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勇者の一日

「朝だよ、今日も楽しんじゃお!最高の1日にしようね!朝だよ、今日も…」

謎のキャラクターによる目覚ましボイスがまどろむ意識に反響する。

まぶたをこすった手をそのまま伸ばして、時計の上面に座る人形を押し込む。

それでやけにテンションの高い音声が止まった。

何をモチーフにしたかもわからない、大きな耳が特徴のそのキャラの頭をそっと撫でてベッドから立ち上がった。

「あ…」

妙な肌寒さを感じて下を見ると、睡眠用のスポーティな白色の下着から伸びる赤みがかった自らの太ももが見える。

またやっちゃった、と脱ぎ捨てられたパジャマの下を拾いながら嘆息する。

最近は初夏の風に気温も徐々に上がってきている。

睡眠時の脱ぎ癖が顕著になる時期だ。

そのまま上も脱いで、さらに下着も脱ぎ裸になる。

タンスを開けて普段使いの下着を取り出す。

早くしないと幼馴染の彼が入ってきてしまうかもしれない。

優しくて頼りがいのある男性なのだが、困ったことに本人の意思とは関係なく異性の大事な部分をつまびらかにしてしまう悪癖があるようなのだ。

少しドキドキしながらフリルのついた水色のショーツに足を通す。

続いてブラジャー、色はなるべく上下で合わせるようにしている。

ズボラな人は上下バラバラであることも珍しくないが、いつ見られるかわからないと思うと気を緩めることはできなかった。

胸部をブラのカップに収め鏡を見ながら形を整える。平均より大きめのそれは気恥ずかしい時もあるがちょっぴり自慢でもあった。

「…よし」

制服に着替えて部屋を出る。廊下のひんやりとした床板を踏みしめながら一階のキッチンに降りた。

手慣れた仕草でエプロンをつけ、昨晩に作っておいた味噌汁を温める。少し旬の過ぎた春野菜の処分も兼ねてふんだんに入れられたそれらは一部、庭の畑で取れた物だ。

ふとキッチンの端に目をやると、表紙が油や湿気で薄汚れた、一冊のノートが目に入った。

手にとってペラペラとめくる。

私――――伊達 里美が書きとめたというレシピ集。

記憶の欠けた私にとっては心強い味方だった。

『ヨウちゃんのコノミ』と書かれたページをほほえみ混じりに読み返す。野菜の切り方やお肉の焼き加減など、レシピのそこかしこに思いやりが溢れたノートは見ているだけで温かい気持ちになれる。

パタンと閉じると今度は電子ジャーをパコッと開ける。多分に湿気を含んだ香ばしい湯気を顔に浴びながら、しゃもじで白く艶めくご飯を救い、塩をつまんだ手に乗せる。

「あっちゅ、あちゅ」

ほっほっ、と手のひらで踊らせながら形を整えていく。ビン詰めのほぐした鮭を詰めて固め、仕上げに海苔を巻く。

きれいな三角形に出来上がったおにぎりを少しだけ得意げに見下ろしながらお皿をテーブルに並べた。

朝食の準備を終えエプロンをたたむと2階に戻る。

自室を通り過ぎその隣にある幼馴染の部屋のドアを叩いた。

「曜ちゃーん、起きたー?」

返事はない、ただの寝坊助のようだ。

「もう」

ドアを開けて中に入る。

ベッドに目をやると黒い短髪の男の子がすやすやと寝息をたてていた。どうやら目覚ましをセットせずに寝てしまったらしい。

「起きてー、朝だよー」

またも返事はない。

最近はどうもお疲れのようで授業中も寝ていることが増えた。

しかしその理由を知っているので怒るに怒れない。

自分にできるのは、何も知らない普通の女の子として彼の帰りを待つことだけだ。

もうじき期末テストもあるので勉強会でも開こうかと思案しながらベッドの横に腰を

おろした。

「早く起きないとイタズラしちゃうぞー」

男の顔に近づきながら囁くように呼びかける。

無防備な横顔はどこか愛らしくて、思わず目を吸い寄せられてしまう。

「ホントにイタズラするぞ」

吐息がかかるくらいに近づいても起きる気配はない。

何故か心臓が高なりはじめた。

このままだと本当に何かしなくてはいけなくなりそうだ。

とはいえイタズラなどしたことがないので、特に思いつかない。

仕方なく、ちょんと鼻先や胸を触る以外はただただ見つめ続けるしかなかった。

「ん…」

そうしている間に幼馴染――――片倉 曜が反応を見せたので思わず飛び退る。

「ん…朝…か」

ボサボサの頭をかきながら身を起こす姿にドキドキしながら姿勢を正した。

「おはよう、曜ちゃん、朝ご飯できてるからね」

「んあ…」

生返事を聞きながら部屋を後にする。

しばらく待っていると曜が一階に下りてきたので一緒にいただきますをした。

その後、学校へとむかう。これが日常的な朝の風景だった。

「おはっぴー」

「お、おはっぴー…」

学校につくとクラスメイトと謎の挨拶を交わしそのまま雑談になる。

テレビの芸能人の話やニュースになっている事件の話、流行りのソシャゲやテスト勉強の話題も出た。

中でもてっぱんなのは、やはり恋バナだった。

彼氏のいる子は惚気けたり愚痴ったり、いない子がそれを茶化すいつものパターンになった。

記憶を無くしてすぐはてんやわんやだったが、曜ちゃんがクラス内の関係性を事細かに教えてくれたので今ではなんとかなっている。すごい観察力だと驚いたものだ。

「里美は片倉とはどうなの?」

「え?」

普段はなるべく静かに話を聞くようにしているので急に話題を振られて口ごもってしまう。

しかしよほど気になるのか、特に何も考えていないのか、よく喋る女友達は口早にまくし立ててくる。

「だからさ~、片倉とはもうすませたの?って」

「!?」

「きゃー、だいたーん!」

「デリカシー無さすぎでしょ笑」

あまりの発言に頭がこんがらがる。

周りの女子たちもはしゃぎだしてもう収集つかなそうだ。

「そ、そういうのは、まだ、…」

「ほら、サトミちゃん困ってんじゃーん笑」

「えー、キスぐらい普通でしょー」

なんだ、キスのことか。

「まぁ相手が片倉じゃねー笑」

…………。

「幼馴染って良いよね」

「まぁね、片倉じゃ幼馴染ガチャ失敗って感じだけど」

「リセマラ必須笑」

「あの…そういう言い方は…」

「なぁに?」

思わず口を挟んでしまった。和やかに見えた空気がもろくも崩れさる感覚がした。

刺すような沈黙が空間を支配する。実際は数秒の出来事だったが無限に続いたように感じられた。

「ただの冗談だってー、気にしたら負けだよ?」

「そーそー、うちらも悪かったけどさー」

「えー私のせいにしないでよー笑」

なんとか場をごまかそうという空虚な話が続く。

しかし頭が追いつかない。

このままだとまずい、あせるばかりで言葉が出ない。

「おっケンカか?女子の社会は怖いねー」

すると割り込んできた声が一つ。

目をやると茂庭 駆流のものだった。

曜の友達で中学時代は口数の少ない人だったらしいが、今の姿を見ると、とても想像つかない。

「は?違うし笑。てか盗み聞きすんな」

女子の一人が彼を小突く。

「痛った、骨折れたかもっ」

小突かれた腕をおさえて大げさにわめく。

「うっざ笑、さっさと消えてくんない?」

「へーへー」

そう言って腕をおさえたまま彼は去っていく。帰り際に目が合うと、フッと軽い笑みを浮かべた。

おそらく見かねて助けてくれたのだろう。

「でさーそういえば昨日のドラマ見た?」

元からたいして興味もないのか話題はすぐさま消費されて次に移る。

「あはは…」

自分の口から出る乾いた笑い声が悲しかった。

クラスに馴染んできて会話も増えたが、このようなやり取りも同時に増えてきた。

彼女たちもきっと悪気はないのだ。忘れ物をしたら貸してくれるし、グループを作る時は向こうから誘ってもくれる。

(きっとへカテリーヌちゃんならはっきり言った上で、その後も仲良くしちゃうんだろうな)

屈託のない笑みを浮かべた金髪の少女が脳裏に浮かび、気づかれないように小さく息を吐いた。

授業が終わるとみんなお待ちかねの放課後になる。

「今日はどうするの?」

帰り道を二人で歩きながら曜に尋ねる。

「あー、えー、どうしよっかなー」

歯切れの悪い時は異世界に行く日だ。

曜ちゃんは私が向こうと関わるのを避けようとする。

まるで思い出すことを拒むように。

そんな筈無いと心のなかで首をふる。

「私はお買い物してくるね」

「んー、晩飯はどうする?」

「それまでには帰るよ」

「わかった、俺もそうする」

家に帰ると制服から着替えて近所のデパートに向かった。

食料品や文房具などを見て回る。

「あれ、里美ちゃん?」

「佐竹先輩!」

正面から歩いてきたのは学校の先輩の佐竹 紫摺だった。

美人でスタイルもよくて優しい。

女が憧れる女を地で行く人物で学校でも随一の人気を誇っている。

こんな人と曜ちゃんがどうやって知り合ったのか不思議でしょうがない。

すれ違う人々が皆、彼女に視線を送っていた。

「先輩もこんなところに来るんですね」

「えー、どうせ私は生活力のない女ですよーだ」

口を尖らせる先輩に慌てて訂正する。

「そ、そうではなくて、もっとオシャレなカフェとかのイメージで…」

こんな庶民の味方を利用している姿は想像できなかった。

「あはは、なにそれっ笑」

笑う姿もどこか上品で、思わず見とれてしまうほどだった。

「里美ちゃんは晩御飯の準備?」

手に持つバッグを覗いたのかそうたずねてくる。

「そんな感じです」

「いいなー、里美ちゃんのご飯、美味しいからなー」

「また教えますよ」

私がそう言うと先輩は神妙な顔で見つめてきた。

奇妙な沈黙と美麗な眼差しに変な汗が湧いてくる。

「ライバルに塩を送らなくても良いのよ」

「え?」

先輩はたぶん、いや本当に曜ちゃんのことが好きだ。

意識の底に沈めたその事実を直視して一瞬、恐ろしくなった。けれどすぐさまそれが間違いだと心象の首をふり、払い除けた。

「ち、違いますよ。曜ちゃんはただの…家族で……」

「曜君もそう言ってたわ」

先輩の言葉に何故か胸が痛む。

「…里美ちゃん?……里美ちゃん!?」

頭の中に知らない光景が浮かんでくる。

いや、もしかしたら、私は、知っている…?

失った記憶の断片が少しずつ合わさってイメージを形作っていく。

けれどなぜかその度に胸が強く締め付けられるようだった。

苦しい、どうして、苦しい。

もしかしたら思い出してはいけないのかもしれない。

それでも失った時間を追い求めて必死に抗う。

願い…炎……喜び……願い……悲しみ……夕日……光……願い……救い……願い……願い……傷……願い……願い……願い……お願い……お願い………………。







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