白露の小刀
「ぐぁっがっあああああぁぁぁぁーーーー」
腕を切り取られたコテツの悲痛な叫びが響く。
「コ、コ、コテツ、君…」
周囲は混乱と狂騒に襲われ、人々は救いを求めて右往左往する。
地面には巨大な亀裂が走っていた。
コテツの腕を切り裂いた閃光、正確には高速度の斬撃はどこからやってきたのか。
恐る恐る遠方を仰ぎ見る。
奴はそこに居た。
魔剣だ。
しかし先程までのそれとはまるで違う。
囚われているのは女性だろうか、肉体のほとんどが漆黒の刃に変貌していた。
より禍々しく、より鋭利に、より根深く、宿主を侵食している。
さっきまでのはただの破片、あいつが本体であることはすぐにわかった。
「お母……さん…?」
わずかに聞こえた言葉が俺の意識の全てを奪い去った。
とっさには何を言ったのか理解できなかった。
不意に溢れたその声はスズのものだ。
つられて彼女を見て、そして遠方の魔剣に取り憑かれた女性を見る。
かろうじて人の形を保っているだけで、その人相は初対面の俺には判別できなかった。
他人の空似であって欲しかった。
それが叶わないことは、おおよそ理解していたが。
「スミさん」「スミさんだ」「どうして…」
周りの弟子たちも口々にその名前を呼ぶ。
己の命と引き換えに魔剣を封印したというスズの母親。そんな彼女がなぜ。
よく見ると直剣か曲刀か種別のわからない酷く歪な剣が腹部に突き刺さっている、侵食はそこから広がっているようだ。
あれが魔剣の本体だろうか。
「スズを…連れて、逃げろ…」
コテツは残った右腕と口でなんとか断面に布を被せると剣を杖にフラフラと立ち上がる。
しかしどこに逃げろというのか。
もしかしたら俺達の世界なら可能かもしれないが、残された魔剣が何をしだすかわからない。
スズの母親は両腕を一つの大剣に変化させ、水泳の飛び込みの如く舞い上がった。
宙に放物線を描いて飛びかかってくる。
そこに割り込んでくる影が一つ。
給水を終えて帰ってきたへカテリーヌだった。
足裏を地面にこすらせてなんとか受け止めるが、敵は自在に姿を変える異形のもの、今度は長い黒髪を幾本もの槍に変えて降り注がせる。
2本の腕しかないへカテは数の暴力にたやすく叩き潰されてしまった。
「クソがぁ!」
次に向かっていったコテツと俺も同様に薙ぎ払われる。
連戦の疲労もあるがさっきまでの奴とは比べ物にならないほど疾く、強い。
「お母さん、もうやめてっ」
ついに目前まで迫った怪物にスズは必死に呼びかける。
だが魔剣に侵食された彼女の瞳はどす黒く濁っていて意思をまったく感じない。
それでもなすすべの無いスズはただ母親の名前を縋るように呼び続けるしかない。
涙混じりの声は痛く悲壮だ。
これ以上、彼女は何を失えばいいのか。
そんなスズを前に母親の姿を借りた魔剣は刃を天に掲げる。
そしてわずかな躊躇も見せず無感情にそれを振り下ろした。
「させん!!」
肉片と血飛沫が舞う。
飛び散った体液が地面に染みを作る。
それでも禍々しい黒刀は座り込むスズの遥か頭上で止まっていた。
彼我の間に滑り込んだ御頭がその肉体でもって凶刃を受け止めたのだ。
「まったく……このような形で再開するとは…」
御頭は口の端から血を吐きながら目前の愛娘に微笑みかける。
「しかしこれ以上は見ておれぬよ、儂と共にいこう……ぐっぅ…」
魔剣の刃が御頭の腹を貫く。
「昔から……寝かしつけるのは…苦手じゃった…が…それもここまで…」
刺されたところから光が広がっていく。
乱れた服の隙間から紫色の鉱石が見えた。
魔封石。
組織内に魔力を溜め込む性質を持つ特殊な堆積岩。
その破片は簡易的な魔法具になり一般人でも魔法が使えるとして広く普及している。
一撃を受け砕けた石の中から魔力が吹き出す。それは周囲に陣を描いた。
魔剣は異変を感じ取ったのか飛び退ろうとするが、どこにそんな力が残っていたのか、御頭は刀身をガッチリ掴んで離さない。
「逃さんわ…」
ギチギチギチギチギチギチ。
魔剣はそれを拒むように軋む。
震えて唸る様はまるで獣が鳴いているようで、初めて生物を感じた気がした。
輝く魔法陣はやがて解け、光の縄となって二人を縛り始める。
封印が始まった。
もはや逃げる事はできない。
縄が体中に絡みつき自由を奪っていく。
いつしか魔剣の軋む音も消えた。
やがて全てが収束する。
御頭の命と引き換えに再び、平穏が訪れる。
はずだった。
御頭を貫いた魔剣の切っ先が、震えながらもゆっくりと伸びていく。
その先にいるのは動けずにいたスズだ。
黒い刃は彼女の腕を軽く刺す。もう命を脅かす程の自由は残されていないがそれだけで充分だった。
光の縄は刀身を伝ってスズをも絡み取り始めた。
「なにっ!?」
御頭の動揺が術を狂わせる。
このままではスズも封印されてしまう。
「誰か、スズを…っ!」
周囲に助けを求めるが既に逃げ出すか、戦い挑む者は倒れてしまっていた。
俺はなんとか這い寄ろうとするが、体が言う事を聞かない。
「ぐうぅぅ……」
封印は進み続ける。
御頭が諦めない限り。
「………………………すまない」
呟いた直後、光の縄はバラバラの粒となって消えた。
魔剣は刃を抜いて脱出し、御頭は膝を折って地に伏したのだ。
匠座の庭は静寂に包まれる。
その静寂の名は絶望と言った。
一度退いた魔剣は再び前進を始める。
自らの生みの親を殺害する為に。
なんとかしなければ。
必死に腕を動かすが乳酸まみれの重い体を支えるには至らない。
「ツェフル!」
左手の人工知能に命じる。
「エネルギーが足りません」
肝心な時に役に立たない奴だ。無駄に文化祭の準備をさせた事を悔やむがもう遅い。
やがて魔剣がその足を止めた。
スズの命を射程に入れたから、ではない。
彼女自身が自ら近づいてきたからだ。
「スズ…?」
俯いた彼女の表情はわからないが頬は涙に濡れ、着物は汚れ、足取りはまるで生気を感じない。
嫌な予感がする。
「スズっ!!」
もう一度、名を呼ぶ。
すると彼女は少しだけ顔を上げてこっちを見た。
その表情は笑っているようだった。
「もう、終わりにします」
微かにつぶやくと魔剣の前にその身を晒した。
まさか、自ら死のうというのか。
魔剣はスズの命を狙っている。彼女が死ねばその目的は達成される。
だからといってそれで魔剣が止まる保証はないのに。
「やめろ、そんなことしたって…っ」
とはいえ完全に無駄だともいえない。
「これで全部、うまくいきますから」
スズは確信しているようだった。それで全てが丸く収まると、本気で。
「…死のうとしてるくせに、上手くいくとか、言うな」
「……ごめんなさい、でもいいんです。最初からこうするべきだったんです」
俺の言葉を聞いてスズは少しだけ悲しそうな顔をする。
「ずっと、迷惑をかけずにいなくなる方法を探していました。きっとそれが…今なんです」
「……そんなの、間違ってる」
そんな陳腐な言葉しか出てこなかった。
俺に彼女を止める権利があるのか、次第に確信が持てなくなる。
彼女の人生に責任が持てるのか?
一緒に苦痛を背負ってやれるのか?
その覚悟が俺にあるのか?
口先だけで生きろなんて、言えない。
そんなくだらない逡巡で時は過ぎていく。
無理やり引き止めたい。理由も根拠も証明もかなぐり捨てて。ただ、死ぬな、と叫びたい。何も考えず無鉄砲にバカげた正義感を振りかざしていたい。
けど、できない。俺は勇者ではないから。
考えて考えて、理屈で身を守らなきゃ動けないんだ。
「…ごめんなさい。せっかく私の為に素敵な刀、打ってくれたのに。受け取れなくてごめんなさい」
「……だから、そんなに謝るなって」
何も悪くないんだから。悪いのは……。
「……ごめんなさい」
スズは最後にそう言うと魔剣を迎えた。
暫く停まっていた魔剣は、再び動き出すとその身を振りかざす。
やめろ、誰かスズを助けてくれ。
願うものの誰に届くはずもなく。
重い、あまりに重い鉄の刃が少女の頭に振り落とされた。
やめろ―――――――――――。
何かの砕ける音が響いた。
過剰な衝撃が脳を揺する。
世界は壊れたように明滅し、目を開けていられなくなる。
あまりの光景に目眩を感じるが、なんとか意識は繋ぎ止めた。
そして、それを目にする。
砕け飛び散る魔剣。
スズを守るように浮遊する短剣。
白く透き通るような刀身は見覚えがあった。
当然だろう、それは俺が造りスズに贈った物だったから。
 




