引き分け
全ての基本となる素材、稀鋼6割。
柔軟性を増す、軟鉄鋼1割。
全体のバランスをとる、緑炭1割。
陽の光をいっぱいに浴びて育つ、真っ黒だが夜中でもほのかに輝き旅人の道標になる別名『勇気の鉄』、光合石1割。
接着剤になる、スライムシードをすり潰し0.5割。
最後に錫をひとつまみ。
丁寧に混ぜ合わせて炉にくべる。
出来上がったインゴットを再び熱して金床に置いた。
細かいことはもう考えない。
ここ匠座で教わったことはあくまでも予備知識。
結局、俺は師匠グラナ流の鍛冶師だ。
ガツゥン。
金槌を叩きつける、火花が散る。
肌の上に落ちるとチリチリ焼けた。
何度も、何度も、何度も叩き続ける。
思いの全てを鉄塊に注ぎ込む。
脳裏に浮かぶのは震えながら槌を握るスズの姿だ。
彼女の為に俺ができることは、たぶん無い。
そんな自惚れ屋にはなれないし、いい迷惑だろう。
それでも鉄を叩き続ける。
ただ作りたいから。彼女に感謝を送りたいから。彼女に教わったものを、その証明を、実力を、心配性な彼女に伝えたいから。
だからもう失敗は許されない。
けれどもう迷いはなかった。
やがて鉄材は先程と同じように輝き出す。
けれどその結末はまったく違う。
煤けた金床の上に現れたのは透き通るように白い、一振りの短剣だった。
それは間違いなく、今までで一番のできだった。
「ふぅ…」
全ての荷を下ろすように大きく息を吐き出すと、周囲の音が蘇ってくる。
集中していて気づかなかった雑音が耳に届く。
弟子たちは皆、驚き騒ぎ、最後に称賛した。
まばらな拍手が俺に手応えを与えてくれた。
「みな静かに」
しかし、お頭の激がとぶ。
まだコテツの作業が終わっていなかった。
横を見ると、それは美しい銀色の刀身が力強く屹立していた。
あらかじめ用意していたらしき柄をはめていよいよ完成させる。
「そこまで」
再びお頭の声が轟く。
それで今宵の催しは幕引きとなった。
「満足したか?」
「……はい」
お頭の前でうなだれるコテツの顔には覇気がない。
正直、勝負の結果は判断がつかない。
とはいえそもそもがお頭の言う通り、ここでの優劣に大した意味はなく、俺自身もうどうでもよくなっていた。
だが周囲にたむろす弟子たちの話題は俺で持ちきりだった。
コテツは完成した刀を再び炉にくべようとする。それは降参の意思表示だった。
全てを元の状態に戻すのだ。必死に槌を振るった時間も何もかも。
だがコテツの手を止めるものがいた。
ヘカテリーヌだ。
「私にくれるんじゃないの?」
無邪気にそう問いかける。
誰も彼も眼中にない中で、唯一彼女だけが気にかけていた。
「気休めはやめろ、あんたの言う通り、俺はあいつに勝てなかった」
言う通り?
いったいいつそんな話をしたんだろう。
「そこまでじゃなくて、ヨウはあなたが思ってるより凄いって言ったの」
「同じことだ。こんな物を勇者に持たせる訳にはいかない」
「で、でも、もったいない……、そうだ私、片刃の剣は使えないからいい練習になるかも」
その言葉を聞いたコテツは不意に目を見開いた後、口角をわずかに上げて嗤った。
「愚かだな、俺は」
使用者がまともに扱えない剣を作っていた、それに気づいたコテツは強引にヘカテの腕を振りほどくと刀を炉に放り投げた。
そんなやり取りを目の端でとらえながら、俺はお頭と挨拶を交わす。
「カタクラ殿そなたの腕前、しかと見せていただきました」
お頭は満足そうに笑っていた。
どうやら修行の対価はしっかり払えたようだ。
「やはり神業の授かり手でしたか」
「知っていたんですか?」
「いえ、もしやというだけです。以前にも見ていなければ露ほどにも思わなかったでしょう」
以前にも、とはスズのことだろう。もしかしたら俺の世話を彼女に任せたのは何か企んでのことだったのだろうか。だとしたら失敗に終わってしまったが。
「やはり貴方にスズを任せて良かった」
「……すいません、俺は…特に何も…」
後ろめたさを見せる俺にお頭は静かに笑いかける。
「そんな事はありませんよ。貴方の鍛えた剣が何よりの証左です」
言われて改めて金床を見る。
そこにはスズを思って打った白露のような小刀が鎮座している。
「人の関わりとは常にお互い様です、カタクラ殿がスズを良く思うようにスズもまた影響を受けるものです」
なんだか大げさな気もするが、気持ちがすれ違うなんてよくあることだ。
だけど俺があの刀を作ってしまったのは、受け取ってほしいと思ったからなんだろう。
俺は小刀を拾うとお頭に目配せしてから鍛冶場の隅へと向かった。
そこにはスズが、疲れたのかボーっとベンチに座っていた。
俺に気づくと慌てて姿勢を正す。
ちょっとした恥ずかしさを噛み殺しながら声をかけようとしたら向こうが先に口を開いた。
「あ、あの、すごく良かったです!」
飾り気のなさ過ぎる言葉に思わず苦笑する。
勝手に剣を打った後悔も忘れてしまった。
「すごく美しい小刀ですね」
俺の手にあるものを見てそう評する彼女。
どうやら気に入ってくれそうだ。
「へカテリーヌさんもきっと喜ぶと思います」
「ヘカテ?なんで?」
「だ、だって、自分を思って作られたものがそんなに美しいんですよ。嬉しいに決まってます」
そういうものなのか。それを聞いて俺はすっかり安心した。
「これはお前に宛てて作ったんだよ」
「………え?」
意味がわからないのかキョトンとこっちを見つめるスズ。
「嬉しいみたいで良かったよ」
「え、え?…あ」
先程の自分の言葉を思い出して赤面するスズ。
「受け取ってくれるか?」
「は…ん…」
剣を渡すのを両手で遮ろうとするが、押し付けてみると特に抵抗はない。
「…でもっ、私っ、戦えませんし…」
「いいんだ、護身用、お守りとでも思ってくれれば」
「お守…り…」
その言葉を聞いた瞬間、真っ赤だった顔を蒼白にするスズ。
あまりの変化に俺はこの時、状況を理解することができなかった。
その後もスズが剣を見る目は異様なものに変わっていく。
そして。
「………っごめんなさい」
「え?」
それを突き返すと鍛冶場から走り去ってしまった。
残された俺は訳がわからず立ち尽くすことしかできない。
思考は宙をさまよって着地点を失う。
得体の無い後悔だけがこみ上げてきた。
「追わなきゃ!」
「ヘカテ…」
騒然とする工房にヘカテリーヌの声が響いた。
目が合う。
彼女も状況を理解できてはいないだろうが、体がかってに動くのか、たじろぐ俺を見て取ると一人でスズを追いかけていった。
俺も追うべきなんだろうか?
追って何ができる?
喜んでくれると思っていた。少なくとも拒絶されるとは思っていなかった。また俺は失敗したのか。何がいけなかった?最初は問題なかった。ように見えた。どこで地雷を踏んだ?わからない。わからない…。
「スズが最初に作ったのも小刀だったんだ」
俺を思考の迷宮から引っ張り上げたのは、いつの間にか隣に来ていたコテツの声だった。
「……どういうことだ?」
「それをお守りとして、父親に贈ったんだ」
お守り。
俺がスズに伝えた思いだ。
そしてスズの父親は、もう……。
コテツはそれ以上、語らなかった。
他人がスズの事情を漏らす事を忌避したのだろう。
それでもヒントをくれたのは、それだけ俺が居たたまれなく見えたのか。
渡す相手の事を理解していなかった。
そういう意味では今回の勝負は引き分けだった。
俺は突き返された小刀をコテツと同じように溶鉱炉に投げ込んだ。
全ての思いは灼熱の中に消えていく。
しかし鉄は生まれ変わる、次の機会につながるよう願って。
「すまぬな、カタクラ殿、孫が失礼を」
するとお頭が申し訳無さそうに声をかけてきた。
「こっちの台詞ですよ、すみませんでした」
「いや、スズの傷を癒そうとして逆に広げてしまった。儂の失態じゃ」
やっぱりわざと俺とスズを組ませたのか。
けれど血の繋がった者でさえ、その心を推し量るのは難しい。赤の他人ならなおさら。
それが自分を許す理由になるとは思わないが。
「ただでさえウチの武器が迷惑をかけたのに…」
「ん、なんの話ですかな?」
「え?」
たしか業界を俺が師匠の武器をテキトウに売りまくっておかしくしてしまったとか。
元々はその事でアウステラの工房まで文句を言いに来られたのが今日までの発端だった筈だ。
しかしお頭は存じ上げないという反応。
どういうことかと、ウチの工房まで来たギンさんドウさんを見る。
やり取りを聞いていた二人はとぼけるように口笛を吹いた。
「二人共、どういうことだ」
お頭に睨まれて萎縮してしまうが、やがてギンさんが口を開く。
「す、すいやせん、座の収益が減って、居ても立っても居られなくて…」
必死に頭を下げる。
「まったく、儂らにできるのは精進を続けるだけ事だけだ」
この言葉にギンさんは申し訳無さそうに大きな体を縮こませるが、逆に抵抗したのはドウさんだ。
「しかし親方、スズがあの調子じゃ匠座の未来が…」
「口を慎め、客人の前だぞ」
強い語気で凄まれてドウさんも流石に口ごもった。
「もう夜も深い、今日はみな解散しなさい」
お頭の号令により面々は思い思いに散っていった。
帰り際、ヘカテとスズが話しているのが見えたが、スズが涙を流しているのを見てその場を後にした。




