌味なコテツの言葉に素直なヘカテは過剰に反応してしまう。
それに擁護してくれるのは嬉しいが今後どうなるかは保証できない。
俺にそのつもりがなくても期待を裏切ってしまうことは往々にしてある。それがちょっと苦しかった。
「親だって子を裏切る、誰がそうなっても不思議じゃない」
コテツは親に見限られた捨て子だ。だから誰かを信用する事ができないのだろう。
別に俺だって誰彼構わず信用しているわけじゃないし、むしろ用心深いほうだと思うがコテツの場合はトラウマがあるだけに意識しすぎているきらいがあった。
「私はあなたを裏切ったりしないよ」
「事実は関係ない、俺がどう思うか、それだけだ」
ヘカテは誰かを裏切るような人間だ、とは言わない。あくまで自分自身の問題だからとコテツは申し訳なさそうに口にした。
そんな姿を見てヘカテは少し柔和な表情に変わった。
「確かにヨウはたまに口うるさいし、めんどくさがりだし、暗いし、後ろ向きだし、細かいし、野菜食べないし、里美のことばっかりだし、…エッチだけど」
ええ……。急にどうしたの。
「でもヨウになら裏切られても良い」
………。
「それは心が傷まないからじゃない。すごく悲しくて、辛くて、悔しいけど…」
ごめんね、駄目な人間で…。
「でも良いの、だってヨウが大好きだから」
「裏切られても…?」
「うん」
一切の迷いもなく告げるヘカテに、コテツは気持ち目を見開いて固まってしまう。一体、何を思っただろう。
俺はめちゃくちゃ恥ずかしかった。
なんならスミさんとの入浴よりも。
顔から火がつきそうだった。
やがて意識を取り戻したのか、コテツは普段より2割増していど笑って言った。
「…貴方はやはり勇者だな」
その笑みは称賛にも嘲りにも見える。
「オレにもそんな相手がいるといいな…」
「いるわ、きっと」
コテツはもう一度軽く笑うと道場を離れた。
廊下に出たところで俺と目が合うが一瞥しただけで、何事もなかったように歩き去った。
俺はそれを見送ると代わって中に入る。
「ヨウ、居たの!?いつから!?」
「俺がイケメンで頼りになって大好きってとこから」
「そんな事言ってない!」
なんとなく気まずいが精一杯、平静を装って対応する。
「風呂、沸いてるから入ってきたらどうだ?」
「あれ?スミさんが向かってたような?」
「ギクッ」
あれーなんのことかな。
「別にいいだろそんなの」
「それもそうね、行ってくる」
そう言って走り出すヘカテ。
これから裸の付き合いをするのか。
なぜか俺はその光景を鮮明にイメージすることができた。
 




